ウソつき夫婦のあやかし婚姻事情②~天邪鬼旦那さまと新婚旅行!?~

 当日、玲央奈たちは昼前くらいに家を出た。

 依頼主の家までは、玲央奈たちのタワマンから車で片道一時間ちょっと。都市部から離れた山の方面にあった。
 紅葉が始まって色付く山々に囲まれた、簡素な造りの鉄骨アパート。周囲に年季の入った民家が多いため、比較的新しい建物に感じるが、それでも築年数はそこそこありそうだ。

 ここに、依頼主の雪谷銀一(ゆきやぎんいち)と、その子供である六花(りっか)が、親子ふたりで住んでいるらしい。

(ここまでは無事に着いたけど、あのバッグの中身をどうするのかは不明なままなのよね)

 アパート前の駐車場に停めた、天野のスタイリッシュな黒の車から降りながら、玲央奈は先に降りた天野に視線を遣る。
 正しくは、天野が担いでいるボストンバッグに。
 バッグの中には天野に言われたとおり、玲央奈はコートやマフラー、あげくに耳当てや手袋などの防寒グッズまで詰めたが、今のところそれらの出番が来そうにもなかった。

(山で冷えるからかなって思ったけど、持ってきただけで着ていないし……清彦さんの秘密主義は相変わらずだわ。雪谷さん親子がなんの半妖かも、何度聞いても『会えばわかる』と言って教えてくれなかったし……)

「難しい顔をしてどうした、玲央奈。早く行かないともう約束の時間だぞ。銀一さんは短気で気性の荒い人だから、遅れたら怖いぞ」
「ウソですね、旦那さま。さっき車で『銀一さんは温厚な人だから、そう緊張しなくてもいいぞ』って言っていたところじゃないですか」
「そっちがウソかもしれない」
「それこそウソでしょう」

 そんな他愛のない掛けあいをしながら、アパートの二階の角部屋のドアを叩く。ドアは待ちかまえていたようにすぐ開いた。

「やあ、天野くん。待っていたよ、今日は急な頼みでごめんな」

 出てきた銀一は、三十代半ばくらいか。百八十六センチある天野よりも高い、百九十センチ近くある長身の瘦せ型で、ひょろりと縦に長かった。特徴の薄い素朴な顔立ちで、いかにも人が良さそうだ。

「こちらが電話で連れてくるって話していた、天野くんの婚約者の玲央奈さんだよね。すごくきれいな人だなあ、よろしくね」
「は、はい」

 臆面もなく玲央奈を褒めて、笑いかける様も朗らかだ。

(どこが短気で気性が荒いのよ)

 握手を求めてきた銀一の手を握り返しながら、玲央奈は隣の天邪鬼な旦那さまをさりげなく睨む。
 天野の方は睨みを軽く躱して、銀一に「それで、娘さんの容態は?」と素知らぬ顔で問いかけていた。

「娘……あっ、ああ、娘な。六花は寝室にいるよ。学校帰りにいきなり体調を崩したそうだけど、症状自体は倦怠感があるだけの軽い風邪っぽいかな。とりあえず部屋まで案内するな」

 玲央奈は銀一の返答に、「ん?」と違和感を覚える。

 しかし初対面で下手に突っ込むわけにもいかず、銀一のあとに続いておとなしく家にあがった。中は外観より広い印象で、間取りは2DKのようだ。
 親子共同で使っているという寝室は、固くドアが閉ざされていた。銀一がノックをして「入るよ」とドアノブを回す。
 途端、流れてきた冷気に玲央奈は体をブルリと震わせた。

「な、なんでこんな寒いんですか……!?」

 室内自体はいたって普通だ。クローゼットに、教科書の類いが詰め込まれた本棚。部屋の大半を占めるベッドはセミダブルほどの大きさで、こんもりと布団が膨れていることから、そこに六花がいることがわかる。

 だがそれにしたって、気温の低さが尋常じゃない。

 玲央奈の気のせいでなければ、ベッドのヘッドボードの一部や枕が、カチンコチンに凍っているようにも見えた。
 冷蔵庫を通り越して、これでは冷凍庫の中にいるようだ。

「だからコートやマフラーの準備がいると言っただろう?」

 ふわりと、玲央奈の肩が温かいなにかに包まれる。
 いつの間にボストンバッグから取り出したのか、天野がもこもこのボアコートを玲央奈にかけてくれていた。

「あ、ありがとうございます」

 戸惑いながらも礼を述べ、玲央奈はその温かさに安堵する。天野も颯爽とネイビーのチェスターコートを羽織った。
 家の中に入ってから、コートの出番が来るなどおかしな話だ。
 だがここまでくれば玲央奈だって、この寒さこそが、六花の半妖の力によるものなのだと察しがつく。

「ご、ごめん! 先に注意してからドアを開けるべきだったね。六花はこのとおり『雪女』の半妖で、周囲の気温を下げたり、触れたものを生き物以外の無機物限定で凍らせたりできるんだけど、体調を崩すと力の制御が利かなくなってしまうんだ。それでしばらく、小学校も休ませていて……」

 申し訳なさそうに謝る銀一は、薄手のシャツ一枚なのに寒がる素振りもない。
 もしかしてこの人も……と玲央奈が思案していれば、天野が「ちなみに銀一さんは『雪鬼』の半妖だぞ」とようやく教えてくれた。

「雪鬼? 清彦さんと同じ〝鬼〟の半妖なんですか?」
「天野くんほど力は強くないけどね。『雪女』と『雪鬼』も、どっちも〝雪〟に関するあやかしだけど、分類的には別物だよ。僕は能力的にも〝寒さに異常に強い〟ってだけでショボいから、六花の方がはるかにすごいし」

 つまり銀一は、半妖とは名ばかりのほぼ普通の人のようだ。
 ふと、そこで銀一は腕時計をチラ見して「ああ、もう時間がない!」と血相を変える。

「僕はもう仕事に行くね! この家にあるものは食材でも電化製品でも、なんでも好きに使ってくれていいから! 六花のことをくれぐれも頼んだよ、天野くん、玲央奈さん!」

 そう早口に告げたあと、銀一は「えっと、行ってくるな、六花」と、ぎこちなく布団の膨らみに声をかけて、慌ただしく去ってしまった。
 託された玲央奈たちは顔を見あわせる。

「ひとまず、六花ちゃんが起きてくるまで待ちますか? 無理に起こしてもかわいそうですし……」
「そうだな。家のものは自由に使っていいそうだし、コーヒーでもないか探してありがたく一息つこう」

