マージナル・ハート

「そう。数学は得意だけど、理科の知識はその辺の高校生と変わらんレベル。こないだ話題に出たスペースデブリっつーのもサッパリだ。飛行士たちはそれの何を調査したかったんだ?」
「そっか。じゃあここは先輩らしくわかりやすい解説をしないとね」
 片手間に猫の腹を撫でつつ、人差し指を立てたあおいはほほ笑んで、
「スペースデブリは、簡単に言えば宇宙ゴミのことだよ。人工衛星とかいろいろ、宇宙にたくさん発射されるでしょ? でも、用途を終えたそれは地球の周りに放置されたまま。軌道上を高速で回るから回収が難しくて」
「ゴミなら放置しとけばよくないか? 宇宙は広いしな、ちょっとくらい汚してもいいって」
「宇宙に漂い続けてくれずに、いつか地球に落っこちるかもしれなくて。それにデブリ同士がぶつかって粉々になれば、地球の周りは増殖したデブリで覆われちゃうでしょ? デブリの危険性を表すケスラーシンドロームってシミュレーションがあるんだけど、それによると人類はいつかデブリで閉じ込められるとも……」
「その状態なら衛星も打ち上げられないか……。なるほど、事の重大さがわかった」
「でもね。私の推測だけど、デブリの調査は単なる口実。たぶん真の目的は、未来都市が高校生の宇宙飛行に成功したっていう功績が欲しかったから……、じゃないかな」
 真っ青な晴天の空を見上げたあおいは言葉にする。猫の喉を擽ると、猫は「にゃぁ~」と心地よさそうに鳴いた。
「犠牲者が出たことは……残念。けど本音を言うと、羨ましいとも思った。高校生で宇宙飛行士になれたことに、あの宇宙に飛び立てるチャンスがあったことに」
「誰だって宇宙には、一度は憧れるもんだ。シンポジウムで久しぶりに思ったけど、高校生で飛行士なんてやっぱ信じられん。どういう生活をしたらそんなチャンスがあるんだろ」
「私だって信じられないよ。だからプロジェクトを研究してくうえで、個人的に知りたいことがあるんだ」
「ほお、どんなことだよ?」
「飛行士に選ばれた高校生と私との違い、かな。どういうことを考えて、どういう毎日を過ごして、何を大事にしていたのかを知りたい。そういう個人的な目標、大地くんもある?」
「そうだなあ、……まだハッキリした目標はない。まあ、宇宙にはロマンがあるし、研究をしながら宇宙の広さは感じたいな」
 幼いころから常に自分を見守る空。広大な地球を包む宇宙という神秘。知りたい、その気持ちは大地の心の中には密かに根づいている。でも、
「あの事故で当分は凍結するのかもな、宇宙飛行プロジェクト。未来都市製のロケットが人を乗せること、下手したら一生ねえのかも」
「残念だけど、そのとおりかもね。今後、未来都市がプロジェクトを立ち上げても、反対意見がたくさん出ると思う」
 だけどあおいは曇りない瞳、引き締めた面構えで、天を今一度見つめて、
「それでもやり遂げてほしいと思うよ。科学の発展のために犠牲が出ても、諦めずに最後まで続けてほしい。成し遂げて、最後に結論を出すことが犠牲者の弔いになるんじゃないかって私は考える」
「犠牲を出してでも、科学の発展が大事なのか?」
「科学が世界を救えるって、救ってくれるって、私はそう信じたい」
 そうか……、大地は簡潔に返答した。毎度のことながら、彼女の科学に対する想いの強さには頭が下がると、大地は素直にそう思う。
「さてと、いい頃合いだし戻るとする――……」
 ベルトに絡んだアクセサリを鳴らすように、ゆらりと腰を上げたその時だった。

「あなたの言っていることは、夢や希望という言葉で正当化した、狂った科学者の戯言よ」

 耳に入ったのは凛とした女の声。そして目の端に掠めた、艶やかな青い長髪。
「あん? ……って、アンタは?」
 声の方を見れば、桜鈴館高校の制服を着た一人の女子生徒がそこに立っていた。くりくりと大きな瞳だが、鋭さを帯びた視線をあおいに向けている。
「犠牲が出ても続けてほしいとは言うけれど。なら仮にあなたの大切な人が犠牲になっても、はたして同じセリフが言えるかしら?」
 黄色い星模様の髪飾りで前髪を留めた、背中の半ばまで掛かる青い髪を手で払った彼女。スマートな体型にもかかわらず豊満なバストを強調させるように、彼女は立つ。
「……えっ、あ……あのぉ……」
 冷たい目つきに怯えるあおい。すかさず大地はたじろぐ先輩の前に立ち、
「おいおい、何者だ? 文句を付ける前に名乗るほうが先だぜ?」
「……〝冷たいお嬢様〟とでも名乗ればいいかしら? 周りが勝手に付けた蔑称だけど」
「冷たい……お嬢様? 聞いたことあるような、……ないような?」
「ともかく中原さん。もう一度言うけど、自分の言葉がマッドサイエンティストそのものであること、自覚したほうがよさそうね」
 突き放すようにあおいに言うと、青髪の女はその場から去ろうと背を向けた。だが、
「――――科学のわがままで奪われることだって、あるのよ」
 最後に一言付け加え、今度こそ彼女は去っていったのであった。
 大地はその後ろ姿にブーイングを放ったが、顔を伏せるあおいへ白い歯を見せ、
「気にすんな、あおい。信念を持つことは大切だと思うぜ……ってオイ!」
 徐々に顔を上げたあおいは、水分を包んだガラス玉のように瞳をウルウルと揺らしていた。
「……うっ、うう……、大地くぅん……」
「な、泣くなって! これしきで泣くようじゃ科学の発展に貢献できねえって! な、なっ?」
「かがくは……かんけいないもぉん……」
 すぐに大地はあおいのふわふわした紺髪を撫でた。髪越しに伝わる温もりが心地いい。
「ガマン、ガマン。あおいは強い子だ」
 撫で続けたおかげか、揺れ動くあおいの瞳も次第に収まりを見せ始めた。
(ほんと泣き虫だな、この先輩は……。これじゃあどっちが先輩だよ。……ま、悪い気はしないけど)
 と、あおいの弱弱しい仕草に喜びを覚えつつも、大地は遠く離れた青髪の女を捉え、
「……、何かあったんか、アイツ? でなきゃあんなこと言わんよな、フツー?」
 凛然と振る舞う後姿ではあるが、同時に一種の“寂しさ”とも呼べるような印象も、薄っすらと覚えた大地であった。

       3

「『話したいことがあるから来てちょーだい』って……。いったい何の用だ?」
 手にする携帯電話のディスプレイには、大地が読み上げた文面が。チャットアプリの研究部グループで、レミから自分宛にメッセージが届いていたのだ。
(ま、どうせ宇宙飛行プロジェクトの件だろけど)
 とりあえずはレミ部長の元へと向かうことにする。
(そういえば……。宇宙と言ったら)
 大地は廊下を歩みながら、ふと思い出す。
 未来都市に来るきっかけをくれた“先輩”のことだ。
(講演の時、いつか宇宙飛行士になりたいって、オレの質問に答えてくれたんだっけ。あの事故があった前の答えだけど、今も変わってねえのかな)
 レミの元へ向かうがてら、大地はきっかけとなったあの日のことを久しぶりに思い返した――……。

 中二の夏。校外学習の一環で、研究者育成の街として名高い未来都市を訪れる機会があった。中学高校問わず、いかなる学校も生徒の学力のレベルが非常に高く、田舎の公立中学校に通う大地にしてみれば、この機会に行く以外に縁のある街ではないだろうと考えていた。
「さっさと終わんねえかな~」
 脱力した背中をパイプ椅子に預け、退屈な声を漏らした大地。同級生の友達もそれに同調して笑う。
「そろそろ始まるか。長くならなきゃいいな」
 そして始まったのは公演。“主役”の登場の前に、初老の男性が壇上で話している。
 なんでも未来都市の中学に通う三年生の生徒が、街で過ごす日々をこれから語るそうだが、
(未来都市って勉強のイメージしかねーし。どうせオレたちの学校と変わんねえ……いや、それ以上に教師がウザそうだ。どうせ退屈な街だろ。あー、はよ帰りてー)
 大地の興味はこれっぽっちもなかった。どうせ優等生のつまらない体験談だ。
(ん? どうした、壇上に釘付けになって?)
 周囲の同級生の異変に大地は気づく。居眠りもせずに、妙に壇上に集中している。ははーん、さては教師の巡回にビビったのか? しかし周囲を見ても、そういうわけではない。首を捻り、彼らの視線の先を追うと、
「…………」
 壇上で立つ少女を捉え、大地はごくりと息を呑んだ。
(メ、メッッッチャかわいいじゃん!?)
 赤い髪は首元に掛かる長さで、目鼻立ちは整っており、万人受けするクセのない顔立ちをしている。それこそテレビに映る女優やタレントが顔負けするほどに。
(え、どんな生活してるんだろっ。しまった、いつの間にあの子が話を……ッ。もったいねー、最初のほう聞きそびれちまった!)
 話を聞くに至る経緯は間違いなく下心。けれども彼女が語る未来都市での生活は、話し上手というのもあるが、いつしか下心を払拭させてしまうほどに大地の心を見事に掴んでしまう。
 ――一般的な授業の傍らで同級生とチームを組み『IoT』の研究を進めており、ウェアラブルなシステムを日常に導入することで、不便のない世界を実現させる方法を提案することがチームの目標。未来都市は図書館が豊富で、勉強や調べものをするうえで困ることはない。最先端の研究施設を見学する機会に恵まれた環境。未来都市で研究者として働く両親、そして双子の姉とこの街で暮らしている――
(面白そうだな、未来都市って! けど……今のオレの学力で行けるトコか?)
 講演後、質問をする機会があった。大地は思い切って挙手し、『将来の夢はなんですか?』と質問を投げた。
「夢? えー、言うのはちょっと恥ずかしいな。うーん、笑わないでくれます、か?」
 彼女は照れて頬をかいたが、
「――将来の夢は宇宙飛行士になることです。小さいころから宇宙に憧れて、宇宙でやってみたことがあって、今はそのためのお勉強もしています」
「…………」
 笑う気なんか起きず、それどころか夢を語る彼女がとても眩しく見えてしまい、
(オレだって……っ)

