体をまっすぐにして、水をかいて水を蹴る。
前へ、前へ。
ひたすらに前に。
そして……
「ふぅ」
しばらく泳いだところで、僕は砂浜に戻る。
海から上がり、新鮮な空気をいっぱいに取り込んだ。
「おつかれさまです、フェイト」
「おとーさん、おつかれさま」
ソフィアとアイシャが出迎えてくれた。
僕の泳いているところを見たいと、二人は砂浜で見学をしていたのだ。
リコリスはマイペースにどこかで遊んでいるのだと思う。
「フェイトは泳ぎが上手なのですね」
「うん、それなりに得意だと思うよ。荷物を背負わされて川を渡ったり……あと、水底に沈んでいるお宝を手に入れるため、十分以上、潜水をしたことがあるから。自然と鍛えられたんだ」
「それ、笑えないのですが……」
「あはは」
確かに辛い思いでなのだけど……
でも、その経験があるから、今こうして自由に泳ぐことができる。
過去は過去。
囚われることのないようにして、それを糧として前に歩いていかないとダメだよね。
「ソフィアとアイシャは泳がないの?」
「私は、こうしてのんびりしているだけで十分ですから」
「……」
微笑むソフィアとは正反対に、アイシャは暗い顔をした。
「どうしたの、アイシャ?」
「……わたし、泳げない」
「そうなの?」
「うん。水に浮かばないの……」
泳ぎたいけど、でも、泳ぐことができない。
そんな感じで、アイシャは落ち込んでいるみたいだ。
「なら、僕が泳ぎを教えてあげようか?」
「おとーさんが?」
「うん。今見た通り、僕はそれなりに泳げるから……たぶん、教えることもできると思うよ」
「わたし……泳げるようになるかな?」
「なれるよ。大丈夫、僕が保証するよ」
「……がんばるね」
アイシャは尻尾をぱたぱたさせつつ、にっこりと笑う。
「アイシャちゃん、かわいいです」
「わぷ」
娘の愛らしさにやられたソフィアが、アイシャを後ろから抱きしめた。
「ソフィアも手伝ってほしいんだけど、いい?」
「え? えっと……はい、問題ありませんよ」
あれ?
なんか今、ちょっと様子がおかしかったような……気のせいかな?
「じゃあ、まずは浅瀬に行こうか」
とにかくも練習をしようと、浅瀬に移動した。
ここなら溺れる心配はないし、大きな波が来ることもない。
「アイシャは、水の中で目を開けることはできる?」
「うん、大丈夫」
「え!?」
「ソフィア?」
なぜかソフィアが驚いていた。
さっきから様子がおかしいけど、どうしたんだろう?
「い、いえ。なんでもありません」
「そう? えっと……じゃあ、水に浮くことは?」
「……沈んじゃう」
「そっか、ならそこからだね。ちょっと、やってみてくれるかな? 大丈夫。沈みそうになったら、すぐに僕が助けるから」
「うん」
アイシャは言われるまま、水に浮かぼうとするのだけど……
しかし、すぐに沈んでしまう。
僕はすぐに背中を手で支えて、アイシャを水面に戻す。
「だめだった……」
「落ち込まないで。大丈夫、すぐに浮かぶようになるから」
「そう、なの?」
「うん。人も獣人も、たぶん、変わらないから……うん。基本的に浮かぶようになっているんだよ」
「でも、沈んじゃった……」
「水を怖がっているからなのか、体が曲がっていたからね。まっすぐにして、それでいて力を抜くんだ。ぼーっと、水面で寝るような感じ。そうすれば、基本的に沈むことはないよ」
「なるほど、寝るようにするのですね」
「ソフィア?」
なぜか、ソフィアの方が熱心に説明を聞いていた。
「あ、いえ。なんでもありません」
「えっと……じゃあアイシャ、やってみて?」
ソフィアの様子は気になるものの、今はアイシャが泳げるように色々と教えないと。
アイシャはびくびくとしつつ、言われた通りに体をまっすぐにした。
今度は沈まないように、その背中を僕が支えてあげる。
「ん……」
「ちょっと力みすぎかな? もうちょっと体の力を抜いてみて」
「でも……」
「大丈夫。僕がこうして支えているから。僕を信じて」
「……うん、おとーさんがいれば、安心」
アイシャの表情がリラックスしたものに。
自然と体から力が抜けていき……
ふわっと、アイシャが水面に浮いた。
僕の支えなしに、ゆらゆらと浮かんでいる。
「わぁ」
驚いて、喜ぶアイシャ。
そのせいで沈んでしまうのだけど……
勢いよく水から顔を出す。
その顔はキラキラと輝いていた。
「おとーさん、おかーさん。今、わたし、ぷかぷかって浮いていたよ?」
「うん、そうだね」
「ふふ、やりましたね、アイシャちゃん。こんなにも早く浮くことができるなんて、すごいです」
「えへへ」
僕とソフィアに頭を撫でられて、アイシャはとてもうれしそうに笑った。
尻尾も、ぶんぶんと横に揺れて水面を叩いている。
うん。
僕達の娘、かわいい。
「うん、そうそう。その調子」
「んっ!」
僕の手に掴まり、アイシャはバシャバシャと水を蹴る。
それと同時に水に顔をつけて、息継ぎの練習。
最初はぎこちなくて、目を離せなかったんだけど……
でも、アイシャはみるみるうちに成長した。
たぶん、あと三十分も練習すれば泳げるようになるんじゃないかな?
