薄幸少女を異世界勇者が幸せにします!

 目がまわる。ぐるぐるまわる。
 雨がざーざー降っている。

 降る雨は、私の涙。
 空の色は、私の心。
 
 今日も良いことなんて一つもなかった。
 死ねば楽になれるのに。
  
 死にたい、だけど死にたくない。
 痛いのは嫌だ、怖いのも嫌だ。
 

「はぁ……なにいっているんだろ、私」


 今日も仕事場でうまくやれなかった。
 うまく立ち回ることができなかった。

 なんで私は人とうまくやれないのだろう。
 たまに思うのだ私はこの世界の人間ではないのではないかと。
 生まれる世界を間違えたのではないかと。

 そうでなければ説明がつかない。
 そうでなければ救いはない。


「ピピー、がー。ザー。交信――SOS、私を本来居るべき所へ」


 分かっている、こんなのは逃避だって。
 狂人の真似事をしても何も変わらないと。

 
 ほら、今日も会社の先輩から言われたじゃないか、


 『里美さんって、コミュ障だよね。ケアレスミスとかも多いし、
  人の話を理解するのも遅い、あんた発達障害なんじゃない?』
 

 私は、会社で先輩に言われた言葉を脳内で繰り返す癖がある。
 お風呂の時には浴槽に浸かりながら、
 無意識に口ずさんでいる。

 呟けば、呟くほどに心が苦しくなるのに何故そうするのか。
 まるで、精神の自傷行為だ。


 先輩の言っている言葉には一部、誤りがある。 
 私は発達障害とは診断されていない。
 コミュ障は、その通りなのだろう。

 私が診断されている名称は『抑うつ症状』
 病気認定ではなく、軽症扱いだ。

 統合失調症、双極性障害、鬱病といったような
 国の定める三大疾病から外れるため、
 国の福祉制度の助けも受ける事はできない。
 
 5年前に大恐慌があった時に、
 心療内科に行政指導が入り、三大精神疾患と
 認定される基準は大幅に引き上げられた。


 だから見た目上の数値としては、
 重病の精神疾患患者は減っている。

 だけど、その改善した数値と矛盾するように、
 自殺者や行方不明者の数は増え続けている。


「…………疲れた」


 わからない。
 どこから道を間違ったのだろうか?

 私の母はロシアから語学留学で訪れた
 この国で父と出会い、結婚した。
 そう聞いている。

 両親は地方都市で小さな会社を経営していた。

 中学の頃までは学校でもからかい半分に、
 ご令嬢なんて呼ばれることはあったし、
 恥ずかしいとは思ったが、悪い気はしなかった。
 自分の両親が誇らしいと感じられたからだ。

 お母さんから受け継いだ、
 私の銀色の髪や金色の目も、
 嫌いじゃなかった。

 ちょうど5年前、大恐慌の煽りをくらい、
 高校1年の時に両親の会社は倒産。

 大企業の孫請会社だった両親の会社は、
 取引先の子会社が倒産するのと同時に、
 連鎖倒産することになった。

 なんとか持ち直そうと努力していたが、
 一社に依存していたため会社を精算する
 以外の手は残されていなかった。


 元従業員が会社に火をつけたのだ。
 発見が早かったため消火活動は間に合ったが、
 私の両親は一酸化中毒で死んだ。

 寄り添い死んでいたそうだ。
 死に顔も火傷のあとはなく綺麗なものだった。

 
「悲しんでいる余裕も、葬式をする余裕もなかったな」


 両親が自分自身にかけていた生命保険も、
 倒産した会社の精算のために管財人に没収された。

 会社とは関係ない持ち家、
 家具も全てを持っていかれた。

 お金もなく、住む場所もない私には、
 高校は中退せざるおえなかった。


 逃げるように地元を離れ東京に上京。


 地元の友人の顔は見たくなかったし、
 何より管財人を通さずに、
 直接怒鳴りたてる債権者が怖かった。


 私が上京してまもなく、実家は競売に出された。
 詳しいことは知らないが管財人いわく、
 二束三文で買い叩かれたそうだ。


 東京に上京して身を粉にして働いている。
 稼いだ給料の一部は債権者に支払い続けている。

 ある日、無理がたたったのか、
 勤務中に意識を失い救急車に運ばれた。

 私がはじめて心療内科に通うことになったのが、
 この出来事がきっかけである。


 処方されている薬を飲むと痛みは少し和らいだ。
 胸に刺さった痛みは確かに和らいだ。

 だけど徐々に感情が薄れていく感じがするのだ。
 お母さんの顔も、お父さんの顔も今は、うまく思い出せない。

 まるで記憶にすりガラスがかけたような感覚。

 集中力が落ちたせいで仕事でのケアレスミスも増え、
 結果として上司から怒られる事も多いようになった。
 

 もともと人とうまくやる事のできない私は、
 社内イジメの対象となりやすかったのであろう。

 銀髪、金眼といった日本人に少ない、
 身体的な特徴もターゲットに
 される一因となっているようだ。

 陰で《《いろいろ》》言われているのは知っている。
 そもそも、彼らは隠そうという気すらないのだが。



「あっ…………光……」



 ――光、強い光だ。



 ぼーっと道路を歩いていた私が悪い。
 もう、絶対に助からない。
 
 これでやっと終わらせられる。
 これで、[[rb:人生 > クソゲー]]からログアウトできる。


 私を数秒後に引くはずだったトラックが止まっている。
 いや、ゆっくりとではあるが動いてはいる。
 私の体は動かない。


 これは……走馬灯だろうか、
 降り注ぐ雨の雫が、
 まるで止まっているように見える。


 雨の雫にトラックのヘッドライトが乱反射して、
 まるで宝石のようにピカピカと光っている。


 死、救いが、間近に迫っている。
 苦しみから解放される、やっと。

 できれば痛くない方がいいな。
 ちょっとくらいなら我慢しなきゃ。


 静止した時間のなかで黒い人影。


 横断歩道の前方10メートル先、
 静止した世界の中で、
 空中に止まった雨粒を砕きながら駆ける影。


 よく見えない、体格からして男性だろうか。
 きっと、この世界から私を救い出してくれる王子様。


 まぶたを一回閉じたら目の前に居た。


 彼を私を片手に抱き、地面を蹴る。
 心地よい浮遊感。

 雨粒を砕く感覚を確かに感じる。
 これは夢なのだろうか?


