それから暫くして、一同は里の中心部まで戻ってきていた。
山ほどの荷物と、ここで得たものを鞄や背嚢に詰め、既にここを立ち去るだけならばいつでもできるようにしていた。ただ、修行を終えた面々の顔は、少し神妙だった。
「……本当にいいのでござるか、師匠?」
「遺しておくことに、意味があるのかもしれないよ。迷っているなら……」
クロエ達が見つめる先に立つのは、太い縄を右手に握り締めたフォン。
彼の目に映るのは、忍者の里の建物と、山ほどの巻物、そして忍具。いずれも『修練の地』に納めてあった秘伝の道具で、とてつもない価値を持つ代物ばかり。きちんと読み込み、学べば、次世代の忍者を創り出せるだろう。
ただ、並べられたのはそれだけではない。黒色の砂らしい何かが辺り一面に敷き詰められ、里の全体を囲っている。それ以外にも、所々掘り返したような痕があり、どことなく里全体の地盤が緩んでいるようにも見える。
少し心配そうなクロエやカレンに対し、フォンは振り返り、はにかんだ。
「いいや、もう決めたんだ。忍者の里も、忍者の歴史も、世界には不要だ」
そうして、右手に構えた縄を引っ張った。
「忍法・土遁――『|土均し≪つちならし≫の術』」
すると、遠く離れた縄の先端が擦れ、火花を散らし、轟音とともに爆発を起こした。
しかも、ただの爆発ではない。里を大きく揺らすほどに炸裂したそれは地面を崩すと、たちまち里と忍具を呑み込んでしまった。
ぐらぐらと音を立て、土と泥、砂が何もかもを埋め尽くしてゆく。
フォンが紐を引っ張って数秒もしないうちに、忍者の里があった場所はこんもりとした土が残るだけの、何でもない山の一部と化してしまった。何かを掘り起こそうとしても、きっと家屋の瓦礫や石、岩に埋もれ、何も見つけ出せないだろう。
何より、土砂崩れを起こす為の火薬は巻物にも準備されていた。粉微塵となった残骸は、もう誰にも読まれないし、永遠に自然の一部となったのだ。
果たして、これがフォンの目的だ。クロエ達も知っているからこそ、手を止めずに呟いた。
「爆発で土砂崩れを起こして、里の施設を全部埋めるなんて……思い切ったね」
「これで、誰も忍者、探せない。忍者、お前以外、もういない」
「リヴォルが生きているなら、例外だけどね。だけど、僕が忍術を誰かに教えることはもうないし、忍術が広まる先にあるのは戦いと動乱の時代だ」
フォンはマスター・ニンジャの遺物が、世に平和を齎すとは思っていなかった。
いかにあらゆる物事が使いようによって変わるとはいえ、そもそも存在しなければ平定を揺らす事態にも至らない。ならば、自分達を最後にして、完全に忍者の里を喪わせてしまうというのが、フォンが出した結論だった。
或いは、先代フォンの結論でもあったのだろう。
「僕は勘違いをしていた……師匠の言葉は正しかった、忍者は滅ぶべきだった」
先代が望んでいたのは、忍者の繁栄でも、忍者として生きる道でもなく、ただ自分が信じた――未来を託した者の生きる道だったのだろう。
フォンも、フォンの話を聞いたクロエ達の結論も、また同じだった。
「だね。フォンの師匠は、きっと忍者じゃなくて、フォンに生きてほしかったんだよ」
彼は小さく頷き、笑った。
「……帰ろう、ギルディアに。また、冒険者として働く為にね」
そうして、忍者の里だった場所に背を向け、歩き出した。
帰り道は、不思議なくらい誰もが緊張を解いたようだった。忍者の里という未知の世界に対する恐れや、過去を明らかにしないフォンへの不信がなくなったのも理由の一つだ。
だから、魔物が潜んでいる可能性すらある森の中を、けらけら笑いながら歩く余裕すらあった。普段ならカレンの油断を嗜めるフォンも、今日だけは特に口出しをしなかった。
「ギルディアの飯が懐かしいでござるな! サーシャ、帰ったらまずは魚料理でござる!」
「やだ。サーシャ、肉、食べる」
「肉ならずっと食べてたでござるよ! 魚の方が懐かしいでござる!」
「サーシャ、肉、一番!」
サーシャとカレンのにらみ合いを制するのは、こんな時にはクロエの役割になる。
「やめなって、両方食べればいいじゃない。ね、フォン?」
いつも通り務めを果たす彼女だが、ふと、歩きながら何かを想うフォンを見た。
「……フォン?」
後ろから声をかけられても一瞥すらしないまま、彼は口を開いた。
「……ずっと気になってたんだ。僕がどうしてここに来たのか、来ようと思ったのか。記憶のことがあるとしても、里に執着したのは、どうしてだろうかって……」
彼にとっての最大の謎、それは忍者の里に来た事実そのものだった。
過去に過ごした場所であるならば謎が解けると思うのは当然として、ここまで執着した理由は何だったのだろうか。ひいては、自分が何故すらすらとトラブルを解決し、最終的に忍者として新たな力を手に入れられたのはどうしてか。
乗り越えられた理由も含め、誰かに全てが上手くいくよう仕組まれていたようにすら、彼には感じられていた。そうなると、何もかもを疑ってしまうのがフォンの癖だ。
そんな彼に対する答えは、クロエが持っていた。
「――きっと、師匠が呼んでくれたんじゃないのかな」
「……!」
何となく言っただけの仮説ではあるが、彼女の言い分は、フォンの目を開かせた。
「フォンを強くする為に、ここに連れてきてくれたんだよ。死んでからも、どこかできっとフォンのことを見守ってくれてるんだって、あたしはそう思うな」
彼女の発言の全ては、裏付けがない。確証もない。
なのに、フォンは微塵も疑いはしなかった。
「……だといいね」
立ち止まらないままに軽く振り返り、微笑んだ彼の中から、謎は消えていた。
一切合切は、きっと運命によって仕組まれていたのだ。彼を愛する感情が、死して尚も残り続ける願いの力が、フォンを正しく生きさせる宿命の形を取って現れたのだ。
騒々しい仲間も、今ここに居る記憶の灯も、こうなるべく道筋を立てられていたのだ。
――愛する者への、最期のプレゼントとして。
(師匠、貴方は僕の……いいや、俺の中で生き続けていたんだ)
ただ、フォンは分かっていた。最期など存在しえないと。
(気づけなくてごめん、そして……ありがとう)
心の中で自分が愛し、信じ続ける限り、生き続けるのだと。
もう、迷いはない。蟠りも残っていない。
フォンは振り返り、頬を抓り合う喧嘩に発展しそうなカレンとサーシャ、二人を呆れた調子で諫めるクロエに微笑みかけて、ある提案をした。
「皆、帰ったら一等の酒場でフルコースだ。魚も肉も、好きなだけ食べよう!」
彼の方からあまり言わない、豪勢な料理を囲んだ会食を。
簡単な提案だったが、たちまち三人に笑顔が戻ってきた。
「やったー、でござる!」
「お前、話が分かる! サーシャ、お前、好き!」
「まったく、調子いいんだから……あたしも、戻ったら倒れるまでお酒を飲もっと!」
