不死の軍勢を率いるぼっち死霊術師、転職してSSSランク冒険者になる。

 ツゥと、クラリスの首には一筋の雫が流れ出た。
 首に触れる魔王の指先に、凍てつくような眼光。

「……妹たちには、これ以上手を出さないでやってくれねェか」

 クラリスは《狂狼化》と共に、尖った耳も臨戦態勢を解き始めていた。
 逆立つ毛で覆われた手足は収縮し、人間のような白い手足に戻っていく。
 覚悟を決めたように目を瞑るクラリスに、イネスはひとまず殺気を緩めずに「ほぅ」と、試すように笑みを含む。

「妹と言うと、あの幼子――ティアリス・マーロゥでしょうか。それにしては、生活環境を阻めたり、厳しすぎる規範に縛り付けたりしていらっしゃるようですが」

 指先に力を込めながら言うイネスに、「そりゃそうだ……ッ!」と、拳を握りしめるクラリス。

「ドリス爺は、一年半前に頭領を止めた。原因は、アンタたち魔族が出している気味悪い空気(・・・・・・)だ。身体を蝕み、それも徐々に進行していってる。ドリス爺は、皆の体調が悪くなり始めた時からずっとずっと、この辺りで原因を突き止めようとしてくれてたんだ」

 はらりと、クラリスの首筋が月に反射して鮮明に浮かぶ。

「――っ」

 イネスの表情も、思わず曇る。
 髪で隠れていた首筋に覆われていたのは、黒い大アザだった。
 皮肉にも、それはドリスにも見られていた症状と全く同じものだ。

「……あなた、この症状はいつから?」

「数ヶ月前、身体に黒い斑点が出来たと思えば、もうこんなにデカくなってきやがった。シャリスの墓(ここ)はもう、汚染されてやがる」

 先人の墓周りは、豊かな自然に覆われている。
 それは、聖地林(リートル)でも例外では無かっただろう。
 だが、腐食された木々と、瘴気により濁った空気が漂うこの場はもはや人々にとって遊び場とは程遠くなっている。
 イネスは続けた。

「彼女らを隔離したのは、瘴気(ミアスマ)の影響を可能な限り遠ざけるためですか」

「次の頭領になれるティアだけは何としてもこんな下らねぇことに身体を蝕まれちゃならねェ。ドリス爺だって、これ以上病状を進ませるわけにはいかねェ。屈強な男どもとは違って、老人と女子供には症状の進みが早いことももう判明してるからな」

 それを聞き、イネスは満足そうにゆっくりと魔力を解放していった。

「……殺さねェんだな」

「私は最初から、魔族側(あちらがわ)と言った覚えはありませんが」

 何事もなかったかのように飄々と語るイネスは、腐った木々に手を触れていく。

「カッカッカ、そりゃすまなかったな」

 そんなイネスの様子を、訝しむようにクラリスは眺めていた。

「何から何まで意外だよ。かつての……いや、1000年前の魔族のトップが、アタシの前にいるんだからな。アンタ、亡霊だったりすんのか?」

「訳あって、1000年越しに再び現世を生きることになったのですよ」

「へー、不思議なこともあったもんだなー」

「ヒトにモノを聞いておいて、すぐに興味を無くすところも彼女ソッックリですね……!」

 腐った木の皮をペリペリ剥き出すクラリスに青筋を立てつつも、イネスはかつてを懐かしむように柔らかい笑みを浮かべていた。
 クラリスは、ふんふんと鼻息混じりで、腐食した部分だけを切り取っている。
 まだ辛うじて健康な木質を残しつつ、汚染された場所を的確に取り除いているのだ。
 ふと、イネスの目の先に浮かんだクラリスの大きな青痣は、彼女が頭領になってからの1年を現している象徴のようなものにも思えた。
 イネスは、つまらなさそうに問う。

「あなた方が、部族を護るために厳しい戒律を敷き、瘴気の影響を与えないがために居住地を狭めているのは分かりますが……ここに来た時しかり今然り、何もあなたが耐えずここにいなくてもいいのでは?」

「アタシも、出来るモンならそうしたいねェ」

 「カッカッカ」と、豪快に笑うクラリス。
 その狼のような栗色の耳が、大きくピクリと動いた。

「現魔王、ジャッジ・フェニックスはな。欲しいモンは全部手に入れたいらしい。目的は、シャリスの秘宝(・・・・・・・)だってのは、既に割れてる」

「……ジャッジですか」

「何だ、アンタ知ってんのか」

「知ってるも何も、1000年前の私の副官です。欲しいモノは力尽くで手に入れる、弱き者は徹底的に屈服させる、同種繁栄と一族信仰の根強い典型的な魔族ですよ」

「アンタ、本っ当にイネス・ルシファーなんだな」

「信じてもらえたなら、何よりです……」

 進まない話に頭を唸らせるイネスも、ふとクラリスと同じく不気味な気配に顔を歪ませた。

「アンタも気付いたようなら、話が早い。これが(・・・)アタシが(・・・・)ここにいる(・・・・・)理由だ(・・・)

 ボコボコッと。

 音を立てて、それらは地中より現れた。

 それらは、不規則な動きで二人に身体を向けている。
 イネス、クラリス両名の周りを、仰々しい異形が取り囲んでいた。

「クココ、キキ」「カコッ。カコココ……」「ンヴァッ」

 腐臭が漂い、骨と骨が重なり、軋みの音を生み出す。
 月に照らされ闇夜に浮かび上がるそれらに向けて、クラリスはすぐさま臨戦態勢を整えた。

「聞きたいことありゃ、これ片付けながらなら話してやる。今日は、いつもより数多いぞぉ」

 身体強化の魔法と共に、クラリスは魔法力を解放させた。

「……ってぇ、どうしたよ始祖の魔王サマ。まさか、この程度の軍団に腰抜かしてんじゃねェだろうな? カッカッカ」

 からかうように笑うクラリスだが、イネスは口端をヒクつかせて苦笑いを浮かべる。

「驚かないわけがないじゃないですか……。これ――」

 迫り来る異形に向けて、クラリスは勢いよく大地を蹴り上げた。

「――《不死の軍勢》、そのものなのですから……」

 腐臭漂うゾンビ、そして骨格で形成されたスケルトンは、彼女が誰よりも近くで見続けていたものだった。
 『聖のゆりかご』の、とある古びた一軒家。
 家の周りは、頭領クラリス・マーロゥ親衛隊が取り囲んでいる。
 今度こそ、ネズミ一匹取り逃がさないようにと、厳重に。

「ししょー、おかえりなさいです」

「おぉ、ミカエラ。ニーズヘッグの様子はどうだ?」

「先ほどから連続的に回復魔法をかけ続けているので、安静状態に入っています」

 そう言うミカエラは、両腕から放出される癒やしの光で膝上のニーズヘッグを包み込んでいる。
 当のニーズヘッグは、ぐったりとミカエラの膝上で目を瞑っている。

『あぁ、主よ……。帰ってきたのか……。我はちと、身体が重たくてな……どうも、ここの空気が合わぬようだ……くはははは……』

 半眼で呟くニーズヘッグに、ローグは苦笑いを浮かべる。

「確かに、お前くらい背丈が小さくなってると、瘴気(ミアスマ)の影響も諸に受けるだろうからな。どうする、お前だけでも《不死の軍勢》んとこに戻してやろうか?」

『ん……あぁ……申し出はありがたいのだがな……。どうも、霊的結合の具合も悪い現状では《不死の軍勢》と行動を供にしたとて、またこうして意識あるまま帰ってこられるかは分からなくなりそうだ……。とはいえ、死ぬまではいかぬが、今回ばかりは役に立ちそうにない。すまぬな、主よ』

「先に皇国に帰る手はないのか? 何なら、イネスに頼み込めば――」

「この状況で主と離れるわけにもいかぬ。我々は受肉したとは言え、霊的結合は主の力頼りだ。主と距離が離れれば離れるほどその結合力は薄まる上に、一度肉体と魂が離れてしまえば、バルラの紅髪男のようになってしまうだろう。それは我としても……避けたいのだ」

