人助けをしたらパーティを追放された男は、人助けをして成り上がる。

「ジャック! ジャック!!」

 先ほどから何度も身体を揺らしたり頰を叩いたりを繰り返すが、彼の目は開かない。

「うそだろ……」

 ウォリーは目の前で起こっている状況が理解できなかった。
 この場所でミリアと別れてから、周囲の冒険者達に応援を頼んで再びここへ戻ってきた。
 そこで彼が目にしたのは、変わり果てたジャックの姿だった。

「ジャック……起きてくれ、ジャック……」

 ウォリーは自身の腕の中でぐったりとなっているジャックに何度も呼びかける。しかし何度彼の名を呼んでも目覚めない事はウォリーが1番良くわかっていた。
 手から伝わるジャックの冷たい体温。
 死の感触だ。
 既に回復マンで傷は治癒した。血も止まっている。しかしもう彼は動き出す事は無い。ジャックは死んでしまったのだ。

「ミリア……?」

 ウォリーは周囲を見回す。どこを見てもミリアの姿は無かった。
 ウォリーは彼女を信じジャックを委ねてここを去った。本当なら彼女が用意したポーションでジャックは復活している筈だった。
 しかし再びここに戻ってきたら彼女の姿は無く、代わりにジャックの死体だけが転がっていた。

「おい、ジャックの事は残念だが今はクラーケンドラゴンを何とかしねえと」

 側にいた冒険者が言う。彼達はウォリーが連れてきた応援だ。
 ジャックは冒険者達の中でも名の知れた人物だ。彼の死に応援の冒険者達も衝撃を受けていた。

 ウォリーはゆっくりと立ち上がり、冒険者達を連れて再び歩き出した。
 今は緊急事態。いつまでもここに座っていても仕方がない。もうジャックは助からないのだから。



 その後、集まった冒険者達の集中攻撃により、クラーケンドラゴンはどんどん元の進行ルートから外れて行った。
 強力な触手攻撃で何人もの冒険者が負傷し、その度にウォリーが回復を行った。
 激しい戦闘は日没まで続いた。

 そして空が完全に暗くなった頃、ようやくクラーケンドラゴンをダンジョンへ追い返す事に成功した。

「皆さん、強敵ではありましたが奴の撃退に成功しました。ご協力感謝します!」

 ヘトヘトに座り込む冒険者達にそう声をかけたのはミリアだった。

「しかし、ジャックの事は残念でした。我々はとても有能な冒険者を失ってしまいました。全ては我々レビヤタンの力不足によるものです。申し訳ない!」

 ミリアは悲しそうな表情で深々と頭を下げた。

(違う……違うっ……)

 ウォリーは彼女の言葉を聞いて心の中で叫んだ。

(ジャックは助かってた。救えたはずの命なんだ! あの時僕が回復していれば……)

 ジャックの犠牲に、その場に居る冒険者は皆俯いている。だが、ウォリーだけはミリアをずっと見つめ続けていた。

 やがて現地解散となり冒険者達は1人また1人とその場を去り始める。

「ウォリー、私達もそろそろ帰ろう」
「ごめん、2人は先に帰ってて」

 ダーシャ達にそう言い残すとウォリーは駆け出した。
 何が起こったのか、はっきりさせなければならない。彼は必死に彼女の跡を追った。

「ミリア!」

 1人夜道を歩く彼女の背に向かってウォリーは叫んだ。
 ミリアはその場で立ち止まる。だが、振り向く様子はない。

「どういう事なの? 何でジャックがあんな事に……」
「……」

 ミリアからの返事は無い。ウォリーは彼女の肩を掴んで強引に振り向かせた。

「ポーションで回復出来るって言ったじゃないか! 何で、何でジャックが……」

 そこまで言ってウォリーは固まった。目の前にあるミリアの表情は、笑顔だった。

「いや〜残念だったねっ、でも君としては嬉しいんじゃない? 彼はさんざん君をいじめていたからねぇ」
「ミリア……何言ってるんだよ? 人が死んだんだよ? 何でそんなヘラヘラしていられるんだ」
「ウォリー、君という人は相変わらずお人好しだねえ。彼は君を追放した男だよ? そんな奴がどうなろうが放っておけばいいじゃん」

 嘲笑うような笑みを浮かべるミリアに、ウォリーは言葉を失った。

「そもそもあいつが君を追放した理由が、“人助けをするから“だったじゃないか。それなのに最後の最後で自分が助けられる事を望み出した。よりにもよって自分が追放した君相手にだ。全く無様ったらありゃあしない。私も流石に見ていられなくなってねぇ〜」

 ミリアは両手の平を上に向けてやれやれといったポーズをしてみせる。

「これ以上醜態を見せる事が無いように君を追い払ったんだよ。ジャックには私に感謝をして欲しいねぇ〜。私のお陰で君に命を救われるという恥を晒さずに華々しく死ねたんだからね〜」

 ウォリーは全身の力が抜けたようにその場に膝をつく。

「嘘だろ……? ミリアが、そんな事するなんて……」

 現実を受け入れるのを拒否するかのように彼は何度も頭を左右に振った。
 そんなウォリーを愉快そうに見ながらミリアは続けて言う。

「すぐ目の前に助けられたはずの人がいたのにねぇ〜。私の制止を振り切ってでも彼を回復していれば助けられたのにねぇ〜。あと一歩。あと一歩の所で判断を誤っちゃった〜。惜しいっ!」

 ミリアはしゃがみこむと青ざめているウォリーの顔を覗き込んだ。

「ねえどんな気持ち? 今どんな気持ち?」

 信頼していた筈のミリアの口から浴びさせられる言葉の数々に、ウォリーの頭はぐちゃぐちゃになっていく。様々な感情が押し寄せ、気がつけば涙が溢れていた。

「あれぇ〜? 泣いちゃうんだ。いいね! いい顔してる!」

 ウォリーと対照的にミリアはどんどんご機嫌になっていく。

「ジャックが余計な事したせいで討伐に失敗しちゃってさぁ〜。正直ずっとイライラしてたんだよね〜。でも、最後に君のそんな顔が見られてよかったよ」

 ウォリーはその場でうずくまった。目の前がチカチカと光り、吐き気が襲ってくる。

「この際だからもう1つショッキングな事教えちゃおっかな〜。レビヤタンで君の後に入ったヒーラー居るでしょ? ゲリー君っていうんだけどね。そもそも彼がレビヤタンに入る事になったからジャックは君の追放を決めた訳なんだけども……」

 ミリアはそう言うとウォリーの耳元に顔を寄せた。

「ゲリーをジャックに紹介して君を追い出すように勧めたのは……私だよっ」

 ウォリーは目を見開いてミリアを見た。

「な、何で……?」

 驚くウォリーの顔を見てミリアは愉快そうに笑い出した。
 しばらく笑い声を上げた後、ウォリーに冷たい視線を向ける。

「目障りなんだよ、お前」

 彼女がそう言って冷ややかな顔になったのは一瞬で、すぐに元の笑顔に戻る。

「っとゆーわけで、バ〜イバ〜イ!」

 ミリアは手をヒラヒラと振りながら、踊るようにその場を去って行った。

 1人その場に残されたウォリーは、地面の上で丸まったまま泣き続ける事しか出来なかった。
「おはよう……」

 窓から差し込む朝日に目を細めながら、ウォリーはキッチンに立つダーシャに挨拶をした。
 テーブルには既にいくつかの料理が並べられている。

「おはようウォリー。昨日は大変だったな、体調はどうだ?」
「うん、寝たら十分回復したよ……」

 そう言ってウォリーは薄っすらと笑う。
 だが、それが無理矢理作った笑顔だとダーシャは気付いていた。
 彼の目は腫れ、隈も出来ている。ろくに睡眠も取れていないのだろう。

