マージナル・ハート

序章  とある双子姉妹と宇宙にまつわる一つの物語 -Prolog-



 手に収まる世界の中では、今まさに夢を叶えようとする者たちがいる。張りつめたように目顔は硬いものの、それでも胸に抱いているのはきっと、未知なる天空(せかい)に対する無限の希望。
 その者たちと自らを遮る隔たりに親指を滑らせ――、少女はそっと奥歯を噛み締めた。ディスプレイが淡く照り返すのは、どこか心残りを滲ませた表情(かお)
 この瞬間は、生涯迎えないでほしいとさえ望んでいたのに。
 風がひとたび吹く。巻き上がるように靡いた、蒼く長い髪。つられて天を見上げれば、曇る心を嘲笑うかのように、秋の晴天が空いっぱいに広がっている。
 胸元に垂れるロケットペンダント。中に収まるのは、大切にしていたはずの写真。そこにはほほ笑む自分と、背後から腕を回して密着する赤い髪の少女。
 顔立ちはそっくりなのに、違う。
「ねえ――……、どうしてあなたが選ばれたの?」

 天空から視線を戻せば、地平線の彼方には憧れの、宇宙(そら)への飛行船。
 ふと気づけば、発射まで定刻の一分前。
 祈りを捧げるよう胸の前で手を組み、瞳を閉じた――“姉”。

緋那子(ひなこ)、どうか無事に帰ってきてください」

 悔恨は不思議と失せていた。
 心を埋めたのは妹の無事な姿、たったそれだけ。
 
 3、2、1、0――……。心の中でカウントダウンを唱え、腕時計の秒針がきっかり『12』を指した瞬間に、機体は打ち上げられた。
 2020年10月8日午前九時三〇分。
 地を離れたそれは、遥か離れたこの場の空気をも震わせてしまう轟音とともに、空高く昇ってゆく。

 はずだったのに。

 祈る少女の悲鳴がこだましたのは、それからほんの少しの時が経ってからだった。


第一章  拡張世界〈コンプレックスフィールド〉


       1

 右下の薄青い円形のランチャーに専用のペンを這わせ、人の上半身を模ったアイコンをタッチすれば、半透明な仮想のウィンドウが流れるように中央へ出現し、
「おお!! これがウワサのARか!? なになに……、ほうほう……」
 ウィンドウの左側には少女の顔写真が、右側には所属、名前、性別、生年月日、身長・体重が上から順に表示される。
「『桜鈴館高校 研究部』『中原あおい』『女』『2005年2月19日』『159センチ』……っておい、体重はどうした? そこ、空欄のままになってるし」
 右上のバツ印をタッチすると、ウィンドウは瞬く間に消え、
「もう、大地くん。女の子にデリケートなことを訊いちゃダメだよ? というか身長と体重いらなくないかな? 仕様ミスだよね、これ?」
 目の前に現れたのは顔写真と同じ容姿という〝現実〟。ただし写真でのノーマルな表情とは違い、わずかに憮然としてはいたが。
 赤いリボンで結った紺色の細いツインテールを、左右の肩甲骨に垂らした髪型が特徴的な女子高生は、柔らかでパッチリとした瞳を瞬きさせて、
「それでどう、ちゃんと現実に溶け込んでる?」
 ややか細いが、おっとりと可愛らしい声で彼女――中原(なかはら)あおいはそう問いかけた。
 少年は黒一色のヘアバンドを上にズラし、整髪料で固めたオレンジ色の髪を整えながら、
「心配すんな、違和感ねえよ。それにしてもこのレベルのARをまさか高校生が開発するなんてな。同じ高校生として鼻が高い」
 ARを視認するためのメガネ型デバイス、その名も《パラレルレンズ》を掛け、公共の広いスペースを見通すように、――逢坂(あいさか)大地(だいち)はレンズ越しの世界を興味津々に覗き見る。
 顔をほころばせたあおいは大地に右手を差し出して、
「あれ、聞いてなかった? レミちゃんたち高校生が作ったのは事実だけど、おおよそは“未来人の落とし物”に入ってた理論や設計図(データ)をヒントに作っただけってこと?」
「そうなんか。オレがこの研究に加わるの、今日からだからまだよく知らないんだ。その落とし物ってヤツ、ぜひお目にかかりてえな。なんか面白そうな匂いがするぜ」
 一向に観察をやめない大地にむ~っとむくれ始めたあおいは、伸ばした手をソワソワさせ、
「そろそろ貸して。私だってAR見たいもん」
「へへ、悪い。もう少しだけ待ってくれ」
 しきりに顔ごと視線を変える大地。すると通路を歩く小柄な金髪の女子を見つけ、
「お、レミ! おーい、こっちこっち――……」
 呼びかけに反応した彼女は切れ長の碧眼で大地を捉えると、悪だくみを覚えた子どものようにほくそ笑む。そして『コ』の字型の太マーカーが印字された折り紙サイズの紙を、大地へピラッと見せたのだ。
「……? ……ってうおおおおおおぉぉぉッッッッ!?」
 唐突に喚いて椅子ごとひっくり返りかけた大地。ベルトに絡む髑髏柄のアクセサリがジャラジャラ音を立て、シルバーのネックレスが服を飛び出て宙に舞う。
「ど、どうしたの大地くん!?」
 床を踏んづけてなんとか留まった大地は、耳の傍で大砲でも撃たれたようなリアクションで、
「デカイ龍がブワッて飛び出したんだよ、あの紙から!? オモチャのびっくり箱か!?」
「ちょっと何を言ってるのか……? あ、レミちゃんっ」
「だいちー、ビビリすぎ。その不良くん見た目から繰り出されるダサイ腰抜け、なっさけな~」
 小馬鹿にするように八重歯を覗かせ、いたずらっぽく笑った彼女――、深津(ふかつ)檸御(れみ)はあおいの隣の席に腰掛けた。金髪をラビットスタイルでボリューム多めに結っており、前髪は右サイドだけ赤いピンで留めている。赤と黒から成るチェック柄のリボンが金髪を彩るアクセント。祖父がイギリス人のクォーターだ。
「で、どうよARのお味は? “未来人の落とし物”をヒントに、城ケ丘(じょうがおか)高校の連中と先行して開発してみたんだけど。あ、言わずもがなだけど、私の担当はソフトの部分ね。たとえばプロフィールARだったら、画面のデザインやコーディングが私の成果よ」
「ARのお味? オレの反応でわかったろ。龍なんて夢の生き物、存在するワケないのにな」
「あ、そっか。龍のARデータがこのマーカーに入ってるんだ。だからあんな反応したんだね」
 メガネを受け取ったあおいは、レミがヒラヒラとつまむ紙を恐る恐る視界に収め、わっ! と肩を震わせた。
 テーブルに肘を乗せ、得意げに唇を横に引いたレミは、
「ふふん、あの驚き具合を見るにマーカー型のARもロクに知らないみたいね。いいわ、せっかくだしARのことをいろいろ教えてあげる」
 先生よろしく、彼女は「拡張現実、略してARと呼ばれている技術はそもそもなんでしょう?」と大地に問う。
「んーと、たしか……、現実世界にコンピュータの情報を付加すること、だよな? たとえばレミの顔にスマホをかざして、バーチャルのメイクでも施したらそれはARだ」
「正解。さらに言えばARは三タイプに分類されるわ。このドラゴンARようにマーカーを認識するマーカー型、顔を認識したプロフィールARのようにマーカーを必要としないマーカーレス型、そしてGPSから算出された位置情報を基に組み立てられる空間認識型ね」
 あおいは私物のスマートフォンで起動したとあるアプリを大地とレミに見せて、
「城ケ丘の生徒が試作したこの星座表アプリは、その分類で言えば空間認識型だよね。現在位置をGPSで算出して、空にスマホをかざすとARで星座を示してくれるんだ」
 席を立ったあおいが昼空へスマートフォンをかざせば、星同士を結ぶ線と線、加えて星座名のモチーフとなったイラストが、現実(そら)に重なる形でディスプレイに映る。
「そして私ですら聞いたことがないマーカーレス型の、ネットワークに潜るARとでも言えばいいのかしら。――《NETdivAR(ネットダイバー)》と呼ばれる未知のARこそが、私たちがこれから調べていく研究の鍵の一つになるわ」
「へえ、《NETdivAR(ネットダイバー)》ねえ。なるほど、これからオレたちはARを研究するってわけか。なかなか面白そうなテーマだぜ」
 大地は嬉しそうにうなずいた。が、それに反してレミは訝しげに目を狭めて、
「え、なに言ってんの? あくまでARは重要な脇役にしか過ぎないわよ? 本題は別だけど」
「……、は? ARじゃないんかい! じゃ、じゃあ何を研究するって言うんだ?」
「あー、あおいが伝え忘れてたようね。ったく、ARに夢中になり過ぎじゃない? 大地も大地よ。目的も知らずにノコノコやって来んな」
 レミがちらっとあおいを一瞥すると、あおいは申し訳半分にペロッと舌を出して反応した。
「ん、それは……?」
 レミがポケットから取り出したのは、なんの変哲もないUSBメモリ。彼女はクリアな都市が一望できるガラス壁の前に立ち、目配せで大地の注目をいっそう引いてから、
「いい? 私たち〝研究(けんきゅう)()〟がこれから調べていくテーマは、ちょうど一年前にこの未来(みらい)都市(とし)で計画され失敗に終わった――――〝高校生宇宙飛行プロジェクト〟の謎、よ」
 USBメモリに反射した日の光が、地上の一角に設置された十字型の慰霊碑へと視線を誘う。
「そういえば……」
 フロアの大型ビジョンには各部屋の本日の予定が表示されている中、『会議室032』、午後一時の予定欄には『ミッション「SS-01」未来都市高校生宇宙飛行プロジェクトにおける「アンドロメダ=ペガサス号空中分解事故」の背景と原因の考察』という案内がなされていた。
「高校生、……宇宙飛行プロジェクト? って、一年前にニュースになった、あの? なんでまたそれをテーマに……? 宇宙飛行に……ARは重要な脇役? ん???」
 一年前にこの街、未来都市で計画され、ロシアで行われた、高校生を宇宙飛行士に選んだロケット打ち上げプロジェクト。月日も経ち、久しぶりにそのプロジェクトの名を大地は聞いた気がした。計画名だけでインパクトのあるプロジェクトではあるが、思い起こしてみればその全貌は全然と言っていいほどに知らない。昨年はあれだけ騒ぎになったはずなのに、なぜか。
「レミちゃんが持ってるUSBメモリが答えだよ。実はそれ、宇宙飛行プロジェクトに関係ある、ざっと二〇年先を行くような科学技術のデータが詰まってるんだ」
「そうよ。プロジェクトを軸にARやら生命科学やら、まさしく〝未来人の落とし物〟って表現がぴったりなレベルのテクノロジーがね。さっきのARが比べ物にならないほどのよ」
「《NETdivAR(ネットダイバー)》もその一つ。宇宙の中で進路を示したり、星の位置情報を補足したりする形でプロジェクトに使われる予定だったみたいで。今日のシンポジウムの企画者も《NETdivAR(ネットダイバー)》の存在を掴んでて、ARのモデルがこのあと見られるよ」
「飛行士に高校生を選んだこともそうだけど、未知のテクノロジーを使った全貌の明かされてないプロジェクト。どうよ、調べてみる価値はありそうでしょ?」
「そういうことかー、納得。でもなあ、ロケット事故なんてぶっちゃけ興味ねえ。滝上先生も面倒な研究(かだい)をくださった。どうせオレたちが宇宙に行くわけじゃねーし」
 と、不満がる大地に、新たに顔を覗かせた女性がこう言った。
「ARはいつでもどこでも研究できるけど、宇宙飛行プロジェクトはこの未来都市でしかできない研究になるからね。そう考えてみれば研究する価値はあるんじゃないかな」
「お、先生! こんちはっ」
 大地の声に、茶髪の成人女性は手を挙げることで応えた。名は滝上(たきがみ)(こず)()、歳は二〇代後半。大地らの通う桜鈴館《おうりんかん》高校の教員であり、彼ら研究部の顧問でもある。今回、研究テーマを三人に与えた人物だ。
「こんにちは。私がたまたま手に入れたUSBメモリに気になるデータが入っていたから、キミたちの研究材料にと思ってね。レミにはひと月前から、あおいには先週から先行して取り組んでもらっているけど。どう、大地。興味出ない?」
「ぶっちゃけ出ないっす。オレの専門はあくまで数学で、関連のない研究にはなるべく時間を割きたくないんっスよ」
「面白いと言ったら不謹慎かもしれないけど、キミたちにとって大切な研究になるはずだよ、あのプロジェクトを調べていくことは。何よりも面白いことを追求したい大地ならなおさらね」
 大地はやれやれと笑って、
「わかった、先生がそこまで言うならやってやりますよ」
「そうか、よかった。プロジェクトの何を取り上げるのかは三人に任せる。今日のシンポジウムを通せば、きっと気になる疑問や謎が生まれるはず。知りたい謎はトコトン調べてほしい」
 先生の言葉に肯定し、壁時計を一瞥したレミは、スッとその場を立ち、
「学園祭明けでヒマしてたトコだしいいんじゃない? 全部暴いたろうじゃないの。そこにある謎はトコトン調べる、それが研究部のモットーでしょ」
「地学は専門外だけど、二人の助けになるように頑張るよ。うん」
「ありがとう。どうかこの研究を通してあの子を――……いや、」
 途中で言葉を切ったが、滝上先生は前髪を色っぽく指でかき上げ、
「未知なる研究は未知なる世界への扉に繋がるはずだ。きっとこの研究は、キミたちに新たな世界を教えてくれるきっかけになるよ」