 ヴォイド・メルクールの肉体は現在、皇国大聖堂の最深部に置かれているらしい。
 現状、彼の肉体は生き続けているが、魂はこの世のどこかを彷徨い続けている。
 肉体が朽ち果てるまで、成仏出来ぬまま、意識はあるままに思念体のみで世界を放浪し続けることになる。
 それはまさしく、全ての生き物にとっての生き地獄に他ならない。

「そ、そんなに深刻なのか……」

 ローグの持つ《不死の軍勢》はいつも地中から現れているが、彼らは本質的に、どこにでもいて(・・・・・・・)どこにもいない(・・・・・・・)存在である。
 死霊術師(ネクロマンサー)の作り出した空間の中に存在するそれらの《誓約》を解除することによって、不死者(アンデッド)たちは堰を切るようにしてこの世に姿を現す。
 直接この世に受肉を行っているイネス、ニーズヘッグたちに対しても受肉術を解除すれば《不死の軍勢》と同じ空間にいさせることは出来るものの、現世との結び付きの薄い死霊術師(ネクロマンサー)の作り上げた空間に行けば、そちらの方に引っ張られていくこともある。

 ただでさえ瘴気(ミアスマ)の影響で弱っているニーズヘッグは、戻って来れなくなる可能性もあるのだった。それほど、彼の体調は深刻のようだった。

『今は、ミカエラに治癒の光を送ってもらえているだけでありがたい……』

「大丈夫ですよ、ニーズヘッグさん! 私の力が頼りになるなら、何なりと!」

『優しい娘だ……』

 いつになく殊勝なニーズヘッグは、まるで飼い猫のようにごろんと、ミカエラの上で足を伸ばしていた。
 そんなミカエラとニーズヘッグの姿を横目に、ローグはとぼとぼとこちらにやってくる一つの影に目をやった。

「……ティアリスか」

 もじもじと、申し訳なさそうに獣耳を垂れ下ろしていたのは、ティアリス・マーロゥだ。

「ローグの旦那、申し訳ないの。せっかく来てもらったのに、これじゃあ、もう――」

 涙混じりに呟くティアリス。そんなティアリスの頭をポンポンと叩きながら、笑った。

「俺がいなくても大丈夫だ。何せ、送り出したのが俺んとこで抱えてる、最強戦力(・・・・)だからな」

「……あの女の人が?」

 続くように、ニーズヘッグがむにゃむにゃと語る。

『奴は、元々存在自体が禁忌に近いものがあるからな。それに……奴にとっては、思い入れのある地でもある……』

「思い入れの地?」

「ま、そこは人それぞれだ。イネスに任せておけば間違いないことは確かだ」

『そういうことだ……』

「ですね!」

 ローグパーティーの三人が、心の底から信頼しているであろうイネス・ルシファーのことを話しているのを間近で眺めているティアリスは、ぽそりと「羨ましいの」と呟くほか無かった。

「クラリス姉が遠くに行っているような気がするの。ドリス爺が引退してから、前みたいに、笑わなくなったの……」

 藁葺き屋根の下の縁側で瞬く星を見上げながら、ティアリスはぽつり、呟く。
 その瞬く星は、どこかローグたちにも淀んで見えた。
 足をぷらんと伸ばしながら言うティアリスに、ローグはおずおずと問うた。

「例の、シャリス墓荒らし事件ってやつからか?」

「そうなの。1年半前、ドリス爺が風土病に罹ってからのしばらくはクラリス姉も張り切ってたのに、いつからか……村の大人たち以外はここに閉じ込めるようになって、それが1年も続いてるの……」

「なるほどねぇ」

 示し合わすように、弾ける魔力と魔法力のぶつかり合いを遠くから感じたローグとニーズヘッグがふと顔を見合わしていた。
 そんな二人に、ティアリスは意外な言葉を口に出した。

「狙いはシャリス墓地に埋葬されている、一族秘伝の宝物――『初代の秘宝』かもしれないって、村の皆は言ってるの。クラリス姉は、みんなのこと……疑っちゃってるのかなって、思うの……」

 しゅんと、尻尾と耳を垂れ下げて語るティアリスの表情は、やはりどこか寂しそうで。
 ローグは思わず、オウム返し気味に「初代の秘宝?」とティアリスに返す。

「そうなの。初代が自らが死するときに埋めたとされる、唯一無二の秘宝。魔族を打ち倒せるほどの逸品。そう言われてるの」

「魔族を打ち倒せるほどの逸品……? そりゃなんとも物騒な宝だな」

「聞けば、魔族の臭いが出入りしていたりするから、それを打ち倒すために獣人族の仲間が掘り返しているって噂と、だいぶ隣に住む魔人さんが掘り起こそうとしている、とか……」

「魔人さん、か。そりゃ随分と好意的なことだ」

「以前は仲が悪かったみたいなの。それでも最近は、ようやく仲良く出来ているみたいなの。いつかティアたちも、魔人さんには会ってみたいなって思ってたところだったの」

 遠くで微かに感じる魔力と魔法力の波動を肌で感じるローグたちとは対照的に、ティアリスは寂しそうに俯いている。

「魔人さん、ねぇ」

 ふと呟くローグの目線の先にある《魔族領域(ダレス)》からは、不気味な気配が立ち込め続けていたのだった。
「理解できたかい、イネス・ルシファー。これが、今の聖地林(リートル)の現状さ」

 大量の屍の上に立つクラリスは、腐人たちの汚れた肉片のついた頬を手甲で拭いつつ空を見上げた。
 戦闘不能に陥った《不死の軍勢》は、黒い粒子となって宙へと霧散していく。

「戦闘不能になれば、一時死霊術師(ネクロマンサー)空間に戻して再構築を図る、ということでしょうね」

「そのネクロなんだかってのはよく分かんねぇが、これが毎晩繰り返されてんだ。アタシがここを防衛してねぇと、『聖のゆりかご』にまで押し寄せちまう可能性が高ェからな。今は出現地域はシャリスの墓前に限局しているが、今後もそうとは限らねェもんだ」

 首をコキコキと回しながら、疲労も深そうに笑うクラリスに、イネスは疑念の目を送る。

「なるほど、私たちはとてもタイミングの悪い時期にお邪魔してしまったようですね」

「そーいうこった。とはいえティアたちの客だっていうアンタらにゃ、悪ぃことしたな。ティアの気持ちも分かんなくはねーけど、今はとてもじゃないが、な」

 軽やかに笑うクラリスは、獣人族特有の効く鼻(・・・)を抑えて嫌悪感を露わにしていた。

「ま、今夜の用事は終わったようなモンだ。今日のアタシの勤めは終わりって言いたいところだが、せっかくだ」

 そう言って、クラリスはポケットに手を突っ込んだ。
 呆気にとられるイネスに構わず、モノを投げてイネスに渡した。

「これでも食いながら、アンタのこと教えてくれ。初代の話を直に聞けるってのは、なかなかねェしな。それ、聖地林(リートル)原産カリンだ。まだ汚染されていないトコから収穫したもんだ。安心してくれ」

 イネスが受け取ったそれは、拳大ほどの丸い果物のようだった。
 真っ赤な皮と、少しだけ緑色の残るヘタ部分をつまむイネスは、「どうも」とだけ言葉を返す。

「務め終わりはこれ食って元気出してんだ。っか~~~! この酸っぱ甘いのがたまんないねェ!」

 しゃくり、しゃくりと心地の良い咀嚼音を奏でながら皮ごと貪って、尻尾をふりふり揺らすティアリスに倣って、イネスも小さく口を開けた。

「……懐かしいですね、この味は」

「んだよ、食ったことあんじゃねェか」

「1000年ほど昔の話ですけどね」

 既に芯だけとなっていながらも、大きな口をあんぐりと開けて最後までバリボリ囓るクラリスは、からかい気味にイネスを見つめる。

「なぁ、イネス・ルシファー。アタシと初代ってのは、そんなに似てるのかい?」

「そうですね。出会いから何から、瓜二つと言っても過言ではないでしょう。彼女と一番最初に出会った時も、戦闘スタートでしたからね」

 遠い昔を懐かしむようにして、カリンを口に含みつつ、イネスは墓前で語る。
 遥か1000年前に、魔族の長としてたった独り《恐怖の象徴》を続けていたこと。

 現実逃避するように、魔族領域(ダレス)から足を伸ばしてみたところ、この場所でシャリス・マーロゥという獣人族に出会った。

 もちろん、敵対している獣人族と魔族。初見での衝突は避けられず、辺り一帯の地形を変えるほどの三日三晩の肉弾戦から彼女らの関係は始まった。

「……なるほどな。初代の墓や、アンタの墓付近が狭い盆地みたいになってたのは、そういうことだったか。聖地林(リートル)の中でも、ここらは特に土地が低いからな。にしても、こんだけ地形変えるとなっちゃ相当だな……」