 私は横断歩道の手前で、
 見知らぬ男に抱きかかえられていた。

 力強い青い瞳に黒い髪。
 全体的に筋肉質の体。

 マントを羽織ったファンタジーの勇者のような男。
 あまりにも現実感のない格好である。


 私はいつの間にか横断歩道を渡る前の場所に戻っていた。
 私の横をトラックが遠りすぎた。
 
 まるでさっきまで時間が停止したように
 感じたのは錯覚だったのだろうか。


「……あの……すみません、ぼーっとしていて。危うく轢かれるところでした。えっと、私の命を救っていただき、ありがとうございます」


 突然に目の前に現れた男性。何者だろうか。
 さっきまでの出来事は私の妄想?
 そうであれば辻褄が合う。

 目の前の男性は何かしらブツブツと呟いている、
 だけど、何を言っているのか分からない。 

 それにしてもなぜ私を助けてくれたのだろうか、
 私の知りあい……、なわけはないよね。


 雨は勢いを増していた。
 見ず知らぬ男性を家に誘うなんて危険な行為だ。

 自分でも何故そんな事をしているのか分からない。
 ただ、目の前の青年を信じてみたいと思ったのだ。


「泊めてくれるのか? 今日は雨も強いしお言葉に甘えさせてもらおうかな」


「今日だけと言わずに、家が見つかるまで……ずーっと住んでください」


 本当は、一人ぼっちが寂しいだけだ。
 15歳の時に両親を失ってからは、
 私の部屋はずっとガランとしたまま。

 盗られて困るものもさほど無い。
 失う物は何も無いのだ。

 あるのは私の命くらい。
 それだって彼がいなければ失っていた物だ。
 
 ……救ってもらったのに、"あの時に楽になれたなら"
 とか考える私は、なんて失礼な女なのだろうか。
 
 それは彼の善行を無にする行為だ。


「散らかっていて、すみません。部屋の掃除をする余裕がなくて……床の上の空き缶とか踏まないように気をつけて下さい」


「いや、俺は気にならない。なにせ俺はホームレスだからな、ははっ」


 部屋は汚い。
 平日に出勤時に捨てられる生ゴミは無いけど、

 空き缶やペットボトルのゴミの回収日が土日のせいで、
 缶とペットボトルのゴミがたまる一方だ。

 土日は起きられずにずっとベットで横になっている。
 ゴミを出す気力が湧いてこないのだ。
 
 まるで金縛りにあったように体も心も動かずベットで過ごす。
 それが、私の休日の過ごし方だ。


(…………虚しく、寂しい。生きている実感がない)


 本来であれば異性を家に招くのだから、
 恥じるべきことなのだろう。

 だけどその感情すら薄れている。
 女性らしい動揺も、トキメキも、感動もない。

 彼のせいではない。彼は、魅力的な人間だ。
 いろいろと不審なところはある……。

 だけど、少なくとも私はそう感じるのだ。
 女性としての感情を何も感じないのは、
 きっと今の私の感情が死んでいるからだ。

 部屋は汚れている空き缶は散らばっているし、
 この狭い部屋では掃除機もかけていない。
 床には安くてアルコール度数の高い酒の缶とペットボトル。

 朝に家を出て、家に帰ったらお酒を飲んで、
 土日には布団のなかで寝ているだけ。

 掃除する時間がまったくないわけではない、
 だけど、する気力が沸かないのだ。


「ああ、散らかっていてすみません。仕事と家の往復ばかりでどうしても、部屋の掃除をする余裕がなくて」


 彼が何故、無職のホームレスなのかは私は知らない。
 彼は私にないものを持っている。
 そんな気がする。
 

「いや、俺は気にならない。むしろ、泊まるところがない俺に泊まる場所を提供してくれた事に感謝だ」


「そうですか」


 私の通っている心療内科で処方される薬は、
 薬のシートから取り出してブリキの缶に入れていた。
 
 処方されている薬は8種類もあるのだ。
 シートから毎回取り出しているだけでも結構な時間がかかる。

 だから、ブリキの缶に乾燥剤を入れてチャンポンにして、
 鷲掴みにして流し込む、それが私のスタイルだ。

 ブリキの缶から取り出すのすら途中から面倒くさくなって、
 途中から机に直置きするようになった。

 出かける前に机の上に散らばった薬をミンディアの
 タブレットケースの中に入れて同僚や上司に
 悟られないよう、会社のトイレの個室で飲むのだ。


「……ああっ、また忘れてた。お医者さんに言われていた、いつものオクスリ、飲み忘れないようにしないと」


 医者から処方された薬は8種類。
 今や極彩色の毒々しい色にも慣れた。

 今は8種類の薬を水道水で飲み込むこんでいる。
 最初は嘔吐感に苛まれた時もあったが、
 今はもう、その感覚にも慣れた。

 これは自分の心の痛みを止めるために必要な儀式だ。

 まぁ……その単純な儀式すら忘れる事もあるのだから、
 救いようがない。私の心も、頭も壊れている。


「えっと……すごい量の薬だけど、もしかして風邪? 疲れているみたいだし、無理しないで横になりなよ。つーか、体調が悪い時にオレのような得体のしれない男がいたら邪魔でしょ? 好意はありがたいけどさ、迷惑をかけるつもりはないよ」


「うぅん、邪魔じゃないよ。行かない、で。それに体調が悪いのは今日だけじゃない、ずっと……そう、ずっとなの。それに私のは、治らない病気なの」

 
 見た目の奇異さとは正反対の反応だ。

 無職のホームレスと言っていたけど、
 彼の自然と出る所作、想いやり、気遣い、
 それらに隠しきれない育ちの良さを感じさせられる。 

 昔は良いところの生まれだったのかもしれない。
 人の人生は、思った通りには進んでくれない。

 
(ああ……駄目だ、くらくらする。足に力が入らない)


