「ウォリー、今日は3人でちょっと出かけないか?」
ダーシャがそう切り出したのは3人で朝食をとっている時の事だった。
ウォリーは食事の手を止め、顔を上げた。
「気分転換にどうかと思ってな」
リリの方を見るとニコニコと笑顔を向けている。どうやらダーシャとリリは事前に話を合わせていたようである。
「うん、いいよ」
笑って答えたウォリーだったが、内心は申し訳なく思っていた。ミリアの件で自分が心に傷を負ってから、2人にはずっと心配をかけてしまっているという意識を彼は持っていた。今回ダーシャが気分転換にと言ったのも、ウォリーを気にかけての事なのだろう。自分の事で2人に気を遣わせてしまっている事への罪悪感が、ウォリーをより落ち込ませた。
このまま周りに迷惑をかけ続けるくらいなら、いっそ冒険者を辞めた方がいいのかもしれない。そんな思いがウォリーの頭をよぎった。
朝食を済ませてから昼時まで休憩した後、3人は家を出発した。
ダーシャが先頭に立って進んでいく。彼女にははっきりとした目的地があるようだったが、ウォリーがその場所を尋ねても彼女は明確には答えなかった。
「よし、これに乗ろう」
ダーシャは馬車の前で立ち止まった。
彼女は御者に運賃を支払い、馬車に乗り込む。それに続いてリリとウォリーも乗った。
馬車を使うくらいだから目的地は遠いのだろうか……そんな事を考えながらウォリーはダーシャを見つめていた。
やがて馬車は森の中へ入って行く。
そこでウォリーはある事に気がついた。この道には見覚えがある。いつだったか、何かの依頼で通った事のある道だった。
(確かこの先は……)
ウォリーが自分の記憶を掘り起こしていると、道の脇に立てられた看板が目に入ってきた。
ウォリーは目を見開いてダーシャを見る。
彼女は何も言わず微笑みを返した。
目的地に到着し、3人は馬車を降りた。
目の前には大きな木製の門があり、その奥には家々が並んでいる。
その光景にウォリーは懐かしさに包まれる。
べボーテ村。ウォリーとダーシャが初めて一緒に依頼をこなした場所だ。ここでの依頼がきっかけで、ダーシャとパーティを組むことになった。
3人が門をくぐり村に足を踏み入れると、直後に歓声が上がった。
「ようこそ! べボーテ村へ!」
村人達が勢揃いしてウォリー達を出迎えた。村の広場には沢山のテーブルが配置されており、そこには数々の料理が並べられていた。
その近くでは火が焚かれ、その上で肉が焼かれて芳ばしい香りを放っている。
「皆さん、よく来てくれました。私はこの村の新しい村長のジークです」
そう言って進み出てきた男は両手でウォリーと握手を交わした。
「今日は何かのお祭りですか? 随分と賑やかですが……」
ウォリーが尋ねると村人達は笑顔を浮かべながら1箇所を見上げた。
その視線の先を追うと、大きな横断幕が木と木の間に張られていた。
“ウォリー君を励ます会”
そう書かれた幕を見てウォリーは唖然とした。
「実は君が落ち込んでいる事を前からここの村人達に相談していたんだ。話をしたら、みんな是非力になりたいと進んで声を上げてくれた」
ダーシャがそう言うと、ウォリーは困ったように眉を八の字にした。
「そんな、村の人達にご迷惑を……」
「何言ってるんですか!」
ジークが再びウォリーの手をがっしりと握る。
「皆さんはこの村を救ってくれた恩人です! これくらいの事はさせてください。ウォリーさんが解毒をしてくださらなかったら今頃私は毒にやられてこの世に居ないのですから」
そのままさあさあとテーブルに案内されたウォリーは、料理の並んだ席に座らせられる。ダーシャとリリもその左右に座った。
それから次々と村人達がテーブルに着席し始める。
ジークが立ち上がり、酒を手に掲げて声を張り上げた。
「それでは! ポセイドンの方々、そして、ウォリーさんの今後の活躍を願って、乾杯!」
ジークに続き村人達が次々と歓声をあげた。
そして、それぞれ目の前に置かれた料理に手をつけ始めた。
ものすごい勢いで料理にありつく村人達に、ウォリーが圧倒されていると、側にジークが歩み寄ってきた。
「もう昼時です。お腹も空いている事でしょう。一緒に喜ぶ、一緒に楽しむ、そして一緒に飲み食いする。それが我が村での歓迎の仕方です。どうぞウォリーさんも遠慮せず食べてください。我々も遠慮しませんから」
ジークはそう言って頭を下げると、自分の席へ戻って食事を楽しみ始めた。
「わあ! このお肉美味しいです!」
「ははは! 嬉しいですな! それは私が山で狩って来た猪です」
「ええ! そうなんですか!?」
ウォリーの隣でリリと村人が楽しそうに談笑を始めた。それを見てダーシャがくすりと笑う。
「ほら、ウォリーも食べよう」
「うん、でもやっぱりなんか申し訳ないな、僕のためにこんな……」
「皆それだけ君に感謝しているという事さ」
ウォリーは恥ずかしそうに下を向いた。
「別に特別な事はしていないよ。僕はただ依頼として村を守っただけで」
「本当にそう思うのか?」
ウォリーはこくりと頷いた。
ダーシャは食事の手を止め、少し黙った。そして、ウォリーをじっと見つめる。
「ウォリー、正直に言ってくれ。もしかして冒険者を辞めたいと思っていないか?」
そう言われてウォリーは戸惑いを見せたが、やがて小さく頷いた。
「正直、迷ってる」
「そうか。だが君がはっきりと辞めると決断するのなら私は止めはしない。なんだったら私とリリで養ってやろうか?」
ダーシャは冗談交じりに言って笑った。
「でも、私は君に冒険者であって欲しいと思っている。ウォリー、君は誰よりも周りの人を助けたいと願っている。君はそういう奴だと私は知っている。私も、リリも、そしてこの村の人達も、みんな君に助けられた人達なんだ」
「僕だけの力じゃないさ、あれは色んな冒険者の人達と協力して……」
「私達が盗賊に捕まった時、皆自分の心配ばかりしていた。だが君だけは違った。君だけは村の人々の事を案じていた。あの時君が牢屋から出る事を諦めていたら、村人は皆死んでいただろう。あの時の君の村人を助けたいという思いが、皆を救ったんだ」
隣で語るダーシャを言葉を、ウォリーは黙って聞いていた。
「ウォリー、君は冒険者であるべきだ。君が冒険者になったきっかけはミリアかもしれない。でも、それだけじゃないと私は思う。君には、この仕事を通して人を助けたいという願いがあるんじゃないか?」
楽しそうに笑い、飲み食いする村人達をウォリーはぐるっと見渡した。
「ウォリーお兄さん!」
突然ウォリーの後から声がかけられた。
振り返ると、幼い女の子が立っていた。
「ウォリーお兄さん、私を助けてくれてありがとう」
ウォリーはこの少女を覚えていた。ダーシャを倒すために、盗賊が人質にとった少女だ。それをウォリーが背後から奇襲し、無事に彼女を救い出す事に成功した。
「はい、これプレゼント。早く元気になってね」
少女は自分で作ったであろう花の冠を、ウォリーの頭に乗せた。
それから少女は顔を赤くしてもじもじと手を擦り始めた。
「私、大きくなったら……お兄さんのお嫁さんになりたい……」
そう言ってすぐに少女は恥ずかしそうに走り去ってしまった。
ウォリーが苦笑いしていると、ダーシャが再び口を開いた。
「人々はなぜ冒険者に依頼をするのだろうな。危険なダンジョン、そこに足を踏み入れるのは誰でも出来る事ではない。それでもそこにある物を求めている人達がいる。そんな人達を助けるのが、冒険者の仕事だと思う」
ダーシャはそう言ってウォリーの手を握った。
「ウォリー、どうか冒険者であり続けてくれ。君の力を必要としている人達を、これかも助けてあげてくれ。そして今は、私を助けてほしい」
「ダーシャを……?」
「思えば私はすぐ感情的になってしまう所がある。君と初めて会った時もすぐに手が出て君を打ってしまったな。こんな私では、冒険者として上手くやって行くのは難しいだろう。だから私の側にいて、私の事を助けてほしい。これからはミリアの為だけではなく、私達の為に冒険者であってほしい」
ウォリーは握られた自分の手の上で俯いた。やがて、重なった手に、ポツポツと雫が落ち始める。
「ありがとう……ダーシャ、みんな……。僕は、冒険者を続けたい。この仕事で……人助けがしたい……」
ウォリーはしばらく顔を上げずにいた。