さっきまでの喧嘩はどこへやら、すっかり仲間達はにっこり笑顔。
「ああ、そうしよう!」
三人につられて一層笑うフォンと仲間は、陽気な気分で森を歩いていった。
そんな姿を、空を飛ぶ烏と、木々の隙間の獣達と青い空が見ていた。
「……フォン、遂にマスター・ニンジャの座に上り詰めたんだね」
――訂正しよう。
遥か遠くの岩場の影から、一人の少女も見つめていた。
見えずとも、彼女は視線の先から、彼等の全てを把握しているようだった。何が起きたのか、どんな修行を続けたのか、何の為に里を破壊したのかも知っているのだろう。
「しかし、師匠の導きでここに来たとは。滑稽よな、滑稽」
少女はもう、可憐なワンピースなど纏ってはいなかった。
黒い布を羽織って、分厚い黒の衣服を着用している。少しぶかぶかなのは、まるで他の誰かが着ることを前提としているかのようだ。
大きな岩に腰かけた彼女は、フォンの成長を喜んでいたようだったが、直ぐに彼が自身を満足させるのには至っていないと悟ったようで、柔和な顔を顰めた。
「最初に遭った時から、術にかけられているとも知らずに。自分達の意志でここまで来て、忍者の新たなる力を手に入れたと思い込んでいるとは……」
彼女の言い分が正しければ、フォンは師匠の導きでも、自らの感情でもなく、彼女に操られて『修練の地』へと辿り着いたことになる。全てを影から操っているかのような恐ろしい発言を平然と口にしながら、彼女は顎に指をあてがい、フォンのいる遠くを睨む。
仲間の誰もが確信した、成長した姿。だが、少女には物足りないようだ。
「……足りぬな、力が、冷酷さが。まだ『忍者兵団』を率いらせるには……リヴォル」
彼女が指を軽く鳴らすと、岩場の影から別の少女が姿を現した。
「――ここに」
右手と右目を欠いた白髪の少女は、かつてフォンを襲ったリヴォルだ。
隣には当然、彼女の双子にして人形のレヴォルもいる。カタカタと鳴る人形を携えた彼女は、まるで黒衣の少女が自分の主であるかのように跪き、恭しい態度を取った。
「お主が回収した奴らの従属はどうだ?」
「滞りなく。貴方の力もそうですが、彼に対する強い憎しみがあります。洗脳などせずとも、相応に力を貸してくれることでしょう」
「ふん、奴らに術をかけたのは強くする為ではない。臆病風に吹かれた時に逃がさんようにする、ただそれだけよ」
羽織った漆黒の布を翻し、少女はだぼだぼの服を引きずったまま、リヴォルの背後に目をやった。冷たい目が捉えたのは、ただの木々や風景ではなかった。
人形使いの後ろ、開けた場所には、無数の人が立ち並んでいた。
黒のマントを羽織ったそれらは、一様に同じ格好をしていたが、中身はまるで違う。人間の男女もいれば、獣のような顔をした者もいるし、長い耳を携えた者もいる。背丈の低いずんぐりむっくりもいるし、背の高い怪物じみた者もいる。
共通しているのは、どれも自我が消えたかのように、目が虚ろだということだ。
己の意志などすっかり喪失したかのように直立不動を崩さない、百は下らない人形のような連中を見て、彼女は蔑むように言った。
「こやつらも変わらん。忍者の術は与えたが、思考を抜き取るのが目的よ」
すっくと立ったリヴォルも、少女の後ろに付き、彼女の言葉に同意する。
「亜人と人間、素質ある者の混合軍……新たな『忍者兵団』ですね」
「ここにいる者はごく一部よ。誰もが世間より非難され、蔑まれた者達よ。故に心に傷がある、穴がある。故に簡単に心を開き、支配を望む。亜人などは特に、人の世で惨い仕打ちを受け続け、世間の表側に立てなかった者ばかり……従わせるのは、容易いものよ」
どうやら、ここには人間ではない者も混じっているらしい。ならば成程、角がついていようとも、異様なほど髭が生えていようとも納得できる。
「まだ増やすのですか?」
「無論。獣人、エルフ、ドワーフ、ホビット……兵は幾らおっても困らん、隷属しているのなら猶更のう。探索を命令していた、ミノタウロスの部族は見つけたか?」
「はっ、ここから南東、二日ほど進んだ先に隠れ家があります」
「ならば、早々に従わせるとしよう。行け、貴様ら。奴らを捕らえるのだ」
少女の命令で、黒衣の集団は一斉に動き出した。その機敏さ、速さは忍者にも負けず劣らずと言っても過言ではない。知らない人に説明すれば、彼らが忍者だと言ってもきっと信じられるだろう。
こんな動きを取る者達が、百人ほど居て、まだ一部。騎士や兵士すら見劣りする俊敏さを有する彼らが氷山の一角だとすれば、彼らは一体、どれほど危険な集団だろうか。
あっという間に姿を消した軍団を見送るように眺めながら、リヴォルが口を開く。
「……それから、王都ネリオスへの進撃を?」
頷いた少女は、フードを被った。
「うむ、胡坐をかいた間抜け共に思い知らせてやるのだ。我々の力と脅威を、存在を……じゃが、王国と王都の滅びなど脚掛けにすぎんということを忘れるな」
その声は、最早あどけない子供ではなかった。
いや、声だけではない。漆黒の纏いの中で、めきめきと奇怪な音を立てて、少女の体は変貌しているようだった。骨が、皮膚が、筋肉が再構築されてゆくのだ。
背丈はリヴォルよりも大きくなり、だぼだぼの衣服がちょうど良いサイズとなる。ゆらりと何度か揺れた後、今は彼と言うべき者は、静かにフードを脱いだ。
「時代が変わるぞ。王の時代でも、神の時代でもない――」
暗い色の短髪。尖った鼻。大きな瞳。二十代前後に見える、総じて整った顔立ち。顔中に広がる無数の傷痕――継ぎ接ぎのような痕跡を除けば、整った顔立ち。
鍛えられた体を、尖った歯を鳴らしながら、彼は嗤った。
「――忍者の時代が来るのだ。この儂、ハンゾーが世を統べる時代がな」
新たな邪悪の到来を示すかのように、北の空は曇りがかっていた。
◇◇◇◇◇◇
「……?」
ふと、フォンは明るい表情をほんの少しだけ陰らせて、明後日のほうを向いた。
何もない、木々だけが広がる世界の奥から、闇が大口を開けているような気がしたのだ。
「どうしたの、フォン?」
足を止めた彼につんのめったクロエが問うと、彼は首を横に振った。
「ううん、何でもない。行こうか」
高揚感からか、三人は言及しなかった。再び笑いながら歩きだす彼につられて、カレンは飛び跳ねながら、サーシャは腹の音を鳴らしながら、山を下ってゆく。
クロエもまた、彼女達と同じように微笑み、フォンの肩を叩いて先導する。
しかし、木々のざわめき、せせらぎが、彼に警告していた。
(――師匠の導きでないとしたならば?)
力を手に入れたのが、何者かの――悪しきものの思案によるならば。
フォンを強くするのも、自分を高い位に仕立て上げる者の狙いであるならば。自分が強くなければ困る者の、恐るべき計画の一端に過ぎないとするならば。
(生きている誰かが僕達を連れてきたなら……僕達が、いや、僕が強くなるのも宿命ではなく、仕組まれていたのなら……誰が?)
