「ぶっちゃけ出ないっす。オレの専門はあくまで数学で、関連のない研究にはなるべく時間を割きたくないんっスよ」
「面白いと言ったら不謹慎かもしれないけど、キミたちにとって大切な研究になるはずだよ、あのプロジェクトを調べていくことは。何よりも面白いことを追求したい大地ならなおさらね」
 大地はやれやれと笑って、
「わかった、先生がそこまで言うならやってやりますよ」
「そうか、よかった。プロジェクトの何を取り上げるのかは三人に任せる。今日のシンポジウムを通せば、きっと気になる疑問や謎が生まれるはず。知りたい謎はトコトン調べてほしい」
 先生の言葉に肯定し、壁時計を一瞥したレミは、スッとその場を立ち、
「学園祭明けでヒマしてたトコだしいいんじゃない? 全部暴いたろうじゃないの。そこにある謎はトコトン調べる、それが研究部のモットーでしょ」
「地学は専門外だけど、二人の助けになるように頑張るよ。うん」
「ありがとう。どうかこの研究を通してあの子を――……いや、」
 途中で言葉を切ったが、滝上先生は前髪を色っぽく指でかき上げ、
「未知なる研究は未知なる世界への扉に繋がるはずだ。きっとこの研究は、キミたちに新たな世界を教えてくれるきっかけになるよ」

