「ねえ、業務端末ってまだ余ってましたよね」
「ああ、ある。なんだ壊したのか」
「じゃなくて、キヨに持たせようと思って!」
「キヨに?」
「うんうん、だって日本の女子高生って写真撮るの好きなんでしょ?これから友達と出かけたりしたときにスマホ持ってなかったらえーって言われるって。今日はたまたまそういうの無かったみたいだけどさ」
「たしかに、SNSサービスも発達してるしそういう交流を持たせる目的では持ってたほうがいいかもなあ」
「うん、友達と夜中まで長電話とか、きっといい経験になるよ、ですね」
「ふむ、そこまで考えてなかったな。わかった、とってくる」
そういうとルイさんは作業を中断して部屋を出ていった。
スマホ。私の脳や体は一般向けのスマートフォンと比べたら通信速度もRAMもROMも圧倒的に大きいけれど、高校生の彼女たちは当たり前のように休み時間にスマホを触っていた。なにやら情報の載った画面を見せ合ったり、ノートの写真を撮っていたり、使用方法は多々あったけれど持っていない子っていうのは少数派だろう。
進学クラスはあれでもまだ固いほうだってアリシオ先生は言っていたから普通クラスなんてもっとはじけた子が多いのかもしれないし。
マユもレイも、ほかのクラスにも友達がいるようだったから、やっぱり連絡手段としてスマホは必須アイテムなのかもしれない。人間って変なとこ不便だ。
「あったぞ、悪いなシルバーしかなかった」
「ううん、カバーかけちゃうから。ありがとうルイさん」
「アプリとかは通話は好きにしなさい、詐欺には気をつけろよ。それから研究所のなかのことや自分のシステムなんかについては書き込んだりしないで、写真を撮るときも注意しなさい」
「うん、書類とかうっかり映り込んだら大変だものね」
見慣れた薄い板の電源ボタンを長押しすると真っ黒な画面の白抜きの文字でHELLOと浮かび上がる。
パスワードを変更して、指紋認証を登録したら…最近の子たちってどういうアプリ使ってるんだろう。連絡用のこれはみんな使ってるからきっと必要で、ゲームとかはよくわからないからマユに聞いてみようかな。
「ええっキヨハこれやらないと!」ってオーバーリアクションであれもこれもと教えてくれそうな彼女を思い出すと自然と口元がにやついた。早く明日にならないかな、マユにもシキちゃんにも、なんだかとっても会いたくなってきた。
「いい顔になったな、キヨ」
「顔?」
「学校、初日だったのに楽しかったんだろ?」
「いいことですよ、キヨ」
「マリアかジュンイチ捕まえてケース買ってもらいなよ」
「あ、そうです、学校、寄り道とかするのにお小遣いあげましょうです」
「いいな、それ」
私のことは置いてきぼりでファブリとショーンとスピカが楽しそうにしだした。お小遣いなんてそんな私がなにかを買ったりとかそんなことは、今までだってなかったんだからこれからだって必要ない。欲求ってものがそもそも存在しないんだから物欲だってないのに。
「ルイさん、私お金なんて」
「お前はアンドロイドじゃなくて人間になるんだから、そのためにはお金の使い方も学んでおきなさい」
にこやかにルイさんはそういった。お金の使い方なんて言われたって、そんなの人間らしく振舞うより難しい。千円のものが本当に千円の価値があるかどうかだってわからないのに。
「思い出とか、時間を買うためのお金になることだってあるよ、です」
「時間を買う?」
「単にモノを買うんじゃなくてさ、寄り道して買い食いしてとか、キヨがこれから経験しなきゃいけないのはそういう時間なんだ。もう研究所の中で基盤をひっかきまわすのは終わったんだからな」
ショーンの言っていることが、なんだか少し難しかった。人間らしいって、難しい。
「お、わ、った、ああああぁぁぁ」
「もうマユってば」
「期末の成績如何では補習があるから無理もない」
「進学クラスなのに?」
「赤点はなくても目標点に足りなかったらそういうのもある」
マユは燃え尽きたーといいながらうんうんうなっている。シキちゃんあいかわらず涼し気で、なんてことなさそうだった。カガチくんは今日も何を考えているかよくわからないけど教科書の範囲だったページを確認しているから気になるところがあったのかもしれない。
レイはというと、相変わらず後ろでいつものメンツで俺全然できなかったわー嘘つけ―と騒いでいる。騒がしいなあと思いつつマユとシキちゃんを見ていると二人も迷惑そうな顔をしていた。声のね、ボリュームやっぱり少し大きめだよね。
「こらあ!うるさいぞー響くじゃんっ!」
「だってこいつが涼しい顔してんの腹立つんだもん!」
「すごいわかるけど!」
「ねえ、シキちゃんどうしてレイだけ袋叩きなの?」
「レイ、入学主席なんだよ。前回の中間考査もぶっちぎりで一位だったんだ」
なるほど、そんな人ができなかったわーなんて言ってたらそりゃあ腹立たしいだろう。いいぞいいぞ、もっとやれ。なんて。振り向くとレイはいたずらっぽく笑っていた。「惚れちゃった?」…無視しよう。
ジュンイチと比べて社交的で明るくて、ちょっとうるさくて、ちゃらちゃらして見えるのにやっぱりそういうところはきっちりかっちり固められているんだなと思って彼を見る。顔しか似てない。全然違う人。なのに共通点が多すぎる。それで、レイだけが優遇される世界ってジュンイチはどんな気持ちで生きてきたんだろう。