 ふたりは音を立てないように、静かに寝室のドアをいったん閉めた。
 一息つく前に一応、他の部屋も確認程度に探索しておく。もうひとつの部屋にはソファとテレビがあって、カラーボックスなども置かれていた。お風呂場やお手洗いの場所も見て、ダイニングに移動する。

 天野と玲央奈は小さめのダイニングテーブルにつき、コーヒーの粉がなかったので、ペットボトルの麦茶をグラスに注いだ。
 氷漬けの部屋を出たら気温は戻ったので、お互いコートは脱いで椅子の背にかけている。

「ところで、銀一さんはなんのお仕事をされているんですか?」
「ああ、彼は公務員だ。市役所の職員だったかな」
「ウソですね、旦那さま。ラフすぎる格好で出ていかれましたし、当たり前のように土日出勤しているじゃないですか」
「バレたか。銀一さんの職業……というか職場は、なかなかにおもしろいところだぞ。他に類のない職場だ。彼が帰ってきたら聞いてみるといい」
「清彦さんじゃまともに教えてくれませんもんね」
「やれやれ、信用がないな」

 玲央奈と天野が雑談をしていると、やがてペタペタとペンギンのような足音がダイニングに近づいてきた。

 同時に、ひんやりとした冷気も。

 冷気を纏わせ、寝ぼけまなこを擦りながら現れたのは、青いパジャマを着た美少女だ。この子が六花だろう。
 サラサラと流れる黒髪ロングのストレートヘアに、目鼻立ちのはっきりとしたきれい系の面立ち。八歳という歳のわりには大人びた印象の、将来有望だろうその容姿は、〝クールそうな美人〟だとよく称される玲央奈と似通っている部分もある。
 だけど素朴な容姿の銀一とは、あまり似ていなかった。

「あなたたち……誰? まさか不審者? 強盗? うちを家探ししたって、ろくなものないから」
六花は纏う冷気と同じくらい冷え切った目と声で、玲央奈たちを警戒心たっぷりに見据えてくる。子供特有の高い声は可愛らしいのに、言っていることはまったく可愛くない。

「ふ、不審者でも強盗でもないよ。私たちは銀一さんに頼まれて……!」
「ああ、おねえさんたち、ギンの知りあいなのね。誰か来るって、ギンが言っていた気もするわ」

『ギン』とは銀一のあだ名か。
 ほんの少しだが警戒を緩めた六花の前に、天野が目線をあわせるようにしゃがみ込む。

「そう、俺たちは銀一さんの知りあいだ。俺は天野清彦、あっちは俺のお嫁さんの玲央奈。銀一さんがお仕事に行っている間、君の看病を頼まれたんだよ」
「別に看病なんていらないのに……ギンのお仕事中はいつも、おうちのことは自分でやっているもの。ひとりでも平気よ。おねえさんたちは帰っていいから」

 ツンツンとした態度を取る六花。
 顔をあわせてまだ数分だが、手強いお子様であることは明白だ。
 だけど体は正直で、きゅるるると六花のお腹から、なんとも間抜けな音が鳴った。六花は慌てて腹部を押さえるが、隠そうとしても遅い。

「六花ちゃん、お腹空いているの? もうお昼過ぎているもんね。私がすぐになにか作るよ」
「じ、自分でなんとかするってば! いつも私ひとりで……!」
「銀一さんから事前に聞いた話によると、いつも銀一さんが仕事前におかずを作り置きして、それを君は温めて食べているそうだな。だけど今日は食事面も俺たちが任されているから、君の大好きな銀一さんのご飯はないぞ」
「……ギンのことなんて、好きでもなんでもないし」

 小声でボソッと憎まれ口をたたきながらも、六花は観念したようだ。「俺のお嫁さんの料理は旨いぞ」と笑う天野に、「まあ、ちょっとなら食べてあげてもいいけど」なんて生意気な返事をしている。

(このくらいの生意気さなら、許容範囲だけど)

 玲央奈は小さく苦笑した。

「じゃあ頑張って作るね。冷蔵庫の中を見てからだけど、おかゆとかうどんとか、体調が悪いときでも食べやすいものにするよ」
「……うどんなら、麺がひとつだけあるわ。一昨日ギンが買ってきたの」
「それならうどんで。具材はあるものを使わせてもらうね。あっ、好き嫌いやアレルギーは? あたたかいものとかも平気?」

 最後の質問は、六花の『雪女』の半妖という面を、玲央奈なりに考慮した上だ。
 食べたら溶けるなんてことはさすがにないだろうが、単に熱いものは苦手かもしれないと考えて……だけど六花は、特にNGはないようだった。そのあたりは、半妖の特性とは関係ないらしい。

「わかったよ、じゃあ少し待っていてね」

 サクッと作ってしまおうと、玲央奈はバッグからエプロンを取り出す。クリーム色の、フロントで紐を結ぶタイプのマイエプロンは、看病ならいるかなと想定して持ってきたのだ。

「俺も手伝おうか? お嫁さん」
「旦那さまはおとなしく、そこのテーブルで六花ちゃんと待っていてください。余計なことはくれぐれもしないように」
「手厳しいな」
「安全性を優先したまでです」

 天野はコーヒーを淹れるのはうまいが、その他の調理は壊滅的だ。
完璧超人な天野の意外な弱点は料理である。人様の家のキッチンを荒らしてはいけない。

「へえ、けっこういろいろあるのね」

 雪谷家のダイニングキッチンは、天野宅のアイランドキッチンよりは狭いものの、十分な調理器具がそろっていた。調味料の種類も充実している。

(おかずをマメに作り置きしているみたいだし、銀一さんはお料理のできるパパさんなのね)

 玲央奈は感心しながら、冷蔵庫の中を物色した。
 うどんの麺は早々に発見し、あとは具材に使えそうな卵と三葉。
 ついでに赤々と熟れたりんごが三つ。

(卵があるなら卵とじうどんができそうね。お湯を沸かしている間に、りんごをひとつ、食後のデザート用に切っちゃおうかしら)

 天野に反して、料理が得意な玲央奈には、りんごの皮むきも飾り切りもお手のものだ。
 鍋に水を入れて火にかけ、それから包丁を巧みに操って、スルスルとりんごをウサギの形にしていく。皮でできた耳はツンと尖っていて愛嬌抜群だ。