「アイシャはすごいね」
「わたし、すごい?」
「こんなに早く泳げるようになるなんて、すごいよ。運動神経が良いのかな? それとも、泳ぎの才能があるのかも」
「えへへ」
アイシャはうれしそうに笑う。
そして、今まで以上に足をバタバタとさせて、泳ぎの練習に励む。
「……」
ふと、ソフィアがとても微妙な顔をしているのに気がついた。
アイシャを見て、それから自分を見て……再びアイシャを見る。
なぜか気まずそうだ。
アイシャの泳ぎが上達して、うれしくないのかな?
「ソフィア」
「……」
「ソフィア?」
「え? な、なんですか?」
「なにか悩みごと? 難しい顔をしているけど」
「そ、そんなことはありませんよ。ええ、そんなことはありませんとも!」
必死に否定するところが逆に怪しい。
ソフィアはなにを隠しているんだろう?
「謎あるところに、あたしあり! 名探偵リコリスちゃん、華麗に可憐にかわいく参上!」
どこからともなくリコリスが現れた。
リコリスなので、もう驚くことはない。
「謎って、どういうこと?」
「ソフィアが隠している謎よ」
「っ!?」
本当に謎を隠しているらしく、ソフィアが図星を突かれたという様子でビクリと震えた。
「迷探偵リコリスちゃんには全てお見通しよ!」
今、字がおかしかったような……?
「妙な意地を張ってないで、素直に打ち明けなさいよ」
「うぅ……で、ですが、フェイトにどう思われるか」
「気にしない気にしない。むしろ、女の子はいくらか弱点があった方がかわいく見えるんだから」
リコリスは弱点だらけだよね。
と思ったものの、口にはしないでおいた。
「ほら」
「えっと……」
リコリスに背中を押され、ソフィアが僕の前に。
一度、アイシャの泳ぎの練習は中断して、彼女の話に耳を傾ける。
「フェイト、その、私は実は……」
「うん」
「お……泳げないんです!!!」
とても恥ずかしそうにしつつ、ソフィアは大きな声で叫んだ。
「そう、なの……?」
「……はい……」
ちょっと意外だった。
ソフィアは、なんでもできるようなイメージがあったから。
「すみません、黙っていて……ですが、フェイトやアイシャちゃんの手前、なかなか言い出すことができなくて。うぅ……私の見栄です。笑ってくれていいですよ、さあ、笑ってください!」
「そ、そんなことしないから」
リコリスが言うように、泳げないというのなら、それはそれでかわいらしい弱点のような気がした。
隠されていたとしても、別に気にするようなことじゃない。
それに……
「なら、ソフィアも僕が教えようか?」
「い、いいのですか?」
「もちろん」
ソフィアの力になれることを見つけられて、それが素直にうれしい。
「えっと……」
恐る恐るという感じで、ソフィアがアイシャを見た。
娘に呆れられていないか不安だったのだろう。
でも現実は……
「おかーさん、泳げないの?」
「……はい」
「なら、一緒に練習しよう?」
「え?」
「わたし、おかーさんと一緒でうれしい」
「……アイシャちゃん……」
ソフィアは感極まった様子で、
「アイシャちゃん!」
「ふぎゅ」
おもいきりアイシャを抱きしめた。
「うぅ、そんなうれしいことを言ってくれるなんて。やっぱり、アイシャちゃんは自慢の娘です。かわいいだけじゃなくて、すごく優しいです! 最高です!」
「えへへ」
ちょっと苦しそうにしつつも、アイシャはうれしそうだった。
そんな二人を見ていると、ほっこりとした気持ちになる。
「いい、フェイト」
「え?」
「あの二人のように、変な隠し事はしない方がいいわ。素直に心にあるものを伝えるの。それが夫婦円満のコツよ!」
「ま、まだ夫婦じゃないんだけど……」
ソフィアのことは好きだ。
彼女からの好意も感じる。
でも、僕はまだまだ未熟。
彼女の隣に立つにふさわしい存在にならないといけない。
それはいつになるのか?
先は見えず、少し焦りを覚えていたのだけど……
この気持ちも、ちゃんとソフィアに打ち明けた方がいいのかな?
そうすれば、今よりも、もっと……
「……ところで、リコリス」
「なに?」
「そう語るっていうことは、リコリスは彼氏や夫がいたことあるの?」
「さあ、海よ! 夏よ! おもいきり遊ぶわよ、ひゃっはー!!!」
わかりやすくごまかすリコリスだった。
「どうでしょうか、フェイト?」
「うん、その調子だよ。さすがソフィアだね、もうほとんど泳げているよ」
アイシャと一緒に泳ぐ練習をすること一時間ほど。
ソフィアは、ほぼほぼ一人で泳げるようになっていた。
今まで剣一筋で泳ぐ機会がなかっただけらしい。
一度コツを掴めばあっという間だった。
「ふふ、泳ぐのは楽しいですね」
「現金ねー、少し前まではしゅんとしてたくせに」
「泳げるもの勝ちです!」
「あはは」
元気になったみたいでなにより。
「おかーさん。一緒に泳ごう?」
「はい、泳ぎましょう」
「あたしが監督してあげるわ」
女性陣はとても楽しそうだ。
でも、ずっと練習をしていたから、そろそろ疲れてくるだろう。
「僕はなにか飲み物を買ってくるね。みんなはなにがいい?」
「ありがとうございます。私はアイスティーでお願いします」
「ジュースが……いいな」
「あたし、はちみつレモンジュース!」
「うん、了解」
海から上がり、売店に向かう。
僕はなににしようかな?