ダーシャも、リリも、騒いでいた村人達も、いつの間にか周りは静まり返って彼に優しい視線を向けていた。
ウォリー達3人が帰宅したのは日が落ちかかっている時刻だった。
昼はべボーテ村での食事会で食べ過ぎてしまったせいか、夕食時になっても3人ともあまり腹が減らなかった。
いつもより少なめの食事を済ませリビングで休んでいると、玄関の扉が叩かれた。
ウォリーが腰を上げて玄関へ向かう。
この家に訪ねてくる人は滅多に居ない。ギルドからの連絡は殆ど手紙で済まされるし、来訪者に心当たりが無かった。
ウォリーは珍しがりながら玄関の扉に手をかける。
「えっ!?」
彼は思わず声をあげてしまった。扉を開けた先に立っていたのは意外な人物だった。
「ハナ! どうしたの!?」
そこに居たのはレビヤタンのメンバーの1人、ハナだった。しかし、ウォリーが最も驚いたのは彼女の顔だった。ハナの顔は所々腫れ上がっており唇は切れて血が滲んでいる。誰かに殴られたのだと、一目見て分かった。
「ウォリー……助けて……」
そういってハナはウォリーに歩み寄ろうとするが、足に力が入らないのか前に倒れ込むような動きになってしまう。
ウォリーは慌てて彼女の肩を支えた。
「ウォリー! 一体何が……って、そいつは!?」
ウォリーの声を聞いてリリとダーシャが駆けつけて来た。ハナの姿を確認すると、2人も驚きの声を上げる。
「回復マン!」
ウォリーが唱えると、彼女の顔の傷がみるみる癒えていく。
「とりあえず中で話そう」
ウォリーはハナに肩を貸しながら、リビングまで歩いて行った。
「一体何があったの?」
テーブルに腰掛け、ハナと向かい合う形でウォリーは尋ねた。ハナはしばらく俯いたまま黙っていたが、やがて差し出されたお茶を一口飲んでから語り始めた。
「レビヤタンを抜けて来た」
ハナの言葉に3人とも目を丸くして顔を見合わせた。
「ジャックが死んで、新しいリーダーにミリアがなったの。それから彼女に虐待されるようになって……」
「その事をギルドには?」
「報告はしたわ。でも、ミリアがやったって証拠がないって取り合ってくれなくて。それだけじゃない。ミリアは妹の事で私を脅して来たの」
「妹?」
ハナに妹がいる事はウォリーにも初耳だった。ウォリーは前のめりになって彼女の話を注意深く聞いた。
「私の妹、マロンは病気なの。医者からは余命宣告を受けていて、ずっと寝たきりでいる。私は妹を何とか治療しようと、今まで高い薬や有名な医者に頼ってきた。冒険者の仕事で得た収入は殆ど妹の治療費に注ぎ込んだわ。それをあいつ、ミリアは調べ上げてたみたいで」
ハナが肩を震わせながらテーブルの上で拳を握った。
「レビヤタンを抜けたら政府からの支援金が貰えなくなるから、妹の治療費が支払えなくなるって、その弱みに付け込んで私を従わせようとしてきたの。初めは私も彼女の言いなりだったけど、流石に耐え切れなくなって……」
「それで、パーティを抜けたんだね」
ウォリーが言うと、ハナは黙って頷いた。
「しかし、それでどうして私達を訪ねて来たんだ? まさか回復してもらうだけが目的ではあるまい」
「そうです。あなたは随分とウォリーさんを嫌っていたじゃないですか」
ウォリーの横で話を聞いていたダーシャとリリがそれぞれ言った。
ハナはその問いにすぐには答えなかった。気まずそうに3人から目を逸らしていたが、やがて真っ直ぐとウォリーの方を見つめた。
「ウォリー、あなたにお願いがあるの。私を、あなた達のパーティに入れて欲しい」
ハナの言葉に3人は驚きの表情を浮かべた。
彼女はすがるような目でウォリーだけを見つめている。
「どうしてうちに? ハナ程の実力なら他にも入れるパーティはあると思うけど」
「早くAランクに上がりたいの。レビヤタンを抜けて政府からの支援金を受けられなくなった。でも、何とかして妹の治療は続けたい。これから別のパーティに行ってコツコツランク上げしてたら遅いのよ。元レビヤタンの私とウォリーならきっとAランクまで行ける。それが1番の近道だと思ったの」
ハナはそう言って深々と頭を下げた。
「お願いっ、ウォリー……」
そのまま彼女は頭を上げないでいる。ウォリーの返答を待っているようだった。
ウォリーは困った表情でリリとダーシャを交互に見た。
「正直言って嫌だな」
ダーシャが厳しい表情で言った。
「君はウォリーの事を馬鹿にしていただろう。今さらパーティに入れてくれと言ったってもう遅い!」
腕を組んだままそう言い放った後、彼女は大きくため息をついた。
「……と、言いたいところだが、ウォリーはこのままお前を見捨てるのを望まないだろう」
ダーシャは一度ウォリーの方へ視線を向けてから、もう一度ハナを見た。
「さっきのウォリーの反応を見て分かったよ。ウォリーは君を助けてやりたいが、ハナを嫌っている私とリリが納得してくれるか心配だという感じだった。確かに私は君の事が嫌いだが、ウォリーが望むと言うなら私は従おう」
そう言った後ダーシャはリリの方を見た。リリは軽く頷いて口を開いた。
「私も、はっきり言って彼女を入れるのは気が進みません。でも、ウォリーさんだったらきっとここで見捨てたりはしないと思います。それに、彼女に全く同情していない訳でもありません。先程玄関で傷だらけの彼女の顔を見て、私がアンゲロスにいた頃を思い出しました。もしウォリーさんが彼女を助けたいと言うなら、私はそれを受け入れたいです」
ハナは顔を上げ、驚いた様子でダーシャとリリを交互に見た。
「ダーシャ、リリ、ありがとう」
ウォリーはそう言って2人に微笑みかけると、再びハナを見つめた。
「ハナの妹さんの助けになるなら、出来る限り協力はしたい。僕達がAランクにすぐ上がれるという保証は出来ないけど、それでもいいなら僕はハナの頼みを受け入れようと思う」
ハナの顔に笑顔が浮かんだ。
「ありがとうウォリー」
「おっと、喜ぶのはまだ早いぞ」
すかさずダーシャが口を出した。
彼女は厳しい視線をハナに送る。
「君は今までウォリーに酷い事を言って来たんだ。パーティに入ると言うなら、まずは禊を済ませてからだ。この場でウォリーに謝罪して貰おうか」
「僕は気にしてないから」と、ウォリーはつい言いそうになったが、その言葉が出る前に引っ込めた。ダーシャとリリはハナを嫌っているにも関わらず、ウォリーの希望に合わせてくれたのだ。ならばこれ以上口を挟むのはやめようと彼は思った。
ハナはその場にスッと立ち上がった。
深呼吸してからじっとウォリーを見つめ、その後大きく身体を曲げて頭を下げた。
「ウォリー、今まで本当に……ごめんなさいっ」
これにより、ポセイドンに4人目の仲間が加わる事となった。
小柄な女がその身の丈に不釣り合いな大きな鞄を背負っている。
鞄はパンパンに膨れ上がっており、中にぎっしりと荷物が詰め込まれている事は容易に想像ができる。
女は重そうにしながら一歩一歩ゆっくりと商店街を進んでいるが、歩くたびに身体をフラつかせ今にも転げてしまいそうな心許ない動きだった。
「はっ、はわわっ」
とうとう女はバランスを崩し後ろに大きく倒れ込む。
だが、彼女が地面に激突する事は無かった。
「大丈夫ですか?」
ウォリーが後ろで彼女の身体を支えながら言った。
先程から危なっかしいなと思いながら彼女を眺めていたウォリーだったが、ついに見ていられなくなり助けに向かって今に至る。
「あっ、ありがとうございます……あっ! あああ!!」
彼女は体勢を立て直してウォリーに向かってぺこりとお辞儀をしたが、そのお辞儀のせいで再びバランスを崩して倒れそうになる。
「ああっ、こんなの一人で持つ量じゃ無いですよ。僕が代わりに持ちますから」
再び彼女の身体を支えながら、ウォリーはその巨大な鞄を取り外そうとする。
「い、いえ、自分で持てますから」
「持ててなかったじゃないですか」
戸惑う彼女を押し切ってウォリーは鞄を背負った。
「こう見えて僕は冒険者なんです。ある程度体力はありますから」
彼女は困った表情をしつつも、やがて小さく頷いた。
「で、では、お願いします……」
そこでウォリーは彼女の頭部の特徴に気がついた。先程は大きな荷物ばかりに目が行ってしまっていたが、よく見れば彼女の頭には猫の耳が生えていた。