 この症状は風邪ではない、いつもの事である。
 薬の血中濃度が半減すると同じような症状が出る。

 さっき飲んだ薬の効果がでるのは、
 早くて30分遅いものだと1時間以上かかる。

 血中に取り込まれるには多少のタイムラグがあるのだ。


「いいの。私のは、治らないやつだから。この薬を飲むと心が落ち着くの。でも、ハルトくん気を遣ってくれてありがとうね。はぁ……今日も疲れた」


「不治の病、ってやつか……?」


「ふふっ、違うよ、そんな大げさな病気じゃないって」


 "ハルトくん"。

 薬の力を借りないと、彼の名すら呼べなかった。
 私はなんて意気地がないのだろうか。

 命を助けてくれた恩人を前にする態度ではないのだろう。
 彼には私が娼婦か何かに見えているのだろう。

 それで良い。私には、何も期待しないで欲しい。
 期待に応えることは出来ないのだから。


 あぁ……短期間で効果を出すために、
 [[rb:舌下投与 > ぜっかとうよ]]した薬の影響か、
 うまく頭がまわらない。


「ふわぁ……。ねみゅい。うん、ねみゅい。……今日はもう、寝ようか。お風呂は……うん明日の朝でいいや。そうしよう。私はちゅかれたにょ」


 舌がもつれる。
 ロレツが怪しくなって来た。
 疲れた、眠い……寂しい、虚しい。
 人のぬくもりが恋しい。


「おいおい、サトミさん大丈夫かよ」


 里美さんと呼ばれるのは嫌いだ。
 その名が呼ばれる時はいつもロクなことじゃない。

 ハルトくんには、その呼び方で呼ばれたくない。
 ハルトくん、ハルトくん……初対面の相手に
 随分と馴れ馴れしい。

 眠剤で朦朧としているせいか、
 自分が何を言っているのか良くわからない。


「ハルトくん、私のことはサトミさんじゃなくて、シキって呼んで、ね」


 何を言っているのだろうか、私は。

 ベットに誘っておいて何ではあるが、
 その後どうした良いものか分からない。

 でも……もう、そんな事はどうでも良い。


「ハルトくんも一緒に寝ない?」


「ああ、そろそろ夜も遅いからな。俺は、この広間で寝てもいいか、シキ?」


 ハルトくん、彼は優しい人だ。
 それとも私に女性としての魅力がないのか。


「うーん。一緒の布団で寝よ。私、ちょっと疲れてるから、ハルトくんが一緒のお布団で寝てくれると助かるな」


 声が少しだけ上ずってしまったかもしれない。
 嫌われたかもしれない、幻滅させたかもしれない。
 こんな私を好きになってくれるのだろうか。


「えっと……そんじゃ、おじゃまします」


 しばらくの沈黙ののちに彼は答えた。
 ちょっと赤面した表情がかわいいなと思った。
 初めてを捧げる相手が彼のような人で良かった。


「はい、どうぞ」


 自分で誘っておいてなんだろうか、
 これから先に何をしたら良いのか分からない。

 太ももの辺りに硬い感触を感じる。
 女性として認識してくれていることが嬉しい。 

 とりあえずはまずはキスだろうか。
 一度、ディープキスというのをしてみたかったんだ。


「ハルトくん、横向いて」


 凛々しくて端正な顔立ち。
 強い意志と優しさを秘めた瞳。
 それでいてどこか暖かさを感じる。

 私とは違う世界に住む真っ当な人間。
 
 私は、彼の頬をつかみ唇を重ね、
 貪るように自分の舌を彼の口内に潜り込ませる。

 なんでだろうか、ほっとする。
 彼のことは何も知らない。

 だけど、肌が触れ合っているだけで、
 その一瞬だけは寂しさを忘れられる。

 舌と舌を絡み合わせるだけのことなのに、
 どうしてこんなに、安心するのだろうか。

 何故かハルトくんが隣に居ると落ち着く。

 私は一体何をしているのだろう……
 ……私は……失いたくない……
 これは、夢じゃないよね……
 ……朝起きたらハルトくんが居なかったら……


 《《この世界からログアウトしよう》》


 私はそこで意識を失った。
「さて、何を作ったものかね」


 料理は嫌いじゃない、気分転換になるからな。
 あんまり凝った料理こそ作れねぇが、

 これでも仲間たちの間では、
 そこそこ評判が良かった方だ。


「つっても、冷蔵庫の中身ほとんど腐っているか、賞味期限切れじゃんよ。


 せっかくオレの料理スキルを、
 堪能してもらおうと思ったが、むぅ。


「まっ、限られた食材の中で旨いもんを作るのは冒険者には必須のスキルだ」


 賞味期限ギリギリ、つーか冷蔵庫内で乾燥のせいで
 硬くなった肉や傷んだ野菜は、
 魔法で新鮮な状態まで戻した。

 この世界に来て思う、魔法ってチートじゃね?


