第12話 絶叫マシン
今日はいい天気に恵まれた。真冬の空気はピンと張って冷たいけど、抜けるような青空があたしを出迎えてくれてる。
メグル君はグレーのパーカーにキャメルの革ジャンを羽織って、足元はジーンズにハイカットスニーカー。流石にイケメンだけあって、こうして見るとモデルみたいになんでも似合うから、フツーの服装でもカッコよく見えるのが不思議。このパーカー、千円で買ったとか言ってたのに。
あたしたちの行く先々で、女の子たちがこっちをチラ見してるのがわかる。その度にあたしは優越感。そりゃそーよね、メグル君、めっちゃイケメンだもん。彼と一緒に居るってだけで、勝ち組の気分。
「どれから攻める?」
「とーぜん絶叫マシンだよ。フリーフォール行こう!」
「えー、いきなりか? 綺羅ちゃん、気合入りすぎ!」
「いいから早く!」
メグル君の手を引っ張ってフリーフォールに引きずっていく。
「上がって落ちるだけじゃん」
「それがいいんだよー」
シートに座り、ベルトを締めると係員のお姉さんが確認に来る。動き出すのを待っていると、メグル君があたしの手を握ってきた。
「どうしたの? 怖いの?」
「ううん、なんかこうしてるとデートっぽいじゃん?」
「アハハ、確かにデートっぽい!」
「綺羅ちゃんが他の男にナンパされないようにこうしてアピールすんの」
「なーに言ってんの、メグル君こそさっきから女の子たちの視線独り占めしてるよ」
なんて話をしていたらスタートの合図が出た。よっしゃ、叫ぶぞ!
と思ったら急にマシンが上昇した。凄い勢いだ。
「おおお~!」
メグル君が隣でめっちゃ盛り上がってる。メグル君もこれ好きなんだ。
天辺まで行くとフッとマシンが止まる。この落下直前の何とも言えない間が最高に好き。
メグル君がぎゅっと手を握ってくる。チラッと横を見ると、ニッと笑っているのが見える。
「カオル、これ苦手なんだよ」
「えっ? うわっ」
一瞬気を取られたまさにその瞬間、マシンが自由落下に入った。
「きゃあああああああ!」
心の準備の無い、完全無防備の状態でスタートしてしまったあたしは、無自覚に悲鳴を上げてしまった。そして更に心の準備ができないまま上昇。再び落下。
何度か繰り返して、マシンが止まった時には、あたしは叫び疲れてフラフラだった。
「大丈夫?」
言ってる言葉は心配しているかのようだけど、彼はゲラゲラ笑ってるのだ、許し難い。
「やだもー、メグル君てば!」
「ごめんごめん。でも、これが本来の絶叫マシンの楽しみ方でしょ?」
「そーだけど!」
あたしがプンスカしてたら、「ごめんってば」って言いながらさりげなくあたしの手を取った。そのままフライングパイレーツの方に向かう。
「あれ乗ろうよ。絶叫できるよ。今度は邪魔しないから」
「絶対だよ?」
二人で歩いてると、やっぱり女の子の視線が気になる。優越感もあるけど、つり合いが取れてないって思うとちょっと恥ずかしい。「あんなイケメンが、なんであんな女と一緒にいるの?」って思われたりしてないかな。
あたしがつまんないことをグジグジと考えてることなんかメグル君が知る由もなく、フライングパイレーツに到着。
「どうぞ綺羅お嬢様、今度は心行くまで喚き散らしてくださいませ」
と言っただけのことはある。今回は全く邪魔されず、心行くまで叫ぶことができた。
降りてくるときメグル君が大爆笑してて「腹痛ぇ、死ぬ~」とか言ってる。
「なんだ、あの『あたしのプロット返せー!』とか『今に見てろエミリー!』とか『呪ってやる、祟ってやるー!』とか、もう笑い死ぬかと思ったし。いつもあんな風にやってんの?」
「そう! 誰も人の叫んでるのなんか聞いてないじゃない? だから心行くまで魂の叫びを口にするの」
「叫びまくって喉渇いたんじゃない? なんか飲もうか」
「うん」
メグル君がまたあたしの手を取った。この人、凄く自然に手を取るから、嫌な感じがしない。この人の彼女になる女の子って、大切にして貰えるんだろうなぁ。
パーク内のファーストフードに入って、あったかいココアでホッと一息つくと、また次を攻めるぞって元気が出てくる。
「いつもコーヒーなのに、二人してココアだね」
「寒いときにはこれが一番。それにさ、カオルのコーヒー飲んだら他のコーヒーがもう飲めなくなった」
「確かに。カオルさんのコーヒーってなんであんなに美味しいんだろう」
「僕も一緒に住んでて凄い謎! カオルの事だから、ベランダでコーヒーの木から栽培して、豆も自分で焙煎してそう」
「ありえる!」
カオルさんをネタに二人でケラケラ笑う。今頃おうちでくしゃみしてるかも。
「カオルは変なとこ完璧主義なんだよね。そのくせ時間短縮になるならあっさり手を抜く。手の抜きどころがわからない!」
「手なんか抜いたら叱られちゃいそうだよ」
「カオルってさぁ……」
ん? なんかメグル君の口調が変わった。
「最初の新人賞に応募したとき、神代エミリーにボロカスに叩かれたんだよね」
「え? そうなの?」
「うん、審査員やっててさ。こんなの売れないって」
そんなことがあったんだ。そこに、神代エミリーのアシスタントだったあたしが転がり込んで来たのか。
「でもさ、カオルは叩かれて良かったって言ってるんだ。それで一から見直すことができたし、神代エミリーの作品も読むことになったんだって。それで少女漫画の何たるかを盗んでさ、それを自分の作品に取り込んで、それで次の新人賞に応募したときに大賞取ったの。よくありがちなただのエロいだけのBLじゃなくて、少女漫画っぽい設定とか萌えポイントとか取り入れたんだって」
あ、そういえば、エレベーターの中で「女の子向けの漫画には必須アイテム」とか言って壁ドンとかしてたし。しっかり少女漫画研究してた!
「だから神代エミリーのお陰とか、そんなことも言ってたなぁ」
「でもそれって、神代先生がボロカスに言ったのを、カオルさんが良い方に受け取って自分で努力したからだよね。あたしみたいに恨みごと言ったりしないで、ちゃんと自分の糧にできるのって凄いよね」
「うん、我が兄貴ながら尊敬するよ」
自分の事のように言ってるメグル君が、なんだか可愛い。
「メグル君、ほんとにカオルさんのこと好きなんだね」
「そりゃもう、ブラコン自称してますから。でも今は綺羅ちゃんの方が好きかな」
「まったくもう、何人の女の子に言ってんのよ」
「誰にも言ってないよー。綺羅ちゃん大本命だから!」
「はいはい、ありがとっ。さ、そろそろ次攻めるよ」
「うあ~、軽く流された~。ま、いっか。ジェットコースター行くべ?」
メグル君は、再びあたしの手を取った。
第13話 ラーメンとドーナツ
それからあたしたちは、絶叫マシンばっかり狙ってガンガン乗りまくって、キャーキャーと喚き倒して、ヘロヘロになるほど大笑いして、どっぷり疲れて、それでも「まだまだ!」なんて言いながらいろいろ乗り回した。
お化け屋敷にも入った。メグル君がめちゃくちゃ怖がりで、あたしの腕にしがみついてるのがおかしくてついつい笑っちゃうんだけど、あたしも決してお化け屋敷が平気なわけじゃなくて。何かが出てくるたびに二人で悲鳴上げて抱き合って、もう進めなくって大変だった。
お化け屋敷を出た後の二人の爽快感溢れる顔ったらなかった。お互いに「脱出した!」っていう達成感に浸って同志の勇気を称え合ったんだけど、それも考えてみればバカっぽくて笑える。
それにしても、このメグル君って人はホント不思議な人。お化け屋敷とは言え、数日前に知り合ったばかりなのに、めっちゃ抱き合ったりしてても違和感がない。普通あれだけ抱き合ったりしたら、お化け屋敷出た後で気まずくなったりするじゃん。でも全然そんなのがない。
なんなんだろうな、この人ってパーソナルスペースの境界をいとも容易く曖昧にしちゃうんだ。するんと入り込んでするんと出て行く。不思議な人。あの『鉄壁のブロック』カオルさんと同じ血が流れてるとはとても思えない。
これでもかって限界まで遊びまくって、寒さに体が悲鳴を上げ始めたのが夜の七時。真夏ならきっとまだまだ遊んでいたと思うけど、寒すぎて流石に無理!