「皆さん、おはようございます!」

 リリがブレイブを連れて現れた。

「うわぁ! 今日の朝食は豪華ですね!」

 リリは並べられた朝食を見て目を輝かせる。

「そうだね……」

 そう言って頷いたウォリーを見て、リリは表情を曇らせた。
 テーブルに並べられているのはどれもウォリーの好物だ。今日の献立はダーシャが彼の為に作ったであろう事が一目でわかる。
 本当なら1番喜ぶべきなのはウォリーのはずなのだが、本人は明らかに落ち込んでいる。
 その異変を察知したリリは黙り込んでしまった。


「いただきます」

 3人はテーブルにつき、食事を始める。
 1番食べっぷりが良いのはブレイブだ。リリの足元で皿に顔を突っ込みドックフードをガツガツと食べている。
 逆にウォリーの食べる勢いは目に見えて落ちている。
 ゆっくりと食べ物を口に運んではしばらく手を止め、ため息をつく。そしてまたゆっくりと食べ始める……それを繰り返していた。

「今日は仕事はやめた方がいいな」

 ダーシャが険しい顔で言った。

「え、どこか調子が悪いの?」

 そう言うウォリーにダーシャが苛ついた表情を見せた。

「調子が悪いのは君だ、ウォリー」
「え? 僕は別に……」
「誤魔化せているとでも思っているのか? 今にも死にそうな顔をしているじゃないか」

 ダーシャがキツい口調で言うと、ウォリーは俯いてしまった。

「すまない、怒っている訳じゃないんだ。ただ体調が良くないなら良くないと言って欲しい。どうして空元気を出そうとするんだ」
「私もそう思います。ウォリーさんはよく休んだ方がいいです」
「何があったのか無理に聞くつもりは無いがな、そんな状態ではまともにダンジョンを攻略出来ないだろう。君にもしもの事があったら……」

 悲しそうな表情を向けるダーシャを見て、ウォリーは軽く頭を下げた。

「ごめん、心配かけて。じゃあ今日は休みにしよう……」


 その後、食事を済ませたウォリーは自分の部屋に戻って行った。
 彼の居なくなったテーブルで、リリとダーシャは深刻な表情で向き合う。

「ウォリーは明らかにおかしい。昨日、クラーケンドラゴンを撃退した後からだ」
「はい。あの時私達だけ先に帰るように言って、ウォリーさんはどこかに走って行ってしまいましたよね? あの後何かあったんじゃ……」

 2人は昨夜の事を思い出す。
 あの後ダーシャ達が家に着いてからかなり時間が経って、ウォリーが帰って来た。
 彼の顔は真っ青になり、明らかに様子がおかしかった。目に残った涙の跡から、彼が泣いていた事が推察出来た。
 2人は何度か彼に声をかけたが、力無い返事をされるだけでとても会話ができる状態では無かった。

「実は昨日、聞いてしまったんです」

 リリがテーブルに身を乗り出して言った。

「本当に小さな声でしたけど、ぼそっと、『ミリア』って呟いていました」

 それを聞きダーシャは目を丸くした。

「ミリアとはウォリーの幼馴染だったな。彼女が何か関係しているのか?」
「あの時ウォリーさんが走って行ったのは、ミリアさんを追いかけていたのではないでしょうか」
「ミリアと言えば、ジャックをポーションで助けるとか言ってなかったか? だが結果的にジャックは死んでしまった」
「ええ、あれは私も不思議に思いましたが……もしかしてジャックさんの死にショックを受けて落ち込んでいるのでしょうか」

 ダーシャは腕を組んでうーんと声をあげた。

「しかしあの男、さんざんウォリーの悪口を言っていたではないか。ウォリーを追放したのも彼なのだろう? あそこまで落ち込むような事だろうか?」
「ほら、ウォリーさんって優しいですから。例え酷い事をした相手でもかつて同じパーティを組んでいた人が亡くなってしまったらそれなりにショックを受けるのでは」
「しかしな……どうもあの落ち込みようはそれだけでは無いような気がするんだ。これは私の勘に過ぎないが……」

 それから、長い沈黙が続いた。
 2人は首をひねりながらテーブルを見つめ、深く考え込んでいる。
 そんな中、突然リリが「あっ」と声をあげた。

「もしかして……失恋?」

 リリの言葉にダーシャもハッとした表情になる。

「あの後ウォリーさんはミリアさんに会いに行き、そこで彼女に振られたとか」
「そう言えばウォリーは随分彼女を慕っていた様子だったな。もしそういう事なら、あれだけ落ち込むのも解らないではない」
「でもどうします? 何とかしてウォリーさんを元気付けないと」
「こういう事は時間が解決してくれると聞いた事があるが」
「でも、流石にあのまま放っておくというのも……」
「そうは言ってもな……」

 ダーシャは眉間に皺を寄せて唸る。
 リリは身体を前のめりにして、ダーシャに顔を近づけた。

「2人でウォリーさんを励ましましょう!」
「そんなの、一体どうやって」
「ちょうどここに女性が2人居ます。私達でミリアさんの事を忘れさせてやりましょう! 名付けて、ウォリーさんハーレム作戦!」
 日が落ち、窓の外はすっかり暗くなった。
 その日ウォリーは殆ど自分の部屋にこもりっきりだった。
 出てくるのは食事時だけ。その時でさえ彼の口数は少なく、周囲に陰鬱な空気を漂わせていた。

「リ、リリ、本当にやるのか?流石にこれは……」
「怖気付きましたか?でしたら私1人で行きます。これもウォリーさんを元気付ける為です」
「い、いや、私だってウォリーが元気になるなら何だってやるつもりだが、本当にこんな事で効果があるのか?」

 リリとダーシャは気配を殺しながら廊下を歩いている。
 彼女らは浴室の前で立ち止まり中の様子を慎重に窺う。

「行きますよ!」

 リリが扉に手をかけた。

「ああ、もうどうにでもなれだ」

 扉が勢いよく開かれ、2人は室内に飛び込んでいく。
 ちょうど入浴中だったウォリーはギョッと目を見開いて跳び上がった。

「な!何だよ2人ともっ!」

 突然の侵入者にウォリーは背中を向けて叫び声をあげた。
 ダーシャとリリはタオルで身体を覆ってはいるものの、その下は裸だった。

「実はウォリーさんのお背中をお流ししようと思いまして」
「ひ、日頃世話になっているからな、その、お、お礼だ」
「い、いや、いいって!そんな事して貰わなくてもっ」

 ウォリーはなるべく2人の姿を見ないようにしながらブンブンと手を振り回した。

「遠慮しないでください。どうもウォリーさんはお疲れの様子ですから」

 2人はジリジリと接近していく。ウォリーは顔を赤くしながら必死に目を逸らしていた。

「もう!大丈夫だって!」

 とうとう耐え切れなくなったウォリーは2人を押し退けて浴室から走り去って行った。

「……逃げられてしまいました」
「やはりいきなりこういうのは駄目だろう。最初から飛ばしすぎだ」
「いえ、まだ手はあります。次こそ成功させましょう」
「ま、まだやるのか……?」

 ダーシャは苦笑した。

「私だって、助けられてばかりは嫌です。ウォリーさんの為に、少しでも力になりたい」
「しかし、やはり私達には荷が重いような気がするんだ。ミリアとウォリーは長い付き合いなんだろう?私達があれこれした所でそう簡単に気持ちを切り替えられるとは思えないのだが……」

