戦争はしてはいけない、そんなことを謳った物語があったような気がする。


「大晟、ねえ、佐藤大晟君!」

 自分の名前が呼ばれていることに気が付き、慌てて声のほうに目を向ける。

「どうしたの?ボーとしちゃって」

 僕を呼んでいたのは、クラスメイトの辻彩香だった。彩香と俺は机を挟み向かい合って座っている。働いていなかった頭もようやく動き始め、さっきまでの記憶が戻てくた。
 今は、彩香の家にお邪魔して、彩香に勉強を教えているところだった。

「すまん、最近はあんまり眠れなくて、それでどこが分からないんだ?」

「分かんないところはないよ、解き終わったから読んだだけ」

「ほんとに解き終わったのか?」

 俺は彩香からノートを受けとると、手元の問題集の解答と見比べる。

「ほんとに、すごいな全部正解だ」

「これも、大晟の教え方がうまいからだよ」

 いつもな流れだ、彩香は軽く教えただけですべてを理解できる。
彩香はいつも俺のおかげと言ってくれるが、俺はただ教科書の内容をかみ砕いて教えてるだけであってなにも特別なことはしていない。こんなに容量がいいのなら授業をまじめにうければ俺に教わらなくてもいいだろうに。

 そう思っている俺は本人に一回だけ聞いたことがあった。「授業真面目に受けたほうが効率的じゃない?」と、そして彩香の解答は「え、何その優等生感」だった。と言いつつも、俺よりもテストで点がさらに高いのが許せない。
 
「それで、寝れてないって、どうしたの?いいゲーム見つかったの?」 

俺が授業の続きを教えるために教科書のページ開く。それを彩香はためらいもなく閉じた。

「勉強の続きをするぞ」

「何言ってるの、そんな彼氏の困り顔を見て、勉強ができる彼女なんていないよ」

「彼女って、このところカップルらしいことなんてやってないだろ」

 痛いところを突かれたかのように、彩香の言葉が詰まる。ここ一カ月二人っきりの時は彩香に勉強を教えていた。

「い、今だって、デートだもん。ほら、男の子は好きでしょ?おうちデートってやつ」

 たしかに、今のこの状況はおうちデートってやつなのかもしれない。部屋に二人きりとかまさしく、デートなのだろう。でも、巷の男があこがれているデートは自分より点数のいい彼女に勉強を教えたりなんかしないだろう。

「さ、そんなこと言ってないで進めるぞ」

「えー、なんで、教えてくれないの?」

 彩香は勉強よりも俺の寝られない原因に興味が向いているので、駄々をこねて抗議をしてくる。彩香がこうなってしまうと、勉強は進まないのはもうわかりきったことだった。

「教えたら、勉強するのか?」

「うん、もちろん!」

 またこれだ、前も俺がつぶやいたことを彩香に興味持たれちゃって、そのあと何も進まなかったような気がする。今日はこの後やってくれればいいのだが、自分の勉強もしたいし。

 仕方ないと自分に言い聞かせて、俺は説明を始めた。

「最近夢を見るんだ」

 何が自分の中で眠れない原因になっているのか、改めて自分自身にも言い聞かせるように話し始める。

「その夢が大晟の寝られない原因なの?」

「多分、そうだと思う」

「多分?その夢のせいで飛び起きてる、とかじゃないの?」

「夢で飛び起きることはないんだ、でも、見た日はすごく体が重たい」

「最近見始めたの?」

「昔から、でも、ここ最近は見る回数が増えている気がする」

 俺の話を聞きながら、彩香は首をかしげながら考えているようだが、ここまでにピンっと彩香が感じるような情報はなかったようだ。自分ですら何も分かっていないのだから、ここで彩香に解決できてしまったら。それはもう、神様だ。

「夢の内容は、なんなの?」

「それが、よく覚えていないんだ。でも、見た後はつらい気持ちになる」

「それだけ?他にどんな感じだったとか、雰囲気とかは?」

 俺は夢を思いだそうと、何もないところに視線を向ける。頭を隅から隅まで回すが。

「すまん、覚えてない」

「えー、もうちょっと頑張ってよ」

 彩香は俺の発言に不満を漏らすが、ほんとに覚えていないのだから仕方ない。俺もすぐに解決できるのなら解決をしたいと思っている。今何も情報を手にいられていないことを考えると、道のりは長そうだ。