「なに、キヨハ。そんなに見られたら俺照れちゃうじゃーん」
「黙ってれば顔だけはいいのに」
「それはディスってる」
「キヨー、そんなアホほっといて今日の甘いもの食べに行こうよお」
「うん、シキちゃんも行こう?」
「ああ」
「無視は泣くから、さすがに!」
くすくすとマユが笑う。シキちゃんは相変わらず呆れたようにため息をついていた。テスト期間で無理だ無理だってひいひい言っていたマユはテスト終わりかつ早帰りというのをめちゃくちゃ喜んでいるらしい。笑顔が二割増し輝いていた。
「キヨハ、初テストどうだったんだ?」
「うーん、そんなに困らなかったかな。でも今日の英語の最後の問題文法間違えたかも」
「何問目?」
「最終問題の三番。過去形で書いたけど」
「どんなのだっけ」
「やだあああ! もう終わり! フィニッシュ! テストはもう終わりました!」
「はいはい」
両耳を塞ぐジェスチャーをしながらマユは頭を振った。
学校に来るようになって、というか外に出るようになってわかったことがある。多分、研究所のみんなが人間らしく人間らしくと思い描いて私を作ろうとしてもそれはきっと限りなく不可能なんだろうってことも、だからこそそれを期待してる人たちがいて、私を知らない人たちの勝手な意見の為にこれからもみんな振り回されるんだろうってことも。
最初、足りないものが多すぎるんじゃないかって不安になるほど私自身が人間ってものに幻想を抱いてた。人間は、表情豊かで誰しもが意見を持っていて、服や話し方でたくさんの表現方法を持っていて、好きなことや嫌いなことがあって、アンドロイドなんかと違って生まれながらに完璧なんだって、そう思ってた。
ちがう。そうじゃない。人間だって同じくらい、ううん、基盤なんてものが存在しない分私より確実に不安定で不完全で未完成な生き物だった。みんながみんな表情が豊かじゃない。意見が本当にない人も、表現ができない人も居てなんとなくそういうのを爪弾きにするのがうまいだけで綺麗なものなんかじゃなかった。
結局私は「何」になるのが正解なんだろうって、研究所のみんなの思い描く、人間とほとんど変わらないアンドロイドっていうのはその「人間」ってものを美化した綺麗な部分だけが受肉したものだろう。私の思い描く人間像とは根本的に違う。
マユもシキちゃんも、カガチくんも、もちろんレイだってみんないいところばっかりじゃない。毒を吐くことも、心に飼っている暗い影も、なにかしらある。程度は違うかもしれないけれど。
「ねえ、キヨハ」
「ん?」
「夏休み、なにするの? 俺とも遊んでくれる?」
「あーっまぁたキヨハにセクハラしてるっ」
「違うって! 俺信用なさすぎ!」
夏休み。そうか、補習の話で驚いていたけど、本来夏休みって学校には来なくていいのか。どうだろう、みんなと会えないの寂しいな。研究所に缶詰めかもしれないし許可もとってみないと出かけられないけど、でも、レイの今の言い方なんかすごく引っかかった。
マユのついでに、ってニュアンスかもしれない。本当に深い意味なんかないのかもしれないけれど、なんだろう。ちょっと、ざわっとしたような。
「キヨおぉ私とも遊ぼうね、海行ってプール行って、あとお祭りと遊園地とバーベキューもしたいし」
「マユ欲張りすぎ」
「なんだとう、シキも参加だからね」
「オミハラ、そんなんで宿題終わるのか?」
「うわあああん、アオイまでそういう言い方するんだああ!」
「一緒に宿題やる日も作ったらいいんじゃないかな」
「キヨハ、マユのこと甘やかしちゃだめだよ」
「自力で解けるように手助けするだけだから」
「頭のいい奴らなんて嫌いだあ」
レイとシキちゃんがちょっと別格なだけで、マユだって成績は悪くない。普通科と特進科は別々に成績が出るからマユがちょっと低く見えるだけで聞いた話ではテストの難易度がそもそも違うらしいからそう考えたらマユは秀才の部類だろう。もちろんカガチくんも。
「ていうか、アオイはシキがとられたらいやだからそんなこと言うんでしょ」
「さてな」
「え、二人とも付き合ってるの?」
「そだよ、あれ、キヨハ知らなかったの?」
「だ、だって全然、見ててもわからないもん」
カガチくんは陸上部だから登下校だって時間が合わないし、だからシキちゃんと一緒に居るところも見たことがない。教室では、まあよく話しているけれど私やマユを交えていることも多いしそんなこの間デートしてとかなんとかそんな話題は一切なかった。わかるわけがない。
「わかりにくいもんねー、中学一緒なんだよ二人とも」
「そうなんだ」
「ごめん、わざわざ言うことでもないと思ったから」
「ううん、いいの、びっくりしただけ」
恋愛ロールモデルがジュンイチとアカリなのも考え物だなって内心ため息をついた。見てわかる二人じゃないのは確かだとしても私の恋愛偏差値は絶対的に低いわけだし。そういう感情が最終的に必要かどうかは置いといて「何事も実際にやって見て聞いて、よ」というマリアの意見を大切にしよう。
「レイ」
「ん?」
「レイも、遊びに行こうね」
「…うん、行く」
なんでこんなに寂しそうなんだろう。いつもはため息がでるくらいうるさくてとても学年主席になんて見えないのに。ジュンイチと正反対の普段の振る舞いからは想像もできないくらい静かな声でレイは頷いた。
