《世界七賢人》は、文字通り世界を変えた。
人類と魔人の1000年にも及ぶ闘争に、終止符を打った。
魔人の領地は縮小され、大陸北東部のごく僅かな地域を魔人達の住処として認めさせた。
国籍も、職業も異なる七賢人同士は、互いに故郷へと戻り、明確な国境線を決めた。
地域固有の《冒険者ギルド》システムは残されたまま、各国間での未曾有の事態に備えるべく《国際ギルド連盟》システムを採用。《世界七賢人》以降現れたことの無い、Sランク以上のパーティーを誰もが目指せるようになって、はや6年。
《冒険者ギルド》加盟パーティー総数500万余りの現在において、SSランクの《世界七賢人》を上回る階級を保有するパーティーは――。
――まだ名も無きローグ・クセルのパーティーただ一つ。
○○○
龍の業火に焼かれる味方を、ヴォイドは呆然と見ているしかなかった。
あらかた掃除が終わったのか、ニーズヘッグがミニマム化してふらふらとローグの肩に止まった。
ヴン、と。次々と音を立ててヴォイドの周りに転移の魔方陣が展開され、幾人もの兵士達が姿を現していく。
「ヴォイド様! 全地区、劣勢です! 味方の魔法力反応が次々に消失!」
「ガジャ地区からご報告! Sランク級巨人出現に手がつけられません!」
「んなことよりダルン地区の方が先だ! 何だあのバカみたいな龍は! 精鋭の魔法術師が壊滅だ! もう戦線が維持できていません!」
「《世界七賢人》のお力を、今こそ帝国が為に! SSランクのその力、見せつけてやりましょうよ!」
ヴォイドの周りに次々と人が集まってくる。
「鑑定士さんは、ちゃんと皇太子さん護ってるんだろうな……? イネスに、大聖堂向かわせておけば良かったか?」
『とはいえ、鑑定士とやらの魔法力も減っているようには見えん。それなりに善戦はしているのだろう』
遠く、王都中央の大聖堂からも火の手が上がっているのを見てローグとニーズヘッグはふと呟いた。
「《世界七賢人》の、力……?」
ヴォイドは虚ろな目で呟いた。
《魔法術師》ヴォイド・メルクールはSSランクの魔法術師だ。
常日頃から魔法の改良に勤しみ、階級不明の国家に跨がる転移魔方陣だって考案し、発動させた。
彼らが何不自由も無く空間転移を公使出来るのだって、ヴォイドが簡易的な魔方陣を開発したおかげでもある。
空間魔法を始めとしたSSランクを使役するヴォイドは、当然もう一段階上の魔法習得にも臨んでいる。
だが、それは今まで使うことがなかった。
そして、これからも使うことがないだろうと、その時までは思っていた。
「はい! 先帝の遺志を受け継いで、大陸統一を為し得るのはヴォイド様しかいらっしゃいません!」
希望に満ちた瞳で、帝国兵士はヴォイドに傅く。
「そうですか、私の力が、役に立ちますか……」
「はい、もちろんです! 一緒に、闘いましょう!」
「……そうですね。皆さん、私と一緒に闘いましょう」
瞬間、ヴォイドの周囲に不気味な魔法力が漂い始めた。
ヴォイドを中心として、赤黒い魔方陣円が兵士の周りを覆った。
ゾワリ、怖気のようなものがローグの背筋をなぞる。
「ヴォ、イド……さま?」
「これは決して使うはずもなかった魔法だ。SSランクの概念を超えた、SSSランクの魔法を。ローグ・クセル。貴方がSSSランクだと言うならば、これで私は同等だ。これで私も貴方と同じだ」
魔方陣の中から、黒い質量を帯びた幾本の手が、じわじわと伸びる。
ヴォイドの周りに集った兵士達の脚に纏わり付き、臑へ、太ももへ、腰へ、胸へ、そして、首元へ。
伸縮自在の黒い手は、兵士達の身体に不気味に巻き付いていく。
「アハはハ」「アソびニキたヨ」「イっショニあソボ?」「フフフ」「オに-ちャーン!」「あタラしイおもチャガきたネ!」「わたシがさキだよー!」「きれーナかラだしテルネ!」
幾重にも重なって聞こえてくる、子供達の声。
同じ声質にもかかわらず、距離感も全く掴めない。
「ヴォ……イ……さ……?」
兵士達は、一歩も動けない。
手を伸ばし、円の外へと逃げようとするも、その黒い手は巻き付いて離れない。
黒い手はどこまでも巻き付き、兵士達の身体を丸ごと包んでいった。
その様子に、思わずニーズヘッグも苦笑する。
『おいおい、奴までこっち側に来るってのか?』
「言ってる場合か。死者の魂を扱う輩の厄介さは、俺等が一番知ってるだろ」
『くはははは。尤もだ。何にせよ、イネスの奴が見ていなくて良かったな』
「……そうだな」
帝国兵士10人余りを飲み込んだ黒い手は、光の粒子を発しながら消えていく。
もちろんそこに、飲み込まれていた10人の姿は無い。
粒子は次第にヴォイドの元へと集約されていき、彼の力は跳ね上がる。
魔法力量も、その質さえも邪気を孕む。
「子供達の鎮魂歌。かつて始祖の魔王を破滅させたSSSランク級の、伝説の魔法。かつては幼き子供の無邪気さを、命と引き換えにして取り出した。私は、部下の命を生け贄にした。自前の魔法力を、更に強めた。これで、負けない。誰にだって負けない。やれるものならば、やってみるといい。貴方が護りたいものなど、容易く破壊してみせますよ」
ヴォイドは、指をパチンと鳴らした。
姿を消したヴォイド。その行き先は、明白だった。
人の理をも捨てて、力を手にした男にローグは舌打ちをせざるを得なかった。
「わざわざこっち側に来なくてもいい奴が、そんなもん使ってんなよ……。ニーズヘッグ!」
ローグの指示と共に、再度巨大化したニーズヘッグの背に乗り込む。
『了解だ。行き先は?』
「大聖堂だ。鑑定士さん達が危ない。それと――」
『それと?』
「こっち側の領域に入ったことを、死ぬほど後悔させてやる。最後の悪あがきまでぶっ潰して――それこそ、死ぬまでな」
『……実に主らしい』
ローグの言葉に、ニーズヘッグは『くくく』と笑い、大きく翼を広げたのだった。
王都の中央に聳え立つ大聖堂に入るには、3つの関門を通り抜けなければならない。
円形状の王都において、外側をぐるりと囲む冒険者街。第二に、商人や、王都住民の暮らす一般市街。第三に、大聖堂付近に居を置く貴族街。
大聖堂にまで外部からの敵の侵入があった事は、サルディア皇国史上でも一度も無い。
――だが。
大聖堂内部から増殖し始めた山のような亜人の群れ達は、皇国の最高シンボルである大聖堂の内部を容赦なく踏み倒していく。
血みどろの闘争の影響で生じる紅の液体は、煌びやかな王室の絵画や華麗に装飾された壁にさえも付着し、血生臭さを辺りに広めていった。
「カルファ。これはもしや、絶体絶命と言う奴ではないでしょうか?」
ミーティングルームに突如として出現したのは、ゴブリンら下級魔物が100余り。
そこから、全体に広がっていく魔物の対処に、大聖堂内部は混乱を極めていた。
魔方陣から来たそれらは、一直線にルシエラを標的としていた。
「……その通りです、ルシエラ様。このような事態を招いてしまい、申し訳ありません」
皇国の敗北条件は、主に2つ。
1つに、冒険者・皇国正規兵連合を配置した王都外の部隊の全滅。ここの前線が崩壊すれば、冒険者街、一般市街、貴族街と次々に侵入を許し皇国は完敗を喫することになる。
そして、2つ目。
「ですが、ルシエラ様だけは生き抜かねばなりません。誰がどれほどの命を失おうとも、貴女だけは生き続けなければなりません。侵略者に祖国を奪われることはすなわち、、皇国4000万の命が何も無い荒野に投げ出されるに等しいのですから」
皇国王族の正統な血を引く次期皇王――ルシエラ・サルディアの死だ。
各国、未だ黎明期にある国家運営に関して、それぞれの国家の王の存在は、国のシンボルとして必要不可欠なものとして位置づけられている。
だからこそ、前皇王ナッド・サルディアの死をひた隠しにし続けているのだから。
新皇王の即位式に関しては、既に住民達にも周知されている。今ここで皇国のシンボルを失うことは、皇国の権威そのものを失うことになってしまう。
ミーティングルームを抜け出し、大聖堂の螺旋階段を下る2人。
その背後には、ゴブリンの群れが短刀を片手に差し迫っていた。
「ギャゥッ!!」
ゴブリンの短刀が、投擲される。
真っ直ぐに投げられたその小刀の向く先は、無論ルシエラだ。
カルファは、咄嗟に着用した銀鎧の腰から直剣を持ち出し、応戦する。
「これでも、筋力魔法力共にAランクほどはあるんですからね!」
振り向きざまに、カルファは剣先で小刀を撃ち落とす。
「水属性魔法、水龍の雄叫びッ!」
後方をしつこく追い回すゴブリンに、カルファは剣先を向けて魔法を撃ち込んだ。
剣先から出現するのは、水流で象られた龍の頭だ。
ゴブリン達を飲み込むようにして襲いかかる擬似的な龍で怯んだ隙に、カルファ達の方に向かっていた大聖堂内の衛兵が続々と集まり始めて来ていた。
「大聖堂から一匹たりとも外に出さないで! 全衛兵は出入り口を固めて、全ての亜人を殲滅してください! 絶対に、市街に奴等を放出しないように! 皇国の存亡は、あなた方の活躍に掛かっているものと覚悟してください!」
『――おぉッ!!』
震えるルシエラを引っ張って、カルファは息を切らしながら大聖堂の最下階へと下っていった。
大聖堂内の第一階。ガラス張りの窓と敷き詰められた大理石が特徴的な部屋の中央に置かれた聖なる台の上に置かれた水晶玉は、かつてローグが死霊術師という職業を隠蔽するために使用されたものだ。
大聖堂始まりの地。サルディア皇国の中心に作られた、神聖なる一部屋。
かつて皇国には龍の守り神がいた。皇国の存亡を見守ったとされる『龍神伝説』に出てくる古龍だ。
皇国旗にも記された伝説の古龍が象られた青銅像が、街を見守るように壁の中央に設置されている。
「あの時、ですかね」
ルシエラの脳裏に過ぎっていたのは、件の新人冒険者ローグ・クセルとミーティングルームにて初顔合わせをしていた、あの時だ。
――やぁやぁ、バレてしまっては申し訳ない。久しぶりだねぇ、カルファ。元気だったかーい?