 ……――階段を上った大地はニヤケ面で、
(かわいかったな~、また会いて~。この街に来て半年経つけど、まだ会えてないのが悔やまれる。どこの高校に通ってんのかな? 研究者の両親と暮らしてるらしいし、まだ未来都市に住んでるはずだろうけど)
 講演の途中まで全く話を聞いていなかったせいもあるが、名前を知る機会がなかったのが残念だ。それでは調べるにしても調べようがない。
 レミとあおいが共用で使用する部屋の前で、大地はドアを三度ノックし、
「オレだ、言われたとおり来たぞー」
 すぐに返事はなく、
「ジュース買ってきて~。メロンジュースでおねがーい。じゃないと開けてやんにゃ~い」
 痺れを切らしかけた時に返ってきたのは、ナマケモノがしゃべったらこんな口調ですよ、を見事に体現したようなだらしのない声。
「…………チッ」
 イラッと眉を上げた大地は舌打ちを放ち、勢いよくドアを開けた。完璧とも評してよい快適な室温が大地を迎える。
「あっコラ! パシられてから入りなさいよ!」
 やれやれと、大地は部屋を見回し、
「ジュース? そのコップの中身はなんだ?」
 頭部を飾るチェック柄のリボン、そしてツインテールの金髪がトレードマークなその女子は、ビーズクッションに小柄な身体を埋め、並べたデスクトップ型パソコンとノートパソコンに手を伸ばしながら、首の動きだけで来客者に向き、
「そんだけしか残ってないの。ほら、さっさと買ってきな」
 派手な不良姿に臆することなく、切れ長の碧眼で大地を睨みつけた。
「わかったよ、買ってきてやる。ただし用を済ませてからでいいか?」
「さーっすがは大地くん。よーし、そんじゃこっち来て」
 ニコリと八重歯を覗かせたレミは、手のジェスチャーで後輩を招く。
「あおいは今日も悩み中か?」
「そうね、気分転換に外行ってるわ。はい、ここに座って。座布団はないからこれでガマンしてね」
 布きれのような敷物の上に座らされた大地。自分はふわふわクッションのクセしてゲストに無礼だろ、とでも文句を付けたくなったが、後始末が面倒なのでここはグッと押し黙った。
「それでレミ、オレを呼んだ理由ってなんだ? 宇宙飛行プロジェクトの件でか?」
「ザッツライト。大地にはまだあのUSBメモリのデータを見せてなかったでしょ? アンタにも一度目を通してほしくて呼んだわけ」
 ノートパソコンを操作するレミ。ちなみにデスクトップ型のディスプレイには、蟻のようなプログラミング言語が何百行に渡って記述されている。
(何がなんだかサッパリ。プログラミングの腕は確かなんだよな。やっぱすごいわ、この先輩)
 大地の視線に気づいたのか、
「ふふん、電子ドラッグのコードよ。モルモット役はまず大地ね」
「イヤに決まってんだろ、コラッ! 誰がモルモットになるか!!」
「冗談よ。そんなの作れるわけないでしょ。これはARを操作するアプリのコード。開発途中だけどこんな感じのアプリよ」
 レミが紙のマーカーにスマートフォンをかざすと、ディスプレイに無地の箱が現れる。彼女がその箱を指でなぞったら、それに合わせて箱は動いたり形を変えたりした。
「大した使い道はないわ。ARに触れたら面白そうだなーって、遊び半分で開発してるのよ。本題の話をするために準備するからちょっと待っててね」
「わかったよ。……て、ん?」
 写真や書類などの資料が床に散らかっていることに気づいた大地。
「ああ、それ? こないだのシンポジウムでね、学生研究員がくれたのよ。宇宙飛行プロジェクトの研究の参考にしてくださいって」
 ふーん、とレミの準備が整うまで資料をパラパラと拝見する大地。すると――……、
「……。どこかで」
 手を止めたのは四枚目の写真。背の高い白いロケットの前で、ヘルメットを除いた宇宙服を着て写真に納まる人物を発見する。あくまでロケットが主役の写真で、人の映りは悪い。けれど、思わずその人物に目を凝らして、
(赤髪……女? ぼんやりしてるけど、この顔立ち……)
 ――この未来都市に越して約半年が過ぎ、あの赤髪の少女とは一度も顔を合わせていない事実。そして彼女の夢は宇宙飛行士になること。
(この人、まさか――――ッ)
 写真を見つめながら青ざめる大地の顔を、レミは訝しげに覗き込み、
「どしたの? 何か悪いものでも映り込んでた? え、幽霊とか? ちょっとやめてよ」
「この赤い髪の人、知ってる人かもしれなくて……」
「マジで? この赤い髪の?」
「そうだ。……いや、映りが悪いし違う可能性のほうが高いんだろうけど……」
「この子が大地の知り合いかどうかは置いといて。ちょうど私もその子に絡んだ話をしたかったところよ」
「どういうことだ?」
 写真から顔を上げた大地の視線をディスプレイに誘導させたレミは、一通りキーボードを叩いて本題を切り出す。
「シンポジウムの日にも言ったけど、宇宙飛行プロジェクトを突きとめる鍵にARを挙げたわよね? そこでこれ、大地に見てほしいもの」
 黒背景に、数十行に渡る白い文字の列が画面に連なっている。すべてが英数字の、目で追うだけでも頭が痛くなりそうな量だが、その一行目だけはなんとか追う気になれ、
「Kakucho-Sensen――……。……かくちょう、せんせん?」
「そうよ、〈拡張戦線〉。この暗号じみた文字をすべて解析したわけじゃないけど、〈拡張戦線〉が《NETdivAR(ネットダイバー)》を応用した体感型のゲームってことはわかったわ。ネットワークが張られたエリアに出るARのモンスターを倒すっていう、なかなか面白そうなものよ。で、これを見て」
 そう言ってレミは画面を切り替える。プレイ映像のキャプチャだろうか? 緑色のビーム状のラインが幾多に重なる中、巨大なARの蜘蛛を相手に武器を構えるプレイヤーたち。レミはその映像からある一点を拡大すると、
「赤い……髪の。それにこの顔……」
 先ほど見たロケットの写真よりも鮮明に顔が写っている。今度こそ見覚えのある顔だ。
「ええ、これに映ってるのよ。画像の更新日時は宇宙飛行の日よりも半年前だけど」
 まさか宇宙飛行プロジェクトに、そしてこの〈拡張戦線〉とやらに彼女への手がかりがあるというのか。もしプロジェクトに参加していたとしたら、今はもう、存命ではない?
「《NETdivAR(ネットダイバー)》繋がりでこのデータがUSBメモリにあるんかな。にしても聞いたことねえ、そんなゲームがあれば話題になりそうなのに。よその街で開催されてたのか?」
「少なくとも未来都市(ここ)ではないわ。調べたけど、日本にも海外にもこんなゲームが行われてる情報はなかった」
「そうかー。場所がわかればちっとは研究も進むのになー」
「ゲームエリアに見えるデータはあったんだけどね。これ」
 同じ黒背景に緑と白色のラインで構築されているレミの映したそれは、都市の立体的な3Dデータだ。おそらくゲームのエリア図であり、緑がエリア内、白がエリア外を現しているのだろう。ラインだけですさまじい摩天楼が想像できる。
「見慣れない建物が並ぶけど、この塔ってなんだかアレに似てない?」
「アレ? アレって……」
 少し考えてから、大地はあっと無意識に声を出した。
「ひょっとして」
 窓へ眼差しを飛ばすと、天へとそびえる一本の白き塔――〝未来の記念碑〟が目に触れる。未来都市の中央に建つ、高さ300メートルほどの塔型の記念碑だ。教育、研究施設が連なる平坦な街並みの中、その塔は都市において最も高い建造物である。
「何かと謎の記念碑よね。中に入れそうな扉はあるわ、けれど厳重なロックがかかってるわで。そこまでして護る価値があるのかしら?」
「一応は街のモチーフって役割らしいけどな。ロックの理由はわからんけど」
 そうレミと語らいながら思い浮かべたのは、先日バスの中で見た幻のような都市の光景と銀髪の女。たしか《パラレルレンズ》を掛けた状態で未来の記念碑を視界に入れたことが事の発端だった。モニターに映る摩天楼のようなラインもその連想を強調づける。
「まあ記念碑はともかく、使ってるARが宇宙飛行プロジェクトと同じなら、〈拡張戦線〉の制作チームに接触できれば研究が進みそうだけど」
「だな。〈拡張戦線〉の開催場所と制作チームを調べる必要がありそうだ。少しずつだけど方向性が見えてきた気がする」
 そう口にした大地の顔は、この部屋に入る前にはなかった真剣みを帯びている。
「ん、目の色が変わった? 気のせい? 先生から研究を託された時は、なんとなくって感じだったけど」
「どうだか。ま、知りたいことは増えたかもな」
 もし宇宙飛行プロジェクトが彼女への手がかりになるとしたら。掴んで、そして未来都市へとやって来るきっかけをくれたお礼を言いたい。たとえそれが墓標の前だたとしても。
「そういうレミはこの研究をする理由ってあるのか? 滝上先生から任されただけ?」
「私? まあそうね、プロジェクトの脇役ではあるけど《NETdivAR(ネットダイバー)》に興味があるわ。まるで聞いたことがない技術だし」
「研究部の情報技術を担当するだけあるな」
 しかしレミはもう一つ、理由を大地に語った。
「別に仲が良かったわけじゃないんだけど、宇宙飛行士に選ばれて犠牲になったらしい中学時代のクラスメイトがいるのよ」
 宇宙飛行士として選ばれたこと、犠牲になったことは、かつての同級生間で語られる噂が情報源(ソース)。未来都市は犠牲者を公表していない。しかしこの未来都市で最も優秀な城ケ丘高校に進学し、なおかつ高校では上位の成績を収めていたこと、事故後に一切姿を見せていない事実があることから、噂の信ぴょう性はかなり高いそうだ。
「弔いのつもりはないわ。でも犠牲になった同級生の成果がひた隠しにされてるのは残念。命と引き換えになる危険があってでも成し遂げたかったことは……、知りたいわね」
「そうなのか……」
 大地に限らずレミも、あおいも、プロジェクトに向き合う理由を持っているようだ。
「よし、オレたちで掴んでやろうぜ。宇宙飛行プロジェクトに隠された謎を!」

       4

(もう! 病院の中は自由にスマホも弄れやしない)
 白衣のほか、看護服、ならびに病人服を着る人々が行き来するロビー。背もたれ椅子に小柄な身体を預けつつ、レミは心の中で恨みがましくぼやいた。
 ここ最近悩まされている肩こりの検診のため、高校に隣接する病院へと訪れていたレミ。そろそろ名前が呼ばれるころ、どうせ運動不足を指摘されるだろうと考えた矢先、
「あん?」
 切れ長の碧眼が視界の端に気になる存在を捉えた。
(あの女って)
 焦点を定めた先に見知った顔がいる。花束を抱え、凛然とした立ち振る舞いで廊下を進むその風柄。
(たしか“冷たいお嬢様”とか呼ばれてた……。同じ高校の同級生だっけ? 花束ってことは……誰かへのお見舞い?)
 背中に伸びるきめの細かい青のストレートの髪。スマートな身体つきではあるが、レミにはない魅力的なバストを持っている。くりくりとした瞳、シャープな目尻が際立つ女子だ。
(冷たい態度で密かに有名だっけ。友達だって少ないみたいだし。顔もよくて頭も、スタイルもいいのにね。もったいない)
 って、これじゃあ嫉妬してるみたいじゃない、とレミは心中で自重を促したが、同時に一つ思い及び、
(でも、誰のお見舞いかしら? あまりイイ顔してない様子を見ると――……)

 翌日、放課後。
 レミは部室の扉を開ける。先ほどは廊下ですれ違った大地に声をかけ、一緒に来てほしいことを伝えたのだが、彼は『当てを見つけた』と言い残し、一人で外へ出て行ったのだ。
「あ、レミちゃん。昨日の診察の結果はどうだった?」
 部室を共有するあおいが穏やかな笑顔でレミを出迎える。
「運動不足だって。部屋に籠ってPCいじってないで、たまには外に出ろってさ。それくらいセルフで診察できるわよって結果。まあ、無料《タダ》だから別にいいけど」
 未来都市の学校に通う生徒は、通院にかかる費用を街が全額負担してくれる制度があるのだ。そのため、身体に気がかりがあれば気軽に診察を受けることができる。
「どう、宇宙飛行プロジェクトの件は進んでる? 何かわかったことある?」
 あおいはミニ冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを取り出し、二つのカップに注いでからレミの近くに腰掛けた。
「ううん、全然。ネットで調べてもそれらしい情報、見つからなくて。本も同じ。レミちゃんは? あのUSBメモリの解析は進んでる?」
「昨日今日で進展はないわ。〈拡張戦線〉もダメね。……いや、一つあった。謎のテキストファイルが一つ見つかって。――『お姉ちゃん、待ってるから』って一文だけのね」
「お姉ちゃん? そのUSBは誰かの妹のものってことかな? なんでそんなメッセージを残したんだろ?」
「さあ? これっぽっちもわかんないわ」
 やれやれと肩をすくめるレミ。
「近未来の技術の情報は詰まってるけど、USBメモリのハード自体は現代の性能と変わらないそうなのよね。城ヶ丘の協力者が言ってたわ」
「てことは、すごい技術も実は近い所で発明されたもの? たとえばタイムマシンでこの時間軸にやって来た未来人も、そんなに離れた未来の住人じゃない……?」
「タイムマシンなんてありえるの? あんなのSFの妄想でしょ?」
「相対性理論では未来に行くことは可能でも、過去に行くことは難しいって。タイムマシンも夢があって素敵だけど、現実で考えるとちょっとね」
「そもそも誰が未来人なんて言い出したんだっけ。異世界人が~でもいいんじゃないの?」
 ふぅ、とレミは気のないため息を吐いた。未来人だろうが異世界人だろうが議論していても無意味かと、行き詰まりを覚えて頭を抱える。
「レミちゃん、やっぱり私たちじゃ限界が……」
「そうね……。はあ、見事に壁にぶち当たったわ」
 カップに口を添え、甘いジュースで喉を潤したレミ。ゴクリと、静寂な空間に喉音が響く。
「あっ。一人、心当たりがいるわ。ほら、同級生で青い髪が長いのがいるじゃん。“冷たいお嬢様”とか呼ばれてる。知らない?」
「え、あ……っ。と、その……、ちょっと苦手で……」
 あおいは申し訳なさそうに身体をすくめる。
 しかし彼女は間を置いてから、こう切り出した。
「でも、あの“神代(かみしろ)一族”の分家の人なんだよね?」
 ――――神代一族。それを承知しているからこそ、レミは“冷たいお嬢様”を提案した。
「ええ。有名な科学者を代々輩出してきた家系でしょ? 現代の科学技術の数パーセントは神代一族のおかげと言っても過言ではない、その謳い文句は聞いたことあるわ。未来都市の頂点だって神代一族本家の娘でしょ」
神代(かみしろ)小町(こまち)さんだね」
 この未来都市に拠点を置く七つの高等学校、ひいては国内で最上位に君臨する私立、城ケ丘高校。推定偏差値八〇を超えるその高校において頂点に立つとされる存在、神代一族本家の生まれである高校二年生が神代小町だ。
「うん、そうだね。私、レミちゃんに賛成。とにかく訊ける人には訊いてみないと。秘密はトコトン知りたいっ」
 キラキラ目を輝かせたあおいは、レミの手をギュッと取る。普段のか細いおっとり口調は影を潜め、ハキハキと芯のある言葉使いで彼女は訴えた。
(うわー、静かなる狂った科学者(サイレントマッドサイエンティスト)モードになってる。乗り気になってくれたのは助かるけど)
 そうして話がまとまったらレミは知人を通じて青髪の同級生にさっそく連絡をつけ、校舎裏の公園に足を運んだ。ベンチに座り、日向ぼっこをする野良猫とじゃれ合っていると、
「――――私を呼んだのはそこのお二人かしら?」
 透き通った声、ベンチに差す影。レミは顔を上げると、青髪の女が凛然と立っていた。ベンチに座る自分たちを大きな瞳で見下ろすように、そこへと。
「急に呼び出してごめんなさい。研究部の深津檸御よ。こちらは同じく研究部の中原あおい。研究の過程でどうしてもあなたに訊きたいことができたの。少し時間を頂いてもいいかしら」
 レミを皮切りにあおいも腰を上げ、不安に堪えないという顔つきで、
「よ、よろしくお願いします……」
 ――神代(かみしろ)蒼穹祢(そらね)。“冷たいお嬢様”とも呼ばれる彼女はサッと前髪をかき上げ、
「深津さん、コンピュータに関する知識なら校内に肩を並べる者はいない、と言われているのは知っているわ。そんなあなたが訊きたいこととはいったい?」
「私たち、一年前の高校生宇宙飛行プロジェクトについて調べてるのよ。神代一族のあなたなら何か知ってることがあるんじゃないかって」
「…………ッ」
 蒼穹祢は不自然に顔を逸らした。奥歯をギリッと噛み、両手の拳は固く握って。
(どうしたのよ……? 何かマズイこと訊いた、私?)
 彼女の反応を見て思考を巡らすレミだが、
「…………、あのプロジェクトの件は私に訊かないで。お願い、他の人をあたって」
 ポツリと、囁くように蒼穹祢は呟いた。怒った口調でもなく、顔つきはどこか哀しげに。
「悪かったわ、変なことを訊いて。けどもう一つ、訊きたいことがあるけど大丈夫?」
 返答はないものの、蒼穹祢は断りを示すような素振りも見せない。
「確かに存在するはずの技術の出所を探ってるんだけど、見つけられないのよ。私たちの目には見えない所にあるんじゃないかって思い始めるくらいだわ。……変な質問だけど、そういう特別な技術の出所になりそうな場所、知ってないかしら」
 我ながら下手な言い回しだと、レミは質問した直後に後悔してしまった。こんな問い、されたところで困惑されるに決まっている。
 けれど、
「表立ってできないことは、普通は隠し立てて行われるものでしょ?」
 蒼穹祢は明確に顔の向きを変えてそう答えたのだ。その目配せの先にあるのは、未来都市の中央にそびえる高き塔――未来の記念碑。
「お二人が知りたがっているあのプロジェクトも、当然隠された世界で進んでいたもの。なにせ飛行士に高校生を選んだのだから。ええ、あの世界なら答えを知っているはず、少なくとも科学に関してはこの世界よりも」
「それってどういう――……」
 尋ねようとレミは言葉を発したが、蒼穹祢は振り切るように背中を向け、何も言うことなくそのまま去ってしまった。
 レミはそれを追いかけてはいかず、あおいと顔を見合わせて困惑することしかできなかった。