やって、見て、聞いて。そうだ、私はジュンイチというフィルターを通したタカシロ レイしかまだ知らないんだから。きちんと、知らないと。
「まあまあ夏休みの予定は一旦置いといて、まずは今日のケーキだよ」
「マユってば、目がケーキになってるよ」
「だってテスト疲れたんだもん」
わかってしまったことは知りたくなかったことで知らないほうがよかったことでもあったけれど、それを拒否したいとは不思議と微塵も思わない自分がいる。
「学校はどうだ」
この人が関心があるのは本当に俺の学校生活なんだろうか。成績か、人付き合いか、じゃなきゃ素行か、あるいは今ここで行う問答での俺の態度か。父親が興味のあることがなんなのか俺は未だにわからない。
この人は政治家で、人気と実力がないとやっていけない世界に生きていてそんなんで本当に俺自身に関心があるんだろうか。本当に興味があるのは俺が生み出す成績や体裁なんじゃないだろうか。
「レイ、どうした、答えなさい」
「ああ、うん。テストは全部埋まったし自信もあるよ。変な奴とは付き合ったりしてないし大丈夫」
「そうか、ジュンイチが高校生のときも優秀だった。兄さんを見習ってお前も頑張りなさい」
「わかってるよ」
頑張るなんてのはこの家では当然のことで、結果がすべてで、結果を出すことだって当たり前で。兄さんは幼稚園さえ受験をするような私立に通ってた。いつだって成績は一番で、それだってほとんど満点に近い点数ばかりで、友人は少ないなんて言っていたけどそう思ってるのは兄さん本人だけで周囲には心配してくれるような人だって沢山いたんだ。
あの人はまごうことなき天才なのに、それの弟として生まれて来るなんて俺は本当についてない。
兄さんにはもう長いこと会ってない。大学を卒業するのと同時に、音信不通になったらしい。幸いしばらくの間は院にいたことが分かってたから、父さんは安心していたらしいけれど、院を博士までストレートで卒業してからは本当にぷっつりと所在が分からないらしい。理系の院をストレートで卒業するなんてどんな頭してるんだろう。
いつだって父さんは兄さんを気にかけていた。自分のやり方が間違っていたのか、母さんを亡くしたときにあいつの前で必死に泣かないようにしていたから冷血だと思われたのかもしれないって、秘書のコゴオリさんと話しているのを聞いたこともある。兄さんは大切にされてた。愛されてた。俺みたいな出来損ないとは違って。
「私はまた出るけれど、お前はしっかり休むんだぞ」
「うん、あ、あの、父さん」
「なんだ?」
「…いや、なんでもない。いってらっしゃい」
「ありがとう。おやすみ」
母さんと過ごした時間も、父さんから向けられてた期待も明らかに兄さんのほうが大きくて、だからこそ兄さんが家を出ていった理由もよくわからない。進学の時に父さんと揉めていたのも一因なのか、そもそも何を揉めていたんだろう。別に父さんは兄さんが理工学部や数学科なんかに行きたいって言いだしてもそんなに嫌な顔してなかったはずだけど。
「俺、部屋引っ込むね。おやすみ、ササガワさん」
「はい、おやすみなさいレイおぼっちゃん」
家政婦さんに声をかけて部屋に戻る。土日を挟んでテスト返却されて来週の今頃はもう夏休みだ。何の予定も書きこまれていないカレンダーを指でなぞると体の中身まで空っぽになったみたいで空しくなる。
誘いはかかってる。カラオケ行こうぜ、飯行こうぜってそれくらいならいくらでも行くけれどマユが言っていた海だのプールだの遊園地だの、あれはもしかして社交辞令だったのかもしれないって。
教室での俺はうるさいし、明るく振舞ってるけど万人受けするスクールカーストのトップなんかじゃない。どこにでもいそうなアホな高校生で、俺のこと嫌いな奴だっているだろう。
でもそれしか方法がない。この家と学校と、自分がどうやって生きていなきゃ許されないのかを考えたら成績はキープして、でも友達が多いように見えなきゃいけない。だってそうできないと、兄さんより不出来な俺は存在ごと透明になってしまうかもしれない。
キヨハのあれも、社交辞令なのかな。
「レイも遊びに行こうね」そう彼女は言っていた。普段あまり表情を変えない編入生はその容姿と表情が相まって男たちから人気が高い。とはいえ騒がしいのは好きじゃなさそうだから俺はてっきり第一印象で嫌われたんだと思ってたけど、いつもは崩れないその顔が俺に向かって微笑んでいた。嘘かもしれないって、そんなひねくれたことばかり考えてしまう自分が嫌になる。
綺麗な子だと思った。動きも、話し方も、声も、見た目も全部かわいいとか綺麗な部分だけ集めて組み立てたみたいで本当に同じ人間なのかって疑いたくなるくらいに。同じ苗字でちょっと嬉しかったなんて話したらまたマユにセクハラだって怒られるかもしれない。
劣等感を強く刺激された。間違えたかもなんて言ってたけどテスト中にこっそり盗み見た彼女はどの科目の時も一度も考え込んだ素振りを見せなかった。すらすら解いて、見直しをして、そのあとに絵を描いてたらしいところまで見てしまった。何もかも完璧なやつっていたんだ、って叫びだしそうになったっていうのに。
「レイも、遊びに行こうね」
耳にこびりついた彼女の声が離れない。頭が熱い。あの笑顔が瞼の裏から消えてくれない。