       ◇

「ARはまだ既存の技術で説明がつくかもしれないけど、他の、たとえば宇宙工学や生命科学なんかはサッパリ。城ケ丘の生徒いわく、どれも何十年も研究してやっと到達できる技術だって。ARは取り掛かりやすそうだから触れてみたけど、それでも壁は感じるわ。現に《NETdivAR(ネットダイバー)》はまだ実現できていないし」
 ARのデータはメモリの中でも比較的容量を割いてあって、ARの掘り下げが鍵になりそうだからもうちょい頑張ってはみるけど、と意欲は見せながらもレミは嘆いた。
「んで、展示フロアはここだな」
 九〇分の講演を聞き終え、実際に使われていたロケット『OEF-101 Andromeda(アンドロメダ)=Pegasasu(ペガサス)』(飛行士が搭乗する第二段部分のみ)のスケールモデル、および搭載されたAR技術を再現した展示フロアへと足を運んだ大地、レミ、あおい。
「これがネットワークに潜るARっていう《NETdivAR(ネットダイバー)》ってヤツか。ま、モデルだけど。そういえばまだ詳しくは聞いてなかったけどレミ、これってただのマーカーレス型とは何が違うんだ?」
 暗黒のモニターには行き先への進路や星々との距離、危険ポイントの提示、現在速度・残燃料などの情報が、赤と緑のラインで構築されたバーチャルARという形で逐一表示されている。
 研究部・情報技術担当のレミは、三人の誰よりも好奇心いっぱいでモニターを見つめ、
「一般的なマーカーレス型は平面にある静止画の特徴を捉えて認識するAR。けど《NETdivAR(ネットダイバー)》は静止画の代わりに、無線の通信回線(ネットワーク)上に配置された情報(データ)を認識するARよ。つまり通信回線(ネットワーク)さえあればARの配置ができるの。宇宙では衛星を利用してネットワークを構築しているらしいわ」
「静止画がいらないのは位置情報型にも通じるよね。でも位置情報型はGPSの誤差がどうしても出ちゃうからその点、誤差のない《NETdivAR(ネットダイバー)》のほうが優秀かも」
「《NETdivAR(ネットダイバー)》の元になる現実とネットワークの重なりを拡張世界(コンプレックスフィールド)と呼ぶそうよ。拡張世界(コンプレックスフィールド)でなら自在にARを動かせるし、ある意味ARは拡張世界(コンプレックスフィールド)の住人とも言えるのかもね。余談だけどあの《パラレルレンズ》ってメガネは元々《NETdivAR(ネットダイバー)》のARを見るために作ったの」
 |拡張世界――〝コンプレックスフィールド〟。現実世界とコンピュータネットワークが重なり合った、すなわちARの住まう世界の呼称であり、命名者は不明だが、レミいわくUSBメモリ――“未来人の落とし物”のデータで用語として定義されていたそうだ。当然ながら拡張世界(コンプレックスフィールド)上のARは肉眼で見えず、専用のデバイスがなければ視認することはできない。
「見えるってのは大事だよな。たとえば電話だとたまに用件を聞き違えちまって。こういうARみたいに情報を目で見えるのはありがたい」
「そこがARのメリットよね。まさに情報の拡張ってとこかしら。このモニターだって進路が立体で表示されてるから、行き先が直感的にわかるわ」
 大地とレミがARに関心を示している一方で、研究部・理科担当のあおいは展示されているロケットの部品に興味を移して、
「宇宙の物理法則を考えながら部品って作られてるのかな、面白い。……でもやっぱり気になるけど……展示されてる部品、それにいろんな情報、少ないよね」
「だよな、少ないよな。たったこれだけか」
 そう、講演会場とは別の部屋を展示スペースとしているのだが、会議用の長テーブルが両手で数えられる程度しか配置できないような一室で、展示が完結されている。
 大地は先ほどの講演で、学生研究員が壇上で語っていた内容を想起する。
『……――高校生宇宙飛行プロジェクトは秘密裏に進められていたとされるプロジェクトです。乗組員を乗せたロケットの発射も、マスコミには完全非公開の中、スペースデブリの調査という目的の下で行われました――……』
 プロジェクトは秘密裏に進められていた――――。だから大地ら一般人はプロジェクトの存在を事故が起きるまで知らなかった。
(事故当時……、つってもまだ一年前か。大騒ぎになったもんな、あん時は。高校生を宇宙飛行士に選んだこともそうだし、それがこの国で計画されたこともそうだし)
 事故は当時通っていた地元の中学校でも話題になった。けれども事故からの数日を除いて不自然なくらいにマスコミがプロジェクトには触れず、次第に自らの日常からも、記憶からも事故の事実は薄れていったと、大地は回顧する。
『……――乗組員七名のうち死亡したのは六名、そのうちの三名が高校生という痛ましい事故でした。また、生還した一名の高校生も近況は不明で、おそらく昏睡状態が続いていると思われます』
 飛行士のプロフィールは? と思う大地だが、それらしい情報はフロアに見当たらなかった。非公開は遺族の意思なのかもしれないと、あおいと並んでロケットの部品を眺めながら考える彼に、
「そもそも、どうしてプロジェクトは極秘だったのかな? 高校生を乗せるってことは、やっぱり未来都市の宣伝のためだよね?」
 あおいは桃色の唇に白い人差し指を宛がい、ちょこんと首を傾げてそう投げかける。
 未来都市とは――、全国から集う学生、研究者が活動の拠点を置くこの都市の名だ。某野球ドーム千個分の面積を誇る円形の都市で、将来国を背負うための研究者を育成するという名目の下、首都圏の端で日々機能している。
「まあ研究者育成を掲げる街だもんな、未来都市(ここ)。んー、宣伝目的だったら打ち上げ前には話題になるだろ。宣伝ではないんじゃねえの? あー、謎が多いな」
 ARの観覧から大地とあおいに合流したレミも、頭の上にクエスチョンマークを乗せて、
「そうね、ロケットの開発元ですら割れてないし。その辺はあの学生研究員たちも気にしてたみたい。だから未来都市にそこを訊いたらしいけど、結果は――……」
『……――我々は調査の過程で未来都市サイドと数度接触しましたが、プロジェクトの全貌を公開しない理由は何度尋ねてもかたくなに答えませんでした』
 学生研究員はそう語っていた。
(理由を明かさない? なんだ、思惑でもあるのか? ……う~ん、考えすぎ?)
 三人は順路に沿って展示物を眺めていると、あるスクリーンの前で足が止まる。それはロケットの発射を見守る遺族が撮影した、研究チームが極秘で入手した事故当時の映像だった。
「こう言っては失礼だけど、まるで映画のワンシーンみたい。現実感がないわ」
 ロケットの全貌が遠目から映し出され、そして数秒後に空へと発射したが、雲に届きかけたところで機体は灰色の煙を巻き始め、けたたましい爆音とともに炎が膨れ上がり、最終的には粉々に砕け散ってしまった。
「うわっ……、映像で見るとショッキングだな……」
「燃料系統に不備があった、とは研究員さんが推測してたっけ。でも、ハッキリした理由も発表されてないんだよね」
 そうしてその後も万遍なく展示物を見ていく大地たち。プロジェクトの目的、事故前後の動き、損失金額など推測を交えた情報をしっかりと手に入れる。
「なぜ未来都市はプロジェクトの情報開示を拒むのか? 何を隠してるのか? まずはそこに注目して研究を進めていきましょう。近未来技術を使ったことにもおそらく繋がると思うわ」
 こうして三人は研究テーマを次のように決めた。
 ――未知なる科学技術の謎と、隠し立てられた高校生宇宙飛行プロジェクトへの追及――
(未来都市が公開したのは事故の事実と被害者の数、プロジェクトの大まかな目的、申し訳程度のロケットの部品くらい。逆にそれ以外は非公開。その謎を解くには、やっぱりあのUSBメモリが鍵になるのか)
 気になったことを配られた資料に、補足を書き加える形でメモを取りながら大地は考える。しかしふと、顧問の滝上先生が講演前の去り際に残した発言が脳裏によぎった。

