布きれのような敷物の上に座らされた大地。自分はふわふわクッションのクセしてゲストに無礼だろ、とでも文句を付けたくなったが、後始末が面倒なのでここはグッと押し黙った。
「それでレミ、オレを呼んだ理由ってなんだ? 宇宙飛行プロジェクトの件でか?」
「ザッツライト。大地にはまだあのUSBメモリのデータを見せてなかったでしょ? アンタにも一度目を通してほしくて呼んだわけ」
 ノートパソコンを操作するレミ。ちなみにデスクトップ型のディスプレイには、蟻のようなプログラミング言語が何百行に渡って記述されている。
(何がなんだかサッパリ。プログラミングの腕は確かなんだよな。やっぱすごいわ、この先輩)
 大地の視線に気づいたのか、
「ふふん、電子ドラッグのコードよ。モルモット役はまず大地ね」
「イヤに決まってんだろ、コラッ! 誰がモルモットになるか!!」
「冗談よ。そんなの作れるわけないでしょ。これはARを操作するアプリのコード。開発途中だけどこんな感じのアプリよ」
 レミが紙のマーカーにスマートフォンをかざすと、ディスプレイに無地の箱が現れる。彼女がその箱を指でなぞったら、それに合わせて箱は動いたり形を変えたりした。
「大した使い道はないわ。ARに触れたら面白そうだなーって、遊び半分で開発してるのよ。本題の話をするために準備するからちょっと待っててね」
「わかったよ。……て、ん?」
 写真や書類などの資料が床に散らかっていることに気づいた大地。
「ああ、それ? こないだのシンポジウムでね、学生研究員がくれたのよ。宇宙飛行プロジェクトの研究の参考にしてくださいって」
 ふーん、とレミの準備が整うまで資料をパラパラと拝見する大地。すると――……、
「……。どこかで」
 手を止めたのは四枚目の写真。背の高い白いロケットの前で、ヘルメットを除いた宇宙服を着て写真に納まる人物を発見する。あくまでロケットが主役の写真で、人の映りは悪い。けれど、思わずその人物に目を凝らして、
(赤髪……女? ぼんやりしてるけど、この顔立ち……)
 ――この未来都市に越して約半年が過ぎ、あの赤髪の少女とは一度も顔を合わせていない事実。そして彼女の夢は宇宙飛行士になること。
(この人、まさか――――ッ)
 写真を見つめながら青ざめる大地の顔を、レミは訝しげに覗き込み、
「どしたの? 何か悪いものでも映り込んでた? え、幽霊とか? ちょっとやめてよ」
「この赤い髪の人、知ってる人かもしれなくて……」
「マジで? この赤い髪の?」
「そうだ。……いや、映りが悪いし違う可能性のほうが高いんだろうけど……」
「この子が大地の知り合いかどうかは置いといて。ちょうど私もその子に絡んだ話をしたかったところよ」
「どういうことだ?」
 写真から顔を上げた大地の視線をディスプレイに誘導させたレミは、一通りキーボードを叩いて本題を切り出す。
「シンポジウムの日にも言ったけど、宇宙飛行プロジェクトを突きとめる鍵にARを挙げたわよね? そこでこれ、大地に見てほしいもの」
 黒背景に、数十行に渡る白い文字の列が画面に連なっている。すべてが英数字の、目で追うだけでも頭が痛くなりそうな量だが、その一行目だけはなんとか追う気になれ、
「Kakucho-Sensen――……。……かくちょう、せんせん?」
「そうよ、〈拡張戦線〉。この暗号じみた文字をすべて解析したわけじゃないけど、〈拡張戦線〉が《NETdivAR(ネットダイバー)》を応用した体感型のゲームってことはわかったわ。ネットワークが張られたエリアに出るARのモンスターを倒すっていう、なかなか面白そうなものよ。で、これを見て」
 そう言ってレミは画面を切り替える。プレイ映像のキャプチャだろうか? 緑色のビーム状のラインが幾多に重なる中、巨大なARの蜘蛛を相手に武器を構えるプレイヤーたち。レミはその映像からある一点を拡大すると、
「赤い……髪の。それにこの顔……」
 先ほど見たロケットの写真よりも鮮明に顔が写っている。今度こそ見覚えのある顔だ。
「ええ、これに映ってるのよ。画像の更新日時は宇宙飛行の日よりも半年前だけど」
 まさか宇宙飛行プロジェクトに、そしてこの〈拡張戦線〉とやらに彼女への手がかりがあるというのか。もしプロジェクトに参加していたとしたら、今はもう、存命ではない?
