翌日の日曜日は快晴だったが、生半可な寒さじゃなかった。ヨージは二日酔いで顔が腫れていた。その顔でもたれるように私に近寄り、一緒に行ってくれるよな、と手を握る。恋人のジェイクに一緒に行ってもらえばいいじゃん、頭に浮かんだ言葉を飲み込み、仕方ないわね、と微笑んでみせる。

 ケントもついてきた。

 ジェニーのアパートに行くと、スーが抱きついてきた。私は結構スーに好かれていた。こっちはケントよと紹介すると悪意のない目でケントを見上げたが、ヨージにはちらりと目を向け、ハイ、ヨージィと言っただけだった。ジェニーはヨージのことを決してパパとは呼ばない。六才の子がどれだけ状況を理解しているのかわからないが、スーの目は明るい。口数は少ないが、強い子になる、と私は感じていた。

 ヨージはといえば口元は微笑んでいるが、いつもと同じで当惑は隠せていなかった。
 
「ねえ、シルバァ、サンタクロース来るかな?」
 
「来るよ」
 
「悪い子にでも?」
 
「六才の子に悪い子はいないわよ」
 
「じゃ、仔犬くれるかな?」
 
「仔犬ねえ。ママはどう言ってるの?」
 
「ママは関係ない。サンタさんがくれるんだから]
 
「そうね...」



 地下鉄を下り、ショッピングセンターに向かうころには、夕暮れのダークグレイの空を背にスーは一段と調子づいていた。ケントの横で、おもちゃの兵隊みたいに青いミトンをはめた手を勢いよく振りながら行進する。私は誰かが足を踏んだわ、とぶつぶつ言い、ヨージは頭痛がするとこめかみを押える。

 ショッピングセンターの中庭は、巨大なクリスマスツリーを囲んだ人で埋まっていた。オーバー、ダウンジャケット、ファーコート…皆それなりに重装備で、冷風の中ジャンボツリーを囲んで立っている。突風にサアーッと熱を奪われ、私は歯をガチガチ鳴らす。まったくなんて寒さなんだ。スーに大きなストールを巻き、帽子を深く被らせる。
 
「17000のライトバルブだってさ」

「17000ねえ…」
 
「いつ明かりつくの?」
 
「もうすぐよ」

 小さな手を頬にあて、スーは賛美の視線をツリーに向ける。
 
 楽隊はさっきから同じ曲を繰り返し演奏している。
 
「いつまで続ける気なのかしら。これ何て曲?」
 
「知らないな」
 
「それにしても凄い人ね」
 
「うん」
 
「馬鹿馬鹿しいほど寒いってのにね」
 
「ったくだ」

 周りもかなりじれている。手を擦り合わせたり、木のてっぺんについてる大きな星を恨めしそうに見上げたり、小刻みに足踏みを始めたり…。

 すぐ前は若いカップルだった。寒いわという女の子に、男の子がもうすぐさと頬をよせキスをする。このセレモニーに関しては明らかに男の子の方が乗り気のようだった。皆で集まってツリーに明かりがつくのをクリスマスキャロルを歌いながら待つ、そのアイデアはロマンチックなはずだった。
 
「凄い電球数だよなあ。幾つあるんだろう」

 後ろで髭の大男が言う。連れはラクーン毛皮の女だ。右隣は上品な中年カップルで、寒いわね、ほんとだ、以外ほとんど話さないが、たまに女の方がベティんとこのトミー坊やは幾つになったかしら、などとつぶやいている。
 