 ――――今回課したこの研究を通じて、キミたちに〝科学の光と闇〟を知ってほしい。それこそが、この研究に取り組むことへの意義になると思う――――。

 そして彼女はこう付け加えた。――もしよければ〝科学の闇〟に苦しむ誰かを救ってくれれば――、そんな言葉を。
(光はわかるけど、なんだろ、科学の闇って。この事故の被害に遭った人のことか? ていうか先生、何かを知ってるような口ぶりだった? ……勘違いか?)
 発言の意図は、大地にはわからない。けれどそれを口にした時の先生の表情は、なぜか頭から離れられなかった。

       ◇

「うはぁー、疲れた。帰ってジュース飲んでパソコンで遊んでさっさと寝よ。肩こりも悪化してつらかったわ」
 両手を伸ばし、うーんと唸るのは部長のレミ。切れ長の碧眼をおもむろに閉じ、背もたれに預けた首をコテンと窓に傾げる。その風体はまるで等身大の西洋人形のよう。
「って、今から寝るんかい。まるで遠足帰りみたいだな。夕飯くらいはちゃんと食えよ?」
「寝ないわよ、目をつむって今日のおさらいすんの。心配しなくても夕飯はあおいのトコで食べるわ。ふふん、手作り料理よ」
「今日は海鮮ちらし寿司を作る予定なんだ。レミちゃんもサラダ作りくらいは手伝ってね」
「へーい」
 シンポジウムも終わり、大地ら三人は街を巡回する無料の公共バスに乗って、各々の寮に帰ることにした。
「あー、オレも疲れたぜ。座って聴くってのもしんどいよな、あおい?」
 身体に溜めた疲れを吐息とともに吐き、大地は景色を一瞥する。研究施設や教育施設等、比較的平坦な建物が連なる中、街の中心部に一本、天へと伸びる白い記念碑の塔が際立っている。
「疲れたけど、私は楽しかったよ。やっぱり私たちって未来都市に住んでるんだなって思えて。ああいうプロジェクトや研究を身近に感じられるのは未来都市(ここ)の特権だよね」
「だな。去年まで地元の田舎で暮らしてたけど、あんな話を聞ける機会なんかなかったし。さすがは研究者を育てる街なだけある。イイ刺激になるぜ」
 大地は白い歯を見せて満足げに答える。
「あれ、大地くんって今年からこの街に来たの? 初めて聞いたかな」
「ん、あおいは知らなかったっけ? レミは知ってたよな、ここに来た経緯も含めて」
「アンタが外部受験組なのは知ってるけど、経緯は知らないわよ。別に興味もないし」
 レミが素っ気なく返したのにもかかわらず、大地は感慨深そうに腕組みをして、
「いやー、あの出会いは忘れられねえなあ。退屈な毎日を送るオレにきっかけをくれたあのお方のことは」
「聞いてないから。ま、そのお方とやらもどーせ美少女で、きっかけも下心満載なんでしょ?」
「美少女かどうかは関係ないだろ。まあ、かわいかったけどさ」
「美少女はホントかいっ。え~、冗談のつもりで言ったけどさ、大地って女子にトキメクようなタイプじゃないでしょ? 数学バカってイメージが先行してるんですけど?」
「私たちにはトキメかないもんね。なんだか意外」
 オレをなんだと思ってるんだよ……、と大地は嘆いたが、
「中二の夏休みの前に校外学習で来させられてさ、この街に住むその先輩の話を聞く機会があったんだよ。街での生活や取り組み、目標なんかを聞いて、その人が眩しく見えてな」
「へえ、それがきっかけで。大地くんは研究者になりたいの?」
「いや。とにかく面白そうな勉強をしに来ただけだよ。今はこの街で過ごしながら勉強して、研究部で活動して、それから具体的な将来を決めるつもりでいる」
「研究施設が豊富で白衣着た連中がウロチョロしてるけど、街が掲げる研究者育成ってのは一部の人間にしか関係のないハナシだし。私だって研究者になる気はないわ」
 三人は私立桜鈴館高校“研究部”のメンバーであり、各自興味のある分野や顧問から与えられたテーマを基に日々研究に取り組んでいるが、だからといって部員皆が研究者を志望しているわけではない。おおよそが趣味目的に活動しているだけだ。
「街の外にいた時は特別な街だと思ってたけど、研究施設とガキの多さ以外は案外普通の街だよな。《NETdivAR(ネットダイバー)》みたいな技術が溢れてるわけじゃないし。あ、言っとくけど未来都市に来てよかったとは思ってるからな? 勉強で困ることは何一つないし、退屈もないし」
 が、九人いる研究部では珍しい研究者志望のあおいは、むぅ~と反論の姿勢で、
「もう、萎えること言わないでよぉ。私は研究者になりたいのに」
「海外に科学技術が並ばれた、研究者が足りないって、メディアは毎日のように嘆いてるわ。未来都市は何やってるんだと。そんな情勢(いま)だからこそ、あおいのヤル気がこの国の科学を変えてくれるって」
「ま、オレ様の頭脳でも素晴らしい研究者になれるだろうけど」
「ムカツク自画自賛だけど、反論に困るのが余計に腹立たしいわね……」
 窓に預けた頭を起こし、ジト目で大地を睨んだレミだが、
「そういえば大地、アンタが《パラレルレンズ》持ってなかった?」
「あのメガネだっけ? そうだった。返してねーな」
 大地はスクールバッグの中からメガネケースを取り出し、レミに返す前にメガネを掛け、
「もうちょい遊ばせてくれ。寮に近づいたら返すからよ」
「ふーん、そんなにARに興味持っちゃった? でもバスでそれを掛けても何も変わんないでしょ。ネットワークが普及してる街とはいえ、ARのデータを仕込む必要があるし」
「たしかに、何も変わらんな。……そりゃあそうか。データなんて“未来人の落とし物”の中身を知ってないと作れないし」
 やれやれと肩をすくめて、大地は外の景色に視線をよこした。天高くそびえる記念碑の塔が再び視界を掠める。
 だが、その時のこと。

 〝変化〟は何の前触れもなく起きた。

「…………ッ!?」
 突如、車内が暗みに支配されたのだ。まるで真夜中を走るバスのごとく。
「な、なんだ!? ……おい、オカシイだろ?」
 気づいた変化は車内だけではない。大地は引き寄せられるように窓へ視線を向け、
(ビッ、ビル……? ちょ……、ここ、未来都市……だろ?)
 本来ならば平坦な街並みが地上に広がるはずなのに、逆に刺々しく、天を突くように建ち連なるビル群が目に飛び込んだのだ。大都会という表現を超え、SFの世界へと紛れ込んだ錯覚と、連なる巨象を前にした時のような威圧感で脳が揺さぶられる。煌びやかな無数のガラス窓がラメのように、ギラギラと光を反射していた。
(オレ、幻覚でも見てるのか? いや、まさしくこれが《NETdivAR(ネットダイバー)》の世界なのか!?)
 瞳が闇に慣れたところで窓から視線を移し、外からの光で淡く照らされる車内に再び目を配らせる。驚くことに、一日を伴にしたレミやあおい、それ以外の乗客の姿が確認できなかった。ただ一人、大地だけが寂しく座る格好となったバス内部。
 ――――否、座るのは大地一人ではなかった。
(あれは……人? 髪が長い……女か?)
 大地から見て通路を隔てた二席前に座っている一人の形姿。ただし伺えたのは背面と、ピンクが褪せたようなストレートの銀髪のみ。
 声をかけようと大地は身体(からだ)を傾げた。しかし呼びかけを予測していたと言わんばかりに、彼女はタイミングよく振り向き、
『――――拡張世界(コンプレックスフィールド)にようこそ』
 花模様を刺繍した白銀のベネチアンマスクに覆われ、隠される容貌。《パラレルレンズ》のフレームに搭載された小型スピーカーから、少女の声が大地の耳に触れる。
「なっ、おい――――」
 大地は前のめりに踏み入れ、仮面(マスク)の少女に手を伸ばそうとした。けれども――――、
「――大地くんっ、大丈夫!?」
「……ッ!?」
 聞き慣れた声で脳が揺さぶられ、あの妖精のような少女に占有されていた思考がリセットされる。すぐに声の方に向けば、
「ど、どうしちゃったの? 急にうろたえて……」
 車窓から望む夕日を背景に、夕暮れにも似た憂いのある色を顔に滲ませたあおいが、心配そうに大地を見ていた。
「なになに、幻覚でも見ちゃった? あいにくメガネに幻覚作用はございませんけど?」
 何をやってるんだか、とでも言いたげにぼやくレミ。
 額に涌く冷や汗を袖で拭った大地は、今度こそ《パラレルレンズ》を外して、
「……今、見たんだ。いきなり真っ暗になって、ビルに囲まれて……。そんで銀髪の女が『拡張世界(コンプレックスフィールド)にようこそ』ってオレに言ったんだよ……」
「ハァ? 本気で心配になるんだけど……、病院寄ってく?」
「レミちゃん、私たちは何もなかったよね? 今は夕暮れだし、高いビルも周りには……」
「いや、マジだって! しっかりこの目で――……。いや、証明はできねえな。スマン、今言ったことは忘れてくれ」
 数学のように完璧に、理論づくめで証明できる話ではない、そう踏んだ大地。
(信じられるわけないよな。なんたってオレが一番信じられねえ思いしてるんだし。本当にあれは……ただの幻覚だったのか?)