「1000年も経てば、新たな地形が出来ます。景観も、随分変わりましたよ」

 そう言いながら、イネスは続ける。

 当時、いくつもの部族が連なる獣人族はこの聖地林(リートル)での部族間抗争も頻発しており、獣人族自体の数も激減しつつあった。
 そんな中、最も部族構成人数の少ないマーロゥ族の長であったシャリス・マーロゥとの出会いは、互いが互いに大きすぎる悩みを抱えていた。
 部族間抗争、内部崩壊などで身内ですらも信用出来なくなっていたシャリス・マーロゥ。
 身内に決して弱みを見せられず、《恐怖の象徴》であり続けることを選んだイネス・ルシファー。

 そんな孤独を抱える二人が、種族を超えた友情を芽生えさせるのに、そう時間はかからなかった。

「魔族の権威を知らしめるために獣人族を利用させて貰いましたし、彼女の部族統一にも随分と力を貸しました」

「……ん、ちょっと待てよ、確か初代の頃、魔族が獣人族にだけ侵略を掛けてきて、それに耐えうる部族を作るとかで先だって、ウチの初代が出しゃばった上で、統一を果たしたって伝承が残ってたんだが……!?」

「ふふふ。提案したのは私ですよ」

「……マジかよ……ガッチガチのサクラじゃねェかよ……初代の伝説……」

 イネス・ルシファーとシャリス・マーロゥの秘密裏での談合により決まった結果、魔族は自身の権威を示すだけ示すことが出来た。実害を与えずに態度だけ、獣人族を侵略するような素振りを他国に見せつける一方、共通敵を見つけた獣人族は、対処法の分かる(・・・・・・・)シャリスを中心として、徹底抗戦する素振りを見せつけた。
 かくして、イネス・ルシファーの戦略的な恐怖支配と、シャリス・マーロゥの戦略的な部族統一は成し遂げられたのだった。

「……初代の頃の部族も、よくそれで反発しなかったよな」

獣人族(かれら)が手を出さない限り、魔族(こちら)も決して手を上げることはありませんでしたからね。隣り合わせとなっている聖地林(リートル)魔族領域(ダレス)は世間一般では衝突が多い、なんて言われていましたが、流血沙汰は一度もなかったですし」

「おぉ……そ、それ、頼むから墓まで持ってってくんねェかな……」

「ふふ、もちろん承知していますよ」

 そんな歴史の裏に葬り去られていたトンデモ情報が改めて流れるとなると、再び獣人族は混沌に陥るだろう。
 イネスはクスクスと笑いながら、思い出話に花を咲かせていた。
 そんなイネスを見て、クラリスはおずおずと問う。

「そ、そんじゃさ……教えてもらっていいかな。今のアンタから考えると、アタシはどーも信じられないことなんだけどさ」

 クラリスは、一呼吸を置いて――言い放つ。

「初代は、始祖の魔王(アンタ)に殺された……。これは、本当か?」

 その問いを、イネスは来ると知っていて、逃げなかった。
 胸元にしまった、木彫りのペンダントを見つめて、イネスは寂しそうに呟いた。

「私が彼女をこの手に掛けたことというならば、紛れもない、事実ですよ」

 クラリスの尻尾が、ふわりと小さく逆立つのを見据えながらイネスは毅然と立ち尽くしていた。
「『(じゃ)の気、身体に染め込めば、汝が身体は邪に至る。汝が心も邪に至る』……てのは、初代から受け継がれてきた教訓だ」

 クラリスは、次のカリンに手を伸ばし、力任せにかぶりつく。

「今までの頭領からしちゃ何のこっちゃ分からなかったらしいが、ドリス爺とアタシの代で分かった気がするよ」

 そう言いがら、クラリスは自信の栗色の髪を掻き上げ、現れた青痣を指した。

「これは、いつアタシらの魂まで侵食してくんだ?」

 冷淡に言うクラリス。
 イネスは、動揺すること無く答える。

「あなたの身体を蝕むそれは、魔族領域(ダレス)から漏れ出る瘴気(ミアスマ)と呼ばれるものです。魔族以外に有害性を示す地帯に居続ければ、あなたのように斑点が出現し始めます」

「だろーな。だから、ドリス爺は前線から退いてもらってんだ」

私の経験則では(・・・・・・・)瘴気(ミアスマ)はおおよそ身体の半分ほどを覆い始めると、魂魄に悪影響を生じます。魔力に耐性の無い者が魂魄を汚染されれば、ヒトは魔物へと成り果てます。それも、ヒト以上の力を持った、暴力の化身へと」

「ほんっとうに、人と魔族ってのは相容れねぇんだな。容れ物(かたち)は似てるってのによ」

「魔力を制御できるのは、魔族だけですからね。魔力の動力源である魔素(まそ)噴出地帯は、魔族(われわれ)以外の生物はあまり近寄れませんし」

 淡々と言うイネスは、クラリスの首元の青痣をじっと見つめる。

「……おおよそ、3ヶ月と言った所でしょうか」

 イネスの答えに、クラリスは鼻で笑う。

「結構時間は残されちゃねェようだな。んで、アンタの経験則(・・・)とやらが、初代ってわけか」

 イネスは、小さく頷いた。
 そして隠さずに、現代の獣人族頭領に話した。

「当時、魔族には大いなる敵がいました。魔族領域(ダレス)周辺に現れる、《不死の軍勢》たちです。長年の私の恐怖統治に隙が出てしまったのだと、思っています。怯え続けていた人類たちが、ついに牙を剥き出したのです」

「それ、あれだな。人類国家でもお伽噺で語り継がれてる『祖史魔王譚(そしまおうたん)』ってやつだ。『恐怖で世界を支配していた魔王を、全世界の人々が一致団結して打ち倒したのです』っていう、1000年前のヒーロー譚だな」

「一応、目の前の私がその打ち倒された本人なんですけどね」

 半眼で言うイネスは、こほんと咳払いをする。

 『祖史魔王譚』は、サルディア皇国守護龍の小話『龍神伝説』に並んで今もなお人類に語り継がれる人気お伽噺の一種である。
 おおよそ1000年前に繰り広げられたそれは、人類対魔族の最初の大戦だと言われている。結果は、《始祖の魔王》の封印を含めた人類側の勝利に終わりはしたが、その戦争はその後果てしなく続く長い人魔対立の序章に過ぎなかった。

「アタシも昔はよくドリス爺に言われてたよ。夜更かししてる悪い子は、無数の翼を持つ女に攫われる。恐怖の魔王が、悪い子を引き連れていくぞぉぉ……ってな」

「サルディア皇国の兵士にも同じ事を言われましたね。ですが、今となると1000年前のお伽噺よりも、6年前の《世界七賢人》伝説の方が主流でしょう」

「まーな。世界七賢人(アタシら)がやっつけた魔族も、噂に聞くより随分と弱体化してたし、参考になんねェ。世間様じゃ魔族を壊滅させただなんだと、アタシらを異常にもてはやしちゃいるが、総本山はまだ息潜めてっからな。虎視眈々と、再起の時を狙ってやがる」