「いつまで待たせんだよ」
 
「もう明かりつけちまいなよ」

 前の方で男の子たちが騒ぎ出す。
 
「見えねえよ。肩に乗せてくれよ」
 
「何、馬鹿なことしてんのさ。見えないのはあたしたちも一緒なんだからさ、ちょっと静かにしなよ」

「ヘイ、明かりをつけろ!」

 少年が叫ぶ。ラクーン毛皮の女もダイナミックな笑い声のあと、ハスキーボイスで「明かりをつけろ!明かりをつけろ!」

 ケントも「明かりをつけろ!」
 
 ヨージはどうしたものかと、ためらい顔だ。
 
「レイディーズアレドジェントルマンー」

 マイクを通した男のもったいぶった声が響く。

 ワーッと歓声があがった。
 
「それでは次はエマーソンカレッジの楽隊による演奏です」
 
「またぁ!」
 
 みな一挙に落胆の底だ。
 
「冗談じゃねえよぉ!」
 
「音楽はもういいわよぉ!」
 
「そうさ、もういいよお!」

 三曲やっと終わったと思ったら、「それではこれからキャロルを歌って下さる皆さんをご紹介しましょう」

 オー!ノー!皆の顔に絶望が走る。

 笑い事じゃないぜ、と髭の大男。ラクーンの女は、再び「明かりをつけろ!」と叫んだが、心なしか力がない。
 
「ひっどい!まだつけないの?」

 信じられないというように首を振りながら、女の子が声をあげ、男の子はおろおろし始める。
 
「もう中に入ろうか」
 
「今さら入れりゃしないわよ」

 スーも手袋をはめた手をパタパタ小鳥のように動かしながら「いいかげんにしろよぉ」
 
「ブランダイス大学のコーラス部の皆さん、シモンズ大学の皆さん」

 マイクを通じて学校名があがる度、ところどころからパラパラと関係者の拍手がおこる。

 ヴォーカル入りの曲の一曲目は「サンタが街へやってくる」だった。


  You better watch out. You better not cry.

  Better not pout. I'm telling you why.

  Santa Claus is comin' to town.


 皆少しずつ歌い出す。右隣のカップルは無理矢理誓いの言葉でも言わされるようにぼそぼそ口を開き始め…前のカップルも肩を抱き合い歌いだし…調子のいいメロディに、ぶーぶー言っていた少年たちも声を張り上げ歌いだした。


  You better watch out. You better not cry!

  Better not pout. I'm telling you why!

  Santa Claus is comin' to town!


 次第に大声になっていく。スーは両手を叩きながら歌い、スーを抱えたヨージは体を揺らし歌っている。

 耳慣れた曲が三曲終わり、「レディーズアンドジェントルマン!」
 
「何回目のレデイースアンドジェントルマンかしら」
 
「またスペシャルスピーチかしら」

 と…ざわめきの中、突然ライトが消えた。周りを照らしていたライトが消えた。一瞬、闇の中に沈黙が広がった。
 
「それでは明かりを灯します!」

 一斉に明かりがついた。

 うわぁ!

 うわぁ!

 うわぁ!

 拍手が起こった。長く、力強い拍手だった。
 
「それではてっぺんに明かりが灯ります」

 チリリンと楽団が鳴らす透明な音色。ツリーのてっぺんに金色の光が灯ると、歓声というより、賞賛のどよめきが広がった。

 スーはぽかんと口を開けて目を大きく見開き、ツリーを見つめていた。私はなんだか嬉しくなって、その手を握り頬につけた。青いミトンの手袋をはめたその小さな手をしっかり握り頬につけた。




 こうしてツリーライティングセレモニーは終わった。私たちは人の波に押されるように、暖かいショッピングセンターの中へ流れこんだあと、小さなカフェに入った。セルフサービスでカプチーノ三つ、ホットミルク一つ、ケントが運んでくる。丸テーブルで四つの頭を寄せ、カップの中に息をフーフーかけていると、さんざんだった寒さも忘れ、いい一日だったと言い切れそうな気がした。
 
「寒かったな。大丈夫か」

 棒読みの言い方だったにしても、ヨージがスーの顔をのぞきこんで言った。そして、眠たそうなスーの頭を小鳥の羽をそろえてやるように指先でそっと不器用に撫でた。スーは目をパチパチさせた。

 そのあと、誰も口を開かなかった。ヨージは欠伸をし、私はカプチーノをフーフーして飲み、ケントは目をつぶり、スーもほとんど寝ていた。

 あの時、私たちは少しだけ幸せだったと思う。まるで、目に見えぬ小さなクリスマスツリーを囲んでいるようで、私たちはいつもより、少しだけ、いや、案外格段と幸せだったのかもしれない。

 スーを送り届けたあと、ケントと私は、ジェイクのアパートに寄ると言うヨージと別れた。まだ夜は浅かった。

 私たちはトニー・バルディリスが働いていた店よりは少しましなカフェに入った。ケントはローストビーフサンドで、私はフレンチディップを注文した。

「悪くはなかったな」
 
「うん」
 
「ツリーライティングセレモニーなんて久しぶりだ」
 
「うん」
 
「シルバに会えて良かったよ。まさか日本人のフィーラーに会えるとは思わなかった」

「そう?」
 
「メタ族が出てきてから、まだ数年だ。メタ族はさ、外見は変わっても心は元のままなんだ。ただどの層でもその変身した体を晒す。コモン族の層で見つかったら、まさに化け物扱いだ。家族ですらその変わり果てた姿に徐々に気持ちが離れていく。まさにカフカの世界だ。そして…」