どうして、俺が兄さんみたいに優秀だったらキヨハにこんな汚い感情を抱く必要だってなかったのにどうして。
机の上のスマホが鳴る。知らない番号、非通知じゃない。誰だろうと思いながら通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、もしもし、えっとレイ?』
「…キヨハ?」
今しがた脳内で微笑んでいた彼女の声がスピーカー越しに聞こえる。後ろからはクラシックかジャズのような音楽が聞こえてざらざらとした音を立てている。
『ごめんね、マユに勝手に番号教えてもらって』
「ぜーんぜんいいよ、キヨハみたいな美人に電話貰えて嬉しいなあ」
『すぐそういうこと言うんだから』
「あはは、手厳しい。どうしたの、なんか用だった?」
時計を見ると、九時。明日は土曜日だから少しくらい寝坊したって困ることなんかないけど寝るには少し早くて、でもそんなに仲良くないやつに電話をかけるにはちょっと遅いような気もする。なんせ俺はキヨハから話しかけられることなんかほとんどないわけで。
『用っていうか、あの、ほら今日夏休み遊ぼうって話したでしょ。レイ元気なさそうだったから、ちょっと気になったっていうか、その』
「ええー心配してくれたの?好きになっちゃうよ?」
『わ、私真面目に聞いてるんだからね!本当は泳ぐの苦手でプールいやなのかなーとか』
「ぶはっ、それ本気で言ってんの?めっちゃうけるんだけど」
『だって、遊びに行ってレイだけ楽しくないとかそんなの嫌じゃない』
心配されたのなんていつぶりだっけ。
個人的なことに目を向けられて会話したのなんて、いつが最後だったっけ。
みんなは知らない。俺が家でどんな奴かなんて。本当は根暗で劣等感の塊で卑屈なんだってことも、主席なんてもてはやされてるのは血反吐吐いてる結果なんだってことも、だれも俺のことなんて見てないって思ってたのに。
「俺、本当に一緒に遊びに行ったりしていいわけ?」
『え、なんで、来ないの?』
「だってキヨハは俺のこと苦手なんだと思ってたから」
『そりゃあ教室居たらうるさいなーって思うけど』
「だよね」
『でも教室で最初に名前教えてくれたのレイだし。授業中こっそり話しかけてくれたのとかも、私はレイが友達になってくれたからだって思ってた』
友達になったとか、そんな面と向かって言うようなことじゃないと思う。高校生にもなって、なんかこっぱずかしいそんなの。
キヨハって本当に同い年なのかな、どうやって生きてたらこんなにスレてない人間に成長できるわけ。まだ前の席に彼女がきてから二週間とかその程度なのにどうしてこんなに気になるんだろう。息ができない。声にならない。だってキヨハは俺のこと見てたじゃないか。
『レイ? もしもしレイ? 聞こえてる?』
「うん、ごめん、聞いてる」
必死にそれだけ返せば電話越しに文句を言われているのが聞こえる。ああもう、かわいいな。なんだよわざわざ電話までしてきて。週明けでもよかったんじゃないのかとか、本当に気のせいだったらとか考えなかったのかって言いたいことは山ほどあるはずなのに。キヨハだって、こんな卑屈な俺のことは知らないのはほかのやつらと変わらないのに。
『レイはなにしたい?』
「…星」
『星?』
「星が見に行きたい、夏のさ、星座ぶわあって星が降ってきそうみたいなとこ行きたくね?」
『あははっ、レイも結構ロマンチストなんだね』
「どう?惚れそう?」
『今のはちょっと良かったよ』
マユとシキと、カガチも来るかな、みんなで望遠鏡たててキャンプみたいなことしてって場面を想像したら、想像できることにも心底楽しそうだなって感じることにもやりきれない感じがして唇をぎゅっと噛む。
それで隣にキヨハがいたら、「綺麗だね」って今日みたいに笑ってくれるんだったら、それってすごく贅沢で幸せなことなんじゃないかって思う。
『ねえ、もう寝る?』
「いや、まださすがに早いでしょ、なんで?」
『電話だとレイうるさくないから、もう少し話そうよ』
「キヨハったらやっぱり俺のこと好きなんじゃないの?」
『怒るよ』
父さんも兄さんも俺になんて興味のない世界で、母さんがもういないこの世界で、俺のことを見てる他人なんていないと思ってた。結果だけ求められてる俺はタカシロ レイである必要なんかないのかもしれない、俺じゃない誰かでもロボットでも本当はいいんじゃないかって思ってた。
「俺さ、キヨハのことまだあんまり知らないんだよね、趣味とか好きなものとか」
『私も。ねえ、レイって普段はどんなことしてるの?』
誰かに気にかけられるってだけで、こんなに幸せになるんなら、それがほかでもない彼女だからなのだとしたら、タカシロ キヨハは天使とか魔法使いなのかもしれないって本気でそう思う。
◆
なんとなく、元気がなさそうに見えた。元気がなさそうっていうよりも似てたんだと思う。アカリのことを思い出して話しているときのジュンイチに。
ジュンイチはいつだって自分はダメだからって意味合いのことを言う。頭はいいのに、卑屈で自分のことで精いっぱいな子供のようで視野が狭い、なのに私がいるだけでいいからとか大人ぶったことを言い出したりしてちぐはぐだ。実年齢と精神年齢の設定間違ってるんじゃないのってマリアにこぼしたらそうかもねって笑うくらいには。
