僕は長期滞在できるカプセルホテルにチェックインしていました。

 寝泊まりはカプセルホテルと決め、実際にカプセルに入ってみて、しまった!と思いました。自分が閉所恐怖症の気があるのを忘れていたのです。今までもエレベータの中や狭い収納部屋、小さな窓のない部屋、などで言いようのない落ち着きなさや不安感を感じたことがあります。

 カプセルで寝ころんでいると、自分が手も足もない蜂の幼虫になった気がしました。蜂の幼虫ってどんなんだったっけ? 種類によって違うんだっけ? 蝶や蛾の幼虫は幼虫の時も成虫になったときと共通するもの、たとえば色とか角とかあったようだけど、蜂の幼虫ってどうだろう、なんて思いました。

 けれど僕は蜂の幼虫ではないのです。このカプセルを出たら、所長が尾行してくれるわけですから。尾行は所長にお願いしたいと、僕はきっぱりと言い、川野さんは了解しました、ときっぱり答えたわけですから。

 仕事は2週間休みを取りました。自己研修期間として2週間、無給ですが休みが取れました。貴重な2週間をこんなことに使っていいのか、と思わないでもありませんでしたが、僕の意志は固いものでした。そして心のどこかでこれは本当に、まさに、芯からの、自己研修だと思っていました。自分を知るために尾行をしてもらうわけですから。

 3カ月前に事務所に行ったとき、僕は所長にも川野さんにも名前も住所も教えませんでした。来客名簿に記するのも断りました。そしてこの度告げた名前は偽名です。野本栄三。これが僕の偽名です。なぜこんな名を選んだのか自分でもわかりません。頭に最初に浮かんできたのがこの名前だったのです。そして、尾行をしてもらう人物の名前は「片野秋太郎」としました。

 つまりカプセルで横たわる僕は、片野秋太郎ってわけです。

 僕は黒いシャツに黒いズボンに灰色のニットキャップをかぶり、スタバの紙袋を持ってカプセルホテルを出ました。蜂の子が陽の目を見たというわけです。ホテルから出た僕はすでに尾行されているはずでした。振り返ってみたい気がしました。尾行の気配を感じてみたい、と思ったのです。が、もちろんそんなことはしませんでした。片野秋太郎は尾行されていることなど知っているはずはないのですから。

 何がしたいのだろう、僕は歩きながら考えました。所長が尾行をしている、そう思っても別に緊張するわけでもありませんでした。それに気づいたときその事実は僕を驚かせました。誰かの注目を浴びるといつもどきどきしていた自分がありましたから。

 何がしたいのだろう、再び真剣に考えました。したいことを頭の中で箇条書きしてみたいと思ったのです。

 そして、何もしたいことが思い浮かばなかったとき、ひどく乾いた驚きが襲ってきました。尾行されている、されてないにかかわらず、僕にはしたいと思えることがなかったのです。

 何一つなかったのです。

 そこで仕方なく思いつくまま、適当に過ごすことにしました。

 ラーメン屋に入ってゆっくりとラーメンを食べました。もやしを一本一本箸でゆっくりつまんで食べました。鼻ひげと顎鬚が湯気で濡れました。僕は顔だけは毛深かったので、髭はたやすく生えました。髭を生やしてメガネをかけてみるとこれだけですっかり別人に見えました。ほとんどノンストップでのトレーニングも効を奏してか、ぴったりのTシャツを着て鏡で見ると、僕とはそれまで無縁だった怪しい男が立っていました。

 すれ違う女たちをじっくり見つめたり、時々は振り返ったりもしてみました。もちろん、僕が僕であったときはしない行動です。

 気にくわなさそうに口を大きくゆがめてはチッと言ったりもしました。郵便局の前で、足をとめ、ポケットにさも何か持っていそうに手をつっこんで確認しているふりもしました。

 全く知らない老人を追いかけていって、「もしかして村上さんではないですか?」と真剣な声で聞いてみたりもしました。戸惑った老人は僕を見て「わしゃ、そんな名前ではないような気がするな」と答えただけでした。

