将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

 リーフランドの住宅街にある広場。
 緑が多く景色も良い場所で、普段は住民達の憩の場となっている。

 お茶やお菓子を持ち寄り、おしゃべりをしたり。
 子供たちがボールを手に遊んだり。

 いつも和やかな光景が広がる場所なのだけど……
 今朝、その光景は一変した。

 慌ただしい様子を見せる騎士達。
 遠巻きに広場を見る住民達は、一様に不安の表情を浮かべている。

 そして……
 広場の中心には、事切れた遺体があった。



――――――――――



「殺人事件?」

 エドワードが執事よりその報告を受けたのは、事件発生から数時間が経過した、午後のことだった。

 ソフィアに家に戻るように言い、しかし断られて……
 昨日と同じく、壮絶な親子喧嘩を繰り返しそうになりつつも、仕事をしなければいけないためなんとか我慢して……

 簡単な昼食を済ませて、いくらかの書類に目を通している最中に、その報告がもたらされた。

「今朝、住宅街の広場で、明らかな他殺と思われる死体が発見されました。散歩をしていた住民が発見、騎士団に通報。現在は、現場検証が行われています」
「明らかな、ということは、切り傷でもあったのか?」
「はい。詳細は、後ほど騎士団から改めて報告が上がってくると思いますが……目撃者の話によると、事故などでは起きないような、酷い切り傷ができていた、と」
「それは、どういうものなのだ?」
「剣で斬りつけたようなものでありながら、ノコギリを使ったかのように、傷口はズタズタになっていた、と聞いております」
「それは、獣や魔物の類とは違うのか?」
「一応、傷は剣の形となっていたので、人為的な犯行で間違いはないかと」
「ふむ」

 ソフィアを相手にすると、威厳をどこかに捨ててしまうエドワードではあるが、領主としては有能だ。
 キリッとした顔で、事件について考える。

 が、いかんせん情報が少ない。
 現段階では、なんとも言えない。

「騎士団には、念入りに捜査するように伝えろ。それと、街の警備の警戒度を、一段回引き上げるように」
「また事件が起きると考えているのですか?」
「なんとも言えないが、その可能性も考えて行動しておいた方がいいだろう。無論、そうならないことを祈るが」

 エドワードは憂い顔で、窓の外を見上げた。
 空は曇り、今にも雨が降り出しそうだった。



――――――――――



「むう」

 宿の一室。
 紅茶を飲みつつ、しかし心は晴れないらしく、ソフィアは膨れ顔だ。

 エドワードさんに挨拶をしてから、数日。
 未だ僕達の仲は認められていない。

 当然、諦めるつもりはないし、何度でも話をするつもりだ。
 ただ、今は忙しいらしく、面会の機会をもらえないでいた。

 状況が進展しないことに苛立っている様子で、ソフィアの機嫌は悪い。

「おかーさん、元気ない……?」

 そう勘違いしたアイシャが、心配そうにソフィアを見る。

 こんな小さな子に心配をかけてしまった。
 ソフィアは慌てて笑顔を浮かべて、アイシャを抱き寄せて、抱っこする。

「大丈夫ですよ。心配してくれて、ありがとうございます。ふふ、アイシャは優しい子ですね」
「あうー」

 頬をスリスリされて、アイシャはくすぐったそうな顔に。
 でも、とても喜んでいるみたいで、犬尻尾がフリフリと揺れていた。

 いいな。
 僕も、アイシャとスキンシップをしたい。

 でも、アイシャは女の子だから、嫌がるかもしれない。

「おとーさん」

 あれこれ考えていると、今度は、アイシャが僕のところに。
 そして、膝の上に乗り、なにかおねだりするようにこちらを見た。

「……よしよし」
「えへへ」

 正解だったみたいだ。
 頭を撫でると、アイシャは尻尾をブンブンと横に振る。

 そんな僕達を、ソフィアが優しい顔をして見て……
 うん、よかった。
 どうやら、機嫌は直ったみたいだ。

「あんたら、呑気ねー」
「でも、エドワードさんは忙しいみたいだから、今はなにもできないし」
「本当に忙しいのか、疑わしいですけどね。私達の話を聞きたくないために、忙しいとウソを吐いている可能性がありますよ」
「うーん、それはないと思うんだけど」

 ちょっと詩情が混じるところがあるみたいだけど……
 基本、エドワードさんはピシリとした立派な人に見えた。
 仕事を言い訳にするようには思えない。

「ま、それなら他の方法を探しておいた方がいいんじゃない?」
「他の方法?」
「認めてもらうのは、話をするだけじゃないでしょ? なんか、こう……大きな手柄を立てるとか。そうしたら、あのおっちゃんも、少しはフェイトのことを認めるんじゃない」
「おー、なるほど」
「リコリスの口から、そんな知的な案が出るなんて、驚きですね」
「ソフィアは、あたしにケンカを売っているの……?」

 リコリスのジト目を無視しつつ、ソフィアが張り切り出す。

「よし! がんばりましょうね、フェイト! まずは街に出て、手柄を立てるための話がないか、情報収集をしましょう」
「うん。ソフィアのため、アイシャとリコリスのため、がんばるよ」
「それでこそ、私の大好きなフェイトです♪」

 ソフィアは頬を染めつつ、にっこりと笑うのだった。
 エドワードさんに認めてもらうため、まずは、大きな手柄を立てることを考えた。
 そのために、リーフランドの冒険者ギルドを訪ねる。

「うわぁ」

 リーフランドの冒険者ギルドは、他のところと違い、たくさんの自然にあふれていた。
 至るところに観葉植物が飾られていて、とてもおしゃれだ。
 冒険者ギルドの看板がなければ、カフェかなにかと勘違いしていたかもしれない。

「ふーん、なかなか良いところじゃない。あたしの別荘にしてあげてもいいわ」
「ここは冒険者ギルドで、家ではありませんよ」
「お花……良い匂いだね」
「はい、そうですね。アイシャに似て、とてもかわいいお花ですね」
「ソフィア、あんた……あたしとアイシャで、扱いの差が激しすぎない……?」

 リコリスが唖然とする中、カウンターへ。

「ようこそ、冒険者ギルドへ。依頼でしょうか? それとも、冒険者の方でしょうか?」
「冒険者だよ。ここで活動をしたいから、その登録をしたいと思って」
「かしこまりました、登録ですね? では、冒険者カードをお願いします」

 新しい街で活動をする時は、そこの冒険者ギルドで登録をしないといけない。
 事前に登録を求めることで、問題行動のある冒険者を排除できる。
 さらに、後々で問題が起きた時、スムーズに解決することができるし……