 ウォリーを元気付けるために何かしたい。その思いはリリと一緒だった。だがダーシャは彼女の提案にはあまり乗り気ではない。何か自分が見当違いの方向に走っているような気がしていた。



 数時間後。2人は揃ってウォリーの部屋をノックした。
 ガチャリと扉が開かれる。先程の事もあってか、ウォリーの顔はどこか怯えている様子だった。

「お邪魔します!」
「え?ちょっと……」

 扉が開かれてすぐ2人は室内に入っていった。

「えっと、どうしたのかな?2人とも」
「たまにはウォリーさんと一緒に寝たいと思いまして」
「え?……」

 ウォリーの顔が引きつった。

「いや……今日は1人で寝るよ……」
「遠慮しないでください」
「あ、安心しろウォリー、変な事はしないから」
「う、うわああああ!!」

 ウォリーは逃げ出そうと部屋の出口に向かって走り出した。

「あ!逃げた!」
「バリアジェイル!」

 リリが防壁でウォリーを囲もうとする。が、ギリギリの所で彼はそれを躱した。

「待て!」
「逃がしませんよ!」

 ドタバタと音を立てて家の中でしばらく追いかけっこが続いた。






「やはりこういうのは緊張するな……」
「ウォリーさん、リラックスしてください」

 あの後結局ウォリーは捕まってしまった。
 今はベッドの中央に寝かされ、右にダーシャ、左にリリと川の字状態になっている。

「ねえ、どうしたの2人共。今日は様子が変だよ」

 ウォリーは顔を赤くしながら左右に視線を振った。
 ベッドは3人では狭く、お互いの体温が感じられる程に詰められている。

「ウォリーには早く元気になって欲しいからな」
「私達が側にいるという事、わかって貰いたいんですよ。失恋はショックでしょうけど私達はウォリーさんの魅力はちゃんとわかってますからね」

「し、失恋?」

 訳がわからないといった様子でウォリーが眉をひそめる。

「ウォリーが元気が無いのは、ミリアと何かあったからなのだろう?」
「え?ああ、いや違うよ!確かにミリアとの事で落ち込んでいたけど、失恋とかじゃない!」
「え?」
「え?」

 ウォリーはミリアとの間に起こった事を2人に話し始めた。ミリアに騙され
 ジャックを救えなかった事、ウォリーがパーティを追放されるようにミリアが裏で動いていた事、順を追って全て説明した。

「あ、あわわ……」

 さっきまでグイグイと押してきていたリリは、顔を手で覆ってしまった。

「私ったらとんでもない勘違いを……」

 彼女は恥ずかしそうに身体をプルプルと震わせている。

「まったく!よく確認もせずに突っ走るからだ。ああ、勘違いとはいえあんな大胆な事をしてしまうなんて……」

 ダーシャも頭を抱えながらもじもじと動いている。

「2人共ごめん。僕がちゃんと説明しなかったから……余計な心配をかけちゃったね」

 ウォリーが左右で悶えている2人に申し訳なさそうに声をかける。

「だが、とんでもない奴だな、そのミリアという女は」

 恥じらいから真っ先に立ち直ったのはダーシャだった。今度はミリアに対する怒りの感情が湧き上がって来ている様だった。

「そうですね。良い人だと思っていたのにまさかそんな酷い事するなんて」

 ダーシャに釣られる様にリリも怒りを込めた声を発した。2人の切り替えの速さにウォリーは苦笑いする。

「ウォリーに対してここまでされて黙っている訳にはいかないな、必ず報いを受けさせてやる!」
「な、何をするつもり?」

 どんどんヒートアップしていくダーシャに、ウォリーは不安そうに言った。

「明日レビヤタンの所へ殴り込みに行ってやる!」
「でも、あまり荒々しくするのは……」
「馬鹿!そうやって泣き寝入りしようとするから相手はつけあがるのだ!」
「そうですよ!このままじゃ私達の気が済みません!」

 左右から2人の熱気が伝わる。もう何を言っても無駄だと思ったのか、ウォリーは黙り込んでしまった。

「とりあえずウォリーはゆっくり休む事だ。もう寝よう」

 そう言ってダーシャは目を閉じた。

「え?このまま寝るの!?」

 リリもダーシャもベッドから出る気配は無い。

「こうなってしまった事は仕方ない。たまにはこういうのも悪くないだろう」

 ダーシャとリリが左右からウォリーの手を握った。

「心配するな。明日、私達が全てカタをつけてきてやる」
「ミリア!!」

 勢いよく酒場の扉が開かれた。
 間を置かずにダーシャとリリが入ってくる。
 2人は怒りが込められた目で店内を見回した。その視線はやがて1箇所に止まる。
 レビヤタンのメンバー、ハナ、ゲリー、そしてミリアがテーブルを囲っていた。
 ダーシャ達はズカズカと大振りの歩みで3人に近づいて行く。

「おや〜、ウォリー君のお友達じゃありませんかぁ〜!」

 ミリアは両手を広げて笑顔で言い放った。

「どうしたの? あれ、今日はウォリーは?」

 その問いにダーシャ達が答える事は無かった。ミリアのすぐ隣に立ち、彼女を睨みつける。

「ウォリーを追放したのはお前だと言うのは本当か?」
「はぁ〜?」

 ミリアは答える代わりに鼻で笑った。
 ダーシャが勢いよくテーブルを叩いた。並べられていた食器がガシャンと一斉に音を立てる。

「答えろ! ウォリーはお前の事を慕っていた。それなのに裏切られた彼の気持ちがわかるか!」
「ちょっと、ちょっとちょっと〜、なになに何なのよ。追放? 裏切った? はて私には何の事だか……」

 ミリアは笑顔を絶やす事なく肩をすくめた。

「ねえ、何なのあんた達。いきなり入ってきて変な言いがかりつけて……」

 ハナがテーブルに肘をつきながら迷惑そうに言った。
 だがダーシャ達はそれを無視してミリアだけを睨み続ける。

「ジャックを見殺しにしたそうだな?」

 ダーシャが言うとハナは驚いてミリアの方を見た。どうやらハナはこの事実を知らないようだった。

「いやいや、何を言ってるのかな? ジャックの事は本当に心痛く思ってるんだよ。私も一生懸命手を尽くしたけど、思っていた以上に傷が深くてね〜」
「高級ポーションで治せると言っていただろう。ウォリーは彼を助けようとしていた。お前を信じてウォリーは彼の治癒を託したんだ」
「さぁ? 何の事だか……私は知りましぇんね〜」

 そう言ってミリアは笑うと、手元の酒を一口飲んだ。

「いい加減にしてください!ウォリーさんはあの日からずっと落ち込んでいるんですよ!?」

 リリもたまらなくなってミリアを怒鳴りつけた。

「この事はギルドに報告してやるからな。お前のやった事はジャックを殺したも同じ事だ。だが、その前にウォリーに謝れ。彼の前で手をついて謝罪しろ!」

 ダーシャがそう言ってもミリアは余裕の表情を見せている。
 皿の中のナッツを数個取ると、それを口に放り投げて愉快そうにポリポリと食べ始めた。

「ん、どーぞ」
「何?」
「ギルドに言いたいなら言えばいいよ。でもジャックを殺したのは私じゃない。彼を殺したのはクラーケンドラゴンさ。私は彼に傷ひとつつけてないんだよ?」
「そんなのは屁理屈だ」
「仮にだよ、百歩譲って君の言ってる事が事実だったとしよう。私がジャックを意図的に回復しなかったとしても罪にはならないよ」