その耳はピコピコと生き物のように動いていて、仮装ではない事は明らかだった。
「あ、私は獣人族なんです」
猫耳に釘付けになっているウォリーに気付き、彼女はそう答えた。
「助けて頂いてありがとうございます。私はコピと申します。この商店街の端で喫茶店を経営している者です。これはお店で使う食材でして……」
「僕はウォリーって言います。これくらい気にしないでください。じゃあ、これはお店まで運べばいいですか?」
「はい。お願いします」
ウォリーが歩き出そうとすると、突然彼の手首をコピが掴んできた。
「すいません、手、このまま繋いだままで行かせてください」
「え?」
「ウォリーさんを疑いたくはありませんが、持ち逃げされると困りますので」
「あ、そういう事ですか……ははは、良いですよ」
ウォリーは苦笑いしながらも、コピに掴まれたまま喫茶店へ向かって歩き出した。
コピの案内に従い歩き続け、その喫茶店に到着した。
店の前には猫の形をした看板が吊るされていて、そこには『トライキャッツ』と書かれていた。
コピが入り口を開くと、扉の鈴がカラカラと音を立てた。
「いらっしゃいませ〜」
中から可愛らしい声と共に店員が歩み寄ってくる。
ウォリーは思わずその店員とコピとに交互に視線を送り見比べた。
2人の容姿は瓜二つだった。
店員も猫耳が生えているので、コピと同じ獣人族なのだろう。
「ふふ、私達双子なんです」
目を丸くするウォリーの隣でコピが笑った。
「あれ? コピ、この人は?」
「あ、さっきそこで会ってね、荷物を運ぶのを手伝ってくれたの」
「ええ!? あ、どうもありがとうございますっ」
コピそっくりの店員は慌てて頭を下げる。
「いえいえ、僕が勝手に請け負っただけですから」
ウォリーが荷物を下ろし去ろうとすると、コピが呼び止めた。
「待ってくださいよ! せっかく来たんですからお店に寄って行ってください。荷物運びのお礼にタダでいいですから」
そう言ってコピはウォリーの手を掴んで店内に引き込んで行った。
そのまま店の席に座らせられ、メニューを渡される。
「何にしますか? オススメはコーヒーとチーズケーキのセットですっ」
コピがにっこりと笑顔を浮かべて言った。
「じゃあ、それでお願いします」
「はーい!」
ウォリーが答えるやいなや明るい声を上げて彼女はトテトテと厨房へ入って行った。
ウォリーは1度大きく息をついた後、ゆっくりと店内を見回した。
店内にはウォリーの他にもう1人、若い男の客が居た。彼の服装は見るからに高級そうで、どこか身分の高い家の人だろうかとウォリーは考えた。
そうしているとウォリーの視線に気付いたのか、男は顔を上げて微笑みを返してきた。
「やあ、ここの客にしては見ない顔だね、もしかして初めてかい?」
「ええ」
「私の名はアロンツォ、この店の常連さ。ここのコーヒーは絶品だよ。きっと君もリピーターになるだろう。となれば今後もよく顔を合わせる事になるかもしれないね、よろしく」
「はい、僕はウォリーと申します。よろしくお願いします」
アロンツォと名乗った男はとても感じが良く、ウォリーも自然と笑顔になった。
「ふふ、アロンツォさんに続いてウォリーさんも常連になってくれたら嬉しいです」
そう言いながらコピがコーヒーとケーキを持って現れた。
「ウォリーさん、さっきはすいませんでした。持ち逃げされるかもなんて疑ってしまって」
そう言いながらコピはテーブルにコーヒーを置いた。
「実は最近うちの店に泥棒が入ったんです。売上を殆ど持っていかれてしまって、ただでさえ客の少ないお店だから困ってるんですよ。それでつい疑い深くなってしまって」
「いえ、大切な荷物ですから、あれくらいの防犯意識は持って当然の事だと思いますよ」
ウォリーはそう言ってコーヒーを手に取った。
顔に近づけると、とても良い香りが鼻に入ってくる。
一口飲んで、ウォリーは目を見開いた。
「……すごい。こんな美味しいコーヒーは初めて飲みました」
それを聞いて、コピの顔がパッと明るくなる。
「ふふふっ、ありがとうございます。実は特殊な豆を使ってるんですよ」
その時、カラカラと音が鳴り店の入り口が開かれた。
「いらっしゃいま……あっ」
さっきまで明るかったコピの顔が曇った。
ウォリーが不思議に思って店の入り口に目をやると、丁度1人の客が入ってきた所だった。
その客は40代くらいの女で、帽子を深々と被り、真っ黒な丸いサングラスをかけていた。
その客は店に入ってすぐに適当な空いてる席を見つけて座った。
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
コピにそっくりの店員が寄って行って聞いた。
「いつもの」
サングラスの女は小さくそう答えただけだった。
その顔は常に無表情で、不気味だった。
「あの人も一応常連なんですけど」
コピが小声でウォリーに語りかけた。
「毎回あんな感じなんです。話しかけても殆ど喋ってくれないし、なんか怖いですよね……」
そう言われ、ウォリーは再び例の女の方を見てみた。しかし、その真っ黒なサングラスの奥の目が合ってしまったような気がして、慌てて顔を逸らした。
「コピ! 大変!!」
「え? どうしたのルアク」
コピと瓜二つの女、ルアクと呼ばれた猫耳の店員が青い顔をして飛び出してきた。
「ちょっと来て!」
丁度ウォリーと会話中だったコピは言われるまま彼女に連れられて店の奥へ入って行った。
様子からしてただ事ではないのを感じ、ウォリーは心配そうに2人が消えて行った方を見つめていた。
しばらく経って、コピが戻ってくる。
先程のルアクという店員と同様に、顔が青くなっていた。
「何かあったんですか?」
「……」
コピはしばらく黙っていた。ウォリーの問いに答えようか迷っている様子だった。
しかし、やがて泣きそうな目でウォリーを見つめると、口を開いた。
「また、泥棒に入られました」
「えっ!?」
「ただ今度はお金じゃありません。倉庫に入れてあったコーヒー豆が盗られてました。倉庫へは店内の食材を補充する時にしか入らないので今になるまで気付かなかったんです」
やがてルアクも店の奥から出てきた。
「どうしよう。今残っているコーヒー豆だけじゃ数日で使い切っちゃう。1週間後のお祭りに間に合わないよ」
ルアクはそう言って涙を溜めた目でコピを見つめた。
「あの、お祭りって?」
「この商店街のお店が自慢の料理を露店で出し合って競うお祭りが1週間後にあるんです。お店の勝敗は参加したお客さん達の投票で決まるので沢山売って票を集めないといけないのに、これじゃ豆が足りない……」
「今から調達するんじゃ駄目なんですか?」
「私達が使っているコーヒー豆は市場で簡単に手に入るものでは無いんです。コフィアフォレと言う豆で、とある山の上で採集できるんですがその地帯には強力なモンスターが生息していて入手が困難なので、市場に出る量は少ないんです。なので私達はその山に登って直接採集をしていたのですが……」
「モンスターが出る山に、あなた達が?」
「もちろん私達は戦闘は出来ません。だからギルドに依頼して冒険者に護衛について貰っていて……あっ!」
突然コピが声を上げた。それからすぐに彼女はウォリーに向かって跪くと、頭を下げた。
「ウォリーさん! 確かあなたは冒険者だと仰ってましたよね!? どうか私達の依頼を受けて頂けませんか? 私達と一緒に山に登って豆の採集を助けて欲しいんですっ」
必死に頭を下げるコピを見て、ルアクも続けて頭を下げた。
「わ、私からもお願いします!」
「僕は構わないですが、それだったらギルドに依頼を出した方が……」
「実は、以前に泥棒に売上を盗まれたせいでうちの店はお金に余裕が無いんです。とてもギルドに依頼出来るほどのお金を用意できません。なのでウォリーさんに支払える報酬もそんなに多くは出来ないのですが……それでもどうか、どうかお願いします!」
2人はそのまま頭をあげようとしない。
ウォリーは困った表情を浮かべた。
「すいません、僕個人としては助けてあげたいんですけど、すぐには返答できないんです。僕が良くてもパーティのメンバーがどう言うかわからない。モンスターと戦うって事は仲間達もリスクを負うわけですから、報酬の額次第では納得しないメンバーも居るかもしれません」
「そうですか……」
