「現実となったというのに、変な規則は残っているんだな」
「規則……ではないと思います。習慣みたいなものですね。本来必要ないにもかかわらず、食事という行為を行う先生も似たようなものかと」
「彼らに自我は?」
「先生の中にあります」
今城先生は、ほんの少し残念そうな表情を見せた。
所詮は作り物。
作り物の現実。
「自我を与えたいのであれば、それを望めばいいですよ」
「作り物の自我を?」
「ええ。私と違って、本物ではない自我です」
「それじゃあ、意味ないな」
彼はこう思っている。
これでは睡眠時に見る夢の方がずっといい。
夢は思い通りにならないから。頭の中で動くものだとしても、自分には相手の動きに想像がつかない。
今も似たようなものなのに。
少し違う。
想像通りに動かなくても、自分の中の見えない理想通りに動いてしまう。
迷惑だ。
願いを叶えてくれた神様の、ほんの少しの嫌がらせなんて……。
3
ああ……これはピンチだ。
この現実でのここ数日、今城先生の散財は凄まじかった。四百万円あった資金が、今はゼロが二つも消えており、まもなく三つ目が消えようとしている。
そもそも四百万程度で学校を運営しようというのが狂っていると、以前の現実でも彼はぼやいていた。文句を言っても資金が増えるわけではないからか、今は大人しく授業料の徴収日を待っている。現在進行形で赤字運営。設備の維持費、教師陣への給料を泣く泣く支払う未来。
「寄付金の五十万円はどうなさったのですか?」
「見ていたくせに何故聞く」
「口に出すことで失敗を見返し、同じ失敗を繰り返さないようになるかと。新しく追加された飼育動物、ライオンとチーターの購入は、直ぐに必要なものではなかったと思いますので」
「君が言ったら見返しにならないじゃないか」
全くもってその通り。我ながら矛盾している。代弁したのは彼が口に出す気がないことが伝わってきたからだ。それなら私が言って聞かせた方が、少なくとも小さな反省には繋がるかと判断を切り替えた。
「ありとあらゆる設備を揃えたい気持ちは分かりますが、唐突な生き物の乱入によって生徒達は混乱しています。このままだと来年の入学者数は今年よりも少なく、創設時よりも大きくなった今、大損害に繋がります。最悪存続の危機。早急に立て直さなくては」
「とはいえ金がないと何も出来ない。今の資金では、設備の一つも立てられないのが現実だ」
「設備を増やしたところで、維持費が増えるだけで資金の調達には繋がりません」
今必要なのは、大きな資金徴収源。運営ゲームで資金を集めるポイントは入学費、部活動の高成績、寄付、そして最も大きいのが――
「授業料です。残り僅かな資金で少しでも授業料を上げましょう」
授業料は生徒の数だけ支払われる。一つの教科だけ千円上げたとしよう。生徒が百人いれば十万円も多く徴収出来る。十万円だけとも言えるが、それが五教科となれば五十万円。運営したての貧しい財布には救いの資金だ。
授業料は授業のレベルを上げることで自動的に上がる仕組みになっている。授業レベルを上げるには、雇用している教師のレベルを上げるのともう一つ、難易度の高いテストを生徒に受けさせ、一定の合格ラインをとらせること。
「いずれも資金が削られることに変わりはありませんが、教師のレベル上げは今はやめておきましょう。一人のレベルを上げたところで大した結果は得られません」
「となると、テストか……。大体一教科用意させるのに樋口から諭吉は消える。現実的には安すぎるものだが痛いな。失敗が許されない」
「そうです、絶対に失敗は許されません。なので確実に合格してもらうために――」
「優秀な生徒にテストを受けさせる、だろ?」
中間考査や期末考査とは違う、授業レベルのアップという学校の裏事情により行われるテストは全校生徒に受けさせるものではない。
おもに学校側が、今城先生が受験生徒を選べる。
確実に合格出来る、学校なんて場に通うのはお飾りとも言える優秀な生徒を選び、お願いし、テストを受けてもらう。
