「ローグ・クセル! またお前か……!」

 忌まわしいものでも見たように、ヴォイドは息を吐いた。
 崩れた壁の瓦礫に隠れるようにして、ミカエラとカルファは身を隠していた。
 カルファに至っては、もはや魔法を打つ余地も無いほどにボロボロだ。

『主よ、我の役目は終わりかな?』

「あぁ、大丈夫だニーズヘッグ。もう、奴に逃げ場はないからな」

 ローグの発言に嘘はないことは、ヴォイドにでも理解出来た。
 先ほどから、大聖堂内部以外にもいくつか敷いていた転移魔方陣の元に魔法力を移すことが出来ていない。すなわち、何者かによる魔法力妨害(ジャマ-)が生じたのは容易に想像が出来る。

 だが、ヴォイドは強く出る。
 カルファ相手に使っていた魔法で、これまでより更に強力な魔法が使役することが判明したからだ。

「舐めないでください、ローグ・クセル。火炎超魔法力付与(ハイエンチャント)

 ゴゥッ――。

 そんな轟音と共に、ヴォイドが帯刀する剣には天井に届くほどの巨大な炎が立ち上がる。

「身体に魔法力が馴染み終わりましたよ。流石は、《始祖の魔王》を屠った魔法です。中から、永遠と漏れ出るかのようなこの感覚。かつての私ですら辿り着けなかった、神への領域です」

 ヴォイドの瞳からは、漏れ出た紅のオーラが左目に宿っていた。
 始祖の魔王と、イネス・ルシファーの臨戦態勢と同じ、紅だ。
 
「まともにやり合うのは、ちょっと馬鹿馬鹿しいかな。俺、レベル自体は150みたいだし」

 ヴォイドの胸元に写ったステータス画面のレベル195/100を見て、ローグは言う。

「それはそれは。始まる前から敗北宣言ですか――ね!?」

 一閃。
 部屋を丸ごと包むかのような大炎を纏った衝撃波に、ローグはぽつり呟いた。

死霊術師の誓約(ネクロマンス)、解除」

 どんよりと、鈍重な雰囲気と共に月に照らされた瓦礫の影から出てくる異形の魔物達。
 スケルトンや、骸骨兵。ローグの私兵達がぞろぞろとヴォイドの元へと駆け寄っていく。

「あなた方に用はありませんよ」

 ローグの方を向き、向かい来る敵さえも一瞥すらせずに、ヴォイドは現れた一団をたった一振りで吹き飛ばした。

「解除」

 ローグが唱えると同時に、わらわらと湧き出る更なる一団。
 見慣れたヴォイドは舌打ち交じりに魔法力を込めた。

「時間稼ぎはもう結構ですよ」

 魔法力を充填し、剣を再び構え出す。

「……いや、これは……これは……!?」

 ヴォイドの剣を握る手がふと、止まった。
 それ(・・)に気付いて、ヴォイドは思わず歯を鳴らした。

「あなたは、悪魔だ……ッ!!」

「……死霊術師の誓約(ネクロマンス)、解除」

 ローグは、聞く耳を持たなかった。
 ただひたすらに、兵を召喚し続ける。

「これは、帝国兵士ではないですかッ! 先代帝王の元で闘った、誇り高き我等が帝国の魂です!」

 ローグが出した兵力は、旧バルラ帝国の兵士達だった。
 まだ人魔大戦が激化していた頃、まだヴォイドの仕えた先代帝王が指揮を執っていた頃のバルラ帝国の兵士達だ。

「違うよ。これ(・・)は俺の()だ」

 ローグは、冷静に返答した。
 ヴォイドに詰め寄るは帝国の腕章を掲げた骸骨兵、そして肉は腐り、帝国戦闘服も破れ、それでもなおローグ()の命令に従おうとつっかかかってくるゾンビ達。

「戦場で尊く命を散らした者達をここまで弄んで、楽しいのですか……? あなたは……っ!!!」

 数年も前に死んだかつて仲間達が、未だに使われている。
 その身体に意識はもうないだろう。だが身体だけ、魔物にされ、使役され続けている。

「死者を弄んでる? 冗談じゃ無い」

 ローグは、言った。

この人達(・・・・)殺した(・・・)のは、紛れもなくあんた達だよ。人だ魔だのとくだらない領地争いのための戦を続け、戦死者なんて戦場に放り出して、人の勝利だ我等の勝利だと、誇らしげに街に凱旋したのは、あんた達だ」

「……! 違います!」

 ――ここまでの巨大戦力を作り上げてきたローグは、全て戦場からの死体を身内に引き込んでいる。

「祖国に戻って。血生臭い戦死体には見向きもせず、自分たちの思う故人の姿を勝手に想像して。格式張った儀式と、形式張った建物の中で、小さな華を一輪手向けて弔った気になってたのは、あんた達だろう?」

 ――死霊術師(ネクロマンサー)は、戦場跡を徘徊するハイエナだ。

 そんなことを、何度も何度も言われてきた。

 ――あんな下賤な輩に、国の敷居を跨いで欲しくはないもんだね。

「グギィィィィィィィヒヒヒヒッ!!!」

 異様な金切り声を上げて、ゾンビは口を大きく開けた。
 帝国国章の入った甲冑を着込んだゾンビの攻撃に。

「……そんなもの……ッ!」

 終ぞ、ヴォイドは剣を振り下ろすことが出来ずにいた。
 ゾンビ一体の噛み傷が、ヴォイドの肩を小さく抉っていく。
 力はまだ有り余っていた。なのに、ヴォイドの前に現れた何十もの、何百もの旧帝国兵士の前に、ヴォイドは静かに膝をついた。
 ローグは、歩みを進める。
 