「適当に火で炒めてっ、と」


 味付けは塩コショウと焼き肉のタレだ。
 なかなかいい具合に出来たと思う。


「皿に載せて、完成っと!」


 シキがベットからもぞもぞと這い上がり、
 ゆら~り、ゆら~りと歩いてくる。


「おー、おはよ。調理場貸してもらったぜ」

「……おはよ、ハルトくん」


 眠そうな目を擦りながらシキがオレに抱きついて来る。
 おっぱい、当たってるんだが自覚はあるのかねぇ。

 朝の挨拶だろうかオレの頬にキスしたので、
 お返しに、オレもシキの額にキスを返した。


「ねぇねぇ、ハルトくん。今日はとっても調子が良いの」

「ははっ。ガーガーいびきかいて寝ていたからな」

「えっ……マジで? ウソっ……恥ずかしい……」

「ははっ、じょーだんだよ。じょーだん」


 ははっ、やっと女の子らしい反応を見せた。
 こうやって恥じらう姿を見ていると、
 ドチャクソ可愛い女の子だって思うんだけどな。


「なんかね、今日は調子、すっごくいいの」

「そりゃ良かったじゃねーか」


 体調が良いのは[[rb:フルヒール > 完全治癒]]と[[rb:オールキュア > 完全状態異常回復]]
 を寝ている間に使ったからだろう。

 身体欠損なんかのわかり易い外傷は無かったから、
 分かりにくいかもしれないが、本来は胴体を、
 真っ二つの状態から再生させるほどの強力な治癒魔法だ。


「メシ作ったぞ、食ってくか?」

「うん。食べる」


 まだこの世界の料理は勉強中だ。
 今日の朝食は肉野菜炒めと白米とモヤシの味噌汁。
 小柄だし、朝飯には十分だろ。


「おいしい! ハルトくんさ、無職やめてお店開いたら?」

「おいおい、褒めすぎだぞ。ただの野菜炒めだぞ?」

「なんかね、野菜がシャキシャキしていて美味しいの。不思議」

「あぁ、そりゃ素揚げつってな、事前に熱した油で野菜の表面を油でコーティングすることで、水分を逃さないようにんだ」

「よくわからないけど、凄いね」


 まぁ……料理の小技以前に、そもそも食材の鮮度を
 魔法で最高の状態にしたせいだろうけどな。

 さすがに賞味期限切れの食材で料理を作って、
 腹壊したらヒモとしても無能過ぎるからな。


「おかわり」

「あいよ。そんで、どんぐらい盛る?」

「ちょうどいい感じで」

「ほいよ」


 "ちょうどいいくらいで"とか何とも曖昧な指示だ、
 まぁ、シキはちっこいし小盛りくらいが良いだろうな。


「ほらよ」

「ありがとー」


 それにしてもいい食いっぷりだ。
 もっと旨いものを食わせたくなるってもんだ。


「ごちそうさま」

「あいよ。皿洗いとかはオレがしとくから、シキは準備でもしなよ」

「会社……行きたくないなぁ」

「行きたくなきゃ、行かなきゃいいんじゃねぇか?」

「餓死しちゃう」

「はっ、そんときゃオレが食わせてやるよ」

「えー。ハルトくん、無職なのに?」

「おいおい、痛ぇとこつくな……クリティカルヒットって奴だ」

「ふふっ、じょーだん」


 そんな感じのやりとりの後に、
 調理器具や皿を洗う。

 洗剤っつーのは便利だ。
 油があっという間に取れるから気持ちいい。


「わー。もう時間だー。そろそろ、出かけないと。会社死ね、会社死ね」

「はは。無理すんな、辞めたくなったらオレが代わりに働いてやるぜ」

「ハルトくんは、家に居るのが仕事なの。……出ていっちゃ嫌だよ」

「おうよ。つか、ホームレスのオレには出ていく所なんてねーよ。しがみついてでも出ていかねーから、安心しな」

「なかなか強気なヒモね。それと、ハルトくんにプレゼント」


 猫のキーホルダーがついたこの家のスペアキーだ。
 泊まって1日目のオレがもらっていいものかね?


「オレがもらって良いのか?」

「うん。だって、この家は私とハルトくんの家だから」

「マジかよ。うるうる、泣けてくるぜ」

「ふふっ。それじゃハルトくん、自宅の警備頼みます」

「ほいよ。んじゃ、ありがたく頂戴する」


 鍵を貰えるってことは多少は信頼してくれてるって事か。
 なかなか見る目がある子じゃないか。


「それとよ、部屋掃除とかしていいか?」

「だよね。さすがに男の子でも、この部屋は気になるよね」

「まぁ、オレは細かい事は気にならないが、ヒモ兼自宅警備員のオレとしては、さすがに何か仕事しなきゃいけないと思うわけですよ」

「嬉しい。それじゃあ、お願いしていい?」

「あいよっ、オレに任せとけ。帰ってくるまでには完璧に綺麗にしとくぜ」

「頼んだぞ、自宅警備員ハルトくん」


 その言葉のあとにバタバタと
 玄関の方にシキが駆けていった。

 なんか小動物みたいで可愛い。


「……あのね、ハルトくん。良い?」

「んっ? よくわからねぇけど、いいぜ」

「出かける時に……キスして欲しいの」


 シキをギュッと抱きしめて頬にキスする。
 抱きしめた時に気がついたが、
 シキの肩は小さく震えていた。


「大丈夫……うん、もう大丈夫。ありがとう、ハルトくん」

「どういたしまして。いってらっしゃい、シキ」


 頭をポンポンと軽く手のひらで叩いて、
 ニカっと笑顔で見送る。

 シキが出かけたのを見送った後に、
 玄関の扉を閉めて、鍵を締める。


「シキ、オレの前で強がってたけど……本当は会社って所が怖いみてぇだな」
 シキは出かける前に抱きしめた時に、
 肩が震えていた。
 オレはそれが心配だった


「つー訳でついて来たわけだ」


 考えても無駄なことはある。
 信じて見送った結果として手遅れなんて寝覚めが悪ぃ。

 シキには一宿一飯の恩義もあるしな。
 まぁ、それに可愛いからな。


「それにしても電車っつー乗り物。狭っ苦しいなぁ、地獄かよ」


 オレがいま使っている魔法は、
 [[rb:不可視化 > インビシブル]]、隠密魔法だ。

 体を透明にする魔法じゃぁない、
 あらゆる存在からオレを認識できなくする魔法だ。

 誰にも認識できないだけで存在はしているし、
 オレの側から相手に触れることも可能だ。


「それにしてもシキ、目が死んでいるな。大丈夫か?」


 誰にも聞こえないような小声でブツブツと呟いている。
 まぁ、オレの地獄耳をもってすればバッチリ聞こえるんだが。


「”えっ……マジで? ウソっ……恥ずかしい……”……私のあの時のリアクションは大袈裟だったかな、うまく普通っぽいリアクションが取れたかな……顔の表情は自然だったかな」


 おいおい、気にし過ぎだっつーの。
 変なのはオレの方だ。

 オレなんてコスプレホームレスヒモ自宅警備員の無職だぞ?
 シキ、んな小さなこと気にすんなよ。


「"なかなか強気なヒモね"……"無職やめてお店開いたら"……冗談のつもりで言ったのだけど、ハルトくんの事を傷つけてしまったのではないか、言い過ぎたのではないか……なんで私はいつも失敗をするのだろう」