       2

 シンポジウムのあった土曜日から三日後の火曜日。
 ぬぅおーッと伸びをして、大地は凝り固まった肩の筋肉をほぐし、
「あー、先が見えねーッ!」
 放課後、研究部の第二部室で彼は数冊の専門書と格闘していた。同級生の男子二人とで三人共用の部室だが、大地以外の二人は外出中のため、今は一人で部室に篭っている。
 未来都市内すべての学校が一堂に会す学園祭が二週間前の9月中旬に開かれ、その場で入学から半年間の成果を発表し、いったんは自身の研究にケリを付けたはよいが、
「逢坂大地、新たなる挑戦。あ~全然浮かばねぇ。宇宙飛行プロジェクトの研究と並行できそうなのはないのか? やっぱ面白そうなヤツがいいなー」
 壁際のシンプルデスクの上には量子力学、偏微分方程式、流体力学、ベクトル解析の参考書が、ページが開かれたまま雑多に置かれている。
(あおいはコレやってみたら? なんて言ったけど)
 本の中から『よくわかる量子の世界』という題目の本を手に取り、『水素原子中の電子をポテンシャルとするシュレーディンガー方程式の解法』なるページにザッと目を通すが、
(あんまり物理に偏りすぎてもなぁ。かといって数学チックになりすぎると難しいし……)
 オレンジ髪の頭を抱えた大地は唸りを上げる。
「ま、リフレッシュしようじゃないか。散歩だ散歩!」
 絡まった頭で思考を続けていても成果は出ない。経験からそれを知る大地は立ち上がり、真っ赤なシャツの上から紺のブレザーを羽織ると廊下に出て、
(部員のトコに遊び行こっかなー? さーて、どうすっかなー)
 大地の通う桜鈴館高校は一〇階建てのビル構造になっており、研究部には共用の部室のほか、五階、六階それぞれに二部屋ずつ部室が与えられていて、大地ら一年生組は五階、レミ、あおいら二年生組は六階の部屋が割り当てられている。
「ま、外の空気でも吸いに行こ」
 というわけで下の階に向かったら、たまたますれ違った女子生徒のペアが「うわ、なにあの服装……」「ちょ、聞こえるって」と囁き合っているので、大地がぎこちなく振り返ると、
「キャッ」
 二人はビクリと反応し、逃げるようにそそくさと立ち去る。
「………………」
 ゲンナリと肩をすくめた大地。足を止めて己の服装を見やり、
(そんなに奇抜か!? 普通にカッコイイだろ! ボタンは全部はめてるし、ベルトだってヘソで巻いてるし、校則は守ってるだろうが! こんなの単なるオシャレだろうに!)
 ワックスで整えたオレンジ髪を黒いヘアバンドで立たせた髪型。首元から覗く真っ赤なシャツ、両手首にはめられたシルバーのブレスレット、黒いベルトを彩る髑髏柄の金属アクセサリ。
「あいにく男どもには好評なんだよなあ。ふふ、女にはわからんでケッコウ」
 頭の後ろで手を組み、周りの評価など気にせず楽観的に先を行く大地。校舎の裏にある公園に赴いた。木々の中にベンチが設置されている程度の簡素な造りではあるが、緑生い茂る景観のよいこの場所は、彼お気に入りのスポットでもあった。
「ん、あおいか?」
 見知った女子高生がしゃがんで、楽しそうに猫とじゃれあっている。
「大地くん、こんにちは」
 おっとりした性格を表したような、柔らかな瞳を大地に向けたのは部の先輩のあおい。ブレザーの上に白衣を羽織り、野良と思われる茶の毛色をした猫の背を優しく撫でる。
「あ、こらっ」
 肩から胸元に掛かる細束の髪に猫パンチ。カントリースタイルの紺髪が揺れ動く。
「ハハッ、好かれてるんだな。あおいも気分転換か?」
「うん、なに研究しようか迷っちゃって。その様子だと、大地くんもそうみたい」
 あおいは無垢な笑みをニコッと見せる。美少女と呼んでも差し支えのない顔立ちから放たれる仕草に、天使の生まれ変わりか、と我にもなく大地は錯覚した。
 座らない? という先輩の進言に甘え、大地は彼女とともにベンチへ腰を下ろす。
「にゃあ~、ごろごろ~。ふふ、気持ちいい?」
 猫を仰向けでベンチに転がせ、その柔らかな腹部を撫でるあおい。時には頭を撫で、時には肉球をつまむ。
「本当に動物が好きなんだな」
「うん、大好き。特にこの猫さんとは友達なんだ。ここに来るとよく遊ぶよ」
 するとあおいは猫の胴体を抱え、自身の膝に尻を乗せ、
「……くんくん、ん……いい匂いする……んっ」
 猫の肉球に顔を近づけ、くんくんと念入りに匂いを嗅ぐ。
「…………」
 その行動に頬を引きつらせる後輩に、先輩はキラキラと勝手に瞳を輝かせ、
「猫背の由来は知ってる? 猫は肉食動物だから、背骨が内臓を支える必要がないから柔軟に動けるんだよ? それに頭骸骨は十一種類の骨で組み立てられてるのは知ってた? あと尻尾なんだけど、実は固体によって骨の数が違うんだよ? それでね、前脚は――……」
「わかったわかった、猫の骨格はじゅーぶんわかったからっ」
 と、訊いてもいないのにズラズラと解説を並べるあおいを、大地は両手で制した。
(さすがは静かなる狂った科学者(サイレントマッドサイエンティスト)と呼ばれるだけあるぜ……。普段は控えめなクセして、理科や科学に関しては異様に興味を示すんだよな、この人)
 気を取り直すように、大地はゴホンと咳払いを済ませ、
「それでさ、例の研究は進んでるか? こっちは全然。正直オレ、知識がないんだよな」
「知識って、宇宙の?」
「そう。数学は得意だけど、理科の知識はその辺の高校生と変わらんレベル。こないだ話題に出たスペースデブリっつーのもサッパリだ。飛行士たちはそれの何を調査したかったんだ?」
「そっか。じゃあここは先輩らしくわかりやすい解説をしないとね」
 片手間に猫の腹を撫でつつ、人差し指を立てたあおいはほほ笑んで、
「スペースデブリは、簡単に言えば宇宙ゴミのことだよ。人工衛星とかいろいろ、宇宙にたくさん発射されるでしょ? でも、用途を終えたそれは地球の周りに放置されたまま。軌道上を高速で回るから回収が難しくて」
「ゴミなら放置しとけばよくないか? 宇宙は広いしな、ちょっとくらい汚してもいいって」
「宇宙に漂い続けてくれずに、いつか地球に落っこちるかもしれなくて。それにデブリ同士がぶつかって粉々になれば、地球の周りは増殖したデブリで覆われちゃうでしょ? デブリの危険性を表すケスラーシンドロームってシミュレーションがあるんだけど、それによると人類はいつかデブリで閉じ込められるとも……」
「その状態なら衛星も打ち上げられないか……。なるほど、事の重大さがわかった」
「でもね。私の推測だけど、デブリの調査は単なる口実。たぶん真の目的は、未来都市が高校生の宇宙飛行に成功したっていう功績が欲しかったから……、じゃないかな」
 真っ青な晴天の空を見上げたあおいは言葉にする。猫の喉を擽ると、猫は「にゃぁ~」と心地よさそうに鳴いた。
「犠牲者が出たことは……残念。けど本音を言うと、羨ましいとも思った。高校生で宇宙飛行士になれたことに、あの宇宙に飛び立てるチャンスがあったことに」
「誰だって宇宙には、一度は憧れるもんだ。シンポジウムで久しぶりに思ったけど、高校生で飛行士なんてやっぱ信じられん。どういう生活をしたらそんなチャンスがあるんだろ」
「私だって信じられないよ。だからプロジェクトを研究してくうえで、個人的に知りたいことがあるんだ」
「ほお、どんなことだよ?」
「飛行士に選ばれた高校生と私との違い、かな。どういうことを考えて、どういう毎日を過ごして、何を大事にしていたのかを知りたい。そういう個人的な目標、大地くんもある?」
「そうだなあ、……まだハッキリした目標はない。まあ、宇宙にはロマンがあるし、研究をしながら宇宙の広さは感じたいな」
 幼いころから常に自分を見守る空。広大な地球を包む宇宙という神秘。知りたい、その気持ちは大地の心の中には密かに根づいている。でも、
「あの事故で当分は凍結するのかもな、宇宙飛行プロジェクト。未来都市製のロケットが人を乗せること、下手したら一生ねえのかも」
「残念だけど、そのとおりかもね。今後、未来都市がプロジェクトを立ち上げても、反対意見がたくさん出ると思う」
 だけどあおいは曇りない瞳、引き締めた面構えで、天を今一度見つめて、
「それでもやり遂げてほしいと思うよ。科学の発展のために犠牲が出ても、諦めずに最後まで続けてほしい。成し遂げて、最後に結論を出すことが犠牲者の弔いになるんじゃないかって私は考える」
「犠牲を出してでも、科学の発展が大事なのか?」
「科学が世界を救えるって、救ってくれるって、私はそう信じたい」
 そうか……、大地は簡潔に返答した。毎度のことながら、彼女の科学に対する想いの強さには頭が下がると、大地は素直にそう思う。
「さてと、いい頃合いだし戻るとする――……」
 ベルトに絡んだアクセサリを鳴らすように、ゆらりと腰を上げたその時だった。

「あなたの言っていることは、夢や希望という言葉で正当化した、狂った科学者の戯言よ」

 耳に入ったのは凛とした女の声。そして目の端に掠めた、艶やかな青い長髪。
「あん? ……って、アンタは?」
 声の方を見れば、桜鈴館高校の制服を着た一人の女子生徒がそこに立っていた。くりくりと大きな瞳だが、鋭さを帯びた視線をあおいに向けている。
「犠牲が出ても続けてほしいとは言うけれど。なら仮にあなたの大切な人が犠牲になっても、はたして同じセリフが言えるかしら?」
 黄色い星模様の髪飾りで前髪を留めた、背中の半ばまで掛かる青い髪を手で払った彼女。スマートな体型にもかかわらず豊満なバストを強調させるように、彼女は立つ。
「……えっ、あ……あのぉ……」
 冷たい目つきに怯えるあおい。すかさず大地はたじろぐ先輩の前に立ち、
「おいおい、何者だ? 文句を付ける前に名乗るほうが先だぜ?」
「……〝冷たいお嬢様〟とでも名乗ればいいかしら? 周りが勝手に付けた蔑称だけど」
「冷たい……お嬢様? 聞いたことあるような、……ないような?」
「ともかく中原さん。もう一度言うけど、自分の言葉がマッドサイエンティストそのものであること、自覚したほうがよさそうね」
 突き放すようにあおいに言うと、青髪の女はその場から去ろうと背を向けた。だが、
「――――科学のわがままで奪われることだって、あるのよ」
 最後に一言付け加え、今度こそ彼女は去っていったのであった。
 大地はその後ろ姿にブーイングを放ったが、顔を伏せるあおいへ白い歯を見せ、
「気にすんな、あおい。信念を持つことは大切だと思うぜ……ってオイ!」
 徐々に顔を上げたあおいは、水分を包んだガラス玉のように瞳をウルウルと揺らしていた。
「……うっ、うう……、大地くぅん……」
「な、泣くなって! これしきで泣くようじゃ科学の発展に貢献できねえって! な、なっ?」
「かがくは……かんけいないもぉん……」
 すぐに大地はあおいのふわふわした紺髪を撫でた。髪越しに伝わる温もりが心地いい。
「ガマン、ガマン。あおいは強い子だ」
 撫で続けたおかげか、揺れ動くあおいの瞳も次第に収まりを見せ始めた。
(ほんと泣き虫だな、この先輩は……。これじゃあどっちが先輩だよ。……ま、悪い気はしないけど)
 と、あおいの弱弱しい仕草に喜びを覚えつつも、大地は遠く離れた青髪の女を捉え、
「……、何かあったんか、アイツ? でなきゃあんなこと言わんよな、フツー?」
 凛然と振る舞う後姿ではあるが、同時に一種の“寂しさ”とも呼べるような印象も、薄っすらと覚えた大地であった。