家に帰ってご飯作るのも面倒だし(疲れちゃったんだもん)、かといってカオルさんに作って貰うわけにもいかないので、駅の近くのラーメン屋さんに行った。
ラーメン屋さんも久しぶりだ。女の子一人じゃなかなか入ることは無かったけど、メグル君と一緒なら入れちゃう。キンキンに冷え切った体に熱いラーメンのスープが染み渡ると、生き返った気分になった。
メグル君は野菜たっぷり塩ラーメン党。あたしはこってり味噌ラーメン党。聞くところによるとカオルさんは正統派の醤油ラーメン党だそうで、みんなそれぞれらしくて笑っちゃう。おうちでラーメン食べるときどうするんだろう? じゃんけんかな?
お腹が満足したあたしたちは、カオルさんへのお土産にドーナツを買った。カオルさんは味気ない焼きドーナツが好きらしい。メグル君はチョコレートたっぷり、あたしは中にクリームが入ってるやつがお気に入り。他にもはちみつのとか、シナモンシュガーのとか、カレードーナツとかも仕入れて帰った。
帰る頃にはあたしたちは手を繋いでいるのが自然な状態になっていて、なんでこうなっちゃったのかわかんないけど、ずっと手を繋いだまま歩いていた。
あたし、メグル君のこと好きになっちゃったのかな。うん、まあ確かに好きだ。優しいし、可愛いし、イケメンだし。イケメンじゃなかったとしても、こんなに優しい人っていないと思う。まだ会って数日なのにな。こんなことってあるのかな。あってもいいよね。
「どうしたの? 何考えてるの?」
「ううん、何でもない」
「嘘だー。カオルのこと考えてたでしょ」
「違うよー、メグル君のこと考えてたんだよ」
「僕の事?」
あたしの顔を覗き込んでる。可愛い。
「うん」
「ほんと? 照れるなぁ、嬉しいけど」
「そういう素直なところ、好き」
「ありがとう」
マンションに着いた。
カードキーを通して富士山の標高を入力する。ピーッと音がして、カチャッとロックが外れる。
仲良くエレベーターに乗ってドアが閉まると、狭い空間に二人っきりになる。昨日のカオルさんを思い出してしまう。唐突に至近距離に入ってきたあの美しすぎる顔。
「僕は綺羅ちゃんの全部が好き」
「え?」
「キスしていい? やだって言ってもするけど」
そういってメグル君があたしの視界一杯に入ってきた。ああ、あたし、メグル君にキスされるんだ……ってぼんやり考えて。柔らかい唇が合わさって。
エレベーターが七階に到着した。
「綺羅ちゃんのキスは味噌ラーメンだった」
「メグル君だって塩ラーメンだよ」
二人でクスクス笑いながら部屋の鍵を開けると、中から「おかえりー」とカオルさんの声が聞こえた。
やだ、どうしよう。たった今メグル君とキスしてたのに、カオルさんの声を聞いたらまた昨日のエレベーターを思い出してドキドキしてる自分がいる。今キスしていたのがカオルさんだったら、きっと今頃あたしは立っていられない。
妙な緊張と、ちくりと胸に刺さるメグル君への罪悪感を抱えて部屋に入ると、お風呂上がりらしいカオルさんがスウェット姿で濡れた髪の毛を拭いていた。
心臓が口から飛び出るほどの色香に目を奪われて、思わず立ち尽くしてしまう。
「どうした、綺羅?」
「あ、いえ」
「綺羅ちゃんは僕が貰ったからねー」
「好きにしろ」
え、それだけー?
「カオルさんにお土産です」
「ん? なんだ?」
横からメグル君が口をはさむ。
「味気ないクルミの焼きドーナツ」
「でかした。コーヒー淹れる」
カオルさんは首からタオルを下げたまま、コーヒーを淹れに行く。
「僕たちさっきラーメン食べたばっかだから、カオルが一人で食っていいよ。チョコリングとクリームのはとっといてね」
「了解。綺羅は風呂に入ってこい。体、冷えただろう」
「あ、はい。でもメグル君……」
「いいよ~、綺羅ちゃん先どーぞ」
「ありがと。じゃ、先に入ってくる」
あたしは「カオル~、僕のコーヒーも」っていうメグル君の声を背中に聞きながら、モヤモヤするものを抱えてお風呂に向かった。
第14話 あたしの
翌日から、あたしは本格的にカオルさんのアシスタントの仕事を始めることになった。
とは言っても、あたしは神代先生と同じく完全手描き派。パソコンで描いているカオルさんのアシスタントをするには、まずソフトの操作から覚えなければならない。実際の作品を使いながら手取り足取り教えて貰い、それでも夕方までかかって漸く基本の操作方法を覚えた程度だった。
そこから数日かけてやっと一人で操作できるところまで覚え、仕事として手伝えるようになってきた。これでカオルさんが描いている時はあたしは自分の作品の構想を練り、カオルさんが考えている時はベタとかトーンとかをあたしが担当することができる。
こう言っちゃなんだけど、カオルさんの作品は全部読んで研究してる。どこにどんなトーンを入れてくるか、誰よりも熟知してる自信はある。それを知ってか、カオルさんもトーンナンバーを指定せずに、「好きなようにやってみろ」って全部あたしに任せてくれた。
そうやって完全に任せられると、すっごいやる気が出る! あたしはガンガン仕事をして、どんどん彼を吸収していった。
そのうちにコマ割りも任せてくれるようになって……って言っても、あたしの練習のためにやらせてくれただけで結局全部直されちゃったけど、それでもどこをどんなふうに直されるのかを見ていたら自分の欠点が明確になってきた。
この人は本気であたしを育てようとしてくれてる。そう思った。
頑張らなきゃ。カオルさんのお陰でこうして漫画が描けてるんだ。漫画家になることで恩返ししなきゃ。
そんな風に思いながら頑張って、二週間くらい経った頃、家に大きな荷物が届いた。
カオルさんがパソコンをもう一台買ったらしい。朝っぱらから部屋を大改造して新しいパソコンを置く場所を作り、二台を並べて繋いだようだ。
あたしはその間仕事もできないので、その様子をチラチラ眺めながら自分のプロットを練ろうと思っていたんだけど……。
できるわけないじゃん! あのカオルさんが眼鏡かけてるんだよ? 力仕事してるんだよ? ああ、あの腕のスジがたまんない! あたしは男子の腕のスジフェチなうえに、眼鏡男子フェチだという事がこの前発覚したんだよ!
やだもう、あんな真剣な目で配線してたら、素敵過ぎてガン見しちゃうじゃん。ずっと飾っておいてずっと眺めていたいよ。なんであの人、観賞用じゃなくてあたしの雇い主なのよー?
なんてモゾモゾしながら眺めていたら、一仕事終えたカオルさんが腰を伸ばしてこっちを向いた。
「綺羅、ちょっと来い」
「はーい」
呼ばれて行ってみると、今使っているパソコンの横に新しいパソコンが鎮座し、仲良く並んでスタンバイしている。
「これは綺羅のパソコンだ。今日からこれを使え」
「え? あたしのですか?」
「環境は俺と同じに設定した。俺が描いたものをそっちに転送する。綺羅はその原稿にベタやトーン、効果線なんかを入れて仕上げる。俺がゴーサインを出したらそれを最終稿として編集部とやり取りする」
「は、はいっ!」
「他に綺羅の作品を管理するフォルダも作ってある。俺からの仕事が無いときは、自分の作品を描け。ソフトは俺と同じだから、使い方はわかるな?」
え。うそ。マジで?