 朝の楽しいやり取りの事まで気にしてんのか。
 うーん。あいつは、ちょい真面目すぎる。

 オレは、1ミリもそんなこと気にしてねーよ。
 本人が言うんだから間違いねぇ。

 いい子過ぎるのが逆に心配だぜ。
 少しはオレの雑さをおすそ分けしてやりてー位だぜ。

 なんっつーか、ひな鳥を見守る親の心境が分かってきたぜ。


「――っやめっ」


 クソみたいな顔をしたジジイが
 シキの股間のあたりをまさぐってやがった。

 あんだぁ、あのクソジジイ。
 ――殺すか。

 ……世界へ、過度な干渉をすると、
 この世界の神とかいう存在から排除されるとかいう、
 七面倒臭えルールがあるんだったな。クソが。

 なら、少しだけのお仕置きで我慢してやるよ。


「まずはこの狭い車内で絶叫されても面倒だ。[[rb:沈黙 > サイレス]]」


 オレはシキの股間を触っているクソ野郎の両腕を掴み、
 前腕の骨をゆっくりと握り潰し粉砕した。

 クソみたいな汚ねぇジジイが脂汗を流しながら、
 悶絶しているが、[[rb:沈黙 > サイレス]]のせいで叫ぶ事もできない。
 手癖の悪い手にはお仕置きが必要だ。

 魔力適正のないこの世界の人間には、
 基礎的な魔法、[[rb:不可視化 > インビシブル]]だけで、
 両腕をへし折られてすらオレを認識できないのか。


 骨は皮から突き出たりはしないようにしているから、
 大騒ぎになることもない。
 恐らく、他の奴らには腹痛だとでも思われているんだろう。

 握った部分が紫にうっ血するのは目立つので、
 表皮と毛細血管のみヒール《治癒》で再生した。


 60過ぎたオッサンが漏らしながら、
 満員電車の中をゴロゴロと転がっている。

 本来は絶叫をあげているはずなのだが、
 [[rb:沈黙 > サイレス]]のせいで、
 声を出すことができない。


「ちんこ握りつぶさなかっただけ感謝しろ」


 車内は、泣きながら漏らしたオッサンが、
 ゴロゴロと転がって阿鼻叫喚の地獄絵図――

 と、言いたいところだが、現実は違う。
 意外な事に乗客達は平静を保っている。


 というか、転がるジジイに視点をあわせない。
 まるで存在していないかのように扱う。

 この車両の乗客はこういった光景には慣れてるみたいだ。
 床を転がるローリングおっさんをチラリと見た後は、
 面倒くさそうな顔であとは、見なくなった。

 ジジイの近くの吊り皮を握っていた乗客は、
 2、3歩分だけ距離を置き自分に被害の及ばない位置に移動、
 あとは再びスマホに目を落とすだけだ。


「……なんだか、な。これはこれで、異様な光景ではあるぜ」


 正直、もう少し何らかのパニックがあるのではと思った。
 実際は違った。この満員電車の中の乗客は、
 目の前の異常な出来事に関わらないようにしているようだ。


「そういや、シキはどうなった」


 シキは吊り革を握りながらスマホを見ているな。
 でも、怖かったんだろうな足が震えている。


「可哀想に。今後は、痴漢野郎は未然にへし折る事にしよう」


 まっ、勘違いだったらオレが完全に悪人だ。
 ある程度確証を経た段階でしかボコるつもりはねーけどよ。

 それにしてもこの狭っ苦しい満員電車といい、
 この電車の中の乗客といい、最悪だ。

 この狭い空間に充満しているのは、
 殺意、憎悪、虚無、抑圧、絶望。

 戦争に行くわけでも死地に赴く訳でもないだろうに、
 コイツらが発している気配はそれらと酷似していやがる。


「あー。オレも満員電車のせいかちょい、イラついちまっている。いかんぜ」


 この満員電車というのは知らず、
 人にストレスを与えるような物らしい。

 今のオレは"オープンステータスウィンドウ"が使えない。
 自分のパラメーターを確認できないから、
 自分の精神状態や体調は感覚で把握しないといけないのだ。


「当たり前のように使えていた物が使えないとは、面倒くせぇもんだな」


 漏らしながら床をゴロゴロ転がっているローリングオッサンは
 駅員さんに担架に担がれて停車駅で降りて行った。


「自業自得だ。良い歳したジジイがガキを怯えさせていんじゃねぇよ」


 それにしてもこの電車という乗り物手持ち無沙汰になるな。
 次回乗車する時は、シキの持っている本でも持っていくかな。


「おっと、シキはここで降りるのか」


 オレは、シキが恐れる会社という場所に向かうために、
 シキのあとをつけるのであった。
「あぁ、イラッとするぜ」


 電車での一件のあとに会社に付いていったが、
 シキの会社の連中はシキの挨拶は無視するくせに、
 面倒な仕事を一方的にシキに押し付けるはで、
何度も、『殺そうかな』とか思ってしまった。

 あいつら正社員の私達には働き方改革で、
 残業できないとか言って、
 面倒くせぇ仕事全部押し付けて帰っちまった。

 職場で動けばとばっちりがシキに行く可能性もある。
 ヤるなら、社外で各個撃破だな。

 もちろん殺しはしねぇぜ?
 ちょーっとだけお灸をすえるだけだ。


(あー。七面倒臭ぇ、世界の矯正力とやらが働かなきゃ、ボコらせて分からせられんだけどなぁ。あんな会社辞めさせて、オレが力仕事とか始めた方がラクなんじゃねぇか? 勇者パワーで小さな山程度ならパンチで破壊できるしな)