いいや、誰かが、などと不明瞭な感覚ではない。
蛇が這うような視線。背骨諸共引きずり出すかの如き憎念。
誰かは、知っている。
(……『あいつ』だ。なぜだ、どうしてだ、奴は――)
だとすれば、どうするのか。
(――いいや、必要ない。悩む必要なんてない。次に見えたなら、その時が終わりだ)
決まっている。
今度こそ、黄泉の国へと引きずり戻すのだ。
何を考えていようと、企んでいようと、今度こそ伝説の忍は後悔する。
(止めてやる。僕の、俺の力で)
二つの意思が宿った瞳は、遥か空を見上げた。
晴れた青雲が示す未来が正しさの暗示だと、彼は信じた。
ここは冒険者の街、ギルディア。
冒険者総合案内所をはじめ、危険な依頼をこなす冒険者達を全面的にバックアップする街。少し前に起きたとある勇者の大暴れの痕跡こそまだ残るが、復旧作業の八割は完了しており、以前からの活気も取り戻しつつある。
そんな街だが、実はつい最近まで、大事なピースが欠けている状態だった。
街の救世主とも呼ぶべき存在が、二十日ほど前から忽然と姿を消してしまっていたのだ。きっと帰ってくると誰もが信じていたが、それでも不在が寂しく思える四人組だ。
尤も、彼ら、彼女らの喪失感は、本日をもって拭われる。
「――戻ってきたよ、あたし達のギルディアっ!」
フォン率いる四人組――通称『忍者パーティ』が、街に帰ってきたからだ。
最後の忍者にして冒険者のフォンを筆頭に、西側にある門から彼らが入ってくると、周辺の露店や売店、ただ普通の家庭ですら騒めいた。
最早有名人扱いの四人であるが、態度はいたって普通で、不遜さなど微塵も感じられない。強いて言うなら、服装や背負っている武器が、街を出た時と違うくらいだろうか。
両手を大きく掲げて、街の空気を吸い込む冒険者のクロエもそうだ。忍者共通の黒い外套を、いつもの服の上から羽織っている。
「予想よりも十日ほど遅れたでござるが……ま、あまり風景も変わらんでござるな」
小さな背を伸ばし、顎を擦って郷愁に耽る、猫の魔物にして忍者のカレンも。
「いつも通り、冒険者ばかり。サーシャ、でも、ここが好き」
二つの巨大なメイスを担いだ剛力の戦士、サーシャも。
「……そうだね、僕もここが好きだ。久々に戻ってきたけど、我が家のように思えるよ」
そして、己の闇を乗り越え、赤のバンダナと『俺』を携えたフォンも、街に帰還したことそのものを心から喜んでいた。
「わかるわかる、第二の故郷って感じ!」
クロエが相槌を打つと、周囲の冒険者や商人が声をかけてきた。
「お、久々だな、フォン!」
「クロエちゃんに、他の皆も! どうしたんだよ、旅行にでも行ってたのかー?」
「ははっ! ま、そんなとこだよ!」
彼らがフォン達に好意的なのは、前述したとおり、彼らが街の救世主だからだ。
かつて街で最も幅を利かせていたのは、勇者パーティと呼ばれていた一団だ。しかし、彼らは恐るべき犯罪や癒着を重ねた悪党であり、フォン達とは何度も衝突してきた。最終的には決闘という形で、勇者パーティは悪事を暴露され、街を追われた。
今となっては平和になった街は、フォンや仲間達にとって安住の地ともいえる。
とはいえ、クロエはどういうわけか、帰路に起きた出来事も忘れ難いようだ。
「だけど、ここ何日かの冒険も楽しかったよね。まさかここまで買えるのが遅くなるとは思ってなかったけど!」
そう。四人が街に戻ったのは、予定よりもずっと遅れていたのだ。
本当なら数日ほど早いはずだったが、道中に行きと違うルートを使った結果、新たな出会いがあった。全てを書き記すのが難しいほど濃密で、摩訶不思議な出会いが。
彼らは街の皆に手を振りながら歩きだし、総合案内所へ向かうがてら、回想に耽る。
「ごめんね、みんな。どうしてもあの人達を見過ごせなくて……」
「謝る必要などないでござるよ、師匠! 師匠の人助けの気持ちは素晴らしいでござる、それに拙者達も同じ気持ちでござったし!」
「そうそう! まさか、『トカゲ人間に支配された民族』を助けて、そのあとに『温泉掘りに人生を賭ける家族』に出会うなんて思ってもみなかったけどね! ははは!」
「うん、トカゲはびっくりするくらい強かったね……」
思い返せば返すほど、奇々怪々な出会いでもあった。
一つは、とある農村を支配するトカゲ人間の存在。そこで暮らす人々はトカゲの頭をした魔物――所謂リザードマンに圧制を強いられ、節目には最も若い女の子を生贄に捧げる風習を押し付けられていた。
もう一つは、渓谷で温泉探しに勤しむ一家。とある手段で地下に温泉があると判明したのだが、巨大な岩壁を長年破壊できずに温泉を掘り当てられずにいた。
双方とも、これまでの四人では直面したところでどうにもならないほどのトラブルであった。しかし、今の彼らはかつてと比べると、別人と呼べるほどの強さを手に入れていた。
「だけど、サーシャ達の敵じゃない。サーシャ達、昔よりずっと強い」
「うむうむ! 拙者達の力は圧倒的でござった!」
再びこの数日間の思い出を振り返ると、浮かぶのは彼女達の大勝利。
方や、並み居る緑色の鱗の怪物を退ける姿。
『忍法・火遁『十連猫』の術ッ!』
『『忍魔法矢』――『超雷鳴』!』
『ゴギャアッ!?』
『逃、逃ゲロ、逃ゲロ!』『人間ドモメ、覚エテイロ!』
燃え盛る猫を模した炎の連撃と、雷撃を纏った矢の前では、いくら屈強なリザードマンの戦士といえども、ひとたまりもない。どたどたと逃げ去るトカゲ人間の背中を恨めしそうに見つめたのち、ぼろぼろの布切れを纏う村の人々はフォン達に感謝した。
『あ……ありがとうございます、ありがとうございます!』
『トカゲ人間を追い払っていただいて、ありがとうございます……!』
方や、何年も砕けない恐るべき漆黒の岩盤を砕く姿。
『サーシャ――ブチ壊すッ!』
サーシャが手にした一対のメイス――ドラゴンメイスは、魔法を宿した武器だ。
地面に向かって思い切り振り下ろされた剛腕の打撃は、黒い岩に容易くひびを入れたかと思うと、凄まじい勢いで噴出した温泉とともにそれを砕け散らせた。採掘に励む家族は信じられない光景を目の当たりにしながら、涙ながらに一同に感謝した。
『お、おお……俺達が十年叩き続けても壊れなかった伝説の岩が、一撃で!』
その後、急ピッチで整備された温泉に浸かり、ゆっくりと過ごしていたのだから、街に帰ってくるのが遅れても仕方ない。それくらい、濃密な数日間だったのだ。
「――本当に、思い返すと本の一冊でも書けそうな大冒険でござるな……」
伝記にできそうな冒険譚を思い返すカレンの隣で、フォンは微笑む。
「はは、同感。これだけ人助けも冒険もしたんだし、しばらくは街でのんびり――」
彼の言う通り、修行の期間も含めると、とんでもなく忙しない日々であった。正直なところ、ゆっくり休みたいというのが素直な感想だ。
実際問題、街の救世主が数日ほど惰眠を貪ったところで、誰も咎めないだろう。
「――悪いけど、そうはいかないわね」
――ただし、彼女だけはそうはいかなかった。
眼前に立ち塞がる見慣れた姿を前にして、四人は足を止めた。
ドレスのような甲冑。明るい橙色の髪。籠手と剣が一体化した特殊な武器。こんな格好をしている人間を、フォン達は一人しか知らない。
「ようやく見つけたわ、フォン。ずっと待ってたのよ」
アンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサ。
王都最強の一角でもある女騎士が、腕を組み、ひどく気難しい顔で立っていた。
「……アンジー? どうしたんだい、そんな顔をして?」
「久しぶりね。すっかり様子が変わったみたいだけど、どこかで修行でもしてたのかしら?」
「そんなところだよ。街を空けてたのは悪いけど、有益な時間を過ごせたよ」
普段はフォンに優しいはずのアンジェラだが、今日ばかりはどこかぴりぴりした態度だった。まるで、デートの約束をすっぽかされた恋人のようだ。
とはいえ、そんな理由ではないということだけは、彼には分っていた。一方で事情を理解していない様子のカレンはというと、うきうきした調子で口を開いた。
