降りやまぬ豪雨が、見る間に湖の水位を上げていくかのように見える。ルーゼ湖の湖水は、暗い色をしており、雨が激しい水紋を描いている。
そんな中を、一艘の小さな舟が三人を乗せて北へ進む。飛び込んでくる雨水のために、目を細めながら、ラウルとオルヴィズは必死で櫓を漕いだ。
「止みそうにない」
空を見上げながら、オルヴィズが叫ぶ。雨音が激しく、会話をするのも困難なほどである。ラウルとオルヴィズは憲兵隊から支給された若草色のマント、アリスティアは相変わらず青みのかかった魔道師のマントを身に纏い、雨をしのいでいた。雨水に濡れることはないが、大粒の雨は身体をじんわりと冷やし、少しずつ体力を奪っていく。
二人の男が懸命に舟を進める中、アリスティアはひとり、手に何かを握り締めながら、小さな声で言葉を唱え続けている。激しく叩くように降る雨も、彼女の集中を妨げることはないようだった。
「赤い屋根が見えてきました。船着場はすぐそこです」
土砂降りの雨に遮られ、視界は悪かったが、船着場のそばにある小さな小屋の赤い屋根がぼんやりと見えてきた。船着場は、既に水に洗われ始めており、舟をつなぐ杭だけが、水面から突き出ていた。
「岸に引き上げておいたほうが良さそうだ」
三人はひざ下を濡らしながら、舟を降り、湖岸に舟を引き上げ、立ち木にロープを結んだ。舟底に見る間に雨水が溜まっていく。轟々と降り続く雨は、対岸よりさらに強くなっているように感じられる。
「こちらです」
ラウルは、森の中に伸びてゆく、緩やかな上り坂を示した。
道は小さな川のようになっていた。水位こそ、くるぶしほどだが、かなりの水流で湖へと流れ込んでいく。小石の多い足元は、かなり滑りやすく、道の判別もつきにくい状態になっていた。
「足元、滑ります。気をつけてください」
ラウルは、慎重に周りを見渡した。何度も来た場所なのに、まるで別の場所のような錯覚を受ける。
「これは酷いな」
オルヴィズの提案で三人はお互いをロープで結び、アリスティアをはさむようにして、一列に並んだ。
先頭に立つラウルは、拾い上げた木の棒で体を支えるようにして、慎重に歩みを進める。降り続ける雨が、木々の葉をたたく音と、地表を流れる水音で、何も聞こえない。平坦でないその道は、ほんの少し雨水の流れが速くなると、とたんに、歩くのが困難になる。流れの激しさを受け止めるラウルを、他の二人が後ろから支えながら、亀のような速度で歩く。
やがて、日が落ちてくると、既に暗かった森の中は、あっというまに闇に呑まれてしまった。
「あと、どれくらいかしら」
ランタンに灯りを入れるために立ち止まると、アリスティアが訊いた。女性の身でこの道のりはかなり辛かったと思われるが、彼女はそんなそぶりを見せようとはしない。ただ、声にいつもの張りはなく、どことなく疲れを感じさせた。
「もうこの丘を登りきれば、すぐです」
闇の中でぼんやりと丘の頂点が遠くに見える。あと一息、と思うには、まだまだ遠いが、ウンザリするほどではない。ラウルは、無理に笑顔を作ってみせた。
「いつもなら、ひとっ走りって距離ですよ」
疲労は極限に達しようとしていた。強い雨に叩かれ続け、体は冷えきっており、悪路を進むために必要以上の体力を要している。天を仰いでも雲は厚く、雨のやむ気配は全くなかった。
「竜だわ」
静かにアリスティアが天の一点を指差した。
暗闇の中を青白い光を放ちながら、舞うように飛ぶものがそこに存在していた。それが体をひねるたびに、雲は黒く引き寄せられ、大粒の雨を落としていく。
「あれが……竜」
ラウルにとって、初めて見るものであった。
それは、災いをもたらしているにもかかわらず、禍々しさは感じられなかった。むしろ、青白く発光するその銀色の肢体は神々しさに満ちている。