「明日またここに来てもいいですか? その時に他のパーティメンバーも誘ってみます。そこで皆も交えて改めて相談してみたいんです」
「はい! ありがとうございます!」
2人はピンと耳を立てて礼を言った。
その時、ガタッと音を立ててサングラスの女が立ち上がった。
「お代、ここに置いとくよ」
そう小さく言って女は店を出て行った。
その様子を見て、コピが首を傾げた。
「あれ、変ですね」
「どうしました?」
「あの女の人、いつもはもっとゆっくりしていくんですよ。こんなに早く退店するのは初めてです。今日は何か予定でもあるのでしょうか?」
翌日、ウォリーはポセイドンのメンバーを連れて再び喫茶店『トライキャッツ』を訪れた。
入り口を開けるとコピとルアクが揃って出迎えた。
「ウォリーさん、いらっしゃいませ! あ、こちらの方々がお仲間さんですか!?」
2人がパーティメンバー達に向かって揃って頭を下げた。
「そ、そっくりだな」
目の前の双子の店員にダーシャが驚いた。
「2人は双子なんだよ」
「はい、コピです」
「ルアクです」
ダーシャはまじまじと2人を見つめた。
「全く見分けがつかん。混乱してしまいそうだ」
「ふふ、右の耳に飾りが付いているのがコピです」
「左耳に飾りが付いているのがルアクです」
そう言って2人は頭の猫耳をピコピコと動かした。
「ふわぁ〜」
ダーシャの横でリリが力の抜けた声を出した。彼女の目はキラキラと輝き、顔が少し赤らんでいる。
「か、かわいい……私、ワンちゃんも好きですけどネコちゃんも好きなんです。撫でたい……」
熱い視線を向けてくるリリにコピとルアクは少し後ずさった。
「こらリリ、怖がってるじゃないか。彼女達は動物じゃなくて獣人だぞ」
「はは、まあどうぞこちらへ」
コピはそう言ってウォリー達をテーブルに案内した。
店内を見ると、既に先客が居た。
「やあウォリー君。女の子に囲まれて、随分とモテるようだねっ」
アロンツォは手を挙げてウォリーに笑いかける。今日の客はウォリーの他に彼1人だけのようだった。
ウォリー、ダーシャ、リリ、そして新しく加わったハナが席につくと、コピがコーヒーを運んで来た。
「どうぞ、今日はお代は要りませんので」
「え、いいんですか?」
「せっかく私達の為に集まってくださったんです。これくらいはさせてください」
「でもこのコーヒー、豆が盗まれて残り少ないんですよね?」
「どの道今のままではお祭りに出られませんから……」
コピはコーヒーを並び終えるとお辞儀をし、店の奥へ消えて行った。
「む! 確かにこれは美味しいな!」
コーヒーを一口飲んだダーシャが声をあげた。
「初めて飲む味だわ」
「独特の甘みがありますね」
ハナとリリにも好評なようだった。
その様子を嬉しそうに眺めながら、コピが再び姿を現した。彼女の手には小さな皮袋が握られている。
「今回の依頼の報酬なんですが、家中かき集めてこれが限界でした。何とかこれで受けて頂けないでしょうか」
皮袋がジャラリと音を立ててテーブルに置かれる。ウォリーが中身を取り出すと、硬貨が何枚か出てきた。
それを見て真っ先に声を出したのはハナだった。
「ちょっと待ってよ、少な過ぎるわ! こんな額で受けられる依頼なんて低ランクダンジョンの薬草集めくらいなものよ!」
「うっ、すみません……」
「こらハナ、そんなきつい言い方はないだろ。ここの店は泥棒に入られたと事前にウォリーから聞いていたじゃないか」
ダーシャがハナを睨んだ。
「そうですよ! 可哀想じゃないですか、助けてあげましょうよ」
リリもダーシャに続いて言い始める。
「可哀想だったら何でもしてあげていいなんて理由にはならないわ。私達は危険なモンスターと戦って命を懸けるのよ。それなりの報酬はしっかり貰わないと」
「おい、そう言うお前はウォリーの親切でパーティに入れてもらったのを忘れたか! どの口が言う!」
ダーシャとリリが身を乗り出して睨み合う。今にも火花が散りそうだった。
「ちょっと、みんな落ち着いて」
ウォリーが間に入って何とかその場を収めようとする。
「そりゃ私だってウォリーには感謝しているわ。このお店の事も可哀想だと思う。でも、これはパーティの為を思って言っているのよ。あなた達はこの先可哀想な人に会うたびに安い報酬で依頼を受け続けるつもり? そんな事をやり続けたら、あのパーティは破格の値段で依頼を受けるなんて噂が流れ始めるわ。そうなったら、しっかりと報酬を受け取って仕事をしている他の冒険者達に迷惑をかけることになるのよ?」
「ごめんなさい!!!」
突然コピが叫んで硬貨の入った皮袋を取り上げた。
「どうか争わないでください。元々私達が無理を言ったのが悪いんです。巻き込んでしまってすいません。この話は忘れてください」
コピが皮袋を握り締めながら深々と頭を下げた。
しばらくその場が静まり返る。
アロンツォも眉をひそめてその様子を眺めていた。
「ねえコピ、でもお祭りの方はどうするの? このままじゃこの店は……」
ルアクが現れてそう言った。
「仕方ないよ。せっかく立ち上げたお店だけど、もう諦めるしかないかも」
「そんな……」
2人は目を潤ませながら身を寄せ合った。
その様子をハナがじっと見つめて、声をかけた。
「お祭りって、そんなに重要な事?」
「はい。お祭りで優勝出来なければ、多分このお店を閉店する事になります」
「店を、閉める……?」
ハナが目を見開いた。
「お祭りで優勝すれば賞金が貰えるんです。それに、お店の知名度も上がってお客さんも増えると思います。泥棒にお金と貴重な豆を盗られてこのお店の経営は今もギリギリの状態なんです。だから、お祭りで優勝する事が私達の最後の希望だったんです」
「このお店はあなた達2人だけで経営してるの?」
「はい。私達姉妹は孤児院で育ちました。それから2人で働いて、お金を貯めてこの店を始めました」
コピの言葉を聞き、ハナは俯いて考え込み始めた。
「やっぱり何とかしてあげましょうよ」
リリがハナに向かって訴えかける。
ハナはしばらく黙り込んでいたが、やがて大きくため息をついた。
「駄目よ、少なくともさっきの皮袋の中身の3倍は頂かないとね」
ハナがそう言い放つと、コピとルアクは耳をぺたんと寝かせてうなだれた。
「でも……」
ハナはそう言って続けた。
「足りない分はこの店への投資、という事にするのなら受けてもいいわ」
それを聞いて2人はぱっと顔を上げた。
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、その代わりお祭りでは絶対に優勝しなさいよ。あなた達へ出資する以上、店に潰れてもらっちゃ困るんだから」
「はい! ありがとうございます!」
2人はハナに向かって何度も頭を下げた。
「なんだ、ハナも意外といいとこあるじゃないか」
ダーシャがそう言って笑う。
「別に、これはただのビジネスよ。お店が儲かったらちゃんと報酬は貰うんだからね」
ウォリーも安心して胸をなでおろした。
ちょうどその時、店の入り口が開き客が1人入ってきた。
見れば、あのサングラスの女だった。
「いらっしゃいませ〜」
ルアクが出迎えに行く。
先程ハナから良い返事を貰ったせいか、その声は上機嫌だった。
「ご注文はお決まりですか……ん?」
テーブルに座った女の前で、ルアクは首を傾げた。
「あれ? ……くんくん……」
ルアクは自分の鼻をひくひくと動かしている。先程まで上機嫌だった彼女の顔が、どんどん険しくなっていった。
「すいません。あなたの荷物、見せてもらっていいですか?」
「はぁ? なんだい急に」
突然の事にサングラスの女は嫌そうな表情になった。
「いいから見せてください!」
ルアクは強引に女の鞄に手を突っ込んだ。
「ちょっと! 何すんだい!」
やがて、ルアクは鞄の中から何かが詰まった紙袋を取り出した。
「ちょっと! どういうつもりだい! 返しな!」
怒りだす女を無視してルアクは紙袋の中身を確認した。彼女は一瞬驚いた表情をすると、大声でコピに声をかけた。
「コピ! 見てこれ!」
コピが駆け寄って袋の中身を確認すると、彼女はギョッとしてサングラスの女を見つめた。
紙袋の中には大量のコーヒー豆が詰まっていた。
「この香り、間違いない。コフィアフォレだよ」