「もしかして、おぬしも聞きたいでござるか? 拙者達の大大大冒険譚を……」
「興味はあるけど、今は結構よ。それよりも、大事な話があるの」
「大事な話?」
話を遮られて頬を膨らます青毛の猫を無視して、アンジェラはフォンに話を続ける。
「ええ。帰ってきて早々で悪いけど、そこのカフェで話しましょう」
アンジェラは直ぐにでも何かの相談をしたい様子だったが、どこか傲慢にすら感じられる彼女の態度をクロエが咎めた。
「本当にいきなりだね……荷物をまとめる時間くらい、くれてもいいものじゃないかな」
「クロエの言う通りでござるよ。拙者の言えたことではござらんが、不躾でござる」
アンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサといえば、ギルディアから少し離れた王都ネリオスでは名を知らない者がいないほど高名な騎士だ。国王直属の五人の剣士『王の剣』の紅一点でもあり、相応の立場にも就いている。
だからこそ、クロエ達は礼儀の一つも知らないのかと言及してやった。正確に言えば、礼儀を知っているはずだろうに、どうして無礼に見えるほど急いているのかと聞きたかった。
カレンが口頭で同意し、サーシャは無言ながら威圧感を醸し出す様を見たアンジェラは、交渉に失敗したかのように苦い顔を見せたが、フォンだけは違った。
「……いや、話を聞こう」
「師匠!?」
少しだけ考え込んだ彼がアンジェラの提案を呑んだのを聞いて、三人は驚いた。
無礼や傲慢さを最も窘めるはずのフォンが、まさか彼女の乱暴な相談をあっさりと承諾すると思わなかったからだ。
勿論、彼も考えなしに話を聞く姿勢を取ったわけではない。
「アンジーが礼儀を知らないはずがない。それを踏まえたうえで僕達に話を聞くよう言ってくるってことは、相当危険な案件のはずだ……そして、大事件のはずだからね」
フォンの予想は、のっぴきならないほどアンジェラが切迫した状況に置かれていると言っていた。荷物を宿に置くより先に、休息を取るよりも先に共有すべき事柄を抱えているのだと、彼は思ったのだ。
そして、その予想は当たっているようで、アンジェラは軽く微笑んだ。
「察しがよくて助かるわ、フォン。ああ、お代は奢るから安心して」
くっつけたようにも見える笑顔を浮かべた彼女に先導されるがまま、一同は一番近い喫茶店へと歩いて行った。
「……なーんか、嫌な予感がするけどね」
「サーシャ、同意」
クロエとサーシャの言葉が聞こえているのかいないのか、テラスにどっかりと座ったアンジェラは、彼女と同じ円形のテーブルに腰かけた四人に手を翳しながら、とてとてと駆け寄ってきたウェイトレスに言った。
「コーヒーを四つ。そこのお嬢さんには、オレンジジュースを」
「かしこまりました」
ウェイトレスがぺこりと頭を下げてカウンターに向かったのを一瞥もせず、アンジェラは四人に向き直った。表情はまた、さっきまでの神妙さを取り戻していた。
「それじゃ、事情を話させてもらうわね。少し長くなるけど、我慢して聞いて頂戴」
フォンを含めた四人が頷くと、アンジェラが重い口を開いた。
「……ことの始まりは、貴方達がギルディアを出て間もなくよ。クラーク一味が使っていた薬物の出どころについて調査を続けていた私に、王都に戻ってくるように命令が下ったの」
どんな話を叩きつけられるのかと思いきや、話は意外にもあっさりしたものだった。
王都騎士団に属するアンジェラ、ましてや騎士団を率いるほどの立場であるなら、ギルディア担当とはいえネリオスに戻るよう命令されるのは珍しい話ではない。むしろ、これまで一度だって帰還していないのなら、そちらのほうがおかしいと思えるくらいだ。
「王都騎士団が王都に戻るなんて、別におかしな話じゃないわよね?」
クロエが当然の問いを口にすると、アンジェラは首を横に振った。
「問題は、命じられた理由よ――クラーク達勇者パーティを収監した牢獄が、何者かによって破壊されたの。犯罪者連中と一緒に、彼らは逃げ出したわ」
今度こそ、一同は帰還を命じられた理由の異常性を理解した。
彼らが最もよく知る犯罪者集団の脱獄は、まさしく寝耳に水であった。
「なんだって!?」
クラーク、もとい勇者パーティといえば、つい最近、ギルディアにおける犯罪の数々を暴かれた末に投獄された犯罪者だ。噂では脱獄不可能と謳われる牢獄に収監されたと聞いていたが、まさか脱走してのけたとは。
勇者の随伴者であったクラーク、武闘家サラ、剣士ジャスミン、魔法使いにして最も根の深い邪悪な意思を持つマリィ。ナイトのパトリスが抜けたとはいえ、どこかで犯罪を行うには十分すぎるメンバーだ。
これならば、勇者パーティと縁の深いフォン達を頼るのも理解できる。
だが、アンジェラが彼らに声をかけたのは、これに輪をかけたトラブルがあるからだ。
「犯人は不明、看守は皆殺し……これだけでもまずい事態だけど、更に重なったのよ」
「重なったって、何が?」
アンジェラは少しだけ間を空け、怒りと悲しみを吐き出すかの如く、呟いた。
「――四日後に、私の同僚『王の剣』の四人が殺されたわ。忍者の仕業よ」
ウェイトレスが飲み物を持ってきたのにも、一同は気づかなかった。
王都最強の騎士の連続死、忍者の関与。
二つの事実は、それくらいの衝撃をテーブルに奔らせたのだ。
「忍者……!?」
「それに、アンジェラの仲間が死んだって……!」
テーブルに置かれたコーヒーに視線を移しながら、アンジェラは思い返した。
「……そうよ。王都ネリオスに、この国に今、未知の危機が迫っていのよ」
顔を上げた彼女と、四人の目が合った。
「『王の剣』が襲われた、最初の事件から話すわね。ことの始まりは――」
――ここからは、たった数日間の間に起きた、ネリオスを震撼させる恐るべき回想。
そしてとある場所に赴くまでの回顧録である。
――ことの始まりは、五年に一度王都ネリオスで執り行われる、国王の生誕祭よ。
「生誕祭?」
そう、ミルドレリア国王の誕生を祝う大きな祭りね。聞いたことはない?
「僕はギルディアにきて間もないから……」
「あたしは冒険一筋だったし」
「興味ない」
「右に同じでござる」
……ま、そういう祝祭があるのよ。
王都は普段、そう簡単に人が立ち入られないようにしてあるわ。王族が住まう宮殿があるから、都で暮らせる人間は厳重に身辺調査が行われるし、ある程度の身分がないと長居すらできない。そんなだから、選ばれた人間だけが入られるなんて言われてるわね。
壁で覆われ、ギルディアのように四つある門は全て寝ずの番によって守られているから、碌に犯罪者や悪党が立ち入る隙はない。仮に誰かが入ってくれば王都騎士団が即座に捕らえて身分を明かし、犯罪者なら即座に投獄されるわ。
けど、ここ最近だけは別なの。
生誕祭当日を含めた数日間だけは、自由な交通や商売が許されるのよ。
「お祭りっていうくらいだから、それくらいはするよね」
確かに大きな利益を生み出し、多くの文化を取り入れる機会にしているのも事実よ。だけど、本当の目的は別にあるわ。普段は表に出てこない国王が存命だと、国内外にアピールするのが真の目的なの。
「……リスクも大きそうだね」
流石、そこに目を付けたわね、フォン。
貴方の言う通りよ。この生誕祭がある数日間は、ネリオス内で犯罪が起きる数少ない期間なのよ。国王を狙う暗殺者や商人を装った強盗集団、種類を挙げればきりがないわ。
「もしや、そういった輩を捕らえろと?」
「だったら拍子抜けだね。何の為に騎士団がいるのさ」
早とちりしないで頂戴。こっちだって、そのつもりよ。
実際、王都騎士団はここ最近の生誕祭で一度も犯罪を許容していないわ。暗殺を未然に食い止め、強盗団を一斉検挙したし、自分で言うのもなんだけど相当優秀なつもりよ。
特に私の同僚『王の剣』はたいしたものよ。国王直属としてあらゆる剣技に優れ、知略に長け、騎士や兵士の人望を集めるの。悪党連中の中には、彼らが警護についていると聞いただけで計画を諦めて自首した奴らもいるくらいよ。