「人は死んだらそこで終わりだよ。あんた達が死者をどう扱おうと、知ったことじゃない。人は、死んだら人じゃなくなるんだからね。だけど――」

 ローグは、ゆっくりと、ヴォイドの前に立って、言い放つ。

「生きてる人の命まで粗末にするような奴は、死よりも残酷な結末がお似合いだ」

 トン、と。ローグは一歩踏み出した。
 ヴォイドの額に当てた人差し指の先に、魔法力を込める。

「そして、死霊術師の技|《リベリ・レクイレム》を安易に使ったこと永遠に後悔するといい。――死霊術(・・・)魔王の鎮魂歌(デモンズ・レクイレム)

 ローグは、当てた人差し指をふっと押した。
 まるで、生気の抜けたような虚ろな瞳のヴォイドは、重力に従って後ろに倒れ込んでいく。
 その後、その身体が起きることは、なかった。

○○○

「お疲れ、鑑定士さん。動けそうか?」

 汗一つ流さずに手を差し伸べるローグに、カルファは苦笑いを隠すことが出来なかった。

「本当に、無茶苦茶なお方ですね、あなたは。ヴォイドは……ヴォイドは、どうなったんですか……?」

 かつての仲間の行方を惜しむようなカルファに、ローグは答えた。

「始祖の魔王を……イネスを倒したのは、子供達の鎮魂歌(リベリ・レクイレム)っていう死霊術の技だった。子供達の魂を生け贄に、中心にいた人物の魔法力を限界以上に引き上げる、絶対禁忌のね」

「ヴォイドのレベルが100を大きく超えたのも、それが理由でしたね」

「あぁ。そしてそのイネスを倒したのは、当時の死霊術師(ネクロマンサー)だって、言われてるんだ」

「……!? 死霊術師(ネクロマンサー)が、始祖の魔王を……ですか!? そんなこと、聞いたことも……!」

「で、当時のイネスは絶命間際に魔王の鎮魂歌(デモンズ・レクイレム)を……魔力で術者の体内にある魂魄そのものを抜き出して、一生身体と結合(コネクト)出来ないようにした。術者の身体の中に閉じ込められた子供達の魂魄をそのままに、術者がいたずらに子供達の魂を使い続けることがないようにってね」

 ローグやカルファの見つめる先には、まるで人形のように動かないヴォイドの姿があった。

「……要するに、死んでもない魂は、成仏することも出来ずに、一生空気中のどこかを彷徨うことになる。魔力によって切り離された身体は朽ちることも、老いることも無い。一生を、永遠を、意識を持った魂のまま、一人ぼっちで彷徨い続ける地獄に追いやられるんだ」

 軋む身体を必死の思いで起こしながら、カルファは呟いた。

「じゃぁ、ヴォイドは――」

 それを横で支えるルシエラは、顔中埃まみれになりながら、ぺこりと頭を下げた。

 と、その時だった。

「伝令! でんれ……おわっと!?」

 慌てて崩落した大聖堂『始まりの間』に入ってきた一人の皇国兵。
 彼は顔中汗と、涙と、鼻水ぐしゃぐしゃにしながら、はっきりと告げた。

「特に衝突の大きかったダルン地区、ガジャ地区平原、シャルロット地区、その他10の拠点で、皇国正規兵団・冒険者連合と……と、突如現れた仮称《不死の軍勢》によって、バルラ帝国軍の戦線崩壊を確認しました!」

 カルファは、額に手をやりながら「そうですか」と深く息をついた。

「戦線維持に使用されたと思われる転移魔方陣もある一時から不発に終わり、どこからか出てきた女児率いるエルフの集団の類い希なる回復術も相まって回復した『ドレッド・ファイア』ラグルド・サイフォン、『獅子の心臓(レグルス・ハーツ)』グラン・カルマ、皇国正規兵団団長カルム・エイルーン様の合流を筆頭に制圧しきった模様です」

「エルフ女児って、ミカエラのことか……!? あいつは危ないから、出立前に『アスカロン』の受付嬢さんに預けておいたはずなんだけどな……?」

『後で、それなりの理由を問いたださねばならぬようだな。掃討戦とはいえ、主不在での勝ちどき報告とは、奴等もなかなかやるではないか』

 『くはぁぁぁ』と疲れたように唸るが、ミカエラのことを一番気にいっていたのもニーズヘッグだ。少々、機嫌も悪いように見えた。

「それで……カルファ様……」

 衛兵は、おずおずとカルファを――そしてその隣できょとんと立つ、ローグを見ながら、呟いた。

「その、あくまで一部噂になっているだけなのですが。突如現れた謎の集団についてです」

 ごくりと、喉を鳴らして報告に来た衛兵は続けた。

「き、忌避職死霊術師(ネクロマンサー)の私物ではないかと、噂になっておりまして……。もうすぐ日の出とのこともあり、徐々に力を失って入るのですが、兵達の間にも少なからず動揺が走っている……ようです……」

 恐る恐る、ローグの方に目線をやりながらきちんと報告(・・)をする衛兵。
 悲しそうな、寂しそうな表情で、カルファはローグを見た。

「ま、そうなるよな……」

 朝の日の光が、大聖堂内部にも届き始めて来ていた。
 その神聖な空間に舞う埃さえもがキラキラと光り、皇国の新しい朝を祝福しているかのように思えたのだが。
 片方に朝が来れば、片方には夜が来る。それはいつ昇るか分からない、長い夜だ。

 苦笑いを隠せないローグ。その肩に乗るニーズヘッグの表情も、芳しくはない様子だった――。