「ほかのみんなは?」

あたしが聞くと、「ああ、恭ちゃんも一緒にきたけどね、今トイレだよ」と富美子が言った。

「祐実ちゃんと奈っちゃんも来るってメールもらったけどねぇ…」

そうだった。
あたしも二人から今日の研修で再会するの楽しみだって、メールもらってたわ。

「ああ、来た来た!」

部屋に二つあるドアの後方から、恭子と祐実、奈津子が一緒に入ってきた。

「みんな!こっち、こっち!」

またもや富美子が大声で三人を呼んだ。

今日の研修はあたし達一番下っ端が集まるんだけど、あたし達以外にも同じ階級の職員は何人もいて。
毎月入社している営業職員は、一番優秀な成績をあげて昇進できたとしても、最低半年は階級が変わらない。
だからあたし達の前に入社した人たちも同じ研修を受ける為、ここに来ているのだ。

「富美子…。みんなが見てるって…。ちょっと声大きすぎだから」

あたしはまわりの人達の視線が痛くて、富美子に注意した。

「あっ…!そうだったね…。全然まわり見えてなかった…」

ほんとにアンタはそのデカい目、なんのためについてんの?

「ほんと、富美子は相変わらずだね…」

あたしは変わらず天然な富美子につい、笑ってしまった。



「もう~、尚美ちゃんも笑い上戸なの?なんかあたしって変?最近よく人から笑われるんだよね…」

アンタ自覚してないんだね、やっぱり…
ほんと、天然記念物なみの鈍感さ。

でも厳しいこの世界でやっていくには、それくらいがちょうどいいかもね…。

「そんな事ないって。富美子はそのままでいて。これからもずっと。あたしはそのまんまの富美子が好きだよ」

あたしがそう言うと、富美子は恥ずかしかったようで顔を真っ赤にした。

「ヤダ~!尚美ちゃん、そんな恥ずかしいじゃない~!」

富美子はそう言ってあたしの背中をバシバシと叩く。

「だから、痛いって!」

「ほんと、尚美ちゃんと富美子ちゃんは仲いいんだから~!あたしちょっと、ジェラシーだな~!」

そう言いながら恭子がやってきた。

祐実と奈津子も、「お久しぶりです~!!」と言ってやってくる。

奈津子とは営業所が違っているとはいえ、同じビルだからたまに喫煙室で一緒になっていた。
それでも滅多に会えない。

「喫煙ルーム以来ですねぇ~」

奈津子はニコニコしながら、今の仕事が大変だと愚痴ってきた。
祐実も恭子も富美子も、全員まだ新規契約が取れてないと嘆いていた。

「いいなぁ~尚美ちゃん、いきなり新契約とってたでしょ」

恭子がうらやましそうに言う。


「ああ…それはさ。うちのマネージャーが鬼みたいに厳しいから。あたし、研修中もずっと発破掛けられてたし。まあ、以前営業してたからね。取れませんじゃ通用しないって事だよ。でも、みんなは大丈夫だって。富美子なんか、日比谷さんがマネージャーだし、全然せっついてこないでしょ?」

ほんとに麻美は昔とはうってかわって鬼のように厳しかった。

富美子は腕を組んで考えながら、口を開く。

「うーん…、確かにうちのマネージャー、恭ちゃんのとこに比べるとすごい優しいの。全然ガッツいてないし。でもさ、それだとかえって焦っちゃうんだよね…。こんなに悠長な事してて、ほんとに三ヶ月で決められた数字と件数あげられるのかなって…」

富美子の言葉に恭子がすぐさま反応する。

「ええ~!あたしは富美子ちゃんとこが羨ましいけどなぁ~。だってさ、うちのマネージャー、いっつもあたしばっか集中攻撃すんだもん。できないものはできないって言ってるのに、超強引だし!」