       ◇

(このカフェで待ってればいいんだよな)
 放課後、桜鈴館高校からバスに乗ること十分少々。レンガ造りを模した黒い壁のカフェに大地は入店する。落ち着いた色合いの外観とは反して、店内は白を基調とした明るい雰囲気だ。
 わざわざこの店に足を運んだ目的は、ある人との待ち合わせ。女が多数を占めるこのような洒落たカフェなど、待ち合わせ以外の目的で利用することなどまずない。
(男一人ってのも居心地が悪いな……。気にしすぎか? 早く来てくれないかな)
 きっかけは昨日、研究部顧問の滝上先生に持ちかけた大地の相談だった。『宇宙飛行プロジェクトに関わりがあるとしたら、この街で一番優れた城ケ丘高校の生徒のはず。城ケ丘高校に知り合いがいたら誰か紹介してくれませんか?』と(レミにも何人か知り合いがいるそうだが、昨日は不在のため先生に頼んだ)。滝上先生は快諾してくれ、本日の午後四時にこのカフェで待つよう言われた。なんでもその生徒はこのカフェのモンブランと紅茶が好物だそうだ。
 そろそろ来るはず。大地が壁時計を一瞥し、時刻を確認しようとしたその時――、
「逢坂大地くんでよかったかしら?」
 声は女の音色。呼びかけにつられて壁時計から視線をスライドさせると、
「……え、マジ?」
 その風貌を見て、大地は息を呑んだ。
 紺色のセーラー服に胸の赤いリボンは、見間違うはずがない、天下の城ケ丘高校のもの。その顔立ちは女子高生離れした、大人びた雰囲気を漂わせていて、赤縁の眼鏡が知的さを後押ししている。背中に伸びる黒い髪が清楚で美しい。
 この未来都市に越して半年。けれどそんな日の浅い大地ですら、彼女の名は知っていた。
「はじめまして、――神代小町です。要件は梢恵……研究部の顧問から聞いているわ」
(おいおい、マジか!? 本物!? 滝上先生、ここに呼んだのって――――ッ!?)
 大地はガタっと席を立ち、
「あ、逢坂大地ですっ。よ、よろしくお願いしますっ」
 大きな波となってこみ上げた緊張で声が上ずり、自然に頭も下がる。
「そんなに緊張しなくてもいいのに。さ、座りましょうか」
 苦笑いを浮かべた小町に促され、大地は再び、恐る恐る腰掛けた。
「紅茶とモンブランケーキをお願いします」
「オレはアイスティーで」
 伺いに来た店員に注文をする様子を含め、見た感じ、大人びてはいるが普通の女子高生ではある。小町という古風な名に恥じない佇まいがあり、美人な顔立ちだと大地は感心する。
「自分、高校生宇宙飛行プロジェクトについての研究を滝上先生に任されたんですよ。そのプロジェクト、隠されてることだらけで。先輩が知ってること、あれば訊いてもいいですか?」
「申し訳ないけど、あのプロジェクトのことは私もたいして存じていないわ」
 小町はきっぱりと口にするので、大地は肩を落として落胆する。
「そうッスよね……」
 とはいえ、予想はしていた。城ケ丘高校の生徒だからといって、神代一族本家の娘だからといって、宇宙飛行プロジェクトと縁があるわけではないのだから。
 しかし不思議だ。大地の要件は滝上先生から事前に聞かされていると小町は発言した。では、どうして大地に面会してくれたのか。
 大地が目線を下げ、心中で疑問に思っているところで小町が、
「おそらくキミは、あのプロジェクトで使われた技術の出所を調べる過程で詰まっているのね」
「……ッ!?」
 大地は顔を上げた。眼鏡の奥のつぶらな瞳が、大地の心を見澄ますかのように黒々と輝く。
「そ、そうッス!」
「残念だけど、“あの世界”を他言することは禁止されているわ。ここでキミに話せるのはせいぜい二つのヒントを伝えることだけ。それを承知してくれるのなら、話せることは話すわ」
「あの……世界?」
 大地は戸惑った。けれど小町は彼の困惑などお構いなしに、
「いい? 私が伝えること、ただ呑み込んでほしいわ。質問に答えることは私でも許されていないから。そもそもヒントを与えること自体がグレーだけど、まあそこは神代一族の人間ということで」
「は、はい。わかりました」
 一方的な助言に大地はうなずくしかできない。神代一族の者だからこそ話せることなのだろか。
「きっと逢坂くんはインターネットや図書室の文献を活用して調べているのね。けれどそれではたどり着けないわ。人は目に映る“表”から無意識に答えを探ろうとするけど、目には映らない“裏”も考慮しなければ、それは見つからならないのかもしれない」
「それは……、紙に例えられる話ですよね。表の面を眺めても探したいことが見つからなくて、なんとなしに紙を捲ったら見つかったって」
「ええ、そういうことよ。――それが一つ目のヒント」
「あ、はい。……はい?」
 今のがヒント? 質問したい衝動に駆られるが、ぐっと喉の奥底に呑み込んだ。小町との約束を破り、ここでヒントを打ち切られるのは勘弁だ。
「そして二つ目。“次元”という概念の話になるわ。これは一般的な法則なのだけれど、一次元の世界から一次元は把握ができない。二次元から二次元を、三次元から三次元も同様よ。観測をするためには、対象の次元よりも高位の次元からでなければならないわ」
「次元論の話ですね。三次元に住むオレたちが一見して三次元に見えてるこの世界も、二次元で捉えているものを脳の錯覚で三次元のように捉えてるだけですからね」
「理解が早くて助かるわ。ええ、そのとおりね」
 フォークで切り分けたモンブランケーキを頬張る小町。美味を味わい、口元に浮かべるほのかな喜びは隠さない。カフェで過ごす周りの女子高生と同様に甘いものが好物のようだ。
「以上、私から伝えられるヒントよ」
「……え、それだけ?」
「ええ。逢坂くんならこのヒントで解けると思うわ。梢恵がキミのことを認めているもの」
 と小町は言ってくれるが、はっきり言って全然ピンとこない。
「表立つことで流出してしまうことを恐れての措置なのは間違いない。けれどあの世界の成り立ちは……、忌まわしいものだわ。科学のための犠牲で済ませていいものでは……決してない。あの宇宙飛行プロジェクトもひょっとすれば、終わりを迎えていないのかもしれないわ」
 なぜだろうか。小町は窓辺から、――未来の記念碑の方面を垣間見て、独り言のように呟くのであった。