「これで、俺の話は終わったから、約束の通りに勉強するぞ」

「えー……、分かったぁ」

 俺がほんとに覚えていないことを理解したようで、彩香はしぶしぶ勉強を始めた。


 それから数日後、その日の夢はいつもと違っていた。今日の夢は覚えていた。すべてが分かって、何が原因だったのかも。

 すぐに、彩香にそのことを報告しようとしているときだった。今まで覚えていたはずの、内容の色が薄れて消えていくように、スーッ頭から抜けていく。 脳が目覚めるとともに、夢の中の記憶が薄れていった。
 今ある記憶だけでと慌てて机の上のメモを手繰り寄せ、今頭に浮かんでいるワードを書き起こした。いくつかの単語を書いたところで、夢の内容はもう思い出せなかった。今日本当に俺は夢を見ていたのだろうかと不安になるくらいに、頭からすっぽりと抜け落ちていた。
 
 メモに残った言葉は——『戦争』『魔法』『勇者』『彩香』だった。

 今ではこの言葉だけが夢の手掛かりだった。どんな夢だったのか、何とかメモに残ったワードから思い出そうとしても、何も思い浮かばなかった。
 何も思いだせなかったが、平日だったので学校に行く支度を始める。学校に行くまで夢のことで頭がいっぱいだった。

 学校で彩香に夢のことを話そうとしたが、俺とはクラスが違うのでなかなかタイミングが合わなかった。ようやく話せるようになったのは授業が終わったとの放課後だった。

 俺が彩香のクラスに入ると彩香が抱き着いてきた。他の人に見られたらと思ったが、クラスには彩香以外誰もいなかった。

「夢の事で進展があったって本当?」

 彩香の第一声だった。とりあえず、落ち着いて話すために俺に抱き着いている彩香を外し、彩香の席に向かう。前の席から椅子だけを借りて、彩香の席の方に向ける。彩香も自分の席に座った。

「それで、何が分かったの?」

 彩香は話を聞きたそうに体をうずうずさせている。
 俺は今日の朝の出来事を簡単に説明する。その時書いた——メモも見せながら。

「結論は、今は何も覚えていないけど。ヒントになる言葉は得られたと」

「ま、そんな感じだ。でも、魔法、戦争、勇者は分からなくもないが」

「なんで、私の名前がと」

「……ねえ、大晟こんな話知ってる?」

 急な話の転換だった。普段から彩差は脊髄でしゃべっている人だ。だから、俺はもう急な話題変換なれたと思っていたが、そんなことはなかった。急な話題変換に俺は話の足を取られる。
 きっと、今の話に関係する話だろう、違うかもしれないけが。

「それは、どんな話だ?」

 俺は聞き返す。

「魔女と勇者の悲しい物語」

 ■■■

 俺は子供のころ、魔物に育てられた。

 なので、人間には使えない魔法を習得することができた。人間の国に戻ってきてからは、その能力を生かして悪魔討伐や住み着いた魔物の駆除をして、人の役に立つと思う行動した。
 
 常人ではない力を持つ俺は、軽蔑の目にさらされることがあったが、力が認められると勇者なんて呼ばれたりもした。

「魔物の国を奪う!」

 俺が王族に衛兵として仕えているときだった。衛兵と言ってもそれなりの位を授かっていたので一つの兵団の団長の座についていた。
 緊急の会議があると言われ呼びだされたのはいいものの、王族の第一声はなんとも正気を疑うものだった。
 周りの団長たちは何とも言えず、困惑の表情を浮かべている。

「なぜ、そのような計画が立ったのでしょうか」

 静まり返った空気の中で初めに声を発したのは、各地方の団長の中でも位の高い中央地区の団長だった。長年戦士として生きてきた彼は、ここにいる全員の疑問に思っていることを口にしてくれた。