       3

「『話したいことがあるから来てちょーだい』って……。いったい何の用だ?」
 手にする携帯電話のディスプレイには、大地が読み上げた文面が。チャットアプリの研究部グループで、レミから自分宛にメッセージが届いていたのだ。
(ま、どうせ宇宙飛行プロジェクトの件だろけど)
 とりあえずはレミ部長の元へと向かうことにする。
(そういえば……。宇宙と言ったら)
 大地は廊下を歩みながら、ふと思い出す。
 未来都市に来るきっかけをくれた“先輩”のことだ。
(講演の時、いつか宇宙飛行士になりたいって、オレの質問に答えてくれたんだっけ。あの事故があった前の答えだけど、今も変わってねえのかな)
 レミの元へ向かうがてら、大地はきっかけとなったあの日のことを久しぶりに思い返した――……。

 中二の夏。校外学習の一環で、研究者育成の街として名高い未来都市を訪れる機会があった。中学高校問わず、いかなる学校も生徒の学力のレベルが非常に高く、田舎の公立中学校に通う大地にしてみれば、この機会に行く以外に縁のある街ではないだろうと考えていた。
「さっさと終わんねえかな~」
 脱力した背中をパイプ椅子に預け、退屈な声を漏らした大地。同級生の友達もそれに同調して笑う。
「そろそろ始まるか。長くならなきゃいいな」
 そして始まったのは公演。“主役”の登場の前に、初老の男性が壇上で話している。
 なんでも未来都市の中学に通う三年生の生徒が、街で過ごす日々をこれから語るそうだが、
(未来都市って勉強のイメージしかねーし。どうせオレたちの学校と変わんねえ……いや、それ以上に教師がウザそうだ。どうせ退屈な街だろ。あー、はよ帰りてー)
 大地の興味はこれっぽっちもなかった。どうせ優等生のつまらない体験談だ。
(ん? どうした、壇上に釘付けになって?)
 周囲の同級生の異変に大地は気づく。居眠りもせずに、妙に壇上に集中している。ははーん、さては教師の巡回にビビったのか? しかし周囲を見ても、そういうわけではない。首を捻り、彼らの視線の先を追うと、
「…………」
 壇上で立つ少女を捉え、大地はごくりと息を呑んだ。
(メ、メッッッチャかわいいじゃん!?)
 赤い髪は首元に掛かる長さで、目鼻立ちは整っており、万人受けするクセのない顔立ちをしている。それこそテレビに映る女優やタレントが顔負けするほどに。
(え、どんな生活してるんだろっ。しまった、いつの間にあの子が話を……ッ。もったいねー、最初のほう聞きそびれちまった!)
 話を聞くに至る経緯は間違いなく下心。けれども彼女が語る未来都市での生活は、話し上手というのもあるが、いつしか下心を払拭させてしまうほどに大地の心を見事に掴んでしまう。
 ――一般的な授業の傍らで同級生とチームを組み『IoT』の研究を進めており、ウェアラブルなシステムを日常に導入することで、不便のない世界を実現させる方法を提案することがチームの目標。未来都市は図書館が豊富で、勉強や調べものをするうえで困ることはない。最先端の研究施設を見学する機会に恵まれた環境。未来都市で研究者として働く両親、そして双子の姉とこの街で暮らしている――
(面白そうだな、未来都市って! けど……今のオレの学力で行けるトコか?)
 講演後、質問をする機会があった。大地は思い切って挙手し、『将来の夢はなんですか?』と質問を投げた。
「夢? えー、言うのはちょっと恥ずかしいな。うーん、笑わないでくれます、か?」
 彼女は照れて頬をかいたが、
「――将来の夢は宇宙飛行士になることです。小さいころから宇宙に憧れて、宇宙でやってみたことがあって、今はそのためのお勉強もしています」
「…………」
 笑う気なんか起きず、それどころか夢を語る彼女がとても眩しく見えてしまい、
(オレだって……っ)

 ……――階段を上った大地はニヤケ面で、
(かわいかったな~、また会いて~。この街に来て半年経つけど、まだ会えてないのが悔やまれる。どこの高校に通ってんのかな? 研究者の両親と暮らしてるらしいし、まだ未来都市に住んでるはずだろうけど)
 講演の途中まで全く話を聞いていなかったせいもあるが、名前を知る機会がなかったのが残念だ。それでは調べるにしても調べようがない。
 レミとあおいが共用で使用する部屋の前で、大地はドアを三度ノックし、
「オレだ、言われたとおり来たぞー」
 すぐに返事はなく、
「ジュース買ってきて~。メロンジュースでおねがーい。じゃないと開けてやんにゃ~い」
 痺れを切らしかけた時に返ってきたのは、ナマケモノがしゃべったらこんな口調ですよ、を見事に体現したようなだらしのない声。
「…………チッ」
 イラッと眉を上げた大地は舌打ちを放ち、勢いよくドアを開けた。完璧とも評してよい快適な室温が大地を迎える。
「あっコラ! パシられてから入りなさいよ!」
 やれやれと、大地は部屋を見回し、
「ジュース? そのコップの中身はなんだ?」
 頭部を飾るチェック柄のリボン、そしてツインテールの金髪がトレードマークなその女子は、ビーズクッションに小柄な身体を埋め、並べたデスクトップ型パソコンとノートパソコンに手を伸ばしながら、首の動きだけで来客者に向き、
「そんだけしか残ってないの。ほら、さっさと買ってきな」
 派手な不良姿に臆することなく、切れ長の碧眼で大地を睨みつけた。
「わかったよ、買ってきてやる。ただし用を済ませてからでいいか?」
「さーっすがは大地くん。よーし、そんじゃこっち来て」
 ニコリと八重歯を覗かせたレミは、手のジェスチャーで後輩を招く。
「あおいは今日も悩み中か?」
「そうね、気分転換に外行ってるわ。はい、ここに座って。座布団はないからこれでガマンしてね」
 布きれのような敷物の上に座らされた大地。自分はふわふわクッションのクセしてゲストに無礼だろ、とでも文句を付けたくなったが、後始末が面倒なのでここはグッと押し黙った。
「それでレミ、オレを呼んだ理由ってなんだ? 宇宙飛行プロジェクトの件でか?」
「ザッツライト。大地にはまだあのUSBメモリのデータを見せてなかったでしょ? アンタにも一度目を通してほしくて呼んだわけ」
 ノートパソコンを操作するレミ。ちなみにデスクトップ型のディスプレイには、蟻のようなプログラミング言語が何百行に渡って記述されている。
(何がなんだかサッパリ。プログラミングの腕は確かなんだよな。やっぱすごいわ、この先輩)
 大地の視線に気づいたのか、
「ふふん、電子ドラッグのコードよ。モルモット役はまず大地ね」
「イヤに決まってんだろ、コラッ! 誰がモルモットになるか!!」
「冗談よ。そんなの作れるわけないでしょ。これはARを操作するアプリのコード。開発途中だけどこんな感じのアプリよ」
 レミが紙のマーカーにスマートフォンをかざすと、ディスプレイに無地の箱が現れる。彼女がその箱を指でなぞったら、それに合わせて箱は動いたり形を変えたりした。
「大した使い道はないわ。ARに触れたら面白そうだなーって、遊び半分で開発してるのよ。本題の話をするために準備するからちょっと待っててね」
「わかったよ。……て、ん?」
 写真や書類などの資料が床に散らかっていることに気づいた大地。
「ああ、それ? こないだのシンポジウムでね、学生研究員がくれたのよ。宇宙飛行プロジェクトの研究の参考にしてくださいって」
 ふーん、とレミの準備が整うまで資料をパラパラと拝見する大地。すると――……、
「……。どこかで」
 手を止めたのは四枚目の写真。背の高い白いロケットの前で、ヘルメットを除いた宇宙服を着て写真に納まる人物を発見する。あくまでロケットが主役の写真で、人の映りは悪い。けれど、思わずその人物に目を凝らして、
(赤髪……女? ぼんやりしてるけど、この顔立ち……)
 ――この未来都市に越して約半年が過ぎ、あの赤髪の少女とは一度も顔を合わせていない事実。そして彼女の夢は宇宙飛行士になること。
(この人、まさか――――ッ)
 写真を見つめながら青ざめる大地の顔を、レミは訝しげに覗き込み、
「どしたの? 何か悪いものでも映り込んでた? え、幽霊とか? ちょっとやめてよ」
「この赤い髪の人、知ってる人かもしれなくて……」
「マジで? この赤い髪の?」
「そうだ。……いや、映りが悪いし違う可能性のほうが高いんだろうけど……」
「この子が大地の知り合いかどうかは置いといて。ちょうど私もその子に絡んだ話をしたかったところよ」
「どういうことだ?」
 写真から顔を上げた大地の視線をディスプレイに誘導させたレミは、一通りキーボードを叩いて本題を切り出す。
「シンポジウムの日にも言ったけど、宇宙飛行プロジェクトを突きとめる鍵にARを挙げたわよね? そこでこれ、大地に見てほしいもの」
 黒背景に、数十行に渡る白い文字の列が画面に連なっている。すべてが英数字の、目で追うだけでも頭が痛くなりそうな量だが、その一行目だけはなんとか追う気になれ、
「Kakucho-Sensen――……。……かくちょう、せんせん?」
「そうよ、〈拡張戦線〉。この暗号じみた文字をすべて解析したわけじゃないけど、〈拡張戦線〉が《NETdivAR(ネットダイバー)》を応用した体感型のゲームってことはわかったわ。ネットワークが張られたエリアに出るARのモンスターを倒すっていう、なかなか面白そうなものよ。で、これを見て」
 そう言ってレミは画面を切り替える。プレイ映像のキャプチャだろうか? 緑色のビーム状のラインが幾多に重なる中、巨大なARの蜘蛛を相手に武器を構えるプレイヤーたち。レミはその映像からある一点を拡大すると、
「赤い……髪の。それにこの顔……」
 先ほど見たロケットの写真よりも鮮明に顔が写っている。今度こそ見覚えのある顔だ。
「ええ、これに映ってるのよ。画像の更新日時は宇宙飛行の日よりも半年前だけど」
 まさか宇宙飛行プロジェクトに、そしてこの〈拡張戦線〉とやらに彼女への手がかりがあるというのか。もしプロジェクトに参加していたとしたら、今はもう、存命ではない?
「《NETdivAR(ネットダイバー)》繋がりでこのデータがUSBメモリにあるんかな。にしても聞いたことねえ、そんなゲームがあれば話題になりそうなのに。よその街で開催されてたのか?」
「少なくとも未来都市(ここ)ではないわ。調べたけど、日本にも海外にもこんなゲームが行われてる情報はなかった」
「そうかー。場所がわかればちっとは研究も進むのになー」
「ゲームエリアに見えるデータはあったんだけどね。これ」
 同じ黒背景に緑と白色のラインで構築されているレミの映したそれは、都市の立体的な3Dデータだ。おそらくゲームのエリア図であり、緑がエリア内、白がエリア外を現しているのだろう。ラインだけですさまじい摩天楼が想像できる。
「見慣れない建物が並ぶけど、この塔ってなんだかアレに似てない?」
「アレ? アレって……」
 少し考えてから、大地はあっと無意識に声を出した。
「ひょっとして」
 窓へ眼差しを飛ばすと、天へとそびえる一本の白き塔――〝未来の記念碑〟が目に触れる。未来都市の中央に建つ、高さ300メートルほどの塔型の記念碑だ。教育、研究施設が連なる平坦な街並みの中、その塔は都市において最も高い建造物である。
「何かと謎の記念碑よね。中に入れそうな扉はあるわ、けれど厳重なロックがかかってるわで。そこまでして護る価値があるのかしら?」
「一応は街のモチーフって役割らしいけどな。ロックの理由はわからんけど」
 そうレミと語らいながら思い浮かべたのは、先日バスの中で見た幻のような都市の光景と銀髪の女。たしか《パラレルレンズ》を掛けた状態で未来の記念碑を視界に入れたことが事の発端だった。モニターに映る摩天楼のようなラインもその連想を強調づける。
「まあ記念碑はともかく、使ってるARが宇宙飛行プロジェクトと同じなら、〈拡張戦線〉の制作チームに接触できれば研究が進みそうだけど」
「だな。〈拡張戦線〉の開催場所と制作チームを調べる必要がありそうだ。少しずつだけど方向性が見えてきた気がする」
 そう口にした大地の顔は、この部屋に入る前にはなかった真剣みを帯びている。
「ん、目の色が変わった? 気のせい? 先生から研究を託された時は、なんとなくって感じだったけど」
「どうだか。ま、知りたいことは増えたかもな」
 もし宇宙飛行プロジェクトが彼女への手がかりになるとしたら。掴んで、そして未来都市へとやって来るきっかけをくれたお礼を言いたい。たとえそれが墓標の前だたとしても。
「そういうレミはこの研究をする理由ってあるのか? 滝上先生から任されただけ?」
「私? まあそうね、プロジェクトの脇役ではあるけど《NETdivAR(ネットダイバー)》に興味があるわ。まるで聞いたことがない技術だし」
「研究部の情報技術を担当するだけあるな」
 しかしレミはもう一つ、理由を大地に語った。
「別に仲が良かったわけじゃないんだけど、宇宙飛行士に選ばれて犠牲になったらしい中学時代のクラスメイトがいるのよ」
 宇宙飛行士として選ばれたこと、犠牲になったことは、かつての同級生間で語られる噂が情報源(ソース)。未来都市は犠牲者を公表していない。しかしこの未来都市で最も優秀な城ケ丘高校に進学し、なおかつ高校では上位の成績を収めていたこと、事故後に一切姿を見せていない事実があることから、噂の信ぴょう性はかなり高いそうだ。
「弔いのつもりはないわ。でも犠牲になった同級生の成果がひた隠しにされてるのは残念。命と引き換えになる危険があってでも成し遂げたかったことは……、知りたいわね」
「そうなのか……」
 大地に限らずレミも、あおいも、プロジェクトに向き合う理由を持っているようだ。
「よし、オレたちで掴んでやろうぜ。宇宙飛行プロジェクトに隠された謎を!」