 そこでケントは私を見つめ、言った。

「そのメタ族はなぜか日本で多く現れてる」

「日本で?」



 お店を出ると私たちはゆっくり歩いた。
 
「スーを見てると希望がもてるな」
 
「そうね」

 ケントの傷はメタ族を捕らえようとした男から守ろうとしたとき斬りつけられたのだという。その際に相手にも怪我を負わせたのでしばらく身を隠したかったらしい。そのメタは女性で今はケントの母親のグループが安全なところに匿っている。

 そういった場所は日本にもあるのだろうか。日本のメタ族はどういう扱いを受けているのだろう。受けるのだろう。
 
 私に何かできるだろうか。いまだにミドルーオブーノーウェアって感じの自分が。自分の居場所も行き場所もわからない自分が。
 


 その夜、夢を見た。一面の砂漠が広がっている。銀色の砂…。風紋が美しい砂漠……。何が見える?

 ツウィンクルツウィンクル…スーの歌声が聞こえてくる。
 
 ツリーだ。砂漠にクリスマスツリー。

 砂の中に一本のツリー。そのらしからぬ光景に私は微笑む。
 
 そう、砂漠にクリスマスツリー…。
 
 砂上のツリー。
 
 いい。凄くいい。突拍子もなくて凄くいい。
 
 灯りは? 灯りはついてんのかい? 誰かの声がする。
 
 ううん、まだついてないのよ。それに砂ぼこりで、近づいてみるまでツリーだってのもはっきりわかんないくらいなの。でもね、近づいてみると確かにツリーなのよ。そのてっぺんにはあの星がついてんの。ほら、スーが目を丸くして見てたあの大きな星。
 
 灯りはそのうちつくんだね? また声がする。
 
 そうねえ。つかないとは言えないわ。

 でもそれにはエネルギーが必要だ。エネルギーって何だろう。わかってるのはバルディリスの蝿みたいな「妄想」なんかじゃないってこと…。大人になったら素敵なことをいっぱいするの、スーは言った。素敵なこと…か。素敵なこと…。ソファに寝転んで歌を歌う…そんなことより素敵なこと…。

 スーを囲んでのツリーライティングセレモニー。これを小さな素敵と呼んでも構わない気がした。そんな素敵の一つ一つが砂上のツリーに灯りを灯す。

 目が覚めた。隣にケントがいた。私はケントの額を撫ぜた。ケントが愛おしく思えた。こんな気持ちは久しぶりだった。

 ケントが私を見た。ケントを見つめる…と、見えてきた。不思議なことに見えてきた。desperate!のジャケットが似合ったころの眼光鋭き若きケントが。

 実際はそんな気がしただけかもしれない。見えたらいいな、そんな気がしただけかもしれない。

 何かがとても静かだった。静かで、とても穏やかだった。



 翌日、ケントは出ていった。

 それからしばらくして私は自分の体に命が宿ったことを知った。日本に帰ろう。決心した。



 それからいろんなことがあった。話し出したらきりがない。ケントとは連絡は取り続けた。ロコの写真も送った。一度だけ、日本に会いに来て、私たちは数ヶ月一緒に過ごした。そして、私はインテグリティの一人となり、小さな三階建てのビルを借りた。ルネビルだ。

 ヨージはジェイクと別れ、スーは念願の仔犬を飼った。

 ケントのことを思うとき、ほんの時々だけど、あの時感じた静かで楽観的な気持ちを思い出す。ツリーライティングセレモニーの魔法の余韻だったのかもしれないあの穏やかな気持ち。でもそれは長くは続かない。砂漠を舞う砂塵のように不安が心の底から湧き上がってくる。

 今が妄想と偏見生み出す乾期だったとしても悲観することはないのかも…。ミドルーオブーノーウェアでも小さな素敵は探せるはず。静の中にエネルギーをため…静かな暖かさを感じたら、小さな素敵が生れるだろう。小さな素敵が生れたら、小さなエネルギーにつながるはず…。

 そしたら、ツリーに明かりか灯る。砂上のツリーに明かりが灯る。

 砂上のクリスマスツリー…。そこへカモメが飛んでくる。ホームレスから餌を漁ってたあのアグリーなカモメかもしれないけど、飛んでくる様は潔く美しい。

 飛んできて、休息にツリーにとまるのだ。

 すると小さな明かりがつく。

 一つだけポッと明かりがつく。自家発電の小さな光。

 ツリーライテイングセレモニー。

 海が近いに違いない。