 そのような感じで、登録が義務づけられているのだ。

 ちなみに、ソフィアのような、限られた人しか与えられていない称号を持つ人は、登録は免除されている。
 有名すぎるから、そのようなことをしなくても問題はないだろう、という判断らしい。

「……はい、登録が完了しました。フェイト・スティアートさんですね? しばらくは、リーフランドで活動を?」
「うん、そのつもりだよ」
「なるほど。スティアートさんの活躍、お祈りしています。そして、パーティーメンバーは……そ、ソフィア・アスカルトさん!?」

 さすが、剣聖。
 ソフィアのことは知っているらしく、受付嬢は目を大きくして驚いていた。

「アスカルトさん、リーフランドに戻ってきていたのですね」
「まあ、色々とありまして」
「……本当に色々とありそうですね」

 受付嬢の目が、チラリとアイシャとリコリスに向いた。
 ただ、深くは突っ込まないでくれて、次の話に移る。

「今日から活動を開始されますか?」
「うん。ちょっと理由があって、できるだけ大きな手柄を立てたいんだけど、なにか良い依頼はないかな?」
「そうですね……それなら、連続殺人事件の調査なんていかがでしょう?」

 既視感を覚える依頼だ。

 以前は、シグルド達が逆恨みで起こした事件だったのだけど……
 リーフランドでも、似たようなことが起きているのかな?

 ひとまず、疑問はそのままにして、話を聞くことに。

「最近、リーフランドで殺人事件が多発しています。検死の結果、魔物などによる被害ではなくて、人の犯行によるものだということがわかりました。目撃情報もいくらかあり、全身黒尽くめの者が、同じく黒い剣を手に、街の裏路地に消えていくところを見た……という人がいます」
「今度は目撃者がいるんだね」
「今度は?」
「あ、ごめん。こっちの話だから、気にしないで」
「続きを聞かせてくれませんか?」
「はい。騎士団は、捜査本部を設置。犯人を、『漆黒の剣鬼』と名付けて、捜査を開始したのですが……なかなか尻尾を掴むことができません。そのうち、犠牲者は三人に。このままでは、被害は拡大するばかり。管轄にこだわっている場合ではないと、冒険者ギルドに依頼が回ってきた……ということになります」
「なるほど」

 以前と状況が似ているのだけど……
 さすがに、シグルド達は関与していないだろう。

「漆黒の剣鬼を捕まえればいいのですか?」
「はい。場合によっては、斬り捨てても構いません」
「それはまた、過激だね……」
「すでに、犠牲者は五人。犯人の人権なんて、尊重していられる状況ではありませんからね」

 犠牲者が五人も出ているのなら、納得だ。

 犯人の命と、これから出るかもしれない犠牲者の命。
 どちらを選ぶのかと言われれば、間違いなく後者を選ぶ。

「ただ、漆黒の剣鬼の正体は未だわからず、神出鬼没。その目的も不明でして……なので、漆黒の剣鬼に関する情報提供も求めています。逮捕、もしくは討伐に繋がる有力な情報があれば、そちらも高価で買い取りますよ」
「そんなに困っているの? もしかして、漆黒の剣鬼は、情報を掴ませないような特殊な能力を持っているとか?」
「いえ、そのような話は、まだ聞いていないのですが……まあ、判明していないだけかもしれませんけどね。ただ、恐ろしく腕が立つみたいです」
「恐ろしく……」
「被害者の中には、Bランクの冒険者もいまして……しかも、ほとんど抵抗できずにやられてしまったらしく」
「それが本当なら、確かに恐ろしい話ですね」

 仮に、ソフィアがBランクの冒険者と戦ったとしよう。
 圧倒的な力の差があるから、勝負はすぐに終わるだろうけど……
 Bランクにもなれば、少しは粘ることができるはずだ。

 それすらもできないなんて、漆黒の剣鬼はよほどの力があるに違いない。

「フェイト、どうしますか?」
「うーん」

 迷う。
 危険度の高い依頼ではあるものの、解決できたのなら、その手柄は大きい。
 もしかしたら、エドワードさんに認めてもらえるかもしれない。

 いや。
 この際、手柄とかどうでもいいや。
 エドワードさんのことも、ひとまず保留。

 五人も犠牲者が出ている。
 一人は、同じ冒険者仲間。
 会ったこともないのだけど……でも、とても悔しかっただろうな、って思う。

 その無念を晴らしてあげたい。

「僕は、請けたいと思う。僕にとって、リーフランドは関係ない街じゃない。ソフィアの故郷だから、そこが荒らされているとなると、なんとかしたいよ」
「フェイト……ふふ、ありがとうございます」

 ソフィアの笑顔があれば、やる気百倍だ。

「というわけで、この依頼、請けるよ」
「はい、わかりました。すでに、いくらかの冒険者がこの依頼を請けており、漆黒の剣鬼が討伐された場合は、早いものがちになりますが……よろしいですか?」
「うん、いいよ」
「では、こちらをどうぞ」

 受付嬢からファイルを渡された。

「こちら、事件の情報をまとめたものになります。全ての情報が載っているわけではありませんが、なにかしら役に立つのではないかと」
「ありがとう」
「では、健闘をお祈りしています。そして、このリーフランドに平和を取り戻してくれることを期待しております」

 受付嬢に見送られて、僕達は冒険者ギルドを後にした。

「良いタイミングで依頼がありましたね。この依頼を解決できれば、きっと、お父さまもフェイトのことを認めてくれるでしょう」
「うん……そうだね」
「どうしたのですか? 暗い顔をしていますが……」
「依頼があったことはうれしんだけど、でも、犠牲者がたくさん出ているから、それは喜べないかな……って」
「フェイトは優しいですね……その優しさは、犠牲のためにとっておいて、そして、怒りは犯人にぶつけてやりましょう」
「うん、そうだね! がんばらないと」

 リコリスが、「またイチャついてるし……」とぼやくのが聞こえたけど、聞こえないフリをしておいた。

「さてと、それじゃあ、まずはこのファイルを読んでみて……」
「おとーさん、おかーさん」

 アイシャが、僕とソフィアの服の端を掴んだ。

 どうしたのだろう?
 不思議に思って視線を落とすと、耳をぺたんと沈めて、怯えた様子のアイシャが。

「あっちの方で……怖い感じがするの」
 アイシャはなにかを恐れている様子で、ソフィアに抱きついた。
 娘の異常を察したソフィアは、アイシャを抱き上げて、怖くないよ、というように背中をぽんぽんと叩く。