「……まぁ、それやったら一発でこの世界の矯正力に排除されちまうんだけどな」


 オレは、『節電』とやらのせいで、
 シキは一人暗いオフィスの中で仕事を
 11時過ぎるまで黙々としていた。

 オレは、何度か[[rb:フルヒール > 完全治癒]]と、
 [[rb:オールキュア > 完全状態異常回復]]で、
 シキの体力の消耗を抑えるようにサポートした。


 オレはシキが電車に乗ったのを見送ってから、
 [[rb:転移 > ワープ]]の魔法で家に戻ってきた。

 家の片付けについては、勇者パワーと
 魔法を使えば数十分で終えることができた。

 ゴミはほとんどが土日だけしか捨てられない、
 空き缶、缶詰、ペットボトルだったから、
 量の割にはわりとあっさり片付いた。


「ふぅ、ゴミは完了。次は風呂場だ」


 風呂場は天井やゴムパッキンの間に根を生やした
 カビを全殺しにした。大量虐殺だ。


 つっても、シキは普段はシャワーしか、
 使ってないみたいだけどな


「明日は休みの日らしいから風呂をあたためといてやるか」


 オレの回復魔法は自然治癒能力を超強化するものだ。
 切断した腕も一瞬で回復するほどの魔法ではあるが、
 それだけで癒せない、疲れもある。


「そういう時は、風呂に肩まで浸かるのが最高なんだよ」


 浴槽は[[rb:水生成魔法 > クリエイトウオーター]]で満たした。
 最も簡単な基礎魔法と呼ばれている魔法だが、

 勇者クラスが行使するとただの水ではなく、
 美味しく、肌にも良い水となるのだ。


「夕メシはマシヤの牛丼を食ってくるらしいから、今日はいらんだろ」


 それにしても20歳になったばかりの女の子が、
 こんな夜遅くまで仕事させるなんて、
 あまりにも可哀想だ。


「オレも仕事すっかなぁ。身分証どーすっかとか問題はあるけどよ」


 玄関のほうでガチャリと扉が開かれる音がした。
 シキが帰ってきたっつーことだ。

 オレは玄関のドアノブを掴みシキを家に入れる。


「おう、おかえり!」

「……ただ、いま」

「シキ、一日頑張ったな。偉いぞ」


 ウソではない、本音だ。
 透明化して一日のシキの様子を見て分かった。
 シキが赴いているのは、戦場だった。

 体から血は流れないかもしれないが、
 心から血は流れている。

 そして、真っ当な魔法で心を癒やすのは不可能。
 洗脳系の外法なら可能かもしれんが、
 そういうことではないだろう。


「どーしたの。ハルトくん、大袈裟だよ」


 少し頬を赤らめているようだ。
 なかなか可愛らしい反応するじゃねぇか。


「大袈裟なものかよ。シキは、偉い。オレが言うんだから間違いねぇ」

「うーん。よくわからないけど、ありがとう」

「風呂あたためておいたけど、一緒に入るか?」

「えっ……一緒に? 私が、ハルトくんと?」


 シキは、目をパチクリして驚いている。

 なんだよ、昨日キスした間柄じゃないか。
 今更、恥ずかしがることなんてないだろうによ。


「おぅ、もしかしてシキ恥ずかしかったか?」

「はっ、……恥ずかしくなんてないわ。女の子は準備があるの! ハルトくんが先にお風呂入っていて、私は後で入るから」

「はいはい。そんじゃ、一番風呂はオレがいただきます」


 昨日はシキに押されていたが、
 今日はどうやらオレに部があるらしい。

 日本のコトワザにも『押して駄目なら押し倒せ』
 っつー言葉があるもんな。要するに男は度胸だ。


「ふぅ。やっぱ、あったかい風呂は最高だぜ!」


 すりガラス越しの扉の向こうから、
 ノックの音が聞こえる。


「シキ入ってこいよ。いい湯加減だぞ~」

「……う、うん」

「って、おい。タオルグルグル巻きじゃねーか」

「私は、こうやっていつもお風呂入っているの!」


 明らかにウソだ。
 普段から風呂の中にタオル巻いて、
 入るヤツが居たら変人だ。


「んじゃ、オレもタオル取ってこようかな。さすがにオレだけ裸っつーのも、逆になんか変な感じするしな」

「いいの! ハルトくんは裸で。それとも、もしかしてハルトくんも私に見られるのが恥ずかしいの?」

「ばっ……バカ言えよ。男が、んな、ちみっちぇえこと気にするかよ」

「あら、本当かしら?」


 蠱惑的な表情で浴槽に使っているオレの膝の上に乗ってくる。
 タオル越しとは言え、エロい。
 オレの選定の剣、エクスカリバーの硬度が増している。


「ハルトくん、当たっているんですけど?」

「バカ、当たっているんじゃねーよ。当てているんだよ」


 オレなりの精一杯の強がりだ。
 別に当てているわけではなく、
 上から乗られりゃそりゃ、当たるだろよ。


「んっ……はっ……あぅ……」


 オレはシキの顔を掴んで風呂のなかでキスをする。
 形勢逆転だ。勝利の神はオレに微笑んだ。

 オレは、シキの口腔内を蹂躙する。

 ……おい……やめろっ、鎮まれ、オレのエクスカリバー!
 主の……オレの命もなく、この戦場で秘奥義を放つとは、
 おい……マジ……やめっ……やめろぉおおおっ!! 


 ――チーン


「いや、マジごめん。シキさん、そのですね。出発……進行、してしまいました」

「うわ。なんか、白いふわふわが、お風呂に浮かんでる……」

「すみません。あとで、風呂洗いますので、許してください」

「私も、からかい過ぎてごめんね、ハルトくん。その、つい楽しくってつ……」

「ははっ。まず、浴槽からあがろうか」

「そだね」


 クソッ。

 拷問、四肢切断、服毒に耐えるオレが、
 股間をまさぐられる程度で屈するとは……。
 パーティーの連中には死んでも言えねぇ。

 まだまだ、オレも修行不足ということだ。


「シキの髪ってめっちゃ柔らかくて綺麗だな。それにいい匂いがする」

 オレとシキは浴槽からあがって、
 オレはシキの頭をシャンプーで洗う事にした。

「母がロシア人だったの。銀色の髪は、ママ……うぅん、母の影響なの」

 シキはオレの頭皮マッサージが気持ちいいのか、
 微妙に眠そうな感じになっている。

「オレは、シキの銀色の髪も金色の目も好きだ。美人なかーちゃんだったんだな」

「……そんな……照れる。お世辞でも嬉しすぎるよ」

「だからさ、おっぱいも見たら、きっとおっぱいも好きになる。だから見せて?」

「みーせーまーせん!」


 そんなくだらないやり取りをしながら、
 オレはシキの髪の感触を堪能しながら楽しむのであった。
「よーし。いい感じの味付けになったぞ」

シキは死んだように寝ている。
マジで死んでいるんじゃないかと思って、
鼻先に指を当てたら息をしていたから生きてはいるらしい。

[[rb:鑑定 > アプレイズ]]、ステータスウインドウ、この2つが
使えないのはワリと面倒ではある。


「まっ。文句言っても仕方ねぇ。慣れるしかねーやなぁ」

もう昼の12時か。

「シキ、疲れているんだな。毛布かけなおしてやるか」

俺が、シキのベッドに向かい毛布をかけ直そうとすると、
シキが目を覚ます。

「わりぃな。目覚ましちまったか?」

シキは首をフルフルと振る。

「うぅん。起こしてくれてありがとう。今何時?」

「今か。ちょうど12時だな、疲れているんなら寝ていていいんだぞ?」

「大丈夫……」


シキはちょっと考えたような表情になった後に、
俺に向かって言う。


「おはよう、ハルトくん」

「あいよ。おはようさん、シキ」

シキは体を起こして、ベッドから降りようとするも、
ベッドから転がり落ちそうになったので、
とっさに、俺が手を出して受け止める。


「おいおい。マジで大丈夫かよ? 一緒に病院行くか?」

「うぅん。ちょっと……立ちくらみ。ありがとう、ハルトくん」


俺はシキを担ぎながら、食卓へと向かう。
体が驚くほどほど軽い。
額を触り体温の確認をするも、熱はないようだ。


(なんだか分からねぇが……胸のあたりがチクチクしやがる。クソッ。俺は何に苛ついているんだ。シキを苦しめるこの世界にか――いや、ここは俺の世界じゃねぇ。それは出過ぎた感傷だ。俺はこの世界にとってイレギュラーな異物だ)


シキを食卓の椅子に座らせる。


「どーだ。今日は、元気になりそうな料理を作ったんだ。豚キムチだ」

「嬉しい。好き」


好き……俺じゃなくて、豚キムチのことだよな。
ははっ。ドキッとするじゃねぇか。

まぁ、メシは冷蔵庫のなかのありあわせだ。

レシピはシキの部屋の中の『簡単一人暮らし料理』
という本を参考にさせてもらった。

局所的時間制御魔法の行使により、
鮮度は食材として最高の状態にしている。


(つか、まぁ……じゃがいもとか目が出ているし、肉は賞味期限内ではあるが、ラップかけてないせいで石のように硬いし、ニラとか半分溶けかけていたからな。そのまま食材として使えるわけがないっつー感じだったな)