 この切りかたを、玲央奈は亡き母である玲香に教わった。
 玲香も料理が得意で、おまけにあやかしの見える人だった。

 彼女が玲央奈にくれたお守りは、あやかし避けの力をわずかながらも秘めており、長い間玲央奈を守ってくれていた。効果が切れた今でも、玲央奈は大切に持ち歩いている。
 また、あのお守りは、玲央奈が生まれる前に亡くなった父との絆(きずな)でもあった。

「……よし、完成」

 できたウサギりんごを一匹一匹、お皿に並べながら、玲央奈は遠い過去に想いを馳せる。

 母が初めて自分にこれを作ってくれたのは、ちょうど玲央奈が六花と同い年くらいのときだ。幼い玲央奈は風邪をひいて、学校を休んで寝込んでいた。
 ベッドの中で心細くて仕方なかった玲央奈に、玲香は「大丈夫よ、お母さんがそばにいるからね」と、つきっきりで看病してくれた。体が弱ると心も弱るもので、玲央奈はめったにないほど玲香にベッタリ甘えたものだ。

(好きでもなんでもないなんて口では言っていたけど、六花ちゃんもきっと、できるなら銀一さんにそばにいてほしいわよね……)

 そんな素振りは今のところ見えないものの、あの六花の性格では表に出さないだろうし、内心ではこの状況を寂しがっているかもしれない。
 六花のことを想いながら、ウサギりんごを並べ終えたところで、ぐつぐつとお湯が沸いた。うどんつゆは白出汁があったので、そのまま薄めて使う。白出汁はなんにでも使えて、これひとつでおいしくなる魔法の調味料だ。

 溶き卵を鍋に注いでふわふわの卵を作り、うどんの麺に卵を絡め、仕上げに三葉を切って散らす。
 人様の家の食器棚からどんぶりを探すのには少々手間取ったが、無事に卵とじうどんも完成した。

「はい、六花ちゃん。りんごも一緒にどうぞ」

 ダイニングテーブルについて、存外おとなしく待っていた六花の前に、ホカホカのうどんとウサギりんごを置いてやる。六花は心なしか、ウサギりんごに反応して目を輝かせた。
 六花の前に座って、ポツポツとだが話し相手を務めていたらしい天野も、「君の料理は常に芸が細かいな」と感心している。

「りんごをウサギにするくらいなら簡単ですよ」
「俺はできないぞ」
「なんで偉そうに言うんですか」

 堂々と『できない宣言』をする天野に続き、六花も「……たぶん、ギンもできないわ」と呟く。

「ギンの料理は、味は悪くないけど、見た目はいつも酷(ひど)いの。りんごも切らせたらガタガタよ」
「そ、そうなんだ」

 それなら六花は、りんごの飾り切りなど見るのは初めてなのかもしれない。さっきからウサギりんごに意識を奪われていて、うどんはスルー状態だ。

「うどん、先に食べないと麺が伸びちゃうよ。お箸はこれで良かったかな」
「うん……あっ!」

 玲央奈が手渡した木箸は、六花が受け取った瞬間、触れたところから半分がパキンッと凍ってしまった。
 凍った箸は、うどんにポチャン!とダイブする。銀一も話していたが、現在の六花は本当に力のコントロールが効かないようだ。
 六花の小さな顔が、サッと青ざめる。

「だ、大丈夫だよ! お箸を取り除いて、うどんはレンジで温め直せばいいだけだから!」

 玲央奈は努めて明るく六花を慰め、天野も「そうだ、気にすることはない」と援護してくれた。

「俺の幼馴染みのユウって奴も、『妖狐』の半妖なんだがな。自分の姿を別人に変える〝変化〟の能力を持っているんだが、昔は君みたいに力が安定しなくて、一分に一回は別人に変化していたぞ」

(これは確実にウソですね)

 そう玲央奈はすぐにわかったが、天野なりの慰めかただと思って指摘はしなかった。やり玉に挙げられた稲荷には心の中で合掌しておく。
 だがふたりから励まされても、六花の顔は青いままだ。

「こんなのだと……また捨てられちゃう……ギンにもどうせ……」
「捨てるって……あっ、六花ちゃん!」

 ガタッと椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、六花は一目散に部屋を出ていった。寝室の方でドアが激しく閉まる音が響く。
 しばし呆然としていたが、玲央奈は走り去る直前の六花の様子を反芻し、もしかして……と、隣に来た天野におずおずと伺う。

「銀一さんと六花ちゃんって、あの……」
「気づいたか。君の予想どおり、ふたりは血の繋がった親子ではないんだ。銀一さんにとって、六花は遠い親戚の子で、実の親は別にいる。そもそも遠縁ならまだしも、直系の親族で違うあやかしの半妖なんて、かなりのレアケースだからな」

 やはりそうだったのかと、玲央奈は納得せざるを得なかった。六花の『また捨てられる』という発言もそうだが、銀一の六花への接しかたも、どこか遠慮がちな気がしたのだ。
 天野は訥々と雪谷家の事情を明かす。

「実の親は六花を置いて家を出ていったきりで、その後は親戚中をたらい回しだったそうでな。半妖の能力のこともあって、受け入れてくれる先がなかなか見つからなかったんだろう。やっと銀一さんのところまで話が届いて、銀一さん自ら引き取りたいと申し出たんだ。ふたりは一緒に暮らして半年とちょっとで、まだ一年も経っていないと聞いている」

 それでは、〝家族〟になって間もないのか。
 奇しくも銀一と六花が半妖同士で、能力的にも相性が良かったこともあり、生活自体は基本的にうまくいっているようだが……。

「六花はあのとおり、これまでの環境から、容易に大人を信じ切れずにいるようだな。彼女の心を少し読ませてもらったが、銀一さんのことは確実に好きになっているのに、好きになった分、いつかまた過去のように、捨てられるかもしれないことを恐れている。その恐れを見せまいと虚勢を張っているな」

 知らぬ間に、天野は天邪鬼の能力を使って、六花の心を読んでいたらしい。玲央奈は渋い表情を浮かべる。

「そんな恐れなんてなくなるように、銀一さんに頑張ってほしいところですけど……。当の銀一さんはどう思っているんでしょう?」
「彼は彼で微妙に勘違いしていてな……自分が単純に、六花に嫌われていると思い込んでいるんだ。俺に今回の依頼をしたとき、彼は『僕としてはもっと仲良くなりたいんだけど、たぶん僕がいろいろと不甲斐ないせいで、六花がちっとも懐いてくれないんだ』などと残念そうに零していたぞ」