甘いジュースでもいいんだけど、ソフィアと同じで、冷たい紅茶でスッキリしたい気持ちもある。
どうしようかな? と考えつつ歩いていると、
「ね、いいじゃん。きっと楽しいからさ」
「そうそう、一人で遊ぶよりも俺らと一緒の方がいいよ?」
「だーかーらー、そういうのはいいんだって!」
二人の男性がナンパをしている場面に遭遇した。
男性の影に隠れているせいで女性の顔は見えないけど、声からしてとても迷惑そうにしているようだ。
知らない人だけど……
でも、こういうことは見過ごせない。
「ちょっといいですか?」
「あ?」
「その人は僕と一緒に……遊びに、来て……」
「あ! フェイトだ、やっほー♪」
ナンパされていたのはレナだった。
予想外すぎる展開に思考が停止してしまう。
ついでに体も硬直してしまう。
「なんだよ、男連れかよ」
「他行こうぜ」
幸いというべきか、ナンパ男達はすぐに諦めてどこかへ消えた。
でも、なんというか……
絡んででも良かったから、残ってほしかったというのが本音だ。
レナと二人きりになるなんて。
「ひさしぶり、って言うほどでもないかな? でもでも、また会えてうれしいな」
「えっと……うん、ひさしぶりだね」
レナは屈託のない笑みを浮かべていた。
とてもじゃないけれど、敵対しているとは思えない態度だ。
そんな彼女は、けっこう大胆な水着を着ていた。
見えてはいけないところが見えてしまいそうというか……
こぼれてしまいそうというか……
レナの性格が現れているような水着だ。
こんな格好をしていたら、ナンパをされても文句は言えないだろう。
「ねえねえねえ、こんなところで再会するなんて運命だと思わない? というか、運命だよね! うん、フェイトはボクと付き合うこと決定だね」
「えっ!? な、なんでそうなるの?」
「フェイトは運命を感じない?」
「あまり……というか、これはレナが狙ってやったことじゃないの?」
この再会を偶然と言うのには、あまりにもできすぎているような気がした。
レナは見た目通りの元気な女の子というわけじゃなくて……
実は、とんでもない力を持っていて……
裏であれこれと仕組み、偶然の再会を装うことくらいはやりそうだ。
僕がジト目を向けると、レナはぱたぱたと手を横に振り否定する。
「いやいやいや、本当に偶然だよ? フェイトとはまた会いたいなー、とは思ってたけど、その前にやらないといけないことがあるからね。ボク、それなりに立場は上なんだけど、それでも好き勝手ばかりしてたら周囲に示しがつかないからねー。上にいると、それはそれで面倒なんだよ」
「はあ……」
「だから、今回のことは本当に予想外。なにも仕組んでなんていないよ?」
信じて、というような感じで、レナはじっとこちらを見つめてきた。
その瞳はとても純粋で……
ふと疑問に思う。
彼女は、良くも悪くも自分の欲望に正直なのだろう。
だから、やりたいことをやる。
その価値観を変えることができたら……
もしかしたら、レナを黎明の同盟から脱退させることができるのかな?
色々とやらかしているんだけど……
でも、憎みきれないんだよなあ。
「ねえねえ、フェイト。ボクの水着姿、どうかな? かわいい? セクシー? 手を出したくなる?」
「似合っていると思うけど……」
「えへへ、ありがと」
「ど、どういたしまして?」
「じゃあ、行こうか!」
ぐいっと、手を引っ張られる。
「え、どこに?」
「宿」
「なんで?」
「再会を記念して、えっちなことしよう?」
「ごほっ!?」
気軽にとんでもないことを言われてしまい、おもいきりむせてしまう。
「しないよ!?」
「えっちなこと、したくないの? 興味ないの?」
「な、ないことはないけど……で、でもそういうことは気軽にするようなことじゃ……」
「気軽にしないよ? ボクはフェイトのこと好きだから、したいって思うんだよ?」
「え、えっと……」
「いや?」
レナがそっと顔を近づけてきて……
「……なにをしているのですか?」
ふと、ソフィアの声が響いた。
振り返るとソフィアが。
ゴゴゴゴゴ……というような音が聞こえてきそうな顔をして、レナを睨みつけている。
「あ、剣聖も一緒だったんだ。ちぇ、つまらないなー」
「なにをしているのですか、と聞いているのですが?」
「ボクのフェイトをナンパしているんだよん」
「ボクの……?」
ソフィアのこめかみがヒクヒクと動く。
同時にすさまじい怒気……いや、殺気が放たれる。
相当なプレッシャーだ。
近くを歩いて巻き込まれた人が腰を抜かしたりしているのだけど、レナはなんのその。
涼しい顔をして、なんてことない様子で立っていた。
「フェイトはあなたのものではありません、私のものです」
「そんなこと、いつ決められたのさ? フェイトはボクのものだよ」
「いいえ、私のものです!」
「ボクのもの!」
えっと……
僕は誰のものでもないんだけど。
そうツッコミを入れたいものの、二人が散らす火花と圧がすごくて口を挟むことができない。
「フェイトは私のものです!」
「うわっ」
ソフィアが僕の右腕に抱きついてきた。
水着姿でそんなことをするものだから、柔らかい感触がダイレクトに……
「ううん、ボクのものだからね!」
「ええっ」
レナも反対側に抱きついてきた。
ソフィアほどじゃないけど、でも、ふわっとした感触が……
って、僕はなにを考えているんだ!?
「フェイトは、私と一緒にいたいですよね!?」
「ボクと一緒がいいよね!?」
「え、えっと……」
二人が左右からグイッと詰め寄ってきた。
いや、だから……
そんなに抱きつかないで。
その、色々と当たって……
どうしていいか、すごく困る。
「えっと……と、とりあえず落ち着いて? まずは深呼吸を……」
「落ち着いてなんていられません!」
「落ち着いてなんかいられないよ!」
二人は、本当は仲が良いんじゃないかな?