「大丈夫ですよ、アイシャ。私がいますからね」
「うん……」

 少し落ち着いたらしく、アイシャの震えが止まる。
 ただ、完全に恐怖が消えたわけではなくて、尻尾がくるっと丸まっていた。

「アイシャってば、どうしたのかしら? 変なものでも食べた?」
「あのね、リコリスじゃないんだから……でも」

 アイシャは獣人族だ。
 僕達にはわからない、なにかを感じ取っているのかもしれない。

「ねえ、アイシャ。あっちの方で怖い感じがするって言っていたけど、それは、どんな感じなのかな?」
「えっと……怒ったような声とか、そういうのが聞こえてくるの。あと、剣の音……」
「ソフィア」
「はい」

 僕達は聞こえないのだけど……
 でも、獣人族のアイシャの聴覚はとても優れている。
 そんな彼女が言うのなら、間違いはないだろう。

「ソフィアは、アイシャと一緒にここにいて。僕は、リコリスと一緒に様子を見に行くよ」
「えっ、あたしも!?」
「リコリスは偵察能力に優れているから、力を貸してほしいんだ」
「へ、へぇー、そこまであたしを買ってくれているのね。ふふんっ、まあ、当然ね。この完璧超人パーフェクト美少女妖精リコリスちゃんにできないことはなにもふぎゅ!?」
「いいから、早くフェイトの力になってください」

 あれこれと言うリコリスを、ソフィアが僕の頭の上に強引に乗せた。
 リコリス、潰れていないよね……?

「でも……フェイトとリコリスだけで大丈夫ですか? 私も一緒に……」
「ううん。万が一のことも考えて、アイシャは離れていた方がいいし……ソフィアが一緒にいてくれないと」
「それはそうですが……」
「安心して」

 僕は、にっこりと笑う。

「僕は、いつまでもソフィアに助けられてばかりじゃないよ。僕も一人でできる、っていうことを証明してみせないと。でないと、エドワードさんに認めてもらえないと思うし……いつまで経っても、ソフィアに追いつくことができないからね」
「フェイト……もう、もう。かっこよすぎです、私のフェイトは、どこまでかっこよくなって、私のハートを鷲掴みにすれば気が済むのでしょうか? もう、たらしです」
「この剣聖、こういうところがなければいいんだけどねー……ま、いいわ。こうなったら、とことん付き合ってあげる。いくわよ、フェイト!」
「うん」

 ソフィアとアイシャに気をつけるように言い残して、僕とリコリスは裏路地に駆けた。

 リーフランドは綺麗な街で、とても栄えている。
 それでも裏路地というものは存在するし、そこは日当たりが悪く、犯罪が起きやすい。

 ……現に、犯罪が起きていた。

 人が倒れていた。
 身なりからすると、たぶん、冒険者だろう。

 彼は恐怖の感情を顔に貼り付けていて……
 そして、大量の血を流して、すでに事切れていた。

「……」

 そんな彼の近くに立つのは、黒尽くめの男。
 血に濡れた漆黒の剣を左手に持っている。

「依頼を請けたばかりで、まさか、こんなにも早く犯人と対峙するなんて……」
「チャンスよ、フェイト! やっちゃいなさい!」
「いや、これは……」

 雪水晶の剣を抜いて、両手で構えた。
 しかし、体は動かない。
 動かすことができない。

 直感が告げていた。
 下手に動いたら……死ぬ。

「……」
「……」

 黒尽くめの男も剣を構えた。
 ピリピリと緊張感が増して、空気が張り詰めていく。

「っ!?」

 最初に動いたのは、黒尽くめの男だった。

 ふっ、と姿が消えたかと思うと……
 いつの間にか横に回り込んできて、漆黒の剣を叩きつけてくる。

 片足を軸に、四十五度回転。
 剣の腹を盾にして、かろうじて防ぐことに成功。
 ソフィアに稽古をつけてもらっていなかったら、対応できず、斬られていた。
 そのことを考えると、ゾッとする。

「りゃあああっ!!!」

 後手に回っていたら勝てない。
 そう判断した僕は、裂帛の気合と共に剣を振る。

 黒尽くめの男の動きは早く、僕の剣をあっさりと受け止めてみせた。
 その後も、何度か叩き込むものの、やはり防がれてしまう。

 この男、強い!
 ソフィアほどではないけど、その技量は、今の僕よりは圧倒的に上だ。

 剣と剣を交わして、力比べをして……
 ギィンッ! と刃を弾いて、互いに距離を取る。

「ちょ、ちょっとフェイト、大丈夫なの? なんか、劣勢に見えるんだけど……」
「……正直なところ、ちょっと厳しいかな」

 本当は、ちょっとどころではなくて、かなり厳しいのだけど……
 男としてのつまらないプライドが、そんな台詞を僕に言わせた。

「……」
「……」

 剣を構えて睨み合う。
 隙は見当たらない。
 逆に、僕が斬られる未来しか見えない。

 まずい。
 様子を見に行ったら、まさか、こんな化け物が待ち構えているなんて。
 予想外もいいところだ。

 男として情けないのだけど、ソフィアに助けを求めたい。
 ただ、それを許してくれるかどうか……

「フェイト!」

 少し離れたところに、ソフィアの姿が見えた。
 アイシャを誰かに預けて、応援に来てくれたのだろう。

「……あ」

 ふと、黒尽くめの男から闘気が消えた。
 ソフィアまで相手にするのはまずいと思ったのだろう。
 黒尽くめの男は僕に背を向けて、そのままどこかへ駆けていった。

「……ふう」

 助かった。
 あのまま戦闘を続けていたら、間違いなく、僕が斬られていた。

 あの男は……

「あれが……漆黒の剣鬼、だよね?」
「だと思うわ。このリコリスちゃんを怖がらせるなんて、な、なかなかやるじゃない。ふ、ふふふ」

 頭の上で、リコリスはガタガタと震えていた。
 彼女も怖がらせてしまったみたいだ。
 申しわけなくて、あと……自分の力のなさが不甲斐ない。

「僕は……」

 己の手の平を見て……そして、ぎゅうっと拳を作った。
 広場にある時計塔。
 その頂点にレナの姿があった。
 時計塔のてっぺんに人がいるなんて、まず考えることはないため、今のところ誰にも気づかれていない。

 レナは街を見下ろして……
 とある一点を見て……

「はぁ」

 がっかりしたようなため息をこぼした。

「フェイトってば、あんな駒に苦戦するなんて……うーん? 魔剣を渡しているとはいえ、ちょっとなー、がっかりだなー。もっと強いと思ってたんだけどなー」

 レナが時計塔に登った理由は、フェイトの行動を観察するという、至極単純なものだった。
 街で一番高いところから見下ろせば、どこにいるか簡単に把握できるし、おそらく、監視がバレることもない。