「かわいい音が鳴っているぞ」

シキのおなかからくぅ~っという音が聞こえてくる。

「もー。からかわないで」


赤面しているシキ、クソ……かわいい。


「ほらよ。たまご入りわかめスープも作った。ごはんもホカホカだぞ~」

「わー嬉しいよぉ。朝からこんなに食べられるなんて、本当に幸せ」

「おしっ。食卓にはメシは並んだし、それじゃ、食おうぜ!」

「うん」

「「いただきます」」」


俺とシキは手をあわせる。


シキは俺の朝食……つーか、時間帯的には昼食だが、
気に入ってくれたようだ。

冷蔵庫の生鮮食品が無くなりそうだから、
そろっと、何らかの方法で補充しなきゃいかんなー。

俺はそんなことを考えていた。
「あっ、……あれ? わたし、さっきまで、ハルトくんのごはん食べていたはずなのに、いつのまにかお布団の中にいる。どうして?」

「ははっ。食べ終わったあと、テーブルの上でパタリと倒れて、寝ちまったんだよ。よっぽど疲れがたまっていたんだろうよ。いいから、今日はゆっくり休め」

「ごめん。本当にごめんね。今日は……ハルトくんの服をジマムラに一緒に見に行く約束していたのに。もう、今からじゃ間に合わない。ごめんね、ハルトくん」

「おいおい。謝りすぎ。いま、シキが何回 "ごめん" って言ったか分かるか?」

「えっと……、分かんない」

「だろ? まっ、俺もそんな細かいこと覚えていないだけどなっ。シキがいろいろ大変なのは分かる、だけど、少なくとも俺相手にはそんなに気を使うな」

「分かった。私、頑張ってみるよっ!」


 俺はベッドの布団で寝ているシキの頭を、
 わしゃわしゃと撫でる。


「まあ……変わるっ、つーのもなかなか難儀な話だよなぁ。ゆっくりで良い、無理して俺みたいな雑な人間になれっていっているわけじゃぁねぇからな」

「うんっ!」

「はは。まだ、肩に力が入っているな。どれ、俺がその凝り固まった肩をマッサージで柔らかくしてやろう。布団の上にお邪魔してもいいか?」

「うん。いいよ」

「それじゃ。お邪魔させてもらうぜ」


 俺は手に微弱な治癒魔法を[[rb:付与 > エンチャント]]し、
 シキの肩をゆっくりと揉む。


「おお。シキ、結構凝ってんなぁ」

「私の仕事は座り仕事だから」

「座り仕事も大変だな。どうだ、痛くないか?」

「痛くないよ。手があったかくて、体がぽかぽかする」

「そうか。俺、これで食っていけると思うか?」

「うーん。マッサージ師は、いまは結構倍率高いそうだよ?」

「冗談だ。俺にゃあ向かねぇだろ。疲れたおっさんのマッサージをするとか、めっちゃ雑になりそうだもんな」

「ふふっ。確かに、ハルトくんなら、そうね」


 やっと笑ってくれたな。
 可愛い顔してんじゃねーか。

 それにしてもこの世界の連中は、
 揃いも揃って見る目がねぇな。

 俺だったらとっくにアプローチしていたぜ。


「そんじゃ、次は背中のマッサージをするからうつ伏せになってくれ」

「はぁい」


 俺は極力体重をかけないように、
 シキの背中の上にまたがる。


「重くないか?」

「大丈夫。むしろほどよい重さが気持ちいいくらい」

「そうか。そんじゃ、鎖骨のあたりから指圧していくからな」

 俺は少し強めに指圧していく。

「ふわぁ…しょこ…ひもち……いぃ」


 どうやら気持ち良いらしい。
 俺は重点的に刺激していく。


「……はぅ……ふわぁっ……はぁっ……」

(やべぇな。妙に色っぽい声聞いていたら、俺のエクスカリバーの制御が……)

「はぅ……ハルトくん。お尻のあたりは指圧しなくていいよ」

「すまねぇ、シキ。そいつは俺の3本目の足だ」

「ふふ。知ってる。さっきの仕返し。ちょっとハルトくんからかったの」

「へへっ、良いねぇ。シキもなかなか調子が出てきたじゃねぇか」

「…………すぅ……すぅ……」

「ふむ。マッサージが気持ち良すぎて寝ちまったか」


 俺はシキを仰向けの体勢に直し、
 布団を上から掛ける。

 いまやシキは小さな寝息を立てて夢の中。
 表情はさっきより穏やかなように見える。


「おやすみ、シキ。ゆっくり休めよ」
「ハルトくん、昨日はわたし寝ているだけでごめんね」

「気にすんなよ。よっぽど疲れがたまっていたんだろうさっ」

「ごめんね」


 俺はシキの頭を、無言でワシワシと撫でる。


「おー。あれが、噂のパッションセンタージマムラか。でっけぇ服屋だなぁ!」

「ふふっ。おおげさ。ハルトくん、面白いね」


 俺の暮らしていた世界の基準で考えると、
 服屋にしてはかなり大きい。
 貴族向けの服屋もここまで大きくねぇ。

 どんな服が売っているのか楽しみだ。
 そんなことを考え、自動扉をまたぐ。


「おー。すっげぇなぁ、男用も女用もいろんな服が売っているぜ」

「ジマムラはね、服だけじゃないの。お人形さんとかも売っているの」

「おおっ、ほんとだ。このクマの人形とか、シキに似合いそうだけどな。首にリボンが付いていてかわいいじゃん」

「もうわたしはお人形っていう歳ではないわ」

「そうか? 俺は人形が似合うと思うけどね」

「うー……。そう言われちゃうと、クマの人形が欲しくなってきたよー」


 あー、ここで、俺に金がありゃあ、
 クマの人形を買ってやることもできたんだがなぁ。

 あいにく今の俺は、無一文だ……。

 今日の服だって、シキが出してくれるって話になっている。
 うーん。こりゃ、反論の余地のない、ヒモだ。


「どうしたの、ハルトくん?」

「いやな、俺もそろっと、稼ぐ手段考えないとなぁとか思ってよ。俺でも、力仕事の日雇い労働とかでなら金稼ぐことできるかなーっとか、思ってよ」

「いいの、ハルトくんは、働かなくて。おうちに居て」

「……っと、ずっとそうしている訳にもいかねぇだろ。でっけぇ男が一人家に居れば、食費も倍かかるし、服代だってそうだ。もちろん、絶対にシキに借りた分は返すけどよぉ……それにしてもよ」