レイは、本当にジュンイチが言っているレイの姿が正しいのか。自分の目で、きちんとレイを見ないとわからないって思った。教室でうるさい彼は、何度も言うけれど本当にジュンイチとは似ていないまったくの別人だけど、常時あのテンションで生きているのって無理があると思う。根がそういうタイプならいい、けどレイはそんな感じに見えなかった。遊ぼうねって誘いをかけただけなのにあんなに寂しそうな顔をするから。
「あ、その映画見た。あれでしょ、主人公が持ってた腕時計が時間が合わなくて」
『そうそう、よく知ってるね、マイナー映画かなって思ってたんだけどなあ』
教室では妙に男ぶっている、男言葉とかリアクションとか。女の子たちにヘラヘラとちょっかいかけてはバカじゃないのーって言われていたりとか。
今はジュンイチと似てる。優しい話し方。本当のレイって、なんだろう。バカ騒ぎしてる男の子と、家でもしっかり勉強している男の子のイメージが噛み合わない。もし、ジュンイチと同じようにしているのであればきっと勉強なんてできて当然という空気が常にあるだろう。ジュンイチが言うお父さんはそんな人だから。
もしかして、教室にいるレイはレイじゃないのかな。
身代わりなんて、それこそ私の研究の根底のようで呆れる。個人を尊重するとか人命を尊ぶとか嘘ばっかりだ。私とおなじタイプのアンドロイドが量産されるようになったら死ぬという概念も、個人という自己同一性も全部消えるだろう。
みんなはまだ気づいてないみたいだけど、機械に心を持たせられるようになったら、それが半永久的に生きる身体を持っていたら、誰かの代わりにできるんだったら、もう生身の人間なんてこの世にはいらないだろうから。
「レイ映画好きなのね」
『好きだねー、DVDたくさんあるよ』
「何本くらいありそう?」
『部屋にあるのは多分、二百とかじゃないかな。リビングにももうちょっとあるかも』
「二百ってすごい、レイの部屋広いのね」
『本棚に重ねて入れてあるだけだよ』
声だけで何となくわかる、照れ臭そうに笑っている感じとかスピーカー超しに聞こえるなにかを触る音。ケースを棚から出したり戻したりしているんだろう。好きなもの、レイは映画が好きなのね。
『キヨハは?』
「私が何?」
『さっきから俺のはなしばっか。キヨハは何が好きなの?』
「うーん、なんだろうなー」
コンテンツの好き嫌いってまだはっきりしない。答えるのが難しくて唸っていたら「そんなにたくさんあるの?」と電話越しにレイはまた笑った。
たとえば、本はいくらでも読むし映画も見る。漫画もおなじ、音楽も聴く。絵を描くこともあるし、お裁縫や料理だってスピカの見様見真似でやってみたりする。けれど、アカリがジュンイチに向けていたような、アカリ自身の趣味だとか、同じくらい自分が執着していることってあまりない気がする。
人を愛するみたいな気持ちだけ知ってても、あんまり役にたたないな。
「なんだろう、考えたことないかも」
『でも話聞いてるとキヨハいろいろ詳しいよね、無趣味って感じはしない』
「無趣味だよ、これ好き! ってならないもん」
『まあ無趣味だとしてもコンスタントに読書したりとか、普通はできないよ』
「そうなの?」
『うん、嫌いとか興味がなければやらないでしょ。趣味ってほどじゃなくても好きだから続くもんじゃないの』
好きだから続く。好きだからできる。そういえば私っていつから自発的に読書するようになったんだっけ、オンラインにできるのは最初からだけど自学っていうのが明確になったのは学校に入るときだから自学目的で本を読みだしたりしたわけじゃない。
私はまだ共感力というものに乏しいから登場人物に感情移入はできないし、百万人が泣いたラブソングの切なさもわからない。だから咄嗟に私を気遣ってくれるマユやシキちゃんがすごいと思っているわけだけど。
『最近読んだ本は?』
「ジョコンダ夫人の肖像と、ねじの回転」
『海外文学が好きなの?』
「勧めてきた人がアメリカ人だからかなあ」
『なるほどね』
欠けているものを、レイの言葉が一つずつ埋めてくれる。欲しかったものを彼が全部持っているような気がして頭が熱くなる。頭? 心臓? たとえば、私の自我にみんなが言う心がきちんと紐づいているのであれば、心がぽかぽかする感じ。話していて噛み合わないことがない、レイは、レイも賢いから私が言ったことを全部拾ってくれる。
じわり、無いはずの涙腺から水がこぼれた。涙に見せかけたただの水。ショーンが付けた泣く機能。今は別に悲しくないし、怒っているわけでもない。そんな激しい感情で会話はしてないし、嗚咽が漏れるような涙でもない。ただ勝手に水がぽろぽろこぼれていくだけ。壊れちゃったかな、通話が終わったら、みんなまだ起きてるかな、直してもらえるかな、明日学校休みでよかった。涙は止まってくれそうにない。
『ねえ、キヨハ』
「んー?」
『夏休み、俺と二人でも遊ぼうよ』
「二人で?何するの?」
『新宿のTOHOシネマズでも、神保町でも、横浜中華街でも、美術館でも動物園でもなんでもいいからキヨハが好きそうなことしに行こう』
「好きそうなこと…」
『楽しかったら好きってことでしょ、それがわかったら次もデート誘いやすい』
「あっ、台無し。いま格好よかったのに」