そんなことを思うくらい、息がぴったりだ。
「フェイトから離れなさい!」
「いたたた!?」
ソフィアがおもいきり僕の腕を引っ張る。
「そっちこそ離れてよ!」
「いててて!?」
レナもおもいきり僕の腕を引っ張る。
痛い痛い痛い!?
グイグイと左右に引っ張られて、体が二つに裂けてしまいそうだ。
「ちょ……そ、ソフィア? レナも……は、離してくれないと体が……」
「言われていますよ!?」
「キミの方だよ!」
「いたたたたた!!!?」
さらに強く引っ張られて、体が悲鳴をあげる。
このままだと、冗談抜きで裂けてしまいそうだ。
「り、リコリス……アイシャ……!」
少し離れたところで様子を見ていた二人を見つけて、助けを求める。
「おとーさんが大変なことに……」
「大丈夫よ、アイシャ」
「ふえ?」
「あれは、世の男連中がうらやましがる、ラブコメ的修羅場、っていうやつね。大変そうに見えて、実は喜んでいるのよ」
「そうなの?」
「そうよ。ほら、ソフィアとレナとかいう女に抱きつかれているでしょ? 男は、ああやって抱きつかれると喜ぶものなのよ」
「……」
リコリスのでたらめのせいで、アイシャの視線が痛いものに!?
「巻き込まれたくないし、あたしらは向こうで遊んでましょ」
「ん」
「ま、待って……! これ、本当に大変で……いたたた!?」
「フェイトは私のものです!!!」
「フェイトはボクのものだよ!!!」
僕の悲鳴と、二人の声が砂浜に響いたとかなんとか。
――――――――――
夜。
宿へ戻り、部屋でくつろぐのだけど……
「うぅ……まだちょっと痛いかも」
「ごめんなさい、フェイト……」
昼間の騒ぎのせいで、僕はベッドにつっぷしていた。
妙な感じで負荷がかかったらしく、筋肉痛のような感じで体を動かすと痛みが走る。
その原因であるソフィアは、しゅんとした様子で肩を落としていた。
そんな姿を見ていると、なにも言えなくなってしまう。
「ううん、僕は気にしていないから」
「本当にすみません……」
「僕も、態度をハッキリさせておくべきだったというか……レナに対して、もっと強く出ておくべきだったと思うから」
女の子にあんなことを言われるなんて初めてなので、ついつい動揺してしまったのだけど……
ハッキリと断っておくべきだった。
それができていないから、ソフィアが怒ったとしても仕方ないと思う。
「でも、僕が好きなのはソフィアだけだから……それだけは覚えておいてほしいな」
「フェイト……はい。私も、フェイトのことが大好きですよ」
笑顔を交換して、
「アイシャ、あれがバカップルよ」
「おー」
互いに顔を赤くした。
「ところでさー」
何気ない様子でリコリスが言う。
「レナって、黎明の同盟とかいうやばいヤツなんでしょ? なんで、この街にいたのかしら? というか、捕まえなくてよかったの?」
「「……あ」」
とても大事なことを忘れていて、僕とソフィアは揃って頭を抱えるのだった。
ブルーアイランド。
とある屋敷の客間にレナの姿があった。
ラフな格好に身を包み、大きなソファーに座る。
片手にグラスを持ち、琥珀色の酒をぐいっと喉に流す。
「はぁ……」
レナは落ち込んでいた。
肩を落として、あからさまに落ち込んでいた。
その理由は……
「せっかくフェイトと運命的な再会をしたのに、関係を進めることができないなんて。うぅ、一生の不覚だよ。ボクとしたことが、こんなミスをしちゃうなんて……」
フェイトのことで落ち込んでいた。
もしもここに仲間であるリケンがいたのなら、本来の目的を忘れるな、と説教されていただろう。
「あーあ、任務なんて放り出して、フェイトのところへ行こうかな? こういうところだと男は獣になるって聞くし、ボクのことを襲ってくれるかも♪」
レナは笑顔でそんなことを言う。
冗談などではなくて、彼女が本気なのは明らかだった。
「でも、それやるとリケン辺りがうるさいだろうからなー……仕方ない。任務に励むとしますか」
そうやって気持ちを切り替えるのと同時に、扉がノックされた。
屋敷で働くメイドが扉を開けて……
そこから、きらびやかな服に身を包んだ男が現れる。
ブルーアイランドを拠点とする貴族だ。
「すまないね、待たせてしまったかな?」
「いいえ、そのようなことはありません」
さきほどまでの態度はどこへやら。
レナはスッと立ち上がると、優雅に一礼する。
口調だけではなくて、声のトーンまで変わっていた。
魔法を使っているわけではなくて、ただの手品のようなもの。
もっと簡単に言うと、猫をかぶっているだけだ。
「突然、押しかけた私が責められるべきで、あなたさまが謝罪をされる必要は一切ありません」
「そう言ってもらうと助かるよ。どうしても今日のうちに片付けておかないといけない仕事があってね」
「そのようにお忙しい中、私のために時間を割いていただき感謝いたします」
レナはにっこりと笑う。
本来の性格はかなり問題があるのだけど……
それでも、こうして猫をかぶっている時のレナはとんでもない美少女だ。
貴族は今年で四十になるのだけど、それでも彼女の魅力に惹かれてしまい、視線を奪われてしまう。