       4

(もう! 病院の中は自由にスマホも弄れやしない)
 白衣のほか、看護服、ならびに病人服を着る人々が行き来するロビー。背もたれ椅子に小柄な身体を預けつつ、レミは心の中で恨みがましくぼやいた。
 ここ最近悩まされている肩こりの検診のため、高校に隣接する病院へと訪れていたレミ。そろそろ名前が呼ばれるころ、どうせ運動不足を指摘されるだろうと考えた矢先、
「あん?」
 切れ長の碧眼が視界の端に気になる存在を捉えた。
(あの女って)
 焦点を定めた先に見知った顔がいる。花束を抱え、凛然とした立ち振る舞いで廊下を進むその風柄。
(たしか“冷たいお嬢様”とか呼ばれてた……。同じ高校の同級生だっけ? 花束ってことは……誰かへのお見舞い?)
 背中に伸びるきめの細かい青のストレートの髪。スマートな身体つきではあるが、レミにはない魅力的なバストを持っている。くりくりとした瞳、シャープな目尻が際立つ女子だ。
(冷たい態度で密かに有名だっけ。友達だって少ないみたいだし。顔もよくて頭も、スタイルもいいのにね。もったいない)
 って、これじゃあ嫉妬してるみたいじゃない、とレミは心中で自重を促したが、同時に一つ思い及び、
(でも、誰のお見舞いかしら? あまりイイ顔してない様子を見ると――……)

 翌日、放課後。
 レミは部室の扉を開ける。先ほどは廊下ですれ違った大地に声をかけ、一緒に来てほしいことを伝えたのだが、彼は『当てを見つけた』と言い残し、一人で外へ出て行ったのだ。
「あ、レミちゃん。昨日の診察の結果はどうだった?」
 部室を共有するあおいが穏やかな笑顔でレミを出迎える。
「運動不足だって。部屋に籠ってPCいじってないで、たまには外に出ろってさ。それくらいセルフで診察できるわよって結果。まあ、無料《タダ》だから別にいいけど」
 未来都市の学校に通う生徒は、通院にかかる費用を街が全額負担してくれる制度があるのだ。そのため、身体に気がかりがあれば気軽に診察を受けることができる。
「どう、宇宙飛行プロジェクトの件は進んでる? 何かわかったことある?」
 あおいはミニ冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを取り出し、二つのカップに注いでからレミの近くに腰掛けた。
「ううん、全然。ネットで調べてもそれらしい情報、見つからなくて。本も同じ。レミちゃんは? あのUSBメモリの解析は進んでる?」
「昨日今日で進展はないわ。〈拡張戦線〉もダメね。……いや、一つあった。謎のテキストファイルが一つ見つかって。――『お姉ちゃん、待ってるから』って一文だけのね」
「お姉ちゃん? そのUSBは誰かの妹のものってことかな? なんでそんなメッセージを残したんだろ?」
「さあ? これっぽっちもわかんないわ」
 やれやれと肩をすくめるレミ。
「近未来の技術の情報は詰まってるけど、USBメモリのハード自体は現代の性能と変わらないそうなのよね。城ヶ丘の協力者が言ってたわ」
「てことは、すごい技術も実は近い所で発明されたもの? たとえばタイムマシンでこの時間軸にやって来た未来人も、そんなに離れた未来の住人じゃない……?」
「タイムマシンなんてありえるの? あんなのSFの妄想でしょ?」
「相対性理論では未来に行くことは可能でも、過去に行くことは難しいって。タイムマシンも夢があって素敵だけど、現実で考えるとちょっとね」
「そもそも誰が未来人なんて言い出したんだっけ。異世界人が~でもいいんじゃないの?」
 ふぅ、とレミは気のないため息を吐いた。未来人だろうが異世界人だろうが議論していても無意味かと、行き詰まりを覚えて頭を抱える。
「レミちゃん、やっぱり私たちじゃ限界が……」
「そうね……。はあ、見事に壁にぶち当たったわ」
 カップに口を添え、甘いジュースで喉を潤したレミ。ゴクリと、静寂な空間に喉音が響く。
「あっ。一人、心当たりがいるわ。ほら、同級生で青い髪が長いのがいるじゃん。“冷たいお嬢様”とか呼ばれてる。知らない?」
「え、あ……っ。と、その……、ちょっと苦手で……」
 あおいは申し訳なさそうに身体をすくめる。
 しかし彼女は間を置いてから、こう切り出した。
「でも、あの“神代(かみしろ)一族”の分家の人なんだよね?」
 ――――神代一族。それを承知しているからこそ、レミは“冷たいお嬢様”を提案した。
「ええ。有名な科学者を代々輩出してきた家系でしょ? 現代の科学技術の数パーセントは神代一族のおかげと言っても過言ではない、その謳い文句は聞いたことあるわ。未来都市の頂点だって神代一族本家の娘でしょ」
神代(かみしろ)小町(こまち)さんだね」
 この未来都市に拠点を置く七つの高等学校、ひいては国内で最上位に君臨する私立、城ケ丘高校。推定偏差値八〇を超えるその高校において頂点に立つとされる存在、神代一族本家の生まれである高校二年生が神代小町だ。
「うん、そうだね。私、レミちゃんに賛成。とにかく訊ける人には訊いてみないと。秘密はトコトン知りたいっ」
 キラキラ目を輝かせたあおいは、レミの手をギュッと取る。普段のか細いおっとり口調は影を潜め、ハキハキと芯のある言葉使いで彼女は訴えた。
(うわー、静かなる狂った科学者(サイレントマッドサイエンティスト)モードになってる。乗り気になってくれたのは助かるけど)
 そうして話がまとまったらレミは知人を通じて青髪の同級生にさっそく連絡をつけ、校舎裏の公園に足を運んだ。ベンチに座り、日向ぼっこをする野良猫とじゃれ合っていると、
「――――私を呼んだのはそこのお二人かしら?」
 透き通った声、ベンチに差す影。レミは顔を上げると、青髪の女が凛然と立っていた。ベンチに座る自分たちを大きな瞳で見下ろすように、そこへと。
「急に呼び出してごめんなさい。研究部の深津檸御よ。こちらは同じく研究部の中原あおい。研究の過程でどうしてもあなたに訊きたいことができたの。少し時間を頂いてもいいかしら」
 レミを皮切りにあおいも腰を上げ、不安に堪えないという顔つきで、
「よ、よろしくお願いします……」
 ――神代(かみしろ)蒼穹祢(そらね)。“冷たいお嬢様”とも呼ばれる彼女はサッと前髪をかき上げ、
「深津さん、コンピュータに関する知識なら校内に肩を並べる者はいない、と言われているのは知っているわ。そんなあなたが訊きたいこととはいったい?」
「私たち、一年前の高校生宇宙飛行プロジェクトについて調べてるのよ。神代一族のあなたなら何か知ってることがあるんじゃないかって」
「…………ッ」
 蒼穹祢は不自然に顔を逸らした。奥歯をギリッと噛み、両手の拳は固く握って。
(どうしたのよ……? 何かマズイこと訊いた、私?)
 彼女の反応を見て思考を巡らすレミだが、
「…………、あのプロジェクトの件は私に訊かないで。お願い、他の人をあたって」
 ポツリと、囁くように蒼穹祢は呟いた。怒った口調でもなく、顔つきはどこか哀しげに。
「悪かったわ、変なことを訊いて。けどもう一つ、訊きたいことがあるけど大丈夫?」
 返答はないものの、蒼穹祢は断りを示すような素振りも見せない。
「確かに存在するはずの技術の出所を探ってるんだけど、見つけられないのよ。私たちの目には見えない所にあるんじゃないかって思い始めるくらいだわ。……変な質問だけど、そういう特別な技術の出所になりそうな場所、知ってないかしら」
 我ながら下手な言い回しだと、レミは質問した直後に後悔してしまった。こんな問い、されたところで困惑されるに決まっている。
 けれど、
「表立ってできないことは、普通は隠し立てて行われるものでしょ?」
 蒼穹祢は明確に顔の向きを変えてそう答えたのだ。その目配せの先にあるのは、未来都市の中央にそびえる高き塔――未来の記念碑。
「お二人が知りたがっているあのプロジェクトも、当然隠された世界で進んでいたもの。なにせ飛行士に高校生を選んだのだから。ええ、あの世界なら答えを知っているはず、少なくとも科学に関してはこの世界よりも」
「それってどういう――……」
 尋ねようとレミは言葉を発したが、蒼穹祢は振り切るように背中を向け、何も言うことなくそのまま去ってしまった。
 レミはそれを追いかけてはいかず、あおいと顔を見合わせて困惑することしかできなかった。

