動揺したように、宇宙の中の星が揺らめく。
ああやっぱり綺麗だ。手に入れたい。オレのものにしたい。こんな風に心をさざめかせる様を、誰にも見せたくなんかない。
「キスをしてもいいですか?」
例えばそれが仮初でも。ただ性奴隷として利用されるだけだとしても。それでも良いからこの人の初めての体験を奪いたい。
ようやくイザベラは顔を赤らめた。
「い、イヤよ」
「どうして?」
「そんな必要ないわ」
「必要です」
「交合うだけでいいと言ったでしょう。嘘も慰めもいらないの。私が欲しいのは、交合ったという事実だけ、結果だけが残ればいいのよ」
オレの思いも、オレとの想い出もいらないと拒絶するのか。
「目を閉じて」
「嫌だと言ったわ」
「結果が欲しいのでしょう? だったら、目を閉じて。こういう順番でするものだ」
契約が終わったらオレは捨てられる。わかっているけれど、なにも無かったことになんてできない。
貰った名前を失くしてしまっても、きっと忘れるなんてできない。
自分では欲しがらないくせに、他人には当たり前のように与えてしまう。不器用なこの人を。
イザベラは覚悟を決めたように、ギュッと目を閉じた。唇を噛みしめて、どう考えたってキスする覚悟なんかできていなくて。
欲しがっているのは自分だけだと、まざまざと見せつけられて悲しくなる。
「好きです」
もう一度呟いて、固く閉じた瞳に軽くキスをした。
「おやすみなさい。ご主人様、良い夢を」
それだけ言って立ち上がり、オレは自分の部屋へ戻った。
部屋に届けられたガラスペン。ペン置きも一緒に買ってくれたようで、そこには青い小鳥が付いていた。選んでくれたインクは、オレの瞳と同じ紫。添えられていたのは、真っ白なノートと辞書。
なんであの人は。わからない。
拒絶するなら、もっと手ひどく扱って欲しい。
こんな風に、対等な人間みたいに扱わないで欲しい。
そういうふうにされるから、オレが性奴隷(どうぐ)でいられなくなる。
一人前の男みたいに、あの人に受け入れて欲しいだなんて不相応の夢を見てしまう。
「馬鹿みたいだ……」
呟いた言葉にランプが揺れた。
逃げられない招待状がやって来た。
王宮からの舞踏会の案内状である。賢者となったという叔父からも、必ず来るようにと念押しされてしまったようだ。
セバスチャンはそれをイザベラに伝えると、大きくため息をついた。
「……仕方がないわね」
イザベラは真っ白な顔をもっと蒼白にして絞り出すように言った。
「何時かは逃げられないと思っていました。準備をしてください」
断頭台に向かう罪人のような顔つきのイザベラを、不憫に思ったのだろう、使用人たちがザワザワと騒めく。
「ドレスを作りましょう」
ざわめきを断つようにオレは声を上げる。少しでも空気を和らげたい。
「ご主人様をとびっきり綺麗にするドレスを」
「ジャン、お前が中心になって見立てなさい」
セバスチャンが命じた。イザベラはまだ戸惑っているようだった。
「そして、お前の分の服も一緒に仕立ておくように」
暗に一緒に行くことを命じられる。オレは思わず嬉々として頷いた。
黒い髪に黒い瞳、雪のように白い肌。
シルバーのボールガウンには、惜しげもなく最高級のビーズと真珠を散らして、ランプの光を反射する様は、そこだけ雪が降っているようだ。細いウエストを強調する大きなリボンは、深く艶めく貝紫のレース。長く伸びるストレートの髪には、雪の女王のような真珠の髪飾り。
メイドが磨き上げた肌に、いつもより濃いめのメイクを施されたイザベラは、白雪姫の様に可憐だ。
オレはイザベラにリンクするように、イザベラのドレスと同じ布のポケットチーフだ。
ホールの入り口に立てば、ざわめきが一瞬止まった。まるで、雪の妖精イザベラが音を吸ってしまったかのように、シンとして視線が集まる。
イザベラは表情を凍らせたまま、ただただ様子を見ている。
俺はその細い腰を抱き寄せた。
その瞬間、静寂は一瞬で増幅されたざわめきに変わり、オレ達を包んだ。