 そう言って、クラリスが見つめるのは魔族領域(ダレス)の紫がかった空だ。
 イネス・ルシファー亡き後の1000年間を統治する不死鳥(フェニックス)一族の長ジャッジ・フェニックスの根城だ。
 クラリスは思い出したように言う。

「そーいや、初代が代替わりしたってのも最初の人魔大戦の時だったかな。アンタと仲が良かったってことは、それなりに関係してんのか?」

「えぇ。やはり、魔族は数が少なく劣勢の立場を強いられていました」

 人類勢力の持つ最大の武器、「数」の利。
 そして、当時の死霊術師(ネクロマンサー)による、スケルトン・ゾンビ勢力の「数」の利が合わさったことは、初期人魔大戦における大きな要因の一つではあった。

 イネス・ルシファーは自ら先頭に立ち、多くの命を屠って来た。
 イネスの恐怖のみによる統治を良しとしなかった当時の副官、ジャッジ・フェニックスの離反を頭に入れつつの戦闘は、流石のイネスにも重荷であり、ついぞ魔族領域(ダレス)内部に敵を引き入れるまでになった。

「そんな時、シャリスが私を助けにきてくれたのです。仮面を被り、身分を隠し、私の一友人として、最前線の戦場にやってきてくれました」

「そりゃ初耳だな」

 興味深そうに聞き耳を立てるクラリス。
 もちろん、獣人族が魔族と共闘したと人類が知れば、部族もろとも被害を受けることを案じたのだろう。
 獣人族でありながら、本来ならば何の得にもならないにも関わらず、シャリスはイネスと共に戦場を駆け回った。
 シャリスは、殺しこそ行わなかったものの、半年もの長い期間を魔族領域(ダレス)にて、戦いに費やした。
 その間、彼女の身体に迫る瘴気(ミアスマ)汚染の影響を、微塵も感じさせること無く――。

「今でこそ、一部瘴気(ミアスマ)汚染は魔族以外の種族に影響があることが判明していますが、当時誰も近付こうとしなかった魔族領域(ダレス)においては前例も無く、ほとんどの者が気付くことはありませんでした。――彼女自身を、除いて」

 クラリスは、ごくりと生唾を飲み込んだ。
 自身の首を隠すようにして手で抑え、冷や汗混じりに呟く。 

「――そこで、瘴気ってのを過剰摂取しちまってた……ってことか」

 イネスがシャリスの瘴気汚染に気がついた時には、もう手遅れだった。
 瘴気を過剰に体内に取り込んだことによる、狂魔化(きょうまか)現象。
 体と心は邪に蝕まれ、人としての言語と思考回路も放棄した、人の形をした魔物(・・・・・・・・)が出来上がっていたのだった。

 ――シャリス! 聞こえますか、シャリス!! 返事をしなさい、シャリスッ!!

 数多の戦場を乗り越えて、屍の上に立っていた、かつての盟友。
 身体半分に覆われていた大痣は、形を変えていった。
 シャリスの身体半分を覆っていた大痣は、主の魂の変調に呼応して、ねじ曲がった暗黒の紋様を浮かび上がらせる。
 言葉の通じなくなった、盟友を偲んで、イネスはぽつりと呟いたのだった。

「その時シャリスはまず、人として(・・・・)死にゆきました」
 ――1000年前、《始祖の魔王》は最期の時を迎えようとしていた。

 魔族領域(ダレス)に侵攻してきた人類との衝突から、はや1ヶ月が経っていた。
 ミレット大陸ユーリウス山脈を境に、北西に位置する魔族領域は、長らく《恐怖の地》として大陸に存在感を放っていた。
 人は、その地を語ろうとはしなかった。
 人は、その地を踏もうとはしなかった。
 人は、その地に介入しようとはしなかった。
 なぜならそこは、《恐怖の象徴》イネス・ルシファーが統治する地であったからだ。

 手を出さなければ決して害はない。
 だが人類の一部がその地(・・・)を平伏すべく手を出せば、帰って来た者で人の形をしたまま戻ってきた者は一人としてなかった。
 次第に、人は魔族領域を別次元の世界として扱っていった。
 世界の地図から、意図的に魔族領域を消し去っていった。

 それこそが、魔王イネス・ルシファーが目指した人類と魔族の唯一の共存方法だった。

 ――はずだった。

 来たる一月ほど前から人類は、一斉に侵攻を始めて来た。
 魔族領域付近に生息していた魔物、魔族の大半は一部を除いて動員しきっている。
 魔族領域の長、イネス・ルシファーが最前線に立たねばならぬほどに、イネス直轄の魔族は疲弊しきっていた。

「ただでさえ数の利で勝っている人類側で、死なない連中まで出てくるとは、厄介この上ない。イネス様、我々とていつまでもこの戦線が保てるわけではないですぞ」

「そんなもの、あなたに言われていなくても分かっています。口を動かす暇があるのならば、一つでも多く目の前の敵を葬ることを考えなさい、ジャッジ・フェニックス副官」

「ふふ、承知していますよ」

 イネスたちの前に広がっているのは、魔族領域最前線の平野を埋め尽くすほどの軍勢、おおよそ五〇〇〇。
 対するイネスたち魔族は、低級魔物部隊はとうに枯渇し、上級魔人たちを招聘するほどにまで数を減らしていたのだが、数にしておおよそ五〇〇ほど。
 戦力差は十倍だ。

「ジャッジ。この大戦においてフェニックス配下がいつまでもこの場にやってこないことに関しては、後で厳しく問いただせていただきますよ」

「すみませんね。どうやら、人類側の侵攻に畏れを為してしまったようで……ふふふ」

「人類ごときに畏れを為す魔族、ですか。その人類にここまでの侵攻を許している以上、否定は出来ないかも知れません――ねッ!!」

 三対六枚の黒翼を大きく広げ、白銀のねじ曲がった角に膨大の魔力を孕ませて敵を屠るイネスの背中を預かっているのは、ジャッジ・フェニックスという魔王の副官だ。

 筋骨隆々とした体躯に、逆立った紫色の短髪。
 強張った顔立ちに、釣り上がった野心の塊のようなギラつく瞳。
 背に生やした一対の翼は、紫色の炎を象っている形だ。
 魔族の一門、フェニックス一族。
 唯一無二の存在であり《破壊》の因子を持つイネスとは別に、《再生》の因子を持つ一族の集団だ。
 フェニックス一族の最大の特徴は、自らが死を迎える時、炎と一体化して一度この世から消え去り、数年後にどこかの火元から身体・精神共に再生するという《焔返り》を行うということだ。
 それ故に、フェニックス一族は文字通り何度でも甦る不死鳥(フェニックス)を異名に持っている。
 そんな一族の長であり、おおよそ2メートルほどの身長を誇るその大男は、背後のイネスにからかうように呟く。

「私たちが生きて帰ることが出来たならば、どうとでもなさってくださいませ」

 一見、その言葉は多勢に無勢の現状を自虐しているようにも思える。
 だが、そうではない。
 イネスは、内心舌打ちをしながら魔力を練り続け、目の前の敵を葬り続ける。

 ジャッジ・フェニックスは長い期間、イネスの副官として仕えてきているが、根本的にイネスと考えが異なる。
 恐怖による統治と、不干渉によって人類・魔族間共存を図るイネスだが、ジャッジは世界中を魔族の支配下に入れたがる節がある。

 ――私を陥れる、罠……なのでしょうね。確かに貴方にとって、これは好機でしょう。

 イネスの前に広がる軍勢も、ただの軍勢では無い。
 死なない軍勢――《不死の軍勢》の存在と、ジャッジ・フェニックスの野望とが偶然引き寄せられた結果が現在の魔族領域侵攻であることは、容易に理解出来た。
 現有戦力では、直近1月はイネス直轄の配下が大いに活躍し、多くが戦場に散った。
 数の利で勝る人類の猛攻でさえ、イネス派は難なく持ちこたえていたのだが。
 魔族も、一枚岩では無い。
 恐怖の統治を望むイネス派と、魔族単体の武力を持って世界征服を目論むジャッジ派があるなかで、ジャッジ派はこの戦争でほとんど戦力を使っていないのだ。