       ◇

「今日はお時間ありがとうございました」
「いえいえ。研究部の話も聞けて楽しかったわ。また会う機会があれば」
 小町に頭を下げた大地はカフェを出て、バス停のベンチに腰掛ける。日は暮れ始め、辺りは大地の髪色のように夕日色に染まっている。
 大地はスマートフォンを取り出すと、『小町とは会えたかな。ふふ、驚いた?』という滝上先生のメッセージを確認した。『別件で連絡がある。私は明日出張だから、今日のうちに連絡しておきたい。空いた時間で構わないから電話をくれないか?』という追記も。
(いやいや、とんだサプライズだよ。先生にも礼を言っとかないとな)
 アドレス帳のリストから『滝上先生』を選んで受話口を耳に当てる。二回のコールで繋がり、
「あーもしもし? 逢坂ですけど」
 まるで友達に話す感覚でマイクに語りかけたが、
「あれ……、先生? 聞こえてますか?」
 相手の電話に繋がったのにもかかわらず、一向に返答がない。だが、
『――――お疲れさま、逢坂クン』
 口調こそ似てはいるものの、やっとのことで聞こえた声は研究部顧問のものではない、覚えのない女の声だった。それに先生は苗字で部員を呼ばず、下の名かあだ名でいつも呼ぶ。
「ヤベッ、間違えた? スイマセン、間違え電話でした。……って、オレの名前……言った?」
『回線は確かに滝上梢恵の携帯電話へと繋がろうとしたよ。しかし悪いけど、その回線に割り込ませてもらった。私がキミとおしゃべりしたくてね』
 落ち着いた、大人びた語り口調。されどやや幼げな声の質から想像するに、年齢は自分とそう変わらないと大地は勘ぐった。
「誰だ、アンタ? 知り合いってわけじゃあなさそうだ。その声、聞き覚えはねぇ」
『聞き慣れてはいないだろうけど、聞き覚えはあるはずじゃないかな?』
 キョロキョロと周囲を警戒し、無意識のうちに未来の記念碑に目を向けた。夕暮れとなってもなお、街におけるその存在感は健在だ。
『おや、ひょっとして今、記念碑を見なかったかな?』
「……ッ!?」
『図星みたいだね。視線を感じたんだ。まあ、それはさておきだ。キミは私の正体を知りたがっていそうだしね、まずはそれについて話そうか』
「……何者だ?」
『私は“情報生命体(じょうほうせいめいたい)”。別の名を《マージナル・ハート》。キミたち人間とは一線を画す存在さ』
「情報、生命体? マージナル……、はーと? なんだ……そりゃ?」
 携帯端末を握る手に自然と力がこもり、そして全神経を声に傾ける。
『要は自我を持ったコンピュータとも呼ぶべきか。ただし人工知能、いわゆるAIともまた違う概念だがね』
 愛らしさを含む声は、冗談めかしい微々たる笑いをマイクに放ち、
技術的特異点(シンギュラリティ)という用語は存じないかな? 自我を持つほどに発達したコンピュータにより、人類主導で送られていた文明が占領される瞬間を表す意味だけどね』
「なんだァ? その情報生命体サマとやらがオレたち人類を乗っ取ろうって言うのか? 宣戦布告か、この電話は? だとしたらオレは人類から選ばれた主人公ってトコかよ?」
『私も人恋しくなる時があってね。宣戦布告では断じてないよ、安心してくれたまえ』
「それで、オレに何を伝えたいんだ?」
『私は0と1の存在、だから2進数で構築される世界ならばどこでも介入することが可能だ。それは当然、――拡張世界(コンプレックスフィールド)ですらもね』
 拡張世界(コンプレックスフィールド)? なぜ、その言葉を今この会話で? いや、そもそも……、
拡張世界(コンプレックスフィールド)って用語自体、“未来人の落とし物”にあった造語だよな? って、ちょっと待てよ。この前も誰かが拡張世界(コンプレックスフィールド)って口にしたような……、ハッ!)
 脳裏によぎったのは、薄暗闇に包まれた銀髪の後姿、顔を覆う仮面――――、
「まさかアンタ、バスの中で――……」
 だが、電話口の少女は一方的に、
『先ほどはあの女からヒントを教えてもらったようだね。あんな女に頼らずとも私から教えてあげたのに。楽しみが奪われて残念だ』
「あの女……? 神代先輩のことか? どうしてヒントの話を知ってる?」
『私が名乗った別の名が答えさ。にしてもあの女のヒントは難解だね。天才って連中の思考はどうも読めない。ただ、悔しいがどれも的を射たヒントだ。私が保証するよ』
「それをオレに伝える理由がわかんねえ。目的はなんだ?」
『さあね、人とのふれあいに飢えているからかな。どうだろう?』
 電話越しの彼女は断言しない。掴みどころのない言い回しをする。
『なんにせよ、そこに到達するためのヒントは十分に与えられている。本当はヒントではなく答えを教えたいところだけど、私の立場でもそれは難しくてね』
「ハッ、ヒントで十分だ。答えを与えられても面白くねえ」
『さすがは研究部というだけある。ところでキミは〈拡張戦線〉を探っているんだよね。だったら急いだほうがいいかもしれない。次のタームの開催はもうじき締め切りだから。それが最後のタームになるね』
「え、マジか!? つーことは、〈拡張戦線〉は“そこ”で今も開かれてるってことか!?」
『おっと、口が滑った。なんにせよ待っているよ、キミの来訪を』
「ちょ! 待て! って、…………」
 呼び止め虚しく、プー、プー……と通話は途切れてしまった。
(急いだほうがいいかもしれない、か。ああ、言われなくてもそのつもりだぜ。焦らせるなよ)
 現状、宇宙飛行プロジェクトを追うためには〈拡張戦線〉の手がかりが必須だ。逆に〈拡張戦線〉の手がかりを見失えば、宇宙飛行プロジェクトの謎を追うチャンスを逃すことになる。
 大地は手中のスマートフォンを見つめて、
(ヒントは……十分に与えられている? それに……到達する?)
 電話の女は確かにそう言っていた。まるで別世界の存在を示唆するような言い草で。
「表からだけではなく裏も見ろ。高次元からの観測。……紐づかねぇ」
 小町から話を聞いた時と変わらず、ヒントにピンとこない。特にわからないのが二つ目。だからひとまず一つ目の『表からではなく裏も見ろ』というヒントに焦点を当ててみる。
(裏といえば……)
 思い当たる節がある。ここ最近になり、大地が触れるようになった“世界”。
 彼はスクールバッグに入れていたメガネケースを取り出し、
拡張世界(コンプレックスフィールド)は肉眼では見られない世界だ。現実が表とすれば、拡張世界(コンプレックスフィールド)はある意味で裏とも言える。あの銀髪女を見たのだって拡張世界(コンプレックスフィールド)だ。だから答えは――……)
 大地は《パラレルレンズ》を掛けて電源を入れ、辺りを見回してみる。けれども、
(くそう、現実と変わらねえ!)
 ARと言えるようなオブジェクトは確認できない。それも当然か。《NETdivAR(ネットダイバー)》という技術はネットワーク上に専用のAR情報を設定する必要があるのだ。
 だが、その時。
「うわっ、なんだ!?」
 ぴろんっ、というメールの着信のような音が《パラレルコネクタ》内蔵のスピーカーから鳴ったのだ。するとARオブジェクトのカラー封筒が彼方から飛んできて、目の前で封が開く。中から浮かび上がったのは、便箋と輝く鍵。
『残念。拡張世界(コンプレックスフィールド)は次元に関係ない。けど、あながち間違いではないね。スマホを開いてごらん、メールに同じメッセージと添付が届いているはずだ。添付が贈り物の鍵だよ』
 便箋に目を通した大地は、届いているメールを見た。添付を開くと、それは何の変哲もないQRコードで、
(このQRコードが、鍵? ハァ、なんの鍵だよ!? これだけじゃあわからん!)
 どうやら一つ目のヒントのみでは答えを明かせないようだ。結局、二つ目からは逃げられないというわけか。
(二つ目……高次元。どういうこった? あークソッ、一人で悩んでも時間がもったいねえ! ここはレミとあおいに頼るか!)
 さっそく大地はレミへ電話を繋げる。彼女はすぐに出てくれ、
『もしもしー、どうかしたー? もう寮に帰ったところだけど』
「宇宙飛行プロジェクトの件で今日は出かけるって言ったよな? あの城ケ丘高校の神代小町先輩に会ったんだよ」
『マジで? あの天才に? 何か聞き出せたりした?』
「最先端技術の出所についてのヒントはくれたんだ。答えを教えるのはマズイらしくて、あくまでヒントなんだがな」
『で、そのヒントを解くのに困ったから電話をくれたってこと?』
「話が早いな。で、ヒントなんだけど――……」
 大地は小町に教えられた二つのヒントを順に伝える。第一のヒントから拡張世界(コンプレックスフィールド)を導き、鍵を手に入れたことも含めて。どうやらレミはあおいの部屋にいるらしく、夕飯の準備をしているあおいにも話を伝えてくれる。
『次元のヒントは、私よりもアンタやあおいのほうが得意そうよね。う~ん、より高い次元から観測をする?』
「たとえば紙を眺めるだろ? 紙は二次元だ。で、オレたち観測者は三次元の住人。つまり紙を三次元に、オレたちを四次元にすり替える。それがヒントの意味だとは思うんだが……」
『無理でしょ。あおいだって無理と言ってるわ。……あ、いや、ちょっと待って!』
「わかったのか?」
『あおいの部屋って寮の四階じゃない? で、ちょうどベランダで電話してるんだけど』
「ベランダ?」
『下の道を歩いてる人がここから見えるわ。走る車も道路標識も、コンビニもね。要はこの視点でいいんじゃないの?』
「あ、そういうことか! ――高い所から見ればいいんだ!」
『そうね。あくまで地上に限れば、高い場所から全貌が把握できるわ』
「なるほど、アリな考えかもしれん。で、高い場所で思い浮かぶといえば――……」
『未来の……記念碑?』
「だよな、オレも真っ先に思いついた」
 街の中央にそびえる未来の記念碑は、この未来都市で最も高い塔。そこの頂上からは未来都市を見渡すことができるであろう。常時入口が施錠されており、一般人が入ることはできない。
「もしかしてこのQRコード、記念碑に入るための鍵ってことか? おお、繋がってきた!」
『ええ。おそらく技術の出所や〈拡張戦線〉の開催場所は、私たちの目に届かない世界にある。私とあおいもそういう話を今日耳にしたわ。今から記念碑の前で合流しましょう。あおいとすぐに駆けつける』
「わかった、オレもすぐ向かう」
 約束し、大地は電話を切った。ここから未来の記念碑までは駆け足で想定十分強。時刻は午後五時を過ぎたところ。日の入りまで一時間を切る。夕焼けが濃くなり、影も伸びて、建物にもぼちぼちと照明が灯される。
 寮、研究施設、教育施設等、多くの建物がひしめく街並みを通り抜け、未来の記念碑から50メートルほどの距離を隔てた狭い路地の端で、大地は目指すそれをしっかりと目に収め、
(目指すはあのテッペンだ! あのテッペンにいったい何が……。……、なんだこの感じ? 何かに見られてるような……? 気のせいか?)
 拡張世界(コンプレックスフィールド)が答えではない。それを承知しつつも、大地は再び《パラレルレンズ》を掛けてみる。その時――、
『キミならここに来てくれると思ったよ。さ、あと少しの辛抱だ』
 メガネの小型スピーカーから聞こえたのは、少女の声。
(この声、さっきの電話の? って、な――――ッ!?)
 高さのない平坦な建物が記念碑の周りに広がっているはずなのに、――なぜか視界にあるのは、ネオンで輝く高層ビルがそびえ建っている光景。ビルとビルの合間には、一風変わった形状のロボットが縦横無尽に徘徊している。だけど目前の塔――未来の記念碑だけは、その馴染ある形様を保っていた。

『――――ようこそ、虚数空間の世界(イマジナリーパート)へ』

 大地の見上げた記念碑の中腹辺りでは、白いローブを身に纏う、仮面で顔を覆った少女が逆さに浮いていた。色褪せた長い銀髪をも重力に逆らわせて。
『この景観は気に入ってくれたかな? ここは夢と空想で創られたおとぎ話のような世界。けれどもはっきりとした現実でもある。訪れたければこの頂上を目指してみようか。ふふ、より高い世界を目指すことはあの宇宙飛行プロジェクトとも通じるね』
「…………」
 大地は見惚れるように幻想的な少女を凝視するも、その時、
「大地くーんっ!!」
 か細い声を懸命に張り上げ、背後から大地の名を呼んだのは、白い無地のシャツに紺色の秋物ジャケットを羽織る先輩のあおい。チェック柄のスカートから覗く肌は、普段の制服姿よりも露出が大きい。
 あおいの背後では、レミが追従しながら息を切らせて、
「はぁ……はぁ……っ。待ちな……さいっ」
 身動きの取りやすい桃色のパーカーと黄色の短パンに、太ももまでを覆う黒のニーソックスを履いている。平然としているあおいとは対照的に、苦しそうに目元を歪めている様子を見るに、運動不足が見事に露呈していた。
「大地くん、お待たせ。え、誰かと話してた?」
「アレの正体はまだわかんねえ。けど行ってみようぜ、テッペンに。そこに答えがあるはずだ」
「うん」
「ふう……、行きましょう」
 そうして記念碑の正面まで来た研究部の三人。白い鉄格子の扉はぴたりと閉じられている。
「たぶんこれで鍵を開けられるはずだ」
 大地はスマートフォンの画面に映したQRコードを、扉の横の読み取り機にかざした。そしたらピッと鳴り、
「開いたわ!」
 三人を出迎えるように、左右それぞれの扉が開く。
「塔に上る場面を誰かに見られたら面倒だわ。急いで頂上へ行きましょう」
「そうだな、さっさと上ろうぜ」
 三人は塔を巻くように伸びる螺旋階段を、急ぎ足で駆け上がってゆく。
(この頂上に何が……っ)
 いつまでも変わらない階段の先。めげずに上へと進み続ける大地、レミ、あおい。レミのスニーカーがパタパタと鳴り、パーカーのフードがハタハタと揺れる。
 遠のく地上。
 緩やかに距離を詰め寄る、頂上の至大な鐘。
 そして。
「……はぁ……はぁっ……。――着いたぞ、テッペン」
 腰に添えたアクセサリを鳴らすように肩で呼吸を繰り返し、大地は天を仰いだ。夕日の残滓によって妖艶に照らされた黄金の鐘が、彼の瞳を贅沢に占領した。
「大地くん、ここから街を見渡せば答えがわかるかもって……」
「どうだかな。確証はねえけど」
 メガネを掛けた大地は手すりに身体を預け、街を見下ろした。高さ300メートルのこの場所から眺められる、街にあるすべてが模型ように見える。夕日は地平線へと沈み、空は真っ青に映える。いわゆるブルーモーメントという現象が街を支配した瞬間、
「……んッ、これか!?」
 ARオブジェクトの赤いフォントが街に浮かび上がった。
 ――『ソ』『コ』『ガ』『ア』『イ』『ノ』『セ』『カ』『イ』――
「そこが……あいのせかい?」
 一文字ずつ読み上げたあと、大地は首を捻る。
 レミとあおいも頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、
「アイって、愛情の『愛』? 愛の世界? 意味がわからないわ……」
「そこが……? そこって、そこの“扉”のこと?」
 あおいが指差した先には、飾りつけが一切ない、無地の折れ戸が一つだけあったのだ。
「そういうこと、だよな? ああ、行ってみようぜ、その“アイノセカイ”ってヤツに」
 ここまで来たからには次の行動に選択肢はあるまい、大地はそう決心をし、
「――――、開けるぞ」