 ある時は細い路地にある電柱の前に立ち、ゆっくりと煙草を吸いました。煙草を吸ったのは大学生の時以来でした。むせそうになるのを必死にこらえ吸い続けました。「肺が真っ黒」という言葉が急にメロディをつけて僕の頭にポップアップしたので、慌てて煙草を捨て、つま先で火を消しながら、この動作は女っぽいのではないかとちょっと気にしました。そのあと数歩歩いたのですが、煙草のポイ捨てやめましょう、というポスターで見たにこやかな女の子の顔を浮かんできて、小走りで戻って煙草を拾いたくなりました。もちろん、それはしませんでしたけど。

 また、ある時は、繁華街で、「おい兄ちゃん、何ガンつけとんねん」と因縁をつけられました。いつもだったら、「いや、すみません」と困ったような笑みを浮かべてこそこそ逃げ出すのですが、そのときは「そっちこそ、何見とるんじゃ~~~!」と腹の底から声が出ました。僕はもともと声が低いのですが、対人が苦手だからでしょうか、人と話す時は声はかすれるかワンオクターブ上がるかなのです。しかしその時の驚くほどの低音の怒声は自分でも心底驚きました。

 ある時は高級スーツ売り場で、スパイさながらのストイックさでブラックのスーツを調達しました。

 無意味に気の向くまま過ごす、僕は次第に自分はこれがしたかったのだ、と思うようになりました。けれど、そう思い満足しようとすればするほど、焦ってきました。それは歩けば歩くほど道に迷っていく、のと同じ原理でした。

 もう、誰が尾行しているのかなんて気になりませんでした。最初は所長のくずれた美しさの横顔を思いだしたりし、所長が尾けているのか、と少しだけうわついた気になりましたが、次第に、ほんとうに不思議なことに、訳のわからないほど不思議なことに、誰がつけていようが構わなくなったのです。気にならなくなったのです。



 一週間が経ちました。

 僕はもうくたくたでした。

 疲労感が心と体に満ちていました。

 なぜだか昔飼っていたハムスターを思い出しました。カラカラカラカラ…ひっきりなしに回し車を回すハムスターでした。カラカラカラカラ、それはよく回したものです。カラカラカラカラ……その音を夜聞くたび、決して苛々はしませんでしたが、虚しくなりました。小さいケージの中で、小さい回し車にのってカラカラカラカラ回すハムスターの存在が夜眠れない自分と重なり、ゴースト的に思えたのです。意味がない、虚しい、そんな意味でのゴースト的です。

 ハムスターのことを思い出しながら、僕は、自分がいつのまにかゴーストになっていたのかも…と感じていました。



 報告書は一週間ごとのはずでした。それを読んで継続かどうかを決めることになっていました。一週間の尾行は安いものではありませんでした。

 私設私書箱宛てに届いた紙媒体の報告書。

 手にした僕は思っていたより冷静でした。もっとわくわくしたり、どきどきしたりするのではないかと思っていたのですが、休日の新聞に挟まれたチラシの束を手にするぐらいの素っ気ない無関心さでした。3か月もかけ尾行してもらうための準備をして臨んだ一大プロジェクトのはずでした。その目的もわからぬまま、何かに突き動かされたプロジェクトでしたのに、今その報告書を手にして、すっかりその突き動かしていたものがなくなっているのに直面せざるえを得ませんでした。

 報告書。

 行動に変化があった時間ごとに場所、行動が記し、写真がつけてありました。調査の目的をはっきり告げぬままでの、いわゆる尾行のための尾行であったわけですから、かなり細かい報告書になっていました。通った道、入った店、その様子、言葉を交わした人。

 確かに自分の行動が詳細に記されていました。写真もかなりの量でした。写真を見ていると、別人であって自分であって、やはり別人であって…。見れば見るほどわからなくなってきました。