 ジャッジが裏で人類側と何らかの密約を交わし、侵攻させる。
 人類と魔族の対立を作り上げ、イネス派が疲弊しきり、その長であるイネス・ルシファーを堕としたところでジャッジ派が動き出す。
 これまでのイネス派の働きと、人類側の疲弊を見れば、ジャッジ保有の戦力でこれを退けることは容易のはずだ。
 イネス・ルシファーが非業の死を遂げた後に後継者としてジャッジ・フェニックスが魔王の座に着けば、効率的にジャッジは魔族の長となることが出来る。
 その後は、何の傷もついていないジャッジ派が、ある程度疲弊しきった人類側を壊滅させればいい。ただそれだけのことだ。
 だが、ただそれだけのことで、イネスの今までは全てが無に帰る。
 ジャッジの戦力は、恐ろしいことにそれが出来てしまう。
 世界は、本当の混沌に陥ってしまう。

「――潮時なのかも、しれませんね」

 ぽつり、イネスは呟いた。

 これは、表向きは人類の魔族侵攻である。
 だが実態は、魔王副官ジャッジ・フェニックスの明確な離反である。
 自分の進んできた道は、大きく間違っていたのか。
 自分の描いていた未来は、最適解ではなかった。だが、掴めるうちでは最良だった。
 
 屠っても屠っても湧いて出てくる不死の軍勢。大将首の姿も無く、ただただ無意味に魔力だけが浪費されていく。
 こうも明確な離反行為があったと分かれば、今は表向き(・・・)味方として機能しているジャッジがいつこちらに刃を向けてくるかも分からない。

「最期は孤独に終わるのも、《恐怖の象徴》にふさわしいのかもしれませんね」

 そんな、四面楚歌を感じていた、その時だった。

「まだ諦めんのは、はぇえだろッ!!」

 前方の軍勢を吹っ飛ばし、猛スピードでこちらに向かってくる一つの人影があった。
 ボサボサな栗色の髪の毛と、ぼさぼさの大きな尻尾。
 申し訳程度に顔を隠すためにつけられた、木造の面。

「最近、我等が戦場によく現れるアレ(・・)は何です、イネス様。獣人族……でしょうか?」

 予期せぬ一体の援軍に、怪訝そうにジャッジが問うと、お面をつけた獣人族は「ッカッカッカ」と軽快な動きでイネスたちの前に立ちはだかった。

「通りがかりの獣だ。大親友……じゃねぇや……いや、何でもいいが暴れたいんで、アンタらに助太刀しにきてやったぜ!」

 ピクピクと興奮気味に頭の上の獣耳を動かしたその女性。
 「な、何を言っとるんですか、こいつは」と、ジャッジが本気で首を傾げる中で、中の正体を知っているイネスは、耐えきれないように思わず口を押さえて笑みをこらえていたのだった。
「戦場を荒らし回るハイエナめ。ここは貴様らのような獣風情が来る場所ではない。転がる死体から金品でも奪いに来たか?」

「んでアタシが獣だって分かんだよ! アタシのどこが獣だってんだよ!」

「その大きな尻尾を隠しもしないで、どこが獣ではないというのだ西の猿め」

 冷静に言うジャッジ・フェニックス。
 少し間が入った後、乱入者は「うげっしまい忘れてた!」と、焦ったようにその大きな尻尾を、着ていたマントの中に隠していく。
 露骨に不機嫌な態度で、ジャッジは言う。
 意識の無い《不死の軍勢》に対し、彼の一番の武器である肉体強化の魔力と《再生》能力を組み合わせた拳の打撃を繰り出していく。
 殴り、蹴り、ゾンビに噛まれ、腐敗する。同時に《生成》の因子と共に手足は紫色の炎を迸らせて、元に戻る。
 獲物(ぶき)に一切頼らない肉体派魔族のジャッジは、頬についた埃を手甲で拭い、乱入者を睨み付ける。

「ッカッカッカ。んな怖ぇ顔しなくたって、何もアンタらに危害を加えようってのはねェ……よっ!」

 雑な木彫りの色取り取りの紋様が描かれた仮面は、獣人族の獣耳まですっぽりと覆っている。
 淡い土色のマントを翻しながら、華奢な足で乱入者は《不死の軍勢》をなぎ倒していく。
 正確無比な速攻攻撃は途切れること無く続き、乱入者の周りには次々と戦闘不能状態におかれた軍勢たちの屍が積み上げられていく。
 そんな様子を片目で見つつ、イネスは笑う。

「そうですね、どこぞの得体の知れない個人の援軍……。怪しさ極まりないですが、こちらに危害を加えそうにもありませんね」

「魔族領域に、どこの骨とも分からぬ援軍など――」

「そうでしょうか。所属が明確なのにもかかわらず、援軍を寄越さないよりは助かりますが」

「……ふん」

 イネスの一言に、ジャッジは鼻で笑って戦闘を継続させる。

「うぉららららららららららららららっっっっらあぁぁぁぁぁっ!!」

 威勢良く飛び出してきた乱入者の勢いは、止まるところを知らない。

「おいイネス! アンタ随分辛気くせぇ面してんじゃねーか!」

 イネスの背中についた乱入者に、イネスは「はぁ」と思わず笑いを含んだため息をついた。

「あなた、本当にいつもいつも、結構だと言っているでしょう。自分の所の部族がまとまりきったばかりだというのに」

「んな堅ェこと言うなって。統一は果たした。もう後ろに任せて良いだけの基盤は作ったんだ。それもこれも、イネスのおかげだ。アンタが困ってんなら、今度はアタシが助ける番になって当然だろ。なるべくこっちもバレねェようにゃするが、バレたらアンタに操られたってことにしときゃいいだろ!」

「そ、そんな技術持ってないんですが……」

「そーゆーことにしとけよな。なんたって、イネス・ルシファーは――《恐怖の象徴》なんだろッ!!」

 意気揚々と叫んだ乱入者の手先から、肉体強化の魔法で練り上げた尖る鋭爪が姿を現す。
 ドン、と。
 イネスと背中合わせになって、その乱入者はウズウズと身体を滾らせる。

「全く、後先考えないのはいつも通りですね、シャリス」

 この場において、イネスの唯一の味方と言ってもいい存在に、思わず安堵の笑みがこぼれる。
 本来ならば、こんな無謀な戦いに巻き込みたくないのが本音だ。
 だが、何よりもこんな状況だからこそ来てくれた親友に、心から感謝している自分もいた。

「ッカッカッカ。楽しもーぜ、親友」

「えぇ、もちろんです。ところで、シャリス。あなたのその腕の紋様は本当に何なのですか? 以前よりも範囲が広がっていませんか?」

 イネスは、そう呟いて乱入者――シャリス・マーロゥの腕に浮かび上がった紋様を見る。
 シャリスは、困ったような笑顔で「あー……」と頬をポリポリと?いた。

「う、ウチの部族で最近流行ってる刺繍(タトゥー)は、たまーにこうしてより深く広く刺繍掘ってくんだよ。カッケェだろ……ッカッカッカ!」

「よく見れば、身体全体にあるじゃないですか。何もそこまでしなくても良かったではないですか」

「ま、まぁな……って、おしゃべりしてる場合じゃねェだろ! 来るぞ! 後、アタシは『仮面の乱入者』だ! 間違えんじゃねェ!」

「ふふふ、それはすいませんね、『仮面の乱入者』さんッ!」

 有象無象の《不死の軍勢》、数にしておおよそ五〇〇〇対魔族軍はゴブリン、オーク、コボルトなどの下級魔族が四五〇、イネス直轄の上級魔人族らがおおよそ五〇。そして、魔王イネス・ルシファーとその副官ジャッジ・フェニックス、『仮面の乱入者』。
 数の利として圧倒的不利を強いられているものの、魔族側は個の力がある。

「――不死鳥魔法」

 ジャッジは、迫り来るゾンビ、スケルトンに照準を合わせて両腕を天に掲げた。
 ゆらゆらと腕が炎の揺らめきを醸し出し、巨大な炎の両翼が顕現する。

蘇りの両翼(デル・エーレ)