 レミとあおいが後ろで見守る中、大地は握ったレバーハンドルをゆっくりと回し、扉に力を込めると、そこには――――――。


第二章  |虚数空間の世界〈イマジナリーパート〉
 
 
        1
 
「……は? ……なンだ、これ……?」
 滑らかな外周に沿うように通路が一周確保され、狭い通り道が壁から中央の太い柱へとアスタリスクの文字ように集まる。建物内はネットワーク・トポロジーでいうスター型とも言い表せる構造だ。どうやら三人は展望デッキへと躍り出たらしい。
 否――、内部の様相など外の景観と比較すれば、取るに足らないことだ。
 呆けたように口を開いたのは、最初に足を踏み入れた逢坂大地。続いてドアを潜った深津檸御も、中原あおいも、彼と似た反応を顔に滲ませた。
「ちょ……ッ! どうなってんの、いったい……?」
 棒立ちする大地の横を抜け、レミが一歩、また一歩、透明なガラスの床を踏みしめる。そうして側面すべてを覆う窓ガラスに近寄り、
「どうして外が――――、ビルで埋め尽くされてるのよ? だって、ここから見えるのは薄っぺらい街並みでしょ? なのにどうして……」
 あおいは確かめるようにガラスに触れ、
「し、信じられない……。バーチャル映像でも見てるのかなって最初は思ったけど……。この眺め、本物みたい」
 大地は唖然と周囲を眺めたのち、目に見えるものが嘘かと思い目をつむり、徐々に目を開き直した。けれども、それでも視界に映る景色に変化はない。幻ではなくすべてが現実。
(これ、まさか……あの銀髪に会った時に見た……? さっきのもこんな景色だったよな?)
 この場から望めるのは、高さ数百メートルからの景色。しかれど目前のガラス壁から伺う街並みは、比較的平坦な建物が並ぶものではない、それとは真逆の世界だった。地上から高々と建つ超高層ビル群が、上空を支配する暗闇を拒むように眩くネオンを灯している。
「レミちゃん、“未来人の落とし物”ってこの世界から持ち運ばれた物なのかな? 未来の技術が詰まってる、あの」
「さあ? そりゃあビルが並べば近未来的って考えたくもなるけど……」
 大地は様々な角度から世界を観たいと思い、360度に展開するパノラマに沿って足を動かす。近傍の街並みは多彩な光で輝いているが、視線を遠くへ、世界をより見通すように眺めると、言葉にし難い冷たさを錯覚する、青白い輝きが街を覆っていた。
「見慣れないモンが結構あるな」
 水平線の先には空に長く伸びた、軌道エレベーターらしき棒状の建築物が、上空に浮揚するベルナール球型のスペースコロニーへと繋がっている。目線を下げれば陸橋がビルとビルの合間を抜けるように通り、モノレールやバスがそれぞれ専用の線路、道路上を走っていた。
「未来都市の交通システムも密集してやがるけど、ここのはそれ以上に複雑なのか?」
 まるでSF作品に出てきそうなサイバーパンク都市だと、大地はマヒした頭で感想を抱いた。
「なあ、シンポジウム帰りのバスの中で言ったよな? 《パラレルレンズ》を掛けたら高層ビルの光景を見たって。まさにコレなんだよ」
「ならこの景色、全部がARの産物だってこと? いや、メガネすら掛けてないのに見えるのは……。あおい、訊くだけ無駄だけど、何か考えられる?」
「ドアを潜った瞬間、特殊な装置で私たちに催眠をかけて……とか? ここは仮想世界で……とか? ごめんなさい、それ以上は……」
「女の声は〝夢と空想の世界〟とか言ってたし……。ああもうッ、ワケわかんねぇ!」
「んん……。大地が言うには、未来都市でもこの景観っぽいものを見たのよね?」
「そうだ、銀髪の女とセットでな」
「女はともかく、未来都市でも見たってことなら……。私たちは全く別の場所にワープしたとかじゃなくて、あくまでも未来都市の裏にある世界に来たって考えでもいいのよね?」
「仮にワープだったとして、量子力学的なチカラを考えれば……。でも、ミクロならともかく肉体レベルのマクロな物体でテレポーテーションなんてとてもじゃないけど無理か……」
 考えてられるかッ、と大地は整髪料で立たせた橙髪をクシャっと掴み、
「とにかく降りてみようぜ。眺めるだけじゃ何も始まらねぇっ」
 燦然と輝く景色から身を翻し、塔の中心に繋がる通路をたどる。柱には筒状の透明なエレベーターが設置されていた。
 だが、大地が通路の中腹に差しかかった手前、
「二人とも、注意して!!」
 突発的な叫びに、大地は瞬時に顔の向きを転換し、
「な、なんだッ!?」
 機械的な音を立て、側面の窓ガラスが下にスライドを始める。それに伴い内部の空気が外へ、衣服を靡かせる勢いで流出する。すると上からワイヤーで吊るされた、厳重装備を施した謎の黒づくめの三人が大地らの立つフロアへと降り立ったのだ。
「レミ!! あおい!!」
 大地は腹の底から喚呼したが、黒づくめが手にするライフルを目の当たりにし、背筋を凍らせる。だが己の太ももを強く叩き、集団に最も近いレミへと駆け出した。
 黒づくめの一人が、レミを標的に容赦なくライフルを構える。それ以外の二人の黒づくめは大地、あおい確保のために動く者、装備を構える者に別れる。
「キャッ!!」
 銃口を向けられたレミは甲高い声で鳴き、涙目で蹲った。一方で彼女を狙う黒づくめは遠慮なしに、レミのしゃがみに合わせて銃の照準を下げた。――――が、
「ハアァッ!!」
 その黒づくめは横になぎ倒される。そして代わりに現れたのは――あおい。彼女は大きく回した右足を地につけると同時に、蹲るレミの片手を掴み、小柄な身を放り出した。するとあおいの背後に回っていた黒づくめにレミの身体が直撃し、グラついた隙を逃さず、あおいは滑らかな回し蹴りを敵に浴びせる。それを合図に、銃声が次々と鳴り響いた。
「レミ、あおい! エレベーターだ! あの中に突っ込め!!」
 ふらついたレミの身体を受け止めた大地は、そのままレミをエレベーターへ突き飛ばす。
「ハァッ!!」
 赤リボンで結われた二本の紺髪を躍らせるように、あおいは無駄のない動きで黒づくめらを立て続けになぎ倒す。そして拳、脚を豪快かつ繊細に振るいつつ、自らも確実にエレベーターへ近づいていく。幸いにもエレベーターに繋がる通路に敵の邪魔はなく、大地の後を追うように彼女は中へスライディングを決めた。
「よし、揃った!!」
 最後の一人が飛び込んだのを見届け、大地は空間に投影されているスクリーンから『閉』に触れる。直後、閉まった扉越しにガキンッ、ガキンッと、鈍い銃音が密室に響き渡った。
「あっぶねぇ……、アイツらマジで殺す気だったろ」
 レミは額に浮かんだ汗をパーカーの袖で拭い、
「はぁ、はぁ。ゴム弾だから死にはしないでしょうけど、それでもあおいがいなかったら……」
「ふぅ、よかった。私の研究が役に立って。防護は任せて」
 理科、特に生物学と物理学に明るい特性を活かし、スポーツバイオメカニクスに基づく『ヒトの運動における最適な行動パターン』を研究しているあおい。生物学的、物理学的観点から最も無駄なく、かつ効率のよい筋肉の動きを研究し、それを護身術へと当てはめているのだ。
「すげぇな。あれだけ動けるなら心強いわ。普段の泣き虫が嘘みたいだな」
「みんなを守りたいって考えると、不思議と身体が動いちゃうんだ」
 それにしても、と投影型ディスプレイに関心を向けた大地。ボタンの配置は普遍的なエレベーターのそれと変わりないが、空間に投影された薄緑色のディスプレイは別だ。
「見てみろよ、コレ。こんなの現代(いま)の科学で実現できるか?」
「す、すごい! やっぱりこの世界、とっても科学が発達してるんだよっ」
 パッチリと目を輝かせたあおいは、様々な角度から興味津々に投影物を観察する。
「……あのー、喜んでるトコ申し訳ないんですけど……」
 水を差すような言葉。大地とあおいがレミに注目すると、
「これ、閉じ込められたんじゃないの? この中にすんなり逃げられたのも、ひょっとしたら向こうの罠で……」
「オイオイ……。まるでオレたち、袋のねずみ状態ってことじゃ……」
 大地の頬に一筋の汗が伝う。このエレベーター内に逃げ込んだ際の記憶を探ってみても、レミの発言に間違った点は何ら見つからない。
「だ、大地くん……、何階に降りようとしてる?」
「一階だ! 急いでたから『1階』をタッチした!」
 レミは上、側面、下――……、密閉された箱の中を隈なく見回し、
「……一階に着いた瞬間、蜂の巣なんてことも」
「バカ、変なこと言うんじゃねぇ!」
 とはいえ、このままでは連中に捕まるのは確実。どうする……、苦虫を噛みつぶしたような顔で大地は思考を巡らせたが、