 とはいえ、普通に考えてそんなことは実行しない。
 時計塔に登れば視界は確保できるが、視力が足りない。

 足りないはずなのだけど……
 視力を含めて、レナの身体能力は常人を遥かに超えていて、問題なく監視を実行することができていた。

「はぁ、期待はずれかも」

 再びため息をこぼす。

 ただ……
 なぜか、視線はフェイトを追ってしまう。

 強くなかった。
 自分達が用意した駒に殺されかけるほど、弱かった。

 弱い相手に興味はない。
 それなのに、なぜか、未だにフェイトのことが気になる。

「うーん……なんだろう?」

 レナは考える。
 時計塔にいることも忘れて、じっくりと考える。

「今は弱いけど……この先、とんでもなく強くなるのかな? だから、ボクが興味を持ったのかな? うん、それなら納得」
「お主は、このようなところでなにをしておる?」
「あ、リケンだ。やっほー」

 振り返ると、いつの間にかリケンの姿があった。

 どのようにして登ったのか。
 いつ、レナを見つけたのか。

 わからないことだらけなのだけど、レナは気にしない。
 元々、リケンは神出鬼没ではあったし……
 そもそも、リケンがよからぬことを企んでいたとしても、問題はない。

 だって、自分の方が強いのだから。

「剣聖の監視だよ」
「それにしては、別の小僧を見ていたようだが?」
「うっ、バレちゃった?」
「儂は年老いているが、そこまで耄碌しておらぬ」
「ごめんねー、バカにしたわけじゃないんだよ?」
「知っておる。ごまかそうとしただけじゃろう」
「むう」

 叱られた子供のように、レナがしょぼんとなる。

 レナの方が圧倒的な力を持つのだけど……
 しかし、なんだかんだでまだ幼い。
 長い時を生きたリケンには、色々と敵わないのだ。

「……ごめんなさい」
「構わん。一応、剣聖も傍におるからな。それに……それだけ気になる相手なのじゃろう?」
「うん、そうだね。期待はずれかな? って思っているんだけど、でも、もしかしたら成長途中なのかも? って思っていて……うーん、悩ましい感じ」
「我らの計画の障害になりそうか?」
「剣聖と一緒にいるし、なると思うよ。ボクやリケンなら敵じゃないけど、下っ端だと厳しいかな? あの魔剣を渡した人なら、ちょうどいい感じ」
「ふむ」
「障害になる可能性が少しでもあるのなら斬っておこう……っていうのはダメだよ?」

 レナが鋭い目になる。
 突然、季節が冬になったかのように、冷たい空気が流れた。

 レナの闘気が放たれて、自然を怯えさせているのだ。

 しかし、リケンが怯むことはない。
 いつものことというように、落ち着いて対処をする。

「慌てるでない。お主の獲物を横取りしようなんて、バカなことは考えぬよ」
「ホント?」
「ただ、剣聖は別じゃ。ヤツの剣は、儂らに届く可能性が高い。機会があれば排除するが、構わないな?」
「うん、そっちはいいよ。ボクが気になるのは、フェイトだけだからねー」
「それを聞いて安心した。これで、計画を進められるというものじゃ」
「順調? 魔剣を適当な男に渡して、治安を乱す。そうやってアイスのお願いを叶えてあげる……フリをしつつ、適合者を探す。もしくは、取り返す、っていう話だよね?」
「順調ではあるが……新しい適合者は見つからぬな。やはり、アイシャとやらを取り返した方が早いかもしれぬ」
「ま、その場合は剣聖が敵になるから、なるべくしたくないんだけどねー」

 そんなことを口にしつつも、レナは笑っていた。

 できることなら、剣聖と戦いたい。
 朝から晩まで殺し合いをしたい。
 そんな物騒なことを考えていた。

「もうしばらく、様子を見よう。適合者は魔剣に誘い出される傾向にあるからのう」
「面倒だねー。バッサリいっちゃった方が早いのに」
「儂らは力は持っていても、数が少ない。まずは適合者を探し出して、魔剣を増産して、仲間を増やす……それが一番じゃ」
「そうなんだけど、面倒だねー」
「お主、面倒が多いな」
「ま、いいや。ボクが剣聖の方を見張って、ちょいちょい誘導しておくから、その間に、リケンは適合者を探しておいてね。あと、できればリーフランドの壊滅も」
「言われなくても、儂の役目はきちんと理解しておる」

 そこで言葉が途切れた。

「……」
「……」

 沈黙が流れる。

 二人は空の彼方を見た。
 青く晴れた空の中を、白い雲がゆっくりと流れている。

 とても穏やかな光景で……
 その光景を手に入れたいと、二人は心の底から思う。

「じゃ、ボクは監視に戻るね。フェイト達、どこかに移動するみたいだから」
「油断するでないぞ?」
「りょーかい。ちゃんと気をつけるよー」

 レナはにっこりと笑い、敬礼をした。

「リケンも気をつけてね?」
「わかっておるわい。下手なミスはしないし、うまく愚者共を使ってみせよう」
「うんうん、期待しているね」
「儂の台詞じゃ」

 レナとリケンは、互いに拳を差し出して……
 がんばれ、というかのように、コツンとぶつける。

「またね」
「うむ」

 そして……
 最初からなにもいなかったかのように、二人は時計塔から消えた。
 あの後、冒険者ギルドへすぐに戻り、漆黒の剣鬼と遭遇したことを報告した。

 討伐……あるいは、捕獲することはできなかった。
 ただ、漆黒の剣鬼と交戦して生き残った人は、僕だけらしい。

 僕も危ないところだったから、大した情報は得ていないのだけど……
 それでも、多少は剣筋や戦い方の癖を見つけることはできた。

 他の冒険者のために役立ててほしいと、報告をして……
 それから、宿へ移動した。

 まだ早い時間なのだけど、あんなことがあったため、今日はもう休んでおいた方がいいという判断だ。

「それにしても……どうして、宿なの?」

 チェックインを済ませて部屋に移動したところで、ソフィアに問いかける。

「お父さまと同じ屋根の下で寝るつもりになんてなれません」
「あはは……」

 親子喧嘩は、絶賛、継続中らしい。

「その……フェイトは、我が家の方がいいですか? あちらの方が広く、色々と設備が整っていますし……」
「ううん、そんなことはないよ」
「ふぁ」

 ソフィアが不安そうな顔をするため、そっと頭を撫でた。

「僕は、ソフィアがいれば、どこでもいいよ。家というよりは、ソフィアと一緒にいたいかな」
「……フェイト……」
「おかーさん、顔赤いね」
「しー。あれは発情期っていうやつだから、黙っておいてあげなさい」

 しまった。
 また周囲のことを考えず、ソフィアと……

 というか、発情期って。
 それは、いくらなんでもソフィアが怒るのでは……?