「まさか、あなたがウチから豆を盗んでたんですか!?」
コピとルアクは2人して女に詰め寄った。
「なんだいあんた達! コーヒー豆持ってたからってそれが盗品とは限らないじゃないかい!」
「だったらどうやってこの豆を手に入れたんですか! このコーヒー豆はモンスターが出る危険地帯でしか採れないものです。そう簡単に手に入るものではありません!」
「あなたの方から豆の香りがしたからおかしいと思ったんです! 私達獣人族は普通の人間よりも嗅覚が発達しているんです」
女は立ち上がると、紙袋をルアクからふんだくった。
「客を泥棒扱いするとは、なんて店だい!」
女はサングラス越しに怒りの表情を浮かべ、速足で店の外へ出て行ってしまった。
「コピ! 追っかけよ!」
「2人とも待ってください!」
ウォリーが慌てて声をかけた。
「豆を持っていたからって、泥棒だという証拠にはならないですよ」
「でも、どう考えてもおかしいですよ! あの人ずっと怪しい雰囲気で毎日店に来てましたし、今まで盗む機会を窺っていたのかも」
「だとしても証拠が無いうちは捕まえることは出来ません」
「うう……」
「盗まれた分の豆は、皆で山に行って採って来ましょうよ。ほら、僕のパーティも協力してくれるって事になったわけですし」
そう言って微笑むウォリーに、2人は渋々頷いた。
「祭りはもうすぐだし、出発するのは早い方がいいですよね? 明日にでも採りに行くって事でいいですか?」
「はい。よろしくお願いします!」
ポセイドンのメンバーの4人は席を立ち上がった。
「じゃあ僕達も準備がありますので、これで」
「はい! 本当に、ありがとうございました!」
コピとルアクは再び深々とお辞儀をした。
すると、ハナが2人に歩み寄って行き財布を取り出した。
「いくら?」
「……はい?」
意味がわからず2人はぽかんと固まった。
「コーヒー代よ、いくら?」
「え、いやいや、お代は結構ですと……」
ハナはペシっと軽めにコピの頭を叩いた。
「ふにゃ!?」
「馬鹿、そういうのは祭りで優勝して儲けてから言いなさい」
その山、ブルアトル山には夜中になると葉が青白く光る不思議な樹木が生えている。その為、夜に山の方角を眺めるとその山だけが青い光を放ち、とても美しい景色を見ることが出来る。
しかし、遠くから眺めている分には楽しむ事が出来るが、いざその山に近づくとなるとそうはいかない。
山の中は強力かつ凶暴なモンスター達が生息する危険地帯。戦闘力が未熟な者が足を踏み入れればすぐに餌にされてしまうだろう。
今、ポセイドンのメンバー4人と、喫茶店の店員コピはその山に来ている。
目的はこの山に生えているコフィアフォレという木だ。
「みんな! 敵だ!」
ウォリーが叫ぶ。
5人の真上から巨大な虫型のモンスターが飛びかかってきた。
「フレイムカッター!」
ハナがそう唱えると、三日月のような形をした炎の刃がモンスターに向かって飛んで行った。
刃がモンスターの身体を通過する。次の瞬間、モンスターの中心に縦線が浮かび上がったかと思うと、真っ二つに身体が切断された。
「わあ! 凄い!」
コピがハナに拍手を送った。
「どうって事ないわ。虫型モンスターは火属性が弱点。常識よ」
「流石、凄腕の魔法使いと言われるだけはあるな……」
ダーシャも感心した様子でそう言った。
通常、魔法使いが扱える魔法の属性は3種類、多くても4種類というのが一般的だ。しかしハナのスキル『マジックマスター』は全種類の属性の魔法を全て身に付ける事が出来るという効果がある。それにより、敵に応じて属性を使い分けて弱点を突くといった戦法が可能なのだ。
「いい機会だわ。私の凄さをもうちょっと見せてあげようかしら」
周りから褒められ気を良くしたのか、ハナはそんな事を言い出して自分の髪をサラリとかき上げた。
「ダーシャ、あなたのスキルはたしか黒炎だったわね。ちょっとそれで私を攻撃してみなさい」
「な!? 出来るわけないだろう見方を攻撃するなんて」
「私を誰だと思っているのかしら、いいからやってみなさい」
ハナは指をクイクイと動かしてダーシャに催促した。
「どうなっても知らんぞ!」
ダーシャは戸惑いつつも小さな黒炎の火球を作り出し、ハナに向かって飛ばした。
すると、パチュンッと音がなってハナ目の前で火球が消滅してしまった。
「なんだ!? 私の攻撃が消えた」
ダーシャは驚いてハナを凝視した。
「ふふふ、秘密はこれよ」
ハナが人差し指を立てると、そこからシャボン玉が放出された。
それは普通のシャボン玉ではなく、ピカピカと眩しい光を放っていた。
「ダーシャの黒炎ってのは闇属性と火属性の合わせ技。そしてこのシャボン玉は光属性と水属性魔法で作り出したもの。闇の弱点は光、火の弱点は水。よってあなたの黒炎も打ち消す事が出来る」
「ぐぬぬ……」
ダーシャは凄いと思いつつも相手がハナだという事がどうも気に入らず、複雑な表情を浮かべている。
やれやれといった感じでウォリーは困った顔をした。
ハナはプライドが高いうえに褒められたりするとすぐに調子に乗り出す傾向がある。
「みんな、ここは危険地帯だ。なるべく注意を怠らないようにしよう」
ウォリーはハナとダーシャの強さを十分知ってはいたが、念のため声をかけておいた。
「コピさん、そのコーヒー豆ってのはどこら辺に生えているんですか?」
「はい、もう近くに有ると思います」
コピは鼻をひくひくと動かしている。
「もしかして、豆の臭いで探し当てているんですか?」
「そうです。前にも言った通り、獣人族の嗅覚は人間より優れています。私やルアクなら、この広い山の中でも正確に豆の位置を見つけられます」
「なんだ、そんな事ならブレイブも連れて来れば良かったな」
ダーシャが言うと、リリがブンブンと腕を振り回した。
「もうダーシャさん! ブレイブをこんな危険な場所に連れ込むなんて反対ですから!」
「過保護だなぁリリは、元々ダンジョンに居た犬じゃないか」
「あ!」
突然、コピが前方を指差して声をあげた。
「見つけました! あれです!あの木です!」
彼女が示した先には青い実が沢山ついた木が有った。
コピは木に駆け寄ると、せっせとその実を採って袋に入れ始めた。
「なるほど、これがその木ですか。木の幹が青みがかっていて、なんだか綺麗ですね」
「あ! あっちにも有りますよ! これと同じ木じゃないですか!?」
リリが別方向を指差した。
そこに生えている木も、確かにコフィアフォレと同じもののように見えた。
「あれ?」
その木に近づいていったリリが首を傾げた。
「おかしいですね。こっちの木には実がありません」
そう言われてウォリーもその木を見ていた。近くでみると確かにコフィアフォレと同じ木に見えるが、実はひとつも付いていない。
「見て、所々に痕が残ってる。多分僕達以外の誰かが既に採集して行ったんだよ」
「ウォリーさん、こっちの採集は終わりました。次の木を探しましょう!」
コピがそう言って袋を掲げた。
リリとウォリーはコピの元に戻り、再び豆探しを始めた。
それから日が暮れるまで探し回り、山を降りた頃にはコピが持ってきた袋はパンパンに膨れ上がっていた。
「これだけあればお祭りにコーヒーを出せそうです! 皆さん、どうもありがとうございました……うわあっ!」
コピは大きな袋を抱えてお辞儀をしたせいでバランスを崩し、転けそうになる。それをウォリーが慌てて受け止めた。
「おっと、気をつけて……ははは」
コピと始めて会った時もこんな感じだったと思い出し、ウォリーは小さく笑った。
それから数日経った日の夜。
ウォリー達は自宅のリビングに集まっていた。
皆どこか落ち着かない様子だった。
明日はちょうど商店街のお祭りの開催日。
コピとルアクは成功できるだろうかと心配していた。
もう夜遅いが2人はもう寝たのだろうか。それとも明日の為に今も準備をしているのだろうか。ウォリーはそんな事を考えながら2人の事を思っていた。
その時、ウォリーの中にある不安が走った。
「ねえ、ちょっと今からトライキャッツに行ってみない?」
そう言ったウォリーに、他の3人は怪訝そうな顔を向けた。
「今何時だと思っているんだ? とっくに店は閉まっているだろう」