二刀流剣士のドミニク、大剣使いのバリー、ナイフの達人ジョナサン、槍の神童アレン。そこに紅一点の私を足して『王の剣』なんて呼ばれているけど、正直なところ、私は添え物って感じよ。この四人が、王都ネリオスの警護を完璧なものにしていたわ。
「……その四人が、殺されたと?」
……そうね。
自分で言っておいてなんだけど、到底信じられない話よ。
一日につき一人、騎士が廃屋で死んでいるのを発見された。彼らほどの騎士が死ぬなんて考えられなかったけど、死体は全て確認したわ。結果として、原形を留めていない者もあったけど、ドミニク、バリー、ジョナサン、アレンだったわ。
幸い、国王陛下は彼らが死んでからすぐに警備を強化したわ。皮肉な話だけど、犯罪者はより入りづらくなったというわけね。それでも不安だからという意味で、私はネリオスに呼び戻されたのよ――弔うためじゃなくてね。
言っておくけど、私が死んでいないのは、運よくギルディアの担当騎士としてここにいたからに過ぎないわ。復讐を果たすまで死ぬわけにはいけないと心に誓っているけど、あの四人を容易く始末できる組織があるとするなら、不利どころの話じゃないわね。
でも、矛盾するけど、国王陛下は四人が死ぬ前に私を呼び出すべきだったわ。『王の剣』の数が半分以下に減ったのを対外的に知らせたくないって気持ちは分かるけど、せめて一人だけでも助けられたかもしれないと思うと、やりきれないわね。
――そして、彼らが死ぬ少し前に、勇者一味が脱走したのよ。
「四人の死が、クラーク達の脱走と関係しているってわけ?」
私はそう睨んでいるわ。
悪事を重ねた犯罪者集団の脱走と、ネリオスでの犯罪。動機は全く見えてこないけど、関与性がないと考えるには無理があるんじゃないかしら。
「拙者には、こじつけのようにも見えるでござるな」
「うん……仮にクラーク達がネリオスで何かの犯罪を行うとして、わざわざ『王の剣』を殺すメリットがない。彼らの実力は確かだけど、アンジーが認めるほどの騎士を殺めるほどの力はないよ」
「ま、二人に賛成だね。アンジェラも、直哲的な関与とは思ってないんでしょ?」
ええ。最初に言ったでしょう、忍者が犯行に及んだって。
「サーシャ、分からない。忍者がやった、どうしてわかる?」
手口よ。四人とも、ただナイフで刺されたり、矢で射られたりって死に方じゃなかった。
「つまり?」
――拷問よ。
四人とも、発見されたときには拷問の跡が残っていたの。
「拷問……! 何を聞き出すつもりで……!?」
そりゃあ、彼らから聞き出せる事柄はいくらでもあるわ。
王族の直接的な警護についていた面々よ、警備状況や入室の為の暗号、変装に用いる仕草や挙動の真似に必要な情報……何でもあるし、その全てが警備の危険性を高めるには十分すぎるほどの重要さを持っているわ。
拷問の痕跡は凄まじかったわ。見つかった死体が彼らだと分かったのは、顔が辛うじて残っていたからよ。肌は殆どが剥がれ、骨はほぼ砕かれ、臓器の奥が引きずり出されていたわ。全員が同じやり方で拷問されていたから、犯人は恐らく同一人物ね。
「……なら、犯人は忍者じゃない」
どうして?
「忍者なら拷問した死体を処理する。人になんか見せつけない。確実に処理して、痕跡を残さないようにする。大方、過激思想のテロ組織による犯行じゃないかな」
……ま、私も同じ意見だったわ。
死体に、ある痕跡が残されているのを見るまではね。
「……その紙は?」
亡骸にあった傷痕をスケッチさせたものよ。どれも普通の斬撃痕じゃないけど、特にこれだけはおかしかったの。楕円形の傷痕の中で、肉を丸く抉っているわ。貴方達には、傷痕が何に見える?
「何かの……目?」
そうよ。
これは『蛇の目』。
とある忍者の一団が、しきたりを破った忍者への見せしめとして彫り込んだ傷痕よ。
私が忍者について調べた結果、彼らが用いるルールだということは分かったけど、どこのだれが使っていたかは不明なの。
いったい誰のものか、フォン、分かるかしら?
「……師匠、ご存じで?」
「フォン……?」
その表情、知っているようね。
「まさか……ハンゾー……!」
――やっぱり、貴方に相談して正解だったわ。
「ハンゾーって、確かフォンが倒した忍者の長、だっけ?」
「……そうだよ。僕が里を滅ぼした時に、死んだはずだ」
「だったら、おかしい。死人、一度死んだら、それまで。サーシャ、知ってる」
「そのはずだ。僕は確かに殺した、けど……」
貴方も何かを知っているようね、フォン。
というよりは、勘付いていると言ったほうがいいかしら。
「ああ、あまり考えたくない事象だけど、現実としてあり得るなら……」
その話にはすごく興味があるけど、後ろの三人が間抜けな顔をしてるから……まずは説明してあげて。瞳のように彫り込まれた傷痕、『蛇の目』が何であるかを。
「……『蛇の目』。アンジーがどこでそれを知ったのかは知らないけど、忍者の里でハンゾーに直属していた忍者が、拷問の対象として選んだ相手に彫り込んだ一つの証だ」
「証? 何の?」
「どんな形を以てしても死に至らしめるという証さ。蛇の目の形に肉を彫ってから拷問を始めるのは、ハンゾーが訓えた忍者の習わしなんだ」
私は独自調査の末に、『蛇の目』の情報を手に入れたわ。さっきも言った通り、忍者が使うメッセージ性のある刻印だとは知っていたけど、そんな意味があったなんてね。
確かにこんな傷は、他では見たことがないのよ。忍者独自の習慣ってわけ。
「えっと、つまり……それ自体が危険とか、そういう意味?」
「そんなところかな。だけど、一番問題なのは、『蛇の目』が存在することだよ」
そこについては、私も聞いておきたいわね、フォン。
「アンジーにも言っておくと、ハンゾーというのは、僕が所属していた忍者の里の長だ。即ち僕が滅ぼした里の長であり……リヴォルの上司でもある」
じゃあ、私の仇が、事件に絡んでいるのね?
「恐らくはね。ただ、彼女がこれを彫り込んだとは考えにくい」
「なぜでござるか、師匠? あやつはハンゾーのしもべ、『蛇の目』を知っていてもおかしくはないでござる。きっと、アンジェラや師匠を挑発する為に……」
「いいや、僕を呼び出すのだけが目的なら、この刻印である必要がない。もっと大規模な殺人や破壊を繰り返したほうが、もっとシンプルに僕を引きずり出せるだろうしね」
「確かにそうかも。もしもフォンを狙うなら、ネリオスに行く必要もないよ」
「相手は騎士を殺すだけの実力を持つ者を従え、アンジェラと僕の関連性について調べるほどの諜報力と、大胆な殺戮をしておきながら虎視眈々と状況を静観する落ち着きを併せ持っている。そんな人物は、一人しか思い当たらない――」
――結論を言ってちょうだい、フォン。
貴方の目から見て、この現状が伝える真実がなんであるかを。
おそらく、私も貴方も、結論は同じだと思うけど――。
「――ハンゾーは生きている」
……やっぱりね。
「ハンゾーが!?」
「おかしいよ、それって! フォンから昔話を聞いたけど、里が滅んだ時にハンゾーも殺したって! じゃないと、つじつまが合わないよ!」
「師匠の話通りなら、ハンゾーは相当狡猾でござる。きっと、師匠を逃がさなかったはずでござるが……ハンゾーから教わらず、他の書物から忍者の情報を手に入れた誰かが……」
「ありえない。刻印を知っているのはハンゾーと、選ばれた一部の忍者だ」
フォンの仮説の通り、彼が生きている証拠は残っているわ。
元忍者の首領とやらは、どうやら死んでいないようね。
「……そう、考えるほかないかもしれない。リヴォルが僕を混乱させる目的があるとも考えたけど、やるにしては回りくどすぎるから……」
私も同じ意見よ。もっと確実に動揺させる手段はあるわ、間違いなく。
ついでに言わせてもらうなら、貴方が殺したと言っておきながら、生きている事実にさほど驚いているようにも見えないわ。どこかで彼が生きているんじゃないかって、おかしな話だけど確信があったんじゃないの?