好奇心の視線の中で王への挨拶へ向かう。イザベラは特訓の成果を発揮して、そつなく挨拶をこなす。脇に控えていたのはイザベラの叔父らしく、気さくに声をかけてきてくれたので、二人でホッとする。
とりあえず、すべき仕事を終えて王の前から下がれば、好奇心をあらわにしたご婦人に声をかけられた。
「お久しぶりですわね。イザベラ様、社交界にはお出ましにならないのだと伺っていましたが」
「……この度、兄の代わりを務めることになりましたので」
イザベラは表情も変えずに答えた。
「そちらは? 何度かお見掛けしたことがありますが、今のお名前は何というのかしら?」
仕掛けるようないやらしい顔で尋ねてくるメギツネに対して、イザベラはきょとんと瞬きをした。
嫌味がわかっていないのだ。
「ジャンですわ」
「社交界では有名な方でしてよ。愛の悪魔なんて呼ばれていましたが、……実際はどうなの? 離れられないほどお上手?」
メギツネが下卑た顔で笑う。
「私より詳しいのですね」
イザベラは裏もなくニッコリと笑い返した。
メギツネは、憎々し気にオレを睨みつけてドレスを翻した。
性奴隷を脇に従えながらも清廉な物腰のイザベラに、男たちの目の色が変わる。ひしひしと伝わってくる熱視線からイザベラを守るように、力強く腰を抱く。
イザベラはその様子に呆れたように、胸を押して距離を取る。
「もう大丈夫よ、そんなに心配しなくても慣れて来たわ。あなたのおかげであまり恥をかかなくて済みそうよ。……準備してくれてありがとう」
イザベラはそんなふうに笑うけれど、ちっともわかってやいやしないのだ。
「イザベラ嬢」
ダンスの誘いがかかる。イザベラは戸惑うように瞳を泳がせたが、差し出された手を取ってフロアに出る。
今日のために練習してきたダンスは、下手には思われないレベルには育っている。少しの間違いは、長年の引き籠りから考えれば御愛嬌というところだろう。
何人かの相手をしたところで、イザベラがオレの元へ帰って来た。オレは疲れた様子のイザベラに飲み物を用意してやる。
「さすがにここは断れなかったみたいだね」
マルチェロがやって来た。イザベラは体を固く強張らせる。
「僕とも一緒に踊ってくれるだろう?」
「主人は疲れております」
オレが断りを入れれば、マルチェロは不機嫌に顔を歪める。
「本当にお前は躾がなってないな。僕はイザベラと話しているんだよ」
イザベラはうつむいたままだ。マルチェロはその顔をしたから覗き込むようにして顔を近づける。
「ねぇ? イザベラ、もしかして躾けられてるのは君の方じゃないよね」
ギラギラとした瞳、息の上がった声、まるで獣のようだ。
「『ジャン』といったっけ? コイツの評判はすこぶる悪い。かかわった女はみんな身を持ち崩すそうだ。君がそんなものに溺れる女だとは思っていなかったが、まぁ、今回だけは大目に見てあげるよ。叔父様の不幸もあるしね、君が血迷っても仕方なかったさ、でも、目を覚ませ」
イザベラの首筋に嚙つかんばかりの距離で、マルチェロが続ける。
「セシリオは知っているのかい? 君が性奴隷なんかを飼っているってことを。あの家はセシリオのものだろう? 君が食いつぶしていいものじゃない」
「わかっています」
イザベラが絞り出すように答えた。声が震えている。
「ああ、賢い君のことだ。当然わかっているだろう。そんな奴隷を連れて歩いて女主人を気取るより、きちんと結婚すべきだと」
マルチェロは笑った。
「君がその犬を捨て、僕にきちんと謝罪できたら、僕は君の過ちを赦してあげる」
オレはマルチェロの顔を押しやった。
「我が主人は過ちなどありません。失礼します」
イザベラの腰を抱いて、マルチェロに背を向けた。
「いい気になっているお前に教えてやるよ、『ジャン』それはリッツォ伯爵家で昔飼ってた犬の名前だ!」
背中から撃ち抜かれるような言葉に振り返りそうになる。グッと唇を噛みしめて、イザベラの背を押した。