 紫色の炎を纏ったジャッジの両腕が、一気に振り下ろされた。
 強烈な熱波は飛ぶ斬撃となって、ゾンビ・スケルトン勢の群れの真ん中に突っ込んでいく。

「ォア」「コッ――」

 熱波に焼かれ、溶ける不死の軍勢たちは、黒い粒子となって宙を霧散していく。
 ジャッジは攻撃の手を緩めることはなく、両腕を銃に見立てるかのようにして次々と魔力を装弾(・・)していく。

「……いらぬ邪魔が入ったな」

 ぽつり、そう呟きながら、ジャッジの飛ぶ斬撃は次々と眼前の軍勢を消し去っていく。
 ジャッジが、不死の軍勢と適度に戦闘し、孤軍奮闘(・・・・)の様相を形作る傍らでは、膨大な魔力は未だ輝きを放ち続けていた。

「破壊魔法、破壊の連矢(ルシフェラーゼ)

 魔力で顕現させた巨大な弓を持ったイネスは、一本の巨大な鏃を手に持った。
 ヒュンっと。音を立てて弓を引けば、《破壊》の因子を纏った鏃は、幾重にも分裂していく。
 軍勢の中に入り込み、破裂していく鏃と、吹き飛ぶ肉骨片。
 次々と粒子化していく不死の軍勢だが、彼女は知っている。
 次の日にもなれば、先ほど粉々にしていた彼らも再び戦線に復帰してくることを。

「これじゃあまた、消耗戦ですね……。何とか夜明けまで持つと良いんですが」

 夜空に浮かぶ月は、あと数刻もすれば地平線に落ちるだろう。
 朝になれば、今湧きに湧いている不死の軍勢も動きが止まり、地中に還っていく。
 だが、また太陽が沈み月が昇れば、これの繰り返しだ。
 《不死の軍勢》を倒しきる方法はただ一つ。
 一晩の内に軍勢を全滅させて、術者を屠ることしかないのだ。

 現実問題として、この量の軍勢を一晩で倒しきることは不可能ではあるのだが。

「っしゃぁぁぁぁ!! アタシも負けてらんねェぜぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 威勢良く飛び出したシャリスは、イネスに負けじと不死の軍勢を一体一体殴殺していく。
 魔法でも、武具でもない。身体一つでの途切れぬ戦闘を見ると、イネスも自然と力が湧いてくるようだった。

「イネス様」

 少し距離を取っていたジャッジは、タイミングを見計らって、シャリスを注視するようにしてイネスに進言する。

「彼の者の紋様ですが、あれは本当に刺繍の類いなのでしょうか。獣人族にあのような刺繍文化はなかったと思いますが」

「……やはり、あなたもそう思いますか」

 二人の見つめる先には、両手両足にねじ曲がった黒の紋様を浮かび上がらせているシャリスの姿があった。

「――というか」

 イネスはぽつり、魔力を練り上げながら呟いた。

「あの紋様、動いているような、気が……」

 シャリスの身体に異変が走っていたことに二人が気付いた時には、もう手遅れだった。
「んだぁ? いつもより身体が火照って仕方がねェな」

 蹴りを繰り出して、敵の身体を貫いてく。
 拳を突き出して、ゾンビの胸に大きな穴を作る。
 汚く腐った肉片のついた腕を振り払いながら、シャリスは自身の腕を見て首を傾げる。

「お、おぉ……何だこれ、めっちゃうねってんじゃねぇか……。マジやばそーだな、これ」

 半笑いで、シャリスは自身の身体の異変を目で捕らえていた。
 脳裏に過ぎったのは、イネスと狩ったとある獣の思い出だった。

 イネスの統治する領域――魔族領域(ダレス)を訪れるようになってしばらく経ってのことだった。
 数ヶ月前、突然胸の中央に黒い斑点が出来はじめた。
 最初は、単なる出来物だろうと思いつつ放置していたそれは、徐々に大きな青痣となってきた。
 そろそろ、部族の者にも隠しきれないと思い始めたその矢先、両胸に跨がるように大きくなっていた青痣は、両の手足へと、まるで身体の中心から線が延びるようにして動いていった。
 胸の中心にあった大痣は、身体全身に纏わり付くような線となって分散していったのだった。
 だからこそ、親友の指摘にも、シャリスは誤魔化せていた。

 ――ところでシャリス。あなた、その刺繍は新しいお洒落ですか?

 魔族領域のとある一角。元は聖地林(リートル)にいた牙狼(ガロウ)という種類の食肉類だったが、魔族領域に迷い込み、突然変異を受けて筋肉狼(マッスルウルフ)という種の魔物へと変化した動物を仕留めたイネスは、当時シャリスにそう聞いた。

 ――あー……。まぁな。んな大したモンじゃねェんだが。

 ――山の部族って感じで、格好良いじゃないですか。

 ――アンタ、何気にアタシのこと馬鹿にしてねェか……?

 ――そ、そんなことありませんよ!? ただ本当に、格好良いなぁと思っているだけですから!

 ――は、どーだか……。

 当時のイネスたち魔族の仕事には、魔族領域に迷い込んでしまい、突然変異を受けて魔物に変化してしまった動物を討伐するというものもあった。
 それは魔族領域、聖地林双方の生態系の維持のためでもあるが、原因は不明のままだった。
 普段、人も動物も一切近寄ろうとしない魔族領域において、そのようなことが起こることこそが稀であったからだ。
 だが、突然変異体が現れることによる生態系の変異は馬鹿には出来ない。
 シャリスも部族統一がひとまず安定し、イネスも恐怖統治が全世界に轟くほどにはお互いの大仕事は片がつき始めていた。
 ちょうど、このような突然変異体が現れぬように詳しく調査を始めようと考えていた、そんな時に起こった異変だった。

「……突然変異体ってよりは、どう考えてもアタシの身体の中に流れるこれは、魔力(・・)だな。なんだ……? アタシの魔法力を、喰らってやがんのか……?」

 魔法力を身体に循環・強化させて戦うのが真骨頂である獣人族。
 見えない力の機微には、少々敏感なところがある。

「肉体強化魔法、破爪(ハソウ)!」

 シャリスが爪先に魔法力を練り上げると、十指それぞれが鋭い細剣(レイピア)のように真っ直ぐ爪が伸びていく。

「黒いな」

 ふと、練り上げ具現化させた(ぶき)を見て、シャリスはぼやく。
 通常、破爪(ハソウ)を具現化させれば、月に反射し光輝く銀に近い色の獲物が出来上がる。
 それこそ、魔法力による具現化物であるからだ。
 だが、今シャリスの目の前に現れたものは、それとは全く真逆の黒色。
 白と黒が混ざり合ったような、禍々しい、暗黒にも似た色の獲物が出来上がっていた。

 トクン。

「……っ」

 シャリスの身体の中の鼓動が、小さく活気づいた。
 彼女の身体に纏わり付く、黒い紋様が蠢き始めていた。

「……やけに身体が軽いな。自分の身体じゃないみたいだ」

 具現化させた、細剣(レイピア)まがいの爪を今一度見る。
 仮面の向こうに見えるそれは、まるで自分の身体から生成されたものとは思えないほど黒光りしている。

「ォォォォォヴァ!!」「コッカ、コクカ、コクカ……カァ?」

 ようやく我に返ったシャリスが辺りを見回すと、《不死の軍勢》に囲まれていた。
 周りに味方は誰一人もいない。視界の端では、《破壊》の因子を持つイネスの破壊魔法と、消せない紫色の炎を放つ不死鳥魔法の使い手ジャッジが、次々と周りの敵を空に吹き飛ばしては、消し去っていく。
 おおよそその2人だけの奮闘で、500ほどの軍勢は消し炭に出来ているだろう。
 日の出までは後一刻ほど。
 太陽さえ昇れば、この不気味な軍勢は音も無く地中へと還っていき、次の夜まで新たな猶予が与えられる。
 