「いい質問だぞ、エレゴリウス」

 複数人いる多族の中で立ち上がったのは、現王女である——サチティア王妃。
王女は立ち上がり、中央の壇に上がる。

「我ら人間は魔法を使えない、これは人という存在が生まれた瞬間からの決定事項だ。まぁ一人例外も存在するがな」

 そういうと俺を見てあからさまなため息をついてくる。今に始まったことではないので、今更気に留めることはない。

「話を続ける。我が国は生活のインフラを魔法石から発せられる魔法の源を使用している。これは周知の事実だ。そしてその石ころが今にも尽きようとしていることも」

 王女は壇の横に控えている、召使に何やら合図を出す。召使は合図を受けると、王女に手のひら大の黒石を渡す。今、王女に渡された石が魔法石だ。

「今まで、私たちはこれに依存してきた。そして、その付けが回ってきている!」台に大きく手をついて、力強く言い放つ。そして、一息間を取ってから王女はにやりとほほ釣り上げる。

「そして——ここの図書館で面白い情報を見つけた。何やら、魔族の国には大量の魔法石が埋まっているらしい」

 今まで誰も知らなかった、情報を開示されて、周りがざわつく。確かに魔法が使える魔族族の国なら魔法石があるのも分からなくはない。

「そして、それをいただこうと考えたわけさ」

 魔法石なければ人は生きていけない、その石を奪うために魔族の国を征服する。王女の考えは間違っていなかった。そして、それができるだけの力が人間は持っていた。

——だからこそ、俺は立ち上がってしまった。

「なぜ、それが攻めることになるんですか⁉」

話を聞いて、反射のように席を立ちあがる。壇上に立つ王女をにらむ。

「急に叫ぶな、大声を出さなくても声は届いている」

「魔物だって、命があります。それを無視してまで、生活が必要なんですか。ごくわずかですが、科学という新しい視点でのライフラインの代替えの研究も進んでいます」

「その言い分だとまるで魔物の味方のように聞こえるぞ、勇者様?——それに、奪うと言ったが、話が通じるのならそんな野暮なことは私もしたくない。話ができたら……の話だがな」

 魔物はごく一部しか言語を持たない、それを知っての返しなのだろう。それに、人語を理解できる魔族も好戦的であるところは他の魔族と変わりはない。
 
 今こうして、人間と魔族が争う状況に陥っていないのは、一重に魔族のリーダーがより強力であり、人間のことも少なからずの理解があったためだろう。それでも、自分の国を脅かす存在があると知ってしまったら、周りを止めることはできないだろう。最後にもう一度王女に問う。

「これは、決定事項なんですか?」

「ああ、もちろん。民草の健やかな生活を守ることが王族の使命だよ」

 それ以降、俺は黙って話を聞いた。他の団長たちも同じように話を聞いている。
 
 俺は最後まで、争うことは反対だった。しかし、半数強の団長は魔族の国に攻め込むことに賛成のようで、また、残りも争うことは反対だが資源を得ることには賛成していた。

「他に何か言いたい者はいるか?」王女は説明を終えると周りを見渡す。誰も動きがないことを確認したところで、壇から降りた。

 「以上だ、話は追って連絡を入れる」その言葉と共に、会議は終了した。今すぐに戦いが始まるわけではない。そう分かっていても、数年ぶりの大きな戦にざわめき立ちながら、団長たちと王族は部屋から出ていく。

「おい、まて」
 
 周りの流れにのって、部屋から出ようとしていたところに声をかけられた。声をかけてきたのは、さっきまで壇上で話をしていた王女だった。
 
「さっきの態度は、好まんな」

「失礼いたしました、今後は起きぬように気を付けます」

 俺は、王女に対し詫びの敬礼をする。多族に歯向かうことは誰がやっても重罪だ。これで、許されるとは到底思っていなかった。

「貴様は不安要素になりかねん、お前の兵団は作戦時中央区の兵団と一緒に行動しろ」

「は、承りました」

「くれぐれも、余計なことをするなよ」

 その言葉を言い残し、往生は部屋から立ち去っていく。
 死罪も頭によぎったのだが、思っていたよりも軽い罰で少し拍子抜けだ。たとえ、死罪を命じられ周りに、取り押さえられようとも、逃げることに関してはさほど難しくない。
 王女が部屋から出ていくまで見送り、部屋から出ていったことを確認すると俺も部屋を後にした。