あたしの作品。描いてもいいの? こんなに早くから描かせて貰っていいの? ヤバい、嬉しすぎて涙腺崩壊するよ!
「どうした、おい、どうした何泣いてんだ? 気に入らなかったか?」
カオルさんが慌ててあたしの顔を覗き込んでるけど、違うんだよ、そうじゃないの、嬉しいの、そりゃ泣くよ、こんなにしてくれるなんて。
「カオ……ちが……あたし……ありがとうございます、あたし、頑張ります」
「あーあ、カオルが綺羅ちゃん泣かしたー」
「人聞きの悪いこと言うな」
嘘みたい。あたし専用のパソコンだよ。あたしの作品を描く時間をくれるってことでしょ。アシスタントなのに。
大感動のあたしをほっといて、カオルさんはもうコーヒーを淹れに行っている。そんなところが如何にもカオルさんらしいと言えばカオルさんらしい。
「綺羅ちゃん、やっと自分の漫画が描けるね。いいもの描いて、神代先生を見返してやれよ」
「あたし、絶対、今日のこと忘れない。面白い漫画描いて、ちゃんと売れっ子になって、今日の事、読者に伝えます。こうやってあたしを拾ってくれた兄弟がいたこと。あたしを育ててくれた先生がいたこと」
あたしが半べそで必死に伝えると、カオルさんは豆を挽きながら口元に僅かに笑みを浮かべて頷いた。メグル君も「綺羅ちゃんならできるよ。ちゃんと僕の紹介もしてよね」って言ってくれた。
「その代わり、綺羅の試用期間は終わりだ。今までは教育期間だったと思え。今日からは本格的にアシスタントとしてやって貰う。甘えや手抜きは許されない。わかってるな?」
「勿論です!」
とは言ったけど、今までも超本気でやってたのに、教育期間だったの? これからは厳しくなるの?
望むところだ! ぬるい世界に居たら、あたしの作品はいつまで経っても世になんか出ない。カオルさんに鍛えて貰おう。どっからでもかかってこい!
第15話 襲来
カオルさんがあたし専用のパソコンを買ってくれて一週間くらい経った頃、夕方にとんでもない来客があった。それもあたしが買い物に行ってる間に、だ。
あたしが一玉百五十円の白菜(先着五十名様限り)をゲットしに近所のスーパーへダッシュして戻ってみると、玄関に明らかに年配の女性のものと思われる靴がきちんと揃えられていたのだ。
誰だろう。カオルさんが他人を家に上げるなんてこと、まず無いのに。
「ただいま……」
恐る恐るリビングに顔を出して……あたしは絶句してしまった。
「綺羅。あんたほんとにここに居ったん?」
「お……かあさん?」
あたしの母だったのだ!
「ちょっと何やってんの、なんでこんなところに来てんの、って言うか、なんでこの家がわかったの、てか何しに来たの?」
ブレスも無しに捲し立てるあたしに、母は魂が抜けるようなことを言い放ったのだ。
「この薫さんが、うちに連絡くれたからに決まっとるやん!」
「は? カオルさんが?」
つまりこういうことだった。
契約書のコピー、もう一通は実家に送られていたのだ。それも漫画家・風間薫名義で。現在風間薫のアシスタントとして働いている事、あたし専用の部屋がある事、どういう契約で何をして働いているのかがわかるように契約書を付け、風間薫のプロフィールと名刺、それに三人で撮った写真と、責任を持ってお預かりしていますという手紙を添えて、実家の母を安心させるために書類一式を送ったらしいのだ。
それでも心配なら見に来ていただいて結構です、と付けたら、本当に母が見に来たという事だった。っていうか、来るかフツー?
「あんた良かったねぇ。風間先生はきちんとしてらっしゃって」
「そうなんだよ、カオルさん、あたしの為に専用のパソコンまで買ってくれてね、あっち、あたし専用の部屋なの、仕事詰めじゃなくて、ちゃんと休みもくれるし、遊びに行くって言えば軍資金もくれるし、漫画を描く以外の仕事は絶対するなって言ってくれるし、ご飯もおいしいし、メグル君も優しいし、とにかく全部全部最高なの!」
「それにいい男だねぇ」
この母は……シバくぞ。
「とにかく、あたしのことは一切心配いらないから。カオルさんのところで働いてる限り、なーんにも問題ないから。ってゆーか、お母さん、ここまで十時間くらいかかったでしょ? 今夜どうすんのよ」
「大丈夫、ビジネスホテルに泊まるから!」
やだもう、全く何考えてんのよ、これで会えなかったらどうする気だったんだろう?
「綺羅、今日はお母さんと一緒に食事して来たらどうだ? もう何年も会ってなかったんだろう?」
「え、でも、仕事が」
「そんなものはいくらでも取り戻せる。親子の時間はなかなか取り戻せるものじゃない」
あ、そうか。カオルさんたちはお母さんの顔を知らないんだった……。
「たまには親孝行して来い。雇い主の命令だ」
「雇い主の命令は絶対でした。行ってきます。カオルさん、ありがとうございます」
あたしはお母さんとの数年間の空白を埋めることにした。
お母さんが来てから数日後、風間家に大きな段ボールが届いた。送り主はお母さん。なのに宛先はあたしじゃなくてカオルさん。なんでよー?
あたしとカオルさんが見守る中、メグル君が段ボールを開けると、あたしには懐かしく風間兄弟には謎のものがぎっしり詰まっていた。
「何これ?」
「メグル君、ゼンマイ見たこと無いの?」
「ゼンマイ?」
「ナムルに入ってるじゃん。茶色いの」
「だってこんなに針金みたいに細くないし、もっと柔らかい茶色だよ?」
「干してあるからだよ、戻すとナムルの奴みたいになるんだよ」
「へ~、初めて見た」
横から眼鏡をかけ直したカオルさんが割り込んでくる。ぐはぁ、萌える。
「綺羅はこれ料理できるのか?」
「はい、できます!」
「じゃあ、これは綺羅に任せる。俺は使ったことは無い」
「ねえ、こっちは何?」
「あーっ、モロヘイヤの干したやつ!」
「これも干したの?」
「そう。うち、野菜作るとなんでも干すの。そうしたら冬場も食べられるでしょ? これはモロヘイヤ、こっちはバジル、あ、これ干瓢だ。お餅も入ってる。もうお正月だからちょうどいい! あっ、このあられ、うちで揚げたんですよ。お餅を乾燥させて油で揚げてお醤油かけるの」
ってあたしが説明してたら、後ろでカオルさんがクスッて笑うのが聞こえた。振り返ると、眼鏡男子モードのカオルさんが核兵器並みの破壊力を持つ笑顔を見せている。死ぬ……萌え死ぬ。
「綺羅ちゃん、すっごい嬉しそうに話すね。お母さんと実家の事、大好きなんだね」
「うん、あたし十津川村大好きなの。十津川村って日本一長い路線バスが走ってるだけあってね、日本一面積広い村なんだよ。人口密度は下から数えた方が早いくらい過疎ってるけど」
「日本では面積と人口密度は反比例するし!」