 その勘違いもあって、銀一は六花に遠慮した態度を取る。すると六花は銀一を信じたくても信じられないまま、結果としてふたりの距離はいっこうに縮まらない。
 負の連鎖が起きている、ややこしい問題だ。
 なんとか解決できないものかと悩める玲央奈の背を、ポンポンと天野が軽く諫めるように叩く。

「人様の家庭事情に首を突っ込んでも、余計にこじれるだけだぞ。君はすぐ人のことばかり考えすぎる。お嫁さんのお人好しにも困ったものだ」
「……私は旦那さまの天邪鬼さに困っていますけど」
「ではお互い治らないな。ただそれでも、深入りはほどほどにしておくといい。……そんなことより、うどんはこれ以上放っておいたら、本当に麺が伸びるぞ?」
「あ……一応、六花ちゃんに食べないか聞いてみます!」

 天の岩戸よろしく、固く閉ざされた六花の寝室まで赴き、玲央奈はドア越しに声をかけてみる。

「六花ちゃん、うどんはもういらない?」
「…………」
「少しでもどうかな?」
「…………」
「き、気が向いたらまた作るから、いつでも言ってね!」
「…………」

 返事は得られず、玲央奈はすごすごとダイニングに戻った。
 一口も食べてもらえなかったうどんを前に、しゅんと眉を下げる。

「六花ちゃんはいらないみたいです……これ、どうしましょう」

 麺類ゆえに保存はできないし、捨てる選択肢はないとしても、作った玲央奈自身がひとりで食べるのはどうにも虚しかった。
 そこでひょいっと、「そういうことなら俺がいただこうか」と天野がどんぶりを持ちあげる。

「えっと、清彦さんが食べるんですか……?」
「箸を取り除いて、温め直せば大丈夫なんだろう? 俺もちょうど腹が空いてきたところだ」
「……そう、ですか」

 玲央奈と天野は、ここに来るまでの車中で、昼ご飯としてコンビニで買ったホットフードやサンドイッチをしっかり食べてきていた。おそらく天野は空腹などではないだろう。
 彼らしいウソだったが、玲央奈は普通に嬉しかった。

「なにを笑っているんだ?」
「内緒です」

 天野は結局、空腹だという体を貫いて、汁一滴残さず玲央奈作のうどんを胃に収め切ってくれた。
 六花はなかなか、寝室から出てこなかった。
 玲央奈は何度か様子を見に行き、幸い部屋には鍵自体ついていなかったので、こっそりドアを開けて中も確認した。そのときはベッドがこんもり膨れていて、深く寝入っているようだった。

 そんな六花が寝室からようやく出てきたのは、もう十五時を過ぎた頃だ。

「お、おねえさん、えっと……」
「あっ、六花ちゃん!」

 六花はダイニングのドアの横から顔を半分だけ出し、視線をさまよわせて気まずそうにしている。
 ダイニングテーブルを借りて、持ち込んだ文庫本を読んでいた玲央奈は、そんな六花の訪れにパタリと本を閉じた。六花は愛らしい唇をもごもごと動かす。

「さっきは、えっと、私のためにご飯を作ってくれたのに、その……」

 今にも消え入りそうな声だったが、六花は確かに「ごめんなさい」と謝った。

 その意外な素直さに玲央奈は驚きながらも、この子は根がきっといい子なのだろうなと、ふんわりした気持ちになる。それか人のいい銀一と、なんやかんやでも共に暮らしている影響もあるのかもしれない。
 玲央奈は怖がらせないように、ゆっくりと歩いて六花のそばまで行く。

「六花ちゃんが謝る必要はないわ。うどんはこっちで食べたし、私はちっとも怒ってないから、気にしないで」

 玲央奈は思い切ってよしよしと、六花の頭を撫でる。六花はビクリと肩を跳ねさせ、「か、勝手に撫でないでよ!」と反発しながらも、玲央奈の手を振り払うようなことはしなかった。

 それをいいことに、玲央奈はまだ枝毛知らずのサラサラの髪を楽しむ。
 すると六花もほんのわずかだが、心地良さそうに瞳を細めた。

(たぶん六花ちゃんとは、積極的に触れあった方が良さそうね。銀一さんも遠慮なんてしないで、どんどんかまってあげるのがきっと正解なのに)

 余計なお世話であることは承知の上で、玲央奈はそんなことを考える。六花のこれまでのつらい環境を想えば、今度こそ銀一のもとで、憂いもなく心健やかにいてほしいと願わざるを得ない。

(そのためにはやっぱりまず、銀一さんとのすれ違い問題を解決する必要があるわよね……でも)

 天野には『深入りはほどほどに』と釘を刺されたところだ。彼の言うことも確かに正しい。
 なお、玲央奈にそう言った本人は、買い物に出ており今は不在だ。

(今回の依頼は六花ちゃんの〝子守り〟であって、〝家庭内の問題解消〟ではないことくらい、わかってはいるんだけど……)

 うーんともどかしさを抱えながら、玲央奈は思考をいったん切り替えて、六花の頭からパッと手を離す。

「……六花ちゃん、お腹ペコペコよね? 今ね、清彦さんにお買い物に出てもらっているから。うどんの麺も頼んだし、卵とじうどんもまた作れるよ」
「……うどん、食べたい」
「了解。もうすぐ戻ってくるだろうし、りんごでも食べて待っていようか。デザートが先になっちゃうけどいいわよね?」

 六花が頷いたので、玲央奈は冷蔵庫に入れておいたりんごを取ってくる。六花は椅子に足を投げ出して座り、ウサギりんごを無言でシャクシャクと咀嚼していたが、またしても途中でひとつ、りんごを凍らせてしまった。

「れ、冷凍りんご! これは冷凍りんごだよ! それはそれで食べられるしおいしいよ!」

 すかさず玲央奈はフォローを入れた。
 六花は凍ったりんごを皿に戻して、少しだけ泣きそうな顔になる。

「おねえさんは優しいのね。あのおにいさんも。……ギンも優しいわ、それもとびっきり。私が初めてこの家に来た日もね、おやつにギンがりんごを切ったの。ガタガタだったけど……。そのとき私ね、緊張しすぎて体調があんまり良くなくて、今みたいにりんごを凍らせちゃった」
「……銀一さんは、怒ったり呆れたりした?」
「『シャーベットにすれば問題ない!』って」
「アレンジしてくれたんだ」

(なるほど、シャーベットって手もあったわね)