この学校の生徒達は、今城先生の運営方針に関わるお願いを決して断らない。
そういう風に、今城先生によって作られている。
無意識に。
「あなたは……気付いているのですか……?」
――この現実が、どういうものなのか。
「ユウ?」
「……いえ」
今城先生は、削られる資金が少なめの理科にしようか社会にしようかで悩んでいるようだ。レベルの高い生徒達はどちらの方が得意なのか、得意な者が多いのか、情報が記された名簿と睨めっこをしている。
助けてあげないといけない。
「メイン科目もいいですが、目的は資金を潤わせることですよ。一番安く済ませられる副教科にしましょう」
私の役目は彼のガイド。彼だけのガイドだ。
本業をおろそかにはしてはいけない。
個人的な疑問を問いかけるのは、今である必要はない。
問いかけられることも、彼は望んでいない……気がした。
4
「行事は何をなさいますか?」
言いたくないことを口に出した。
ガイドとしては言わなくてはならないため、言わずに済ませることは残念ながら出来なかった。
今城先生はやはり、目を細めてあからさまに嫌そうな顔を示す。前の現実で、仕事以外では丸一日中ゲームをしていた彼は根っからのインドア派だ。人付き合いも必要最低限に留め、集団行動を好まない。学生のときもそうだったのだろう。今彼の脳内ではきっと、学生時代の面倒な行事メモリーが途切れ途切れに再放送されている。ディスクは傷み、フル再生は幸い叶わないと推測。
「生徒達の行事ですよ? 今城先生はいつも通りここから観察するだけです。生徒の成績やステータス、設備のチェックとか色々。やるべき事は数えきれません」
「そうだった……。この学校で僕は行事に参加しなくていい。前準備も当日準備も作業も後片付けもしなくていいんだ」
「そんなに顔色を悪くして、頭抱えるほど嫌がらなくても……」
面倒くさいのは分かるが、行事の日は授業がない分身体的疲労はプラマイゼロだったと記憶している。
「生徒達の達の思い出作りのために貢献、立派でしたよ先生」
「全員が全員楽しんでいたわけじゃない。ああいうイベント行事を僕のように地獄だと感じる者もいる。実際に僕は学生時代、良い思い出とは感じなかったし感じたであろう良い思い出は全て記憶から葬り去られた」
「嫌な記憶ほど覚えていて、良い記憶は忘れるものですからね」
「そもそも学校行事なんてやる意味あるのか。特にこの学校で行う行事は生徒達の思い出作りのためというよりも、入学希望者を増やすためのアピールだろう」
「否定出来ません」
「よく保護者からクレームが来ないな。行事の開催も授業料に含まれてるというのに」
「それは先生がクレームを望んでいないからです」
――望みますか?
目で問い掛けた。
「……まあ、日々強制的に勉強させているのだからたまには息抜きをさせてやるのもいいだろう」
「では、この時期の行事は何を開催するか選んでください」
手書きのリストを手渡した。必要予算と現在の資金を比較し、学力系や体育会系等どの層にアピールするかを考え、なるべく多くの生徒達が好みそうなものを選ばなくてはならない。
「文化祭は今から準備しても大した規模にはならないから却下。これだとマイナスアピールにしかならない。修学旅行って……三年しか参加出来ないだろ」
「一、二年は林間学習にすれば良いのです」
「宿泊先もプランも直ぐには立てられない。却下!」
修学旅行もなしに卒業する三年生……可哀想に。
この人は自分が修学旅行に行きたくない人間だから、修学旅行が重要なものだとは考えもしていないのだろう。相手の気持ちになって考えることが出来ない人ではないのに、そのようなことを口に出すということは、ただの言い訳の一つとして使用しているだけの可能性もある。
だけどその場合、修学旅行を開催する意思があるということ。今城先生からそんな様子はさほども感じられない。今城先生の中で、修学旅行をいうものは必要不可欠どころかなるべく開催してあげたいと思わない、優先順位の最下層に位置づけられているのだろう。