そんな、暢気な声と共に、奴はやって来たのだから。
――ですが、ヴォイド卿を始めとして強力な戦力が味方して下さっていることには、感謝しかありませんからね。
飄々と、そう言ったことをルシエラは覚えている。
「何が、皇国を護ってくれる力強い味方。何が、父が許したから仕方が無い。結局私は、何も出来なかっただけ。何も、防ぐことが出来なかっただけでしたね」
ゴブリン達の大量出現は、あの部屋の、あの場所で。
気付かれないようにと、自然な動きでヴォイドが転移の魔方陣を作り上げていた。
ローグのSSSランク昇格試験の話が主なのでは無い。皇国を内部から崩壊させるための布石として現れたに過ぎなかったのだと。気付いたときはもう遅かった。
「ルシエラ様……」
カルファが拳を握って、ルシエラの肩に触れようとした、その瞬間だった。
ドォォォォォォォォンッッッ!!!
巨大な崩落音が部屋を包んだ。
天井が崩れ、魔法力の波動が爆風となって、部屋中を荒らし回る。
古龍を象った銅像にヒビが入り、二階にいたはずのゴブリンが何頭も宙を舞っていた。
その中心に居たのは、気味の悪い紅と黒のオーラを全身から垂れ流す、一人の男だった。
「やぁ、カルファ! この力、凄いんだ! かつての私を完全に超えたんだ! 魔法力が全身に染み渡る! 力が漲るよ! っはははははは!」
ブゥンと、音を立てて男は左手を振り抜いた。
魔法力は固まり、刃と化して唐突に2人を襲う。
「――ルシエラ様ッ!」
咄嗟に、カルファは身を翻してルシエラを突き飛ばした。
先ほどまでにルシエラがいた地面には、大理石で出来ていた床を軽々と斬り裂き、深い溝が生じていた。
「……鑑定・《強制開示》」
尋問の為にと、ジェラート・ファルルにも用いた鑑定士の最終スキル《強制開示》を躊躇いなく使用するカルファ。
【名前】ヴォイド・メルクール 【種族】人間
【性別】男 【職業】魔法術師
【所属】バルラ帝国宰相/帝代理
【ギルドランク】SS
【レベル】85/100→195/100 【経験値】40,835,000→99,999,999
【魔法力】SS→SSS(→1,000,000/1,000,000→4,980,000/1,000,000)
「……レベル上限の突破、ですか。それに、どこかで見たようなステータスですね……!」
彼女の知るヴォイドではないステータスに、どこか知っている死霊術師《ネクロマンサー》の面影を見たカルファは、微かな寒気を感じていたのだった。
「カルファは昔から戦闘に秀でてはいなかっただろう? この時点で、どちらの肩を持った方が得かは、《知力》SSの君なら簡単だと思うんだけど……ね! 火炎魔法魔法力付与っ!」
ヴォイドは天井崩落と共に落ちてきながらも、両手に魔法力を込めていた。
ゴブリンの身体を無造作に鷲掴み、その短刀を奪った後に魔法力を付与させる。
ブワッと、灼熱の空気が流れるとともに炎は質量を持って大きな刀身と化していた。
「はぁ」と、カルファは小さくため息を付きながら言う。
「魔法力酔いして、正常な思考も出来ていないあなたについていこうとするほど、落ちぶれてもいませんよッ!」
呼応するように、カルファも携えていた直剣に魔法力を込めていた。
剣の中を水流が走り、これもまた質量となって刀身を顕現。
「水属性魔法力付与、水龍の守護剣!」
ギィィィィンッ!!
ヴォイドが上から放った剣戟を、真正面から受け止めるカルファ。
灼熱の炎剣に蝕まれそうになりながらも、強い水流で象られた剣で受け止めていると、蒸発した水蒸気が二人を広く包んだ。
「あの、出来損ないのカルファが魔法力付与か。いいのか? みるみる内に魔法力は減っていく。鑑定士のお前が、自分の身の丈に見合わない魔法力を使うなんて、らしくないじゃないか……!」
魔法力付与は質、量共に並みでは無い魔法力を消費する。
自身の魔法力量は、鑑定士のカルファであれば常に把握することが出来ている。
カルファは、左目で自身の身体を鑑定した。
――【魔法力】400,000/500,000。
たった一度の魔法力付与だけで、総魔法力量の20%も持って行かれている。
「そうかも、しれませんね……!」
達観したかのようなカルファの笑いに、ヴォイドは更に剣先に魔法力量を追加する。
「そんなに意地を張るな、カルファ。魔法力が0になれば、お前もただではすまないだろう? 消耗しても、時を掛ければ残った魔法力は体力と共に回復して元通りの数値に引き戻してくれる。だが、0になればそれまでだ。0にはいくら掛けても0になるようにな。他から魔法力をもらい受けることも出来ない。それこそ、一生魔法など使えない身体になるんだ」
引きつった笑みで、ヴォイドは剣を振り下ろす。
「魔法力付与……!」
それでも、カルファは受け止める。避けもせずに、真正面から。
――【魔法力】300,000/500,000。
「……ッ! ルシエラ・サルディアをこちらに寄越してくれ。ナッド・サルディアの時代を遥かに超える黄金期を、私たちと共に作っていこう。新体制の帝国の中でも最上級職になれるように計らわせて貰おう。昔馴染みの仲だ。そのくらい、造作もないことなのだから。でないと――」
ヴォイドが、剣を振り下ろす手を思わず止めた、だが。
「――魔法力、付与! 水龍の雄叫び!」
ゴォォォォッッ!!