 銀一が六花を悲しませないよう、必死に趣向を凝らす姿が、玲央奈の目にも浮かぶようだった。
 そんな銀一が、今さら無責任に六花を放りだす、六花に言わせると〝捨てる〟なんてことは、玲央奈にとっては「それはないだろう」と言い切れる発想だ。
 だけど当の六花からすれば違うらしい。

「ギンは優しいよ。優しいけど、私を引き取った〝大人の責任〟があるから、それで優しくしてくれているだけかもって疑っちゃう。可愛くない態度ばかり取っちゃう私なんて、心の中では邪魔に思っているのかもって……」
「六花ちゃん……」
「ギンが私を捨ててきた人たちとは違うこと、本当はちゃんとわかっているはずなのに」

 それはポロリと漏れた、虚勢の裏に潜んだ六花の本音だった。
 それからほどなくして、買い物袋を携えた天野が戻ってくる。頭を撫でることに成功したからか、多少は本音を吐露してくれた六花だが、あとはもうこれといって銀一のことは語らなかった。

 玲央奈が再度作ったうどんを食べたあと、念のために飲んだ市販の風邪薬がすぐ効いたようで、六花はあくびを零してまたもや寝室に入っていった。

 銀一が帰宅したのは、六花が寝てから三時間は経った夜の二十時だ。

「天野くんも玲央奈さんも、今日はありがとう! 六花はどうだった? 具合は悪そうじゃなかったかな……?」
「いや、体調は確実に回復しているようでしたよ。合間に物は凍らせていましたが、薬を飲んで寝てからはベッド周辺も無事でしたし」

 天野の答えに、銀一は「そっか、良かった」と胸を撫で下ろす。
 六花はまだ寝室だ。玲央奈たちは今ダイニングに集まっているが、『子守り一日目終了』ということで、玲央奈と天野は帰り支度をすませて、もうじき退散するところである。

「明日も同じ時間にお伺いすればいいんですよね?」
「うん。まだ六花ひとりにするには心配だし、明日もお願いできたら……」
「あ、あの」

 天野と銀一の会話の合間に、玲央奈はやんわり口を挟む。

「ホワイトシチュー、鍋に作っておいたので、六花ちゃんが起きたらおふたりで夕食に食べてください。……六花ちゃんは、その、もっと銀一さんにそばにいてほしそうだったので、差し出がましいことを言うようですが、起きたらなるべく寄り添ってあげてくれたら」

 銀一の柔和そうな目が、戸惑いに揺れる。

「僕にそばにいてほしいって……それ、六花が口にしたのかい?」
「く、口にはしていませんが……」
「……そっか。それなら六花は、そんなことはたぶん思っていないよ。僕からかまっても、うっとうしがられるだけだろうなあ、きっと。僕、残念だけど嫌われているからさ」

 ははっと空笑いをする銀一。
 天野から聞いていたとはいえ、銀一の『六花に嫌われている』という思い込みが予想より根深く、玲央奈は頭を抱えてしまう。
 銀一がこれでは、意地っ張りな六花からは甘えることも、距離を縮めることもできない。

「い、いえ、ですから!」
「うん、わかったよ。六花が起きたら、とりあえず一緒にシチューをいただくよ。いろいろと気も遣ってもらってごめんね」

(伝わらないにもほどがあるわ……!)

 玲央奈はいい加減もどかしくて仕方なくなってきたが、これ以上下手に言い募ることもできずに引き下がった。天野が玲央奈の肩にそっと手を置く。

「帰るぞ、玲央奈」
「はい……」

 山間部を走る、帰りの車の中。
 薄闇に縁どられて、均整の取れた美貌が際立つ天野の横顔を眺めながら、玲央奈は「あの、清彦さん」と改まって名前を呼んだ。

「ああ、君の言いたいことはすでに理解している。俺のお嫁さんのお人好しが、どうあがいても治りそうにもないこともな」
「……すみません」
「いいさ。俺も銀一さんと六花を見ていると、昔のことを思い出して、ガラにもなく放っておけなくなってきたところだ」
「昔のことですか?」
「俺がオババ様の施設に預けられたばかりの頃のことだ」

 オババ様とは、『守り火の会』の元締めで、天野や稲荷の育ての親に当たる人物だ。相当の資産家で、手広く事業を手掛けており、半妖の子供専門の施設なども運営している。
 天野は実の両親に疎まれて、オババ様に預けられて育った。
 確かに境遇を取れば六花と近いものはある。

「当時の俺は、今の六花よりもよほど尖っていて、オババ様が向けてくれる愛情なんて微塵も信用していなかったぞ。今でもオババ様に弄られるんだ、『手負いの鬼が懐いてくれるまで、懐柔するのが大変だったわ』って」
「清彦さんは……まあ、六花ちゃんより手強そうですよね……」

 だがオババ様も、銀一より確実に手強い人物ではあるので、血の繋がりなどは関係なく〝この親にしてこの子あり〟な感じはする。

「銀一さんと六花の場合は、なにかきっかけがあって、六花が今より銀一さんの愛情をちゃんと信じられたら、問題はすぐ解決するだろう。六花が銀一さんに甘えを見せられたら、銀一さんの方の『六花に嫌われている』なんて誤解もなくなるさ」
「でもそのきっかけが難しいのでは……?」
「だから俺が一肌脱いでやる」

 フロントガラスに映る切れ長の瞳が、いたずらっ子のように細まった。

「なにをするつもりですか、旦那さま」

 怪訝な表情を浮かべる玲央奈に、天野は「なんてことはない」とニヒルに口角を上げてみせる。
 いたずらっ子の瞳から一転、今度は悪い大人の笑みだ。

「きっかけがないなら作ればいい。ウソつきな天邪鬼らしく、明日はちょっとしたウソをついてみるだけだ」
 一晩が経過して、子守り二日目。

 天野たちが訪れた時点から、六花の顔色は明らかに昨日よりよくなっていて、体調はもうほとんど全快したようだった。力の制御も効くようになり、コートやマフラーは御役御免になった。
 おまけに多少なりとも、昨日の今日で六花の懐に入れたようで、銀一を見送ったあとも三人で比較的穏やかに過ごしている。

「うん、卵のふわとろさが理想的だわ」

 玲央奈は台所で、皿に乗せたオムライスを前に満足気に頷く。
 時刻はお昼をちょっと回ったところ。

 六花の体調的にも、もう病人用のご飯でなくてもいいだろうと、玲央奈はデミグラスソースの半熟オムライスと、簡単なレタスサラダを作った。本日は共に食卓についたので、玲央奈と天野の分も含めて三人分。デザートにはまだ残っていたりんごをコンポートにした。