「リコリス?」
「はい!?」

 ソフィアは、笑顔でリコリスに詰め寄る。
 笑顔なのが逆に怖い。

「……次はありませんよ?」
「イエス、マム!!!」

 なにの次がないのか?
 それは明言されていないのだけど……

 リコリスは全てを察したらしく、ガタガタと震えつつ、ビシリと敬礼をするのだった。

「ふう……ひとまず、今日はこのまま休むとしましょう」
「時間はあるから、今後の方針とか作戦とか、そういうのは決めておいてもいいんじゃない? なんなら、ウルトラハイパーかわいいリコリスちゃんも、力を貸してあげるわよ」
「リコリスにも働いてもらうのは、すでに決定事項です」
「聞いてないんだけど!?」
「言うまでもないかと」
「ブラックだわぁ……」
「おかーさん、私も……がんばるよ?」
「ああもう、アイシャは健気でがんばりやさんで、かわいいですね。はい、アイシャの力が必要な時は、がんばってもらいますからね? 期待していますよ」
「うん」

 子供にできることはない、と話から遠ざけるのではなくて、いざという時は力を貸してもらうと話に参加してもらう。
 子供は理屈が通用しないことがある。
 危ないから、と遠ざけられても、納得できないこともある。

 だから、ソフィアのこの対応は大正解だ。
 こういう気遣いができる辺り、ソフィアは、本当に良い母親になれると思う。

 その場合、僕が父親で……
 その光景を想像して、ちょっと照れた。

 でも……今は、照れている場合じゃないんだよね。

「ソフィア、ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い……ですか?」

 ソフィアは不思議そうに小首を傾げて、

「はい、いいですよ。私にできることなら、なんでもしますね」

 にっこりと笑い、お願いの内容を聞いていないのに了承してしまう。

「僕、まだなにも話していないんだけど……」
「大丈夫です。大事なフェイトのお願いなら、なんでも聞いて、叶えてみせますから! そう、なんでも大丈夫です! その……えっちなことでも、問題ありませんよ?」
「ち、ち、違うからね!?」

 慌てて否定した。

「えっち?」
「アイシャにはまだ早いわ。あたしみたいな大人にならないと、ダメなのよ」
「残念……

 リコリス、ナイスフォロー。

「えっと……違うのですか? ようやく、フェイトが私に手を出してくれるのかと……」
「しないから!?」
「えっ……してくれないのですか……?」
「え、いや、興味はあるけど、さすがにまだ……って、そうじゃなくて!」

 思わずソフィアのあられもない姿を妄想してしまいそうになり、ぶんぶんと頭を振って打ち消す。

 そんなことをしている場合じゃない。
 もっと真面目な話なんだ。

「……僕に、稽古をつけてくれないかな?」
「稽古ですか? それは、剣の?」
「うん。神王竜剣術について、もっともっと、深いところまで教えてほしいんだ」
「ですが、稽古なら、今でも毎日していますよね?」

 朝、ごはんを食べる前。
 夜、お風呂に入る前。
 毎日、ソフィアと稽古していた。

 ただ、それは強くなるためというよりは、いざという時の危機に対処するための能力を得るという感じで……
 それでは足りない。
 今の稽古では、漆黒の剣鬼に勝つことはできない。

 今日の戦いで、そのことを痛感した。

 僕は、もっともっと強くならないと。
 今以上に。
 ソフィアに並べるくらいに……いや。
 彼女を超えるくらいに、強くならないといけないんだ。

 強く……なりたい!

「だから……お願い、ソフィア。今よりも、もっと強くなりたいから、本格的な稽古をつけてほしいんだ」
「……」

 こちらの意図が伝わったらしく、ソフィアの顔がすごく真剣なものに変わる。

「……神王竜剣術の全てを得るには、いくらフェイトでも数年はかかると思います。私でさえ、十年を必要としましたからね」
「そっか……」
「ただ、今よりワンランク上のステージに達するだけならば、二週間……いえ、一週間でいけると思います」
「それで、漆黒の剣鬼に勝てるかな?」
「勝てます」

 ソフィアは断言してみせた。
 こういう時の彼女は、本当に頼りになる。

「ただ、厳しい稽古になりますよ? 大怪我をするかもしれませんし、最悪、死ぬかもしれません。私は、それだけ本気で挑むことにします。それでも……やりますか?」
「やるよ」

 迷うことなく即答した。

 漆黒の剣鬼と刃を交わしたことで、僕は、まだまだ弱いことを知った。
 ならば、もっともっと強くならないと。
 ソフィアに追いつかないといけないんだ。

「フェイトは、男の子ですね……」
「え?」
「いえ、なんでもありません。わかりました。そこまでの覚悟があるのなら、私も、とことん付き合いましょう。明日から一週間……全身全霊で剣と向かいますよ」
「うん!」
 翌日。
 僕とソフィアは、街の郊外へ移動した。

 街と外の境目辺り。
 そんなところに建物なんてない。
 これから開発予定なのか、雑草の生えたなにもない土地があるだけだ。

「ここなら、思う存分に戦うことができますね」
「ソフィアの家の道場は使えないとしても、冒険者ギルドの訓練場とかはダメなの?」

 冒険者ギルドには、基本的に訓練場が用意されている。
 冒険者であれば、自由に使っていいとされているのだけど……

「あそこでは、少し狭いですね。私は、本気にならないといけないので……下手をしたら、建物を巻き込んでしまいます」
「……なるほど」

 つまり僕は、これから、本気のソフィアと戦わなくてはならない……ということか。

 ぶるりと体が震えた。
 素直に怖いと思う。
 でも、恐怖だけじゃなくて、ワクワクもしていた。

 本気のソフィアと戦うことで、さらに強くなれるかもしれない。
 いや。
 強くなってみせる。

 そんな想いが、僕に前を向かせていた。

「今までは、こうした方がいい、ああした方がいい、と色々とアドバイスを送っていましたが……今回は、そうしたものはありません」

 そう言いつつ、ソフィアは剣を構えた。
 予備の剣ではなくて、聖剣エクスカリバーだ。

 剣を抜いただけなのに、とんでもないプレッシャーが襲いかかる。
 空気がビリビリと震えて、うまく呼吸ができなくなってしまうほどだ。

 ここにアイシャやリコリスがいたら、大変なことになっていただろうけど……
 今は、二人はいない。

 本気の稽古となると、さすがに、アイシャに見せることはできない。
 なので、アイシャはお留守番。
 リコリスは、アイシャの遊び相手をお願いしておいた。

「神王竜について教えるのならば、丁寧にアドバイスを教えて、コツコツと練習を積み重ねていくのですが……フェイトが今求めているものは、単純な力。戦い抜いて、生き伸びることができる力」
「うん、そうだね」
「なら、本気の私と戦い、その体で感じ取り、学んでください」
「全ては僕次第、っていうわけだね?」
「はい。意味のない戦いとなるか、それとも、有意義な稽古となるか……全ては、フェイト次第です」
「……」
「私は本気でやりますが、一応、寸止めはします。でないと……フェイトを殺してしまうので」
「うっ……!?」

 その言葉が合図だったかのように、ソフィアの体から闘気が放たれた。

 なんて……なんて圧倒的な闘気だ。
 質量すら持っていて、気合を入れていないと、そのまま意識を持っていかれてしまいそう。

 戦闘態勢に移行しただけでコレ。
 戦いが開始したら、いったい、どうなってしまうのか……?