       ◇

(このカフェで待ってればいいんだよな)
 放課後、桜鈴館高校からバスに乗ること十分少々。レンガ造りを模した黒い壁のカフェに大地は入店する。落ち着いた色合いの外観とは反して、店内は白を基調とした明るい雰囲気だ。
 わざわざこの店に足を運んだ目的は、ある人との待ち合わせ。女が多数を占めるこのような洒落たカフェなど、待ち合わせ以外の目的で利用することなどまずない。
(男一人ってのも居心地が悪いな……。気にしすぎか? 早く来てくれないかな)
 きっかけは昨日、研究部顧問の滝上先生に持ちかけた大地の相談だった。『宇宙飛行プロジェクトに関わりがあるとしたら、この街で一番優れた城ケ丘高校の生徒のはず。城ケ丘高校に知り合いがいたら誰か紹介してくれませんか?』と(レミにも何人か知り合いがいるそうだが、昨日は不在のため先生に頼んだ)。滝上先生は快諾してくれ、本日の午後四時にこのカフェで待つよう言われた。なんでもその生徒はこのカフェのモンブランと紅茶が好物だそうだ。
 そろそろ来るはず。大地が壁時計を一瞥し、時刻を確認しようとしたその時――、
「逢坂大地くんでよかったかしら?」
 声は女の音色。呼びかけにつられて壁時計から視線をスライドさせると、
「……え、マジ?」
 その風貌を見て、大地は息を呑んだ。
 紺色のセーラー服に胸の赤いリボンは、見間違うはずがない、天下の城ケ丘高校のもの。その顔立ちは女子高生離れした、大人びた雰囲気を漂わせていて、赤縁の眼鏡が知的さを後押ししている。背中に伸びる黒い髪が清楚で美しい。
 この未来都市に越して半年。けれどそんな日の浅い大地ですら、彼女の名は知っていた。
「はじめまして、――神代小町です。要件は梢恵……研究部の顧問から聞いているわ」
(おいおい、マジか!? 本物!? 滝上先生、ここに呼んだのって――――ッ!?)
 大地はガタっと席を立ち、
「あ、逢坂大地ですっ。よ、よろしくお願いしますっ」
 大きな波となってこみ上げた緊張で声が上ずり、自然に頭も下がる。
「そんなに緊張しなくてもいいのに。さ、座りましょうか」
 苦笑いを浮かべた小町に促され、大地は再び、恐る恐る腰掛けた。
「紅茶とモンブランケーキをお願いします」
「オレはアイスティーで」
 伺いに来た店員に注文をする様子を含め、見た感じ、大人びてはいるが普通の女子高生ではある。小町という古風な名に恥じない佇まいがあり、美人な顔立ちだと大地は感心する。
「自分、高校生宇宙飛行プロジェクトについての研究を滝上先生に任されたんですよ。そのプロジェクト、隠されてることだらけで。先輩が知ってること、あれば訊いてもいいですか?」
「申し訳ないけど、あのプロジェクトのことは私もたいして存じていないわ」
 小町はきっぱりと口にするので、大地は肩を落として落胆する。
「そうッスよね……」
 とはいえ、予想はしていた。城ケ丘高校の生徒だからといって、神代一族本家の娘だからといって、宇宙飛行プロジェクトと縁があるわけではないのだから。
 しかし不思議だ。大地の要件は滝上先生から事前に聞かされていると小町は発言した。では、どうして大地に面会してくれたのか。
 大地が目線を下げ、心中で疑問に思っているところで小町が、
「おそらくキミは、あのプロジェクトで使われた技術の出所を調べる過程で詰まっているのね」
「……ッ!?」
 大地は顔を上げた。眼鏡の奥のつぶらな瞳が、大地の心を見澄ますかのように黒々と輝く。
「そ、そうッス!」
「残念だけど、“あの世界”を他言することは禁止されているわ。ここでキミに話せるのはせいぜい二つのヒントを伝えることだけ。それを承知してくれるのなら、話せることは話すわ」
「あの……世界?」
 大地は戸惑った。けれど小町は彼の困惑などお構いなしに、
「いい? 私が伝えること、ただ呑み込んでほしいわ。質問に答えることは私でも許されていないから。そもそもヒントを与えること自体がグレーだけど、まあそこは神代一族の人間ということで」
「は、はい。わかりました」
 一方的な助言に大地はうなずくしかできない。神代一族の者だからこそ話せることなのだろか。
「きっと逢坂くんはインターネットや図書室の文献を活用して調べているのね。けれどそれではたどり着けないわ。人は目に映る“表”から無意識に答えを探ろうとするけど、目には映らない“裏”も考慮しなければ、それは見つからならないのかもしれない」
「それは……、紙に例えられる話ですよね。表の面を眺めても探したいことが見つからなくて、なんとなしに紙を捲ったら見つかったって」
「ええ、そういうことよ。――それが一つ目のヒント」
「あ、はい。……はい?」
 今のがヒント? 質問したい衝動に駆られるが、ぐっと喉の奥底に呑み込んだ。小町との約束を破り、ここでヒントを打ち切られるのは勘弁だ。
「そして二つ目。“次元”という概念の話になるわ。これは一般的な法則なのだけれど、一次元の世界から一次元は把握ができない。二次元から二次元を、三次元から三次元も同様よ。観測をするためには、対象の次元よりも高位の次元からでなければならないわ」
「次元論の話ですね。三次元に住むオレたちが一見して三次元に見えてるこの世界も、二次元で捉えているものを脳の錯覚で三次元のように捉えてるだけですからね」
「理解が早くて助かるわ。ええ、そのとおりね」
 フォークで切り分けたモンブランケーキを頬張る小町。美味を味わい、口元に浮かべるほのかな喜びは隠さない。カフェで過ごす周りの女子高生と同様に甘いものが好物のようだ。
「以上、私から伝えられるヒントよ」
「……え、それだけ?」
「ええ。逢坂くんならこのヒントで解けると思うわ。梢恵がキミのことを認めているもの」
 と小町は言ってくれるが、はっきり言って全然ピンとこない。
「表立つことで流出してしまうことを恐れての措置なのは間違いない。けれどあの世界の成り立ちは……、忌まわしいものだわ。科学のための犠牲で済ませていいものでは……決してない。あの宇宙飛行プロジェクトもひょっとすれば、終わりを迎えていないのかもしれないわ」
 なぜだろうか。小町は窓辺から、――未来の記念碑の方面を垣間見て、独り言のように呟くのであった。