「そうなの、フォン?」
ここにきて、誤魔化しはなしよ。
「……僕達は暫くの間、忍者の里の跡地に行っていた。僕の記憶の手掛かりを探す為だったけど……結果として、そこで忍者の秘密の訓練場を見つけた。修行を積んで、強くなれたのは師匠が僕を導いてくれたんだと思っていたんだ。けど、違うのかもしれない」
「どういう意味でござるか?」
「誰かに導かれているのは間違いなかった……けど、あの時と同じ目線を時折感じたんだ。僕を突き刺すような蛇の目を……里にいた頃にも感じた、鋭い視線を」
「もしかして、ハンゾーの視線を?」
「気のせいだと思いたかった。殺したのにも確信は持っていた。けど、あいつは僕よりも一歩上手だった……本当に生きているとすれば、そう思わざるを得ないね」
そのあたりは、流石、忍者の長ってところかしら。
「……一つ確かめさせてくれ。この傷が彫られている部位は、どこだった?」
ええと、右膝だったわ。それがどうかしたの?
「おかしい。『蛇の目』を傷としてつけるのなら、もっとわかりやすい場所や、対象に恐怖を与える箇所につけるはずだ。僕なら心臓の辺りに彫り込むし、だいたいの忍者はそうする。そうしないのは、まだ半人前の忍者か、そこまで物事を教え込まれていない忍者だ」
半人前の忍者、というのは矛盾していないかしら。
この世界に存在する忍者は、貴方とそこの猫ちゃん、私の仇とハンゾーだけ。他に忍者がいるなら、絶対に私がその情報を集めているはずよ。
忍者が勝手に増えるはずもないし――。
「勝手に増えていないとしたら?」
……まさか。
「大方、僕と君の予測は当たっていると思うよ。もしそうなら、恐ろしい事態だけど」
ええ。ここで悠長にしている余裕は、少なくともゼロになるわね。
「まさかって、アンジェラもフォンも、どうしたの?」
「凄い顔。お前ら、お腹壊した?」
お腹を壊してこんな顔になれるなら、そっちのほうが幾分ありがたいわね。けど、お馬鹿さん達に教えてあげると、私が神妙な顔をしてるのは、まずい事実に気づいたからよ。
「まずい事実とは何でござるか、師匠?」
「……育てているんだ」
やっぱり。
「育ててるって、何を?」
忍者の長が育てるものなんて、一つに決まっているでしょう。
「ハンゾーは……忍者を育てている。新たな『忍者兵団』として、里として……!」
――忍者はもう、フォンやあの女だけではない、ということよ。
「どういう意味なの? 忍者が育ってるって、ハンゾーが育ててるの?」
「……あくまで僕の仮説だけど、今回の襲撃はハンゾーが指揮しただけだ。決して、彼自身が直接手を下したわけじゃない」
「指揮したって、ハンゾーが育てた忍者を?」
そうね、まさしくフォンの言う通りかもしれないわ。
貴方の予想通り、殺された現場はさほどスマートではなかったのよ。
拷問の間にも抵抗した様子が見受けられたし、飛び散り方からして騎士ではない者の血液もこびりついていたわ。足跡もいくつか残っていたし、私がここまで調査をできたのも、彼らの詰めがどうにも完璧ではなかったからよ。
そのあたりの後処理もしないのは、忍者としては甘いんじゃあないの?
「確かに甘いね。リヴォルにしても、ハンゾーにしてもそんなミスは犯さない」
あの二人ではない他の誰かの犯行、というわけね。
「どうかな、忍者のなりそこないや偽者の犯行って可能性もあるけど?」
偽物なら、数日も王都騎士団から逃げおおせていないわ。確実に捕えているわね。
「最初からおかしいと思っていたんだ。ハンゾーがもしも自ら手を下せるようなら、というより彼がネリオスに入ってこられるくらいにまで潜伏できているのなら、既に都は陥落してる。そうでないのなら、彼は準備を他の者に任せてるんだ」
ハンゾーとかいうのは、それくらい強いのね。
「僕が油断した彼を斬り伏せられなかったら、おそらく敗れていた。それくらいには強い」
だったら、他の忍者がいると思っていいわね?
「あのさ、あまりにも突拍子がなさすぎない? クラーク達が脱走して間もない間に騎士が殺されて、しかも忍者の仕業っていうのは脈絡がなさすぎる気がするよ」
「拙者も同感でござる。それに忍者兵団がもう一度誕生するなど、いくら師匠の仮説だとしても信じがたいと言うか……荒唐無稽に思えるでござる」
「……僕もそう思うよ。はっきり言って、無理なこじつけだとも思ってる。だけど、ハンゾーが生きているのは間違いない。僕の忍者としての直感が告げてるんだ。やつの蛇のような目が僕を見ていると、喉笛に喰らい付こうとしていると」
「フォン……」
……いずれにしても、放っておく選択肢はないんじゃないかしら。
王都に忍者が潜伏していて、しかもそれにクラークや女忍者が関連している可能性が高いのよ。ここまで危険因子が揃っていて、何も起きない可能性はまずないと思うわ。
クロエやサーシャ、カレンにとっては、騎士団と王族の事情だと言われればそこまでだけど、フォンにだけはそうはいかないわね。もしも本当に、貴方が忍者の里にいた頃に死んだはずの長が関与しているなら、危険な事態に発展するでしょうし。
「どうして?」
貴方の顔に書いてあるわ。
彼らを放っておけば、恐ろしい事態に発展すると。そう、知っていると。
「……それが、僕達に会いに来た理由かい?」
半分は当たりよ。事実をあるがままに伝えて、意見を聞きに来たのが半分。
「もう半分は?」
……もう半分は、貴方達冒険者への依頼よ。
今、ネリオスの警備は一層厳重になったように見えて、『王の剣』の損失で屋台骨が砕けたも同然の状態になっているの。幸いにも力を一層増してくれたらしい貴方達に、祭りの間だけでも王族の護衛の補助をしてほしいのよ。
勿論、報酬は弾むわ。私が王族や大臣に口利きして、欲しい額の報酬を払わせる。それこそ金銀銅貨だけじゃない、家や馬、称号、土地でも欲しいのなら支払わせる。
それくらい、貴方達の力を借りたいのよ。
どうかしら、悪い話じゃあないと思うけど?
「……とてもじゃないけど、冒険者に頼み込む内容じゃないよね」
「お前、冒険者、勘違いしてる。サーシャ達、傭兵じゃない」
そうね、傭兵じゃないわ。冒険者への依頼としては規格外だとも知ってる。
けど、フォン以外に――貴方達以外に、頼める相手がいないのよ。逆に言うと、貴方達以上の実力者を私は今のところ知らないし、こんな事態に対応できる騎士もほぼいないわ。
私も騎士の端くれよ。本来私達が為すべきことに民間人を巻き込むことがどれほど恥ずかしいことか、情けないことかはわかっているつもり。
だとしても、助けてほしいの。
国を脅かす相手に、挑んで欲しいのよ。
「……どうする、フォン?」
「どうするか、か。君達はどうしたい?」
「答えは決まってるつもり。けど、一応フォンにも聞いておこっかなって、それだけだよ」
「サーシャ、お前に任せる。お前の選んだ道、ついていく」
「拙者も同じく。師匠と共に行くでござるよ」
…………。
「――分かった。ハンゾーが生きているにしても、死んでいるにしても、忍者の介入なら危険な事態に発展する可能性が高い。それこそ王都だけでなく、国に広がるだろう」
ということは。
「君の依頼を受けるよ、アンジー。忍者の暗躍は、僕達が止める。いいよね、皆?」
「オッケー。ま、あたし達で王都をちゃちゃっと救ってあげますか!」
……ありがとうね、フォン。皆も。
「気にすることじゃないよ。僕達だって、アンジーには助けられてるし」
とてもありがたいわ、本当に。
でも、ひとつだけ気になるわね。
フォンがもしも行かないって言ってたら、貴女達はどうしていたのかしら?
「どうって、どうもしないよ。フォンが、行かないって言うはずないからね」
えっ?