 さらに恐怖が膨れ上がる。
 でも、ワクワクも大きくなり……

「では、いきますよ」
「お願いします」

 僕も剣を構えた。

 ちなみに、使う剣は、武具店であらかじめ買っておいた使い捨てのものだ。
 最初は雪水晶の剣を使おうとしたのだけど……
 「壊してしまうので、他の剣にしてください」とソフィアに言われたのだ。

 それは、彼女の過信ではない。
 圧倒的な自信というわけでもない。
 ごくごく単純な……事実なのだろう。

「では」

 ソフィアはコインを取り出して、指で宙に弾いた。
 コインがくるくると回転して……
 そして地面に落ちて音が鳴った瞬間、戦闘が開始される。

「ふっ!」
「はぁあああっ!!!」

 互いに地面を蹴り……

 ゴガァッ!!!

「!?!?!?」

 突然、とんでもない衝撃が全身に走り、僕は空を飛んでいた。
 ソフィアと一合交わしただけで吹き飛ばされたのだと、遅まきながら気がついて……

「うぐっ!?」

 木の幹にぶつかり、ようやく止まる。

 切り傷はない。
 ちゃんと寸止めしてくれたのだろうけど……

 ソフィアの剣速は驚異的なものとなり、衝撃波を発生させていた。
 それの直撃を受けた僕は、なすすべなく吹き飛ばされて……という感じだろうか?

 素直に恐怖した。
 まさか、寸止めされていても、ここまでの威力を叩き出せるなんて。
 なにもすることができず、一瞬でやられてしまうなんて。

 でも……今の僕には、恐怖している時間すらない。

「はぁっ!!!」
「くぅ!?」

 まだやれますね?

 そう言うような感じで、ソフィアの追撃が。
 かなりの距離があったはずなのに、ソフィアは一足で詰めてしまう。
 そして、聖剣を横に薙ぎ払う。

「こっ……のぉ!!!」

 そこらの剣で、聖剣をまともに受け止められるわけがない。
 なので、聖剣を上から叩いて軌道を逸らそうと試みるのだけど……

「あぐっ!?」

 彼女の剣筋を捉えることができず、僕は、再び吹き飛ばされてしまう。
 何十メートルも飛んで……
 地面を何度も何度もゴロゴロと転がり、ようやく止まる。

 寸止めをしてくれているため、やはり、衝撃波で吹き飛ばされたのだろう。
 切り傷はないのだけど、代わりに、全身が痛い。
 衝撃波と吹き飛ばされたダメージの両方だろう。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 これが、本気のソフィア。
 剣の頂点に立つと言われている、剣聖の力。

 ……怖い。
 こうして対峙しているだけで、体の震えが止まらない。
 恐怖で心が折れてしまいそうになる。

 それでも。

 僕は我慢をして、剣を握り、地面を蹴る。

「やぁあああっ!!!」

 全力、全速の一撃を叩き込む。
 我ながら、それなりの攻撃を繰り出すことができたと思うのだけど……

 しかし、僕の剣がソフィアに届くことはない。

 幻のようにソフィアの姿が消えて、僕の剣は宙を薙ぐ。
 直後、右側から強烈なプレッシャーが。
 反射的に、振り抜いたばかりの剣を強引に傾けて、盾とした。

 ギィンッ!!!

 痛烈な衝撃と共に、遠くまで吹き飛ばされた。

「あっ……」

 あちらこちらの痛みを無視して起き上がると、真ん中から折れた剣が見えた。

 この剣は、今日の稽古のために、街の武具店で買ったものだ。
 名剣というわけではないのだけど、でも、複数の金属を重ねた合金製で、よほどのことがないと折れないと聞いていたのだけど……

 あっさりと折れていた。
 いや。
 それだけソフィアがすごいということか。

 今の一撃も、全力ではないと思う。
 牽制の一撃にすぎないと思う。
 それで、こんな風に剣を叩き折ってしまうなんて。

「どうしました? もう終わりにしますか?」
「ううん、まだまだ!」

 剣を交換して、再び構える。

 今までの稽古では、僕は、そこそこソフィアと戦うことができていた。
 身体能力と才能がすごいらしく、勝つことはできないものの、それなりの時間、食らいつくことができた。
 ある程度の自信があった。

 でも、それは思い上がりだ。
 稽古では、僕はソフィアとそれなりの間、戦うことができるかもしれない。

 しかし、真剣勝負となれば別だった。
 限りなくそれに近い稽古では、僕の力なんてちっぽけなもの。
 彼女にぜんぜん届くことなく、いいようにあしらわれてしまう。

 それでも。

「はぁあああっ!!!」

「やあっ!!!」

「うわあああぁ!!!」

 やはり、僕の剣は一切届かない。
 何度も何度も吹き飛ばされて、あるいは眼前に剣を突きつけられて。
 これが実戦だったら、僕はもう、百回以上死んでいるだろう。

 稽古を始めて、何時間が経っただろう?
 全身はボロボロだ。
 骨が折れているとか、致命傷とか、ソフィアが気をつけてくれているため、そういうことはないのだけど……
 それ以外の傷はあちらこちらにあって、こちらの方がキツイかもしれない。
 真綿で首を締められるような苦しさ、辛さがあり、体と心が悲鳴をあげていた。

「……まだ続けますか?」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……も、もちろん!」
「何時間も剣を交わして、未だ、一度も私に届いていません。それでも、まだ続けますか?」
「それは……」
「本気の私と戦うことは、怖いですね?」
「……」
「なら、無理をする必要はありません。ここで退いたとしても、私はフェイトを責めません。誰も責めません。むしろ、今までよくがんばったと、褒められるくらいだと思います。なので、そろそろ終わりにしませんか?」
「でも……それは、だけど……」

 諦めろ、と言われているような気がした。

 剣聖であるソフィアからしたら、僕の力は大したことはない。
 身体能力が高くても、実戦となれば大したことはない。
 そう言われているような気がして……

 ……いや。

 ソフィアが無意味にそんなことを言うわけがない。
 彼女は厳しいところはあるが、でも、それ以上にとても優しい女の子だ。
 今の言葉には、なにかしらの意図があるはず。

 その目的は……

「……あ」

 ふと、気がついた。

 僕は今まで、ソフィアに対する恐怖を乗り越えようと、がむしゃらに剣を振ってきたのだけど……
 でも、無理に恐怖を乗り越えて、どうしようというのか?