 詳細な報告書。その最後の最後に数行、尾行責任者のコメントが、ほんのおまけのように載っていました。

 読んでみて、僕は大きな石を投げつけられたような衝撃に襲われました。発泡スチロールかと思っていたら、本当の岩だった…そんな感じで頭と…そして心に…衝撃を受けたのです。



 被調査人は落ち着きがなく、なんらかの人格障害に近い気質である可能性が否定できない。時として幻影を見たり、聞こえぬ声に耳を傾けたりしている様子がみられる。仕事をすることはなく、一日中街をぶらついている。人に危害を加えることはなかったが、どなり声をあげたことが3回あり、その声は常軌を逸した怒声であった。
 外見は動かずにいると特に異様というほどではないが、動き出すと、どこか不器用で挙動不審の人物に見える。多動であるが、時に一時間単位で微動だにせぬこともある。
 被調査人の行動の原因と特性を明らかにするためには、さらなる調査が望まれる。



 何だか一粒一粒積み上げた山が一瞬にして崩れ落ちたような、カラカラカラカラ回してきた回し車が一瞬にして砕け散ったような、とにかく、何かひどくひどくショックというか衝撃を受けたのだけは確かでした。

 しばらく瞬きすら億劫なくらい口を開けてじっとしていました。

 どれだけ時間が経ったのでしょう。そのあと、少しうとうとしたようにも思います。

 それから、ゆっくりコーヒーを入れて飲みました。久々のマンションで飲むコーヒーは記憶にあるより薄っぺらい味がしました。

 その日の夜からほとんど一週間、僕は鬱状態に陥りました。夜は少しだけ眠れましたが、昼間は何も手につきませんでした。何だか自分がひどく卑しめられたような、存在そのものが虐げられたような、不安と焦燥感と空虚感に動けなくなったのです。

 けれど何事にも変化は訪れるものです。休みを一日残した雨の日の午後、救いが訪れました。きっかけは一つの言葉でした。コーヒーを飲む僕の頭に一つの言葉がフラッシュして、心にじりじりと焼きついたのです。

 それは「作り屋」でした。

 「作り屋」に惑わされてはいけない、そのシンプルな事実に始めて気がついたのです。

 「作り屋」はいろいろなことを言います。たいていの「作り屋」が作るのは実体のないものかもしれません。なのに作り屋の言うことを気にし、作り屋の作り上げるものに一喜一憂します。

 自分自身が自分の作り屋になってはならないのだ、僕は思いました。

 人がどんなに自分の作り屋になって語ろうと、自分から自分の作り屋になってはいけないのだ……。

 そんな単純なことに僕はそのとき始めて気がついたのです。

 正直、自分でも「作り屋」の意味はまだよくわかっていませんでしたが、「作り屋」という言葉が僕に語りかけ、カラカラと回り始めていました。

 いいえ、語りかけているのも回っているのも僕で、僕が「作り屋」について、僕自身に語りかけていたのかもしれません。ときおり父の声で「古いやつだとお思いでしょうが…」というのも聞こえたりして、父は世の中で「作り屋」でなく過ごす大切さがわかっていたのだろうか、今度会ったら聞いてみたいと思いました。

 もう僕には、川野さんも所長も野本栄三も片野秋太郎も、どこか遠い存在に思えていました。ブルースカイ調査事務所に行ったことも、尾行をお願いし街を歩き回ったことも、カプセルの中で過ごしたことも、液晶かプラズマか、どちらにしてもフラットな画面の中で起こったことに思えてきました。人間的なタッチとして紙媒体で報告書をもらったことも、全く意味がなく、的外れだったわけです。

 紙媒体であろうとネットでであろうと、もともと関係なかったのです。

 僕は紙媒体の報告書を縦にいくつかに破ってゴミ袋にいれ、輪ゴムでしっかり縛りました。

 ゴミ袋を翌日の朝出すため、玄関ドアの手前まで運ぶと、なんだかここしばらくなかった心の安らぎを感じました。

 心からほっとしたのです。

 そして、時間があればゆっくり考えてみたいものだと思いました。

 「ゴースト」と「作り屋」、そして「僕」のことを。