メグル君、ナイスツッコミ。
「毎日山や川の中で走り回って、ドロドロになって遊びまわってた。カブトムシもクワガタもいるんだよ。こーんなでっかい蛾やクモもいるし、長ーいヤスデとか部屋に入ってくるの。夏場なんか蚊帳吊ってないと布団の中にムカデとか入って来るから、必需品なんだよ」
「やめてくれ……」
「カオル、蛾とクモとムカデが怖いんだよね」
「余計なことは言わなくていい」
え、カオルさん、虫、苦手なの? 怖いもの無さそうなのに。そういえば絶叫マシンも苦手だって言ってたな。
「いいなぁ、満天の星空の下、静かに愛を語る……なんちゃって」
「全然静かじゃないですよ。カエルがゲコゲコ大合唱で」
「じゃあ、昼間にしよう。静かな木陰で愛を……」
「セミがシュワシュワとやかましい事この上ないですよ」
「そんな頑なに拒否しないでよ~」
「残念だったな、メグ」
カオルさんのツッコミが容赦なくて笑っちゃう。しかも真顔でやるからおかしい。
「冬になると雪が積もって、みんなで雪合戦して遊ぶの。あ、お母さんこの前大変だっただろうなぁ。家の前凄い雪で、出るのも一苦労なんだ」
「いいね、お母さんがいるのって」
あ……。そうだ、この二人にはお母さんがいないんだった。こんなに一人ではしゃいじゃって。
「あの、ごめんなさい、あたし」
「え、違うよ違うよ、ごめん、そうじゃなくてさ。お母さんの事とか実家の事とか、楽しそうに話す綺羅ちゃんを見てるのが嬉しいんだよ。僕たち親がいないから綺羅ちゃん見てるだけで嬉しいんだ」
メグル君が慌ててフォローしてくれる。
「ほんとだよ。実家の話、いっぱい聞かせてよ」
「うん、ありがと」
「他に何が入ってるんだ?」
後ろからカオルさんの声。マグカップを口元に持ってったまま話してるから、声がくぐもってる。
「えーと、これは赤ジソと、干しシイタケにキクラゲもある。あーこれ、うちの庭の柚子だ、やだ何これアハハ、キュウリの佃煮。キュウリってちょっと目を離した隙にヘチマサイズになっちゃうから、そうなったら佃煮にした方が美味しいんですよー」
「農家の知恵だな」
「あとはパウンドケーキ。お母さんパウンドケーキ作るの得意なんです。これって一ヵ月とか日持ちするから、よく作ってたんです」
「ラッキー! パウンドケーキ!」
「俺に届いた荷物だが」
「カオル~、分けてくれるよね?」
「さあな」
「ん? なんだこれ?」
メグル君が何か小さな袋を取り出した。透明な袋に入ったそれは、ゴマくらいの大きさの茶色い粒々だった。見たことがある。が、何だったか思い出せない。
暫く三人で頭を突き合わせていると、唐突にカオルさんがぼそりと言った。
「これ、大根の種?」
「それだ!」
そう、お母さんはよく大根の種をスポンジに蒔いて、カイワレ大根を育てては収穫してた。ざっくざく入ってる、大根の種。
ここなら確かに日当たりの良いところで育てればいくらでも育ちそうだ。この前ここに来た時に、カイワレ大根が育てられるって判断したんだな。
「メグル君の部屋か、カオルさんの部屋のベランダ側ならいくらでも育ちますよ。あたしの部屋は通路側だから無理かもしれないけど」
「いやいや綺羅ちゃん、こんなところで大根なんて育てられないでしょ?」
「第一、プランターでも無理だろ」
「違いますよ、大根は畑で育てればいいんです。そうじゃなくて、スプラウトですよ、カイワレ!」
「あ、カイワレ大根かー!」
「想定外」
大袈裟に万歳するメグル君と、一言で片づけるカオルさん。
「僕の部屋はベランダから結構出入りするし、キッチンじゃ無理かな?」
「うーん、どうだろ」
「俺の部屋で育てよう。部屋に緑があった方がいい、酸素が増えるような気がする」
「えー、カイワレで?」
「気分の問題だ」
脚組んでコーヒー啜りながらカッコよく言う台詞じゃないと思うけど、カオルさんが言うと変にキマっててますますおかしい。
「じゃ、そうしましょう! ペットボトルの下の方十センチくらいあればすぐ作れます」
「その前にこの荷物片づけないとな」
「あたし片づけます。乾物の収納はコツが要るんですよ」
「じゃ、僕段ボール畳む」
「俺はコーヒー淹れて、ケーキをカットしておく。おやつタイムにしたい奴は急いで片付けろ」
「はーい!」
あたしとメグル君は双子のように元気よく返事をした。
第16話 アイスクリーム
カイワレは十日ほどで収穫できた。市販の農薬処理された種じゃなくて、うちの実家で花が咲いたものだから、安心して食べられる。こんな小さなカイワレでも、仕事場に緑を添えたり、料理に利用できたりと、一役も二役も買っている。
あたしもカオルさんに準備して貰ったパソコンやソフトに随分慣れて、仕事がスムーズに進むようになってきた。自分の作品にも手が出せるだけの余裕も生まれ、今はもう例の神代先生にパクられた(と思われる)プロットは完全に手放して、新しいプロットで描き始めている。
カオルさんも雰囲気で察しているようではあるけど、あたしの新作に関しては全く口出ししなけりゃ進捗も聞いて来ない。とりあえず自分で全部やってみろということなのだろう。かといって質問や相談は受け付けないという態度ではなく、あたしが声を掛ければなんでも相談に乗ってくれる。
非常に居心地のいい環境で修行をしながら、好きなだけ漫画を描かせて貰ってる感じだ。
そしてそして、部屋にいるときはコッソリ二人へのクリスマスプレゼントを準備してるんだ。なんにもできないあたしにも特技が一つだけある、それが編み物。特技って言っても普通の人の言う特技には程遠く、セーターすら編めないんだけど、小物ならなんとか最後までいける。
何にしようか散々悩んで、オシャレなメグル君には帽子とマフラーと手袋をお揃いで、外出嫌いで寒がりなカオルさんには腹巻と手首ウォーマーと足首ウォーマーを。
極貧を極めた私の目が大特価一パック十玉八百円の毛糸を見落とすわけがなく、赤いのと黒いのを一パックずつ買って、メグル君は赤、カオルさんは黒でそれぞれ編んだのだ。
こんな一玉八十円の毛糸で、あたしのような下手くそが編んだものでも、メグル君が纏えば高級ブランドを身につけたモデルさんみたいになるのは間違いないし、カオルさんは腹巻や手首ウォーマーさえもドキッとするほど色っぽく見えるに違いない。それを想像しながら、部屋でニヤニヤと編み針を動かす時間の幸せなことと言ったらない。
だけど、毛糸に千六百円、百均の編み針三本で三百円、二人へのクリスマスプレゼントだけでなけなしの二千円を使ってしまったあたしは、ラッピング用の包装紙に使う百円さえも捻出できずにクリスマスを迎えてしまったのだ。まあ、いいよね、ラッピングくらい。中身で勝負だ!