ドレスを着ているわけではなくて、ただの動きやすい服。
しかし、それこそがレナの魅力を引き立てるのだというかのように、彼女は輝いていた。
そうやって貴族が自分に惹かれていることを感じて、レナは内心でほくそえむ。
これなら商売がやりやすそうだ。
「どうかされましたか?」
内心は欠片も表に出さず、静かに問いかける。
「あ……いや、なんでもないさ」
レナに見惚れている場合ではない。
本気で口説きたいのなら、他の機会がある。
今は商談を進めるべきだ。
そう思い直した貴族は、場を仕切り直すようにこほんと咳払いをして口を開く。
「それで、例のものは?」
「はい、こちらに」
レナはテーブルの上に置いておいた木製のケースを指差した。
「開けても?」
「もちろんです」
貴族がゆっくりと木製のケースを開ける。
中に収められていたのは、剣だ。
漆黒の刀身。
血のような赤に濡れた宝石。
魔剣。
一本だけではない。
細部は異なるが、合計で五本の魔剣が収められていた。
「ほう……これはまた素晴らしい」
貴族は声のトーンを少し高くした。
彼は剣を学んでおらず、武に関しては知識が薄い。
それでもこの剣は素晴らしいと、直感でわかるほどの業物だ。
素晴らしい剣ということは理解できるが……
しかし彼は、これが魔剣ということを知らない。
適性のない者が扱えば、破滅しか待ち受けていない。
そんな呪われた剣であることを知らない。
「良い剣を持つ商人がいると知人に紹介されて、最初は半信半疑だったけれど……いやはや、これは本当に素晴らしい。レナさん、あなたを疑ったことを許してほしい」
「お気になさらず」
「この剣があれば、私の家はさらに発展することができる。そして、より多くの民の命を守ることができる」
貴族は……端的に言うと、善人だった。
武器を求めるのは、部下の安全のため。
そして、より広い活動を行うため。
そうすることで民のためになる……そう信じて、日々、精力的に活動を行っている。
そんな善人に、レナは魔剣を売りつけようとしている。
破滅が待っていると知っていても構うことはない。
「お気に召されたでしょうか?」
「ああ、とても。いくらか試してみたいが、構わないだろうか?」
「ええ、問題ありません」
すぐに発狂することはないからね。
レナは、心の中でそう付け足した。
「この剣は、ここにある五本で全部だろうか? できるなら、もう少し欲しいのだが……」
「そうですね……まだいくらかはあるのですが、特定の方が独占することは私としては望むことではなく」
「なるほど……まあ、道理だな。このような業物を独占したら、どうなるか。嫉妬を受けるくらいならいいが、良からぬ者が独占すれば厄介なことになりえる」
「申しわけありません」
「いや、こちらこそ無理を言ってすまない。これだけの業物を一気に放出してしまうと、そちらにも問題が出てしまうだろう。そのことを忘れていた」
「いえ、大丈夫です」
「では、試し切りなどをした後になるが……この五本は全て購入させてもらおう。さっそく、商談をまとめたいがどうだろう?」
「はい、喜んで」
レナはにっこりと笑う。
それは演技ではなくて、本心からの笑みだ。
黎明の同盟の活動資金を確保するために、こうして適当な魔剣を売り捌く。
その企みは順調に進んでいた。
そしてもう一つ。
本命の目的は別にあるのだけど……
(ま、こっちはもう少し時間がかかるだろうから、気長にやっていこうかな)
昼は海を満喫していたのだけど……
「むう」
夜。
みんなで一緒にごはんを食べるのだけど、ソフィアの機嫌は斜めだった。
ムスッとした表情で、私怒っています、とわかりやすくアピールしている。
「えっと……ソフィア?」
「なんですか?」
「昼間のことはごめんというか、僕にその気はないというか……」
「フェイトはなんの話をしているのですか?」
「その……謝罪を」
「謝られる理由がわからないのですが。そもそも、私は怒ってなんていませんが」
ウソだ。
ものすごい不機嫌そうにしている。
「おとーさん、おかーさん……ケンカ?」
「大丈夫よ、アイシャ。あれはケンカっていうよりは、ちょっとしたじゃれ合いのようなものだから」
「じゃれ合い?」
「そうよ。ソフィアも意地悪というかひねくれているというか……フェイトも大変ねー」
不安そうにするアイシャをリコリスがなだめていた。
すごく助かるのだけど……
ソフィアがひねくれているというのは、どういう意味だろう?
「フェイトは、私より、あのレナという女性の方が好みなのでは?」
「そ、そんなことないよ!」
「本当に?」
「本当に!」
無実を訴えるように、ソフィアの目をじっと見つめる。
「……っ……」
一瞬、ソフィアがニヤリとしたような?
でも、今はムスッとした表情に。
見間違えだったのかもしれない。
「なら、言葉と行動で証明してくれませんか?」
「言葉はわかるけど……行動っていうのは?」
「答えを提示したら意味がないでしょう? フェイトが自分で考えてください」
「うーん」
言葉は簡単だ。
ソフィアに対する想いをそのまま口にすればいいと思う。
でも、行動と言われても……
抱きしめる……とか?