 城を出るなり、魔法を使って副団長に連絡を入れる。それから急いで、自分の家に戻り遠出の支度を始めた。とりあえず、必要そうなものをまとめる。もともと必要最低限しか物の置かれていないため、荷物をまとめると残ったのはもともと置かれている家具だけだった。
 ある程度、荷物がまとまったところで家の扉をノックする音が聞こえた。

「私です」

「入っていいぞ」

 名前を名乗らなくともいつも聞く声であれば、直ぐに誰だか判別ができる。俺が入室の許可を出すと、扉が開き一人の屈強な男が履いてくる。

「急に呼び出してすまんな、副団長」

「私は構いませんが……、団長がお呼びとは先ほどの会議で何かあったのですか?」 

「相変わらず察しがいいな」よくできた部下だと、俺は改めて思う。——手放すのが惜しいくらいに。
 副団長は謙遜するわけでもなく、俺の言葉に軽く頭を下げて返す。

「団長、それでお話とは」

 腰を落ち着かせるために、窓際のテーブルに移動して、向かい合うように椅子に座る。それから、ざっと今日の会議であったことを説明する。俺が話し終わるまで、副団長は口を開かずに黙って聞いていた。

「この作戦中、私たちは中央の下につくことになったのですね」 

「すまんな」

「いえ、団長がそういう人だということは皆分かっています」 

「そうか」

 団長に着任してから、俺の兵団はまっすぐに従ってきてくれた。

 今から、告げる言葉を来たらあいつらはどう思うのだろうか?今ならば引き返すことができた。しかし、ここで変える考えはまったくなかった。おれは再度、姿勢を直して副団長と向き合う。俺が姿勢を治したことに気が付いた副団長は、どんな言葉が飛んできても良いように表情を引き締めた。

「俺はこれから、この戦争を止めに行ってくる。——只今をもって、俺は兵団をに抜ける。俺の後の団長としてお前に任命する」

 話が終わるなり、副団長——いや、団長は席から立ち上がり、その場で敬礼を行う。

「はっ、了解しました」

 本当に良い部下を持ったことだ、少しくらい止めてくれたっていいと思う。
——そんな急に言うな、と。
 でも、彼はそんな一言で俺が止まることわけがないことを知っている。

 そのあとは、前もって作ってあった書類を渡し、しばらくは中央に指示をもらうように伝える。

「いつでも、戻ってきてくださいね。団長」

 そういって、彼は部屋から出ていった。さっき渡した書類のなかに俺が脱退する旨のも含まれている。これで、とりあえずこちらの片は済んだ。もう俺がここにいる理由はなくなった。

 翌日の深夜に俺は魔族の領地に入った。周りは明かりがなく、遠くから風に乗って獣の声が聞こえてくる。ただ、自然が広がる土地が視界に映る。

 王都から走り続けてきたが、ほぼ二日かかってしまった。いつもは送り迎えをしてくれる人がいるため、ここまで一瞬だ。しかし、今回は隠密性を高めたかったので呼ばなかった。自力で移動したことで、ここは王都とはかけ離れた距離にあることを痛感した。ここまで来られたなら目的の魔族いるところまで一日ぐらいだろう。
 ほんの少しの休憩を済ませ、下ろした荷物を背負いなおす。あともう少しだと、自分の足に活を入れると、また走り始める。

 目的地に近づくたびに、見覚えのある景色が増える。その景色が呼びかけるようにして、俺の中で薄れていたここでの記憶が浮かび上がってくる。
 俺は人間なのでもちろん人間の国で生まれた。

 そして、子供のころ神隠しにあった。

 まだ幼かったころの俺は有り余る体力を消費するかのように町中を走り回っていた。ただ走り回っているだけだったが、そのころはそれが楽しくてたまらなかった。

 あの子に会ったのもちょうどその頃だった。あの子に会えたのは、本当に偶然で、予兆なんてものは何にもなかった。晴れた日にいつも行く小高い丘の上にある広場にあの子はベンチに一人座っていた。