兄弟の方はと言えば、クリスマスに朝から浮かれるメグル君と、まるっきり通常運転のカオルさんの対比がいちいちおかしい。
「キリスト教徒でもないくせに、こういう時だけ騒ぐのが、便乗上手な日本民族だな」と兄が言えば、「こんなイベントが偶にないと、毎日の生活に変化がないじゃん」と弟。
「毎日の生活に変化なんぞ必要ないだろう」と兄が反論すると、弟は「必要、必要! 生活に潤いを! 僕らにクリスマスケーキを!」なんてちゃっかり要求してるから笑っちゃう。
「つまりケーキ代を寄越せってことか」って兄が軍資金を出してくると、キャッシュな弟は大喜び。
「流石カオル、一言えば百わかる! ケーキ買いに行くのに綺羅ちゃん借りるよ」
「好きにしろ」
「行こっ、綺羅ちゃん!」
って結局このパターン。なんやかんやであたしはメグル君に連れ出される。こうなると買い物だけで帰ってくることはまず無いんだけど、カオルさんはそれを黙認してて、あたしを適当に放し飼いにしてくれる。
「ケーキは最後でいいから、最初はどこ行く?」
なんて、既に最初っからデートモードのメグル君だけど、あたしの財布の中は二百円くらいしかない。あの日といい勝負だ。
メグル君もあたしの雰囲気から、お金を全く持ってないことに気づいてるんだろう、さりげなくお金を使わずに楽しめるところに連れ回してくれるのが嬉しい。
駅の近くのショッピングモール前広場では、クリスマスイベントなのか、特設ステージでダンスチームが音楽に合わせてキレキレのダンスを披露している。これが夜になれば木々にイルミネーションが灯り、一気にクリスマスムード一色になるのだろう。
二人でお喋りしながら本屋さんやら文房具屋さんやらを眺め、「軍資金でおやつ食べてもいいよってことに違いない」と勝手な解釈をしたメグル君によって、アイスクリーム屋さんに立ち寄った。
イチゴのアイスを食べるメグル君を見ていると、本当にこの人は赤やピンクがよく似合うって思う。あたしはミントチョコ。
「カオルはナッツのヤツが好きなんだよ。ドーナツも味気ないクルミの焼きドーナツが好きだっただろ?」
「確かにそうだったね」
「カオルって和食好きだし、地味好きだし、寒くなると半纏着るし、割烹着も愛用してるし、なんつーか、我が兄貴ながら超絶美形なのにジジ臭いんだよね。あれでオシャレだったら破壊力抜群すぎてヤバいけど」
その言い方がおかしくて、笑いが止まらない。
「メグル君、カオルさんのことほんとに好きなんだね」
そしたら、彼はふぅって溜息をついたんだ。
「そりゃ好きだよ。ブラコンだもん。だけどさ、悔しいんだよね。何やっても敵わなくて。一緒に外歩くと、みんなカオルの方を振り返るしさ、料理もカオルの方が上手いし。頭の回転も速いし、なんのかんの言ってもやるときはやるし。どうやっても越えられないんだよな」
え、そんな風に思ってるの? メグル君ってもっと自信あるんだと思ってたのに。
「メグル君、社交家だし、みんなに好かれるタイプじゃん。あたし、メグル君と一緒にいると、鼻が高いんだよ。女の子たちが羨ましそうにあたしを見てくんだもん」
って言いながら、どさくさに紛れてメグル君のイチゴアイスをちょっとスプーンで掬うと、彼もあたしのミントチョコをつつく。こんなふうにしてるとほんとに彼氏と彼女みたい。
「でも、綺羅ちゃんもカオルの方が好きでしょ?」
え……そこは何と答えたらいいんだろう?
あたしたちの横を通り過ぎる女の子二人組がメグル君を見てコソコソ言ってる。ちょっと離れてからキャーって。「カッコいい」って言ってるのがここまで聞こえる。
「比較なんてできないよ。カオルさんは好きだけど尊敬する先生だし、メグル君はなんて言うか仲良しのお友達みたいだし」
「お友達かぁ」
メグル君が背もたれに寄り掛かる。どんなカッコしてもサマになる。このままフツーにスマホで写真撮っても、雑誌の一ページみたいに見えるんだろうな。頭に来るほどインスタ映えするヴィジュアル。
「ま、いっか。アイス食べたらケーキ買って帰ろ」
「うん」
メグル君が当たり前のようにあたしの手を取る。これはどう受け取ったらいいんだろう。二十一にもなって『お友達だから』って理由で手を繋いだりしないよね。まして『家族だから』なんてもっと無い。
ラーメン味のキスの時から、メグル君にどう反応していいのかよくわからない。彼はモテるし、もしかしたらあんなの日常茶飯事かもしれない。あたしが考え過ぎなんだろうか。大学に行ったら、いつもこんなふうにいろんな女の子と手を繋いでるのかもしれない。
それからあたしたちはモールの中のケーキ屋さんに立ち寄って、イチゴのたくさん乗ったケーキを買った。
家までの帰り道も、女の子たちの視線を浴びながら手を繋いで歩いた。
第17話 クリスマス
家に帰ってみると、カオルさんはいなかった。あの外出嫌いのカオルさんが珍しい。「どこ行ったんだろうね?」なんて言いながらケーキを冷蔵庫に入れ、その辺を片付けていたら、急にメグル君に後ろから声を掛けられた。
「ねえ、綺羅ちゃん。僕の事、好き?」
ドキッとした。だけど、ここは軽く受け流した方が良さそう。
「うん、好きだよ」
「綺羅ちゃん。僕さ、真面目に聞いてるんだけど」
え。
「やだ、どうしたの?」
「ねえ、僕の事どう思ってるの?」
どうしよう。二人っきりだよ。メグル君の声のトーンがいつもと違うよ。
「どうって……好き、だよ?」
極力なんでもないって雰囲気を装ってみるけど、上手くいかない。なんかちょっとまずい雰囲気かも。話題変えた方がいいかな。カオルさんの部屋に逃げ込むか。
「あ、そうだ、まだベタ残って……あ」
いきなり後ろから抱きしめられた。
「家族として? 友達として?」
「え、何が」
「僕の事、家族として好きなの? 友達として好きなの?」
どうしよう、これ、やっぱりマズイよね。
「そうだなぁ、どっちもかな」
「男としては見てくれないの?」
彼の息が耳にかかる。ゾワッとして肩が上がっちゃう。
「あ、ええと、その」
あたしの胸の前で組まれたメグル君の手。袖が長すぎて手の甲まで隠れちゃってるけど、そこから伸びる筋張った指は確かに男の子のものだ。
「ねえ、どうなの?」
「メグル君のことは大好き。ホント大好き」
「そうじゃなくて」
急に向きを変えられて、目の前にメグル君の柔らかい茶色の瞳が現れた。
「僕じゃ物足りない?」
もしかして、カオルさんへのコンプレックス?
「そんなこと……」
「綺羅ちゃん、好きだよ」
彼の顔が近づいてくる。どうしよう。
その時、玄関の方で暗証番号を押す音が聞こえた。カオルさんだ。
ハッとしたようにメグル君があたしから離れる。
「ごめん、冗談だよ、気にしないで」
「あ、うん」
って言った先からドアが開いてカオルさんが入ってきた。
「カオルお帰りー」
「おー、帰ってたか」
てか! めっちゃ不審者なんですけど!
「なんですかそれ、カオルさん職務質問されませんでしたか」
「いや」
今までのメグル君とのやり取りが一撃でぶっ飛ぶほどの怪しさだ。グレーのパーカーのフードを目深に被り、口元までぐるぐる巻きにした黒いマフラー、その上から真っ黒のコートを羽織って、そしてガッツリ曇ってる眼鏡。もうこれだけで十分怪しい。しかもフードの隙間から波打つこぼれ毛が二すじ三すじ。
滅茶苦茶怪しい人だ!
「年賀状出してきただけだからなぁ」
って言いながらコートを脱いで、フードを後ろにはねて眼鏡を外すと、いつもの破壊力抜群の顔が現れた。
「カオルってマジで美形なのにな、なんか垢抜けないんだよなぁ」
「余計なお世話だ。ケーキ買ってきたか?」
腕まくりしながら洗面所に向かうカオルさんに、メグル君が嬉しそうに答える。
「うん。イチゴのいっぱい乗ったヤツ。ローストチキンも買ってきた」
「じゃあ、あとはサラダとスープでも作るか?」
「宅配ピザも!」
「好きにしろ。あ、好きにするな。マルゲリータ一択」
と言った後はうがいの音が聞こえてくる。ううう~、現実離れした美形が生活感満載すぎて、ギャップ萌えのレベルを遥かに凌駕して脱力する~。やっぱり美形は遠くから眺めている方が幸せだな。
「綺羅ちゃん、サラダ作るから手伝って」
不意に横からメグル君に声を掛けられてハッとする。あたし、もしかしてカオルさんの事ぼんやり見てたんじゃないだろうか。
でもメグル君はそんなことには触れずに普通に接してくる。だからあたしもなんでもない顔して、一緒にサラダを作った。
「カオル、綺羅ちゃん、メリー・クリスマ~ス!」
「何がメリー・クリスマスだ。お前はいつからキリスト教徒になったんだ」
「今! そして明日から仏教徒」
「ケーキ切っていいですか?」
「ロウソク立てようよ~」
「誰の誕生日だよ」
「イエス・キリストの誕生日じゃないんですか?」
「俺には無関係の人間だな」
「もー、カオルってば」
相変わらず風間家の食卓は三者三様だ。
「俺は冷めたピザは嫌いだ。ケーキは二人で勝手にやれ」
ってカオルさん、ピザ食べ始めるし。メグル君はそんなのお構いなしに一人でロウソク立てて盛り上がってる。
「俺はフルーツのたっぷり乗ったやつが好きなんだがな。キウイとかグレープフルーツとかオレンジなんかがたくさん乗ったタルト系」
「知ってる。でも僕に買いに行かせたんだからイチゴたっぷりになるに決まってんじゃん。綺羅ちゃんはどっちが好き?」
「どっちも!」
「別腹か」
なんて話ながらも結局カオルさんはあまり食べない。甘いものはちょっと食べたら満足だとか言ってたけど、ほんとにそうなんだ。ピザとチキンばっかり食べてる。
それに引き換え、メグル君は甘いものが大好き。アイスクリームでもケーキでもドーナツでもチョコレートでもなんでも来いって感じ。あたしとメグル君で殆どケーキ食べちゃってる。
「あ、そうだ。メグこれやる」
突然カオルさんが自室に何かを取りに行った。戻ってきた彼の手に握られていたのは日帰りバス旅行のチケット。
「商店街の福引で一等引いた」
「マジか。カオル相変わらずクジ運強いなー」
「え、カオルさんてクジ運強いの?」
「そーそー、いろんなもん唐突に当ててくるんだよ」
カオルさんはメグル君の前にチケットをひらひらさせる。どうやらペアチケットみたいだ。
「要るのか要らんのか」
「要ります! ください!」
「じゃ、それクリスマスプレゼントな。以上、クリスマスイベント終了」
うわー、簡単だなー。
「綺羅ちゃんにはプレゼントあげないの?」
「この前パソコン買ってやった」
「え? あれ仕事用じゃないんですか?」
「仕事用だがお前のだ。好きに使え。エロ動画見てもいいぞ。ただし通信費は自己負担」
見ませんからっ!