カルファは、剣先から巨大な渦巻き状の水流を放出させると共に魔法力の籠もった剣でヴォイドの胸元に向かって、振り抜いた。
体内の熱が膨張し、銀鎧の隙間からは湯気すらも生じ始めていた。
魔法力量が危険値に達し始めたオーバーワークの兆候であることは、容易に分かる。
――【魔法力】150,000/500,000。
ヴォイドは、炎を纏った剣でいとも簡単にその渦ごとかき消した。
思わず歯ぎしりをするヴォイドは、ルシエラの方を向き変える。
「ルシエラ・サルディア。皇国の次期王女に問おう。バルラ帝国は、サルディア皇国を吸収したとて、民には一切の介入もしないと約束しましょう。我々が望むのは潤沢な資源を少しばかり流して欲しいだけなのです。貴女の国の英雄を、かつての旧友をこんな形で潰すのは、私とて不本意ではないのですから」
落ち着きを取り戻し始めたヴォイドからは、先ほどよりも更に膨大な魔法力が出ていた。
それが可視化されているためか、彼の後ろには紅のオーラが迸っていた。
臨戦態勢のイネスのような、そんな雰囲気だ。
対して、カルファは既に総魔法力量の7割を消失している。
使いすぎのサインであるオーバーワークの兆候も見られている。
剣を杖代わりにして、カルファは肩で息をしていた。
彼我の戦力差は、歴然だった。
そんな様子を見たルシエラは、きゅっと口を結んだ。
震える肩で、ルシエラはぽつり、呟いた。
「我が父ナッドは、最後まで私利私欲の為に生き、誰も信じなかったが為に、王都を捨てて生き延びようとし、死んでいきました」
「……そうです、貴女はまだ若い。私たちと共に生きていくべきなのですよ」
ヴォイドが、努めて笑顔で呟いた。
だが、ルシエラはキッとした目つきで、迷いの無い口振りで強く、通告した。
「だからこそ私は、最後の最後まで配下を、配下の信じるモノを信じましょう。カルファが諦めないのならば、私だって諦めない。帝国の傘下入りなのではない。皇国が、未来永劫輝かしくあるために。私は、最後まで皇国としてあり続けます!」
翡翠色の髪が、ガラスに光って輝いた。
凜として立つその姿に、カルファも「配下冥利に尽きますね……」と、息も絶え絶えに呟いた。
「……それはそれは、とても残念です。オーバーワークにもなり、もはや魔法出力すら出来ない配下と共に、歴史の中に消えていく皇女の名前を、私は忘れないでおきますよ。――火炎魔法、火龍の吐息」
ヴォイドは、ため息を付きながら手に込めていた魔法力を放出した。
最大火力の灼熱が、なおも平然と直立するルシエラに襲いかかる。
「舐めないで貰いたいですね、ヴォイド。私は、まだここに……!」
――魔法力付与。
そう、掠れるような声で唱えたカルファは、力を振り絞って、水龍を象った剣を前に突き出した。
――【魔法力】50,000/500,000。
ルシエラを狙った火炎は、カルファの魔法により相殺。
だが、その代償にカルファは魔法力総量の95%を失った。
もはや、魔法力付与を行える魔法力量すらも残っていない。
身体中の筋繊維がボロボロになり、全身に鋭い痛みが走る。それでもなお、カルファはそのギラついた眼光を少しも弱めるつもりもなかった。
「諦めが、悪いですねッ! 早く白旗を上げておけば! こんなに苦しまなくても良かったものを!」
ヴォイドは固く歯を食いしばりながら、剣を振り抜いた衝撃波を精製する。
ルシエラの前に立ち、ふらふらになりながらもカルファは持つ剣に魔法力を流し続ける。
「諦めが、悪い……ですか」
――【魔法力】25,000/500,000。
魔法を持って、ヴォイドの攻撃を相殺しようとするも、しきれなかったものがカルファの銀鎧に傷をつけていく。
――【魔法力】10,000/500,000。
「むしろ私には、ヴォイド。あなたの方が勝負を急いでいるように……見えますよ……」
瀕死の瞳で、カルファは挑発するように笑みを浮かべた。
「何を、世迷い言を……!」
ヴォイドは、頭を振り払って、何度も魔法力を練り直す。
――【魔法力】50/500,000。
「私が、本当に力量の差を見誤るとでも思ってましたか……?」
カルファは言った。
もはや魔法を打つ力も、剣を握る力も残っていない。
だが、彼女は彼女の戦いに勝利した。
「勝算も無しに、皇国への忠義だけを信念に自らと、主の運命を共にすると、本気で思っていたんですか?」
ゴゴゴゴ、と。地鳴りと共に大きな飛来物がやってくる音が聞こえてきた。
「……こんなにも、はやく……っ!! 何で、転移魔方陣が不発なんだ、こんな時に限って……!?」
ピキピキと音を立てて、大聖堂内部の龍王青銅のヒビは深くなる。
ドォォォォォォォォォッッッ!!!
巨大な轟音と共に、龍王の像は粉々になって砕け、始まりの間には外部の空気が一気に流れ込んできた。
月の光を背に浴びて、突如大聖堂壁に巨大な風穴を空けた龍の背に、一人の男が立ち上がった。
「助かったよ。おかげでこの国に張られた帝国章の転移魔方陣に、全て上書きする時間も出来た」
その男の姿を見ずして、カルファは疲れ切った身体をルシエラに支えられながら不適な笑みを浮かべた。
「後は任せましたよ……。ローグ……さん……」
ゆっくりと目を閉じたカルファに、男――ローグ・クセルはうなずき、ヴォイドを見下ろした。
「そろそろ鬼ごっこは終わりだ。死にたくても、簡単に死ねると思わないことだな」
それはローグの紡げる、唯一の優しい言葉だった。
「ローグ・クセル! またお前か……!」
忌まわしいものでも見たように、ヴォイドは息を吐いた。
崩れた壁の瓦礫に隠れるようにして、ミカエラとカルファは身を隠していた。
カルファに至っては、もはや魔法を打つ余地も無いほどにボロボロだ。
『主よ、我の役目は終わりかな?』
「あぁ、大丈夫だニーズヘッグ。もう、奴に逃げ場はないからな」
ローグの発言に嘘はないことは、ヴォイドにでも理解出来た。
先ほどから、大聖堂内部以外にもいくつか敷いていた転移魔方陣の元に魔法力を移すことが出来ていない。すなわち、何者かによる魔法力妨害が生じたのは容易に想像が出来る。
だが、ヴォイドは強く出る。
カルファ相手に使っていた魔法で、これまでより更に強力な魔法が使役することが判明したからだ。
「舐めないでください、ローグ・クセル。火炎超魔法力付与」
ゴゥッ――。
そんな轟音と共に、ヴォイドが帯刀する剣には天井に届くほどの巨大な炎が立ち上がる。
「身体に魔法力が馴染み終わりましたよ。流石は、《始祖の魔王》を屠った魔法です。中から、永遠と漏れ出るかのようなこの感覚。かつての私ですら辿り着けなかった、神への領域です」
ヴォイドの瞳からは、漏れ出た紅のオーラが左目に宿っていた。
始祖の魔王と、イネス・ルシファーの臨戦態勢と同じ、紅だ。
「まともにやり合うのは、ちょっと馬鹿馬鹿しいかな。俺、レベル自体は150みたいだし」
ヴォイドの胸元に写ったステータス画面のレベル195/100を見て、ローグは言う。
「それはそれは。始まる前から敗北宣言ですか――ね!?」
一閃。
部屋を丸ごと包むかのような大炎を纏った衝撃波に、ローグはぽつり呟いた。
「死霊術師の誓約、解除」
どんよりと、鈍重な雰囲気と共に月に照らされた瓦礫の影から出てくる異形の魔物達。
スケルトンや、骸骨兵。ローグの私兵達がぞろぞろとヴォイドの元へと駆け寄っていく。
「あなた方に用はありませんよ」
ローグの方を向き、向かい来る敵さえも一瞥すらせずに、ヴォイドは現れた一団をたった一振りで吹き飛ばした。
「解除」
ローグが唱えると同時に、わらわらと湧き出る更なる一団。
見慣れたヴォイドは舌打ち交じりに魔法力を込めた。
「時間稼ぎはもう結構ですよ」
魔法力を充填し、剣を再び構え出す。
「……いや、これは……これは……!?」
ヴォイドの剣を握る手がふと、止まった。
それに気付いて、ヴォイドは思わず歯を鳴らした。
「あなたは、悪魔だ……ッ!!」
「……死霊術師の誓約、解除」
ローグは、聞く耳を持たなかった。
ただひたすらに、兵を召喚し続ける。
「これは、帝国兵士ではないですかッ! 先代帝王の元で闘った、誇り高き我等が帝国の魂です!」
ローグが出した兵力は、旧バルラ帝国の兵士達だった。