 オムライスは卵の半熟加減にこだわり、手作りのデミグラスソースも子供向けに甘めに調節。レタスサラダには市販の胡麻ドレッシングをかけ、ミニトマトをちょこんと添えた。
コンポートはりんごを砂糖でコトコトと煮ただけだが、冷凍庫にあったバニラアイスを添えたらそれなりに立派な出来に見える。

「入ります……ご飯、できましたよ」

 玲央奈はエプロン姿のまま台所を出て、寝室の隣の部屋をノックして開ける。
 玲央奈の調理中、天野と六花はこの部屋でテレビを見ていた。なんでも、六花のお気に入りの番組の再放送がやっているらしい。
 簡素なふたりがけのソファに天野と六花は並んで座り、玲央奈の登場にも気づかずテレビに集中している。

「おにいさんは、このヒロインはどっちとくっつくと思う?」
「最初に告白したタカシの方だろうな。ヒロインのヒロコは確実にあっちに惹かれているだろう」
「そうかな? 私はあとから告白したセイジの方だと思うけど。おにいさん、意外と女心がわからないのね」
「ほう。なんでそっちだと思うんだ?」
「セイジの方が〝かいしょう〟があるもの」

 ……お子様向けのアニメかと思いきや、三角関係がテーマのドロドロな恋愛ドラマを視聴していた。テレビの中では、なにやらヒロインらしき女性が涙ながらに叫んでいる。
 ただ内容はともかく、ふたりそろって真剣に、ドラマの感想を言いあう光景は微笑ましい。

(子供の相手は不得手なんだとか言っていたくせに、しっかり面倒を見ているじゃないですか)

 昨日はあまり、六花と接しているところが見られなかった天野だが、いつの間にかそれなりに六花と付きあえている。玲央奈はついつい、天野との間に子供ができたら、彼はいいパパになりそうだな……などと想像してしまった。

(って、私はなにを想像しているの!?)

 ひとりで赤くなっていたら、ようやく天野が玲央奈の存在に気づく。

「どうした、顔が真っ赤だぞ。動きもおかしいし……まさか君の方こそ、具合が悪いのか?」
「いいえ! 私はなんともないのでおかまいなく!」
「熱があるかもしれないな……」
「ないですって!」

 寄ってきた天野は、熱を測るつもりなのか、玲央奈の額に手を伸ばそうとしてくる。彼はたびたび、玲央奈限定で過保護を発揮するのだ。

「私は元気ですので、六花ちゃんとご飯を食べにきてください!」

 玲央奈は狼狽しながらも、ダイニングに六花と共に来るよう促した。
 天野と玲央奈の茶番とも言えるやり取りに、六花は「このドラマより胸焼けしそう」なんてお子様らしからぬ発言をしている。
 そんな六花だったが、玲央奈作のオムライスはお気に召したようで、スプーンをどんどん動かしていた。サラダのミニトマトのヘタを取りながら、銀一が作るオムライスの話もしてくれた。
 銀一のオムライスは玲央奈作のものとは反して、薄く固めに焼いた卵でケチャップライスを包む、昔ながらの王道スタイル。だけど、卵からいつもライスがはみでているそうだ。

「卵がやぶれていることもあったし」
「な、慣れもあるからね、そういうのは」

 玲央奈は今度、銀一と共に料理をして、さりげなくいろいろと料理のコツを教えてあげたくなった。
 食後は、今度は三人で例の恋愛ドラマ鑑賞をした。リアルタイムでやっていたのは第二シーズンで、第一シーズンのDVDは全巻まとめて雪谷宅にあった。銀一が六花のために買ったことは明白で、これが見始めると意外とハマる。
 ヒロインの行く末を一気に追いかけていたら、あっという間に夕方。
 まだなにも仕掛ける気配のない天野に、玲央奈はソワソワする。

(昨日の帰りの車で、清彦さんは策があるっぽいことを言っていたのに。どれだけ聞いても、詳しくは教えてくれなかったのよね)

 銀一は昨日より帰りが早いそうなので、もう仕事が終わる頃か。彼が帰ってきてから、天野は仕掛けるつもりなのだろうか……と、玲央奈は難しい顔で、お玉でグルグルと鍋をかき混ぜる。
 本日の夕食用に用意したのは、具沢山のポトフだ。
 にんじんやじゃがいもなどのお野菜がゴロゴロ入っていて、これ一品でも十分に食卓を彩れる。

「ん、そろそろ時間だな」

 ダイニングテーブルで、持参した仕事用のノートパソコンを開いていた天野が、画面から顔をあげた。
 六花は学校の宿題を片づけるため、天野の向かいで算数のプリントを広げている。幸いなことに六花は、学校では力を暴走させたことはなく、仲の良い友達もひとりだけだがいて、存外問題なくやれているらしい。算数は苦手だそうだが成績もいいようだ。

 やはり目下の問題は、銀一とのすれ違いのみなのだ。

「時間って、なんの時間ですか?」
「電話でメッセージを入れておく時間だよ。少しかけてくるな」

 首を傾げる玲央奈にそう言って、天野はスマホを持ってダイニングを出ていく。
『守り火の会』関係の電話だろうか。

「おねえさん、ブクブクって音がしているよ。お鍋じゃない?」
「わっ!」

 カウンター越しに六花に指摘され、慌てて火を止める。

(つ、強火で煮込みすぎちゃった)

 だけど、こちらはこれで完成だ。
 もう一品くらい副菜も作っておこうか……と、玲央奈が冷蔵庫を開けたところで、ものの数分程度で天野は戻ってきた。

「もう電話は終わったんですか?」
「ああ」

 天野は無造作にスマホをテーブルに置く。
 そこからは、算数の文章問題でわからないところがあるという六花に、天野が教師並みの理路整然とした解説を始めた。副菜の小エビの卵炒めを作り終えてから、玲央奈も何気なくお勉強会の様子を見守る。

「ふーん、こうすれば解けるのね。初めてひとりで解けたわ」
「理屈がわかれば簡単だろう?」
「おにいさんの説明、学校の先生よりわかりやすいわ。あの先生の授業は眠いし、いつも退屈なの」
「教えかたによって授業は大きく変わってくるからな」
「おにいさんも学校の先生なの?」
「ああ、俺は高校で教師をしている。数学教師だ」
「それっぽいウソをシレッとつかないでください、旦那さま」

 三人でそんな会話をしているときだった。
 バーン!と凄まじい音が玄関から響く。アパート全体を揺るがしかねないくらいの轟音で、驚いた六花の手から鉛筆がコロリと床に落ちた。
次いで銀一が、必死な形相でダイニングに転がり込んでくる。