「えー、カオル、僕のパソコンは?」
「日帰りバス旅行くれてやっただろ。綺羅と行って来るか?」
「うんうん! 綺羅ちゃん借りるよ!」
メグル君、アッサリ丸め込まれてるし。犬なら尻尾振ってるな、これ。
あ、そういえば忘れてた!
「あの、あたしもプレゼントあります!」
あたしは部屋から取ってきたラッピングもしていないプレゼントを二人に手渡した。
「ごめんなさい、あの、ラッピングしてなくって……」
「えー、僕にもくれるの? ありがとう! ラッピングしてない方がすぐに見れていいよ」
「ラッピングは資源の無駄だな」
メグル君は早速帽子をかぶってマフラー巻いて、手袋も付けて、部屋の中をモデルウォークして見せる。
「どう? 似合ってる?」
「うんうん、モデルみたい。凄いカッコいい。また女の子たちの視線独り占めしちゃうよ」
「えへへ、ありがと綺羅ちゃん! 早速明日から使うね」
チョー盛り上がってるメグル君とは対照的に、カオルさんは静かに黒い毛糸で編んだ謎の物体を表にしたり裏にしたりしてる。そりゃそうだよね、よく考えたら、腹巻も手首ウォーマーも足首ウォーマーもただの太さの違う筒だもんなー。
「あの、この一番大きいのが腹巻で、一番細いのが手首ウォーマーです。ここに親指出す穴が開いてます。こっちは足首ウォーマー。カオルさん寒がりだから」
説明すると、やっとカオルさんが納得したように「ああ、なるほど」と言って着け始めた。
「カオル、袖の上とかズボンの上からつけてると、ダンサーみたいでチョーカッコいいんだけど」
「それは誉め言葉か」
「カッコいいは誉め言葉だろー」
「似合うか?」
「うん。カオルは黒が似合うなー。腹巻さえもカッコいい」
「そうか。綺羅、ありがとう。今から使わせて貰う」
えっ、今から!
「あたしこそ、ありがとうございます!」
えへっ、気に入って貰えたみたい。なけなしの全財産はたいた甲斐があった。
けど、翌日からのあたしは二百円で過ごすことになったのだ!
第18話 お正月
風間家にも正月がやって来た。玄関には注連飾り、トイレにはミニ門松、リビングには小さな鏡餅。お正月ムード満載の部屋にしたのは勿論メグル君。イベントに無頓着なカオルさんは、そういう事に全く興味なし。
カオルさんに「正月は実家に帰らなくていいのか?」って聞かれたけど、帰るわけがない。十津川村をハワイか何かと一緒にされちゃ困る、あんなに行きやすいところではないのだ。移動だけで丸一日かかる、しかも奈良県に入ってからの方が遥かに時間がかかる。そもそもちゃんとバスが運行しているかどうかわからない。そのリスクを知っていて家に帰る物好きなどいないのだ。
そういうわけで、お邪魔かもしれないと思いつつ、お正月も風間家に居座ることにしたあたしなんだけど。よく考えたら東京に出てきてからお正月に誰かと一緒にいるなんて初めてかもしれない。いつも一人ぼっちの部屋で、面白くもないお正月番組を無駄にダラダラと見て過ごしてた。
更に、一人ぼっちじゃないお正月がこんなにエキサイティングだとは思いもよらなかった。
「一月一日は十二月三十一日の翌日でしかない」ってどこまでも通常運転なカオルさんと違ってメグル君は大喜び、めんどくさがるカオルさんを「初詣に行こう!」と無理やり外に引っ張り出した。
勿論あたしも喜んでついて行ったんだけど、何故かメグル君に連れて行かれたところは貸衣装屋さん。知らぬ間にちゃっかり和服レンタルの予約をしていたらしい。あたしの分まで借りてくれていて、あたしもテンションMAX。三人で和服に身を包んでブラブラと初詣!
しかも! メグル君、どこまでも果てしなくセンスいい。
あたしには栗梅って言うのかな、茶色っぽいような濃い赤の地に、大きな梅の花が散った大胆な柄。それも、白い縁取りに梅鼠とかいうくすんだピンクの花。デザインはすっごい派手なのに色がめっちゃ地味だから、華やかなのに落ち着いて見える。しかもあたしに似合ってる。モデルがいいからかもしれないけど!
そして当のメグル君、袴だよ袴。芸能人みたいで凄いかっこいい。しかも羽織のボンボンが可愛い。あああ、イケメンは何着てもサマになって腹が立つ。
更にカオルさん。こちらは袴じゃなくて普通の着物。上から羽織を着て、それでも寒いのか、黒いマフラーを巻いてる。これで脇に刀を差したら、時代劇に出てくる暗殺者みたいなんですけど。
それでいてあの顔だ。後ろで一つにまとめた緩いウェーブのこぼれ毛が色っぽい。
この美しいあたしが(?)超凡人にしか見えないのは、この兄弟がイケメンすぎるせいだ。ほんとはあたしだって単体で見ればそれなりに多分それなりなんだからね! 多分ね!
当然といえば当然なんだけど、行く先々で女の子たちの視線が刺さる。そりゃそうだ、こんなイケメン兄弟が歩いてんだ、目立つに決まってる。
そしてあたしを見る彼女たちの目の厳しいことと言ったら!
「なんでこんなドブスが、こんなイケメンと歩いてんのよ」っていう敵対心剥き出しの目と、「あらー、妹さんは優性遺伝子受け継がなかったのね、可哀想に」っていう同情の目。言っとくけど、あたしこの人たちと同じDNA持ってないから!
まぁ言ってみれば、兄弟が刺身ならあたしはツマの大根、兄弟がお寿司ならあたしはガリ、兄弟がバラの花束ならあたしは細っこい葉っぱ、カスミソウですらない。それくらいこの二人は目立ってる。
でも……やっぱり二人並ぶとカオルさんの方が女性たちの視線を集めてる。
メグル君だってかなりのイケメンなのに、カオルさんが既にイケメンとかそういう領域を超えちゃってるんだ。神々しというかなんというか、これじゃメグル君がコンプレックスに感じるのも無理はない。もしかしたらカオルさんはそれを知っていて外出を嫌がるんじゃないかとすら思える。
それからあたしたちは、ファッション誌の記者を名乗る人に声を掛けられ、インタビューに応じ、写真を撮られ(とはいえ、あたしは『おまけのついで』だったんだろうけど)ヘロヘロに疲れてお善哉を途中で食べてから家路についた。
家に帰ると、ちょうど大きな荷物が届いたところだった。
「最近やたら荷物が届くな」
「あ、また綺羅ちゃんのお母さんからだよ!」
「え、うそ」
ほんとだった。しかも宛名が風間薫だ。なんであたしじゃないのよ!