いや、でも。
人前でそんなことをするのはどうかと思うし、そもそも、いきなり抱きついたりしたらセクハラになりそうだ。
なら……
「そ、ソフィア」
「はい」
緊張しつつ、考えた内容を実行する。
「僕が好きな女性は、これまでもこれからも、ソフィア一人だけだよ」
「……そうですか」
「それを証明しようと思うんだけど、ちょっといいかな?」
「はい、どうぞ」
ソフィアの手を取り、そっと手の甲にキスをする。
騎士などが主に忠誠を捧げるためのキスだ。
僕の場合は、ちょっと意味合いは違うのだけど……
でも、彼女のために全部を捧げる、という想いは本物だ。
「……」
ソフィアは目を丸くして、
「ふふ」
鈴を転がすように笑う。
「フェイトってば、どこでこんなことを覚えたんですか?」
「えっと……」
ついつい言葉を濁してしまう。
アイシャに読んであげた本の中で、こんなシーンがあったというのはちょっとどうかと。
「たぶん、本などで見かけた、という感じでしょうか」
「うぐ」
読まれている。
「ですが、とてもうれしかったです」
ソフィアはにっこりと笑う。
よかった。
どうやら機嫌が治ったみたいだ。
「あー……フェイト? ソフィアが不機嫌そうにしていたの、アレ、演技よ」
「え?」
ふと、横からリコリスが口を挟んできた。
「ど、どういうこと?」
「多少、不機嫌になっているのは事実だろうけど、それは演技。フェイトにあれこれしてほしいから、わざとあんな態度をとっていたのよ」
「そ、そうなの……?」
ソフィアを見ると、ペロッと舌を出されてしまう。
「すみません。フェイトに甘い言葉をささやいてほしくなり、つい」
「……そ、そういうことなんだ」
がっくり。
体の力が抜けてしまい、床に膝をついてしまいそうになる。
ソフィアとケンカなんてしたことがないから、どうしようかと慌てていたんだけど……
まさか、全部演技だったなんて。
「でも……そっか。そうだよね」
ソフィアは演技と言うけれど……
でも、不機嫌になったことも事実らしい。
そうさせてしまったのは、僕がレナにハッキリとした態度をとれなかったからだ。
心配させることのないよう。
不機嫌にさせないよう。
次、出会うことがあれば、きちんと対応しないと。
「僕、がんばるよ、ソフィア」
「はい、期待していますね」
こちらの考えていることを察した様子で、ソフィアはうれしそうに微笑む。
「雨降って地固まる、っていうヤツかしらねー」
「雨……?」
「ケンカをして仲直りして、もっと仲良くなる、っていうことよ」
「おー。おとーさん、おかーさん、仲良し」
アイシャはうれしそうに、尻尾をパタパタと振る。
「ところで……あたしとアイシャ、今夜は部屋を別にした方がいい? フェイトとソフィアは、二人で熱い夜を過ごしたいんじゃない?」
「「変な気をつかわないで!?」」
「くひひ」
一番上手なのはリコリスかもしれない。
ニヤリと笑う彼女を見て、そんなことを思うのだった。
数日後。
再び獣人研究家の家を訪ねてみると、中から生活音が聞こえてきた。
「よかった、帰ってきているみたいだね」
「はい。また留守だったらどうしようと思っていましたが、一安心です」
アイシャについて、なにか新しい情報を得ることができるだろうか?
期待しつつ、扉をノックする。
「すみま……」
「おわぁあああああ!!!?」
ガラガラガラドガシャーン!!!
ノックをした直後、悲鳴が聞こえてきた。
ついでに、なにかが崩落するような音。
「え?」
「今、なにが……?」
僕とソフィアは、思わずぽかんとしてしまう。
アイシャはちょっと怯えていた。
「このあたしを待たせるなんて、なってないわねー」
リコリスはマイペース……
というか、ちょっと偉そうだった。
「今の、なんだろう……?」
「なにかが起きたことは間違いないと思いますが……もしかして事故が?」
だとしたら大変だ。
すぐに状況を確認した方がいいかもしれない。
でも、その場合は強引に立ち入らないといけないわけで……
どうしよう?
「はいはーい、今出るよー」
迷っていると、そんな呑気な声が聞こえてきた。
よかった。
なにか起きたことは間違いないだろうけど、怪我をしたとかそういうわけじゃなさそうだ。
「はい、こんにちはー」
扉が開いて、メガネをかけた女性が姿を見せた。
見た目は幼く、十二歳くらいに見える。
背も低く、体も細い。
そんな姿なのに、とても大きな白衣を身に着けていた。
ダボダボで引きずってしまっているのだけど、それを気にしている様子はない。
「どちらさまかな?」
「あ……僕は、冒険者のフェイト・スティア―ト」
「私も冒険者で、ソフィア・アスカルトと言います。この子はアイシャちゃん。それと、妖精のリコリスです」
「こんにちは」
「はい、どうも丁寧に。私は……おっ……おおおおおぉ!!!?」
突然、女性が大きな声をあげた。
ぐぐっと詰め寄るようにして、アイシャに強い視線を注ぐ。
その目は、ぴょこぴょこと揺れる耳と、ふりふりと動く尻尾に向けられている。
「あなたは獣人!? 獣人だよね!?」
「は、はい……」
「うひゃあああああ!!! まさか、ウチに獣人がやってくるなんて! すごい、すごすぎる! なんていう日なの、今日は! 女神さまに感謝よ!」
「あう……」
ものすごいテンションが高くなり、狂喜乱舞という言葉がぴったりといった様子で、女性がはしゃぐ。
正直、異様だ。
アイシャはちょっと怯えていた。
「あの……」
「はっ!?」
思わず呆れた視線を送ってしまうの。
それに気がついた女性は、ピタリと硬直した。