「《NETdivAR(ネットダイバー)》繋がりでこのデータがUSBメモリにあるんかな。にしても聞いたことねえ、そんなゲームがあれば話題になりそうなのに。よその街で開催されてたのか?」
「少なくとも未来都市(ここ)ではないわ。調べたけど、日本にも海外にもこんなゲームが行われてる情報はなかった」
「そうかー。場所がわかればちっとは研究も進むのになー」
「ゲームエリアに見えるデータはあったんだけどね。これ」
 同じ黒背景に緑と白色のラインで構築されているレミの映したそれは、都市の立体的な3Dデータだ。おそらくゲームのエリア図であり、緑がエリア内、白がエリア外を現しているのだろう。ラインだけですさまじい摩天楼が想像できる。
「見慣れない建物が並ぶけど、この塔ってなんだかアレに似てない?」
「アレ? アレって……」
 少し考えてから、大地はあっと無意識に声を出した。
「ひょっとして」
 窓へ眼差しを飛ばすと、天へとそびえる一本の白き塔――〝未来の記念碑〟が目に触れる。未来都市の中央に建つ、高さ300メートルほどの塔型の記念碑だ。教育、研究施設が連なる平坦な街並みの中、その塔は都市において最も高い建造物である。
「何かと謎の記念碑よね。中に入れそうな扉はあるわ、けれど厳重なロックがかかってるわで。そこまでして護る価値があるのかしら?」
「一応は街のモチーフって役割らしいけどな。ロックの理由はわからんけど」
 そうレミと語らいながら思い浮かべたのは、先日バスの中で見た幻のような都市の光景と銀髪の女。たしか《パラレルレンズ》を掛けた状態で未来の記念碑を視界に入れたことが事の発端だった。モニターに映る摩天楼のようなラインもその連想を強調づける。
「まあ記念碑はともかく、使ってるARが宇宙飛行プロジェクトと同じなら、〈拡張戦線〉の制作チームに接触できれば研究が進みそうだけど」
「だな。〈拡張戦線〉の開催場所と制作チームを調べる必要がありそうだ。少しずつだけど方向性が見えてきた気がする」
 そう口にした大地の顔は、この部屋に入る前にはなかった真剣みを帯びている。
「ん、目の色が変わった? 気のせい? 先生から研究を託された時は、なんとなくって感じだったけど」
「どうだか。ま、知りたいことは増えたかもな」
 もし宇宙飛行プロジェクトが彼女への手がかりになるとしたら。掴んで、そして未来都市へとやって来るきっかけをくれたお礼を言いたい。たとえそれが墓標の前だたとしても。
「そういうレミはこの研究をする理由ってあるのか? 滝上先生から任されただけ?」
「私? まあそうね、プロジェクトの脇役ではあるけど《NETdivAR(ネットダイバー)》に興味があるわ。まるで聞いたことがない技術だし」
「研究部の情報技術を担当するだけあるな」
 しかしレミはもう一つ、理由を大地に語った。
「別に仲が良かったわけじゃないんだけど、宇宙飛行士に選ばれて犠牲になったらしい中学時代のクラスメイトがいるのよ」
 宇宙飛行士として選ばれたこと、犠牲になったことは、かつての同級生間で語られる噂が情報源(ソース)。未来都市は犠牲者を公表していない。しかしこの未来都市で最も優秀な城ケ丘高校に進学し、なおかつ高校では上位の成績を収めていたこと、事故後に一切姿を見せていない事実があることから、噂の信ぴょう性はかなり高いそうだ。
「弔いのつもりはないわ。でも犠牲になった同級生の成果がひた隠しにされてるのは残念。命と引き換えになる危険があってでも成し遂げたかったことは……、知りたいわね」
「そうなのか……」
 大地に限らずレミも、あおいも、プロジェクトに向き合う理由を持っているようだ。
「よし、オレたちで掴んでやろうぜ。宇宙飛行プロジェクトに隠された謎を!」

       4

(もう! 病院の中は自由にスマホも弄れやしない)
 白衣のほか、看護服、ならびに病人服を着る人々が行き来するロビー。背もたれ椅子に小柄な身体を預けつつ、レミは心の中で恨みがましくぼやいた。
 ここ最近悩まされている肩こりの検診のため、高校に隣接する病院へと訪れていたレミ。そろそろ名前が呼ばれるころ、どうせ運動不足を指摘されるだろうと考えた矢先、
「あん?」
 切れ長の碧眼が視界の端に気になる存在を捉えた。
(あの女って)
 焦点を定めた先に見知った顔がいる。花束を抱え、凛然とした立ち振る舞いで廊下を進むその風柄。
(たしか“冷たいお嬢様”とか呼ばれてた……。同じ高校の同級生だっけ? 花束ってことは……誰かへのお見舞い?)