 ミリアは立ち上がり、ダーシャの目の前に不敵な笑みを近づけた。

「モンスターの攻撃を受けたのはジャック自身のミスだ。それを助けるかどうかは現場にいる人間が判断する事さ。よく言うでしょ? 溺れている人を見ても助けるなって。パニックになった人に掴まれて自分も一緒に溺れる危険がある。助ける事がいつも正しいとは限らないんだよ」
「だが、あの時はジャックを助ける余裕が十分あった筈だ! ウォリーならば彼を……」
「だからさぁ〜、それは君が勝手に言ってる事でしょ〜?」
「貴様ぁ!」

 怒りが頂点に達したダーシャがミリアに殴りかかった。
 しかしミリアは飛んできた拳をひょいとかわすと、逆にダーシャのみぞおちに拳を打ち込んだ。

「かぁっ……はっ……」

 ダーシャニが胸を押さえてその場にうずくまった。

「そんな鈍いパンチで私が倒せるか、おらっ! おらっ!」

 ミリアは笑いながら足元にあるダーシャの頭を何度も踏みつけた。

「やめてぇ!」

 リリがすぐに防壁を出してダーシャを守る。
 ダーシャを抱きかかえると頭からポタポタと血が滴り落ちた。

「何てことするんですか!」
「何てことするんですか!」

 ミリアはリリの言葉をオウム返ししてみせる。

「先に手を出してきたのはそっちでしょ〜」

 ミリアは笑いながら再び席について酒を飲み始めた。

「おい、あんたら店で揉め事を起こすんじゃない!」

 騒ぎに駆けつけた店員がダーシャ達を外に追い出そうとする。
 ダーシャは額を押さえながらゆっくりと立ち上がった。

「私は魔人族だ。この国に来て周りから不気味がられたり、侮辱するような態度を取られた事は何度もある……」

 ダーシャは息を荒げながら、ミリアを睨む。隣では彼女が倒れないようにリリが支えていた。

「だが今日ほどの屈辱を感じたのは初めてだ! お前は私の仲間を裏切り、傷つけた! これ以上悔しい事は無い!」
「おい、さっさと出て行ってくれ!」

 店員がダーシャを店の外に押し出そうとするが、その手をダーシャは払いのけた。

「お前にはいつか必ず報いを受けさせてやる! 覚悟しておけ!」

 そう言い放つと、ダーシャ達は店を去っていった。

 店内はしばらく静まりかえっていたが、だんだんと元の活気が戻ってくる。
 ミリアも何事もなかったかのように酒を飲み始めた。
 その中でハナだけは、真剣な顔つきでミリアを見つめていた。
「お待たせしました」

 テーブルに追加で頼んだ料理や酒が運ばれてくる。

「いや〜さっきは悪かったね。はいこれ迷惑料」

 ミリアは料理を運んできた店員に金を握らせた。

「流石にAランクパーティともなると周りから妬まれる事も多くてね〜。いちゃもんをつけてくる奴がたまに居るんだよ」

 ミリアから金を受け取った店員は機嫌良さそうに笑顔を浮かべて厨房に戻っていった。
 数分前にダーシャ達との揉め事で一時的には静まりかえっていた酒場だが、今はそんな事があったとは感じさせないほどに店の中は賑やかで、あちこちで客が酒を片手に笑い声を飛ばしている。

「ミリア、どういう事?」

 ハナはミリアの方に身体を寄せて囁きかけるように言った。

「さっきあいつらが言ってた、ジャックを見殺しにしたって本当なの?」

 ミリアは数秒きょとんとした顔で固まった後、軽く笑った。

「そんなのあの2人のでまかせに決まってるでしょ」
「でも彼女達の怒り方は普通じゃなかった。本気で言ってるようにしか……」

 ミリアが溜息をつく。

「あのね〜、私はハナちゃんにクラーケンドラゴンの誘導をさせてジャックから引き離したじゃない。それこそ、ジャックを助けようと思っての行為でしょ。私が彼の元に駆けつけた時には既に息を引き取っていたんだよ」
「じゃあウォリーが嘘をついてるって事? 一体何のために」
「さあね〜、彼も何を考えてんだか」

 ハナは未だに納得できないといった表情でミリアを見つめる。

「私はウォリーの事が嫌いだった。あの気持ち悪いほどお人好しな性格は鬱陶しくて仕方がなかったわ。ただ、ミリアには1番心を開いていたって事はわかる。そんなあいつがミリアを貶めるような嘘をつくとは思えないんだけど」

 一瞬、ミリアの顔から笑顔が消えた。舌打ちをしたような気もするが、周囲の騒音のせいではっきりと聞こえた訳ではなかった。

「なんだよ君は、さんざんウォリーを馬鹿にしてた癖に今さらあっちに味方するつもり?」
「そういうわけじゃない。ただ、違和感を感じているだけで……」
「そんな事より、ジャックがいなくなったんだから次のリーダーを決めましょ。今日は今後のパーティの方針を決めるために集まったんだ」

 ミリアは椅子の背もたれに寄りかかって笑みを浮かべた。

「次のリーダーは、私がやる事に決めた」
「え!? 勝手に何決めてるのよ!」

 ハナが思わず身を乗り出した。
 レビヤタンを立ち上げたのはジャックで、その後にハナ、そして次にウォリーとミリアが同時に加入していた。つまりレビヤタンとしての経歴はハナの方が長いという事になる。

「こういう事はよく話し合ってから……」
「決定事項だよ」

 反論しようとするハナの言葉を遮るようにミリアは言い放った。

「元はと言えばジャックが勝手な行動をするからだ。あいつはすぐ調子に乗るからねぇ〜。私の指示通り動いていれば死ぬ事は無かったし、Sランクに近づけていたんだ。的確な指示を出す事に関しては私の方が長けている。もっと早いうちから私をリーダーにするべきだったんだよ」
「ちょっと、犠牲になった仲間にそんな言い方……ねえ、ゲリーはどう思うの?」

 ハナは、先程から我関せずといった感じで料理を口にしていたゲリーに顔を向ける。

「俺はミリアがリーダーになるべきだと思うぜ」

 彼は間を置かずに即答した。

「なっ……!?」

 直後、ミリアの高笑いが聞こえる。

「ああ、ゲリーをレビヤタンに誘ったのは実は私なんだよね。私がジャックに紹介したの。つまり彼は最初から私側の人間なんだよ」
「すまんなハナ、ミリアのお陰で俺はこの有名なレビヤタンの肩書きを手に入れられたんでな」
「これで2対1だ。もう決まったも同然だと思うけどねぇ〜?」

 ハナは驚いた。ミリアとゲリーが知り合いだったなんて今まで一度も聞かされなかった。ウォリーを追放したあの日、ジャックは縁があったとしか言わなかったが、その縁を作っていたのはミリアだったのだ。
 ハナは先程のダーシャの言葉を思い出す。彼女はミリアがウォリーを追放したと言っていた。あれは本当だったのだ。だとすると、ジャックを見殺しにしたという話も嘘だと決めつける訳にはいかない。ミリアに対する疑念はさらに深まった。

「私は認めないわ。そう簡単にあなたがリーダーだなんて……」
「ハナちゃぁ〜ん」

 ミリアはハナの肩に腕をまわし、耳元で小声で囁き始めた。

「ここは私に従っておきなさいよ、マロンちゃんの為にも」

 マロン。その名前を聞いてハナは血の気が引いた。こめかみから汗がぽつぽつと噴き出してくる。

「なんで、マロンの事を……」
「随分重い病気だそうじゃない? もう先は長くないとか。いいお姉ちゃんだね〜泣けてきちゃうよ」

 マロンとはハナの妹だ。重い病にかかり、医者からは余命1年も無いと言われている。それでもハナは彼女を助けるため有効な治療法を探していた。延命のため、有名な医者を訪ねては最高級の治療を妹に施していた。

