一晩が経過して、子守り二日目。

 天野たちが訪れた時点から、六花の顔色は明らかに昨日よりよくなっていて、体調はもうほとんど全快したようだった。力の制御も効くようになり、コートやマフラーは御役御免になった。
 おまけに多少なりとも、昨日の今日で六花の懐に入れたようで、銀一を見送ったあとも三人で比較的穏やかに過ごしている。

「うん、卵のふわとろさが理想的だわ」

 玲央奈は台所で、皿に乗せたオムライスを前に満足気に頷く。
 時刻はお昼をちょっと回ったところ。

 六花の体調的にも、もう病人用のご飯でなくてもいいだろうと、玲央奈はデミグラスソースの半熟オムライスと、簡単なレタスサラダを作った。本日は共に食卓についたので、玲央奈と天野の分も含めて三人分。デザートにはまだ残っていたりんごをコンポートにした。

 オムライスは卵の半熟加減にこだわり、手作りのデミグラスソースも子供向けに甘めに調節。レタスサラダには市販の胡麻ドレッシングをかけ、ミニトマトをちょこんと添えた。
コンポートはりんごを砂糖でコトコトと煮ただけだが、冷凍庫にあったバニラアイスを添えたらそれなりに立派な出来に見える。

「入ります……ご飯、できましたよ」

 玲央奈はエプロン姿のまま台所を出て、寝室の隣の部屋をノックして開ける。
 玲央奈の調理中、天野と六花はこの部屋でテレビを見ていた。なんでも、六花のお気に入りの番組の再放送がやっているらしい。
 簡素なふたりがけのソファに天野と六花は並んで座り、玲央奈の登場にも気づかずテレビに集中している。

「おにいさんは、このヒロインはどっちとくっつくと思う?」
「最初に告白したタカシの方だろうな。ヒロインのヒロコは確実にあっちに惹かれているだろう」
「そうかな? 私はあとから告白したセイジの方だと思うけど。おにいさん、意外と女心がわからないのね」
「ほう。なんでそっちだと思うんだ?」
「セイジの方が〝かいしょう〟があるもの」

 ……お子様向けのアニメかと思いきや、三角関係がテーマのドロドロな恋愛ドラマを視聴していた。テレビの中では、なにやらヒロインらしき女性が涙ながらに叫んでいる。
 ただ内容はともかく、ふたりそろって真剣に、ドラマの感想を言いあう光景は微笑ましい。

(子供の相手は不得手なんだとか言っていたくせに、しっかり面倒を見ているじゃないですか)

 昨日はあまり、六花と接しているところが見られなかった天野だが、いつの間にかそれなりに六花と付きあえている。玲央奈はついつい、天野との間に子供ができたら、彼はいいパパになりそうだな……などと想像してしまった。

(って、私はなにを想像しているの!?)

 ひとりで赤くなっていたら、ようやく天野が玲央奈の存在に気づく。

「どうした、顔が真っ赤だぞ。動きもおかしいし……まさか君の方こそ、具合が悪いのか?」
「いいえ! 私はなんともないのでおかまいなく!」
「熱があるかもしれないな……」
「ないですって!」

 寄ってきた天野は、熱を測るつもりなのか、玲央奈の額に手を伸ばそうとしてくる。彼はたびたび、玲央奈限定で過保護を発揮するのだ。

「私は元気ですので、六花ちゃんとご飯を食べにきてください!」

 玲央奈は狼狽しながらも、ダイニングに六花と共に来るよう促した。
 天野と玲央奈の茶番とも言えるやり取りに、六花は「このドラマより胸焼けしそう」なんてお子様らしからぬ発言をしている。
 そんな六花だったが、玲央奈作のオムライスはお気に召したようで、スプーンをどんどん動かしていた。サラダのミニトマトのヘタを取りながら、銀一が作るオムライスの話もしてくれた。
 銀一のオムライスは玲央奈作のものとは反して、薄く固めに焼いた卵でケチャップライスを包む、昔ながらの王道スタイル。だけど、卵からいつもライスがはみでているそうだ。