       ◇

「今日はお時間ありがとうございました」
「いえいえ。研究部の話も聞けて楽しかったわ。また会う機会があれば」
 小町に頭を下げた大地はカフェを出て、バス停のベンチに腰掛ける。日は暮れ始め、辺りは大地の髪色のように夕日色に染まっている。
 大地はスマートフォンを取り出すと、『小町とは会えたかな。ふふ、驚いた?』という滝上先生のメッセージを確認した。『別件で連絡がある。私は明日出張だから、今日のうちに連絡しておきたい。空いた時間で構わないから電話をくれないか?』という追記も。
(いやいや、とんだサプライズだよ。先生にも礼を言っとかないとな)
 アドレス帳のリストから『滝上先生』を選んで受話口を耳に当てる。二回のコールで繋がり、
「あーもしもし? 逢坂ですけど」
 まるで友達に話す感覚でマイクに語りかけたが、
「あれ……、先生? 聞こえてますか?」
 相手の電話に繋がったのにもかかわらず、一向に返答がない。だが、
『――――お疲れさま、逢坂クン』
 口調こそ似てはいるものの、やっとのことで聞こえた声は研究部顧問のものではない、覚えのない女の声だった。それに先生は苗字で部員を呼ばず、下の名かあだ名でいつも呼ぶ。
「ヤベッ、間違えた? スイマセン、間違え電話でした。……って、オレの名前……言った?」
『回線は確かに滝上梢恵の携帯電話へと繋がろうとしたよ。しかし悪いけど、その回線に割り込ませてもらった。私がキミとおしゃべりしたくてね』
 落ち着いた、大人びた語り口調。されどやや幼げな声の質から想像するに、年齢は自分とそう変わらないと大地は勘ぐった。
「誰だ、アンタ? 知り合いってわけじゃあなさそうだ。その声、聞き覚えはねぇ」
『聞き慣れてはいないだろうけど、聞き覚えはあるはずじゃないかな?』
 キョロキョロと周囲を警戒し、無意識のうちに未来の記念碑に目を向けた。夕暮れとなってもなお、街におけるその存在感は健在だ。
『おや、ひょっとして今、記念碑を見なかったかな?』
「……ッ!?」
『図星みたいだね。視線を感じたんだ。まあ、それはさておきだ。キミは私の正体を知りたがっていそうだしね、まずはそれについて話そうか』
「……何者だ?」
『私は“情報生命体(じょうほうせいめいたい)”。別の名を《マージナル・ハート》。キミたち人間とは一線を画す存在さ』
「情報、生命体? マージナル……、はーと? なんだ……そりゃ?」
 携帯端末を握る手に自然と力がこもり、そして全神経を声に傾ける。
『要は自我を持ったコンピュータとも呼ぶべきか。ただし人工知能、いわゆるAIともまた違う概念だがね』
 愛らしさを含む声は、冗談めかしい微々たる笑いをマイクに放ち、
技術的特異点(シンギュラリティ)という用語は存じないかな? 自我を持つほどに発達したコンピュータにより、人類主導で送られていた文明が占領される瞬間を表す意味だけどね』
「なんだァ? その情報生命体サマとやらがオレたち人類を乗っ取ろうって言うのか? 宣戦布告か、この電話は? だとしたらオレは人類から選ばれた主人公ってトコかよ?」
『私も人恋しくなる時があってね。宣戦布告では断じてないよ、安心してくれたまえ』
「それで、オレに何を伝えたいんだ?」
『私は0と1の存在、だから2進数で構築される世界ならばどこでも介入することが可能だ。それは当然、――拡張世界(コンプレックスフィールド)ですらもね』
 拡張世界(コンプレックスフィールド)? なぜ、その言葉を今この会話で? いや、そもそも……、
拡張世界(コンプレックスフィールド)って用語自体、“未来人の落とし物”にあった造語だよな? って、ちょっと待てよ。この前も誰かが拡張世界(コンプレックスフィールド)って口にしたような……、ハッ!)
 脳裏によぎったのは、薄暗闇に包まれた銀髪の後姿、顔を覆う仮面――――、
「まさかアンタ、バスの中で――……」
 だが、電話口の少女は一方的に、
『先ほどはあの女からヒントを教えてもらったようだね。あんな女に頼らずとも私から教えてあげたのに。楽しみが奪われて残念だ』
「あの女……? 神代先輩のことか? どうしてヒントの話を知ってる?」
『私が名乗った別の名が答えさ。にしてもあの女のヒントは難解だね。天才って連中の思考はどうも読めない。ただ、悔しいがどれも的を射たヒントだ。私が保証するよ』
「それをオレに伝える理由がわかんねえ。目的はなんだ?」
『さあね、人とのふれあいに飢えているからかな。どうだろう?』
 電話越しの彼女は断言しない。掴みどころのない言い回しをする。
『なんにせよ、そこに到達するためのヒントは十分に与えられている。本当はヒントではなく答えを教えたいところだけど、私の立場でもそれは難しくてね』
「ハッ、ヒントで十分だ。答えを与えられても面白くねえ」
『さすがは研究部というだけある。ところでキミは〈拡張戦線〉を探っているんだよね。だったら急いだほうがいいかもしれない。次のタームの開催はもうじき締め切りだから。それが最後のタームになるね』
「え、マジか!? つーことは、〈拡張戦線〉は“そこ”で今も開かれてるってことか!?」
『おっと、口が滑った。なんにせよ待っているよ、キミの来訪を』
「ちょ! 待て! って、…………」
 呼び止め虚しく、プー、プー……と通話は途切れてしまった。
(急いだほうがいいかもしれない、か。ああ、言われなくてもそのつもりだぜ。焦らせるなよ)
 現状、宇宙飛行プロジェクトを追うためには〈拡張戦線〉の手がかりが必須だ。逆に〈拡張戦線〉の手がかりを見失えば、宇宙飛行プロジェクトの謎を追うチャンスを逃すことになる。
 大地は手中のスマートフォンを見つめて、
(ヒントは……十分に与えられている? それに……到達する?)
 電話の女は確かにそう言っていた。まるで別世界の存在を示唆するような言い草で。
「表からだけではなく裏も見ろ。高次元からの観測。……紐づかねぇ」
 小町から話を聞いた時と変わらず、ヒントにピンとこない。特にわからないのが二つ目。だからひとまず一つ目の『表からではなく裏も見ろ』というヒントに焦点を当ててみる。
(裏といえば……)
 思い当たる節がある。ここ最近になり、大地が触れるようになった“世界”。
 彼はスクールバッグに入れていたメガネケースを取り出し、
拡張世界(コンプレックスフィールド)は肉眼では見られない世界だ。現実が表とすれば、拡張世界(コンプレックスフィールド)はある意味で裏とも言える。あの銀髪女を見たのだって拡張世界(コンプレックスフィールド)だ。だから答えは――……)
 大地は《パラレルレンズ》を掛けて電源を入れ、辺りを見回してみる。けれども、
(くそう、現実と変わらねえ!)
 ARと言えるようなオブジェクトは確認できない。それも当然か。《NETdivAR(ネットダイバー)》という技術はネットワーク上に専用のAR情報を設定する必要があるのだ。
 だが、その時。
「うわっ、なんだ!?」
 ぴろんっ、というメールの着信のような音が《パラレルコネクタ》内蔵のスピーカーから鳴ったのだ。するとARオブジェクトのカラー封筒が彼方から飛んできて、目の前で封が開く。中から浮かび上がったのは、便箋と輝く鍵。
『残念。拡張世界(コンプレックスフィールド)は次元に関係ない。けど、あながち間違いではないね。スマホを開いてごらん、メールに同じメッセージと添付が届いているはずだ。添付が贈り物の鍵だよ』
 便箋に目を通した大地は、届いているメールを見た。添付を開くと、それは何の変哲もないQRコードで、
(このQRコードが、鍵? ハァ、なんの鍵だよ!? これだけじゃあわからん!)
 どうやら一つ目のヒントのみでは答えを明かせないようだ。結局、二つ目からは逃げられないというわけか。
(二つ目……高次元。どういうこった? あークソッ、一人で悩んでも時間がもったいねえ! ここはレミとあおいに頼るか!)
 さっそく大地はレミへ電話を繋げる。彼女はすぐに出てくれ、
『もしもしー、どうかしたー? もう寮に帰ったところだけど』
「宇宙飛行プロジェクトの件で今日は出かけるって言ったよな? あの城ケ丘高校の神代小町先輩に会ったんだよ」
『マジで? あの天才に? 何か聞き出せたりした?』
「最先端技術の出所についてのヒントはくれたんだ。答えを教えるのはマズイらしくて、あくまでヒントなんだがな」
『で、そのヒントを解くのに困ったから電話をくれたってこと?』
「話が早いな。で、ヒントなんだけど――……」
 大地は小町に教えられた二つのヒントを順に伝える。第一のヒントから拡張世界(コンプレックスフィールド)を導き、鍵を手に入れたことも含めて。どうやらレミはあおいの部屋にいるらしく、夕飯の準備をしているあおいにも話を伝えてくれる。
『次元のヒントは、私よりもアンタやあおいのほうが得意そうよね。う~ん、より高い次元から観測をする?』
「たとえば紙を眺めるだろ? 紙は二次元だ。で、オレたち観測者は三次元の住人。つまり紙を三次元に、オレたちを四次元にすり替える。それがヒントの意味だとは思うんだが……」
『無理でしょ。あおいだって無理と言ってるわ。……あ、いや、ちょっと待って!』
「わかったのか?」
『あおいの部屋って寮の四階じゃない? で、ちょうどベランダで電話してるんだけど』
「ベランダ?」
『下の道を歩いてる人がここから見えるわ。走る車も道路標識も、コンビニもね。要はこの視点でいいんじゃないの?』
「あ、そういうことか! ――高い所から見ればいいんだ!」
『そうね。あくまで地上に限れば、高い場所から全貌が把握できるわ』
「なるほど、アリな考えかもしれん。で、高い場所で思い浮かぶといえば――……」
『未来の……記念碑?』
「だよな、オレも真っ先に思いついた」
 街の中央にそびえる未来の記念碑は、この未来都市で最も高い塔。そこの頂上からは未来都市を見渡すことができるであろう。常時入口が施錠されており、一般人が入ることはできない。
「もしかしてこのQRコード、記念碑に入るための鍵ってことか? おお、繋がってきた!」
『ええ。おそらく技術の出所や〈拡張戦線〉の開催場所は、私たちの目に届かない世界にある。私とあおいもそういう話を今日耳にしたわ。今から記念碑の前で合流しましょう。あおいとすぐに駆けつける』
「わかった、オレもすぐ向かう」
 約束し、大地は電話を切った。ここから未来の記念碑までは駆け足で想定十分強。時刻は午後五時を過ぎたところ。日の入りまで一時間を切る。夕焼けが濃くなり、影も伸びて、建物にもぼちぼちと照明が灯される。
 寮、研究施設、教育施設等、多くの建物がひしめく街並みを通り抜け、未来の記念碑から50メートルほどの距離を隔てた狭い路地の端で、大地は目指すそれをしっかりと目に収め、
(目指すはあのテッペンだ! あのテッペンにいったい何が……。……、なんだこの感じ? 何かに見られてるような……? 気のせいか?)
 拡張世界(コンプレックスフィールド)が答えではない。それを承知しつつも、大地は再び《パラレルレンズ》を掛けてみる。その時――、
『キミならここに来てくれると思ったよ。さ、あと少しの辛抱だ』
 メガネの小型スピーカーから聞こえたのは、少女の声。
(この声、さっきの電話の? って、な――――ッ!?)
 高さのない平坦な建物が記念碑の周りに広がっているはずなのに、――なぜか視界にあるのは、ネオンで輝く高層ビルがそびえ建っている光景。ビルとビルの合間には、一風変わった形状のロボットが縦横無尽に徘徊している。だけど目前の塔――未来の記念碑だけは、その馴染ある形様を保っていた。

『――――ようこそ、虚数空間の世界(イマジナリーパート)へ』

 大地の見上げた記念碑の中腹辺りでは、白いローブを身に纏う、仮面で顔を覆った少女が逆さに浮いていた。色褪せた長い銀髪をも重力に逆らわせて。
『この景観は気に入ってくれたかな? ここは夢と空想で創られたおとぎ話のような世界。けれどもはっきりとした現実でもある。訪れたければこの頂上を目指してみようか。ふふ、より高い世界を目指すことはあの宇宙飛行プロジェクトとも通じるね』
「…………」
 大地は見惚れるように幻想的な少女を凝視するも、その時、
「大地くーんっ!!」
 か細い声を懸命に張り上げ、背後から大地の名を呼んだのは、白い無地のシャツに紺色の秋物ジャケットを羽織る先輩のあおい。チェック柄のスカートから覗く肌は、普段の制服姿よりも露出が大きい。
 あおいの背後では、レミが追従しながら息を切らせて、
「はぁ……はぁ……っ。待ちな……さいっ」
 身動きの取りやすい桃色のパーカーと黄色の短パンに、太ももまでを覆う黒のニーソックスを履いている。平然としているあおいとは対照的に、苦しそうに目元を歪めている様子を見るに、運動不足が見事に露呈していた。
「大地くん、お待たせ。え、誰かと話してた?」
「アレの正体はまだわかんねえ。けど行ってみようぜ、テッペンに。そこに答えがあるはずだ」
「うん」
「ふう……、行きましょう」