「うん、ただ少し心配なんだ。コピ達のお店は2回も泥棒に入られている。また泥棒が来るという可能性は有ると思うんだ。明日はお祭りだし、何かあったら大変だ。1回様子を見に行った方が良いと思って」
「そうね。私はウォリーに賛成だわ」
そう言ったのはハナだった。
「私達はあの店に出資したんですもの、不安要素は排除しておかないと」
ハナに続き、ダーシャとリリも頷いた。
4人は夜の街に出て、喫茶店を目指して歩き出した。
(どうか無事でありますように)と祈りながら。
しかし、その祈りは叶わなかった。
ウォリー達が店に着くと、閉まっているはずの店の入り口が開いていた。
中に入ると店内は滅茶苦茶に荒らされていた。
ここは2階建てで、1階は喫茶店。2階はコピとルアクの住居がある。
しかし建物のどこを探し回っても、2人の姿は見当たらなかった。
「くそ! もっと早くに来ておけば……」
「とにかく2人を探しましょう!」
焦りながら4人が店を出ようとすると、そこに1人の人物が立っていた。
ウォリー達はその人物に見覚えが有った。
トライキャッツの客の1人、帽子を被り、サングラスをかけた女だった。
「あなた! ここで何してるの!? まさか本当にあなたが泥棒なの!?」
ハナはサングラスの女を睨みつけた。
「そっちこそ、どうしてこんな時間にここ所に居るんだい? あんた達の方が泥棒なんじゃないかい?」
「何ですって!?」
ハナが女に掴みかかりそうになったが、ウォリーがそれを止めた。
「待ってハナ、この人にも何か事情があるみたいだ」
ウォリーはサングラスの女をじっと見つめた。
「泥棒がまた来るんじゃないかと心配になってきたのですが、僕達が来た時には既にこんな状態でした。コピさんとルアクさんの姿も見当たりません。誰かに拐われた可能性が高いです」
ウォリーがコピとルアクの名を口に出した時、女の様子が明らかに変わった。歯を食いしばり、焦りの表情を浮かべている。
「もしかしてあなたも僕達と同じ理由でここに来たのではありませんか? コピさん達を心配して、泥棒を捕まえるために……」
その問いに、女は答えなかった。くるりとウォリー達に背を向け去ろうとする。
「どこへ行くんですか?」
「あの子達を探しに行くんだよ」
「心当たりがあるんですか?」
「どうだろうね……」
その時、リリが前に進み出た。
「あの、家にブレイブっていう犬が居るんです。あの子なら2人の臭いを追跡出来ると思います」
「ふん。今からのこのこ家に帰って犬を連れてまた戻って来るつもりかい? そんな事している間にあの子達に何かあったらどうするんだい」
そう言うと女は着けていた帽子とサングラスを外した。
「あっ!」
ウォリー達は思わず声をあげた。女の頭には猫の耳が生えていた。そして今まで黒いレンズに隠れていた彼女の目は、猫そっくりだった。
「あなたも、獣人族だったんですか」
「獣人族の嗅覚は知ってるんだろ?あたしなら、あの2人を追跡できる」
そう言って再び女は速足で歩き出した。
ウォリー達も彼女の後についていく。
しばらく歩いていくと、街の出入り口に辿り着いた。
「ちっ! もう街を出ちまったかい! おそらく馬車を使っているだろうね」
女は悔しそうにそう言った。
「どうします? この時間じゃ馬車なんて借りれませんよ!」
「仕方ない、あれを使うか!」
女がそう言った直後、風船が膨らむかのように彼女の身体がムクムクと大きくなり始めた。そして彼女の全身から毛が伸び始め、一瞬にして毛むくじゃらに変わっていく。
あっという間に彼女は巨大な大猫の姿に変身した。
ウォリー達は突然の出来事に声も出なかった。
「あたしのスキルは『獣化』。一時的に獣の姿に変わることが出来る。これなら人型の時よりも速く走れるはずさ」
大猫は黄色い目でギロリとウォリー達を見た。
「あんた達もついてくるかい? 人は多いに越したことはないからね」
「ついていくって……どうやって?」
「あたしの背中に乗せてやるよ。ただし、定員は1名だよ。誰が来る?」
すぐにウォリーが進み出た。
「僕は回復魔法が使えます。万が一コピさん達の身に何かあった時の為に、僕に行かせてください!」
「それは頼もしいね。乗りな!」
大猫になって巨大化していた彼女だが、幸いスキルの効果で衣服も一緒に巨大化されているようだった。
ウォリーは彼女の衣服を掴んでよじ登り、背中に乗った。
「ウォリー、気をつけるんだぞ!」
「絶対2人を助けなさいよ!」
「どうかご無事で!」
残されたダーシャ達はそれぞれウォリー声をかけた。
「うん! 行ってくる!」
ウォリーが言った瞬間、大猫は勢いよく駆け出した。
あまりのスピードに、ウォリーは振り落とされそうになるが、彼女の服を必死に掴んで何とか持ちこたえた。
ウォリーは彼女の背中で声をかけた。
「まだ名乗っていませんでした、僕はウォリーといいます。えっと、あなたの事は何とお呼びすれば?」
「あたしの名はシベッタだよ」
「シベッタさん、よろしくお願いします!」
見通しの良い平原の道を彼女は全力で駆けていく。背中にしがみついているウォリーへの衝撃はかなり強かったが、彼はコピ達を助けたいが為に必死で堪えた。
「コピさん達はどうして拐われたのでしょうか?」
「知るかい! ただ、あの男が関わっているのは間違いないね」
「あの男?」
「2人の臭いを追っている時、私の知っている臭いがもう1人分混じっていた。きっとそいつが誘拐犯の正体さ。あんたも知っている男だよ」
「え……」
シベッタとウォリーが共通して知っている男と言われて思い浮かぶのは1人しか居なかった。彼女と同じくトライキャッツの常連の人物。
「アロンツォだ」
ウォリーが思い浮かべた男の名を、シベッタが口にした。
「アロンツォさんが……一体何のために」
「さあね」
話している間にもシベッタはぐんぐんと道を駆け進んでいく。
背中からウォリーに伝わる彼女の動きに、焦りが感じられた。
「シベッタさんはどうしてあの2人を助けようとするんですか?」
「そんなの決まっているだろう? あの2人に居なくなられちゃ、特製のコーヒーが飲めなくなっちまうからね」
「本当にそんな理由ですか?」
ウォリーは少し間を置いてから、言った。
「間違っていたらすいません。これは僕の推測に過ぎませんが、あなたはコピさんとルアクさんの、母親なんじゃないですか?」
シベッタは黙り込んだ。背中に居るウォリーには、今彼女がどんな表情をしているのかわからない。
「コピさん達はあなたを泥棒扱いしましたが、泥棒が盗んだ品を持って犯行現場に戻って来るなんておかしな話です。あのコーヒー豆は、本当はあの2人にプレゼントするために持ってきたものでは無いんですか? あの日の前日、泥棒騒ぎがあった直後にあなたは店を出て行きました。あの後あなたはその足でブルアトル山にコフィアフォレの実を採集しに行ったのではありませんか? 僕達が山に行った時、既に誰かが採集して行った痕跡がありました。獣人族のあなたなら、臭いで木を探し当てる事が出来るはずです」
シベッタは黙ったまま走り続けている。
「すいません。あなたが2人と同じ獣人族だと知って、何となくそうじゃないかな……って思っただけなんです」
「あの子達の父親は酷い奴でね……」
ようやく、シベッタは語り始めた。
「あたしが妊娠したとわかったらすぐに姿を消しちまったんだ。それから生まれてきたのが双子だったんだが、あの時の私に女手一つで2人の子供を育てる余裕は無くてね、仕方なく孤児院に預けたんだよ」
「どうして、コピさん達に打ち明けないんですか?」
「あたしは自分の子供を捨てた女だよ? あの子達の前に出て母親だなんて名乗る資格は無い。それにあの子達も自分を捨てたあたしを恨んでいる事だろう」
「そんなの、話してみなきゃわからないですよ」
「いいかい、あの子達に余計な事言うんじゃないよ。あたしは今のままで十分満足なのさ。あの店の客として、あの子達の姿を見ていられるだけでね。本当ならあの子達と会話する資格だって無いと思ってる。だから店の中じゃ極力何も話さず、ずっとあの子達を見守って来たんだ。これ以上は望むつもりは無いんだよ」
ウォリーが何か言葉をかけようとした時、目の前でシベッタの耳がピンと立った。
「無駄話は終わりだ! 標的が見えたよ!」
ウォリーが顔を上げると、遠くの方に走る馬車の影が見えてきた。