『そんなお困りのキミたちに、この私が力を貸してあげてもいいのだけれど?』

 何の前触れもなくエレベーター内に響いたのは、あおいやレミとも違う少女の声だ。
「え、誰? あおいが言った?」
「ううん、私じゃないよっ。レミちゃんでもないならいったい誰が……」
 レミとあおいは顔を見合わせて確認し合う。だが、大地一人は、
「まさか、銀髪の……」
 聞き慣れてはいないが、聞き覚えのある声質、口調。独り言のように囁くと、その戸惑いに呼応するように、
『そう、キミの想像する姿が私だ。声は逢坂クン以外のお二方にも届かせてある』
 声は三人の戸惑いを意に介さず滑らかに響き、
『さて、現状は十分に把握していると思うけど、このままでは治安維持対策本部(アンチクライム)に捕まるのは明白だ』
「ちょっと、そもそもアンタは何者なのよ?」
「アンチ……クライム? それって、さっきの黒い人たちのこと?」
『まず私のことは置いておこう。無事逃げ切れたら教えてあげるよ。治安維持対策本部(アンチクライム)だが、要はこの世界における警察のような組織だね。電子錠が解除されてキミたちが不法侵入者と判断され、ああして駆けつけたのだろう。鍵を送った身で申し訳ないが、治安維持対策本部(アンチクライム)が出動しないようシステムを操作すべきだった。私のミスが招いた事態だ』
 反響する大人びた、それでいて愛らしさのある音色は、平常時のように取り乱しがない。その口調が、大地の心にわずかながらも余裕をもたらせてくれた。
「で、どうするんだ? 途中の階でエレベーターを止めるわけにもいかんだろうし」
「そうね、待ち伏せされてる可能性があるわ」
 停止階の選択肢は最上階、六〇階、四〇階、二〇階、一階の五つ。扉上に灯るランプから、現在位置は六〇階と四〇階の間。現状、一階のボタンが赤く灯されているが、今から四〇階、二〇階を選択したところで、各階で敵集団が伏している可能性は高い。
『いや、――止めるよ。選択肢にない階で止めればそれで済むハナシだ』
「ない階ならどうやって止めるんだよ! システムでもハッキングするってか!?」
『以前キミには伝えたけど、私がどういった存在かは覚えているかな?』
「どういった存在……? たしか……情報生命体とかなんとか……」
「ハァ? 情報生命体、ですって? それ、コンピュータに意思が宿ったモノ、って意味で捉えていい概念? そんな超科学、実現させるのに何十年かかると思ってるの!? ンなの存在したら世界はとっくにパニクッてるわよ!」
「だけどレミちゃん、街並みやこれを見てると……、信じるしかなさそう」
 空間投影されたディスプレイに目配せをするあおいを一瞥して、レミはグッと押し黙った。
『今は信じてくれなくてもいい。ともかく、2進数(デジタル)の世界に住む私ならハッキングだろうが電子制御だろうが容易いものさ。さあて、キミたちを秘密の階へと案内しようか』
 大地は階数表示を見る。たった今、四〇階を過ぎたところだ。
『あと数秒で着くよ。心の準備はいいかい?』
 するとエレベーターが緩やかに減速を始め、――音もなく停止する。
『作業用の通路がひしめく階だ。敵はいないだろうけど、暗いから足場には気をつけてほしい』
 両扉が開くと、大地を先頭にレミ、あおいの順でエレベーターを降りた。
(暗いな……、ほぼ見えねぇ。手探りで進むしかなさそうだ)
 怖さは拭えないが、周囲を手で確かめつつ前に進んでいく。少女の声による丁寧な案内のおかげで、ハプニングに遭うことなく進むことができた。
 そして――――、
『その扉から外に出られるよ。さあ、世界を身体で感じてほしい。ふふ、驚きで腰を抜かさないようにね』
「そうかい、そりゃあ楽しみだ。すっごく期待してやるぜ」
 開けるぞ……。大地はそっと扉を押した。
 そこには。
「うおおおぉぉぉぉぉ………………」
 頬を擽る冷たい外気に身を投じ、都市の匂いを鼻で嗅ぎ取り、そうして漏れたのはため息にも似た感嘆。
 高さ三十数階から望む街並みは、夜という暗闇に支配されることを拒むように、蛍の集まりのようなネオンで照らされる。空を彩る満点の星々も、世界を輝かす一員と言わんばかりに煌めいていた。
 世界を広大に見渡せる塔の頂きからの眺めとはまた違った、建築物の一本一本を肌身に感じるこの景観は、
「まるで宝石箱、見てるみたい。窓越しとじゃ……全然違うわ。目が痛くなるくらいね、まさに光の洪水よ……」
「こんなに綺麗な街並み、初めて見た……。す、すごい……」
 レミは固まり、あおいに至っては感極まって涙を浮かべてしまうほどに、それは圧巻だった。
『さ、降りていこうか。この塔は安全とは言えない。駆け足で安全圏まで向かおう』
 声に従い、三人は塔を囲む緩やかな螺旋状のスロープを、心地よい空気を顔に纏わせながら駆けてゆく。無論、幻想的な街並みを横目に見ることは欠かさずに。
虚数空間の世界(イマジナリーパート)の街並みは気に入っていただけたかな?』
「ってうおぉい!?」
 忽然と目の前に現れたので、大地は驚きのあまり足を縺れさせてしまった。
「どうかな、私の姿は? これまで二回ほどお見せしたけど、チラッとだけだからね」
 視界を埋めるほどに近い、白銀を主体としたベネチアンマスク。彼女が退いて遠ざかると、ピンクが褪せた銀髪ロング、それから赤い刺繍が入る白ローブを羽織った細身の形姿が、飄々と全貌を見せた。
「あれ、メガネ掛けてないけど見える。後ろの二人も見えるのか?」
「未来都市は私の力が及びにくいから、組み込みOSの操作ができなくてね。だから拡張世界(コンプレックスフィールド)でしか身なりを見せられなかった。けれども私の支配下であるこの虚数空間の世界(イマジナリーパート)なら照明器具を上手いこと操作して、こうして姿を見せられるのさ」
「まさか大地の言ってた銀髪の女って、この女のこと?」
「そうだ。未来都市でも見たんだよ、オレは」
 スロープを小走りで下ってゆくと、
「このまま三階に降りていけばデッキに繋がる。おそらくデッキは監視が必要ないと判断されているだろうから、そこを通って別の建物へ逃げようか」
 仮面の少女は白い布をはためかせ、大地の傍を離れずふわふわと浮きながら三人を見守ってくれる。さながら妖精のような印象を抱かせる趣だ。
「あのさ、この世界っていったい何なんだ?」
「この世界の名は虚数空間の世界(イマジナリーパート)。キミたちの住む未来都市とは根本的な次元が違う世界だよ」
「イマジナリー……? 複素平面の虚部(きょぶ)のことか?」
「あのぉそれって、私たちの世界を現実にある〝実数〟として考えて、この世界を現実にはない〝虚数〟に例えたってことですか?」
「さすがは数学と理科担当の二人だね、そのとおり。かつて“とある”科学者が〝とある〟方法で現実の次元(せかい)とは違う、裏の次元(せかい)とも呼べる空間を創り上げたのさ。それがこの科学都市、虚数空間の世界(イマジナリーパート)なんだよ」
「なるほど、“虚数”か。神代小町先輩のヒントの本当の意味がわかった気がするぞ」
 小町の言っていた“裏”とは実数に対する虚数の意味。そして“高次元”とは、実軸からの視点では虚軸を捉えることはできないため、複素平面という概念を導入することで虚軸を捉えろという解釈なのだろう。
「アンタ、……ハァ、情報生命体て……いっ、言った……わよね? そんならこの世界の……コンピュータ技術は……ハァ、ハァ……三〇年先を進んでることに……なる……けど?」
 言葉の端々を詰まらせ、喘ぎ尋ねたのは研究部情報技術担当のレミ。体力不足が見事に露呈している。
「三〇年という年数は技術的特異点(シンギュラリティ)から推測したと思われるけど、残念ながらそこまでコンピュータ技術は発達していないよ。せいぜい二〇年だ」
「なら、コンピュータに意思が宿るなんて……」
「詳しい説明は割愛するけど、コンピュータに意思が宿るという概念が情報生命体、という考えを逆転させれば、技術的特異点(シンギュラリティ)に到達しなくとも情報生命体は誕生可能ではないかな?」
「逆転させる……? まあいい、アンタの名前を教えてくれ」
「そうだ、まだ名乗っていなかったね」
 仮面の少女は大地の前にスッと移動し、彼にいたずらっぽく指を向けて、
「私はセリア。気軽にセリアと呼んでくれると嬉しいよ」
「よろしくな、セリア」
 情報生命体のセリアと話を交わしているうちに、大地らは着実に地上へと近づいてゆき、
「この階を降りれば施錠された扉があるけど、私が解錠するから問題ないよ。そこを通ろう。間違えて下に進むと治安維持対策本部(アンチクライム)に捕まるから要注意だ」
 セリアの指示どおりに先を進んでいく。スロープとの結合地点には施錠扉が構えていたが、セリアが瞬時に解錠してくれた。黒の武装集団が下の階に見えるも、察知されることなく三人は筒状になった半透明のペデストリアンデッキに進路を変え、ひた走る。
「セリアさんっ、……はぁ、……あとどれだけ走れば……安全ですか……っ?」
 網目状に張り巡らされた宙のデッキは迷路のように入り組んでいる。セリアは何度も角を曲がり、階段を上り、下り、研究部を先導しながら、
「正面のあのビルに入れば安全なはずだよ。あと少しだね、ファイトだ」
 大地は背後を一瞥すると、息を切らせ、胃袋を鷲掴みにされたような表情で足を動かすレミに、
「レミ、あと50メートル! ファイト!」
「ふぁ、ふぁいとぉ……っ」
 そうして銀髪とローブを煌びやかに靡かせるセリアに導かれ、三人はビルへと逃げ込めたのであった。
 ビルに入るや否や、三者同じく膝に手を付き、ぜぇぜぇと息を整える。特にレミは額に汗の粒を浮かべ、ツインテールを揺らすように荒い呼吸を繰り返す。
「お疲れさま。エスカレーターで降りようか。エレベーターの恐怖は先ほど体験しただろうし」
 呼吸を整えてからフロアを歩く大地ら。この建物はファッションビルなのだろか、若者用の衣服類がフロアの大半を占めていた。陳列も未来都市のショップで見かけるような珍しさのない並びだ。
「科学が発達してるとはいえ、このフロアは普通だな。投影されたディスプレイでポチポチやってる以外、未来都市と変わんねえ」
「ネットショッピングという手段もあるけど、試着して選ぶことを好みとする者も多い。だからどれだけ時が経とうと、こうした物販は廃れることがないだろうね」
 フロアを見物してからエスカレーターに乗った三人。階を下りながら各階の主要製品を眺めていく。
「へぇ、たくさんのロボットが並んでる。ま、まさか! あれってアンドロイド!?」
 ロボットと一括りにしても多種多様で、円盤型の掃除用ロボット、アームを主体とした産業用ロボット、ヒトを模したコミュニケーションロボット、果ては人間と断言できてしまいそうなアンドロイドまでがショールーム形式で展示されていた。
 ロボットに限らず、様々な科学技術の結晶を拝見しながらエスカレーターを下ってゆき、一行は一階へと到着する。セリアに手引きされる形で出入口の扉を抜けると――――、
「着いた――――――ッ!!」
 両手を大きく上げたのは先頭の大地。その後ろのレミとあおいは、疲れを忘れたように駆け足で前に出ると、
「す、すご……。上から見たのと全然違うじゃん!」
「うわぁ、夢見てるみたいっ」
 愕然と世界を見渡すレミ、魔法の世界に来たお姫様のごとくうっとりと天を眺めるあおい。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ、未来にタイムスリップしたのか!?」
 森の木々のように建ち並ぶ高層ビルの中、広告のネオンが七色に地上を彩る。
 人々は空間に投影されるディスプレイを手際よくタッチし、その人々の間を縫うように幾種ものロボットが自動制御で街を徘徊している。
「写メ撮らないと!」
「きっ、記録しないと!」
 レミとあおいはスマートフォンを手に、360度の景観をパシャパシャと撮影していく。
 表情こそ仮面で覆われているものの、十中八九苦笑いを浮かべているであろうセリアは、
「い、いい反応するね、キミたち……。ここまで案内した甲斐があったよ……」
 都会に来た田舎の修学旅行生かっ、と頭を抱えた大地も、次第に身体がうずき出してしまい、
「待て、オレを忘れるな! レミ、オレを撮れ! この街をバックにな!」
「ちょっと、私が先! アンタが私とあおいを撮りなさい!」
 大地はぐぬぬ……と食い下がるも、レミがしきりに『部長命令』と連呼するので後輩は仕方なしに、街を背景に笑顔でピースをする先輩たちを写真に収めた。
 世界を驚き楽しむ研究部三人の前に、セリアが浮いたまま現れ、
「せっかくだし虚数空間の世界(イマジナリーパート)を案内してあげようじゃないか。この私直々の案内、光栄に思ってくれたまえ」
「ありがとよ。じゃあ頼む」
「では逢坂クン。あのロボットに指を向けて、『こっちに来い』とジェスチャーしてみようか」
 セリアの指した数メートル離れた所。そこには球形の、小学生の身長程度はあろうロボットが歩道を徘徊していた。色は背景に溶け込むように、白を主体としている。
「ヘイ、カモーン」
 大地は人差し指を目的物に伸ばし、クイッと指先を、ロボットを呼びつけるように動かした。すると、指に反応したロボットが路面を滑るようにやって来て、
「今からする私の行為は、見て見ぬ振りをしてくれると助かる」
 そう言うと、セリアはロボットの表面に肉づきの少ない手を添えた。そうしたらピッと鳴り、ロボットの中でガタンと何かが落下し、
「何か落ちた……ってこれ、自販機のロボットなの!?」
 ペットボトルを取り出したレミを筆頭に、大地、あおいは感心してロボットを観察する。
「マジか。ずいぶんと丸っこくてかわいい自販機だな。ああ、よく見たらディスプレイにペットボトルが並んで映ってるわ」
「どうしてこんな形なの、セリアさん?」
「この形はその自販機が取りうるものの一つさ。カラーも含めてコンピュータが演算して、背景に最も適したものに変化し、街を自在に徘徊するんだ。たとえば古風な街並みを無機質な自販機が占めていたら嫌じゃないか? というわけでこのモデルが開発されたんだよ」
 セリアはレミに近寄り、
「走り回って相当疲れた様子だったね、特に深津クンは。ならばそれを飲んでみてはいかがかな?」
 レミはラベルをじっくり見ながら「ほんとに大丈夫?」と訝しげに蓋を開けて、飲み口に唇を触れる。ゴク、ゴクと喉を鳴らしたら、
「…………う、うまい!! カラダも軽くなった気がするわ!!」
虚数空間の世界(イマジナリーパート)の科学を駆使して開発したスポーツドリンクだよ。『飲んだ瞬間に疲れが吹き飛ぶ』という謳い文句で発売された商品さ」
 今度はあおいに寄り添ったセリアは、
「あの素晴らしい蹴りを、このロボットにもお見舞いしてみるといい」
 え? とあおいは目を丸くするも、セリアから「責任は私が持つ」と言葉を掛けられたので、
「えいっ!!」
 あおいはロボットに踏み込み、しなやかな右脚を鋭く振り抜いた。だがしかし、
「あ、あれ……?」
 あおいの行動を予知していたかのごとく自販機は華麗に蹴りを避け、そのままS字を描くように路面を滑り、三人の下から離れていってしまった。
「人の脳波や建物に反射した電波を検出して、周囲に衝突しないようコンピュータが演算した結果だよ」
 度肝を抜かれたように、一連の流れを棒立ちで見届けた大地。
(これがカルチャーショックなのか!? あおいじゃないけど感動で涙が出そうだぜ!!)
 他には……、と期待を膨らませて天球を見上げれば、ビルの合間の空間に巨大なディスプレイが映し出され、気象用人工衛星の打ち上げ方法とそれに関連した組み込みOSの理論提案に関するニュースが流れていた。
「まさに近未来って感じのニュースだね。って、空がキレイ……」
 ニュースに驚かされるばかりではない。ディスプレイのさらに彼方にある夜空にも研究部は注目を向けた。
「未来都市ではまず見られない夜空ね。星の一つひとつがはっきり見えるわ」
 夜の空を鮮やかに覆い尽くす満点の星々。セリアも三人に倣うように空を見上げ、
「この世界は地球と違って、世界全体がドームのように覆われた造りで、あの星々はプラネタリウムのように装置で投影されているものさ」
 一連の案内を聞いたのち、セリアに連れられて街を歩いていく大地たち。歩きながらでも、景色の観察は三人とも怠らなかった。
「なぜここまで科学が発展しているのだろうか、と無論考えるはずだろうね」
「それも含めて、この世界の立ち位置ってなんだ? 存在意義って言えばいいのかな」
「そういえば“冷たいお嬢様”が言ってたわ、『隠し立てられて行われている』って。私たちが知らなかったってことは、この世界は一般人に隠されてるってことなのよね?」
「あっ。海外に科学技術が追いつかれないようにするため、かな? 他国に流出や真似されないように、この閉鎖された世界で科学を研究してるってこと?」
 セリアは世界を抱くように両手を広げ、天空を、そして四辺一帯をぐるりと眺めて、
「正解だ。要は大規模な実験施設だよ、キミたちの住む世界にとってのね。至る所で見るロボットや空間投影型ディスプレイなど、すべてをキミたちの世界で実現させるための実験場なんだ。ヒトとカネを積極的に投資して日々成長を続けている。海外に科学力で差をつけるべく、極力その存在を隠しているのさ」
「てことは迷路のような陸橋もそう? 乗り物がひっきりなしに走ってるけど?」
「そうだね、この世界の公共交通機関は超複雑なネットワーク網になっている。その複雑さの壁を破って、どうしたら利便的な交通を実現できるか、という課題の解消も研究の一つだ」
 そう告げたセリアは膝まで伸びる銀髪を巻くように、クルリと大地らへ顔を向ける。
「さて、案内はこれにておしまいにしよう。キミたちは治安維持対策本部(アンチクライム)に狙われている身だが、私がシステムを弄っておくから危険に晒されることはもうないだろう」
「けど見ず知らずの街に放り出されてもな……。さすがに不安は残るぜ」
「それも冒険の醍醐味として楽しめばいいさ。ただ、何も教えないわけにはいくまいか」
「私たち、とりあえず何をすればいいのよ?」
「まずはICカードを発行してもらわないとね。身分証明、お金のやり取りなど、この街では多くの場面でカードを用いる。発行所のルートマップと発行に必要なコードは深津クンのスマートフォンにメールで送っておくよ」
 発行所でコードを打てば、あとは自動的にカードを発行してくれるから安心してくれたまえ、とセリアは教えてくれた。
「ちょっと待ってセリア。もう一つ訊きておきたいことがあるんだけど。いい?」
 スマートフォンを見せながら、レミはセリアと話をする。気になった大地が訊く前に相談を終えたレミが「あとで話すわ」と言ったので、大地とあおいはうなずいた。
「それでは、機会があったらまた。満足のいく成果が得られるよう期待してるよ」
 背きかけ、そう言い残したセリアは手を振り、街に溶け込むように、幻想のように大地らの下を去っていったのであった。