 あの子は誰なんだろうか——ここの町もあまり大きくない上に毎日町中を訪れている俺には、その人がこの町の人でないことはすぐに分かった。

 ここの広場はいつ来ても他に人は居なく、俺だけの秘密の場所だと決めていた。そのくらい、ここは町から置いていかれている場所だった。それなのに町の外から来た人が、このを知っているとは信じられなかった。

 その子は、真ん中に置かれた一脚のベンチに座りと遠くを眺めている。身を褐色のマントで体を包み込み、深くかぶられたフードのせいで顔を見ることはできなかった。気になって声をかけてみようかと思った。しかし、俺は「知らない人に近づいてはいけない」という母が言っていたことを思い出した。今日は来た道を戻ることにして、広場に背を向けた。

「あなたは人間?」

 あの子からかけられた初めての言葉だった。きれいな声だと思った、声は瓶の中に入ったビー玉のように高い音を出しながらも、耳に障るほどではない。むしろ心地よい音が俺の鼓膜を揺らす。
俺は振りかえると、声の主と思われる方に顔を向ける。やはり声の正体はマントに包まれたところからだった。遠くを眺めていたさっきとは違って、フードはこちらを向いている。

「お前は、誰?」

 俺は今いる位置から、マントに問いかける。

「私は一人だよ、もっと近くでお話ししない?」

「し、しないっ」

 気付けば、俺は逃げるように広場から立ち去っていた。マントからは何も怖い気配など感じなかった。むしろ、声は今まで聞いてきた音の中で一番で、もっと声を聞いていたかった。でも、何か違和感があった。マントを着ているのもおかしな点だが、もっと何かが僕たちとは違う存在と感じてしまった。そう思ったときには、体は動いていた。

 走り出したとき
 ——明日もここで待ってる——
 そう、後ろから聞こえた気がした。

 次の日、もう次の日と雨が降っていた。あの出来事から三日目の日、ようやく広場に行くことができた。

「やっぱり来てくれたんだ」

 僕が見つけると同時に、前と変わらないマントからあの声が響く。
恐る恐る、マントの座るベンチへ近づく。何されてもすぐに逃げられるように、慎重に一歩を踏み出す。僕が近づく間、マントは何もしてこなかった。

「三日ぶりだね」

 マントはまるで友達かのように、声をかけてくる。そのように思えるトーンの言葉だった。緊張もなく自然で気さくな態度に思える。しかし、相手が気さくだと言ってもこちらが心を開ける訳はなく。聞けるはずもない疑問が自分の頭に積もっていく。

「やっぱり、誰か分かんないと怖いって顔してるね」

うつむいた顔をマントが覗き込んでくる。

「私が誰だかわかったら、遊んでくれる?今日来てくれたって言うことは、そうだよね?」

「え」

 僕がここに来たのは遊びに来たわけではなくて、ただ気になってただけ。と言う前にマントは僕の手を握る。マントがボソボソ言うと景色が一瞬で消えた。

「あっちじゃ、私の姿を見せたらいけないって、言われているけど——、こっちなら何も問題ないね」

 マントは何もなかったかのように話す。その横で何が起こったのか理解できていない俺は、キョロキョロと目をあちこちに向ける。俺がいるのは大きな部屋で壁は全て磨かれた石が覆っている。床には大きな模様が白色の線で描かれている。さらに頭がこんがらがる。

「ふう、暑かったぁ」

 マントを脱いで出てきたのは小さな女の子だった。見た目は人間の女の子だけど全体でみると違和感が残った。身は長いし、目は吊り上がっている。その特徴はまるで絵本に出てきた悪魔のようだった。

