やがて梨沙が、信田の背中に回していた手を解き、未桜のほうへと身体を向けた。
「ありがと、店員さん。いろいろ口を出してもらえなかったら、最後まですれ違ったままだったかも。あたしはブチ切れて収拾がつかなくなって、道彦はどんどん縮こまってさ」
「い、いえいえ……私は何も」
 面と向かって感謝されると、ちょっぴり照れてしまう。
 未桜がもじもじと身体をよじっていると、梨沙が「あ、そうだ!」と信田を見上げた。
「ねえ、道彦。あたしたち、今から話し合わなきゃいけないんだよ。あたしの“来世の条件”を何にするかについて」
「梨沙の来世、か。大役すぎて、緊張するな」
「まだそんなこと言ってんの? 彼氏なんだから、ばしっと決めてよ、ばしっと」
 梨沙が自分の言葉に合わせて、信田の背中を思い切り叩く。「いてっ、いててっ」と信田が二度も顔をしかめ、未桜たちは一斉に笑った。
「とか言って、あたしの希望は決まってるんだけどね。道彦が賛成してくれるといいんだけど」
「わっ、どんな来世がいいんですか?」
 恋人の信田を差し置いて、思わず訊いてしまう。梨沙はこちらに顔を向け、片目をつむってみせた。
「あたし──来世では、警察官になりたい」
「け、警察官⁉」
 予想もしていなかった答えに、目を見開く。「ちょっと、そんな顔しないでよ。キャラじゃないって、自分でも分かってんだからさ」と梨沙に苦笑いされ、未桜は「すみません!」と両手で顔をごしごしとこすった。
「カッコいい女刑事になりたいんだ。それで、日本のどこかに埋められてる道彦の遺体を見つけ出す。道彦を殺した奴らを、この手で逮捕してやるの」
「り、梨沙……」
 息を呑んでいる信田のそばで、「ええっ、でも!」とアサくんが跳びはねた。
「今から生まれ変わるわけですから、長篠さまが警察官になるまでは、少なくとも十八年かかるんですよ? 刑事ともなれば、もっとです!」
「別にいいじゃん。殺人事件に時効はないでしょ? もしそのときまでに道彦の事件が解決しちゃってたら、それはそれでいいし」
 梨沙はあっけらかんと言い、ひらひらと片手を振った。
「実はさ、子どもの頃、警察官になりたいと思ってたんだよね。『あんたは無能なんだから』って親に否定されて、諦めちゃったけど。来世ではせめて、そういうカッコいい夢を追っかけてみたいかなぁ、って」
「──いいと思う。すごく、いいと思う」
 信田が力強く頷いた。
「俺は賛成する。梨沙なら、優秀な刑事になれるよ。絶対になれる」
「ほんと? 道彦にそう言ってもらえると嬉しいな」
 梨沙は一瞬はにかんだ表情を見せ、「じゃ、そういうことで!」と未桜に視線を送ってきた。
「ええっと、ではお二人が合意した長篠さまの“来世の条件”は、『カッコいい女刑事になること』でよろしいですか?」
「恥ずかしいなぁ。『刑事になること』だけでいいよ。カッコよくなれるかどうかは、来世のあたしの努力次第ってことで」
「あっ、はい、すみません! かしこまりました!」
 顔から火が出そうになりながら、未桜はカップに残っているカフェラテに指先を向けた。
「お二人とも、お疲れさまでした。こちらを飲み干していただければ、長篠さまの来世に、今決めた条件が反映されます。……ですよね、マスター?」
「そうだよ」
 マスターが首を縦に振り、「どうぞ、ごゆっくり」と梨沙に微笑みかけた。
「せっかくですから、ぜひ、パウンドケーキも最後まで召し上がっていってくださいね」
「もちろんですよ! ほら、道彦も一緒に食べよう?」
「えっ、俺も? いいの?」
「であれば、もう一切れお持ちしますか? さっき追加で焼いたので、まだまだありますよ」
「いいんですか? じゃあ……俺の分も、お願いします」
「僕、切り分けてきますねっ!」
「え、いいよアサくん、私がやるから!」
「僕だって、お二人の役に立ちたいんですぅ!」
 梨沙と信田の大切な話し合いが、無事に終わった。
そのことが、無性に嬉しい。
未桜は半分スキップしながら、アサくんと競走するようにカウンターへと向かった。
 それから小一時間、キャンドルの光でぼうっと照らされた店内には、梨沙の溌剌(はつらつ)とした話し声と、信田の幸せそうな相槌(あいづち)が響いていた。


 やがて、相席カフェラテを飲み干した梨沙が、席を立った。
 一人になった彼女は、未桜に向かって、笑顔で手を振った。
「ごちそうさま」
くるりと背中を向け、店の外へと去っていく。
 その後ろ姿は、とても頼もしく、力強く、そして未来への希望に満ちあふれていた。