まだ人魔大戦が激化していた頃、まだヴォイドの仕えた先代帝王が指揮を執っていた頃のバルラ帝国の兵士達だ。
「違うよ。これは俺の駒だ」
ローグは、冷静に返答した。
ヴォイドに詰め寄るは帝国の腕章を掲げた骸骨兵、そして肉は腐り、帝国戦闘服も破れ、それでもなおローグの命令に従おうとつっかかかってくるゾンビ達。
「戦場で尊く命を散らした者達をここまで弄んで、楽しいのですか……? あなたは……っ!!!」
数年も前に死んだかつて仲間達が、未だに使われている。
その身体に意識はもうないだろう。だが身体だけ、魔物にされ、使役され続けている。
「死者を弄んでる? 冗談じゃ無い」
ローグは、言った。
「この人達を殺したのは、紛れもなくあんた達だよ。人だ魔だのとくだらない領地争いのための戦を続け、戦死者なんて戦場に放り出して、人の勝利だ我等の勝利だと、誇らしげに街に凱旋したのは、あんた達だ」
「……! 違います!」
――ここまでの巨大戦力を作り上げてきたローグは、全て戦場からの死体を身内に引き込んでいる。
「祖国に戻って。血生臭い戦死体には見向きもせず、自分たちの思う故人の姿を勝手に想像して。格式張った儀式と、形式張った建物の中で、小さな華を一輪手向けて弔った気になってたのは、あんた達だろう?」
――死霊術師は、戦場跡を徘徊するハイエナだ。
そんなことを、何度も何度も言われてきた。
――あんな下賤な輩に、国の敷居を跨いで欲しくはないもんだね。
「グギィィィィィィィヒヒヒヒッ!!!」
異様な金切り声を上げて、ゾンビは口を大きく開けた。
帝国国章の入った甲冑を着込んだゾンビの攻撃に。
「……そんなもの……ッ!」
終ぞ、ヴォイドは剣を振り下ろすことが出来ずにいた。
ゾンビ一体の噛み傷が、ヴォイドの肩を小さく抉っていく。
力はまだ有り余っていた。なのに、ヴォイドの前に現れた何十もの、何百もの旧帝国兵士の前に、ヴォイドは静かに膝をついた。
ローグは、歩みを進める。
「人は死んだらそこで終わりだよ。あんた達が死者をどう扱おうと、知ったことじゃない。人は、死んだら人じゃなくなるんだからね。だけど――」
ローグは、ゆっくりと、ヴォイドの前に立って、言い放つ。
「生きてる人の命まで粗末にするような奴は、死よりも残酷な結末がお似合いだ」
トン、と。ローグは一歩踏み出した。
ヴォイドの額に当てた人差し指の先に、魔法力を込める。
「そして、死霊術師の技|《リベリ・レクイレム》を安易に使ったこと永遠に後悔するといい。――死霊術。魔王の鎮魂歌」
ローグは、当てた人差し指をふっと押した。
まるで、生気の抜けたような虚ろな瞳のヴォイドは、重力に従って後ろに倒れ込んでいく。
その後、その身体が起きることは、なかった。
○○○
「お疲れ、鑑定士さん。動けそうか?」
汗一つ流さずに手を差し伸べるローグに、カルファは苦笑いを隠すことが出来なかった。
「本当に、無茶苦茶なお方ですね、あなたは。ヴォイドは……ヴォイドは、どうなったんですか……?」
かつての仲間の行方を惜しむようなカルファに、ローグは答えた。
「始祖の魔王を……イネスを倒したのは、子供達の鎮魂歌っていう死霊術の技だった。子供達の魂を生け贄に、中心にいた人物の魔法力を限界以上に引き上げる、絶対禁忌のね」
「ヴォイドのレベルが100を大きく超えたのも、それが理由でしたね」
「あぁ。そしてそのイネスを倒したのは、当時の死霊術師だって、言われてるんだ」
「……!? 死霊術師が、始祖の魔王を……ですか!? そんなこと、聞いたことも……!」
「で、当時のイネスは絶命間際に魔王の鎮魂歌を……魔力で術者の体内にある魂魄そのものを抜き出して、一生身体と結合出来ないようにした。術者の身体の中に閉じ込められた子供達の魂魄をそのままに、術者がいたずらに子供達の魂を使い続けることがないようにってね」
ローグやカルファの見つめる先には、まるで人形のように動かないヴォイドの姿があった。
「……要するに、死んでもない魂は、成仏することも出来ずに、一生空気中のどこかを彷徨うことになる。魔力によって切り離された身体は朽ちることも、老いることも無い。一生を、永遠を、意識を持った魂のまま、一人ぼっちで彷徨い続ける地獄に追いやられるんだ」
軋む身体を必死の思いで起こしながら、カルファは呟いた。
「じゃぁ、ヴォイドは――」
それを横で支えるルシエラは、顔中埃まみれになりながら、ぺこりと頭を下げた。
と、その時だった。
「伝令! でんれ……おわっと!?」
慌てて崩落した大聖堂『始まりの間』に入ってきた一人の皇国兵。
彼は顔中汗と、涙と、鼻水ぐしゃぐしゃにしながら、はっきりと告げた。
「特に衝突の大きかったダルン地区、ガジャ地区平原、シャルロット地区、その他10の拠点で、皇国正規兵団・冒険者連合と……と、突如現れた仮称《不死の軍勢》によって、バルラ帝国軍の戦線崩壊を確認しました!」
カルファは、額に手をやりながら「そうですか」と深く息をついた。
「戦線維持に使用されたと思われる転移魔方陣もある一時から不発に終わり、どこからか出てきた女児率いるエルフの集団の類い希なる回復術も相まって回復した『ドレッド・ファイア』ラグルド・サイフォン、『獅子の心臓』グラン・カルマ、皇国正規兵団団長カルム・エイルーン様の合流を筆頭に制圧しきった模様です」
「エルフ女児って、ミカエラのことか……!? あいつは危ないから、出立前に『アスカロン』の受付嬢さんに預けておいたはずなんだけどな……?」
『後で、それなりの理由を問いたださねばならぬようだな。掃討戦とはいえ、主不在での勝ちどき報告とは、奴等もなかなかやるではないか』
『くはぁぁぁ』と疲れたように唸るが、ミカエラのことを一番気にいっていたのもニーズヘッグだ。少々、機嫌も悪いように見えた。
「それで……カルファ様……」
衛兵は、おずおずとカルファを――そしてその隣できょとんと立つ、ローグを見ながら、呟いた。
「その、あくまで一部噂になっているだけなのですが。突如現れた謎の集団についてです」
ごくりと、喉を鳴らして報告に来た衛兵は続けた。
「き、忌避職死霊術師の私物ではないかと、噂になっておりまして……。もうすぐ日の出とのこともあり、徐々に力を失って入るのですが、兵達の間にも少なからず動揺が走っている……ようです……」
恐る恐る、ローグの方に目線をやりながらきちんと報告をする衛兵。
悲しそうな、寂しそうな表情で、カルファはローグを見た。
「ま、そうなるよな……」
朝の日の光が、大聖堂内部にも届き始めて来ていた。
その神聖な空間に舞う埃さえもがキラキラと光り、皇国の新しい朝を祝福しているかのように思えたのだが。
片方に朝が来れば、片方には夜が来る。それはいつ昇るか分からない、長い夜だ。
苦笑いを隠せないローグ。その肩に乗るニーズヘッグの表情も、芳しくはない様子だった――。
ヴォイド・メルクールが戦闘不能になって――皇国が、侵略者からの脅威を退けてから、3日が経っていた。
サルディア皇国冒険者街は、今日も荒んでいた。
ローグの寝泊まり場所である超格安宿泊所にて、受付婆に銅貨4枚を渡してボロ屋を後にする。
そんなローグの持つ小包には、小汚い銅貨が2つのみ。
「よう、そこの兄ちゃんよ。今から帰りかい? 今日は新しい皇王の即位だってのに、こんなボロ屋でお泊まりたぁなんとも寂し……ひぃ!? ろ、ローグの兄貴……!? お、おいバカ野郎共! さっさと道を開けろ兄貴のお通りだ!」
「ろ、ローグ!? ご、ゴルドーさん! ローグって、あのローグ・クセ――」
「それ以外にどなたがいらっしゃるってんだバカ共! あ、兄貴! きょ、今日はお連れのお二方はいらっしゃらない――」
スキンヘッドの筋肉ダルマ。白龍、黒龍、赤龍の襲撃にも奇跡的に無傷だったその男ゴルドーが掌の上でゴマを擦りながら、ローグを取り囲もうとしていた部下を蹴って端に寄せたのだが。
「あぁ、ありがとう」
ローグは、どこか生気のない笑みを浮かべて通り過ぎるだけだった。
「ねぇゴルドーさん」
ゴルドーの後ろでヒクついた笑みを浮かべる一人。
当のゴルドーは、「俺は兄貴に何てことぉぉぉぉお!! うぉぉぉぉ!!」と、ツルピカの頭を地面にゴンゴン打ち付けながら激しい後悔の最中のようだった。