       ◇

「ARはまだ既存の技術で説明がつくかもしれないけど、他の、たとえば宇宙工学や生命科学なんかはサッパリ。城ケ丘の生徒いわく、どれも何十年も研究してやっと到達できる技術だって。ARは取り掛かりやすそうだから触れてみたけど、それでも壁は感じるわ。現に《NETdivAR(ネットダイバー)》はまだ実現できていないし」
 ARのデータはメモリの中でも比較的容量を割いてあって、ARの掘り下げが鍵になりそうだからもうちょい頑張ってはみるけど、と意欲は見せながらもレミは嘆いた。
「んで、展示フロアはここだな」
 九〇分の講演を聞き終え、実際に使われていたロケット『OEF-101 Andromeda(アンドロメダ)=Pegasasu(ペガサス)』(飛行士が搭乗する第二段部分のみ)のスケールモデル、および搭載されたAR技術を再現した展示フロアへと足を運んだ大地、レミ、あおい。
「これがネットワークに潜るARっていう《NETdivAR(ネットダイバー)》ってヤツか。ま、モデルだけど。そういえばまだ詳しくは聞いてなかったけどレミ、これってただのマーカーレス型とは何が違うんだ?」
 暗黒のモニターには行き先への進路や星々との距離、危険ポイントの提示、現在速度・残燃料などの情報が、赤と緑のラインで構築されたバーチャルARという形で逐一表示されている。
 研究部・情報技術担当のレミは、三人の誰よりも好奇心いっぱいでモニターを見つめ、
「一般的なマーカーレス型は平面にある静止画の特徴を捉えて認識するAR。けど《NETdivAR(ネットダイバー)》は静止画の代わりに、無線の通信回線(ネットワーク)上に配置された情報(データ)を認識するARよ。つまり通信回線(ネットワーク)さえあればARの配置ができるの。宇宙では衛星を利用してネットワークを構築しているらしいわ」
「静止画がいらないのは位置情報型にも通じるよね。でも位置情報型はGPSの誤差がどうしても出ちゃうからその点、誤差のない《NETdivAR(ネットダイバー)》のほうが優秀かも」
「《NETdivAR(ネットダイバー)》の元になる現実とネットワークの重なりを拡張世界(コンプレックスフィールド)と呼ぶそうよ。拡張世界(コンプレックスフィールド)でなら自在にARを動かせるし、ある意味ARは拡張世界(コンプレックスフィールド)の住人とも言えるのかもね。余談だけどあの《パラレルレンズ》ってメガネは元々《NETdivAR(ネットダイバー)》のARを見るために作ったの」
 |拡張世界――〝コンプレックスフィールド〟。現実世界とコンピュータネットワークが重なり合った、すなわちARの住まう世界の呼称であり、命名者は不明だが、レミいわくUSBメモリ――“未来人の落とし物”のデータで用語として定義されていたそうだ。当然ながら拡張世界(コンプレックスフィールド)上のARは肉眼で見えず、専用のデバイスがなければ視認することはできない。
「見えるってのは大事だよな。たとえば電話だとたまに用件を聞き違えちまって。こういうARみたいに情報を目で見えるのはありがたい」
「そこがARのメリットよね。まさに情報の拡張ってとこかしら。このモニターだって進路が立体で表示されてるから、行き先が直感的にわかるわ」
 大地とレミがARに関心を示している一方で、研究部・理科担当のあおいは展示されているロケットの部品に興味を移して、
「宇宙の物理法則を考えながら部品って作られてるのかな、面白い。……でもやっぱり気になるけど……展示されてる部品、それにいろんな情報、少ないよね」
「だよな、少ないよな。たったこれだけか」
 そう、講演会場とは別の部屋を展示スペースとしているのだが、会議用の長テーブルが両手で数えられる程度しか配置できないような一室で、展示が完結されている。
 大地は先ほどの講演で、学生研究員が壇上で語っていた内容を想起する。
『……――高校生宇宙飛行プロジェクトは秘密裏に進められていたとされるプロジェクトです。乗組員を乗せたロケットの発射も、マスコミには完全非公開の中、スペースデブリの調査という目的の下で行われました――……』
 プロジェクトは秘密裏に進められていた――――。だから大地ら一般人はプロジェクトの存在を事故が起きるまで知らなかった。
(事故当時……、つってもまだ一年前か。大騒ぎになったもんな、あん時は。高校生を宇宙飛行士に選んだこともそうだし、それがこの国で計画されたこともそうだし)
 事故は当時通っていた地元の中学校でも話題になった。けれども事故からの数日を除いて不自然なくらいにマスコミがプロジェクトには触れず、次第に自らの日常からも、記憶からも事故の事実は薄れていったと、大地は回顧する。
『……――乗組員七名のうち死亡したのは六名、そのうちの三名が高校生という痛ましい事故でした。また、生還した一名の高校生も近況は不明で、おそらく昏睡状態が続いていると思われます』
 飛行士のプロフィールは? と思う大地だが、それらしい情報はフロアに見当たらなかった。非公開は遺族の意思なのかもしれないと、あおいと並んでロケットの部品を眺めながら考える彼に、
「そもそも、どうしてプロジェクトは極秘だったのかな? 高校生を乗せるってことは、やっぱり未来都市の宣伝のためだよね?」
 あおいは桃色の唇に白い人差し指を宛がい、ちょこんと首を傾げてそう投げかける。
 未来都市とは――、全国から集う学生、研究者が活動の拠点を置くこの都市の名だ。某野球ドーム千個分の面積を誇る円形の都市で、将来国を背負うための研究者を育成するという名目の下、首都圏の端で日々機能している。
「まあ研究者育成を掲げる街だもんな、未来都市(ここ)。んー、宣伝目的だったら打ち上げ前には話題になるだろ。宣伝ではないんじゃねえの? あー、謎が多いな」
 ARの観覧から大地とあおいに合流したレミも、頭の上にクエスチョンマークを乗せて、
「そうね、ロケットの開発元ですら割れてないし。その辺はあの学生研究員たちも気にしてたみたい。だから未来都市にそこを訊いたらしいけど、結果は――……」
『……――我々は調査の過程で未来都市サイドと数度接触しましたが、プロジェクトの全貌を公開しない理由は何度尋ねてもかたくなに答えませんでした』
 学生研究員はそう語っていた。
(理由を明かさない? なんだ、思惑でもあるのか? ……う~ん、考えすぎ?)
 三人は順路に沿って展示物を眺めていると、あるスクリーンの前で足が止まる。それはロケットの発射を見守る遺族が撮影した、研究チームが極秘で入手した事故当時の映像だった。
「こう言っては失礼だけど、まるで映画のワンシーンみたい。現実感がないわ」
 ロケットの全貌が遠目から映し出され、そして数秒後に空へと発射したが、雲に届きかけたところで機体は灰色の煙を巻き始め、けたたましい爆音とともに炎が膨れ上がり、最終的には粉々に砕け散ってしまった。
「うわっ……、映像で見るとショッキングだな……」
「燃料系統に不備があった、とは研究員さんが推測してたっけ。でも、ハッキリした理由も発表されてないんだよね」
 そうしてその後も万遍なく展示物を見ていく大地たち。プロジェクトの目的、事故前後の動き、損失金額など推測を交えた情報をしっかりと手に入れる。
「なぜ未来都市はプロジェクトの情報開示を拒むのか? 何を隠してるのか? まずはそこに注目して研究を進めていきましょう。近未来技術を使ったことにもおそらく繋がると思うわ」
 こうして三人は研究テーマを次のように決めた。
 ――未知なる科学技術の謎と、隠し立てられた高校生宇宙飛行プロジェクトへの追及――
(未来都市が公開したのは事故の事実と被害者の数、プロジェクトの大まかな目的、申し訳程度のロケットの部品くらい。逆にそれ以外は非公開。その謎を解くには、やっぱりあのUSBメモリが鍵になるのか)
 気になったことを配られた資料に、補足を書き加える形でメモを取りながら大地は考える。しかしふと、顧問の滝上先生が講演前の去り際に残した発言が脳裏によぎった。