「今レビヤタンを追放されたらまずい事になるでしょ? 君、妹の延命のためにかなりの金額を医療費に注ぎ込んでいるみたいだね〜。レビヤタンは国から支援金を貰ってるから、それで今までは何とかなってるんだろうけど、パーティを抜けたら支援金も貰えなくなっちゃう。マロンちゃんの治療費も質を下げなくちゃいけなくなるね。あ〜可哀想なマロンちゃん」
「お、脅すつもり?」
「そんなそんな。ただ、このパーティじゃ君は少数派だ。意見が合わないならあなたを追放するって事もありえる訳でね。私も出来る限りそんな事はしたくないのよ、マロンちゃんの為にねぇ〜」

 ハナの視界の端でニヤリと歪むミリアの口元が見える。
 目を固く閉じ、歯を食いしばりながらハナは顔を伏せた。
「居た、キングゴブリンだ」

 岩の影に隠れながらウォリーが言った。背後のダーシャとリリが頷く。
 彼らの目的はキングゴブリンの討伐。今まさにその標的を見つけた所だが、すぐに飛び込んで行く訳にはいかない。
 キングゴブリンの周囲には武器を持った手下のゴブリンが大勢配置されている。正面から行ったらすぐに囲まれてしまうだろう。

「結構数が多いですね」
「うん、でも1体の強さはそれ程じゃないと思う。リリ、僕にバリアスーツをかけてくれる?」

 リリは頷き、ウォリーにスキルを使った。

「僕がまず先に斬り込むよ。ダーシャは黒炎を飛ばして援護をお願い」
「わかった、気をつけるんだぞ」
「うん、それから弓を持ってるゴブリンが何体か居る。リリの防壁で防いで欲しい」
「分かりました」

 ウォリーの肩にはコウモリがちょこんと乗っていた。丁度このダンジョンで見つけ、調教マンで手懐けたコウモリだ。
 彼はコウモリに指示を出す。すると、コウモリはキングゴブリンの頭上に向かって飛んで行った。
 ゴブリン達の視線が一斉にコウモリに集中する。その隙に、ウォリーは剣を手にゴブリン達の中へ飛び込んでいった。
 まずは1番近くに居たゴブリンを2体素早く斬り伏せる。同時にウォリーの背後から火球が飛び、周囲のゴブリン達を次々と焼いていった。
 大勢いたゴブリン達はあっという間に倒され、キングゴブリンへの道が拓ける。
 キングゴブリンは他のゴブリンよりも身体が大きく、戦闘能力も高い。手下を始末してもまだ安心は出来なかった。
 ウォリーは覚悟を決めて敵の親玉に向かっていく。相手も巨大な剣を手に取り応戦しようと構えた。
 その時、キングゴブリンの視界が真っ暗になった。
 先程飛んでいったコウモリが翼を広げて目の前に覆い被さったのだ。
 キングゴブリンが手で払い除けようとするが、その手がコウモリに届く前にウォリーの剣が腹を貫いた。
 コウモリがその場から飛び立つと同時に、キングゴブリンは腹を押さえて膝をついた。
 直後、無防備になった相手の首にウォリーは剣を振り下ろした。

「これにて依頼達成だな」

 ダーシャがウォリーと、続いてリリとハイタッチをする。
 数日前、ミリアとの件で落ち込んでいたウォリーだったが、今は戦闘を十分にこなせている。
 だが、ダーシャとリリはそれでも引っかかるものがあった。
 ウォリーの顔が常に暗い。明らかに以前のウォリーとは違っていた。
 依頼を達成した今も、その顔に笑顔が浮かぶ事は殆どない。まるでただ感情もなくひたすら仕事をこなすだけの人形を見ているかのようだった。

「ウォリー…」

 キングゴブリンの首をせっせと袋に詰めているウォリーの背中に、ダーシャが声をかけた。

「ん、なに?」

 ダーシャは一呼吸置いてから、ウォリーに言った。

「まだ、ミリアの事で落ち込んでいるのか?」

 袋の口を縛ろうとしていたウォリーの手が止まった。彼の視線が下に落ちる。

「そう見えるかな」
「君の戦闘中の動きはとても良いと思う。だが、何となくかつての活き活きとした感じが無いというか……」
「うん。そうかもしれない」

 ウォリーはあっさりと認め、俯いた。

「何ていうか、冒険者を続ける意味がわからなくなっちゃって……」

 そう言われ、ダーシャは悲しそうな表情を浮かべた。リリも心配そうにそれを見ている。

「僕は、幼い頃は特別冒険者に憧れていたわけじゃなかったんだ。周りからは素質があるとは言われていたけど、僕自身は絶対に冒険者になりたいという思いは無かった。だけどそんな僕が今冒険者をやれているのは、ミリアのお陰だったんだ」

 ウォリーは何かを思い出すように遠くを見た。

「ミリアは当時冒険者になる為に一生懸命に剣の練習をしていた。僕も何度か手合わせした事があったけど、彼女には全く歯が立たなかったよ。そんな彼女がかっこいいって思えて、僕も冒険者になりたいって思ったんだ。レビヤタンを抜けた後も、今も何処かでミリアが頑張っているって。そう思う事が僕のやる気に繋がっていたんだ。ミリアがSランクに上がる為に頑張っているから、僕も同じ場所に行けるように頑張ろうって、そう思っていたのに……」

 ウォリーはダーシャ達に顔を向けた。彼の目からは、涙の跡が一筋出来ていた。

「僕は彼女にとって、邪魔だったみたい」

 そう言うウォリーの口元は笑っていた。笑っていたがそれが喜びによる笑いではない事は明らかだった。
 ダーシャは思わずウォリーを抱きしめた。

「もういい、悪かった。嫌な事を思い出させてしまったな。これから私達と冒険者を続けていくうちにきっと立ち直れるさ」

 そう言うダーシャの腕の中で、ウォリーが小さく呟いた。

「続け、られるかな……」






「ウォリーさん、何とか元気になって欲しいです」

 ダーシャとリリは帰宅した後、2人きりでテーブルを挟んで座っていた。
 ウォリーは既に夕食を済まし自室に入っている。

「そうだな。どうやら私達が思っていた以上にウォリーの中でミリアの存在は大きかったようだ」
「むぅ……やはりあのミリアという人は許せないです。彼女を何とか出来ないでしょうか」

 リリがギュッと拳を握った。
 そんな彼女に、ダーシャが首を横に振る。

「ミリアをどうにかした所で、ウォリーは立ち直れないだろう。例え復讐したとしてもウォリーは喜ばないと思う」
「それはそうかもしれませんけど……」
「ウォリーは今、冒険者としての心の支えを失っているんだ……」

 ダーシャは自分の手を見つめた。

「私はウォリーには何度も助けられた。彼が困っているなら、今度は私が彼を助けたい。そう思っているのは私だけでは無いはずだ」
「ウォリー、今日は3人でちょっと出かけないか?」