「――術者が、視える」

 イネスも、ジャッジも、この一日をやり過ごすために戦っている。
 だが、シャリスは偶然にも(・・・・)視えてしまっていた(・・・・・・・・・)
 普段よりも数十倍効くその耳が、目が、感覚が、彼女に今までにない高揚感と戦闘意欲をもたらしていた。

魔族領域(ダレス)最東端……いや、聖地林(リートル)付近。アタシとイネスが出会った、あの場所か――ッ!」

 ざわりと、身体中の全ての毛が逆立った。
 シャリスの身体から、黒いもやのような物が立ち込める。

「ッカッカッカ! テメェら全員、ぶっ飛ばしてやらぁぁぁぁぁ!!」

 シャリスが、両腕を一振りすれば一瞬で数十の軍勢が空へ霧散していった。
 目の前を埋め尽くすほどの軍勢を前にして、一歩も退くことはなかった。
 スケルトンが、手持ちの剣でシャリスの身体に傷を与える。

 ――が。

「しゃらくせぇッ!!」

 斬られたシャリスの肩口は、黒いオーラが生じて一瞬で傷が塞がっていく。
 普段よりも更に力を抑えた状態で指を振るっても、今までの倍ほどのスピードと剣撃力が発揮されていた。

「なんだ、これ……ッ!」

 ドクン。

「力が、無限に溢れ出てくるじゃねェか……!!」

 ドクン、ドクン。

 鼓動は更に高鳴り、止めどない殺戮欲求が彼女を支配していく。

 ――楽しい。

 細剣(レイピア)のごとき十指を、舞い踊るように振るう。

 ――どんどん斬っても、終わらねぇ……!! ずっと、アタシは輝ける……ッ!!

 ドクン、ドクン、ドクン。

 シャリスの眼前は、少しずつ暗転していった。
 温かいゾンビの腐りきった血と、スケルトンのばらまいた骨粉をその身に浴び続けて。

「カッカッカッヵ! なぁ、イネス! 見ろよ、見てろよ! 術者なんて、アタシが――……術者? ……あれ、何してんだ、アタシ……。術者……? 術者って、なんだ? イネス? 誰……だ?」

 ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクン。

「――リス! ――ますか、――ス!! 返事を――」

「……ぁに言ってんか、聞こえねぇぞ……? イネス……? イネ――?」

 シャリス・マーロゥの意識は、そこを最後に途絶えた。
 身体中に纏わり付いていた紋様が増大し、彼女の全身を黒く、深く覆い尽くしていった。

 聖地林(リートル)を統一し、全獣人族の頂点に立った伝説の獣人族、シャリス・マーロゥ。
 彼女の最期については、どの文献にも記されてはいない――。
「――シャリス! 聞こえますか、シャリス!! 返事をしなさい、シャリスッ!!」

 悲痛なイネスの叫びも、暴走するそれには届かない。
 ジャッジは、含むように笑う。

「イネス様。一応、あれでも姿を隠しているのですから、個人名を叫ばれるのは些か不味いような気がします」

「……ぐ……!」

 配下に冷静に宥められ、イネスは歯を食いしばりながら大地を踏みしめる。
 その隙に、ジャッジは少しでも情報を引き出そうとイネスに詰め寄った。

「あのような現象、見覚えがありませんね。強いて言うならば、魔力暴走の末路でしょうか。あれの周囲に迸るオーラは、まさしく魔力のそれですが……」

 ジャッジとて、目前でそれを確認するのは初めてだった。
 だが、思い当たる節がないわけではない。

魔族領域(ダレス)には、古来より魔族のみしか生きられないような造り(・・)になっている。聖地林(リートル)からやってきた野生動物が、魔族領域(ダレス)で突然変異化する現象はよく起こり得ていましたが、それが人類・亜人類にも適用され得る、とのことでしょうか……?」

 聖地林(リートル)に居を置く野狼が、何らかの間違いで魔族領域(ダレス)に迷い込み、筋肉狼(マッスルウルフ)などの狼系魔獣へと突然変異を起こす現象などに代表されるような野生動物の魔獣化は、魔族領域でも時たま観測されていたことではある。
 だが、その観測範囲は動物程度のものであり、人類・亜人類までには範囲が及んではいなかった。
 とはいえ、好き好んで魔族領域(ダレス)に寄る者がいなかっただけの話でもあるのだが――。

 冷静さを欠いているイネスは、現れた黒い化け物の後を目線で追う。

「そんなもの、承知していますよ! ジャッジ、あなたは戦線の維持に努めなさい!」

 『あの化け物は野生動物以外の人類にでも作用する』というイネスの言質に、にやりと笑み、ジャッジは問う。

「イネス様は、どちらに?」

「敵味方問わず屠る彼女を止めなければ、朝になれば我々とて全滅してしまいますからね」

「イネス様は、あの人の形をした化け物(・・・・・・・・・)を止められるのですか?」

 イネス、ジャッジの目線の先には、まさしく化け物がそこにいた。
 身体は黒いもやが纏われ、その吐息の色は黒く、淀んでいる。
 瞳は紅に変色し、十指の先にはゾンビの肉片がこびり付いている。

「止めに行かねば、ならないのですよ……!」

 イネスの額に、冷や汗が混じる。

「ゥ……オ……ッヵ……ヵ!」

 戦場を荒らし回るその化け物は、明らかに獣人族の力を超越していた。
 魔法力の気配はなく、代わりに彼女の身体は膨大な魔力に埋もれていた。

「ジャッジ。今、この場は任せても、いいですね?」

 とても味方に見せつけるものではない膨大な《破壊》の因子を纏ったイネスの拳に、ジャッジは眉間に皺を寄せつつ、「――仰せのままに」とだけ呟いた。
 イネスとて、もはやジャッジの裏切りなどはとうに見えている。
 だが、この場だけでも味方せねば、直接屠ると。そう宣言しているに等しかった。

 三対の黒翼を、月沈み行く天へと大きく掲げたイネスは、全速力で黒の化け物(・・・・・)の後を追っていく。

「人も魔物たり得るのだな。面白いものを見させて頂きました。それにしても、《恐怖の象徴》ともあろうお方が、嘆かわしい」

 紫色の、不死鳥のごとき翼を象った両腕を振り、消えない紫炎を敵に浴びせかけるジャッジ。
 灼熱の炎をぶつけられた不死の軍勢は、高密度の炎に焼けただれ、粒子となって消えていく。

「あなたは、随分と弱くなられた。とてもではないが、魔族を率いる器ではない」

 黒き化け物と化した獣人族が向かおうとしている先には、一人の術師がいる。
 この連日やってくる《不死の軍勢》を率いる、死霊術師(ネクロマンサー)という名の特殊職を有した人間だ。
 今回の人間たちの、魔族領域侵攻も彼無しでは為し得なかっただろう。
 それに、前もって(・・・・)知っていなければ(・・・・・・・・)ジャッジとて、今のような落ち着きもなかった。
 人類側が望むは、《恐怖の象徴》であり絶対的な力を持つイネス・ルシファーの没落。
 ジャッジが望むは、魔族の真なる勃興。

「イネス・ルシファーさえ堕とせば魔族も終わり同然と考えたのは人間らしいが、奴等も大きな勘違いをしたものだ」

  その二つが噛み合ったことによる今回の襲撃に、ジャッジはふと溜息をついた。

「今のイネス・ルシファーは、お前たちが思うほどに《恐怖の象徴》でも、《絶対的な力》をも持て余しておらんよ。それに――」

 ――イネス・ルシファー亡き後は、ジャッジ・フェニックスの天下が待ち受けているのだから。

 抱き続けていた野望をぐっと胸にしまい、ジャッジは魔力を振るい続けていくのだった。
 黒いもやが全身に罹ったシャリスは、既に自我が崩壊していた。

「ォウッヵ……ッカ!」

 真っ直ぐに伸びた、十指の黒爪を剣のようにして縦横無尽に振り回すその姿は、まさしくケモノ(・・・)そのもの。
 一振り一振りが、ゾンビやスケルトンの身体を貫いていく。そして、ゴブリンや、イネス直属の配下たちにも――。