馬車の中にはコピとルアクの他に2人の男が乗っていた。1人は全身黒い服を着てナイフをルアクに突きつけている。そしてもう1人はコピ達の喫茶店の客であるはず男、のアロンツォだった。
コピ達は身体を縄で拘束され、涙を流しながらアロンツォを見上げていた。
「ははは、そんな顔をするなよ。可愛い顔が台無しだ」
「アロンツォさん、どうしてこんな酷いこと……」
コピは震える声で言った。隣ではルアクがナイフを向けられている。彼女の身に何かあったらと気が気ではなかった。
「改めて自己紹介しよう。私は世界を股にかける奴隷商人、アロンツォだ」
そう言ってアロンツォは胸に手を当ててお辞儀をした。
「奴隷……商人?」
「ずっと君達に目をつけていたんだ。獣人族というのはマニアには高値で売れてね、君達は私が今まで見てきた獣人族の中でも格別に美しい。きっとかなりの値段がつくだろう。誇りに思いたまえ」
アロンツォはニヤリと笑いながら、目の前の姉妹を舐めるように見つめた。
「最初は店の金や食材を盗んで経済的に追い込み、奴隷に堕とすつもりだった。それなのに後ちょっとの所で、あのウォリーとかいう男が余計な事を……」
怒りの感情がだんだんとアロンツォの目に浮かんでいく。
「仕方ないから強硬手段に出る事にしたよ。まぁ、私もあのコーヒーがもう飲めないとなると寂しいがね、ははは」
「嫌だ……誰か助けて……ウォリーさん、ハナさん……」
コピは祈るように固く目を閉じた。
「アロンツォ様! あれを!」
突然、黒い服の男が声をあげた。彼は必死に馬車の後方を指差している。
アロンツォがそこへ視線をやると、何かが凄いスピードでこちらに向かってくるのが見えた。
「猫です! デカい! 化け猫だぁ!」
「なんだ!? この辺にモンスターが出るなんて聞いてないぞ!」
アロンツォは目を凝らして見る。
「いや、よく見ろ、上に人が乗ってる。使い魔か? ……ん? あれは、ウォリー!?」
アロンツォの口からウォリーの名を聞いたコピとルアクはハッと顔をあげた。
「助けて! ウォリーさん!!!」
「こら! 大人しくしろ!」
叫ぶコピの首に、黒服の男がナイフを突き当てた。
「おい、馬車の速度を上げろ! このままじゃ追いつかれる!」
「はい!」
黒服の男は両手に魔力を込め、それを馬車を引く2頭の馬に飛ばした。直後、馬車の速度がグンと上昇した。
「ははは! 見たか! どんどん引き離していくぞ!」
目前まで迫っていたウォリー達が、徐々に小さくなっていく。それを眺めながらアロンツォは大声で笑った。
「シベッタさん! 馬車が急に速くなりました!」
ウォリーは焦りながら叫んだ。
「ちっ、ありゃあただの馬車じゃないね。普通馬車があんな速度は出さない。魔法で馬を強化したか、あるいは引いているのは馬ではなく強力な使い魔なのか……どっちにしろこのままじゃ追いつけないよ!」
「何か手は無いんですか!?」
「あったらとっくにやってるよ! さっきから全力で走ってるんだ、これ以上スピードは出ないよ」
そんな事を話している間にも馬車はどんどん遠くへ行く。既に、ウォリー達の目に豆粒程の小ささに映るほど馬車は離れていた。
「このままじゃ逃げられてしまうっ」
ウォリーは唇を噛み締めた。
先程馬車に近づいた時にコピの叫び声が聞こえたのを思い出す。
彼女達は間違いなくあの馬車に居る。
(助けて! ウォリーさん!)
そう聞こえた彼女の叫びが、頭の中で何度も繰り返される。
ウォリーは目を閉じた。
(助けたいっ……コピさんを、ルアクさんを、そしてシベッタさんをっ……!)
≪お助けスキル『加速マン』の取得が可能になりました≫
突然聞こえた声に、ウォリーは顔を上げた。
≪加速マン≫
≪対象に触れ、「加速マン」と唱える事で一時的に対象の素早さを上げる事ができる。取得の為に必要なお助けポイント:80000ポイント ≫
考える必要も無い。ウォリーは迷わずスキル取得を選択した。
シベッタの背中にしがみつきながら、叫ぶ。
「加速マン!」
直後にシベッタが走る速度がグンと上がった。
シベッタ自身は何が起こったのかわからず驚きの声を上げる。
「どうなってんだい!? 身体がやけに軽いよ!」
「魔法でシベッタさんの素早さを上げました」
「そんな事が出来たのかい!? それならさっさとやれば良かったじゃないか」
「すいません。たった今取得したので……」
「ちょっと何言ってるかわかんないけど、恩にきるよ。これならあいつらに追いつけそうだ。振り落とされないようにしっかり掴まってな!」
シベッタがさらに速度を上げた。
消えそうな程遠くに居た馬車が、再び近付いて来る。
シベッタは土を巻き上げどんどんと標的との距離を縮めて行った。
「シベッタさん! もう馬車が目の前です! 横に逸れましょう」
「いいや、このまま真っ直ぐ行くよ」
「ええ!? でもこのままだと馬車に激突してしまいます! あの中にはコピさんやルアクさんが……」
「いいから黙って見てな!」
そう言ってシベッタは高速で馬車に向かって突っ込んで行く。
シベッタの鼻が馬車に当たるかといったところで、彼女は身体を丸めた。
そして次の瞬間、彼女は上空に大きく跳び上がった。
「ははは! 馬にはこんなジャンプは出来まい!」
シベッタはそのまま馬車の上を飛び越え、前方に着地した。
そして少し走って馬車との距離を開けると、くるりと振り向いて進路を塞ぐ形で馬車と向かい合った。
シベッタは身体の毛を一気に逆立たせ、肺いっぱいに空気を吸い込み、叫んだ。
「うちの子に手ぇ出してんじゃないよおおおお!!!!!」
その威圧感は背中に居るウォリーにも伝わった。馬車を引く馬達は恐れをなして揃って立ち止まった。
「おい! どうなってる!? 何で馬が止まるんだ!」
「化け猫がいつのまにか前に来てるんですよ! もうダメです! 逃げましょう!」
黒服の男が真っ先に馬車から飛び出し走り出した。
「おい待て!」
アロンツォも続いて馬車から降りて逃げ出す。
「ウォリー! あたしはアロンツォを追う! あんたはあの子達を頼む!」
「わかりました!」
ウォリーはシベッタの背中から飛び降り、馬車に乗り込んだ。
中には縛られて怯えているコピとルアクが居た。
「コピさん! ルアクさん!」
「ウォリーさん! 来てくれたんですね!」
ウォリーは縄を解いて2人を自由にすると、素早く彼女達を観察した。
見た所、怪我は負っていない。
「よかった……」
ウォリーはそう呟いて、念の為に回復マンを使った。
一方、アロンツォは全力で走って逃げていたが獣化したシベッタの脚力にかなうわけがなく、あっさり捕まってしまった。
「た、頼む、助けてくれ」
爪が剥き出しになった巨大な手に掴まれて、アロンツォは恐怖に震えていた。
「よくもうちの子に酷い事をしてくれたねぇ、さあどうしてやろうか」
目の前で大きな2つの目が彼を睨みつける。
「助けて! 命だけは!! 食べないでくれぇ!」
自分の娘が拐われたのだ、無論彼女は許す気など無かった。
彼女の大きな口がガバッと開き、鋭い牙がアロンツォの前に晒される。
「嫌だ! 助けて! 私は食べても美味くないぞ! いやだああああああ!!!!」
ばくんとシベッタの口が勢いよく閉じられた。
だが、彼女の牙はアロンツォの身体には届いていない。
彼女は噛み付くフリをしてわざと外していた。
食べられると思ったアロンツォは白目を剥いて失神していた。
「ふん、お前みたいな汚い男、誰が食べるもんか」
シベッタはポイっとアロンツォを投げ捨てると、スキルを解除した。
シュルシュルと彼女の身体が縮んで行き、人型の姿に戻る。
「シベッタさん!」
彼女が声のした方向を見ると、ウォリーが駆け寄って来ている所だった。隣にコピとルアクの姿を確認し、彼女はほっと安堵の息を漏らした。
「あれ? あなたはうちのお客さんですよね? どうしてここに……」
「コピさん、この人はシベッタさん。ここまで僕を運んでくれたのは彼女なんです」
ウォリーが言うと、2人は慌ててシベッタに向かって頭を下げた。
「それは、どうもありがとうございました! それから、この前は申し訳ありませんでした。証拠も無いのに泥棒扱いしてしまって……」
「……」
シベッタは黙り込んでいる。どうやら無口なお客さんモードに切り替えたようだった。