そして、たははと困り顔をして頭をかく。
「いやー……ごめんごめん。獣人研究家をやっているんだけど、本物の獣人を見たことは数えるほどしかなくて。ついつい興奮しちゃった」
「え? それじゃあ、あなたが……」
「名乗り遅れたね。私は、獣人研究家のライラ・イーグレットだ」
――――――――――
ライラ・イーグレット。
獣人研究家。
見た目は幼いのだけど……
驚くことに、今年で三十になるという。
獣人よりも彼女の方が謎だ。
とにかくも。
自己紹介を終えた後、僕達は彼女の家の中へ。
「うわぁ……」
ライラさんの家は、あちらこちらに書物が積み重ねられていた。
よくわからない道具もたくさん転がっている。
足の踏み場がないほどで、ちょっと片付けなければいけなかったほど。
「いやー、ごめんね。来客なんてぜんぜんなかったから、ちょっと散らかってて」
「ちょっと……ですか」
ソフィアの顔がちょっと引きつっていた。
「あ、お茶くらいはあるよ。コップがないから、このビーカーになるけど。はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ビーカーで飲むお茶……なんかシュールだ。
ただ、アイシャとリコリスは気にしていないらしく、さっそく口をつけていた。
そして、ほんわりと幸せそうな顔に。
なかなかどうして、味はおいしいらしい。
「それで、なにか私に用かな?」
「アイシャちゃん……というか、獣人について色々と知りたいと思いまして」
「ふむ? 獣人について教えてほしいというのなら、色々と語ろうじゃないか。講義は嫌いじゃないからね。ただ、どうして知りたいのか理由を教えてくれるかな?」
「それは……」
ソフィアが困った様子でこちらを見た。
僕達が獣人のことを知りたいと思ったのは、レナや魔剣の事件があったからだ。
果たして、それを話していいものか。
「……ソフィア、話してみよう」
「いいのですか?」
「うん。僕の勘だけど、ライラさんは信用できると思うんだ」
「わかりました。フェイトがそう言うのならば」
そうして、僕らは一連の事件について説明するのだった。
「……ふむふむ、なるほどねー」
こちらの事情を説明して……
ライラさんは、難しい顔をして頷いてみせた。
「魔剣か。そんなものがあるなんて、驚きだねー」
「一応、このことは内密にお願いします」
魔剣は大きな力を秘めていて、誰もが強くなることができる。
ただ、使用者を狂わせてしまうなど、呪われているような一面もある。
そんな武器があることが知られれば、どうなるか?
危険だとわかっていても、手を伸ばす人は出てくるだろう。
冒険者ギルドの上層部などには報告をしているものの、一般には公にしていない。
事故、事件を避けるためだ。
「うん、了解。安心して。私は口が硬い方だからね」
「お願いしますね」
ソフィアはにっこりと笑うものの、圧を放っている。
もしも喋ったらどうなるか? と釘を刺しているみたいだ。
ただ、そんなことは知らんとばかりに、ライラさんの態度は変わらない。
この人も、ある意味で大物なのだろう。
「で……その魔剣を使う連中が、この子を狙っていたと?」
「うん。そのことで、なにか知っていること、気づいたことはないかな……って、ライラさんに話を聞きたくて」
「なるほど、なるほど」
頷きつつ、ライラさんはアイシャをじっと見つめる。
「うぅ……」
アイシャは、少し居心地が悪そうだ。
ライラさんの最初のハイテンションな様子に怯えているのかもしれない。
「はいはーい、怯えないの」
「でも……」
「大丈夫よ。この女はちょっとおかしいだけで、悪いヤツじゃないわ。たぶん」
「そう、なの?」
「悪いヤツだったとしても、その時は、あたしがのしてあげる。こう、シュッシュッ、ってね。リコリスちゃんパンチは岩を砕くのよ」
アイシャの頭の上で、リコリスがパンチをしてみせる。
頼りになるというよりは微笑ましい感じだ。
それでもアイシャは安心したらしく、落ち着きなく揺れていた尻尾が止まった。
「私は悪い人じゃないわ。ただ、獣人にとても興味があるだけ」
「痛いこと、しない?」
「しないしない。約束するわ。むしろ、甘いものをあげる」
「わぁ」
飴をもらい、アイシャは笑顔になる。
「それで、アイシャが狙われる理由などはわかりませんか?」
「うーん……ちょっと心当たりはないわね」
ソフィアの問いかけに、ライラは首を横に振る。
「魔剣ってのは、今知ったばかりだから。それが、どんな風に獣人と関わりがあるのか? さすがにわからないわね」
「そうですか……」
「ただ、調べればある程度のことはわかると思うのよね。時間はかかるけど、私も興味があるからやってみたいけど……どうする?」
ソフィアがこちらを見る。
僕は頷いた。
「お願いします」
「うん、りょーかい。魔剣と獣人の関連について、これから調べてみるわ。あ、二人は情報提供お願いね」
「はい」
ひとまず話がまとまった。
ただ、せっくなので色々な話を聞いておきたい。
「獣人について教えてくれませんか?」
「お、少年も獣人に興味があるのかい?」
「はい」
ライラさんが持つ興味とは方向性が違うのだけど……
でも、興味があるのは事実だ。
アイシャに関することなので、獣人に関する知識を増やしておくことに問題はないはず。
ソフィアも同じ考えらしく、話を聞かせてほしいと言う。
「よーし。それじゃあ、獣人についての講義を始めようかな。私が先生で、キミ達が生徒だ」
ライラさんは楽しそうだ。
研究者だから、自分の成果を発表することはうれしいのかな?