「六花! 六花は……っ!」

 ポカンと呆気に取られる玲央奈。
 呼ばれて椅子から立ち上がった六花を、銀一は長身を折り曲げて一目散にむぎゅっ!と抱き締めた。

「ギ、ギン? なに、どうしたの?」
 銀一の腕の中で六花は困惑顔だ。こんなふうに抱き締められるなんて、もしかしたら今が初めての体験なのかもしれない。
 だけどその事実を抜きにしても、銀一の様子は尋常ではなく、六花が戸惑うのも無理はなかった。

 銀一は髪がボサボサに乱れて、ゼーハーと肩で息をしていた。
 もう冬も目前だというのに、額からは汗も伝っている。

 しかも職場から着替えもせずそのまま来たのか、仕事着らしい浅葱色の法被を、白シャツの上から羽織っていた。背中にはでかでかと【宵】の丸印が入っている。法被の襟にも『真宵亭』の文字があり、どうやら店の名前のようだ。
 銀一の職業について、玲央奈は聞きそびれていたが、この格好や店名から、勤め先は和風小料理屋か温泉宿といったところだろうか。

 天野が『他に類のない職場』と評していた点は気になるが、今はそんなこと質問できそうにない。

「六花、体は大丈夫か? つらくはないか? 起きていても平気なのか? 君になにかあったら僕は……!」
「もう体調は良くなったし! い、いいからもう離してよ!」
「でも、天野くんが……」

 六花が無事とわかり、ようやく腕の拘束を緩めた銀一が、チラッと天野に視線を遣る。

「仕事終わりにスマホを見たら、天野くんからメッセージが入っていたんだ。ものすごく悲痛な声で『六花の体調が急に悪化して……そこら中を氷漬けにしながら、とても苦しそうにしています。急いで帰ってきてください』なんて言うから、もう焦って焦って。何度電話しても天野くんは出てくれないし、自転車を死に物狂いで漕いで帰ってきたんだよ」

 車を所持していない銀一は、基本的に自転車通勤だ。
 玲央奈はこれこそが天野の策かと悟る。

(なんというか……清彦さんらしい、意地の悪いやりかただわ)

 銀一は天野に「ね、ねえ、天野くん! あのメッセージはなんだったんだい!?」と問い詰めるが、天野は「なんのことか、俺にはサッパリですね」と軽く躱している。

「ウソにしてもひどいよ、天野くん……僕は六花が一大事だと思って、死ぬほど焦ったのに……」
「……ギンは、えっと、私のために、そんな必死になったの?」

 まだ半信半疑といったふうに、法被の裾を掴んで六花は尋ねる。
 銀一は乱れた髪をさらに片手でぐしゃぐしゃと乱しながら、「当たり前だよ」と深い息を吐いた。

「六花が僕のこと、嫌っているのはわかるよ。まだまだ六花の親代わりとして頼りないもんな。でも僕はもう家族として、君を大事にしたいんだ。……これはあんまり、六花に話すつもりはなかったんだけど」

 銀一は床に膝をついたまま、六花と目をあわせてへにょりと眉を下げる。

「遠縁の君を引き取ったのは、最初は半妖の子なら半妖の僕が育てなくちゃっていう、義務感からだった。僕は女性にはまったくモテないし、独り身生活が寂しくなってきていたのもある。……だけどさ、六花と住むようになってから、僕は六花のことが可愛くて可愛くて仕方がなくなってきてさ」
「か、可愛い? 私が?」
「うん。娘がいたらこんな感じかなって、いつもどうしたら六花が喜ぶか考えているくらい、僕は六花が可愛いよ。本音を言えばもっと甘えてほしいし、もっと一緒に遊んだり出掛けたりもしたい。できるならこの土日だって、仕事を休んで僕が四六時中看病したかったんだ」

 銀一が思っていた以上に立派な親バカで、彼の内心を黙って聞きながら、玲央奈はちょっと呆れてしまう。
 横を見れば天野もやれやれという顔をしていた。

「だからね、六花が僕を嫌いでも、僕は……」
「き、嫌いじゃない!」

 六花は裾を掴む手に力を込めて、ガラス玉のような瞳に涙を溜まらせる。幼い肩は痛々しいくらい震えていた。

「私はギンのこと、嫌いじゃないよ! 一度も嫌いなんて言ってないもん! ぎゃ、逆だから! 頼りないのは本当だけど……って、ち、違うの! そうじゃなくて! 私はギンのことが、す、す、す」

(頑張って、六花ちゃん!)

 勇気を持って本心をぶつけようとする六花に、玲央奈は声には出さずエールを送る。ここは彼女の頑張りどころだ。
 やがて吹っ切れたように、六花は「好きだよ!」と叫んだ。

「私はギンのことが好きだよ! 大好きだよ! 嫌いなわけないじゃん、バカギン! ギンのお家に来られて良かったし、ギンと家族になれてとっても嬉しいよ! でもギンの方こそ、可愛くない私のことなんて嫌いになって、わ、私また、捨てられるんじゃないかって……不安で……っ!」
「す、捨てるわけないじゃないか! 家族なんだから! それにさっきも言ったけど、六花は可愛いよ! 世界一可愛い、僕の娘だ!」
「うっ、ううううう」

 涙腺がついに決壊した六花は、ボロボロと大粒の涙を落として泣いている。
 そんな彼女を、銀一は辛抱たまらないといったふうにまた抱き締めた。六花も今度は、おそるおそるながら銀一の体に腕を回す。

「家族……私とギンは、家族なんだね。これからもずっと一緒にいられる、家族なんだね」
「ああ、ずっと一緒の家族だよ」

 それはすれ違っていたふたりの気持ちが、ピタリと重なった瞬間で、六花はまだわんわんと子供らしく泣いているし、銀一ももらい泣きし始めている。
 その光景に、玲央奈はホッと安堵の色を顔に乗せた。
 天野が腕を組んで口角を緩める。

「これで問題は見事解決かな、俺のお嫁さん」
「はい……今回は旦那さまのウソが決め手でしたね。銀一さんを騙(だま)した演技力、さすがです」
「主演男優賞ものだろう?」