そっか…。

恭子の班のマネージャーは、杉本亜紀(すぎもとあき)マネージャーだったっけ。
富美子と同い年だけど、シングルマザーでもある彼女は仕事が厳しくて有名な人だった。

でも部下に厳しい分、自分も信じられないくらいの成績を毎月あげている事でも有名だった。

「そうだよね、毎朝、"恭ちゃん、あなた、やる気あるの?"って言われてるもんね」

富美子が杉本マネージャーの口真似をして言った。
あまりにも富美子の口調が杉本マネージャーにそっくりで、あたしはバカ受けしてしまった。



同期が集まって久しぶりにおしゃべりに花を咲かせていると、前方のドアが開いて福富トレーナーが入ってきた。
トレーナーの後から、支社長、沢口営業次長、各営業所長と続いて入ってくる。
あたし達は慌てて決められた席に座った。

はじめに支社長と沢口営業次長が簡単な挨拶をして、午前中は第二営業所の黒津(くろつ)所長の講義だった。
黒津所長とは研修の時以来だ。
相変わらず上からな雰囲気。

富美子と恭子の方をチラ見すると、二人ともブーッと豚のような顔をしてあたしに見せた。
やっぱり二人とも苦手なんだ…。

あたしは今回も全然聞く気がないのを気取られないように、黒津の方を向くだけ向いていた。

昼休憩をはさみ、午後からは福富トレーナーの講義だった。
あたし達同期はひとつの机に弁当を持って集まり、再び話に花を咲かせる。

やっぱ、同期はいいわ…。
この人たちとは絶対に争いたくない。
競い合うのはまっぴらだわ…。

あたしはみんなの話の聞き役にまわりながらそう思っていた。

食後はお決まりの喫煙タイム。
あたしと祐実と奈津子の三人で喫煙ルームへ行く。

でもあたしはなんとなくコーヒーが飲みたくなって、二人に伝えてから一階の自販機コーナーへ向かった。



エレベーターで一階に降りて自販機が何台か並んだスペースに行く。
どこのコーヒーでも同じかもしれないけど、あたしは個人的にお気に入りのがある。
それが入っている自販機に向かうと、タイミングが悪い事に先客がいた。

少し離れた所で待つ。
だけどなかなかその人は、あたしのお目当ての自販機のそばから離れようとしない。

一体何やってんのよ…。
あたしは少しイラつきながら、その人のそばへ近寄った。

ゲッ!!
なんでよりにもよって…

そこにいたのは…

氷メガネだった…。

こだわりを捨てて別のコーヒーを飲んでもいいはずなのに、そうする事がまるでコイツに負けるような気がして。
あたしは自販機の所で何やらゴソゴソと動いている氷メガネに向かって言葉を放った。

「すいません。急いでるんですけどまだかかりそうですか?」

少しトゲのある言い方に驚いたように氷メガネが振り返った。

「…また…あなたですか…」

「別にあたしもあなたがいるとわかってたら来てませんから!」

「それは私のセリフです」

ムムム…
相変わらずムカつくヤツ…。

時間が迫っているから、コイツとここで言い合う事は無意味だとわかっていたが、何にそんな時間がかかっているのか不思議に思い尋ねた。



「さっきから何に手間取っているんですか?」

あたしの質問に、氷メガネがわかりやすく動揺する。

「いえ別に…。何でもありません…」

動揺を隠しているつもりだろうけど、バレバレだから。

「それならあたし、その自販機に用があるんで、どいてもらえます?」

あたしはそう言って自販機の前に出ると、氷メガネは焦ってあたしの腕をつかんだ。

「ちょ、っと、待って…!」

いきなり掴んできた氷メガネの、意外な力強さに戸惑う。
コイツ、ヒョロヒョロ見えるわりには結構力あるんじゃん。
やっぱ男だね…。

「なんですか!素直に言いなさいよ!」

思わず怒鳴ってしまった。
ヤバいと思ったあたしの予想とは裏腹に、氷メガネは言った。

「…実は…。ジュースの缶が取り出し口にはさまったまま取れないんです…」

え?
何、どうしたって?
ジュースが出ない?