 結局、無理をしていることに変わりはなくて、歪なままで……そんな状態で、成長したといえるのだろうか?
 そんなことをするよりも、むしろ、恐怖を受け入れるべきじゃないか?

 蛮勇は勇気じゃない。
 恐怖を無理に押さえつけるのではなくて、無理矢理乗り越えるのではなくて。
 全てを受け止めて、自分のものにして……そして、前に踏み出す。

 それこそが、きっと……正しい道だ。

「……」

 いつまで続けるの? と問いかけてくるソフィアに、僕は剣を構えることで答えた。

 ソフィアも剣を構える。
 その口元は、若干、笑みが浮かんでいるように見えた。

 僕がやるべきことは、乗り越えるのではなくて受け入れること。
 それを力にして、剣を己のものとする!

「はぁあああああっ!!!!!」

 恐怖、焦り、怯え……ありとあらゆる負の感情を心で受け止めて、それを力として剣に乗せる。
 それをソフィアに向けて、一気に叩きつけた。

「……」
「……」

 僕の剣は、ソフィアに届かない。

 しかし、初めて防御をとらせることに成功した。
 剣と剣がぶつかり、ギリギリと競う。

 ただ、そこが限界だった。
 もう競う力が残ってなくて、手から剣がこぼれ落ちてしまう。

 そのまま体も倒れて……

「おつかれさまです、フェイト」

 薄れゆく意識の中、優しく笑うソフィア見えた。
「……んぅ?」

 暗闇の底に沈んていた意識が、ゆっくりと浮上した。

 目を開けると、僕達が泊まる宿の天井が見えた。
 それと一緒に、ぴょこぴょこと犬耳を落ち着きなく動かしているアイシャの姿も見えた。

 僕はベッドに寝ていて……
 そんな僕を、アイシャがじーっと覗き込んでいるらしい。

「あっ」
「……おはよう」
「おとーさん!」

 アイシャが、ぎゅうっと抱きついてきた。
 まだまだ小さいので、重いということはない。

「うぅ」

 体を起こすと、アイシャの尻尾がシュンと垂れ下がっているのが見えた。
 不安になっている?

 アイシャの頭を撫でつつ、問いかける。

「どうしたの、アイシャ?」
「……おとーさん、ずっと寝ていたから心配した」
「ずっと?」
「フェイトってば、丸一日、寝ていたのよ」

 ふわりと、そんな声が上から降ってきた。
 視線を上げると、リコリスが両手にクッキーを持って、ポリポリと食べつつ飛んでいる。

 ……器用な真似をするね。

「丸一日も?」
「そ。だから、この子も心配したっていうわけ」
「そっか……ごめんね、アイシャ。心配をかけちゃったみたいで」
「おとーさん、大丈夫……?」
「えっと……」

 一度、アイシャに離れてもらい、体を軽く動かしてみる。
 動かないところはないし、痛みが走るということもない。

「うん、大丈夫。ずっと寝ていたせいか、ちょっとだるいくらいかな」
「よかった……」

 もう一度アイシャを抱き寄せて、頭を撫でる。
 そうしていると落ち着いてきたらしく、シュンと垂れ下がっていた尻尾が立ち上がり、左右にフリフリと揺れだした。

 かわいい。
 ウチの娘は世界で一番じゃないだろうか?

「って……そういえば、ソフィアは?」

 アイシャとリコリスはいる。
 でも、ソフィアの姿が見当たらない。

「ソフィアならそこにいるわよ」
「そこ?」

 リコリスが指差す方を見てみると……

「……」

 こちらに背を向けて、部屋の隅で小さく丸くなっているソフィアの姿が。

「ソフィア?」
「……っ……」

 声をかけると、その背中がビクリと震えた。
 それだけで、振り向いてくれない。

「ねえ、ソフィア?」
「……」
「えっと……どうしたの? そんなところで、虫みたいに丸くなって……落ち込んでいるみたいだけど、なにかあった?」
「……」

 何度か声をかけると、ソフィアはゆっくりとこちらを見た。
 その目には、涙が。
 それと、たまらなく不安そうな表情。

 そして……

「……ご」
「ご?」
「ごめんなさいいいいいぃっ!!!」

 今度は、ものすごい勢いで頭を下げた。
 もう、なにがなにかわからない。

「ごめんなさいっ、すみませんっ! 本当に申しわけありません!」
「え? え? なんで、ソフィアが僕に謝っているの? ねえ、どうしたの?」
「だって……フェイトが丸一日も寝ていたのは、私のせいですから」
「なんで?」
「覚えていないのですか? 私と本気の稽古をして……」
「あ、うん。それは覚えているよ」

 本気で死ぬかと思うような、厳しい稽古だった。
 だから、体も心も疲れ果ててしまい、丸一日、寝てしまったのだろう。

「私のせいで、フェイトがここまで……うぅ……本当にすみません」
「あ、そういう」

 やりすぎたと思っているのだろう。
 それで、落ち込んでいるのだろう。

「ごめんなさい、フェイト……言い訳になってしまうのですが、私、剣のことは本気になると加減ができず……そ、それと、本気にならないとフェイトのためにならないと思い……う、うううぅ……嫌いにならないでください、フェイト……」

 ソフィアは子供のように泣き出してしまった。
 すごく不安そうにしていて、しゃくりあげていた。

 まったくもう。

 アイシャに目で合図をして、僕の上から降りてもらった。

 僕はベッドから降りて、ソフィアのところへ。
 そして、大事な彼女をしっかりと抱きしめる。

「……あ……」
「嫌いになんて、なるわけないじゃないか」
「で、でも私、こんなことになるまでフェイトに……」
「それは僕が望んだことだよ。強くなりたい、って……ソフィアの隣に立ちたいと願ったから、本気での稽古を望んだんだよ。むしろ、本気でやってくれて感謝しているよ」
「本当ですか?」
「本当だよ」
「本当の本当ですか?」
「本当の本当だよ」
「本当の本当の本当ですか?」