『あっちゃー、やらかした』
好きなことをしに行く、じゃなくて好きそうなことを探しに行く。そもそもの自分探しみたいなことをレイと二人で。想像しただけでわくわくする。夏頃ってだけでどうしてこんなにわくわくするんだろうってはっとする。アカリとジュンイチが出会ったのも六月だった。
六月七日。私があのクラスに編入した日も、レイと初めて話したあの日は、六月七日。
なんだ、アカリの記憶に引っ張られてただけか。それに気が付くと涙も止まる。なんだ、私の意志で喜んだわけじゃないんだ。ただ思い出しただけ。アカリが、私の目を使って泣いただけだ。
『…いやだった?』
「ううん、ちがう。行きたい、一緒に」
『よかったぁー本格的に嫌われたかと思ったわー』
「そういうとこ嫌い」
『ハートエイクだわ』
「いつがいいかなあ」
『いつでも、それに一回じゃなくてもいいっしょ』
「そうだね」
夏休み中に何回レイに会えるんだろう。教室の外で、私とレイの二人だけで。もしかしてこれは世間一般ではデートっていうんだろうか? でも恋人じゃないし好きあっているとかでも片思いしてアプローチしている最中とかでもない。そうだ、レイは友達だから、友達と出かけるのはなにもおかしいことじゃないはず。誰に言い訳するでもなく私は勝手にうなずいて自分自身を納得させる。うん、レイは友達だから。
「ごめん、もう日付変わっちゃうね」
『ほんとだ、三時間って早いな』
「おうちの人に怒られない?」
『…今日は、誰もいないから。キヨハこそ大丈夫?』
「そっか。うん、まだ起きてるみたいだから私は大丈夫」
今日は、なんてきっと嘘だ。ジュンイチの話を思い出す。何してるかはしらないけど帰ってこないことのほうが多いって言っていた。自由が丘のほうにあるらしいジュンイチの実家、レイの家は聞いただけならかなり広い間取りだったはずだ。そんな家にいつも一人でいるんだろうか。それって、レイは本当に政治家になることを嫌がってないのかな。
『じゃあまた月曜日』
「うん、おやすみ。またね」
『うん、おやすみ』
ポコンと音を立てて通話が切れる。履歴の部分には三時間をすこし超えている通話時間が表示されていた。はじめて、外部の人と、友達と長電話しちゃった。それが無性に嬉しくて思わず画面を保存した。
「キーヨー? もう入っていいの?」
「えっ、エレーヌいつからいたのっ」
「最初はもう寝る?って聞いてたあたりでー、二回目は映画の話してたあたり?」
「聞いてたの?」
「やあね、聞こえちゃっただけだってば」
悪戯っぽく笑うとエレーヌは持ってた二つのグラスをテーブルに置いた。エレーヌのミルクティーは砂糖が少なめらしくてあまり甘くない。お礼を言って口をつけると予想してたそれに反して口の中に甘さの波が広がる。
「ジュンイチの弟でしょ」
「うん、そう」
「仲良くなったのね」
「うん」
「いいことだわ」
エレーヌは座っていい? と聞きながら私の隣に腰を掛けた。質問の意味がないなあと思って笑っているとエレーヌはずいぶん真面目な顔をして氷をカロカロと回している。マリアに比べれば落ち着いているけれど、エレーヌが仕事以外でこんなに神妙な顔をしているのは初めて見た。何事かと身構えるとエレーヌは泣きそうな顔をする。
「ごめんね、脅すつもりとかじゃないのよ」
「なんかあったの?」
「あんた泣いたでしょう」
「見たの?」
「見えちゃったのよ、ごめんって」
たしかにドアは半開きだったから仕方がないしそこでエレーヌを責めるつもりもない。どちらにしても通話が終わったら起きてる人捕まえて点検してもらおうと思っていたのだしちょうどよかった。細かい道具はないけどちょっと見てもらうくらいなら……、そう思って口を開こうとしたけれどエレーヌのが少し早かった。
「キヨのこと見てたらなんか切なくなっちゃったのよ」
「え、なんで?なんかした?」
「まだ、ベースを気にしながら過ごしてるんだって。私全然気が付かなかったわ」
ベース。ミナヅキ アカリのことだ。アカリの人となりや生前のことはともかく、ジュンイチとの関係を知っている人はいない。アキトさんが感づいてたかもしれないというだけで私が誰かにこぼしたこともない。
「なんでそう思ったの?」
「キヨってジュンイチのこと好きだったでしょ」
「何言って」
「いいのよとぼけなくても、見てたらなんとなくわかるから。でもジュンイチを好きだった時期って多分まだベースに引っ張られてたでしょ。だから最初はベースとジュンイチは恋人だったのかしらって思ったの。違ったみたいだけどね」
アカリが既婚者だったってことは情報として記載されている。その旦那さんがアキトさんだってことも記録してあるし、なんならルイさんはアキトさんと面識もある。アカリが既婚者だったって知っていて、それでもジュンイチと恋人だったかもしれないなんてなんでそこまで考え及ぶのだろう。
「キヨがジュンイチをフッたとき、ほっとしたのよ。ベースに乗っ取られたりしてなくてよかったって。それはあくまで研究者としての目線だったけど今日は違うの。キヨは確かに研究材料かもしれないけど、一緒に生活してるとそこまで割り切れないのよ」
「何が言いたいの」
「あんた、ジュンイチの弟に恋してるでしょう?」
時が止まったような気がした。恋してる? 私が? レイに?