「綺羅のお母さん、そんなに気を遣ってくれなくてもいいんだが」
いーえ、ただ単に美形が好きなだけですから。全くお母さんてばいい歳して、いつまでも面食いなんだから。
「メグ、開けろ」
「ういーす……うわ、すげえ! 野菜がいっぱい!」
メグル君が驚くのも無理はない。あたしにはいつもの光景だけど、この二人はこんな規格外みたいな野菜はなかなかお目にかかれないんだろうな。
「小ぶりの大根が一本、二本、三本……まだ出てくる。あ、人参もすげーいっぱい」
「メグは3以上の数が数えられないらしいな」
カオルさんが地味に弄ってるけど、メグル君は大喜びで聞いちゃいない。
「ね、ね、ね、牛蒡も出てきた。綺羅ちゃんち、牛蒡も作ってんの?」
「夏はもっといろいろ作ってるよ」
「ちょっとこれ、白菜もある。新聞紙でくるんであるよ。こっちは何、また長いものが……あ、葱だよ葱、長葱。里芋も出てきた。すげえ、カオル、里芋の煮物作って!」
カオルさんは荷物をメグル君に任せてコーヒーを淹れ始める。いつものパターンだ。
「鶏そぼろあんかけにするか?」
「あたしそれ食べたい!」
「って言うか、これみんな綺羅ちゃんちでとれた野菜?」
「うん、多分。いつものメンバーって感じ」
「凄いねー、プロの農家ってこんなにいろいろ作れるんだ」
プロの農家……うーん、プロの農家っていうのかなぁ。
「うちのお父さん、村役場に勤めてるから、兼業農家かなぁ」
「あ、公務員なんだ」
「うん。お母さんは専業主婦だから、ほとんどお母さんが趣味で畑やってる」
「既に趣味の領域超えてるよね」
「そっかな、お母さん聞いたら喜ぶよ」
「お兄様~、今日はおでんがいいなぁ~」
メグル君必殺、猫なで声が出た!
「じゃあ、あとで卵と蒟蒻とがんもどき買って来い」
「ラジャ! 綺羅ちゃん借ります!」
「それくらい一人で行け。今日は和服で綺羅も疲れてる」
「あたしなら大丈夫です」
「綺羅が一緒に行きたいなら二人で行ってこい」
メグル君が上目遣いにあたしを見る。出た。これは甘えるときの目だ。
「行きたいよねー、綺羅ちゃん。僕とデート」
「えー?」
「一人で行くの、寂しいなぁ」
もう、この甘えんぼは!
「じゃあ、行きたいってことにしてあげる。もう、誰ですか、弟をこんな甘えんぼに育てたのは」
「ああ、俺だな」
カオルさん、一人で納得すると、段ボールの中身を出す作業を再開した。
第19話 綺羅の弱点
初詣から二週間くらい経って、あの日にインタビューを受けた男性ファッション誌の編集さんが我が家にやって来た。インタビュー内容の確認かと思ったらそうじゃなかった。もう雑誌は刷り上がってて、発売前日に届けに来てくれたのだ。
こういう出版社ってインタビューした相手にちゃんと届けて回るんだな、大変だな……と思ったら、実はそうじゃなかった。挨拶に来た人は、先日の記事の担当さんじゃなかったのだ。
中嶋さんと名乗った担当さんは、挨拶もそこそこに切り出した。
「単刀直入に申し上げます。風間さんご兄弟には当方B-MENの専属モデルになっていただけないものかというご相談に伺いました」
「そうですか、丁重にお断りさせていただきます」
はいいいいい?
カオルさん、一刀両断、冷酷非情、即断即決! 頭を下げる担当さんのド正面から、バッサリ一言で切り捨てた。
「あの、何故でしょうか? どこか他社と契約なさってますか?」
「いえ」
「B-MENでは物足りない?」
「そんなことはありません」
「何か不安要素でも?」
「別に」
「じゃあ、何故?」
前のめりになる担当さんに対して、まるでやる気の欠片も見えないカオルさんは、眼鏡のフレームをついと上げるとテーブルの上で手を組んだ。
「私は漫画家です。漫画以外で収入を得ることはできません」
「漫画を描く片手間に、バイト感覚でちょっと撮影に参加していただけばいいんですよ」
「モデルってそんなに簡単なものですか? 言っておきますが漫画はそんなに簡単なものではありません。モデルもそんなに単純なものとは思えませんが」
「あ、いや、まあそうですけど」
歯切れが悪くなった中嶋さん、それでももう一度顔を上げた。
「ですが、B-MENは現在、二十代のオシャレな男性のバイブルとまで言われています。ここでモデルをやるという事は、芸能界のアイドルよりも……」
「私は漫画家なので。私の話は終わりました、後はメグルでも説得してください。仕事がありますので失礼」
それだけ言うと、カオルさんは自室に引っ込んで仕事を始めてしまった。と言っても、ドアは万年開放状態だから丸見えなんだけど。
あたしはカオルさんのそばへ行って、小声で話しかけた。
「いいんですか? B-MENって言ったらすっごい有名ですよ」
「俺はお前に条件を出した。『漫画以外では稼ぐな』と。逃げ道を作るなと言った俺がそれをやると思うか?」
ご尤もでございます。
「メグル君がやりたいって言ったらどうするんですか?」
「あいつのバイトだ、好きにすればいい」
まあ、そうですけど……。
如何ともしがたい気持ちのまま戻ってみると、担当さんとメグル君はもう話がほとんどついていた。
「ではまた近いうちに契約内容その他、細かいお話に伺いますので」
「はーい。がんばりまーす」
「それでは失礼します、薫さん、お邪魔致しました」
「あ、僕、そこまで送ります」
二人で出て行ってしまった。どうやらメグル君はモデルをやることにしたらしい。まあ、そうだよね。あれだけのイケメンだもん、モデルでもやらなきゃ勿体ないよ。
でも、カオルさんも勿体ないな。あんなに美形なのに。あーあ、勿体ない。
なんて思ってたら、当の美形から声がかかった。
「綺羅、自分の作品はどれくらい進んでる?」
「あ、はい、今ネームまで来てます」
「四月末締め切りの新人賞、出す気あるか?」
四月末か。今、一月中旬、三か月半。
「出します」
カオルさんは椅子ごとくるっとこっちを向いた。あの萌え眼鏡と目が合う。
「じゃ、そろそろ本気出せ。三月末までに仕上げるつもりでやらないと間に合わない。今の段階で一度プロット見せてみろ。現段階までのネームもな。ダメ出ししてやる」
えっ! ほんと?
「ありがとうございます、お願いします!」
「その間、綺羅は俺の方の仕上げをやっておけ」
「はいっ!」
あたしは意気揚々とカオルさんの作品の仕上げに取り掛かった。
二時間後、あたしはメグル君の作る夕食の匂いに腹の虫を刺激されながらも、カオルさんと頭を突き合わせていた。
「ここ。このシーンに二人のキスは必要か?」
「え、だってここでキスしなかったらどこでするんですか?」
「そうじゃない、ここで必要かと聞いてる」
「だって他にするとこ無いし」
「意味わからんか」
「えええ?」
何を言われてるのかわかんない。ここ以外でキスにつながるシーンが存在しない。
「綺羅、ちょっと頭が固くなってるな。メグわかるか」
フライパンを振っていたメグル君が「ん~?」とこっちを向く。
「見てないから何とも言えないけど、話だけ聞いてると、綺羅ちゃんはどうしてもキスシーンが入れたいみたいだよね。でもカオルはキスシーンそのものが必要ないんじゃないかって言ってるんだよね?」
「正解」
え? 恋愛モノなのに?