「私は、マギサ・ヴァーゴ!よろしくね!」

 これがあの人、マギサとの出会い。彼女の勝手な行動の結果、神隠しにあったことになり、少年時代を魔族の国で暮らすことになってしまった。

 魔族の国に人間が来たからと言って、理不尽なめにあうことはなく。魔族は見た目は人間とは違うが中身は同じだった。むしろ、人よりも仲間意識は強く、皆が助け合っていた。

「考え事しながら走ると、地獄の淵に足をすべらせるよ」

そろそろ、マギサの町が見えてくると思ったところで、彼女から来てくれた。

「ああ、気付いたんだ」ひとまず足を止める。

「どこ向かうの?」

「君の家に」

「じゃあ、私が連れて行った方が早いね。捕まって」といって、マギサは俺に手を差し出してくる。
 俺はためらい無く、指し伸ばされた手を握る。周りの景色が浮かび始めたと思ったら、次の瞬間には彼女の家に来ていた。

「私に連絡なしで、こっちに来るなんて珍しいね、どうしたの?」

「ああ、重大な話を持ってきた」

 マギサから話を振ってくれたので、間を開けることもなく本題に入る。

「それって、そっちがこっちに攻め込んでくるって話?」

「ああ、そうだ——って、もう知っていたのか」

 間に合わなかったと、頭を抱える。まだ伝わっただけで、戦争に発展すると決まったわけではないと小さな希望を望んでマギサに問う。

「魔族はどうするって?」

「もちろん、徹底抗戦だよ」

 最悪の事態にシナリオが進んでしまっていることを知った。

「私はこの町の代表をしてるから、会議に参加することはできたよ。そこで他の道もあると言ってみたけど誰も聞く気はなかったわ。まぁ、自分の縄張りが侵されるとなったら、魔族は止められないもの」

 マギサも俺と同じことを考えてくれていた。あともう少し、俺が早く来れて居たら、危険であってもマギサを呼ぶべきだったのかと、大量の後悔が押し寄せてくる。

「そういえば、他は?いつもよりも静かだけど」

「あー、大人たちはみんな行っちゃった。俺らがこの国を守るんだって」

「そうか」

——今から、止める方法はないのか?と、擦り切れんばかりに頭を回す。
何度も策を練ってシュミレーションを行う。どれだけ、考えても行きつく先は変わらなかった。

「さっき、大人たちはって言ってたけど、子供たちはどうしたんだ?」

「子供たちはついていく子はついて行ったけど、残った子は二階にいるわ。今は寝てるよ」

 マギサは天井に目を向ける。置いて行かれたのは、子供たちは足手まといになるかと考えたのか、それ以外なのかは分からない。でも、とりあえず今すべきことは決まったようだ。

「マギサはどうするんだ?」

「魔族は人間に勝てない。地力はならば負けないだろうけど武器を持ち出されたら何もできないよ……なら私は少しでも未来に続く方を選ぶわ」

「俺もその意見に賛成だ」

 今すべきことはここに残された子供たちを戦争から守ることだろう。ここまで進んでしまった戦争は個人には止められない。それは、先人たちが何度も繰り返してきた真実だ。ならば、少しでも未来が残る道を俺たちは選ばなければならない。
「とりあえず、戦火の届かない山岳部に逃げる」

「私もそれがいいと思う。でも、山岳部と言ってもどこに?」

「場所には目星がついている。人間の国に良いところがあるんだ」

 それが決まってからの行動は早かった。まず、マギサの力を借りて隠れる予定地の下見を行った。マギサにも見てもらって安全を確かめてもらう。マギサの同意が得られると、朝が来る前に全員で移動をした。

 逃げてきたのは、魔族の国の国境に近い、寂れた集落だ。何年か前の魔族との小競り合いの時に危険だったため、この場から住民は立ち去った。それから、もどってくることはなく今はここに誰もいない。