 ――――今回課したこの研究を通じて、キミたちに〝科学の光と闇〟を知ってほしい。それこそが、この研究に取り組むことへの意義になると思う――――。

 そして彼女はこう付け加えた。――もしよければ〝科学の闇〟に苦しむ誰かを救ってくれれば――、そんな言葉を。
(光はわかるけど、なんだろ、科学の闇って。この事故の被害に遭った人のことか? ていうか先生、何かを知ってるような口ぶりだった? ……勘違いか?)
 発言の意図は、大地にはわからない。けれどそれを口にした時の先生の表情は、なぜか頭から離れられなかった。

       ◇

「うはぁー、疲れた。帰ってジュース飲んでパソコンで遊んでさっさと寝よ。肩こりも悪化してつらかったわ」
 両手を伸ばし、うーんと唸るのは部長のレミ。切れ長の碧眼をおもむろに閉じ、背もたれに預けた首をコテンと窓に傾げる。その風体はまるで等身大の西洋人形のよう。
「って、今から寝るんかい。まるで遠足帰りみたいだな。夕飯くらいはちゃんと食えよ?」
「寝ないわよ、目をつむって今日のおさらいすんの。心配しなくても夕飯はあおいのトコで食べるわ。ふふん、手作り料理よ」
「今日は海鮮ちらし寿司を作る予定なんだ。レミちゃんもサラダ作りくらいは手伝ってね」
「へーい」
 シンポジウムも終わり、大地ら三人は街を巡回する無料の公共バスに乗って、各々の寮に帰ることにした。
「あー、オレも疲れたぜ。座って聴くってのもしんどいよな、あおい?」
 身体に溜めた疲れを吐息とともに吐き、大地は景色を一瞥する。研究施設や教育施設等、比較的平坦な建物が連なる中、街の中心部に一本、天へと伸びる白い記念碑の塔が際立っている。
「疲れたけど、私は楽しかったよ。やっぱり私たちって未来都市に住んでるんだなって思えて。ああいうプロジェクトや研究を身近に感じられるのは未来都市(ここ)の特権だよね」
「だな。去年まで地元の田舎で暮らしてたけど、あんな話を聞ける機会なんかなかったし。さすがは研究者を育てる街なだけある。イイ刺激になるぜ」
 大地は白い歯を見せて満足げに答える。
「あれ、大地くんって今年からこの街に来たの? 初めて聞いたかな」
「ん、あおいは知らなかったっけ? レミは知ってたよな、ここに来た経緯も含めて」
「アンタが外部受験組なのは知ってるけど、経緯は知らないわよ。別に興味もないし」
 レミが素っ気なく返したのにもかかわらず、大地は感慨深そうに腕組みをして、