 ダーシャがそう切り出したのは3人で朝食をとっている時の事だった。
 ウォリーは食事の手を止め、顔を上げた。

「気分転換にどうかと思ってな」

 リリの方を見るとニコニコと笑顔を向けている。どうやらダーシャとリリは事前に話を合わせていたようである。

「うん、いいよ」

 笑って答えたウォリーだったが、内心は申し訳なく思っていた。ミリアの件で自分が心に傷を負ってから、2人にはずっと心配をかけてしまっているという意識を彼は持っていた。今回ダーシャが気分転換にと言ったのも、ウォリーを気にかけての事なのだろう。自分の事で2人に気を遣わせてしまっている事への罪悪感が、ウォリーをより落ち込ませた。
 このまま周りに迷惑をかけ続けるくらいなら、いっそ冒険者を辞めた方がいいのかもしれない。そんな思いがウォリーの頭をよぎった。

 朝食を済ませてから昼時まで休憩した後、3人は家を出発した。
 ダーシャが先頭に立って進んでいく。彼女にははっきりとした目的地があるようだったが、ウォリーがその場所を尋ねても彼女は明確には答えなかった。

「よし、これに乗ろう」

 ダーシャは馬車の前で立ち止まった。
 彼女は御者に運賃を支払い、馬車に乗り込む。それに続いてリリとウォリーも乗った。
 馬車を使うくらいだから目的地は遠いのだろうか……そんな事を考えながらウォリーはダーシャを見つめていた。

 やがて馬車は森の中へ入って行く。
 そこでウォリーはある事に気がついた。この道には見覚えがある。いつだったか、何かの依頼で通った事のある道だった。

(確かこの先は……)

 ウォリーが自分の記憶を掘り起こしていると、道の脇に立てられた看板が目に入ってきた。
 ウォリーは目を見開いてダーシャを見る。
 彼女は何も言わず微笑みを返した。

 目的地に到着し、3人は馬車を降りた。
 目の前には大きな木製の門があり、その奥には家々が並んでいる。
 その光景にウォリーは懐かしさに包まれる。
 べボーテ村。ウォリーとダーシャが初めて一緒に依頼をこなした場所だ。ここでの依頼がきっかけで、ダーシャとパーティを組むことになった。
 3人が門をくぐり村に足を踏み入れると、直後に歓声が上がった。

「ようこそ! べボーテ村へ!」

 村人達が勢揃いしてウォリー達を出迎えた。村の広場には沢山のテーブルが配置されており、そこには数々の料理が並べられていた。
 その近くでは火が焚かれ、その上で肉が焼かれて芳ばしい香りを放っている。

「皆さん、よく来てくれました。私はこの村の新しい村長のジークです」

 そう言って進み出てきた男は両手でウォリーと握手を交わした。

「今日は何かのお祭りですか? 随分と賑やかですが……」

 ウォリーが尋ねると村人達は笑顔を浮かべながら1箇所を見上げた。
 その視線の先を追うと、大きな横断幕が木と木の間に張られていた。

“ウォリー君を励ます会”

 そう書かれた幕を見てウォリーは唖然とした。

「実は君が落ち込んでいる事を前からここの村人達に相談していたんだ。話をしたら、みんな是非力になりたいと進んで声を上げてくれた」

 ダーシャがそう言うと、ウォリーは困ったように眉を八の字にした。

「そんな、村の人達にご迷惑を……」
「何言ってるんですか!」

 ジークが再びウォリーの手をがっしりと握る。

「皆さんはこの村を救ってくれた恩人です! これくらいの事はさせてください。ウォリーさんが解毒をしてくださらなかったら今頃私は毒にやられてこの世に居ないのですから」

 そのままさあさあとテーブルに案内されたウォリーは、料理の並んだ席に座らせられる。ダーシャとリリもその左右に座った。
 それから次々と村人達がテーブルに着席し始める。
 ジークが立ち上がり、酒を手に掲げて声を張り上げた。

「それでは! ポセイドンの方々、そして、ウォリーさんの今後の活躍を願って、乾杯!」

 ジークに続き村人達が次々と歓声をあげた。
 そして、それぞれ目の前に置かれた料理に手をつけ始めた。
 ものすごい勢いで料理にありつく村人達に、ウォリーが圧倒されていると、側にジークが歩み寄ってきた。

「もう昼時です。お腹も空いている事でしょう。一緒に喜ぶ、一緒に楽しむ、そして一緒に飲み食いする。それが我が村での歓迎の仕方です。どうぞウォリーさんも遠慮せず食べてください。我々も遠慮しませんから」

 ジークはそう言って頭を下げると、自分の席へ戻って食事を楽しみ始めた。

「わあ! このお肉美味しいです!」
「ははは! 嬉しいですな! それは私が山で狩って来た猪です」
「ええ! そうなんですか!?」

 ウォリーの隣でリリと村人が楽しそうに談笑を始めた。それを見てダーシャがくすりと笑う。

「ほら、ウォリーも食べよう」
「うん、でもやっぱりなんか申し訳ないな、僕のためにこんな……」
「皆それだけ君に感謝しているという事さ」

 ウォリーは恥ずかしそうに下を向いた。

「別に特別な事はしていないよ。僕はただ依頼として村を守っただけで」
「本当にそう思うのか?」

 ウォリーはこくりと頷いた。
 ダーシャは食事の手を止め、少し黙った。そして、ウォリーをじっと見つめる。

「ウォリー、正直に言ってくれ。もしかして冒険者を辞めたいと思っていないか?」

 そう言われてウォリーは戸惑いを見せたが、やがて小さく頷いた。

「正直、迷ってる」
「そうか。だが君がはっきりと辞めると決断するのなら私は止めはしない。なんだったら私とリリで養ってやろうか?」

 ダーシャは冗談交じりに言って笑った。

「でも、私は君に冒険者であって欲しいと思っている。ウォリー、君は誰よりも周りの人を助けたいと願っている。君はそういう奴だと私は知っている。私も、リリも、そしてこの村の人達も、みんな君に助けられた人達なんだ」
「僕だけの力じゃないさ、あれは色んな冒険者の人達と協力して……」
「私達が盗賊に捕まった時、皆自分の心配ばかりしていた。だが君だけは違った。君だけは村の人々の事を案じていた。あの時君が牢屋から出る事を諦めていたら、村人は皆死んでいただろう。あの時の君の村人を助けたいという思いが、皆を救ったんだ」

 隣で語るダーシャを言葉を、ウォリーは黙って聞いていた。

「ウォリー、君は冒険者であるべきだ。君が冒険者になったきっかけはミリアかもしれない。でも、それだけじゃないと私は思う。君には、この仕事を通して人を助けたいという願いがあるんじゃないか?」

 楽しそうに笑い、飲み食いする村人達をウォリーはぐるっと見渡した。

「ウォリーお兄さん!」

 突然ウォリーの後から声がかけられた。
 振り返ると、幼い女の子が立っていた。

「ウォリーお兄さん、私を助けてくれてありがとう」

 ウォリーはこの少女を覚えていた。ダーシャを倒すために、盗賊が人質にとった少女だ。それをウォリーが背後から奇襲し、無事に彼女を救い出す事に成功した。

「はい、これプレゼント。早く元気になってね」

 少女は自分で作ったであろう花の冠を、ウォリーの頭に乗せた。
 それから少女は顔を赤くしてもじもじと手を擦り始めた。

「私、大きくなったら……お兄さんのお嫁さんになりたい……」

 そう言ってすぐに少女は恥ずかしそうに走り去ってしまった。
 ウォリーが苦笑いしていると、ダーシャが再び口を開いた。

「人々はなぜ冒険者に依頼をするのだろうな。危険なダンジョン、そこに足を踏み入れるのは誰でも出来る事ではない。それでもそこにある物を求めている人達がいる。そんな人達を助けるのが、冒険者の仕事だと思う」