そんなはずない、あれは懐かしんだアカリに引っ張られただけで私の意志じゃないんだから。私には好きなものなんかない。私の意志でジュンイチを選ぼうとしてたわけでもないのに、レイが好き? まだ初めて会ってから半月程度の相手を好きになる? そんなわけない、だって人間としてのそういう機能はそんなに発達していないはずだから。
「機能とか設定とか面倒なことは置いといて、自分で思うよりキヨの成長速度は速いのよ。バックアップのたびにマザーコンピュータがトぶんじゃないかってひやひやしてるんだから」
「仮にそうだとしてどうしてそう思うの?自分でもレイが好きだとか考えてないのに」
「泣いたじゃない」
「うん、なんかどっか壊れたのかと思った。接続不良とか」
「あんな幸せそうに泣いておいてよくそんな冷静でいられるわね」
幸せそう。それはつまり、レイと話していたときに私は幸せだったってことだ。泣いていた時は、なんの話をしていたんだっけ、そうだ、本、最近読んだ本の話をしていてレイが私にないものを持ってる気がしてそしたら涙が止まらなくなって
「二人で出かけるんでしょう?夏休み」
「うん、私まだ好き嫌いもよくわかんないから、好きそうなことしに行こうって」
「二人で会おうって、それで幸せそうにしてて、泣くほどで、それを見て好きなんだなって思わないほうが無理よ」
例えば、今の電話の相手がマユだったら私は同じ顔をしたんだろうか。結局、アカリにいつもいつも引っ張られているだけで、私自身は、本当はちゃんとした愛情なんかわかっていないのかもしれない。
アカリのジュンイチへのこだわりだって、愛がどうとかよりも執着なんじゃないのかって思っている。そもそも愛情ってなんなんだろう。全部を飲み込んでそれでもジュンイチを選ぼうとしていたアカリも、自分のことで精いっぱいながらもアカリのためならと思っていたジュンイチと、それでアカリが幸せならばと思っているだろうアキトさんと。私は?私がレイに向けたものってなんだろう。
「キヨ、私ね、キヨたちが来る前からショーンを素敵だなと思ってるの」
「ショーンを?」
「昨今、年齢差も国際結婚も珍しくない。同じ研究所にいるんだしって思う人も居るでしょうけど、それでも踏み切れないところがあるわ。私は彼よりも年上で、彼はスペイン私はロシアにそれぞれ故郷がある。せめて私がEUの出身だったらよかったのにって思ったこともある」
なにかを考え込むときのエレーヌの癖だ。左手の薬指に髪を巻き付けて遊ばせる。人と機械も別の国も、違いはあるけど隔たるなにかがあるってところは同じなんだとそういう話がしたいだけ? そんなはずない、エレーヌはきっともっと大事なことを言いに来たんだろう。
「エレーヌ、ショーンに恋人ができたらどうするの」
「黙ってるでしょうね、でもおめでとうなんてきっと言えない。そうなってほしくないなら私が努力しなきゃいけないのはわかってるの。って問題は私じゃなくて」
白っぽい金髪に、グレーの瞳。この間見たファンタジー映画の雪の妖精に負けず劣らず白い肌。研究所内で東洋人はジュンイチだけだから目立つけれど、そういう人種の壁はジュンイチに限らない。
エレーヌはパッと見て日本人のイメージするロシア人だ。ショーンは研究員なのにもっと日に焼けていて太陽を全身で表しているようなかんじ。お互い違いすぎるのは見た目だけでも大分そうなのだけど。
「わたしたちは、キヨの気持ちを全部わかってあげられない。なんせあなたにはベースがいて、あなたは生身じゃないことを悩んでいるようだから。でもこれだけは、研究員じゃなくてあなたの家族のエレーヌ・アヴェリンとして言うけれど、ベースやジュンイチがどんな関係だったにせよあなたが選べばそれはタカシロ キヨハの意志だから。絶対に後悔しない道を選択してほしいの。特にジュンイチの弟に恋をしたならなおのこと」
私が選べば私の意志。
ごく当然なことなのに、自分が求めていたすべてがその一言に詰まっているような気がする。アカリと自分を分かつ明確な境界線はなくて、点線のような危ういそれの上で綱渡りをしている私は自己同一性に乏しくて、余計に人から離れていくような気がしてひどく不安だった。
「レイっていうの」
「ジュンイチの弟?」
「そう。教室ではちゃらちゃらしてて騒がしくてナンパで、そのくせ学年で一番頭がよくて、なのに、寂しそうだった」
「寂しそう?」
ジュンイチを知ってるから、ジュンイチに似てたから気が付いただけかもしれない。あんな些細な会話で電話をかけたりしてレイのほうが絶対に驚いていだろうし。ただ、いつも軽口をたたいてるときはそんな顔しないのにって思ったら居てもたってもいられなかった。
「キヨ」