 そう嘯く天野はしたり顔だ。
 抱きあったまま磁石のように離れない雪谷親子を見つめながら、玲央奈はここは軽口を叩かず、「そうですね」と柔らかく頷いたのだった。
「この度は、おふたりには大変お世話になりました」
 玄関にて。
 靴を履いてドアの前に立つ玲央奈と天野に、銀一は框の上からかしこまって頭を下げた。その横では、ぴっとりと銀一に寄り添って、同じように六花もペコリと頭を下げている。

 わだかまっていた問題が文字どおり雪解けしたふたりは、もうなんの気兼ねもなく仲良し親子になれたようだ。
 どちらも泣きすぎて目が赤いのはご愛嬌である。

「こちらこそ、楽しくこなせた依頼でした。なあ、玲央奈?」
「はい。六花ちゃんともまた遊びたいです」

 天野と玲央奈の返答に、六花は「おにいさんたちなら特別に毎週来てもいいよ」なんて、ツンデレのツンを若干残しながらも、いじらしいことを言ってくれる。

「おねえさんに、ギンは料理を教わればいいと思う」

 それはちょうど、玲央奈も考えていたことだ。

「玲央奈さんにっ? う、うーん、わかったよ。僕も六花のために、もっと料理から修行するな」
「そうして。早くまともなオムライス作って」
「ぜ、善処するよ」
「……私も料理、覚えるし。私と一緒になにかしたいんでしょ? 覚えたら、一緒に作ってあげてもいいよ」
「っ! それはいいな! ふたりで作ろう!」

 親子のやり取りにほのぼのとした空気が流れたところで、天野がそろそろお暇しようと、ドアノブに手をかける。
 だがそこで、銀一が「あっ!」と声をあげた。

「そうだ、今回のお礼をしたくて、おふたりにぜひ提案させてほしいんだけど……!」
「特にお礼などはけっこうですよ」

 天野は辞退しようとするが、すかさず銀一は「提案だけでも聞いてくれ!」と前のめりになる。

「もし良かったら、今月の三連休――うちの宿にふたりで泊まりに来ないかい? もちろん温泉と食事付きの全額タダで!」

 その申し出に、天野は存外興味を惹かれたらしい。
 おもしろそうに「ほう、あの『真宵亭』にですか?」と切れ長の瞳を光らせる。

「真宵亭って、銀一さんの職場ですよね? その法被の……。やっぱり温泉宿なんですか?」
「ああ、玲央奈はまだ知らないんだったな。温泉宿で間違いはないが、ただの宿じゃないぞ。真宵亭は半妖専門の温泉宿だ」
「半妖専門?」

 そんな宿があるのかと、玲央奈は純粋に驚く。
 銀一はニコニコと説明してくれる。

「半妖である現女将が数十年前に立ち上げた宿でね。このアパートの近くの山の中にあるんだけど、僕は縁あって二代目の番頭を務めさせてもらっているんだ。半妖専門といっても、こっちの事情に明るければ普通の人でも、たまに一部の名持ちのあやかしまで、女将さえ許可すれば泊まれるよ」
「こちらの界隈では有名で、皆こぞって一度は泊まりたがる人気宿だな」

 補足を入れる天野はけっこう詳しい。
玲央奈が泊まったことがあるのかと尋ねれば、泊まったことはないが、高齢の女将がオババ様の知りあいだそうだ。

(なるほど、納得)

 オババ様はあやかしなど無関係な人の間にも、半妖の人の間にも、とにかく人脈が広いおかたである。

「でもそんな人気なのに、私たちを飛び入りで、しかもタダで泊めちゃってもいいんですか……?」
「六花を天野くんたちに預けたことを女将に話したら、女将から『お礼におふたりを招待してはどうか』って言われたんだよ。前々から天野くんに会ってみたかったらしいし、女将は六花のことも可愛がってくれているから」
「……女将さんは、ちょっと変だけどいい人だよ」

 六花がボソッと呟く。

 聞けば、宿側に余裕があるときは、銀一が六花を職場に連れていって、宿のメンバーに面倒を見てもらうパターンもあるという。
〝変〟という単語が玲央奈としては引っかかったが、半妖の者は一番身近な天野や稲荷を含め、変わり者が多い気がするので、あえて突っ込んでは聞かなかった。普通の人とは違う力があるせいか、やたら個性的なのだ、彼らは。

「それにちょうど、何件かキャンセルが出ていてね。比較的近隣から来る予定だったお客さんばかり、急に。たまたま重なっただけだとは思うけど」

 少し困ったように笑いつつ、銀一は「だからどうかな?」と改めて天野たちに問いかける。

「今なら宿周りの紅葉も見頃だよ。このシーズンに泊まれるのは、僕が言うのもなんだけど相当ラッキーだよ」
「紅葉ですか……」

 きれいだろうなと思い浮かべる玲央奈の顔を、天野がひょいっと覗き込む。

「俺は話を聞いて、お言葉に甘えるのも悪くないと思うが、玲央奈はどうだ? せっかくの三連休だし、君が行きたければ旅行気分でありがたく泊まりに行こう」
「そう、ですね……」

 玲央奈は迫る端正な顔に仰け反りつつ、しばし考えてみた。
 あやかし関連のお宿という点は、若干怖くもあり、同時に好奇心が擽られるところでもある。

 またあやかし云々とは別に、旅行をした経験が皆無な玲央奈には、単純に温泉宿に泊まれる事実だけで心惹かれた。

(子供の頃も、お母さんと旅行らしい旅行なんてしたことなかったし……。呪いを受けてからは、旅先であやかしに絡まれたら危ないし、不安で機会があっても自分から断っていたものね)

 そのため玲央奈は、中学も高校も、修学旅行をあえて欠席した。旅行の話で盛り上がる同級生たちを、クラスの隅っこで眺めるだけだった。
 そんな苦い思い出を、今になって塗り替えられるかもしれない。

 それに……。

(清彦さんと温泉旅行っていうのも、楽しそう、かも)

 玲央奈は柄にもなく浮足立ってきて、気づけば「私も行きたいです」と了承の返事をしていた。

「良かった! じゃあまた、詳しいことは連絡するよ!」
「……楽しんできてね、おにいさん、おねえさん」

 満面の笑みの銀一と、ツンを引っ込めた六花に見送られ、玲央奈たちは彼らの部屋を後にする。
 ドアが閉まった途端、天野が玲央奈の耳元で甘く囁いた。

「夫婦になって初めての旅行。つまりは新婚旅行だな、俺のお嫁さん?」
「しっ……! ま、まず夫婦じゃないですし、新婚旅行でもありませんから!」

 ――こうして玲央奈たちは、天野いわく〝新婚旅行〟に思いがけず臨むことになったのだった。

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