「俺たちは、いつアイツの子分になったんですかい……?」
そんな舎弟の小さな呟きは、ゴルドーの大きな嗚咽に埋もれて聞こえるはずもなかったのだった。
○○○
サルディア皇国冒険者街、ギルド『アスカロン』。
野性味溢れる冒険者街のなかでも、最も血気盛んな場所とも呼ばれる建物の看板前には、一人の女性が佇んでいた。
日の光に輝いた金色の長髪に、すらりと伸びた手足。『龍神伝説』の龍王を象った皇国旗のシンボルマークを胸に刻んだ銀鎧を羽織るその姿は、さながら地上に降臨した女戦神のようだ。
「もう身体は大丈夫なのか? 鑑定士さん」
その言葉に、女性――カルファは息を吐いて、自身の能力《鑑定》を開いてローグに見せた。
「こちら、現在の私のステータスです。魔法力総数200,000/500,000。たった3日間で歩けるほどには回復していただきました」
「数値中りどれくらいの疲労度なのかは俺にはあんま分かんないけど、回復したなら何よりだよ」
「のんびり羽を伸ばすわけにもいきません。帝国の侵略が過ぎたとて、皇国再建は始まったばかりなのですからね。――それに、我が主からご指名なんですよ」
カルファは、嬉しそうに笑った。
「『私の晴れ舞台までには、隣に戻ってきておきなさい』……と」
そう、格好良く呟いて歩き出すものの、動きはどこか覚束ない様子だ。
カクカクと、全身ボロボロの調子が抜けきれないような、ぎこちない歩き方で『アスカロン』を離れるようにしていくカルファに、ローグは苦笑いを浮かべる。
「何ともスパルタな主様だな」
巷では、ルシエラの皇王即位式は『凋落の皇王』と揶揄されてもいるということをローグは小耳に挟んでいる。
大聖堂が大きく崩落したことによって、先の亜人戦や、帝国の侵略を国民全てが知ることとなった。
貴族街に住まう、皇王からの恩恵をさっぱり受けずにいた中流貴族を中心にナッド・サルディア前皇王の杜撰な政も各情報通を始めとしてリークされてきている。
更に、ルシエラ・サルディアの正常でない生誕の経緯すらも囁かれていた。
皇国の凋落が露骨に現れ、今まで内政に資金繰りしていた貴族達も撤退している者もいる。
全ての国民に受け入れられるわけも無く、むしろ反ルシエラ派の方が圧倒的な数を占めているなかでの式典だ。
「ルシエラ様が戦うと決めたであれば、私は影からお支えしていくまでです。戦後処理もまだまだ残っていますが、それもこれも、皆ローグさんのおかげですよ。……ところで」
カルファは、朝の風に靡いて揺れる金髪に触れた。
冒険者街の内側――一般市街や貴族街からは、いつにない賑わいが伝わってくる。
王都を上げてのお祭り騒ぎのようだ。
だが、対照的に冒険者街では少しの声も聞こえてこない。
「『アスカロン』の方に、国際ギルドからローグさん宛てに届いていたお手紙が寄せられています。お時間あるときに、目を通しておいてくださいね。SSSランクの冒険者様は、人気者なんですから」
今までのように切羽詰まった表情では無く、年相応の女の子のように笑ったカルファは、楽しげに冒険者街を後にした。
――と、その時だった。
『こんな所にいたのか、主よ。例の宿泊所に向かっても気配が全くなかったのでここらと思ったが、ドンピシャだったようだな、イネス』
ちょこんと飛んできて、ローグの肩に翼を下ろしたのはニーズヘッグだ。
――少しだけ、緊張してるみたいだ。死霊術師でない俺を人に見せるのは、これが初めてだからな。
――ご心配はありません。ローグ様ならばきっと、優秀なお友達を見つけることが出来ます。その時に、私たちを見捨てないで下されば、それだけでイネスは幸せでございます。
――我とて、主の役に立てるのであれば光栄だ。何なりと、申しつけるがいい。この世に再び全盛期の力を持ってして蘇生してもらえた恩の分は、返すつもりであるからな。
「ローグ様……」
息を切らしたイネスが、ギルド前の扉に手をかけるローグに声を掛ける。
突然朝に宿泊所から姿を眩ましたローグを、疲労抜けきれない身体で追っていたのだろう。
「ご心配はありません」
かつての言葉を反芻するように、イネスは言った。
ローグの震える手を、イネスは優しく握る。
ローグは、ぽつりと呟いた。
「ラグルドさんも、グランさんも、受付嬢さんも、ミカエラも、他の冒険者達も、皆いい人だった」
「ええ。ですが、いざとなれば――このまま立ち去ってもいいでしょう。カルファ・シュネーヴルが生き続けている限り、ローグ様の《死霊術師》はいつまでも隠蔽しておくことが可能です。新天地でやり直すことを選ばれても、我々は最期までお供致します」
『あの二人ならば、この国も多少はマトモになりそうだ。まぁ、長年生きた勘だがな』
「……それは、何て言うか嫌だね」
新人冒険者として、先輩冒険者から指南を受けたこと。
新人冒険者として、ギルドメンバー全員から手荒い祝福を受けたこと。
何度も何度も小さな任務をこなして、何度も何度も任務用紙の貼ってある掲示板とにらめっこした。
何度も何度も酒を酌み交わして、任務報酬の自慢をし合った。
ローグは、小さく息をついた。
「前なら、怖くて逃げてたけど」
決意を込めて、ローグは――かつて一度も踏み込めなかった勇気を持って一歩、踏み出した。
「俺はもう、誰より勇敢な冒険者だからな」
イネスは、主を支えるようにそっと腰に手を回していた。
ニーズヘッグも、少しばかり主の肩に止まる腕の力が増していた。
ギィィ、と。ローグは重い木造扉をゆっくり開ける。
あまりにも物静かな暗い空間に、事態を察したニーズヘッグが思わず『くははははは!!』と快活に笑った。
パパパパパパパパパンッ。
店内のあちこちからクラッカーが鳴った。
それはまるで、冒険者試験に合格したあの日のように。
『ローグさん、SSSランク昇格おめでとうございまぁぁぁぁぁっっす!!』
数々のパーティー用の魔法が飛び交い、華やかな暖色系の光が場を満たしていく。
そこには、包帯でぐるぐる巻きにされ、カルファと同じく魔法力切れな上に怪我も完治していないだろう身体を、ガタガタと不自然に動かしながら笑顔を浮かべるラグルドがいた。
まだまだ元気そうなものの、ほとんどといっていいほど傷が癒えていないグランも、先にエールをグビリと煽っていた。
「ついに我が『アスカロン』からSランク冒険者が輩出されるなんて! なんと名誉ことでしょう!」と、ローグの手を持ってぶんぶんと感動する受付嬢がいた。
「お帰りなさいませししょー!」と、明るく朗らかに、様になったエプロン姿でお出迎えをするミカエラが、各々酒瓶を空ける冒険者達の姿がそこにはあった。
皆一様に戦の傷は癒えておらず、寝そべったままで顔だけ向けている者もいれば、ベッドの上で杯を交わしている者もいる。
「……? ……!?」
「ささ、ローグさんそんなとこで突っ立ってないで、今日の主賓なんだからさ、ほら」
ラグルドに急かされるようにして、長机の上座に座らされたローグ。
イネスは穏やかそうな表情でローグの隣にちょこんと座った。
ニーズヘッグは、お決まりの場所と言わんばかりに、ミカエラの膝で身体を丸めていた。
どうやら、一度彼女の回復能力の恩恵を受けてからというもの、ミカエラを完全に気に入ってしまっているようだった。
あまりにも予想外すぎる展開に、終始理解が追いついていないローグに、受付嬢からは乾杯のエールが手渡された。
「元々、この会をやろうと言い出したのも、ラグルドさんとグランさんだったんですよ」
ぽそりと、受付嬢はエール片手にローグに耳打ちをした。
そんな様子に、ラグルドは頭をポリポリと?きながら言う。
「おいおいそこ、いらんこと言わない! ……ってもまぁ、正直な話、すげー怖かった。いきなり土ん中から訳分かんない連中出てくるわ、いきなり俺等の味方してくれるわのあの、《不死の軍勢》ってのはさ」
「馬鹿正直すぎるだろうラグルド。まぁ……俺も、そのおかげで今こんなにピンピンしてるんだけどな」
そう言って、グランも野太い腕を見せびらかした。
――死霊術師だ! 絶対に近付くな、あの忌避職は魂抜いてくるらしい!
――悪いが、帰ってもらおうか。忌避職持ちがいるって噂が立つだけで面倒だからな。
――あの得体の知れない集団に近付けば、俺たちも感染するってよ!