「んー?」
「自分が幸せになることだけを考えていいんだからね。ベースとジュンイチに引きずられすぎたらだめよ」
「自覚無いんだけどなあ」
ただ、もし私が私の意志でレイを見ていてレイを好きだと思ったのだとしたら、叶うかどうかは一旦置いておいて、ただレイのそばで幸せだって彼を見つめる時間が欲しい。そうしてアカリがジュンイチを見ていたのと同じようにレイに好きだと伝えられるようになればいい。
「じゃあ、補習がある人は説明あるから多目的教室に移動ね。くれぐれも羽目を外さないように過ごしてください。はいっ、解散」
「やったあああああ夏休みだー!」
夏休み中の過ごし方、みたいなプリントを配られ注意事項を聞いて、アリシオ先生はいつもの感じで夏休み開幕を告げた。
「マユ、落ち着け」
「これが落ち着いていられるかっ夏休みだよ夏休み」
「宿題もちゃんとやらないとね」
「やめてよせっかく忘れてたのに」
テストは今回もレイが一位。五教科で四百九十六点って彼はいったいどんな頭を持ってるんだろう。人間の脳はいまだに謎が多いけどジュンイチもルイさんも、マリアも、そしてレイも、覚えることが得意だったりできる人間って私みたいな作り物の脳なんかよりはるかに優れていると思う。
「キヨはいきなり十位以内なんてすごいよねー宿題ささーっと終わるんでしょ」
「でもシキちゃんには勝てなかったから」
できる限り不自然にならないように、間違っても全問正解なんてしないように意図的に間違いを書いてたつもりだったけれど思ったより順位が高くなってしまって焦りながらみんなに話をしたらAIも万能じゃないねと笑われた。
方向性は真逆だけど、その抜けている感じとか焦っているところは普通の高校生っぽいよとも言われた。
宿題もテストもあってないようなものだし、校長先生とアリシオ先生は私の事情を知っているから特にどうとも思わないかもしれないけれど、本当に全力でやっているのに私に点数で負けて悔しがっている人も居るかもしれない。どうしようもないことだけに、なんだかなあという気持ちになる。
「ねえねえ、とりあえずさ、プールと海は絶対行きたい」
「そうだねえ、お盆過ぎるとクラゲも心配だし早めに行こうか」
「いつがいいかな」
ルイさんに聞いたら、一泊二日くらいの旅行ならと許可が出た。事前にいつどこに誰と行くかを伝えれば好きに出かけていいとも。夏休みなんだから、と頭をなでてくれたルイさんに嬉しくなって抱き着くと来た時よりももっと人間らしくなったと嬉しそうに言ってくれた。
渋い顔をしたのはむしろジュンイチのほうで、旅先で何かあったらとずっと嫌がっていたけれど、ほかのみんなに猛反対されていた。このところ、毎日のようにジュンイチに世話を焼かれているけれど少々私に対して依存の気が強まっているような気がする。
私はもうジュンイチのことを考えるのをやめようって、エレーヌだってアカリに引っ張られそうなら設定いじってくれるとまで言っているし、とにかくもう私の世界には彼だけっていうのは終わった。
「とりあえずグループ作ってそこで話まとめよう。アオイはこれから部活もあるし」
「え、終業式まで部活やんの。エグいねぇ、陸上部」
「運動部なんてどこもそんなもんだろ、じゃあまたな」
「熱いから、水分補給しっかりね」
「おー」
「帰りファミレスとかで予定たてよーアイス食べたい」
「また? 太るよ」
「レイ、レイも一緒に行く?」
何気なく振り向いて、いつも通り男の子たちと騒いでいるレイに声をかけるとマユもシキちゃんも、男の子たちも、そしてレイもぴたりと固まってしまった。なにごとかと私が挙動不審になると男の子の一人がおずおずと口を開く。
「タカシロさん、いつのまにレイと仲良くなったの?」
「へ?」
あっ、と気が付く。そうだ。電話してからなんとなく毎日のようにずるずると連絡を取り合っているけど学校ではもともとそんなに話をするほうじゃない。休み中なにがしたいかなんて話もずっとしていたから計画たてるんならレイも来たらいいのに、と思ったけれど傍から見たら何が起きてるんだって感じだろう。
「あ、あの、一緒に遊びに行こうって先週話したし、ねえマユ、シキちゃん」
「うん、まあ、したけど」
「キヨハから声かけたからびっくりした」
やらかした、と思ったけれどもう遅い。まだレイは固まっていてマユがにやにやとこちらを見ている。
「い、や、男一人気まずいから、やめとくわ」
「そ、そうだよね、なんかごめん」
もっともらしいことを言ってレイは来ないというけれど周りはそれだけで終われせてくれるはずもない。相変わらずマユがにやにやとこちらを見ているし、レイはレイで男の子たちに連行されるように教室を出ていった。