「サーシャ達、こいつのこと知ってる。こいつ、困ってる人を放っておかない」
「拙者の師匠は、苦しんでいる人を放っておくほど薄情ではないでござる。もしも臆病風に吹かれるようなことがあれば、拙者がお尻を蹴り上げるでござるよ!」
「ふふっ、カレンが僕の背中を取れるようになるほど強くなるのは、楽しみだね」
「うっ……ま、まだまだ精進中でござる……」
それじゃあ、貴女達の準備ができ次第、王都ネリオスに向かうわね。
いつでも声をかけて頂戴、私は近くの宿を取っておくから。
「……いや、宿を取るまでもないよ」
どういうこと?
「今日の午後には出発しよう」
「うん、善は急げ、だね」
……本当に、ありがとう、フォン。
「拙者達に礼はないでござるか」
「サーシャ、不満」
冗談よ。貴女達にも、心から感謝しているわ。
◇◇◇◇◇◇
ここまでが、フォンを含めた忍者パーティが王都に来ることになった経緯である。
あらゆる事柄が仮定であっても、己の直感と正義感を信じ、フォンはネリオスへと向かった。クロエ達パーティメンバーも同様に、彼と彼の信念を信じた。
そうしてアンジェラを含めた五人は、真実を確かめるべく赴いた。
閉鎖的でありながら国の中心となる都市。
富裕層のみが暮らし、五年に一度だけ公になる都。
王族の居住地――王都ネリオスへ。
王都ネリオス。
周囲の都市と、高い壁によって完全に隔離された都市。ここに入るまでには三つのチェックをパスしなければならず、更に滞在票に記載された日数でのみ自由を許される。
フォンやクロエ達は、正直なところ、鬱屈した閉鎖的な世界だと思っていた。金持ち達がいつ来るかもわからない襲撃者に怯えるような、空気の死んだ廃滅都市であると。
――だが、実態はその全てが真逆であった。
「へい、らっしゃいらっしゃい! そこのご婦人、立ち寄ってって!」
「旦那様、どうぞ! 新作の燕尾服でございます!」
高貴な活気。正しくそうとしか表現できない世界が、五人の前に広がっていた。
ギルディアよりずっと広い通りを埋め尽くす人々。露店などは一つもなく、代わりに冒険者の街では一等級に近い店がいくつも立ち並んでいる。それなりの衣服を纏う者は一人もおらず、呉服屋の店主ですら高級そうなシャツとズボンに身を包んでいる。
そんな街なのだから、道行く人はもっと豪華だ。馬車の中から降りてくる貴婦人は華美すぎるほどのドレスを着て、両手が隠れるほどの指輪を全ての指に嵌めこんでいる。少し人を見下すような態度で話しているのは、家柄と立場の為せる技か。
「あら、いい柄のドレスね。後で使用人に買わせるわ」
「そこのイエローエメラルドを箱いっぱい、もらえるかしら」
「畏まりました」
金貨百枚でも変えなさそうな大粒のエメラルドを、指さした木箱いっぱいに詰めさせる。その隣では、とんでもない数のドレスを使用人に運ばせている。
少し離れた居住区の屋根が、ネリオスと都市を隔てる壁の大きな門からも見えてくる。一階建てのちんけな小屋など、きっとここには存在しない。
総じて、およそ、ギルディアでは見受けられない光景だ。
そんな景色が飛び込んできたのだから、忍者パーティが硬直するのも無理はなかった。
「……凄いね」
「ああ、凄い。今まで見たどんな都市よりも豪奢だ」
フォンですら呆然とするのを楽しそうに見つめながら、アンジェラは微笑んだ。
「ようこそ、王都ネリオスへ。王都騎士アンジェラが、貴方達を歓迎するわ」
老若男女問わず、全てが高級な世界観に呑まれながらも、フォンが言った。
「人の多さもそうだけど、質もかなり違うね。普段からこれだけの往来が?」
「いいえ、この数日間だけよ。普段はこの半分にも満たない富裕層や王族、有権者達がのどかに生活する都市って感じね。日常とのギャップが好きって変わり者がたまに直前になって移住してくるけど、だいたいはお高く留まった金持ちばかりね」
「それはいい意味で? 悪い意味で?」
彼が問うと、歩き出しながらアンジェラが頷いた。
「どっちもよ。私は騎士の名家である人達と話すのは好きだし、だからと言って宝石を箱買いするような成金を好いているわけでもないしね」
「うん、だいたい分かったよ。ネリオスがどういう場所なのかっていうのはね」
てくてくと、四人も彼女のあとについて行く。
きっと、ここからでも正面に見える、とてつもなく広大な広場と、その奥にあるこれまたとんでもなく大きな宮殿へと向かっているのだろう。それこそ、あそこに王族が住まっていなければおかしいと思えるほど巨大な宮殿だ。
歩道はがやがやざわざわと、籠に詰め込まれた鳥のように騒がしい。
「うー……サーシャ、頭、痛い……人、多すぎる……」
サーシャはこんな環境には慣れていないのか、少し頭がくらくらしている様子だ。カレンもまた、慣れないながらにすれ違う人々を見つめている。
「ギルディアとは比べ物にならない人混みでござるな。右も左も商人か金持ちだらけ、こんな中に忍者が紛れていると、いくら拙者の五感でも見抜けないでござるよ」
どうやら先ほどからずっと、忍者と思しき相手を見つけようとしているようだ。猫の目をかっと見開いて凝視している姿は、冒険者らしい格好も相まってかなり目立つ。
どこぞの貴婦人が白い目で見つめているのも構わずに、ぎょろぎょろと目を動かすカレンの頭をわしゃわしゃと撫でながら、フォンは彼女を諫めた。
「僕が見たところ、忍者らしい相手はいないね。カレン、こういう状況なら変装した忍者を無理に探そうとするより、この場に無理矢理合わせようとしている人を探すんだ」
「合わせようとしている人、でござるか?」
彼の暗い目は、誰を凝視しているわけでもなかったが、全ての人を見抜いているようだ。
「うん、これだけ特殊な環境に同化しようとすれば、どれほどの忍者でもぼろが出る。特にばれないように努めるような素人忍者なら猶更だ。ハンゾーが即座に打って出なかったのも、人が集まりすぎている環境では不利だと判断したからだろう」
「う、ううむ……師匠が言うなら、そういう風にやってみるでござる!」
ぐぬぬ、と唸るカレンを楽しそうに見つめるフォンだったが、彼もまた、警戒しているのは事実だった。
クロエやサーシャから見ても、彼の目は潜んだ敵意を孕んでいるようだった。もしも今のフォンに近づいて奇襲をかけようものなら、きっと彼の両手足を縛って目隠しをしても、たちまち首を刎ねられてしまうくらいには、彼には隙が無かった。
「だけど、裏を返せば、ハンゾーが本当にこのネリオスを狙っているのなら、少しずつ侵食しているはずだ。騎士の大胆な殺害と拷問に隠れて、何かを潜ませているかもしれない」
忍者の長の生存と邪悪な計画を信じるフォンだが、クロエは未だに猜疑的なようだ。
「ハンゾーが本当に生きていて、計画を練っているのならね」
彼女とて、フォンを疑っているわけではない。ただ、アンジェラの持ってきた情報が偶然の産物でないか、誤ったものではないかと思っているのだ。
アンジェラもそんな彼女の視線に気づかないほど、間抜けではない。
見つめ返す女騎士の目は冷たくなかったが、代わりに挑戦的でもあるようだった。少なくとも、フォンに対する顔とは明確に違っていた。
「あら、フォンを疑うのかしら?」
「フォンを疑っているわけじゃないよ。クラークの脱走とかも含めて、いろんな事態が起きてて混乱してるってだけ」
じろりとにらみ合う二人は、どうやら長い共闘を経てもまだ、あまり仲が良くないらしい。
そんな双方の関係性を知ってか否か、フォンはやや諦めた調子で、口だけ割って入った。
「とにかく、護衛する相手とも色々と話さないといけないね」
「そうね。それじゃあ、王宮に案内するわ」
肩をすくめるアンジェラは、再び四人を先導して歩き出した。
絢爛たる都市の果てに聳え立つ宮殿までの道のりは、もう少しありそうだった。