魔のことわりに生きるものであり、そして、神の御使いでもあるそれは、歓喜に踊っているかのように、天を舞っていた。
「間違いないわね。メイサよ。どういう方法を使ったかはわからないけれど、あの竜を呼んだのよ」
アリスティアの言葉を聞きながら、ラウルは魅入られたように竜を見つめた。
ロキス神が善でも悪でもないように。竜もまた、どちらでもないのだ。
人知を超えた力を持って、そこに存在しているだけで。吉事も凶事も、あくまでひとの心の形から生まれるのだと思えた。
三人は再び、悪路を進み始めた。小さなランタンの灯火に照らし出され、大地を這うように流れる水が鈍く反射する。
永遠とも思える闇の中を進み、丘の上に近づくと、視界の先に小さな明かりを認めて、ラウルは歩みを止めた。
「神殿の入り口に、誰かいるようです」
三人は、持っていた灯火を消した。息を潜めるように、慎重に明かりのほうへ向かうと、洞穴の入り口に、篝火が焚かれていた。
目に見える位置に、二人の兵士の姿が確認できる。そして、もっと多くの人間の気配が感じられた。
「どうします? 他に出入り口はありません」
ラウルは、木の陰に身を隠しながら、振り返った。
「中に入れば、分かれ道も多く、身を隠すこともできますが」
天然窟を使用しているだけに、使われていない場所も多い。何人の兵が詰めているかわからないが、洞窟の全てを埋め尽くしているとは思えなかった。
「時間がない。突入するしかあるまい。怪我をせぬように、タイミングを見計らって、二人は走ってください」
オルヴィズはそういうと、背負っていた荷物をラウルに渡した。
「アリス様、場合によっては援護をお願いします」
「わかったわ」
闇に身を潜めながら、オルヴィズがゆっくりと篝火に向かって進むのにあわせ、ラウルとアリスティアは間をあけながら、後を追った。
そんな中を、一艘の小さな舟が三人を乗せて北へ進む。飛び込んでくる雨水のために、目を細めながら、ラウルとオルヴィズは必死で櫓を漕いだ。
「止みそうにない」
空を見上げながら、オルヴィズが叫ぶ。雨音が激しく、会話をするのも困難なほどである。ラウルとオルヴィズは憲兵隊から支給された若草色のマント、アリスティアは相変わらず青みのかかった魔道師のマントを身に纏い、雨をしのいでいた。雨水に濡れることはないが、大粒の雨は身体をじんわりと冷やし、少しずつ体力を奪っていく。
二人の男が懸命に舟を進める中、アリスティアはひとり、手に何かを握り締めながら、小さな声で言葉を唱え続けている。激しく叩くように降る雨も、彼女の集中を妨げることはないようだった。
「赤い屋根が見えてきました。船着場はすぐそこです」
土砂降りの雨に遮られ、視界は悪かったが、船着場のそばにある小さな小屋の赤い屋根がぼんやりと見えてきた。船着場は、既に水に洗われ始めており、舟をつなぐ杭だけが、水面から突き出ていた。
「岸に引き上げておいたほうが良さそうだ」
三人はひざ下を濡らしながら、舟を降り、湖岸に舟を引き上げ、立ち木にロープを結んだ。舟底に見る間に雨水が溜まっていく。轟々と降り続く雨は、対岸よりさらに強くなっているように感じられる。
「こちらです」
ラウルは、森の中に伸びてゆく、緩やかな上り坂を示した。
道は小さな川のようになっていた。水位こそ、くるぶしほどだが、かなりの水流で湖へと流れ込んでいく。小石の多い足元は、かなり滑りやすく、道の判別もつきにくい状態になっていた。
「足元、滑ります。気をつけてください」
ラウルは、慎重に周りを見渡した。何度も来た場所なのに、まるで別の場所のような錯覚を受ける。