その考えを覆してあげたいところだけど、計画を立てる時間がそんなに無いのも事実。今日は特に何も反論せず、私は先生に選択を求めた。
「自分で書いておいてなんですが、百人一首祭は冬休み後の方がよろしいかと。短期で用意出来る者に絞って、体育大会か合唱コンクール、映画鑑賞会あたりはどうでしょうか?」
「体育祭は短期で準備出来るか?」
「体育大会です、先生。走って跳んで投げて蹴って打つだけなら準備は白線と道具を出すくらいで済みますよ。日差しを我慢させるのが可哀想だと思うならテントの設置も追加で」
「えらく適当だ。そんな規模の体育祭は却下だ、ユウくん」
「これでも今城先生が小学生だった頃の運動会を参考にしたんです。体育大会ですよ、先生」
「運動会と体育祭を一緒にしてはいけない。参考にするなら高校時代の体育祭にしなさい」
「ですから体育祭ではなく体育大会です。今城先生の経験は体育祭で正解です。あの頃の体育祭の規模は小中学のときとは比べものになりませんでしたね。まさか競技場を貸し切るとは、驚き桃の木でした」
「お金だけは無駄にある学校だったからな。日陰の観客席から優雅にくつろげて、快適だった。競技への参加もサボったところでお咎めなし、そもそも気付かれたかどうかも分からない」
「でも私は……小学校の頃の運動会が一番楽しかったです」
日陰が無く、生徒達は常に日差しの下か雨の下。エレベーターが使えず階段で自分の椅子を運動場に下ろし、終わった後に土で椅子の足を拭かなきゃいけないのを承知上でそこに腰を降ろす。昼食時は皆がにぎわって家族と行動を共にする。家族が来れなかった家は友達の家族に混ぜて貰う。
私は今城先生と二人きりで過ごした。先生は寂しさを紛らわすために、私に沢山話しかけてくれた。彼にとっては最も嫌な体育行事だけれど、それが私にとっては最も楽しかった体育行事だ。
私は先生にとって思い出したくない思い出を掘り返してしまった。先生は私を怒らない。何も言わない。でもその話を続けられたくないようで、逸らした。
「合唱コンクールは嫌がる生徒が多い。大きな声が出せない者や、音程が取れない者は勿論、人前に立つのが苦手な背の低い生徒は、最前列になったとき当日の世界が地獄に変わる。消去法で映画鑑賞会だな」
何を上映するのか。興味の無い映画だと眠りの世界に入るだけ、学習系の内容は却下された。今城先生は生徒全員が知っているであろう、猫型ロボットアニメを選択した。
映画鑑賞会なため、正しくはそのアニメの映画をだ。
5
三学期になり、三年生達の進路指導は大詰めになる。進学を希望する生徒がいれば就職の道を選ぶ生徒もいる。
学校の評価を考えると、進学するなら難易度の高い学校を、就職するなら大手の就職先を希望し、その夢を叶えてほしいところだ。しかし生徒のレベルや能力を学校側が上げるには限界があり、ましてや学習へのやる気なんてものは下手に関わると下げるだけとなってしまう。
結局のところ、学校というものはサポートに過ぎない。生徒個人の努力で進路は決まる。
努力をしても報われない生徒だっている。
「また、進路指導か……」
今城先生はそんな生徒達に再度進路指導を受けさせる。でなければ彼らは浪人、もしくはフリーターという道を歩まなくてはならなくなり、学校の評価も落ちてしまう。
「合格率八十パーセントを切っている生徒は、大事をとってもう少しレベルを下げさせたほうがよろしいかと思います」
「いや、八十も怪しい。八十パーセントで去年も落ちたやつが数人いただろ」
「ええ。ですが、今城先生の精神面の負担は少なく済みます」
報われない生徒達に、君が希望しているところは難しいと伝えるのはわりと心苦しいらしい。プレイヤーの今城先生は判断を下すだけで、それを伝えるのは教師陣の役割なのに。先生は苦しいと言う。感情移入をしてしまっている。
今の現実を現実呼ばわりするだけのことはある。
「嫌な仕事より、生徒のことを考えてあげるのですね」