死霊術師という職を手に入れてからは、そんなことの連続だった。
ステータス画面を見せただけで避けられてきた。噂だけが一人歩きし、どこへ行こうとも死霊術師が突き刺さってきた。
次第に、ローグは誰かと行動するのをやめた。自らの配下だけを連れて、一人ぼっちを貫き続けていた。
「死霊術師の集団に近寄ると、魂を抜かれて、勝手に配下にされてしまう……とか何とか、そういうこと言ってた帝国のバカもいましたっけ、ねぇグランさん」
「じゃ、俺等はとっくにローグの配下だな」
「実力的にはおんぶにだっこですし間違っちゃないですね。あははははは」
「それはそれで笑い事じゃねぇだろ……」
ラグルドとグランのいつものような小突き合いに、ローグはぽつりと言う。
「死霊術師と知って、そんないろんな噂まで知ってて、それなのに……ですか?」
「じゃぁ聞くよ、ローグさん。もしその噂が本当だとしてローグさんは、俺や、グランさんや……ミカエラちゃんや、受付嬢、それに他の皆に、そんなことしようと思う?」
「……そんなわけ、ないじゃないですか! 新人冒険者として温かく迎え入れてもらって、冒険者流の飲み方も教えてもらって、この世界のこと、たくさん教えて貰って……!」
丁寧に、思い返すように指折り数えるその姿。
ラグルドは思わず「ぶはっ」と吹きだした。
「そんだけあれば充分でしょ。いきなりギルドに来たかと思えば、SSSだなんて見たことも無い数値叩きだして、あっという間に3頭龍までやっつけてても、俺たちはローグさんを一番間近に見てきましたからね」
「馬鹿正直に力使って、そこらの駆け出しとおんなじようにはしゃいで、酒飲んで潰れ方覚えて、心底嬉しそーに任務達成報告してきやがってなぁ」
「俺たちを一体何だと思ってるんでしょうね、グランさん」
「力ぁあってもまだまだクソガキだな。お前さんを信じる要素なんて、俺たちからしちゃたった一つだ」
ラグルドもグランも、互いに顔を見合わせながら笑い、ローグの頭をくしゃくしゃに撫でた。
『俺たちが、新人ローグ・クセルの先輩冒険者だからだ』
ラグルドは、まだ癒えぬ脇腹の傷を抑えつつ、笑った。
「せっかく出来た有能な後輩逃がすほど、俺たちは甘くないんだよね」
グランも同調するように頷く。
「死霊術師だかなんだか知らんが、それと同時にお前はSSSランクの冒険者で、俺たちの後輩なんだからな。そこんとこ、弁えとけよ」
それぞれの先輩達が、澄ました様子でローグの持つジョッキに乾杯をした。それに続くように、他の冒険者達も今日の主賓であるローグのジョッキに、自身のモノを重ね合わせていった。
「……っ! あ、ありがとうございます!」
そんななか、からかうように受付嬢もローグのジョッキに乾杯を取った。
「とかとか言いながら、あの二人……なんだかんだローグさんのこと、大好きなんですよ?」
「どういうこと……ですか?」
ちびりとローグがエールをすすると、「いやいやー」と若干酔った状態で、受付嬢は続ける。
「彼らだけ、他の人達より傷が多いじゃないですか? あれ、戦ってる最中に混乱しかけた人達を、そして戦後、せっかく回復してくれようとしてたエルフの人達の回復時間を断ってまでこの3日間ずっと、冒険者間でも、正規兵間でも、ローグさんのことを言い回ってたんですよ」
受付嬢は、両手を腰に当てて、下手な演技でニヒルに笑う。
「『ローグ・クセルは俺たちの大切な後輩だ。今まであいつを間近で見てた俺たちなら断言できる。あいつはそんなことするような奴じゃない。信用に足る、アスカロンの立派な一員だ』……って! もう、それはそれは格好良かったんですからぁぁぁぁあぁぁ!?」
「ちょっと受付嬢のお姉さん。口が軽すぎませんかねぇぇ!?」
「コイツを今から、スライムだらけの草原に投げ捨ててこようラグルド。良い具合に服だけ溶かしてくれるだろ」
「それ、いっすねグランさん!」
「許してくださぁぁぁぁぁい!? 下ろしてぇぇぇえ!!」
受付嬢の細い身体を片腕で担いだグランが、足早にアスカロンから出ようとする、そんないつもの冒険者ギルドの風景に。
イネスも、彼らに倣ってローグのジョッキに自らの分をコツンと当てた。
「人間にも、それなりにローグ様のお眼鏡に適いそうな者がいて、不肖私イネスも、嬉しく思います」
そんなイネスの茶化すような態度に、ローグは、久しぶりに心からの笑みを浮かべていた。
「俺にはもったいないくらいの、最高の先輩と、仲間達だよ」
その日は、朝から晩まで宴が続いた。
新皇王即位式で国全体が盛り上がる中で、冒険者街はいつも通り、騒がしいどんちゃん騒ぎに包まれていたという――。
○○○
「そういえば、ローグさん。国際ギルドから、こんなお手紙が……ぃっく」
一日中飲み明かし、日はもうとうの昔に水平線に落ちていた。
ベロベロに酔った受付嬢が、顔を真っ赤にしながらローグに封筒を差し出した。
「あんたそんなテンションで雑務こなしてっから、初級任務に3頭龍呼び出すような馬鹿な真似してんだろーが学習しろ!」
「そーだそーだ!」
「流石にアレは死ぬかと思ったんですから! ね、グランさん!」
「ろ、ローグが何とかしていなかったら国ごと破滅していたかもしれんな……」
次々に口を出す冒険者達に、「ぅるさぃんですよぉぉぉ、そんな言うならエール返して貰いますよぉぉぉぉ!?」と食ってかかる受付嬢。
「お、落ち着いて下さいおねーさん! おねーさん!?」
新しくギルド受付見習いとしても働き始めたミカエラが、尖った耳をぴくぴく震わせて必死に服の袖を引っ張っている。
そんな騒がしいにも騒がしいなかで、ローグがぺらりと用紙を開いた――その時だった。
「ここかーーーーーッ!!」
ドォン、と。ギルド『アスカロン』の扉が勢いよく開かれた。
透き通ったような、高い間延びした声。皆が皆泥酔状態の中で、視線が一手にその人物に集まった。
深いフードを被っているのか、顔までは見えない。
手に持った地図らしき紙はもはやボロボロで、何が書かれているかも分からない。
頬に掠り傷と葉っぱを付けた少女は、ずんずんと全く遠慮の無い足取りで近付いて、ビシッとローグに指を突きつけた。
「ローグ・クセルって、あなたのこと?」
なまりの強い地方の言葉にローグは、心当たりがなさ過ぎてきょろきょろしつつも、ゆっくり自分を指さした。
「ミレット大陸北部の亜人国――『聖地林』からやってきた、ティアリス・マーロゥよ。ローグ・クセル。折り入って、あなたにお願いがあるの!」
ふと、挙動激しい少女のフードがはらりとめくれた。
真っ白に輝く手足と、凜とした小さな顔と白く輝く八重歯。
年にして、15から16歳ほどの少女だ。
くりんとした瞳と、栗色のセミロング。
そして、何より特徴的なのはその耳だ。
感情の起伏を現すかのように動く頭の上の二つの大きな耳が、ぴょこぴょこと動いていた。
「マーロゥ、ですか」
少女の言葉に、イネスが眉を潜めた。
分かっていなさそうなローグ、ニーズヘッグとは対照的に、冒険者達はその子供の言葉に引っかかりを覚えていたようだった。
「マーロゥ……マーロゥ……って、あの、マーロゥ? あ、でもそうとしか考えられないですかね、グランさん」
「そりゃあんだけ有名ならな。世界七賢人の《獣戦士》クラリス・マーロゥに妹がいるってのは聞いたことがあるが、そんな奴がどうしてここに」
ラグルドが自己完結したように、馬鹿騒ぎする他の面々の頭にエールを注ぎながら呟いた。
少女――ティアリス・マーロゥは、再び大きな挙動でぺこりとローグに頭を下げた。
「姉のクラリスが、力業でティア達の部族まとめて乗っ取ろうとしてるの! クラリス止められる強さなんて、《世界七賢人》クラスの力持った人しかいなくて……そんなときに、SSSランク冒険者のローグの話を聞いて、ここまで来たの! お願い! 暴走してるクラリス止めるのに、力貸してくれない!?」
そう矢継ぎ早に話したティアリスの耳が、何度もぴょこぴょこと揺れていたのだった。
宴も終わった深夜。
冒険者ギルドアスカロンから光は消え、騒いでいた冒険者達はみな、床の上で雑魚寝状態で酔い潰れていた。
それは、彼女の主――ローグ・クセルも例外ではない。
「……ンガガガガ……ゴゴゴゴ……ンガガ……ンガッ」
「俺はぁぁ……冒険者のてっぺんにぃ……なるぅ……男……」
「……うぅ……ぐる……じぃ……」
大イビキをかくグラン・カルマと、寝言を漏らすラグルド・サイフォンの間に挟まって寝苦しそうに呻くローグの姿を見て、彼女は小さく微笑んでいた。
机の上に無造作に放られていた任務依頼の羊皮紙。
酒と食糧に塗れて汚れた紙は滲んでいるものの、はっきりと依頼者『ティアリス・マーロゥ』の文字が確認できた。
彼女は紙の上の汚れを払い、ロングドレスの胸元へとしまいこんだ。
『こんな真夜中に主を置いて散歩とは、お主にしては珍しいな』
ふと、扉を出ようとした矢先に聞こえてきたその声。
「あら、ニーズヘッグ。起きてたんですね。ミカエラ・シークレットの膝の上は大層気持ちが良いようですね?」
『ふ、まぁな。龍王の寝床としては至福と言っても過言ではない。スベスベもちもちな肌触り、適度な温かさ。それに、彼女の周りには程よく心地よい回復能力ありきの魔法力が常に……何だその眼は』
エルフの幼女ミカエラ・シークレットは柱にもたれ掛かって座っているが、その膝上には、彼女の同僚にして、かつて龍王として名を馳せたニーズヘッグが尻尾をパタパタと揺らしながら大層心地よくまどろんでいる。
外に出ようとしていた彼女にとってその絵面は、それなりに応えるものがあったらしい。