 背中に伸びるきめの細かい青のストレートの髪。スマートな身体つきではあるが、レミにはない魅力的なバストを持っている。くりくりとした瞳、シャープな目尻が際立つ女子だ。
(冷たい態度で密かに有名だっけ。友達だって少ないみたいだし。顔もよくて頭も、スタイルもいいのにね。もったいない)
 って、これじゃあ嫉妬してるみたいじゃない、とレミは心中で自重を促したが、同時に一つ思い及び、
(でも、誰のお見舞いかしら? あまりイイ顔してない様子を見ると――……)

 翌日、放課後。
 レミは部室の扉を開ける。先ほどは廊下ですれ違った大地に声をかけ、一緒に来てほしいことを伝えたのだが、彼は『当てを見つけた』と言い残し、一人で外へ出て行ったのだ。
「あ、レミちゃん。昨日の診察の結果はどうだった?」
 部室を共有するあおいが穏やかな笑顔でレミを出迎える。
「運動不足だって。部屋に籠ってPCいじってないで、たまには外に出ろってさ。それくらいセルフで診察できるわよって結果。まあ、無料《タダ》だから別にいいけど」
 未来都市の学校に通う生徒は、通院にかかる費用を街が全額負担してくれる制度があるのだ。そのため、身体に気がかりがあれば気軽に診察を受けることができる。
「どう、宇宙飛行プロジェクトの件は進んでる? 何かわかったことある?」
 あおいはミニ冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを取り出し、二つのカップに注いでからレミの近くに腰掛けた。
「ううん、全然。ネットで調べてもそれらしい情報、見つからなくて。本も同じ。レミちゃんは? あのUSBメモリの解析は進んでる?」
「昨日今日で進展はないわ。〈拡張戦線〉もダメね。……いや、一つあった。謎のテキストファイルが一つ見つかって。――『お姉ちゃん、待ってるから』って一文だけのね」
「お姉ちゃん? そのUSBは誰かの妹のものってことかな? なんでそんなメッセージを残したんだろ?」
「さあ? これっぽっちもわかんないわ」
 やれやれと肩をすくめるレミ。
「近未来の技術の情報は詰まってるけど、USBメモリのハード自体は現代の性能と変わらないそうなのよね。城ヶ丘の協力者が言ってたわ」
「てことは、すごい技術も実は近い所で発明されたもの? たとえばタイムマシンでこの時間軸にやって来た未来人も、そんなに離れた未来の住人じゃない……?」
「タイムマシンなんてありえるの? あんなのSFの妄想でしょ?」
「相対性理論では未来に行くことは可能でも、過去に行くことは難しいって。タイムマシンも夢があって素敵だけど、現実で考えるとちょっとね」
「そもそも誰が未来人なんて言い出したんだっけ。異世界人が~でもいいんじゃないの?」
 ふぅ、とレミは気のないため息を吐いた。未来人だろうが異世界人だろうが議論していても無意味かと、行き詰まりを覚えて頭を抱える。
「レミちゃん、やっぱり私たちじゃ限界が……」
「そうね……。はあ、見事に壁にぶち当たったわ」
 カップに口を添え、甘いジュースで喉を潤したレミ。ゴクリと、静寂な空間に喉音が響く。