「それにしても……」
ルアクがそう呟いてシベッタの頭を見つめた。
「あなたも獣人族だったんですね。帽子を被っていたから、気付きませんでした」
ウォリーはもどかしさを感じた。シベッタの姿を見ても2人は自分達の母親だと気付かない。
そして、思わず声を出してしまった。
「コピさん、ルアクさん、この人はあなた達の――」
「おい小僧!!」
ウォリーが「母親」と言おうとした所でシベッタが怒鳴った。
「余計な事は言うなと言っただろう。言うことを聞かない子は獲って食べちまうよ」
ウォリーの頭に、大猫に丸呑みにされる自分の姿が浮かび、彼は慌てて自分の口を押さえた。
コピ達は無事商店街の祭りで出店する事が出来た。
当然、ウォリー達もその日は客として参加した。
祭りに参加した客達は次々自分達が気に入ったお店に投票していく。コピ達の店も好評で、かなりの人数が票を入れた。
そして祭りの翌日、ウォリー達は4人揃って喫茶店『トライキャッツ』を訪れた。
カラカラと音を鳴らして店の入り口を開ける。
「いらっしゃいませ……あっ、ウォリーさん……」
出迎えたコピはウォリー達を確認すると、暗い顔で俯いた。
少し遅れてやってきたルアクも表情を曇らせている。
しばらく沈黙が続く。2人とも何を言っていいか迷っている様子だった。
昨日行われた祭り。コピ達は優勝を目指していたが、結局その夢は叶わなかった。
票は沢山入ったものの、結果は3位。優勝までは届かなかった。賞金が出るのは優勝者のみで、コピ達が貰ったのは記念品だけだった。
「申し訳ありませんでした!」
2人はウォリー達に向かって頭を下げた。
「せっかく皆さんが協力してくれたのに、優勝出来ませんでした……」
その時、「ふふっ」と笑い声が聞こえた。
「な〜に言ってんの」
笑い声の主、ハナがコピ達に歩み寄った。
「3位でしょ? 店の宣伝としては十分じゃない。それに、泥棒も捕まった訳だし、賠償金も支払われるでしょ」
そう言ってハナは微笑んだ。
「ハナさん……」
「たーだーし」
ハナが人差し指をピンとたてコピ達に突きつける。
「来年は絶対優勝しなさいよ! 私はこの店の出資者なんだから」
2人はしばらく目を丸くして驚いていたが、やがて再び頭を下げた。
「はい! ありがとうございます!」
それから4人はテーブルに案内され、席に着いた。
全員にコーヒーが配られる。
ウォリーはそれを一口飲み、ふと店の1箇所を見つめた。
そこは以前、コピ達を誘拐した犯人のアロンツォが座っていた席だ。
彼は酷い男だった。しかし、ウォリーは彼の言葉の中で唯一共感できるものがあった。
(ここのコーヒーは、絶品だ)
カラカラと入り口が鳴り、新しい客が店内に入ってきた。
「いらっしゃいませ〜……あっ!」
コピが客を見て声をあげた。
入ってきたのはシベッタだった。しかし今回は帽子もサングラスもしていない。
「もう隠す意味も無いからね……」
彼女はそう呟いて席に座った。
「ご注文は……いつもので良いですね?」
コピはそう言ってニコリと笑う。
シベッタは視線をコピから逸らして、小さく頷いた。
ウォリーはその様子を見て複雑な顔をする。やはりウォリーにはシベッタ達の事が気がかりだった。
あの3人が親子に戻る日は来るのだろうか。そう考えながらウォリーは手元のコーヒーを見つめた。
「それにしても……」
ハナが呟いた。
「このお店の名前、ダサいわね」
「こらこら、失礼だろ。本人達の前で」
ダーシャが眉をひそめながら言った。
「私はこのお店に出資してるんだから、店の問題点を指摘するのは当然だわ」
「でも、ちょっと変ですね。何でトライキャッツなんでしょうか? トライって3って意味ですよね。でもここにはコピさんとルアクさんの2人しか居ません」
そんな話をしていると、丁度シベッタにコーヒーの配膳をし終えたばかりのコピが近寄ってきた。
「前にも言った通り、私達は孤児院で育ちました。両親の顔は覚えていません。ただ、母親の事は孤児院の職員の人がよく話してくれました」
コピは窓から見える店の看板を見つめた。
「私の父は私が産まれる前に母を捨ててしまったそうです。私とルアクはずっと一緒に居ますけど、母は独りぼっちです。もし今も独りだったらどうしようって思ってます。私、母に会ってみたい。もしいつの日か会えたら、ここで私とルアクと母の3人でお店をやりたい。そんな願いを込めてこの名前にしました」
コピはそう言って笑うと、厨房の方へ消えていった。
ウォリーはシベッタの方を見る。
彼女は少しの間目を丸くして驚いていたが、やがて鞄からサングラスを取り出し、それをかけて俯いた。
ウォリーはもう彼女達の事は放っておこうと思った。自分が何もしなくても、3人はいずれ真実にたどり着く。そんな気がした。
「ハナ、ありがとう」
ウォリーがそう礼を言ったのは、喫茶店から出て家に帰る途中の事だった。
「何よ? 急に」
「コピさん達の事。ハナがあの依頼を受けるのを許可してくれたおかげで、あの店を助ける事が出来たから」
ウォリーの言葉を、ハナは鼻で笑った。
「私はただお金儲けがしたかっただけよ。あの店に将来性が無かったらとっくに切り捨ててたわ」
「そうかな……」
「何が言いたいのよ?」
ハナは少しムッとした。
「ハナは本気でコピさん達の事を心配していたように見えたんだけど」
「……」
ハナがそわそわとし始める。
目をあちこちに泳がせていたが、やがて大きくため息をついた。
「私もね、両親が居ないの。幼い頃に事故でね……それからはずっと妹と2人っきり。だから、あの子達に自分の姿を重ねてたのかもしれないわね……」
ハナは遠い目をして空を見上げた。
「私にとって、妹は、マロンは最後の家族なの。だから絶対に失いたくない。妹を助ける為なら何だってするわ。何だって……」
その夜。とあるレストランの一室で2人の女が向き合って食事をしていた。
このレストランは個室の席を提供していて、部屋の中にはその2人以外に客は居ない。
「いやぁ〜これが噂に聞くプリンセスクラブか〜」
2人の女のうちの1人、レビヤタンのリーダーであるミリアがそう言って料理を見つめた。
テーブルの上に並べられているのは蟹型のモンスター、プリンセスクラブの刺身だ。
ミリアは刺身の上に塩をパラパラとかけ、そこに果汁を垂らした。透き通った蟹の身を箸ですくい、頬張る。
「美味い! 冒険者の腕を切断してしまうほどの蟹なだけあって、身がしっかりと引き締まっている。それに噛めば噛む程甘みが出てきて、塩との相性も抜群だ」
ミリアは嬉しそうに口を動かしている。
「ほらほら、君も遠慮せずに食べなよ〜」
もう1人の女は、ミリアとは対照的に険しい表情をしている。
そこに居たのはレビヤタンを抜けてポセイドンに移ったはずの人物、ハナだった。
「それにしても、上手くウォリーのパーティに忍び込めたみたいだね、さすがはハナちゃん!」
「約束は守ってくれるんでしょうね?」
「安心してよ〜。君がポセイドンにいる間はマロンちゃんの治療費は援助してあげるし、事が終わったらまたレビヤタンに戻してあげるって」
ミリアはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「でも、あんなに殴る事無かったんじゃないの? 痛かったんだけど……」
「も〜わかってないな〜、君は1回ダーシャやリリとギルドで揉めてるじゃないか。そんな奴がすんなりポセイドンに入れるわけないだろう?」
ミリアはもう1枚刺身をすくって口に放り込んだ。
「だけどね、私はウォリーの性格を熟知している。顔が傷だらけのかわいそ〜な女の子に頼まれたら、つい助けてしまう。それがウォリーという男なんだよ」
楽しそうに語るミリアを、不機嫌そうにハナは見つめた。
「それに私はね、君に妹の病気の事や、私が君を脅している事、包み隠さず話すように指示した。人を騙す時のコツはね、正直である事なのさ。変に隠し事をすれば疑われる隙を作るだけだ」
パンッと音を立ててミリアは手を叩いた。
「さて、ここで今一度、確認しておきたいんだけど、君はポセイドンに潜入して何をすべきか理解しているかな?」
「ええ」とハナは頷き、少し間を置いた。
「ウォリー達にバレないように彼達を妨害し、Aランク昇格を阻止する事……でしょ?」