「じゃあ、獣人についての講義を始めるけど……その前に、二人に質問。獣人について、どれだけの知識を持っている?」
「え、なんであたしはスルーなの?」
リコリスが不満そうに言うものの、ライラさんは気にしない。
「さ、どれくらい知っているのかしら?」
「えっと……僕達人間と似た種族で、動物の耳とか尻尾が生えている」
「身体能力は高く、とても長命。ただ、数が少なくて、ほとんど見かけない……でしょうか」
「なるほど、そんなところか」
僕達の話を聞いたライラさんは、考えるように頷いた。
ややあって、口を開く。
「二人の認識は間違ってないけど、ちょっと情報が足りないわね。私の研究で得た情報を足しておくわ」
そう言って、ライラさんは獣人についての情報を並べていく。
いつ、どこで誕生したのか?
それは不明だけど、獣人は遥か昔から存在している。
外見は人間とほぼ同じだけど、動物の耳と尻尾を持つという違いがある。
その身体能力、生命力はかなり高い。
大きな岩を片手で持ち上げたり、数百年を生きたりするという。
ただ、個体数はかなり少ない。
人前に姿を見せることなく、人気のない山奥などで集落を築いていることがほとんど。
人間を嫌っているのではないか? という推測も成り立つ。
「……とまあ、これが私が持つ、獣人についての基本的な情報ね」
「その話を聞いた限りでは、アイシャちゃんが狙われる理由は不明ですね……」
ソフィアと同じく、理由が思い浮かばない。
ただ、ライラさんは違うらしく、話を続ける。
「根拠はなにもないんだけど……一つ、仮説を立てることができるわ」
「それは?」
「彼女の魂を狙っている」
「魂を?」
どういうことだろう?
魂の定義はちょっと曖昧だけど……
でも、確かに存在する。
そのことは、教会や神官などによって証明されている。
ただ、魂を狙う悪人なんて聞いたことがない。
「そもそも魂とはなにか? それは、人を人とするもの。人を構成する上で、一番欠かせないもの。その人の全てといってもいい、心を司るもの。目には見えないけれど、確かに存在するの」
学習院の先生のように、ライラさんは講義を始めた。
話をすることに慣れている様子だ。
研究だけじゃなくて、講義をすることもあるのかな?
「魂については理解しているつもりですが、なぜ、それが狙われるのですか?」
「魂っていうのは、とても強い力を秘めているのよ。人を人たらしめるもの。全ての源。だから、あまり知られていないけど大きな力があるわ」
「魂の力……ですか」
「で、獣人は私達人間より強い魂を持っていると言われているの」
それはなぜか?
獣人の起源については明らかにされていないが……
人間の知識と獣の力を兼ね備えているとされている。
健全な肉体には健全な精神が宿ると言われているように。
強い肉体には強い魂が宿る。
故に、獣人は強く巨大な魂を秘めている。
それがライラさんの説だった。
まだ世間に認められていないものの、彼女としては確信に近いものがあるという。
「数値化するなら……そうね。私達人間の魂が100とするなら、獣人の魂は最低でも1000ね」
「十倍ですか……」
「それはすごいね……」
「だから、強い魂を持つ獣人を狙う、っていう可能性はあると思うの」
ただ、魂をエネルギーとして利用する技術は、まだ確立されていないらしい。
それに、魂を利用することは固く禁じられている。
その話を聞くと、普通ならありえないと思うのだけど……
でも、相手は黎明の同盟。
魔剣という、とんでもない代物を作ってしまう連中だ。
法を守るなんて思えないし……
ライラさんの知識を上回る技術を持っていたとしてもおかしくない。
「うーん……色々とわかったけど、逆に謎が増えた感じだね」
「ですが、前進していることは確かです。焦らず、一つ一つの物事に対処していきましょう」
「うん」
一気に問題が解決するなんて思っていない。
ソフィアが言う通り、ゆっくりと、でも着実に前へ進んでいかないと。
「他にも、獣人に関することを教えていただきたいのですが……」
「もちろん、いいわよ。ただ……」
「ただ?」
「その前に、アイシャちゃんのことを調べさせてもらってもいいかしら?」
「ふぁ?」
じっと成り行きを見守っていたアイシャが、自分に話の矛先が向いて、不思議そうに小首を傾げた。
「あわわ!?」
その拍子に、アイシャの頭の上で寝ていたリコリスが落ちる。
話が退屈で寝ていたらしい。
たまにだけど、リコリスの自由なところがうらやましくなる。
本当にたまにだけどね。
「調べる、っていうのは?」
「えっと……ほら。私は、獣人について誰よりも詳しいって思っているから? だから、どれだけの魔力を持っているのか、っていうのを調べてみたら、さらに情報が得られるかも? ね、ね、そう思わない?」
熱心に語るライラさんだけど……
なんていうか、その目は欲望にまみれていた。
本物の獣人が目の前にいる。
このチャンスを逃したくない。
色々な検査をしてみたい。
そんな考えが透けて見える。
とてもわかりやすい人だ。
「えっと……」
アイシャを見る。
問題ないというように、コクリと頷いた。
「わたし、大丈夫だよ?」
「本当に?」
「うん。おとーさんとおかーさんの役に立ちたいの」
「それは……」
「あと……わたしも、わたしのことを知りたいから」
「そっか……うん。ソフィア」
「はい。アイシャちゃんがこう言うのなら、私も問題はありません」
「おお、マジでいいの!?」
ライラさんはものすごく興奮した様子で喜ぶ。
本当に獣人のことが気になるんだなあ。
「ただし」
釘を刺すような感じで、ソフィアがギロリと睨む。
「痛いことや怖いことは禁止です。そんなこと、アイシャちゃんにさせるわけにはいきませんから」
「うんうん、わかってるって」
「あと、検査の際は私達も同席させてもらいますからね」
「オッケー、問題ないわ」
こうして、アイシャの魔力測定が行われることになった。
さて、どうなるかな?