Kさんが入ってきたのは、いい加減紫陽花の花を見過ぎた感がある梅雨の終わりだった。テレビでもカレンダーでもいたるところに紫陽花があった。
Kさんは総白髪だったが、顔は若々しかった。皺など結構あるのだが、目に光があった。目は心の窓とはよく言ったものだ。ここにいる人たちの目を見ると、その人がまだどれくらいその人らしI状態なのかがわかった。
Kさんが車椅子に座っていたのもほっとさせた。変な話だが、体が不自由で入ってきたのであり、認知レベルが下がっているからでない、という可能性を高めるから、車椅子を見て安心したのかもしれない。
私はかなり退屈していた。入居者の中に話相手もいなく、毎日がスリーピーに過ぎていた。
そうスリーピー。
それはスリーピーというのがぴったりな街だった。
町というより、街。小集落でもいいかもしれない。村っていう感じではないし、一応商店街もあるようだ。
けれど、足を踏み入れたとき、実際は膝を悪くしているから、車で入ったわけだけれど、スリーピーという言葉が頭に浮かんだ。
その建物もスリーピーな感じだった。医師も介護士も、のろのろしているわけではなく、仕事のときは愛想もいいし、きぴきぴと動いているのだが、背中を向けて何かの準備をしているときなど、どこかスリーピーだった。スリーピーさが蔓延していた。
都会の時の流れに慣れてしまっているといえば、それまでかもしれない。子供のころは田舎で育った。全てのペースがのんびりしていたと思う。18で都会に出た。そのとき、都会時間にセットした。セットして働いた。働いたけれど結果は出なかかった。膝を痛め、手も思うように動かなくなったとき、家族として世話をしようと名乗りをあげるものはいなかった。
結果、このスリーピーな街のこのスリーピーな建物でしばらく暮らすことになった。いつまでかわからないが、この建物で。
部屋は二人部屋だ。しばらくは一人だと言う。けれど、実際は希望者がいたら、明日からでもルームメイトができるらしい。
18で都会時間に合わせた自分をスリーピー時間に直さなければな、と思った。
久しぶりに孤独を感じた。胸の中にぷつっと点ができてじわーっと広がる孤独ではなく、心の底一面に広がって、地盤がぼこっぼこっと上がってくるような孤独だ。
人は孤独で泣くのだろうか。人は孤独で死ぬのだろうか。二つの問いが浮かんでは消えた。
孤独死の方は直接的な原因ではなければありえる。孤独泣きの方はいつでもできるだろう。けれど、涙は記憶にある限り、出たことがなかったし、まだまだしばらくは出そうもなかった。アレルギーで右目からだけ涙が出るが、物理的要因と心理的要因をミックスしてはいけない。
午後に1時半から3時までは、「ゆったり時間」と名がつけられていた。ゆったりとホールで過ごして下さいというのだ。ホールというのはソファーがコの字型に置かれている殺風景な空間で、時々、野草じみた花や、入居者の家族が作った折り紙のかごとか、リハビリで膨らませ、段々小さくなってきている風船やらがあって「温かな」空間を演出しようとしていた。
私が入った時、入居者は12人だった。介護度でいうなら、介護度1や2の、要支援よりは重たいけれど、重度とはいえない人たちが集まっていた。約半分は生き生きとはいかないが、認知度の障害はみられないようだった。受け答えも悪くはない。ただ、立ち上がったりが不自由でところどころで人の手が必要だ。約半分は認知症初期のようだった。体は健常者と同じだが、話すことがちぐはぐだった。
ゆったり時間の過ごし方は決まっているわけではなかった。ゆったり時間というのは名目で本当は掃除の時間なのだ。入居者を一せいにホールに集めて、その間に個室や二人部屋や4人部屋を掃除するのだ。
ゆったり時間ではスタッフは掃除で忙しいので、たいていスタッフの一人が「さあ、皆さん、歌を聞いて過ごしましょう」といって、みなが良く知っている演歌歌手のCDをかけるか、録画してあった懐メロ番組や昔の紅白やらのビデオをつけるか、その月のカレンダー作りの塗り絵の紙を配ったりする。
そのあとのフォローアップはないので、1時間半、みな大抵ぼんやり坐っている。たまに大声を上げたり、「せんせい!」と呼んだりするものもいる。
その日は新参者のKさんが初めて参加していたわけだ。車椅子にすわっていたので正確な身長はわからないが、180センチ近くあるのではないかと思われた。白狼、そんな言葉が浮かんだ。頭髪が真っ白だったのと、目の色の茶色で薄かったのと、彫が深く、この年齢にしては顎がシャープなところが白狼という言葉を思い浮かべさせたのだろう。