あたしはかがんで取り出し口をのぞいた。

あ…ほんとだ。
斜めになっている缶と、取り出し口のアルミ板のようなものが微妙な形になっている…。

あたしは迷う事なく取り出し口に手を差し込んだ。

「飯田さん、危ないですよ!」

とっさに氷メガネがあたしを制したが、既にあたしは手を差し込んでいた。



そしていとも簡単にはさまっていた缶ジュースを取り出した。

「はい、どうぞ」

そう言って氷メガネにジュースを渡そうとして気づいた。

その缶は…
正確にはジュースではなく…

「おしるこ」だった。

そうだった…。
コイツは無類の甘党だった…。
あたしは吹き出しそうになるのを必死に堪え、氷メガネに手渡した。

そして自分の目的のものを買おうと財布を開いた時、うしろから蚊の鳴くような声が聞こえた。

「…ありがとうございました…」

今…
ありがとう…って言ったの?

…言ったよね…?

あたしは勝ち誇った気分で、「どういたしまして」と言い、目的のコーヒーを買って再びエレベーターホールへ向かった。

氷メガネは唖然としたまま自販機コーナーで立ち尽くしていたが、あたしは関係ないと思ってそのまま放置した。

アイツ、なんか変だったな。
大体なんでアイツがここにいたんだろ?

だけど、天下のKK生命の内務次長が缶入りのお汁粉って!

これはおもしろすぎるわ。
みんなに教えてやろっと。

…でも、まあ…いいか。

これは…

アイツが甘党だって事は…
最後の切り札でとっておこう。

なぜだかわからないが、あたしはそう思った…。



氷メガネとのすったもんだのせいでタバコを吸い損ねた。

喫煙室に戻った時は祐実も奈津子もいなかった。
おそらく研修の部屋に戻ってるんだろう。

慌てて時計を確認すると休憩時間は残り五分しかなくて。
あたしは仕方なく、コーヒーをすすって部屋に戻った。

午後からのトレーナーの講義はすごくわかりやすい内容で、これからの営業活動に役に立ちそうな事ばかりだった。

福富トレーナーは相変わらず教え方が上手で。
途中何回か当てられて参ったけど…。

それでも無事にその日の研修は終了した。

今日はそのまま直帰してもいいらしい恭子と富美子が、お茶しようと誘ってきた。

祐実と奈津子は子供の調子があまりよくないらしく、早めのお迎えに行くからと言って帰って行った。
あたしはどうしようか迷ったが、やっぱり久々に二人と話をしたくて一緒に行く事にする。

営業所にいったん顔を出してから駐車場へ行くと言って、営業所へ戻った。


入口のドアを開け自分のデスクに向かうと、空いた席に意外な人物が座っていた。

ちょっと…
なんで…氷メガネがいるのよ…。

あたしはわざとらしく無視をして自分のデスクに戻り、引き出しの鍵を開けて研修の資料をしまった。



ヤツの視線を感じたが、そのまま無言を貫きあたしは引き出しの鍵を閉めた。
出勤簿に印鑑を押すために所長のデスクへ向かおうとした所で、氷メガネがあたしに声をかけてきた。

「…飯田さん…。ちょっとよろしいですか…?」

何よ…。
やっぱあたしに用だったって事?
そう思うと少し焦ったが、あたしは冷静さを装って振り向いた。

「何ですか?」

「…………」

コイツ…
自分から声かけといてだんまりとか…
あり得ないし…。

「あの…」

沈黙に耐えられなくなったあたしが話そうとした所で、ようやく氷メガネが口を開いた。

「スーツの袖口が…破れています…」

は?
何それ?スーツ?

あたしは自分でも全く気付かなかったスーツの袖口を見てみた。
すると、氷メガネの言う通りかぎ裂きになっていた。

「あ…ほんとだ…」

マズイ…
あたしスーツこれしか持ってないんだよね…。
以前に働いていた時に使ってたのは人に譲っちゃったから。

とりあえず補修して着るか、通販で安いのを買うか…どうしよ…。

考え込んでいるあたしに氷メガネが言った。

「さっきの…自販機でだと…思います…。申し訳ありません…。私のせいで…」