王都ネリオスは豪奢だった。
だが、王族達が政を行い、時として住まう王宮は、その何倍も豪華だった。
一つの小さな村ほども大きい庭、盾を幾重にも重ねたような門、果てしなく続く柵。そこをくぐると、今度は最高級の材質で作られた宮殿と深紅の廊下が待っていた。
四方八方に絵画が飾られ、彫刻が鎮座する。芸術点と見紛う空間にフォンですら圧倒される四人を引き連れるように、アンジェラはとてつもなく広い階段を上り始めた。
階段自体はさほど長くなかったが、その先の廊下は別だ。一つ一つが異様なほど巨大な窓から射す日の光を背に受けるのは、甲冑に身を包み、長槍を携えた護衛兵だ。兜のスリットからこちらを見つめる視線を感じるが、アンジェラと一緒なので敵意はないようである。
そんな輩が殆ど感覚を空けず、しかも微動だにせず並んでいるのだから、クロエ達がおかしなところだと思わないのには無理があった。
「しっかしまあ、とんでもなく長い廊下ね」
「それに護衛も多い。王様、臆病か?」
住まう者達の弱さを鼻で笑うサーシャに、顔を向けずにアンジェラが答える。
「王宮なんてのはどこもこんなものよ。国王陛下はもともと政以外で民の前に出ないし、今は騎士の死で更に怯え切ってる。面には出さないだろうけど、内心じゃ暗殺者がいつ来るかって思うと夜も眠れないらしいわよ」
確かに、これだけ防御を固めているのには、四騎士の死と未曽有の敵が背後にあるのだろう。常日頃から異様な警備をしているのだとすれば、精神科医を勧めたくなる。
とはいえ、小さく頷いたフォンには、堅牢な防御もハリボテに見えてしまう。
「成程。この護衛の数なら納得できるね。尤も、ハンゾーが本腰を入れれば無意味だ」
「まだ攻め入られていないだけ、ということ?」
「彼が行動に移すとするなら、確実に事を成せる時だけだ。その瞬間まで潜伏し、虎視眈々と最良の時期を待ち構える。彼は蛇のような男だからね」
「そんな忍者が怖くて、王様と王妃様、揃って宮殿に引きこもりってわけ?」
「外にのこのこ出て行って殺されるよりはずっとましだし、私としてはありがたいわね」
そんな話をしているうちに、廊下の中央に大きな扉が見えた。
ようやく振り返ったアンジェラは少し神妙な顔で、四人に警告するように言った。
「着いたわ。ここが『謁見の間』よ、王族と大臣を通じて彼らに会える唯一の場所。一生に一度だって国民が入る機会がないような貴重な空間よ」
「王……というより、神様のような扱いでござるな」
「何を言ってもいいけど、首を刎ねられたくないなら言葉は選ぶようにしなさい」
口が軽く、どこか乱暴な調子のカレンを窘めたアンジェラが一対の警護兵に合図すると、二人は頷いて扉を押し開けた。
何かを引きずるような音とともに開いた扉は、凡人の目には映らない世界を見せた。
そこは、まるで信じられないほど広大なダイニングのようであった。
一つの長く広いテーブルを囲むように、髭の生えた老人や傲慢そうな禿げ頭、少しヒステリックに見えなくもない中年女性など、合わせて二十人近い人物が座っている。恐らく、国王の政治を支える重役、大臣達の殆どが揃っているのだろう。
だとすれば、自分達から見て向かい側――最も遠いところに肩を並べて座っている初老の男女一組が国王、そして女王だとフォンは思った。
贅沢極まりない宮殿や都市の在り方から、夫婦はきっと贅を極めたような身なりをしているのだと予想していたが、意外にも二人は大臣達とさほど変わらない、燕尾服に近いような恰好をしていた。常にマントを羽織るわけにもいかないのかもしれない。
ただ、服装はともかく、顎にひげを蓄えた瘦せぎすの国王の、指を組んで肘をテーブルについてこちらを見つめる目つきは、間違いなく一国の主に相応しい威厳を孕んでいた。白銀の短髪もまた、彼の威厳に拍車をかけているようだった。
「国王陛下、アンジェラ・ヴィンセント・バルバロッサが戻りました」
アンジェラが声高らかに宣言すると、大臣達が一斉に彼女を睨みつけた。
彼らがぎゃあぎゃあと怒鳴り散らすよりも先に、王は静かに口を開いた。
「……考えを、改めてくれたか?」
重い口調に対し、アンジェラは努めて平静に返した。
「いえ、私の考えは変わりません。生誕祭を取りやめるべきでございます」
彼女の一声で、いよいよ大臣達はどよめき立った。彼らの目は、まるでアンジェラやフォン達を、国賊だと思っているかのようだった。
一方で、国王はまるで動じなかった。彼女の返事を最初から知っていたように見えた。
「そうはいかん。知っておるだろう、この祭の取りやめ、それが齎す意味を? 四騎士を失い、ネリオスの守護が弱まったことが噂だとしても広まれば、今は危険だと」
「それでは国益を喜び、生誕を祝う祭ではありません。呪いの類です」
「バルバロッサ、貴様、国王に何たる口を!」
とうとう、大臣の一人が立ち上がってアンジェラを指さした。しかし、国王が軽くテーブルを指で叩くと、熱くなったのに気付いてしまったのか、禿げ頭の大臣は半ば納得いかない態度で鷹の装飾が施された椅子にもたれかかった。
「……呪いだとしても、続けることに意義があるのだ。理解してくれ」
国王がどうあっても折れないと察したアンジェラは、彼の説得を諦めた。
「……分かりました。ならば代わりに、私が推薦した者を護衛につけさせてください」
「少し前に話していたな。その者達が、果たして失われた四騎士の代わりになると?」
彼女の代案は、再び大臣達を怒らせた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい! たかだか冒険者如きに陛下の護衛など務まるはずがなかろう!」
「かの『王の剣』が、同僚が死んでとち狂ったか!」
ところが、今度は国王が声を上げるよりも先に、隣に座る女性が口を開いた。
「おやめなさい、カリマ大臣、ベンデン護衛隊長」
カリマ、ベンデンと呼ばれた二人の重役を冷静にさせたのは、同じく銀髪で、紺色のドレスに身を包んだ女性だった。少ししわが目立つ年齢なのだろうか、銀髪の中には白髪も混じっている。だが、ほの暗い覇気だけは若者にも負けていない。
これだけの人物が死と闇を恐れるだろうか、あるいは強がりの一環だろうかとクロエ達が首を傾げていると、王妃が言った。
「……アンジー、彼らを護衛につけるということは、目に狂いのない貴女が認めるだけの実力を持っているのだと信じるわ。冒険者達の参加を、私は認めます」
どうやら彼女は、アンジェラに対して信頼を抱いているようだ。
国王もまた、同様だ。大臣達はどうしても一介の女騎士が国政に介入してくるのはどうにも気に食わないようだが、反論しない様子を見るあたり、国王夫妻の発言力は絶対であり、逆らえないものでもあるらしい。
とにもかくにも、アンジェラからすれば好都合だ。
「ありがとうございます」
深く一礼するアンジェラの後ろで、クロエとフォンがひそひそと話す。
「褒められてるって認識でいいんだよね、これ」
「だと思うよ。少し事情は複雑だけど、ひとまずアンジェラの提案は――」
しかし、何事もうまくいかず、必ずトラブルが絡むのが政だ。
「――俺は反対します、母上」
一度は閉じられたはずの扉が開き、凛とした声が聞こえてきた。
フォン達が振り向いた先に立っているのは、多数の護衛兵士と、彼らを率いるようにして毅然と立つ、白金の鎧を纏った若い男性だ。
アンジェラは彼に見覚えがあるようで、彼の名を呟いた。
「アルフレッド王子……」
王子。
彼がどのような立場にあるかを知ったフォンの前で、彼は――アルフレッドは告げた。
「いち冒険者の手助けなど必要ない。四騎士がいなくとも、俺と護衛達がいれば十分だ」
他のどの大臣より、若きアルフレッド王子は冒険者風情を信用していないようだった。