       2

 仮面を被った情報生命体のセリアと別れたあと、研究部の三人は発行所に赴いてICカードを発行した。
「これがこの街のカードかあ」
 あおいは漆黒色のICカードを街灯にかざして、あらゆる角度から表面を観察する。中央には『i』の銀色のロゴがシンプルに刻印されている。特殊な素材で作られているらしく、破ることも燃やすことも不可能。形状記憶仕様にもなっており、折っても元通りになる。
「来訪者がブラックで、ここに住む人たちが……なんだっけ?」
「ゴールドがお偉いさんでシルバーが科学者、それ以外の住人がブロンズだったかしらね?」
 直近の目的を済ませた三人は街をぶらぶらと歩く。
「ねえ、ごはん食べに行かない? お腹空いたんだけど」
「いいね。オレもハラ減ったし」
「うん、賛成」
「それならカフェに寄りましょうか。これからの方針も決めたいし」
 こうしてストリート沿いに構える西洋風のオープンカフェへと立ち寄った。丸型のテーブルの前に腰掛け、タッチパネルで注文を済ます。
 メニューを待つ間、大地は街並みに目をやり、
「ふむ、高層ビルに囲まれるオープンカフェも悪くない。テクノロジーを感じながら飲むドリンクも格別だろうね。あおいもそう思うだろ?」
「まだ少ししか見てないけど、飽きない世界だよね。お店に入る時に看板を見たけど、一つのハウスで野菜の栽培も家畜の世話も全部するんだって。水や肥料が循環してるんだね、ステキ」
「科学まみれの食材って聞こえは悪いかもしれないけど、私はそっちのほうが安心するわ。野菜は全部水耕栽培、何が入ってるのかも怪しい土は使わない。肥料も化学肥料じゃなくて堆肥らしいし」
 ひょっとしたら街を支える電力も、あっと驚く高効率な発電で賄っているのかもしれない、大地はふと考えた。
「さて。これから私たちどうする?」
「まずは虚数空間の世界(イマジナリーパート)に来た目的をまとめてみない?」
「あーっと……、事の発端は滝上先生が出した、高校生宇宙飛行プロジェクトを研究テーマにした課題だったよな? 開示されていない情報と、プロジェクトに使われたらしい技術の出所を調査してる最中だ」
「ロケットの情報(データ)が、私たちが“未来人の落とし物”と呼ぶUSBメモリに入ってたことがきっかけよね、その研究を任されたのって」
「神代一族の人たちに話を訊いたりして、技術の答えは私たちの知らないこの虚数空間の世界(イマジナリーパート)に隠されてるんじゃないかって考察をして、実際にこうして訪れた」
 あおいが一連の流れと要点をメモ用紙にまとめていく。
「記念碑の中が虚数空間の世界(イマジナリーパート)という科学都市、という事実は掴めた。だから二〇年先を行くような科学技術の謎にはたどり着けたことになるわ。虚数空間の世界(イマジナリーパート)がその答え。けど宇宙飛行プロジェクトの、たとえば高校生を飛行士にした理由などはまだ不明ね。隠れた謎は残ってるわ」
「ならレミちゃん、それをこの世界で探ってみる?」
 と、ここで、注文したメニューが運ばれてきた。レミの前に紅茶付きのエッグベネディクトセットが、大地、あおいの前にホットコーヒー付きのオムライスがそれぞれ置かれる。
 大地は砂糖とクリームを多めに混ぜたホットコーヒーを口に含み、
「ちょっと待て、一つ大事なことを忘れてんぞ」
「そうね。私たちはただこの世界の存在を知るために来たわけじゃないわ」
「え、なに? 忘れてることってあったっけ?」
 と、ちょこんと可愛らしく首を傾げるあおいだけれども、一向に答えを言わずにニヤニヤする大地とレミに、む~~っとこれまた可愛らしく頬を膨らませる。
 ごめんごめんと冗談めかしく笑ったレミは、緩めていた頬を引き締め、
「――〈拡張戦線〉よ。《NETdivAR(ネットダイバー)》を応用した体験型のゲームね。前にも話したように、そのゲームの情報も“未来人の落とし物”にあったのよ。ともすればゲームと宇宙飛行プロジェクトに関わる共通の人物がいるのかもしれないわ」
「未来都市は真相を隠すから、だったら〈拡張戦線〉の関係者に訊けば真相を掴めるかもしれないってことだね」
「おっ、噂をすれば! 見てみろよ、あのスクリーン!」
 大地が指差した先には、ファッションビルに埋め込まれた巨大スクリーンが。カリカリのベーコンを口に含んだレミ、カップを両手で掴むあおいは、揃ってそちらを見た。
 少年少女が剣、魔法の杖を手に携え、凶悪な面の二本足ウサギに構えている姿を映した、体験型アクションゲームの広告だ。まさにそれは虚数空間の世界(イマジナリーパート)の一角を利用し、ARで具現化された敵手《エネミー》を倒していくゲーム――〈拡張戦線〉。『目の前のエネミーをその手で倒せ!』というキャッチコピーが大地の興味心を擽る。
「はーっ、なんて面白そうなゲームなんだ! とりあえずプレイはしようぜ?」
「アンタ、ゲームがしたいだけなら問題アリよ? もち、本題は忘れずにね」
 レミはフォークに刺したパンケーキに黄身を絡ませてもぐもぐ頬張りつつ、大地にビシッと指を差し向けた。
「わかってるって、研究優先だ。……って、そういえばレミ、セリアに何か訊いてたよな?」
「その件については今から話すつもりよ」
 レミはスマートフォンの画面を大地とあおいに見せる。それは不鮮明に写る一人の顔写真。髪色が赤い、歳は一〇代半ばの少女の写真で、
「すでに二人には話したけど、“未来人の落とし物”を解析してたら見つけた、プロジェクトと〈拡張戦線〉、そのどちらにも関わりのあるこの人物。で、セリアに訊いてみたの。『この人物は〈拡張戦線〉に今も携わっているか?』って」
「で、答えは? セリアは知ってたのか?」
「情報生命体だからね、この世界のあらゆる情報を知ってるはずだわ。もちろん、知ってた。で、こう答えてくれたわ――――『ああ、携わっているよ』ってね」
「マジか! まだ、生きて……」
 大地は右手のこぶしを無意識のうちに握る。
「ならレミちゃん、次の方針はもう決まりだね」
「ええ、〈拡張戦線〉に参戦ね。この赤髪の子、それにゲームの制作チームに接触してみましょう。制作チームに接触するには、プレイしながらのほうが警戒もされないだろうし」
「開始時間や受付の場所は、いつの間にかスマホに入ってたこのアプリで調べらるみたいだね」
「あ、オレのスマホにも入ってるわ」
 パズルゲームアプリ、レミの開発した多人数同時通話アプリの隣に、これまでなかったはずの『i』字型のアイコン《i(アイ)-Browser(ブラウザー)》が自然と並んでいた。アプリを立ち上げると、虚数空間の世界(イマジナリーパート)のマップ、交通状況、主要な施設の情報などを確認することができた。
「《NETdivAR(ネットダイバー)》がどのレベルのARなのか気になるわ~。もしかしたら私の研究に活かせるかも!」
 レミはウキウキの表情で、勢いよく握り拳を挙げて、
「よーし、明日は土曜日だし気兼ねなくこの世界を満喫ね! ゲームに備えてちゃっちゃと寝るわよぉー!!」
「いや寝るって、どこでだよっ」
「ネカフェでよくない? さすがにこの世界にもネカフェはあるでしょ? 安いし、個室を使えば安全。年齢を誤魔化せば高校生(わたしたち)でも泊まれるでしょ」
 ネットカフェで寝ることに抵抗のない者の発言だが、大地とあおいにはイマイチ理解できない発言である。けれども安いという理由に反論できず、結局三人は近くのネットカフェで一泊したのであった。