 なんだろう。
 ソフィアが幼児退行してしまったかのようだ。

 こんな時になんだけど、こういうソフィアもかわいいな。
 甘えられているような感じがして新鮮で、あと、彼女の温もりがうれしい。

「私のこと……嫌いになっていませんか?」
「まさか。僕は、いつでもどんな時でも、ソフィアが大好きだよ」
「……うぅ……」

 ぶわっと、ソフィアの目から涙があふれた。
 そのまま、両手をこちらの背中に回して、強く強く抱きついてくる。

「フェイトっ、フェイトっ! うぅ、私も好きです! フェイトが一番なんですぅ!」
「うん、僕もソフィアが好きだよ」

 ぽんぽんと、ソフィアの背中を撫でつつ、素直な想いを口にして……

「見なさい、アイシャ。あれが、バカップルっていうヤツよ」
「おー。おとーさんとおかーさん、ばかっぷる」

 そこ、変なことを教えないように。
「うぅ……恥ずかしいです」

 あれからしばらくして、ソフィアが落ち着きを取り戻して……
 そして、今度は真っ赤になった。

 幼児退行して、大泣きしてしまったのだから、まあ、気持ちはわからないでもない。
 でも、僕はうれしく思っていた。
 だって、それだけ彼女が僕のことを大事に想ってくれているから。

 そのことがしっかりと伝わってきて、リコリスとアイシャの目がなければ、ニヤニヤして、ソフィアを抱きしめてしまいそうだ。

 ……とはいえ、そういうことは後で。

 まずは、エドワードさんに認めてもらわないといけない。
 そのために、漆黒の剣鬼を捕まえないといけない。

 まあ……エドワードさんの件がなくても、漆黒の剣鬼なんて物騒な存在を放置しておくことはできない。
 リーフランドは僕の故郷じゃない。
 でも、ソフィアの故郷で、大事な街だ。

 困っていることがあるのなら、なにかしたいと思う。

「それで……フェイト、体は大丈夫ですか?」
「うん、問題ないよ。丸一日寝ていたみたいだから、ちょっとだるいけど、それだけ。動けばすぐに解消されると思うし、今からでも、漆黒の剣鬼にリベンジマッチを挑みたいくらいかな」
「わざわざフェイトが戦わなくても、いいのですよ? 私がお手伝いをすれば、問題なく……」
「ううん、それは最後の手段で」

 ソフィアと稽古を重ねた今の僕なら、漆黒の剣鬼に手が届きそうな気がする。
 戦い方の覚悟が決まったというか……
 技術は短時間で伸びることはないのだけど、心の方は、これ以上ないほどに鍛えられたと思う。

 それでも手が出ないのなら……
 悔しいけど、その時はソフィアにお願いしよう。
 できることなら僕が、と思わないでもないのだけど、でも、僕のプライドよりも街の人の安全が第一だ。

「そういえば、今は何時?」
「もうすぐ、陽が沈み始める頃ですよ」
「なら、ちょうどいいタイミングかな」

 ギルドの情報によると、漆黒の剣鬼がもっとも盛んに活動する時間帯は、夜だ。
 前回は、昼に遭遇したのだけど……
 たぶん、あれは偶然だろう。

 また起きるかわからない偶然を期待するよりは、情報を頼りに、夜の街を散策した方がいい。

「それじゃあ、まずはごはんを食べようか」
「ごはん……ですか?」
「フェイトってば、いつの間にそんな食いしん坊になったのよ?」
「丸一日、なにも食べていないから、お腹がペコペコなんだ。肝心な時に空腹だと力が出ないし、それに……」
「それに?」
「アイシャもお腹が空いているみたいだから」

 よく見たら、アイシャの尻尾が落ち着きなくフリフリされている。
 時折、お腹を押さえていて……
 たぶん、ずっと看病してくれていたんだろうな。

「あぅ」

 アイシャは恥ずかしそうにするものの、僕からしたら、それは勲章のようなもの。
 うん、かわいい。

「そういうことなら、まずは食事にしましょうか」
「まー、あたしもクッキーじゃ物足りないって思ってたけど、そんなにのんびりしてていいの? 例の殺人鬼が、早く活動するかもしれないのに」
「大丈夫」
「やけに自信たっぷりね。相手の出方が想像できるの?」
「うん」

 漆黒の剣鬼の姿を思い返しつつ、断言するように言う。

「ヤツの次の狙いは、たぶん、僕だから」



――――――――――



 漆黒の剣鬼は男。
 その得物は、見たことがない種類の剣で、かなりの業物に見えた。

 人を襲っているのは……
 たぶん、剣の試し切りをしているのだろう。
 己の力を過信して、武器の力に酔い、凶行を繰り返している。

 そんなタイプの人間に心当たりがある。
 シグルドだ。

 ヤツは、シグルドと同じタイプだと思う。
 自分に絶対的な自信を持っていて、そして、プライドが異常なまでに高い。

 寡黙ではあったのだけど、ソフィアが現れて、僕にトドメを刺せなかったことをとても腹立たしく思っているだろう。
 なにしろ、漆黒の剣鬼と戦い、生きているのは僕だけなのだから。
 それが、ヤツのプライドを傷つける。

 傷ついたプライドを回復させるには、僕を斬るしかない。
 故に、ヤツの次のターゲットは僕だ。

「……と、いうわけ」

 ごはんを食べた後、僕の推理をみんなに聞いてもらう。

「なるほど……私はチラリと見ただけですが、確かに、漆黒の剣鬼はプライドが高いように見えました」
「見ただけで、そんなことわかるわけ?」
「気配や足運びなどで、大体の性格はわかりますよ」
「ソフィアって、怖いわね……」
「ちなみにリコリスは……ふふ、言わないでおきますね」
「言ってよ!? そこで内緒にされると、めっちゃ気になるんですけど!?」
「おかーさん、わたしは?」
「アイシャは、とても優しくてかわいくて、天使みたいな女の子ですよ」
「えへへ」

 とても微笑ましい光景だ。
 リコリスが騒いでいるものの……
 まあ、それはいつものこと、ということで。

「だから、僕をエサにすれば、わりと簡単に誘い出せると思う」
「フェイトをエサにするというのは、ちょっと賛成できないのですが……」
「ごめんね、ソフィア。心配してくれているのはわかるんだけど、今回は、僕のわがままを許してくれないかな?」
「ですが……」
「僕にも、プライドはあって……まあ、それはわがまま以外の何者でもないんだけど。でも、ここで折れたらダメだと思うんだ」
「……フェイト……」

 もっと強くなるために。
 ソフィアにふさわしい男になるために。
 ここで、漆黒の剣鬼という壁を乗り越えないといけない。

「だから、お願い。僕に任せてほしい」
「……」
「ソフィア」
「うぅ……もう、わかりました。わかりましたよ」

 ソフィアは困ったような顔をして、ため息をこぼして……
 それから、親のような感じで微笑む。

「私が守らなければ、と思っていたのですが……フェイトは、やっぱり男の子なのですね」
「ありがとう」

 こうして、僕は再び、漆黒の剣鬼と戦うことを決めた。

将来結婚しようね、と約束した幼馴染が剣聖になって帰ってきた~奴隷だった少年は覚醒し最強へ至る~

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