「ここで、しばらくは静かに過ごそう」

 建物もそのまま残されているので、しばらくは雨風をしのげそうだ。

 それからすぐに戦争は始まった。最初は兵力の強い魔族が優勢だったが、装備の整った人間には勝つことなどできなかった。どれだけ、負けようが魔族はあきらめなかった。

——だが、それが自分たちの首を絞めていった。誰もあきらめずに戦い、最後の一匹が倒れたとき戦争は終わった。

 戦争の被害から逃げることのできた俺たちも、数年後には隠れて暮らしていたことが見つかり、俺もろとも人間に殺された。

 彩香の奇から語られた物語は、どこにも救いのないような無残な結果だった。確かに、俺はこんな夢を見ていたのかもしれない。

「そして、この話には続きがあるの……大晟は聞きたい?」

黙って、俺はうなづく。

「人間は魔族の国を奪えたので目的の魔法石を必死に探した。
 でも、領土のどこからも魔法石なんて見つからなかった。実は魔族も人間と同じように、ほとんど魔法石を使い切ってしまっていたの。両者とも相手の国に魔法石がまだ眠っていると思っていたからこそ、この戦争は起きてしまった……。
 魔法石の得られなかった人間は今までのように、ライフラインを魔法石に頼ることのできなくなった。そして最後の最後に人間は発展途中の科学という新たな概念に望みをかけた。見事に科学は進歩し、魔法石の代替えとなりえた。そうして、今私たちの住む時代につながる」

「そんな話、歴史で習ってない。神話だろ」

「そうかも知れないね」

 彩香は窓の外を見つめる。自分だけ、夢の時代に取り残されているかのように、寂しく、もうあの頃には戻れないとあきらめたような、顔をして。今、彼女は何を見ようとしているのか、僕には分からない。でも——

「彩香はまだ記憶を持っているんじゃないか?その、物語っていうのは来た話ではなく実際に体験したこと」

「そうだったらどうするの?」

 そう、僕に問う彩香の目には涙がたまっている。

「あの頃の君の恋人は勇者だったかもしれない……だけど、今の恋人は俺だ。」

 彩香は涙を隠そうと横を向く、だがそれよりも早く俺の手で彼女の頬に触れる。きっと、あの夢はこの日のためのものなんだろう。泣いている彼女を助けるための。

「彩香、俺が君の涙を止めたい」

「ありがと、大晟」その言葉だけで、俺は勇者になれた気がした。

 二人が学校を出たのは、夕方だった。山に沈みかけている太陽は昼間ほどの元気はなく、そよ風が俺たちを包むよう通り過ぎていく。俺はこれから彩香の最後の後始末に同行することになった。これさえ終われば、お互いに昔のことで悩まされることはなくなるらしい。   
 彩香から目的地を教えられないまま、俺は彼女の後をついていく。

「着いたよ」

彼女について行った先は、昔ここにお城があったと言われている公園だった。

「ここは、あの頃のお城があった場所で世界の中心だった」

 彩香は公園内をさらに中心部に向かって進む。公園の中央には一つの碑石が置かれていた。文字も何も書いていない、ただ大きい石が中央に居座っている。

 彩香はその石に近づくと手を石へと伸ばした。石に手が触れたところで、彩香は何かを唱える。
 すると彼女の何倍もある石が砕けた。数千年もの風化が今一瞬にして起きたかのように、石は音も立てずに崩れていく。

「大晟、こっちに来て」

 彩香に呼ばれた俺は、少し離れた今の位置から駆け寄った。彼女は右手を握りしめている。

「岩が崩れたけど何をしたんだ?」

 俺は彩香と崩れた岩を交互に見る。周りには他に人がいなかったので、すぐに人が寄ってくるなんてことはないだろう。

「ほら、これ見て」

 そういって、握った手を俺の前で開く。彼女の開いた手には一つの石頃が握られていた。真っ黒な石なのに、絶え間なく色が流動している——そんな感じのする石だった。

「これが、魔法石。この世に現存する最後の一つだよ」

「へー、これをどう使うんだ?」

「それは簡単」そう言って、彼女は魔法石を握りこみ、こぶしを大きく天へ向けた。挙げた手を勢いよく振り落として、岩の破片に石を投げつける。岩とぶつかった魔法石はパキンと乾いた音を鳴らして、割れた。