「卵がやぶれていることもあったし」
「な、慣れもあるからね、そういうのは」

 玲央奈は今度、銀一と共に料理をして、さりげなくいろいろと料理のコツを教えてあげたくなった。
 食後は、今度は三人で例の恋愛ドラマ鑑賞をした。リアルタイムでやっていたのは第二シーズンで、第一シーズンのDVDは全巻まとめて雪谷宅にあった。銀一が六花のために買ったことは明白で、これが見始めると意外とハマる。
 ヒロインの行く末を一気に追いかけていたら、あっという間に夕方。
 まだなにも仕掛ける気配のない天野に、玲央奈はソワソワする。

(昨日の帰りの車で、清彦さんは策があるっぽいことを言っていたのに。どれだけ聞いても、詳しくは教えてくれなかったのよね)

 銀一は昨日より帰りが早いそうなので、もう仕事が終わる頃か。彼が帰ってきてから、天野は仕掛けるつもりなのだろうか……と、玲央奈は難しい顔で、お玉でグルグルと鍋をかき混ぜる。
 本日の夕食用に用意したのは、具沢山のポトフだ。
 にんじんやじゃがいもなどのお野菜がゴロゴロ入っていて、これ一品でも十分に食卓を彩れる。

「ん、そろそろ時間だな」

 ダイニングテーブルで、持参した仕事用のノートパソコンを開いていた天野が、画面から顔をあげた。
 六花は学校の宿題を片づけるため、天野の向かいで算数のプリントを広げている。幸いなことに六花は、学校では力を暴走させたことはなく、仲の良い友達もひとりだけだがいて、存外問題なくやれているらしい。算数は苦手だそうだが成績もいいようだ。

 やはり目下の問題は、銀一とのすれ違いのみなのだ。

「時間って、なんの時間ですか?」
「電話でメッセージを入れておく時間だよ。少しかけてくるな」

 首を傾げる玲央奈にそう言って、天野はスマホを持ってダイニングを出ていく。
『守り火の会』関係の電話だろうか。

「おねえさん、ブクブクって音がしているよ。お鍋じゃない?」
「わっ!」

 カウンター越しに六花に指摘され、慌てて火を止める。

(つ、強火で煮込みすぎちゃった)

 だけど、こちらはこれで完成だ。
 もう一品くらい副菜も作っておこうか……と、玲央奈が冷蔵庫を開けたところで、ものの数分程度で天野は戻ってきた。

「もう電話は終わったんですか?」
「ああ」

 天野は無造作にスマホをテーブルに置く。
 そこからは、算数の文章問題でわからないところがあるという六花に、天野が教師並みの理路整然とした解説を始めた。副菜の小エビの卵炒めを作り終えてから、玲央奈も何気なくお勉強会の様子を見守る。

「ふーん、こうすれば解けるのね。初めてひとりで解けたわ」
「理屈がわかれば簡単だろう?」
「おにいさんの説明、学校の先生よりわかりやすいわ。あの先生の授業は眠いし、いつも退屈なの」
「教えかたによって授業は大きく変わってくるからな」
「おにいさんも学校の先生なの?」
「ああ、俺は高校で教師をしている。数学教師だ」
「それっぽいウソをシレッとつかないでください、旦那さま」

 三人でそんな会話をしているときだった。
 バーン!と凄まじい音が玄関から響く。アパート全体を揺るがしかねないくらいの轟音で、驚いた六花の手から鉛筆がコロリと床に落ちた。
次いで銀一が、必死な形相でダイニングに転がり込んでくる。

「六花! 六花は……っ!」

 ポカンと呆気に取られる玲央奈。
 呼ばれて椅子から立ち上がった六花を、銀一は長身を折り曲げて一目散にむぎゅっ!と抱き締めた。

「ギ、ギン? なに、どうしたの?」