 ダーシャはそう言ってウォリーの手を握った。

「ウォリー、どうか冒険者であり続けてくれ。君の力を必要としている人達を、これかも助けてあげてくれ。そして今は、私を助けてほしい」
「ダーシャを……?」
「思えば私はすぐ感情的になってしまう所がある。君と初めて会った時もすぐに手が出て君を打ってしまったな。こんな私では、冒険者として上手くやって行くのは難しいだろう。だから私の側にいて、私の事を助けてほしい。これからはミリアの為だけではなく、私達の為に冒険者であってほしい」

 ウォリーは握られた自分の手の上で俯いた。やがて、重なった手に、ポツポツと雫が落ち始める。

「ありがとう……ダーシャ、みんな……。僕は、冒険者を続けたい。この仕事で……人助けがしたい……」

 ウォリーはしばらく顔を上げずにいた。
 ダーシャも、リリも、騒いでいた村人達も、いつの間にか周りは静まり返って彼に優しい視線を向けていた。
 ウォリー達3人が帰宅したのは日が落ちかかっている時刻だった。
 昼はべボーテ村での食事会で食べ過ぎてしまったせいか、夕食時になっても3人ともあまり腹が減らなかった。
 いつもより少なめの食事を済ませリビングで休んでいると、玄関の扉が叩かれた。
 ウォリーが腰を上げて玄関へ向かう。
 この家に訪ねてくる人は滅多に居ない。ギルドからの連絡は殆ど手紙で済まされるし、来訪者に心当たりが無かった。
 ウォリーは珍しがりながら玄関の扉に手をかける。

「えっ!?」

 彼は思わず声をあげてしまった。扉を開けた先に立っていたのは意外な人物だった。

「ハナ! どうしたの!?」

 そこに居たのはレビヤタンのメンバーの1人、ハナだった。しかし、ウォリーが最も驚いたのは彼女の顔だった。ハナの顔は所々腫れ上がっており唇は切れて血が滲んでいる。誰かに殴られたのだと、一目見て分かった。

「ウォリー……助けて……」

 そういってハナはウォリーに歩み寄ろうとするが、足に力が入らないのか前に倒れ込むような動きになってしまう。
 ウォリーは慌てて彼女の肩を支えた。

「ウォリー! 一体何が……って、そいつは!?」

 ウォリーの声を聞いてリリとダーシャが駆けつけて来た。ハナの姿を確認すると、2人も驚きの声を上げる。

「回復マン!」

 ウォリーが唱えると、彼女の顔の傷がみるみる癒えていく。

「とりあえず中で話そう」

 ウォリーはハナに肩を貸しながら、リビングまで歩いて行った。





「一体何があったの?」

 テーブルに腰掛け、ハナと向かい合う形でウォリーは尋ねた。ハナはしばらく俯いたまま黙っていたが、やがて差し出されたお茶を一口飲んでから語り始めた。

「レビヤタンを抜けて来た」

 ハナの言葉に3人とも目を丸くして顔を見合わせた。

「ジャックが死んで、新しいリーダーにミリアがなったの。それから彼女に虐待されるようになって……」
「その事をギルドには?」
「報告はしたわ。でも、ミリアがやったって証拠がないって取り合ってくれなくて。それだけじゃない。ミリアは妹の事で私を脅して来たの」
「妹?」

 ハナに妹がいる事はウォリーにも初耳だった。ウォリーは前のめりになって彼女の話を注意深く聞いた。

「私の妹、マロンは病気なの。医者からは余命宣告を受けていて、ずっと寝たきりでいる。私は妹を何とか治療しようと、今まで高い薬や有名な医者に頼ってきた。冒険者の仕事で得た収入は殆ど妹の治療費に注ぎ込んだわ。それをあいつ、ミリアは調べ上げてたみたいで」

 ハナが肩を震わせながらテーブルの上で拳を握った。

「レビヤタンを抜けたら政府からの支援金が貰えなくなるから、妹の治療費が支払えなくなるって、その弱みに付け込んで私を従わせようとしてきたの。初めは私も彼女の言いなりだったけど、流石に耐え切れなくなって……」
「それで、パーティを抜けたんだね」

 ウォリーが言うと、ハナは黙って頷いた。

「しかし、それでどうして私達を訪ねて来たんだ? まさか回復してもらうだけが目的ではあるまい」
「そうです。あなたは随分とウォリーさんを嫌っていたじゃないですか」

ウォリーの横で話を聞いていたダーシャとリリがそれぞれ言った。
ハナはその問いにすぐには答えなかった。気まずそうに3人から目を逸らしていたが、やがて真っ直ぐとウォリーの方を見つめた。

「ウォリー、あなたにお願いがあるの。私を、あなた達のパーティに入れて欲しい」

 ハナの言葉に3人は驚きの表情を浮かべた。
 彼女はすがるような目でウォリーだけを見つめている。

「どうしてうちに? ハナ程の実力なら他にも入れるパーティはあると思うけど」
「早くAランクに上がりたいの。レビヤタンを抜けて政府からの支援金を受けられなくなった。でも、何とかして妹の治療は続けたい。これから別のパーティに行ってコツコツランク上げしてたら遅いのよ。元レビヤタンの私とウォリーならきっとAランクまで行ける。それが1番の近道だと思ったの」

 ハナはそう言って深々と頭を下げた。

「お願いっ、ウォリー……」

 そのまま彼女は頭を上げないでいる。ウォリーの返答を待っているようだった。
 ウォリーは困った表情でリリとダーシャを交互に見た。

「正直言って嫌だな」

 ダーシャが厳しい表情で言った。

「君はウォリーの事を馬鹿にしていただろう。今さらパーティに入れてくれと言ったってもう遅い!」

 腕を組んだままそう言い放った後、彼女は大きくため息をついた。

「……と、言いたいところだが、ウォリーはこのままお前を見捨てるのを望まないだろう」

 ダーシャは一度ウォリーの方へ視線を向けてから、もう一度ハナを見た。

「さっきのウォリーの反応を見て分かったよ。ウォリーは君を助けてやりたいが、ハナを嫌っている私とリリが納得してくれるか心配だという感じだった。確かに私は君の事が嫌いだが、ウォリーが望むと言うなら私は従おう」

 そう言った後ダーシャはリリの方を見た。リリは軽く頷いて口を開いた。

「私も、はっきり言って彼女を入れるのは気が進みません。でも、ウォリーさんだったらきっとここで見捨てたりはしないと思います。それに、彼女に全く同情していない訳でもありません。先程玄関で傷だらけの彼女の顔を見て、私がアンゲロスにいた頃を思い出しました。もしウォリーさんが彼女を助けたいと言うなら、私はそれを受け入れたいです」

 ハナは顔を上げ、驚いた様子でダーシャとリリを交互に見た。

「ダーシャ、リリ、ありがとう」

 ウォリーはそう言って2人に微笑みかけると、再びハナを見つめた。

「ハナの妹さんの助けになるなら、出来る限り協力はしたい。僕達がAランクにすぐ上がれるという保証は出来ないけど、それでもいいなら僕はハナの頼みを受け入れようと思う」

 ハナの顔に笑顔が浮かんだ。

「ありがとうウォリー」
「おっと、喜ぶのはまだ早いぞ」

 すかさずダーシャが口を出した。
 彼女は厳しい視線をハナに送る。

「君は今までウォリーに酷い事を言って来たんだ。パーティに入ると言うなら、まずは禊を済ませてからだ。この場でウォリーに謝罪して貰おうか」

「僕は気にしてないから」と、ウォリーはつい言いそうになったが、その言葉が出る前に引っ込めた。ダーシャとリリはハナを嫌っているにも関わらず、ウォリーの希望に合わせてくれたのだ。ならばこれ以上口を挟むのはやめようと彼は思った。