「ハルトくんは、おうちに居て――っね?」

「…………」


 なぜだかこの話はあまり長引かせない方が良いと感じた。
 シキの目と言葉に、有無を言わさない強い意志を感じたからだ。


「――そんなことより、ハルトくん、服探そっ」

「そうだな。それにしても、いろんな服があるもんだ」

「ハルトくん、この服とか似合いそう」

「この銀のドクロがついたパーカーかぁ? ちょっと子供っぽくねぇか」

「そうかな? わたしは格好いいと思うよ、ハルトくん強そうだし」

「シキがそこまで言うならこれにするか」

「うん」


 灰色のフード付きのパーカーだ。

 パーカーを調整するためのヒモの先端に、
 銀色のプラスチック製のドクロが付いている。

 俺の世界では比較的子供向けの服だったんだが、
 この世界だと違うのかもしれないな。


「おーい。試着おわったぞー」

「開けていい?」

「どうぞ」

「うん。やっぱり、似合ってるっ。ハルトくん、とってもかっこいい」

「ははっ、そんなにかっこいいって言われると、照れるぜ」

「ハルトくんじゃないです。服のことです」

「おっと、そりゃぁ残念」

「……ハルトくんも格好いい、けど」


 小声でシキが呟いていた言葉は、聞かなかった事にする。
 からかうと、すげー恥ずかしがりそうだからな。
 まぁ、褒められるのは嬉しいものだ。


「ハルトくんが試着している間に、ジーパンとか靴も探しておいたよ。ためしに、試着してみてくれる、かな?」

「おお。それじゃ、せっかく持ってきてくれたもんだし着てみるかね」


 その後、シキのファッションショーに、
 マネキン役として数時間付き合うことになるのだった。

 まぁ、俺もなんだかんだでけっこー楽しかった。
 いろんな服を試すのはなかなか楽しいもんだ。

 どこの世界でも女という物は服が好きなのだぁと、
 そう、しみじみとそんなことを考えるのであった。
「たくさん買ったなぁ。こんなに買ってもらって良かったのか?」

「1万円以内で済んだから大丈夫。やっぱりジマムラは、凄いね」

「シキ、俺のために休日の貴重な時間を使ってくれてありがとうな。いつかこのお返しはするから、大船に乗った気持ちで気長に待っていなさい」

「うん、分かった。たのしみにしているね、とっても」

「おう。任せとけ!」

「ハルトくんがおうちで稼げる仕事がみつかると、いいね」

(うーん。なるほど、ね。シキは俺が外にでない前提で話をしていんのか)

「そうだな。パソコンとか使えれば家でも仕事できんのかもな?」

「パソコンはわたしが教えてあげる」

「ほう、そりゃ助かるぜ。でもよぉ、俺って実は身分証明書すら持ってないんだけど、それでも働けるのかねぇ?」

 俺の居た世界でもギルドカードが無ければ、
 仕事を受注することすら出来なかったからな。

 いろいろと面倒なことが多いこの世界のことだ、
 そのあたりも厳しいんだろうよ。

「ハルトくんって、もしかして、密入国の人、だったり?」

「……あぁ、まっそんな感じだ。シキに秘密にしていて悪かったな」

「ううん。いいの。5年前のあの世界恐慌のあとは、ハルトくんと同じような人は凄く増えているし、そんなに驚かないよ。実際、わたしの勤め先の清掃員さんもそうだし。いまは珍しくないからね」

「そんなもんなのか?」

「うん。日雇い労働の場合は身分証明書を求めないところも増えているの。明らかに見た目が外国籍の人だって分かる場合も、みんな分かっていて黙認しているみたい」

「そう、か。まっ……いろいろあるよな」

「そうだね、いろいろと厳しいよね。でも、そういう仕事は危険な仕事が多いの。だから、ハルトくんにはあんまりして欲しくないな」

「善処する。それにしてもこの国には、いろんな国の人が集まってるんだなぁ」

「そうだね」

 少し間をおいてからシキが俺に質問する。
 勇気の居る質問だったのだろう。

「……そういえば、ハルトくんってどこの国からきたの? あっ……言いにくければ無理に話さなくってもいいから。わたし、本当気にしないから」

「……えっと、そのだなぁ」

「ううん。いいの、言いたくないこともあるよね。わたし、気にしないから。わたしもいろいろあったし、嫌なことことか思い出したくないことってあるよね」

「シキは優しいな」

「わたしは、優しくなんてない、弱いだけ」

「いいや。シキは優しいね」

「なんでそう思うの?」

「なんでっ、てか? そりゃ、決まってんだろ。俺がそう思っているからだ」

「もう。ナニそれ、ハルトくんって全然論理的じゃない。ハルトくんらしい答えね……ふふっ」

「俺が言うんだから間違いねぇ。シキは優しくて、可愛くて、そして良い子だ」

「さすが無職のヒモさんが言うお言葉、説得力がありますねぇ」

 精一杯おどけてシキが答えている。
 それなら、ノッてあげるべきだろうよ。

「わっはっは。いやぁ、手厳しいねぇ。それを言われたら、ヒモの俺には返す言葉がねぇぜ! わぁー耳が痛ぇ!」

「ごめん……いまの冗談だったんだけど、無神経だったよね。言い過ぎたよね。ハルトくん、傷ついたよね?」

「いんや、全然、まったく、傷つかない」

「嘘だよ」

「はっ、嘘なもんか。シキはちょっと優しすぎるし、真面目すぎる。俺はそういうシキが好きなんだがよ。でもまっ、俺に対しては遠慮しなくても良いんだぜ?」

「わたしが、……好き?」

「ああ、俺はシキのことが好きだ。言ってなかったか?」

「――なんで?」

「そりゃ、好きだから、好きなんだろ。それ以外の理由なんて必要か?」

 シキは頬を赤らめてどう答えていいのか思案している。
 冷やかさずに、答えを待とう。

「えっと、もしかして、ハルトくんって……ロリコンの人?」

「はっ! そうそう、そういうのでいいの! それと、シキ20歳だろ。確かに容姿はすこーしばかり幼いとは思うけど、ロリコンにはならないと思うぜ」

「ふふっ、たのしい。ハルトくんと居ると、生きてるって、感じがする」

「欲がないねぇ。世の中にはきっと楽しいことがたくさんあるぜ?」

「そうかな?」

「おう、そうよ。そうに決まってる。だからよ、一緒に楽しいこと探そうぜ」

「うん」

「ほら、下むいていないで、上みろよ。ほら、なかなかいい感じの夕焼けだぞ」

「ほんとう、……綺麗」


 昼と夜の入り混じる瞬間のことを、
 [[rb:黄昏 > たそがれ]]時と言うそうだ。

 空の青い光と、水平線から顔を覗かせる[[rb:昏 > くら]]がり、
 なんだかシキの心を映しているように感じた。

 俺はシキの瞳の奥を見つめる。


「そうだな、たしかに、綺麗だ」

 俺は一緒に夕焼けをみながら、
 シキのあたまを撫でるのあった。

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