「いえ、これが私の同僚かと思うと、少し頭が痛くなってきましてね」
『む、お主も来てみるといい。案外悪いものでもないぞ』
パタパタと尻尾と龍耳を揺らしながら鼻息を荒くする龍王に、彼女は落胆のため息をつきつつも扉に手をかけた。
「夜明けまでには帰りますので、ご心配なさらず」
『「マーロゥ」の言葉が出た時、お主の魔力がザワついていたのは知っているぞ。聖地林マーロゥ族と何か確執でもあるのか? 始祖の魔王よ』
茶化すようにニーズヘッグは言う。
その言葉に、始祖の魔王――イネス・ルシファーは微笑みながら言葉を返した。
「確執だなんて、とんでもない。ただ少し、知り合いがいまして」
そう言いながら女は、白く光る月夜に向けて三対の黒翼を背に生やした。
○○○
倒壊した大聖堂――その横にある貴族街の一角。
門から後ろに広がる庭の中央には、噴水があった。
貴族街の中でもとりわけ大きなその建物は、本来皇王に最も近い者が住む私邸ではあるが、大聖堂の崩壊に伴い皇王ルシエラ・サルディアの一時的な仮宅にもなっている。
真夜中ともなれば、灯りはほとんどついてはいないが、そのなかでもたった一つ。
広い邸宅2階の端に小さな光が灯っていた。
部屋の中にいた主は、暗闇の中を飛翔する三対の黒翼を見て思い切り窓を開けた。
「イ、イネスさん!? ローグさんなら、『アスカロン』の方で宴を楽しまれていると思いますが、それとも姿が見当たらないとか――」
あたふたと眠そうな目を擦りながら、カルファはイネスを見つめる。
ここは、カルファ・シュネーヴルが邸宅だったのだ。
「ローグ様ならば、アスカロンで心地よく酔っておられます。そうではなくて……その……」
カルファが迎え入れるように窓を開くと、イネスは言いにくそうに翼をたたんで着地した。
「ローグ様に用があるわけではないのです。その……か、カルファ・シュネーヴル! あなたに私の話を聞く権利を差し上げます!」
妙に紅潮して辿々しいイネスに、カルファはぽかんと口を開けていた。
書類に向かって持っていた筆ペンを置いて、カルファは意地悪そうに微笑む。
「それは、ローグさんのお供としてのイネスさんですか? それとも、イネス自身でしょうか?」
カルファの問いに、イネスは恥ずかしそうに腕を組んで応える。
「私自身ですが、何か」
「ふふふ、いえいえ。初めてイネスさん本人とお話している気がして、面白くって」
「わ、私の身は第一にローグ様の為にあるものですから、当たり前でしょう。私個人のことなど、二の次三の次で充分です」
少し焦るように言うイネスが、なおさらカルファにとって面白く感じられた。
「それで、そんなイネスさんがどうしましたか?」
むすっとした様子で、イネスは胸元から紙を取り出して無理矢理本題に差し掛かった。
「本日夕方、冒険者ギルド『アスカロン』にて獣人族が飛び込んで来ました。これが国際ギルドから提出された受注用紙です。名はティアリス・マーロゥ。どうやらマーロゥ族の仲違いが原因、とのことのようです」
イネスから受け取った用紙を見て、カルファの目が曇る。
「ティアリス・マーロゥ……。クラリスの妹ですか」
「世界七賢人が《獣戦士》クラリス・マーロゥ。1000年以上続くマーロゥの民の現頭領でしょうか?」
「イネスさんはマーロゥの民のことについて詳しいんですね」
「かつて、少し縁がありまして」
そう言って、イネスは懐から一つのペンダントを取り出した。
紅水晶が中央に嵌められた小さな文字入りのペンダントだ。
イネスのそれを見て、カルファは驚いたように笑った。
「私も、《世界七賢人》時代にクラリスからいただきましたよ。曰く、族に親交の深い者にしか渡さない、彼女たちにとっての『友情の証』だそうですね。ペンダントの裏には――」
そう言って、カルファは嬉しそうにイネスの前にペンダントの裏を見せつける。
「彼女たちマーロゥの民が使うエリック文字で、『クラリス・マーロゥとカルファ・シュネーヴルが友情は永遠に』……と、書かれているんです! イネスさんは、どなたと友情の儀を結んだんですか?」
イネスが懐かしむようにペンダントの裏を示した。
カルファは、ワクワクしてそれを読み上げる。
「『魔王イネス・ルシファーと戦士シャリス・マーロゥが友情は永遠に』……シャリス? と言われれば、どこかで……?」
首をしきりに傾げるカルファに、イネスは落ち着いた面持ちで言った。
「遥か1000年も前の、私のたった一人の友人の名です」
聖地林。
大陸を南北に分断するユーリウス山脈を境に、北東部に位置する巨大な亜人国家である。
どこまでも続く広大な森林を始めとして、川や鉱山などにも恵まれた、大陸でも随一の自然資源に囲まれたその国は、数年前の人魔大戦時から比べ、国土面積にしておおよそ二倍ほどに領地を拡大させている。
その最大の理由の一つとしては――。
カルファのいる部屋の壁に貼られた、世界各国の情勢地図。
座っていた執務席を立って、カルファは北東部を指さした。
「かつて魔族の頭領だったイネスさんならばご存じでしょうが、魔族領域は元々北東部一帯を占める巨大勢力でした」
それに応えるようにイネスは言う。
「1,000年ほど前は聖地林、魔族領域は共に大陸北東部に国を置き、領地面積としても同等程だったことは覚えています。今の魔族領域は、かつての半分と言ったところでしょうか?」
「はい。人魔大戦時における、魔族敗北により彼らの領地は大きく縮小し、その部分は、そのまま聖地林の国土に割り当てられる形になりました。またいつ敵対関係になるか分からない魔族の近くに、自国の管轄を置く危険性も出来うる限り避けたいところでしたからね……。クラリスは、魔族領域付近を抱え込むと同時に聖地林の国土拡大を成し遂げたのです。とはいえ、年々両者の軋轢は深まっているばかりですが」
カルファの言葉に、興味深そうにイネスは頷いた。
「とすると、アスカロンに飛び込んできた、その世界七賢人《獣戦士》の妹――ティアリスの告発は、魔族絡みであることも考慮出来るということですね」
かつての同胞が起こす数々の問題に対しても、イネスは存外他人事と考える傾向にあるということは、ローグからの報告によりカルファも知り得ている。
蘇生された今となっては、魔族よりもローグが最優先であること、そしてイネスにとって、現世の魔族そのものに対する不信感も相まっているからだそうだ。
イネスは、吐き捨てるように呟いた。
「かつての魔族と今の魔族は別物です。今の魔族は、かつてのような崇高さは見当たりませんから。ともあれ、カルファ・シュネーヴル。何か少しでも良いのです。聖地林近辺で最近、何か変わったことなどあれば些細なことでも良いので、教えて下さると幸いです」
「魔族同士も、一筋縄ではないんですね……。それを《始祖の魔王》がおっしゃるのなら、尚更でしょうか」
苦笑いにも似た表情を浮かべるカルファは、「そういえば」と手をぽんと叩いた。
「シャリスに関してはふと風に乗って噂を聞いたような気がしますね……」
神妙な様子で語るカルファに、イネスは目を光らせた。
「噂、というと?」
「聖地林領地にある初代マーロゥ頭領、シャリス・マーロゥの墓荒らし事件です。南北を渡り歩く行商人らが又聞きしていたものですし、眉唾のことも多いのですが……。それに、先人の墓周りは、子供達の遊び場にもなっていることも多いですからね。子供達が遊んでいる最中に石像が壊れた、というのは良くあることです」
カルファは、机の上に置かれた薄汚れた任務受注の用紙に目を落としながら言うと、イネスは「シャリスの墓……」と、感慨深そうに空を見上げた。
「それに、どうやらこれは国際ギルドからの正式な書類ではありませんね。ギルド連合の承認証も聖地林国家の承認印もなければ、紙の材質も異なります。Sランク以上の冒険者を雇うならば、所属国家を経由して国際ギルド連合へと承認を出さなければなりません。その何もかもがないのであれば、この受注用紙は何の効力も生じません。アスカロンに現れた少女が本当にクラリスの妹なのかすら定かではないでしょうし、ローグさん自身もそんな曖昧な案件に付き合っている暇はないでしょう?」
「……そう、なんでしょうか?」
「当然ですよ。やっと現れたSランククラスの冒険者。今頃、ローグさんの元には数え切れないほどの正式な任務受注用紙が届いてくる頃ではないでしょうかね?」
カルファのホクホク気味の言葉に、イネスは首を傾げる。
「それで、何故あなたはそんなに喜んでいるのですか?」
カルファは、笑顔で応える。
「もちろん、ローグさんが国際ギルドの任務受注を受ければ受けるほど、サルディア皇国に中間マージンが入ってきますからね。バルラの魔の手によって壊滅状態にあるサルディア皇国にとっては、藁にも縋りたい思いですので」
「それはそれは」
「……何ですかイネスさん、その無表情な瞳は!?」
「いえいえ、国家運営の代理の者がこのように主頼りですと、我が主がこの国を牛耳っていることも同じですので少し感慨深く思ったまでです」
「曲解しすぎですからね!?」
にこやかに捨て台詞を吐いて、イネスは再びカルファの部屋の窓から飛び降りた。
黒い翼を背中に生やし、再びアスカロンの方へ飛翔したイネスの姿に、カルファは苦笑いにも似た表情を浮かべていた。
○○○
「……むぅ……」
暗闇の中、黒翼をはためかせながら飛ぶイネス。
――アスカロンに現れた少女が本当にクラリスの妹なのかすら定かではないでしょうし、ローグさん自身もそんな曖昧な案件に付き合っている暇はないでしょう?