 ハナはその場にスッと立ち上がった。
 深呼吸してからじっとウォリーを見つめ、その後大きく身体を曲げて頭を下げた。

「ウォリー、今まで本当に……ごめんなさいっ」

 これにより、ポセイドンに4人目の仲間が加わる事となった。
 小柄な女がその身の丈に不釣り合いな大きな鞄を背負っている。
 鞄はパンパンに膨れ上がっており、中にぎっしりと荷物が詰め込まれている事は容易に想像ができる。
 女は重そうにしながら一歩一歩ゆっくりと商店街を進んでいるが、歩くたびに身体をフラつかせ今にも転げてしまいそうな心許ない動きだった。

「はっ、はわわっ」

 とうとう女はバランスを崩し後ろに大きく倒れ込む。
 だが、彼女が地面に激突する事は無かった。

「大丈夫ですか?」

 ウォリーが後ろで彼女の身体を支えながら言った。
 先程から危なっかしいなと思いながら彼女を眺めていたウォリーだったが、ついに見ていられなくなり助けに向かって今に至る。

「あっ、ありがとうございます……あっ! あああ!!」

 彼女は体勢を立て直してウォリーに向かってぺこりとお辞儀をしたが、そのお辞儀のせいで再びバランスを崩して倒れそうになる。

「ああっ、こんなの一人で持つ量じゃ無いですよ。僕が代わりに持ちますから」

 再び彼女の身体を支えながら、ウォリーはその巨大な鞄を取り外そうとする。

「い、いえ、自分で持てますから」
「持ててなかったじゃないですか」

 戸惑う彼女を押し切ってウォリーは鞄を背負った。

「こう見えて僕は冒険者なんです。ある程度体力はありますから」

 彼女は困った表情をしつつも、やがて小さく頷いた。

「で、では、お願いします……」

 そこでウォリーは彼女の頭部の特徴に気がついた。先程は大きな荷物ばかりに目が行ってしまっていたが、よく見れば彼女の頭には猫の耳が生えていた。
 その耳はピコピコと生き物のように動いていて、仮装ではない事は明らかだった。

「あ、私は獣人族なんです」

 猫耳に釘付けになっているウォリーに気付き、彼女はそう答えた。

「助けて頂いてありがとうございます。私はコピと申します。この商店街の端で喫茶店を経営している者です。これはお店で使う食材でして……」
「僕はウォリーって言います。これくらい気にしないでください。じゃあ、これはお店まで運べばいいですか?」
「はい。お願いします」

 ウォリーが歩き出そうとすると、突然彼の手首をコピが掴んできた。

「すいません、手、このまま繋いだままで行かせてください」
「え?」
「ウォリーさんを疑いたくはありませんが、持ち逃げされると困りますので」
「あ、そういう事ですか……ははは、良いですよ」

 ウォリーは苦笑いしながらも、コピに掴まれたまま喫茶店へ向かって歩き出した。

 コピの案内に従い歩き続け、その喫茶店に到着した。
 店の前には猫の形をした看板が吊るされていて、そこには『トライキャッツ』と書かれていた。
 コピが入り口を開くと、扉の鈴がカラカラと音を立てた。

「いらっしゃいませ〜」

 中から可愛らしい声と共に店員が歩み寄ってくる。
 ウォリーは思わずその店員とコピとに交互に視線を送り見比べた。
 2人の容姿は瓜二つだった。
 店員も猫耳が生えているので、コピと同じ獣人族なのだろう。

「ふふ、私達双子なんです」

 目を丸くするウォリーの隣でコピが笑った。

「あれ? コピ、この人は?」
「あ、さっきそこで会ってね、荷物を運ぶのを手伝ってくれたの」
「ええ!? あ、どうもありがとうございますっ」

 コピそっくりの店員は慌てて頭を下げる。

「いえいえ、僕が勝手に請け負っただけですから」

 ウォリーが荷物を下ろし去ろうとすると、コピが呼び止めた。

「待ってくださいよ! せっかく来たんですからお店に寄って行ってください。荷物運びのお礼にタダでいいですから」

 そう言ってコピはウォリーの手を掴んで店内に引き込んで行った。
 そのまま店の席に座らせられ、メニューを渡される。

「何にしますか? オススメはコーヒーとチーズケーキのセットですっ」

 コピがにっこりと笑顔を浮かべて言った。

「じゃあ、それでお願いします」
「はーい!」

 ウォリーが答えるやいなや明るい声を上げて彼女はトテトテと厨房へ入って行った。
 ウォリーは1度大きく息をついた後、ゆっくりと店内を見回した。
 店内にはウォリーの他にもう1人、若い男の客が居た。彼の服装は見るからに高級そうで、どこか身分の高い家の人だろうかとウォリーは考えた。
 そうしているとウォリーの視線に気付いたのか、男は顔を上げて微笑みを返してきた。

「やあ、ここの客にしては見ない顔だね、もしかして初めてかい?」
「ええ」
「私の名はアロンツォ、この店の常連さ。ここのコーヒーは絶品だよ。きっと君もリピーターになるだろう。となれば今後もよく顔を合わせる事になるかもしれないね、よろしく」
「はい、僕はウォリーと申します。よろしくお願いします」

 アロンツォと名乗った男はとても感じが良く、ウォリーも自然と笑顔になった。

「ふふ、アロンツォさんに続いてウォリーさんも常連になってくれたら嬉しいです」

 そう言いながらコピがコーヒーとケーキを持って現れた。

「ウォリーさん、さっきはすいませんでした。持ち逃げされるかもなんて疑ってしまって」

 そう言いながらコピはテーブルにコーヒーを置いた。

「実は最近うちの店に泥棒が入ったんです。売上を殆ど持っていかれてしまって、ただでさえ客の少ないお店だから困ってるんですよ。それでつい疑い深くなってしまって」
「いえ、大切な荷物ですから、あれくらいの防犯意識は持って当然の事だと思いますよ」

 ウォリーはそう言ってコーヒーを手に取った。
 顔に近づけると、とても良い香りが鼻に入ってくる。
 一口飲んで、ウォリーは目を見開いた。

「……すごい。こんな美味しいコーヒーは初めて飲みました」

 それを聞いて、コピの顔がパッと明るくなる。

「ふふふっ、ありがとうございます。実は特殊な豆を使ってるんですよ」

 その時、カラカラと音が鳴り店の入り口が開かれた。

「いらっしゃいま……あっ」

 さっきまで明るかったコピの顔が曇った。
 ウォリーが不思議に思って店の入り口に目をやると、丁度1人の客が入ってきた所だった。
 その客は40代くらいの女で、帽子を深々と被り、真っ黒な丸いサングラスをかけていた。
 その客は店に入ってすぐに適当な空いてる席を見つけて座った。

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」

 コピにそっくりの店員が寄って行って聞いた。

「いつもの」

 サングラスの女は小さくそう答えただけだった。
 その顔は常に無表情で、不気味だった。

「あの人も一応常連なんですけど」

 コピが小声でウォリーに語りかけた。

「毎回あんな感じなんです。話しかけても殆ど喋ってくれないし、なんか怖いですよね……」

 そう言われ、ウォリーは再び例の女の方を見てみた。しかし、その真っ黒なサングラスの奥の目が合ってしまったような気がして、慌てて顔を逸らした。