スタッフに車椅子にのせてもらってホールに来たkさんは最初、体が弛緩しているように見えた。だが、スタッフがいなくなると、ゆっくりとメンバーを眺めた。入居者を眺める、というより、集まったメンバーを値踏みしているようにも見えた。一人一人を見ていたが、私と目が合った。私たちはほとんど無表情でしばらく見つめ合った。認知力に衰えがない二人が、お互いを認知し合ったのだ。
「今日はお話の時間にしてはどうでしょう。思ったことを話す時間にしては」
CDをかけるのもビデオをかけるのも、塗り絵の紙を探すのも面倒に思ったのか、それとも急に病院に搬送された人の手続きやらのごたごたで余裕がなかったのか、丸顔でいつもは丁寧で愛想のいい女性スタッフがいつもより2割増しの早口で言った。
「じゃ、今日初めて参加なさる樺山さんに最初お話をしていただきましょう。どうぞ」
最後のどうぞの ぞ を言うか言わないかのうちに調理場からガシャンと瀬戸物の割れる音がしたので、彼女は慌てて走っていった。
Kさんはおもむろに話し始めた。
「実は私、若い頃、強盗をしたことがあるんです」
Kさんを囲んでいる人は驚くほど静かだった。Kさんが投げた石に反応し、揺らぎを見せたのはほんの数人だった。私はといえば固まっていたと思う。そしてKさんをまじまじと眺めた。
「ある時、ある街で、金に困った私は周到に、もっともそのときはまだ人生経験が浅かった私ですから、周到だ、と思っただけで、ちっとも周到ではなかったわけですが、でも自分なりに計画をたてたつもりだったんです。防犯ビデオなどもなかった時代ですし、窓口にいる人物のことも把握していたし、金があるところも知っていた。顔を見られないようにナイフをつきつけ、金を袋に入れてもらう。それだけの計画だったんです」
「ところが一歩郵便局に入った瞬間、もう計画は狂い始めてたんです」
Kさんへの注目度は少しだけ増えた。下を見て自分の手を見つめ、ぶつぶつ言っていたものも、口でぽっぽっぽっと鳩のような音を出し続けていたものも、ゆったりのったりではあっても、まるで大学教授がレクチャーするかのようなKさんの静かな口調にKさんの存在を感じ始めていた。
「もともと大した意味もなかったんですよ」Kさんは言った。「そりゃ、金には困っていたでしょうけれど、今から思うと強盗しなければならないほどでもなかったと思うんです。あのときのことはそれこそスローモーションで覚えています。鼓動もドクッドクッはなく、ドドックァッドクァッって感じなんです。リズムがおかしいんですよね」
そういってKさんは私たちをゆっくりと見回した。聴講している生徒の様子をうかがうようだった。口元には穏やかな笑みさえを浮かべている。
かなり長い間黙って私たちを見ていたが、その沈黙が微妙に落ち着きなさを与え始めたとき、パンと軽く手をうつと下をカクッと向き、そのまま話をやめてしまった。
「どう狂い始めたんですか?」私は聞いた。
「えっ? ああ、そこが問題なんです」Kさんは私をその薄い茶色の目で見た。さっきよりさらに微笑みを強くしたKさんの口元にはくっきりとえくぼができた。
「思えば狂いべくして狂ったんでしょう」
Kさんがさらに語ろうとしたとき、声が響いた。
「みなさーん。今、えんどう幼稚園の皆さんが急に来て下さいました。お歌を聞かせて下さるそうです。さあ、少し移動して、こちら側に移動して歌のステージを作ってあげましょう」
10日ほど前に入ったパートのスタッフが甲高い声をあげて、さかさかと動き回る。
Kさんは額のところに手をもっていくとひゅっと顔にベールをかけるような動作をして、私を見た。その顔は無表情になっていた。ショーは終わりとでもいうのか。Kさんはゆったりと目をつぶった。
そんなkさんを見て、なぜか石灰石のようだ、と思った。石灰石のはっきりした定義を知らないが、なぜかそう思った。本当か嘘か郵便局を襲おうとした人間臭さのゆらぎは消滅し、Kさんは石灰石になっていた。もっともここにいる入居者の多くや、私もかなりの時間、石灰石になる。
なんで失敗したんだ。疑問が頭でくるくる回った。
子供たちの歌が響いていた。かわいい子たちだ。子供はいい。嫌いじゃない。
私は半分口をあけ、子供たちの小さい秋みつけた、の歌を聞いていた。