       ◇

「おーい、起きろレミ。このままじゃ延長料金取られんぞ?」
 普段巻くヘアバンドは額になく、頬に掛かる程度に伸びたオレンジ髪を下ろしている大地。極楽の世界を満喫しているのではないかと思えてしまうほどに、心地よさそうにソファへ身体を預けるレミの肩を何度も揺するが、
「うんにゃぁ~……、あと少しだけぇ……ねんねするぅのぉ…………」
 ムニャムニャとレミは漏らす。大地は負けじと小柄な身体を揺するが、それ以上の反応は残念ながらなかった。西洋人形のような愛らしい顔立ちでも、その長所を台無しにしてしまう怠けっぷりにはイラ立ちを覚えるレベルだ。
「あはは……、レミちゃんなかなか起きないもんね。延長料金はそこまで高くないし、三〇分伸ばそうか。その間、一緒に朝ごはん食べない?」
「しょうがねえな……。うしっ、食べるか!」
 諦めた大地は朝食プレートをあおいと注文し、一緒に頬張った。そして三〇分後、再びレミを起こしにかかるがまたもや跳ね返されてしまい、結局その三〇分後に店を出ることになった。
 無人機相手にカードで清算を済ませながら、レミは口元を緩めて八重歯を覗かせ、
「いやー、ごめんね。昨日は疲れちゃって。あんなに動いたのは何年ぶりかしら?」
「レミちゃん、体育はよくサボってるもんね。お医者さんに言われたとおり、少しは運動したほうがいいんじゃない?」
 体育以外の成績はわりと優秀らしいので、体育はサボっても見逃されるという噂はかねてから耳にしていた大地は、
「オレなんかマジメに授業受けてるのに教師から陰口叩かれてんぞ。どうやったら連中を味方に付けられるんだ?」
 あおいとレミは大地の全身を凝視し、
「いくら成績がよくても……ね?」
「趣味悪いシャツやめてアクセ外せば済むハナシなのに」
「う、うるせえ! はよ行くぞ!」
 大地はそっぽを向くように顔を逸らし、
「そういやあ、まだ夜の街並みしか見てなかったか? 太陽昇ったサイバーパンク都市ってのも乙なモンだろうな~」
 大地を先頭に店の外へと出た。……が、
「あれ?」
 世界は宿泊前と変わらず夜のままだった。太陽は昇っておらず、数えるのが数秒で億劫になるほどの星々が夜空を埋めている。
「ああ、ここドーム型の世界だっけか? 太陽ないのな……」
 大地はガックリと肩を落としたが、気持ちを切り替え、
「よし、さっそく〈拡張戦線〉の受付に向かうか!」
「受付の場所と時間は調べておいたわ。歩いて十五分の場所よ」
 そうして受付会場へと向かい、時刻は午前十時半を回ったところ、三人が目的地に到着すれば、百人程度の人間が会場をごったに占領していた。
「おお、人混みがすごいな! これ、全員が〈拡張戦線〉目的か?」
「やっぱり大人が多いね。普通の学生だったらまず参加はしないだろうし。この世界の研究者に関係ある人たちかな?」
「うげっ、人混みは嫌いなのよね。ゲームが始まればバラけはするでしょうけど……」
 参加者のメイン層は大学生、社会人と思われる青年たち。開始の三〇分前だが、数多の面々が賑やかな様相を見せている。
「にしても記念碑の塔……ここでの正式名称は〈ポイント・ゼロ〉だっけか、その周りをゲームのために貸し切るんだってな。塔って街の中心だぞ?」
「なんだかスケールが違うよね。《NETdivAR(ネットダイバー)》が虚数空間の世界(イマジナリーパート)にとってそれだけ重要な研究テーマなのかな?」
「ま、そういうことだと思うわ。貸し切るってつまり、店も閉めるわけだし」
 大地らは人混みを潜り抜け、集会用テントの下で参加の手続きをする。
「やっぱりラストの開催日だったのか。セリアの言ったとおりだ」
 運営元である〝拡張現実(かくちょうげんじつ)研究所(けんきゅうじょ)〟が研究成果のお披露目、およびさらなる研究の発展という名目の下に開催をする〈拡張戦線〉。不定期の開催らしいが、今クールの開催期間は一週間、全七回であり、本日が最終日となっていた。虚数空間の世界(イマジナリーパート)の中心に立つ〈ポイント・ゼロ〉の周囲3×3平方キロメートルがゲームのフィールドとなる。
「はい、これが《パラレルコネクタ》。私が髪飾り型、大地が腕輪型、あおいがチョーカー型で構わないわよね」
 レミから渡された腕輪型のそれを受け取ると、大地は不思議そうに目を凝らし、
「これがあのメガネの代わりになるんだよな、信じられん」
 《パラレルコネクタ》――、使用者を拡張世界(コンプレックスフィールド)へと誘うアイテムだ。腕輪型、チョーカー型、指輪型、髪飾り型、アンクレット型が存在し、色も多様である。
「空気中の原子から電子を取り出して、レンズを作って瞳を覆うんだって。フェルミ粒子が由来だから“フェルミレンズ”って呼ばれてるみたい」
 あおいは首に装着したチョーカー型のコネクタに触れてボタンを押し、
「わっ! ほんとに見えるっ。すごい、レンズの感覚なんか全然ないのに!」
 普段のか細い口調は影を潜めて声を弾ませたあおいは、何もないただの空間をタッチしている。胸元を指でツンツンする様相は見ていて不思議な光景だと、大地は思った。
 レミは金髪に添えたコネクタに触れて、
「ふふ、はしゃいじゃって。……――おっ、AR! メガネなしでも見られるなんて。ホント、この世界の技術はどうなってるのよ」
 先輩らに続いて大地も、左手首にはめたコネクタのスイッチを押した。すると――、
「うおっ!」
 参加者で賑わう光景(げんじつ)が広がる中、そこに重なるように数種の仮想ウィンドウが出現した。視界の右上にはブルーのHPゲージ、その下に現在の装備状況『No_Weapon』、左上にはチームメンバーの名前・状況という構成で、たとえば大地の視界の左上には『Lemi-Fukatsu -Waiting-』、『Aoi-Nakahara -Waiting-』なる表示がなされていた。
「ルール説明はもうじきのようね。説明を聞いたあと、スタートの合図で解散だって」
「それにしても結構な数が集まってるよな。腕利きのプレイヤーも多そうだ」
 面々の中には、大地の知らない用語をさも当たり前のように話す者だっている。また顔見知りなのか、チーム単位で「協力しよう」、「まずはあのチームを陥れよう」という会話も交わされていた。
「何も知らない私たちじゃ苦戦しそうね……。この催しみたいにゲーム形式で研究をお披露目することは珍しくなさそうだから、慣れてるプレイヤーを参考にしないと」
「いいじゃねえか、やってやろうじゃねえか! たとえゲームでも研究でもやるからには勝とうぜ! な、あおい!」
 大地はキラリと歯を輝かせてみせたが、あおいはARに夢中でまるで聞いていない様子。
「わっ、スイッチ切ったら人が消えた。そっか、仮想体でも参戦できるんだっけ」
「仮想体? ああ、そんな参戦形態もあるって言ってたっけな」
 そう、〈拡張戦線〉には二つの参戦形態がある。一つは大地らのような生身での参戦であり、そしてもう一つが拡張世界(コンプレックスフィールド)上に投影される〝仮想体〟での参戦だ。
「レミも仮想体のほうがよかったんじゃ? ヘッドマウントディスプレイを被ってればいいんだろ、たしか。身体能力はレミの生身よりマシになるし、疲れも感じないらしいし」
 仮想体のメリットは、大地が述べるように身体能力が年代・性別ごとの平均値に一律に設定され、かつ体力の消費が皆無な点。一方、
「でも大地くん、生身なら攻撃を受けても肉体に干渉はないでしょ? 生身と仮想体、どっちにも長所と短所があるみたい」
 たとえばエネミーによる突進を受けた場合、プレイヤーが生身ならば、仮想体で構築されるエネミーは肉体という実体を透過するのみである(ただしダメージを食らうとコネクタから微弱の電流が身体に流れる)。しかしプレイヤー自身も仮想体ならば、仮想体と仮想体同士が干渉し合い、仮にエネミーの突進を浴びた場合、プレイヤーは吹き飛ばされてしまう仕様なのだ。
「仲間外れはイヤよ。それに私は生身でARに触れたいの。この感覚わからないかしら?」
「ハナシを聞く限り、結構走り回るらしいからな。せいぜい足手まといになるなよ?」
「はいはい、アンタもチキン発動させて足引っ張らないようにね」
 全体説明の開始までゲームシステムとARに慣れておこうと、仮想ウィンドウ上のアイコンを弄り始めた大地。すると、
「あん?」
 視線の先、一人の少女がキョロキョロと不安そうな面持ちで人混みをうろついていたのだ。肩に掛かるシャギースタイルの赤髪、それにオレンジのラインが入った、黒を基調とした戦闘用スーツを着用している。
(あの顔……っ。まさか!)
 追い求めていた彼女と、外見の特徴が見事に似ている。大地は驚いた。
 それにしても、
(胸がデカイッ。鷲掴みしても手から零れるんじゃね!?)
 密着感のあるスーツだからか、身体の線がクッキリと映える。全体的にスリムな身体つきではあるが、出ている箇所はしっかりと主張をしていた。思春期少年の目も思わず釘づけ。
「……っ、どんな目で見てるのよっ。気持ち悪いッたらありゃしないわっ。キモッ、キモッ」
 すかさずレミが汚物を見るような目で大地を睨み、彼の肩をチョップする。
「でも、あの人って……。レミちゃんが見せてくれた顔写真の子に似てない?」
「あおいもそう思う? 私も」
「困ってそうだね。誰かとはぐれちゃったのかな?」
 あおいは眉をひそめて心配そうに呟いた。
「ははーんっ、ならばここは、紳士なオレ様が声をかけてやるか!」
「やめい! モロ不良なアンタが近づいても怯えられるだけよ! ……って、ガラの悪そうな連中に先越されたし。はぁ、この世界にもああいうの……いるんだ」
 大地が寄る前に、いかにもヤンチャですと主張しているような若い男のグループが少女に声をかけたようだ。少女は形式的な笑みさえ浮かべてはいるが、口の端はほのかに強張っている。
「どうしよう……? って、大地くん!?」
 あおいが赤髪少女とグループを交互にオロオロ見ている時だった。
「その子、怖がってんぜ。テメェらが他人の目にどう映るか、少しは客観的に見たらどうだ?」
 金属製のアクセサリをジャラリと身に着けたオレンジ髪の男子高校生が、グループに遠慮なく言い放つ。言われた側は鬱陶しそうに顔を歪め、ああん? と声の方を向いたが、
「ヒッ、ごめんなさい!!」
 大地の鋭い睨みを見て、グループはソソクサと去っていくのであった。
 大地は少女に近寄り、ついでに顔の特徴をちらりと眺めてみると、
(か、かわいい……!)
 くりくりと大きな瞳に、柔らかな目尻。そしてスラッとした鼻立ち、ふっくら艶のある桃色の唇。近くで見ると、その顔立ちのレベルの高さが改めて伺えた。
「あ、あのっ、オレのこと覚えて――……」
 と、大地が伺いかけたその拍子に、
「怖がってる、ですって? そのセリフ、録音してリピート再生してろ!」
 背後から轟いたのはレミのツッコミ。ンだよォ、せっかくのイイ流れに水を差すなよ、と大地は文句を付けようとしたが、赤髪少女の引きつった笑みを前に文句は心の奥底へと封印した。
 研究部の代表者であるレミは大地を退かして、
「悪かったわね、このアホが迷惑かけて。見た目はまんまヤンキーだけど、性格は怖くないから。典型的な見た目だけの男よ、コイツはね」
「私たち、初心者でして。その様子だと、あなたも初心者さんですか?」
 あおいは天使の笑みで尋ねると、赤髪少女は困り顔で頬をかき、
「実を言うと……どうして私がここにいるのか、全くわからない状態でして……。いわゆる記憶喪失ってヤツ……かな?」
「記憶喪失? どういうことだ?」
 首を捻った大地は試しにコネクタの電源を切ると、目下の赤髪少女は完璧に消え、電源を入れ直すとその姿が再び現れる。彼女は仮想体としての参戦者らしい。着ている戦闘用のスーツも、カラーは多様だが、仮想体での参戦者が着ているフォーマットのものだ。
「やっぱり似てない? 例の写真の子の顔と」
 レミは目の前の少女とスマートフォンに映した顔写真を交互に見て、そう感想を漏らす。
 大地らは高校生宇宙飛行プロジェクトのことを少女に問うてみたものの、記憶喪失の彼女はやはり首を横に振る。
「はぁ、鍵になりそうな人物がよりによって記憶喪失とはね……。それにプレイヤー側にいるのも、よく考えてみたらう~んだし。てっきり運営側にいるものかと。ま、ともかく」
 レミは落胆から表情を戻して、あおいと一緒に首を捻り、
「話を記憶喪失に戻すけど、ひょっとしたら仮想体になったのが原因? オカルトな表現かもしれないけど、仮想体って魂と肉体の分離状態なのよね。それにアナログをデジタルに変換させるとも言えるの。その過程で記憶を司る部分に変換ミスが生じた、とか?」
「普通にしゃべれるってことは……〝意味記憶〟は無事で、〝エピソード記憶〟だけが抜け落ちたってことだよね? この世界での研究成果は知らないけど、実は脳ってまだわからないことだらけなんだ。だから変換装置が完璧じゃなかったのかも」
 人の記憶は大きく二種類に分けられ、言葉の意味を記憶する〝意味記憶〟、そして前者の対になる、自身の経験により記憶される〝エピソード記憶〟が存在する。
「じゃあ、ゲームで遊んだ〝エピソード〟は覚えてなくて、ゲームの〝意味〟自体は、記憶喪失前に知ってたら今も覚えてるってことか?」
「境界は曖昧だけどね。どっちの領域? って記憶もあるし」
 赤髪の少女はむむっと目をつむって、大きなバストを支えるように腕を組み、
「なんとなくだけど、ARをふんだんに使ったゲームだってのは覚えてるよ。だけど、どうしてここに私が……ってゆーのはサッパリ。気づいたら彷徨ってて」
 困惑顔であはは……と愛想笑いをした。
 大地も頭を抱えるついで、少女の綺麗な顔立ちを一瞥してみると、
(それにしても、誰かに似てる顔のような……? 気のせいか?)
 大地の関心を感じ取ったのか、
「ん、どうしたの?」
「あっ、いやいや! その髪飾り、珍しいなーなんて思ったんですよ、ハハッ」
 前髪を留めている、木星と地球を串刺しにした形の髪飾り。少女は前髪に手を掛け、外した髪飾りをマジマジと確認すると、
「へー、こんなの付けてたんだ。かわいいね。ふふん、気づいてくれてありがと」
 ニコッと、飾り気のない無垢な笑顔を大地に向けた。シンプルだからこそのよさ溢れるその笑みに、大地の全身が熱を帯びる。
「だいちー、顔赤いよ? 照れちゃってる?」
 レミは軽く肘をぶつけ、小悪魔のように後輩をからかったが、大地がすかさず反撃をする。
 一方、あおいは歓迎の意を含んだ笑みで、
「よかったら一緒に行動しない? 三人だと不安だし、一人でも味方が多いと嬉しいよ」
「え、いいの?」
「そうね。私たち生身だし、一人でも仮想体がいると戦略の幅が広がるわ。それに私たち、この写真の人物を追ってるのよ。ひょっとしたらあなたかもしれないから、記憶喪失の謎も一緒に追ってきましょう」
「ほんとだね、私に似てる……」
 写真を覗きながらあおいとレミの誘いを聞くと、赤髪少女は大地に上目使いで、
「キミは……どう? 私が混じっても……いいのかな?」
「ハッ、ハイ! 喜んで! 協力お願いします!」
「うん、ありがとう。よろしくね」
 レミは赤髪少女に改めて顔を向け、
「そうと決まったら自己紹介といきましょうか。私たち、研究部って部活の集まりよ。高校生宇宙飛行プロジェクトを研究する過程でちょっくらこのゲームに参戦したの。私は部長の深津檸御。レミでいいわ」
「私は中原あおい、高校二年生。ちなみにレミちゃんも同級生で、そこの大地くんが一年生。私のことはあおいって呼んでね」
「はえっ、その子年下だったの!?」
「それくらい上下関係のない部活ってこった。オレは逢坂大地、よろしくお願いします」
「あ、だから敬語使ってくれてたんだね。別にタメ口でいいよ」
「え、いいんっすか? わかった、じゃあタメ口で」
 それぞれの自己紹介を前にペコリと頭を下げた赤髪の少女は、大地に顔を向けて、
「そういえば『覚えてる?』ってさっき私に訊いた? 私たち知り合い?」
「いや、知り合いってほどじゃないんだ。講演会で話を聞いたことがあるってだけで。よく考えたら記憶喪失じゃなくても、オレのことを覚えてるはずなんかないかな」
「そうなんだ。ごめんね、やっぱりキミのことは覚えてなくて」
 彼女は三人を見回して、
「実は自分の名前も忘れちゃってて……。だけどね、〝ヒナ〟って呼ばれてたことはなぜか覚えてるんだ。だからみんな、ヒナって呼んでね。よろしくお願いします」
 自己紹介を終えると記憶喪失の少女、ヒナは礼儀正しく深々と頭を下げた。
「ああ、よろしく!」
 ヒナのチーム参加申請をレミが受諾し、晴れてヒナは研究部チームへと加わった。

       ◇

 時刻は午後十一時、五分前。
 集ったプレイヤーたちはスタッフの案内の元、ゲームフィールド内にある五か所のスタートエリアへと振り分けられることになった。人の密集による事故を防ぐためらしい。
「あの、すみません」
 移動中、レミはスタッフの一人にヒナの記憶喪失のことを相談した。
「ごめんなさい。私は雇われのバイトでして、技術的な面で詳しいことはお答えできません。研究所所属の研究員もスタッフとしてフィールドで待機しておりますので、よろしければそちらにご相談ください。私からも研究所に連絡を入れておきます」
「ありがとうございます」
 話しかけたスタッフがバイトであることは想定していたのか、レミは素直にお礼を述べる。
「ま、すんなり解決とはいかないな」
 広さ3×3平方キロメートルのゲームフィールド。大地たちはスタッフに付いていく形で摩天楼の下を歩き、研究部チームはエリアD、駅ビルを模した施設に面する六車線の通りで位置に着いた。フィールドを照らすのは道路脇の街灯程度で、建物内に灯りはあまりなく、辺りは薄暗い。道先に一般の通行人や自動車の姿は当然なかった。
 五分割されたことでぐっと減った二〇人ほどのプレイヤーが、大地らの傍で待機をしている。そしてプレイヤーの振り分けが完了したら、
『本日は我が“拡張現実研究所”主催の〈拡張戦線〉に参加していただき誠にありがとうございます。これからゲーム開始までの間、ルール説明をさせて頂きますのでプレイヤーの皆様はどうか聞き漏らしのないようお願いします』
 女性の声の案内が流れ始める。それに伴い、周りの喧騒は刻々と静まってゆく。
(この声、どっかで……。って、骨伝導で音を伝えてるのか?)
 左手首にはめた《パラレルコネクタ》を見やれば、小刻みな振動を音声に合わせて繰り返している。実感は湧かないが、振動による波が骨に伝わり、頭蓋骨に響いた振動が最終的に聴覚神経へ到達することによってプレイヤーに案内(こえ)を届けているようだ。
『チームの順位は、主にプレイ時間と敵手(エネミー)の撃破数から割り出された勝利ポイントより決定されます。すなわちより長く生き残り、よりエネミーを撃破することが勝利の鍵になります』
 仮想ウィンドウにゲームプレイ時間(秒)、エネミーの撃破数とレベル、チームの参加人数に伴う補正値、参戦形態による補正値(仮想体か否か)等のデータで構成された勝利ポイントの算出式が表示される。
『フィールド内には五段階にレベル分けされたエネミーが出現します。チームメンバー全員のHPがゼロになった時点で、そのチームはゲームオーバーとなります』
 ゲームオーバーになるまで獲得した勝利ポイントに応じ、上位三組を入賞とし、入賞チームには賞金と副賞が与えられる旨も伝えられる。
「お、なんだ?」
 突如、視界の中央に出現したのは、五つの仮想ウィンドウに分けられた武器のイラスト。
『皆様の視界に現れたでしょうか? それらはエネミーと対するための武器であり、お好きなものを一つ、ゲームの開始までに選ぶようお願いします。各武器の説明はウィンドウの右下にあるヘルプアイコンを選択してご確認ください。それではご武運を祈ります』
 コネクタの振動は途絶えた。そして視界の左下に、スタートまでのカウントダウンが赤いフォントで刻まれる。残り時間は三分弱――――。
「オレは〈ソード〉でいくぜ。やっぱ剣士が一番カッコいいだろ?」
 上段には、左から剣〈ソード〉、フィンガーレスグローブ〈ストライク〉の、下段には魔術ステッキ〈マジック〉、ハンドガン型の銃〈ショット〉、スナイパー型の銃〈ライフル〉のイラストが並ぶ。
「なになに、『フィールド内に隠されたウェポン〈セカンド〉を使うことで武器を進化させられます』……だって。それに近接戦闘型のは威力が高めで、遠距離型になると低くなるみたい」
 レミは悩ましげに仮想ウィンドウをスクロールさせる。
「私は〈ストライク〉にする。拳と脚に攻撃判定が生まるみたいだし、研究が活かせるかも」
「体術のあるあおいにはうってつけの武器じゃない? 私は……、〈ショット〉にしとこ。遠距離攻撃なら移動は少なくて済みそうだし」
 赤髪少女のヒナは三者の意見を聞いてから、
「それじゃあ私は〈ライフル〉で。みんな違う武器のほうが戦略は広がるよね」
「〈ライフル〉ってスナイパーの武器だろ? 扱いが一番難しいじゃねえの?」
 ヒナは豊満な胸を自信満々に張って、
「ふっふーん、私に任せなさい。なんだか知らないけど自信がみなぎってるのっ」