「これは酷いな」
オルヴィズの提案で三人はお互いをロープで結び、アリスティアをはさむようにして、一列に並んだ。
先頭に立つラウルは、拾い上げた木の棒で体を支えるようにして、慎重に歩みを進める。降り続ける雨が、木々の葉をたたく音と、地表を流れる水音で、何も聞こえない。平坦でないその道は、ほんの少し雨水の流れが速くなると、とたんに、歩くのが困難になる。流れの激しさを受け止めるラウルを、他の二人が後ろから支えながら、亀のような速度で歩く。
やがて、日が落ちてくると、既に暗かった森の中は、あっというまに闇に呑まれてしまった。
「あと、どれくらいかしら」
ランタンに灯りを入れるために立ち止まると、アリスティアが訊いた。女性の身でこの道のりはかなり辛かったと思われるが、彼女はそんなそぶりを見せようとはしない。ただ、声にいつもの張りはなく、どことなく疲れを感じさせた。
「もうこの丘を登りきれば、すぐです」
闇の中でぼんやりと丘の頂点が遠くに見える。あと一息、と思うには、まだまだ遠いが、ウンザリするほどではない。ラウルは、無理に笑顔を作ってみせた。
「いつもなら、ひとっ走りって距離ですよ」
疲労は極限に達しようとしていた。強い雨に叩かれ続け、体は冷えきっており、悪路を進むために必要以上の体力を要している。天を仰いでも雲は厚く、雨のやむ気配は全くなかった。
「竜だわ」
静かにアリスティアが天の一点を指差した。
暗闇の中を青白い光を放ちながら、舞うように飛ぶものがそこに存在していた。それが体をひねるたびに、雲は黒く引き寄せられ、大粒の雨を落としていく。
「あれが……竜」
ラウルにとって、初めて見るものであった。
それは、災いをもたらしているにもかかわらず、禍々しさは感じられなかった。むしろ、青白く発光するその銀色の肢体は神々しさに満ちている。
魔のことわりに生きるものであり、そして、神の御使いでもあるそれは、歓喜に踊っているかのように、天を舞っていた。
「間違いないわね。メイサよ。どういう方法を使ったかはわからないけれど、あの竜を呼んだのよ」
アリスティアの言葉を聞きながら、ラウルは魅入られたように竜を見つめた。
ロキス神が善でも悪でもないように。竜もまた、どちらでもないのだ。
人知を超えた力を持って、そこに存在しているだけで。吉事も凶事も、あくまでひとの心の形から生まれるのだと思えた。
三人は再び、悪路を進み始めた。小さなランタンの灯火に照らし出され、大地を這うように流れる水が鈍く反射する。
永遠とも思える闇の中を進み、丘の上に近づくと、視界の先に小さな明かりを認めて、ラウルは歩みを止めた。
「神殿の入り口に、誰かいるようです」
三人は、持っていた灯火を消した。息を潜めるように、慎重に明かりのほうへ向かうと、洞穴の入り口に、篝火が焚かれていた。
目に見える位置に、二人の兵士の姿が確認できる。そして、もっと多くの人間の気配が感じられた。
「どうします? 他に出入り口はありません」
ラウルは、木の陰に身を隠しながら、振り返った。
「中に入れば、分かれ道も多く、身を隠すこともできますが」
天然窟を使用しているだけに、使われていない場所も多い。何人の兵が詰めているかわからないが、洞窟の全てを埋め尽くしているとは思えなかった。
「時間がない。突入するしかあるまい。怪我をせぬように、タイミングを見計らって、二人は走ってください」
オルヴィズはそういうと、背負っていた荷物をラウルに渡した。
「アリス様、場合によっては援護をお願いします」
「わかったわ」
闇に身を潜めながら、オルヴィズがゆっくりと篝火に向かって進むのにあわせ、ラウルとアリスティアは間をあけながら、後を追った。