「な、何なんだコイツは!? 味方じゃなかったのか!?」

「不死の軍勢だけでも手一杯だってのに、なんでこんなケダモノまで!」

「自我がないぞ、こいつ! これは……魔力か? でもこんなに禍々しい魔力、見たことがないぞ? 魔族というよりは、人型の魔物だ……ッ!」

 イネス直属の魔族たちは、前方に不死者、後方に敵味方問わずなぎ倒していく黒い化け物を同時に相手にしなくてはならないという窮地に立たされた。

「こんな時に人型魔物(・・・・)とは、我々もついてなぁ――」

 とある魔族の一言が終わる前に、彼の首が宙を舞う。

「ぼ、ボティス様、戦死! 既にあの化け物によって、数十の魔族が屠られています! 不死の軍勢と戦っているときよりはるかに危険度あがっ!?」

「ッカッカッヵッヵカヵカ!!」

 報告する魔族の首を貫き、本能のままに力を振るうその化け物に、周りの空気が一気に凍っていく。
 その漆黒の両目が次に標的に定めたのは、一人の若い魔族の青年だった。

「クッカッカッカ」

 不気味な声色と、爪から垂れる赤黒い血が、青年魔族のすぐ前に差し掛かった、その時に――。

「破壊魔法魔法力付与(エンチャント)ッ! 破壊の印(メアペネム)!」

 戦場で拾い上げたその剣は、元はスケルトンのものだ。
 ボロボロになって刃こぼれを起こしてしまっているその剣に、魔族最強の《破壊》の因子を注ぎ込む。

 黒い化け物の爪剣が、青年魔族の眼球に届く前に崩壊する。

「クカカカカカヵ!!」

 額に汗を流しつつ、イネスは黒い化け物の爪剣をボロい剣で受け止める。

「い、い、イネス……様……ッ!!」

コレ(・・)は私に任せなさい。あなたたちは、朝まで戦線の維持に努めて! 残存戦力は!?」

「ハッ! 不死の軍勢による攻撃により、魔物勢は500が損失、ウァサゴ様、ベレト様、シトリー様ら家名のある魔族含め5名が戦死! 『仮面の化け物』によりボティス族の勢力が激減!」

「あなたのおかげで、今日は被害が余程甚大になりましたね……!」

 イネスは、左目から紅のオーラを放ちながら化け物の撃剣をいなし続ける。

「が!」

 シャリスの一爪が、イネスの頬を掠める。
 彼女の持つ膨大な魔法力は、そっくりそのまま魔力へと突然変異を起こしていた。

「本当に、冗談じゃすまされませんよ、シャリス……!」

「グルルルル……」

 シャリスの腕を鷲づかみ、イネスは震える唇でかつての友の瞳を見つめた。
 どこまでも暗く深い闇を体現しているかのようだ。
 魔族領域に迷い込んできた魔獣、筋肉狼(マッスルウルフ)も、本来の牙狼に戻ったという例は聞いたことがない。
 イネスは、勘で感じていた。
 もう、彼女が元の姿に戻ることはないのだと。

「ジャァッ!!」

 もはやシャリスの見る影も無く、イネスの首元に容赦なく伸びた爪剣を差し込ませる。

「っ!」

 唯一の友人のあまりの変貌ぶりに狼狽している。イネスは普段以上に動揺していた。辛うじて彼女の一撃を避ける――が。

 カランッ。

 シャリスの爪先が、イネスの首にかかっている宝物(・・)の紐を斬り裂いた。
 イネスが後生欠かさず大切にしていた、シャリスからのプレゼントである、木彫りのペンダントは、音を立てて地面に落ちる。
 ロケットペンダントは、落ちた衝撃で開かれる。中に書かれていたのは、聖地林(リートル)での共通言語であるエリック文字だ。

 短く、木に彫られたその乱雑な文字に、イネスは思わず息を詰まらせる。
 何と書いてあるかは、未だに分からない。
 シャリスは、教えてくれなかった。

「ガッガ!」

 ダンッ――!

 イネスを攻撃目標と定めたシャリスは、何の迷いも無く地面を踏み抜いた。
 ペンダントのすぐ傍に、彼女が踏み込んだことによる小さなクレーターが形成された。
 咄嗟にイネスがシャリスの腕を引かなければ、進路上にあったペンダントごと踏み抜いていただろう。

 ふいに、イネスの魔力が増大した。
 脳裏に、唯一の親友との思い出がいくつも過ぎっていた。
 
「イネス様! 前方に! 前方に軍勢を束ねる術師を――!」

「すみませんが、対処可能ならばそちらでよろしくお願いします。そして、皆に伝えなさい」

 イネスは、ボゥっと、紅のオーラを左目から迸らせた。

「――巻き添えを食らわないように、少しでも遠くに逃げなさい、と」

 報告に入った魔族の背筋が凍る。
 イネスの身体に宿る魔力の爆発を感知した味方は、次々と唾を飲んで戦場を離れようとしていた。

「ウガァァァァ!!」

 短い叫声と共に、シャリスは地を蹴り上げた。近くの木々を蹴って、目にも止まらぬ速さで高速移動を図る。
 イネスは、千切れたペンダントを拾い上げて懐にしまう。

「覚えていますか、シャリス」

 イネスは、寂しそうに一歩踏み出した。

 ――それは何ですか?

 ――ぁ? こりゃ、ペンダントだ。聖地林(リートル)に昔っから伝わる、友情の証みたいなモンだな。今からイネスにゃ、これやるよ。

 ――なるほど……。友情の証、ですか。何と書いてあるのですか?

 ――う、うっせぇな……。わざわざ言ってられっかよ!

 ――私が読めないと、意味が無いではないですか。

 木彫りのペンダントを渡されたその日からイネスは、片時も離さずに首に掛けていた。
 
 ――それなら、私も貴女方の流儀とやらに従ってみましょうか。幸いにも、もう一つあるようですしね。

 ――そりゃいいけど、アンタは何て書くんだよ。ってか、それ何の文字だよ。

 ――魔族領域(ダレス)の言語ですが?

 ――ンなの読めっかよ!!

 ――お互い様のようですね、ふふふ。

「まだ、ちゃんと持っていてくれてたんですね」

 微かに、シャリスの首にもイネスのものと同等のものが携えられている。
 清々しささえ感じられる表情で、イネスは中指に魔力を凝縮し始めた。

「……カッ」

 高速移動の最中、シャリスはふっと爪剣をイネスの首に宛がおうとする。
 だがその剣先は、イネスの首を少し掠めるだけで、彼女を絶命させるには至らない。
 辺りの木々を次々と蹴り、何回も何回も跳躍を繰り返し、シャリスの手はイネスの首に伸びる。
 だが、一撃たりとも致命傷は与えることは出来ていない。イネス自身が避けているわけではない。それはまるで、イネスを避けている(・・・・・・・・・)ように(・・・)
 ピチャリと、イネスの頬に小さな水滴が付着する。高速移動を続けるシャリスの頬は、微かに濡れていた。

「本当に、本当に、お馬鹿なんですから」

 まだ魔族と人類との交流が浅かった時代。
 自身が瘴気(ミアスマ)に犯され続けていることを知りながら、それでもシャリスは会いに来た。
 覚悟を決めたイネスの頬にも、一筋の涙が伝った。
 シャリスは、無防備にもイネスに頭を突き出す形で突っ込んできていた。
 剣になっている十指を放り投げるその姿は、戦闘すら避けているようにも見える。

「貴女は、私にとって最高の親友でしたよ」

 凝縮された魔力が人差し指と中指を伝う。
 銃を模したその指は、しっかりと照準をシャリスの額に宛てがった。

「――さようなら、シャリス」

 イネスの手銃から飛び出した魔力弾は、寸分違わずシャリスの額を穿つ。
 飛び散る鮮血がイネスの頭にぱらぱらと降りかかった時、シャリスの身体からは黒いもやが晴れていくのだった。

不死の軍勢を率いるぼっち死霊術師、転職してSSSランク冒険者になる。

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