カルファの言葉が、何度も頭を過ぎる。
「この国に認められようとするローグ様のお邪魔をするわけには、いきませんね」
ラグルドに、グランに、カルファ。
主であるローグは、着実にこの国で評価を上げ、存在を根付かせ始めていることに違いはない。
ましてや現在、皇国状況自体も芳しくはない。
皇国にとっても、ローグは必要不可欠な存在だろう。
「……聖地林、シャリスの墓とあれば、多少顔を出しておきたいものです。例の少女の言動も気になりますし……あの子が本物ならば、それこそシャリスの子孫ですし……」
ぶつぶつと考えながらイネスは任務受注用紙を眺めた。
「……ローグ様に、お暇をいただけないかどうか聞いてみるとしますかね」
それは、かつての友に思いを馳せたイネスが蘇生されて初めて、自分自身のことを決心した瞬間だった。
翌朝のアスカロンは、朝早くから忙しなく動いていた。
「ミカエラちゃん! 届いた受注書類掲示板に貼りだしておいて下さい! ランク別になっているのを間違えないようにね! それで、ローグさん専用看板の方は!?」
「ししょー専用の受注掲示板、すでに完成しています!」
「ローグさん専用の方は現時点で18枚……ですね。午後にはもう6枚ほどが追加されるみたいです」
「そんなに貼る場所がないです! アデライドさん、どうしましょー!?」
「何とか貼ってください!」
「えぇ!!??」
ギルドアスカロンの受付嬢、アデライド。そして、最近新しくギルドに勤めることとなった、ローグパーティーの回復術師ミカエラ・シークレット。
曰く、毎度毎度未知多い地域にミカエラを連れて行くのは、危険すぎるというローグの配慮により、しばらくは武者修行も兼ねてアスカロンで働くことになったのだった。
ローグの側にいられないということで、ミカエラは少々不服のようではあるが。
ミカエラは、フリフリのスカート姿でギルド内を慌ただしく行き来している。
その様子を見ながら、ギルド内の食卓で、ラグルドやグランと共に朝食を取っているのはローグだ。
ラグルドとグランは、ずっとミカエラの様子を目で追いかけていた。
「いやぁ、ミカエラちゃん、可愛いですねぇ……」
「小せぇのがわたわた仕事してんの見ると、受付嬢の初めての頃思い出すな」
「そうだったんですか?」
「そういえば、その頃はラグルドもローグもまだいなかったもんな。関連書類を見落とすわ、ランク違いの書類が掲示板に貼られてるわ、確認を怠るわ……。ギルド受付ライセンス本当に持ってるか怪しいくらいだったんだぜ」
「……それって、今も変わらなくないですか?」
「っはっはっは、そーだな」
そんな二人の会話に、ローグもうんうんと大きく頷いた。
「白・赤龍討伐の件も見落としでしたし、つい昨日のティアリスちゃんが持ってきてた任務受注用紙も、正式なものじゃなかったですしね」
「気をつけるんだな、ローグ。Sランク以上の任務を請け負う以上、そういう国を通さない非合法で、金にもならない似非任務持ってくる輩も増えてくるからな」
朝ご飯の干し肉にかぶりつきながら、グランは言う。
ローグの隣で、もっしゃもっしゃと生肉を咀嚼しているのは、未だ眠そうなミニマム姿のニーズヘッグ。
そんなローグの配下龍を見ながらつまらなさそうに、二日酔いが続くラグルドは呟いた。
「そういえば、イネスさんは? イネスさんはどこだい? 朝、あの見目麗しいイネスさんを一度拝んでから、任務に行きたかったのに!」
『……さぁな』
ニーズヘッグは、淡泊に言って肉にかじりついた。
と、その時だった。
ふわりと甘い香りがローグの鼻腔に入ってくる。
「ふんふん……ふんふん!」
栗色の尻尾をふりふりしながら、ちょこんとローグの膝上に正座したその少女。
獣耳をピコピコ動かす少女――ティアリス・マーロゥは言う。
「ね、ねぇ! お願いだよローグの旦那! これがニセモノだってのは謝るよ! でも、本当にこのままじゃティアたち――」
「おいおいまだ懲りねぇのか嬢ちゃん。そういうのは、きちんと国を仲介しなきゃ受け取れねぇんだっての」
ため息交じりにグランは、ティアリスの首根っこを掴んだ。
「ふにゃぁぁぁ!!」と、宙で手足をパタパタさせるティアリスを眺めつつ、ラグルドは苦笑いを浮かべる。
「ローグさんも大変だよねぇ。これからこういう困った人たちもどんどん増えてくるだろうし。それにしても、国際ギルドから受注される任務って、報酬金どれくらいなんだろう? アスカロンの最上任務でも、金貨5枚ほどだけど、Sランク以上限定となると……うへへ……うへへへへ……」
目の奥に金がチラついているラグルドが、涎混じりに金勘定しているのを横目に、ローグは朝食の干し肉を一つ噛みちぎった。
「はぁぁなぁぁせぇぇ! ふんぎぃぃぃぃ!」
「おいおい、暴れるなって。んで、ローグはどうしたよ。どっか調子でも悪いのか?」
暴れるティアリスを片手で摘まみながら御するグランが、ローグを見る。
「聖地林と言えば、俺自身にとっても思い入れのある場所なので、少しばかり考えることもありますからね」
「ほう。あんな樹海しかないような未開地に何の用があったんだ」
「それは――」
ローグが、苦笑いを浮かべて頬をポリポリと?いていると。
グランに捕まれていたティアリスの、耳と尻尾の毛並みがぞわりと逆立つ。
「聖地林をバカにしないでよ! 皆興味ないだけで、本当はとってもとっても、どこよりも綺麗な場所だもん!」
ティアリスの爪先にふと、魔法力が集まった。
集まった魔法力が具現化し、ティアリスの爪先が、狩りの時の獣のように鋭く光る。
「おぉぉぉぉっ!?」
咄嗟に手を放したグランが、反射的に剣の柄に手を伸ばした。
その様子を見逃さないラグルドは、興奮気味に声を上げる。
「すげー! 強化魔法じゃないっすか! 獣人族が使うメジャーな魔法ってのは知ってましたけど、生で見たのは初めてですよ! カッケーっす!」
「いえ、正確には肉体強化型の魔法力付与です。獣人族は、他種よりも内在的な魔法力コントロールが優れているという点があげられます。人間では身体の各部に宿る魔法力を正確に感知することはしづらいものの、獣人族は生まれ持ってしてその能力に長けています。ですから、肉体的な部分強化を可能にしているのですよ」
そんなラグルドの肩をポンと叩く人影。
銀髪のポニーテールが左右に揺らす、黒のロングドレスを引きずりながらローグの前に跪いたのは、イネスだった。
「遅くなって申し訳ありません。イネス、ただいま帰還致しました」
「へぇ、随分と詳しいな、イネス」
茶化すように言うローグに、イネスは「既知の仲の者が居りました故に」と短く付け加えた。
深々と頭を下げたイネスの手に握られている用紙を、ローグは見つめた。
皇国と出会う遥か昔、ローグはイネスとした他愛ない会話を思い出していた。
――なぁ、イネス。それ、なんだ?
――はっ。これは、聖地林で出来た唯一の友人からもらった、私の宝物でございます。
――い、イネス、お前友達いたのか……。俺にも出来たことないのに、イネスはやっぱり凄いな。めちゃくちゃ羨ましいぞ、そのネックレス!
「それで、その……」
言いにくそうに、半ば葛藤している珍しい様子のイネス。
ローグは、エール瓶に注がれた冷水を一口で煽りながら、「フシャァァァ!!」と、グランに対して威嚇丸出しのティアリスと、もじもじするイネスとを交互に見比べた。
「なぁ、イネス」
「……はい?」
「俺とイネスが最初に出会った時のこと、覚えてるか?」
素っ頓狂にも見えるローグの問いに、呆気にとられたイネス。
だが、慌てて気を取り直す。
「も、もちろんです! 現聖地林領 《魔封の柱》。そこで、私がローグ様に第二の生を与えていただきました。忘れるわけがありません!」
「――だよな」
にやり、笑みを浮かべたローグは、イネスの持っていた受注用紙に手を伸ばした。
「そういえば、ふと当時のこと思い出して行きたくなったんだ。たまたまこんな案件も来てるしな」
ぺらぺらと受注用紙を揺らしながら、ローグは言った。
「俺としてもそんな思い入れのある場所でいざこざが起こってるのは見逃せない。ニーズヘッグ、イネス。付いてきてくれないか?」
『我は、主の出向く所に付いていくだけだ。異論は無い』
即答するニーズヘッグ。
イネスは、ローグの言葉に思わず固まっていた。
「その……ローグ様、本当によろしいのですか? 金銭は出ない可能性も高く、何よりローグ様御自らが危険に晒される可能性も……!」
「でも、イネスの友達絡みなんだろ?」
「で、ですが――!」
「友達は、金を積んでも、脅迫しても、不老不死の約束をしても、土下座して頼み込んでも出来るもんじゃないことを俺たちは学んだはずだ」
イネスは、深々と頷く。
「この世で最も高価で、希少で、宝物である友達が困ってるなら、金なんて、危険なんて二の次だ! お前たちのおかげで俺はそんな友達がやっと出来た! なら、お前たちの友達が困ってるなら、いくらでも協力してやるよ! いいか、イネス」
ローグは、手を腰に掛けて高らかに宣言した。
「友達は超絶大切にしろ。これは、命令だ!」
詰め寄るローグに、イネスはほろりと涙を流して頭を深々と下げたのだった。
「畏まりました――!」