「これで、あとは詠唱するだけ。もう魔法があった時代はきれいにこの世から消えるよ」

 石の色を絶え間なく動かしていたモノの正体だろうか、僕らの周りに薄い色が漂いながら色を変えている。触れようとしても、煙をつかむように逃げてしまう。

「最後に大晟君だけにはこの世の本当の真実を伝えるよ。まぁ、この魔法使ったらそれも忘れちゃうんだけどね」

 まだ、続きが?——と聞き返そうと開きかけた口を彩香の指が抑えてくる。

「時間がないから、質問はなし」

「まず、どうして二つの国がお互いに相手の国に魔石があると思ったのか、そして、魔族の国に伝わるのが早すぎた情報。これ、実は全部私が仕組んだことなの。うんん、これだけじゃない、あなたに話したことは全て私がたくらんだこと。私が目指したことは魔族の滅亡と魔法の根絶

——なぜって?それは、この世界を守るため、あのままの生活では今よりも過去にこの世界は終わりを迎えていた。

——どうしてって?それは、この世界に知能を持つ生物は一つで十分だった。魔法と魔族は明らかな世界へのストレスだった。

——なぜ私がって?それは、私が神だから。この世界を守るのが私の使命」

 言葉に出す前に彩香は俺の思考を拾い上げ答えていく。

「最後にあなたを巻き込んだのは、次に世界を壊す可能性があるのが君だから。でも、安心してあなたを消すようなことはしない、私と関わったことで今その可能性は消滅した」

「——さ、彩香は……どうなるんだ?」

 口を押えていた手を払いのけて、彩香——いや、神に問う。神は俺が手を払いのけれたことに驚いたような顔をする。

「安心して、私は彼女の体を借りていただけ、これさえ終わればいつもの辻彩香。夢を見始める前の日常が戻ってくる。——時間だね」

 彩香の体を借りている神は、世界の中心に両手を突き出す。岩を壊した時よりもはるかに長い文句を唱える。知らない言葉の羅列でしかない詠唱はまるで歌のようだ。幼女のように高く澄んだ声。この声が初めて勇者が聞いたマギサの声と同じなのだろう。

 ただ、何かが起こっている気がするだけで、この場を説明することなんてできない。ただ、時間が過ぎて世界が変わるような感覚がある。俺は最後まで、ここで魔法を見て居たかった。でも、魔法が進むにつれて意識が遠のいていく、きっと魔法の影響何だろう。俺の夢を見ていた期間は記憶が書き換えられると言っていた。歯向かうこともできず、するりと意識は抜けていく。

 意識が落ち切る寸前、彩香のところにマギサが立っていた。顔を見たことなないがあれはマギサだと妙に納得できた。

 マギサは俺を見つめたと思うと、頬に丁寧な口づけをした。

 その時のマギサは親愛の人と永遠の別れを迎えたように悲しく、だとしても、この道は変えられないと自分を律し、草花を愛でるようにほころんだ顔をしていた。
 それほどのたくさんの感情が一回きりのキスに込められている。何か言わなければと思ったが、もう、意識を保っているのは限界だった。

 いつの間にか、俺は公園のベンチで眠っていた。周りは日が落ちて暗くなっており、公園の中の電灯が弱弱しく足元だけを照らしている。

「ふぁあ、ん?大晟……ここどこ……?」

 となりで同じように寝ていた、彩香が目を覚ます。まだ寝ぼけているようで、言葉もふにゃふにゃだ。

「多分、町の公園」

「なんで、私たちここで寝ているの?」

 頭横に振り、俺も分かっていないことを伝える。そのうち、何か思い出すだろう、と考えることは一旦置いとくことにした。

「とりあえず、暗いし帰ろうか。送ってくよ」

 公園を出て、彩香の家に向かって歩く。

「ねえ、大晟。何か悩み事?難しい顔してるよ?」

 となりを歩いていた彩香が俺を顔に目を向ける。無意識だがそんな顔に今なっていたのか。確かにほんの些細なことが頭の中を漂っている。

 「戦争はしてはいけない、そんなことを謳った物語があったような気がする」

「なにそれ?」帰ってきた言葉は笑っていた。そんなの知らないと。

 彩香につられて俺も笑いがこぼれる。確かにそんなこと考えることが馬鹿らしい、だって、もう戦争なんて起きないのだから。