「綺羅、俺の作品、全部読んでるって言ったな?」
「はい」
「キスシーン、あったか?」
えっ? キスシーン? キスシーン……。
あれ? 無いかも!
「BLなら必ずキスシーンがあると思ってないか? 男同士のセックスシーンがあって当たり前だと思ってないか?」
「思ってます」
「俺のにはそんなシーンは無いぞ」
言われてみれば、無い。
「先入観に囚われ過ぎだ。男同士のセックスシーンなんか喜ぶのは腐女子だけだ。だが、俺の作品に食いついてる読者は腐女子だけじゃない、普通の女性たちが多い。お前気づいてないのか、俺が描いてるのはBLの仮面を被った『女性向け恋愛作品』なんだが」
「えええええっ?」
言われてみれば。
キャラの内面重視でエロシーンは殆ど無い。セックスどころかキスもしない。なのになんだか艶めかしい。そこにあるのは純粋な恋愛感情だけだ。普通の恋愛モノと違うのは、それが『男同士』ということだけだ。
そう考えると、普通の恋愛モノと何も変わらないじゃないか。
「俺の作品はエロくないか?」
「エロシーン、全然無いです。でもなんだかエロい。どうして? どれだけ考えても、エロいことなんにもしてないのに。どうなってるの?」
カオルさんはニヤリと笑うと「キモチだよ」と一言だけ言って、出来上がったハンバーグを運ぶのを手伝い始めてしまった。
キモチ。気持ち次第でエロくないシーンがエロく見える。えーっ、なんで?
「綺羅はそこをクリアしたら面白い作品が描ける。アクションに頼りすぎるな」
「とにかくご飯食べよう。カオルも綺羅ちゃんも、話の続きはご飯の後でね」
あたしは悶々としたまま、夕食をとった。
第20話 風間家大激変
二月に入った。あれからメグル君は学校に通いながらも、順調にモデルの仕事もこなしているようだ。
モデルを始めてから服装が変わるんじゃないかと思ってたけど、その辺はさすが『骨の髄まで貧乏人』風間家のDNA、今まで通り六百円のTシャツに千二百円のパーカーなんてカッコで出歩いてる。まあ、彼が着ればなんでもカッコよく見えるんだけど。
あたしの方も、もう一度カオルさんの作品を全部読んで勉強し直した。
カオルさんの作品を読んだ後に、自分の作品を読み直して気づいたことがあったんだ。あたしのは展開が唐突なうえに無理やりっぽいんだ。あたしがそういう展開に持って行きたいっていうのがモロバレで、読んでいてつまらないって言うか白けちゃう。
その点、カオルさんのは流れが自然でシーンに説得力がある。作者の無理やり感が無い。流石だ。
あたしは再び一からプロットを練り直し、自分で十分納得のいくストーリーを考えてから、カオルさんにもう一度読んで貰った。
今度の評価は上々だった。このプロットでネームを作ってみろと言われた。これはゴーサインってことだよね、カオルさん!
さらに二月末になると、カオルさんが一年前に連載していた作品『よんよんまる』にアニメ化の話が舞い込んできた。BLなのにアニメ化なんかしちゃっていいの? なんて思ったけど、確かにカオルさんの言う通りセックスシーンがあるわけでも無し、キスシーンすらないんだから、今どきのアニメの中では大人しい方かもしれない。
それにしてもアニメだよ? あのカオルさんの線の細い綺麗な絵が、生きて動いちゃうんだよ? 声優さんが声当てるんだよ? なんか凄い。これが売れっ子なんだ。こんなことが起こり得るんだ。
カオルさんは一躍『時の人』となり、あたしはアシスタント兼マネージャーという位置づけになった。それでも相変わらず「俺は顔出しNG」と一言でバッサリなカオルさんは、テレビ出演も雑誌の写真も一切断り、文字だけのインタビューには応じるという姿勢を崩さないので、マネージャーとしてはやりやすくはあった。
そんなわけで、三月に入るころにはあたしもすっかり慣れて、カオルさんと二人三脚の対応がスムーズになってきた。
その頃にはメグル君の方も可愛い系イケメンモデルとして注目を浴びるようになり、何度かテレビ出演するほどになっていた。
僅か一か月半で、あっという間に風間兄弟を取り囲む環境がひっくり返ってしまった。あたしだけが置いてけぼりを食った感じだ。それでも、毎日がお祭り騒ぎのメグル君と違って、何があっても通常運転のカオルさんの存在は、あたしにとって心の落ちつく場所になって行った。
多忙を言い訳にしないカオルさんと一緒にいると、自分も自然とそうなってくる。ドタバタしながらも、あたしの作品も順調に仕上がって行き、ネームにOKを貰ったあたしは本格的な作画に入っていた。
三月の中頃、アニメの方のスタッフとの顔合わせがあるということで、あたしはマネージャーとしてカオルさんに同行した。
アニメ制作のプロデューサーさんと、出版社の担当さん、あたしとカオルさんという少人数での顔合わせだ。場所もアニメ制作会社の会議室。
そこでいろいろ細かい打ち合わせと契約内容などについて話があり、サクッと一時間ほどで終わったんだけど……。
帰り際に出版社の担当の女性がカオルさんに小声で「あとで二人で会えない?」って言ったのが聞こえたんだ。カオルさんは「すみませんが」って断ったんだけど、その後をあたしは聞き逃さなかったのだ。
「薫君、私を忘れたの?」
カオルさんは彼女を一瞥すると「綺羅、帰るぞ」って問答無用でその場を後にしたのだ。あたしにどうしろと?
仕方ないので、あたしは何も聞かなかったふうを装って、その担当さんにめっちゃ笑顔で挨拶して慌ててカオルさんの後を追った。カオルさんはそのまま振り返りもせずにまっすぐ駅まで凄まじい速足で歩き、電車に乗るころにはあたしは精神的にも肉体的にもフラフラのヘロヘロになっていた。
「すまん」
電車に乗って開口一番、カオルさんは申し訳なさそうにあたしに謝った。
「い、いえ、全然」
全然ヤバかったです。こういう時の大人な対処の仕方、あたしはまだ知りません。
「あの……出版社の担当の人、知り合いなんですか?」
「知らん。初対面だ。担当が変わったからな」
そう言ってる間も、周りの乗客(特に女性)の視線が痛い。顔の前に落ちてきた髪の毛を耳にかける仕草が壮絶に色っぽい。カオルさん美しすぎだ、少しでいいから自覚しろ。
「ああいうの、多いんですか? 初対面の癖に昔からの知り合いみたいなふりして誘ってくる人」
「あんなのばっかりだ。だから外出は嫌いなんだ」
美形も大変だな……。良かった、あたしはパッとしないヴィジュアルで。
「メグみたいにサラッと躱すことができない性格だからな、俺は」
「メグル君、そういうの上手ですよね。相手の気分を害さずに上手に断って。大人だなぁ」
「俺が昔からこんなだから、メグが周りに気を遣うようになったんだ。あいつには悪いと思ってるんだが。俺もメグくらい上手く立ち回れればいいんだが、この性格はどうにもならん」
へえ……そうなんだ。メグル君がカオルさんに対してのコンプレックスを持ってるって、カオルさんは知らないんだろうか。
「またこんなことがあるかもしれない、申し訳ないとは思ってるんだが」
「いえっ、全然OKです! どっからでもかかって来いです」
あたしがガッツポーズをして見せると、カオルさんがふんわりと微笑んだ。その破壊力の凄まじさと言ったら! 周りの乗客たちから一斉にため息が漏れたくらいだ。みんなどんだけカオルさんを見てんのよ……。
「そんなことより、家に帰ったらそろそろ綺羅の作品の最終チェックをしないとな。だいぶ出来上がってるんだろう?」
「はい。今回は自信あります。まだベタもトーンもかかってないんですけど、ペン入れはほぼ終わってます」
「じゃ、帰りにドーナツ買っていくか」
「はいっ!」
あたしたちはいつものように、メグル君のチョコドーナツと、あたしのクリームドーナツと、カオルさんのクルミの入った味気ない焼きドーナツを買って帰った。