序章 とある双子姉妹と宇宙にまつわる一つの物語 -Prolog-
手に収まる世界の中では、今まさに夢を叶えようとする者たちがいる。張りつめたように目顔は硬いものの、それでも胸に抱いているのはきっと、未知なる天空に対する無限の希望。
その者たちと自らを遮る隔たりに親指を滑らせ――、少女はそっと奥歯を噛み締めた。ディスプレイが淡く照り返すのは、どこか心残りを滲ませた表情。
この瞬間は、生涯迎えないでほしいとさえ望んでいたのに。
風がひとたび吹く。巻き上がるように靡いた、蒼く長い髪。つられて天を見上げれば、曇る心を嘲笑うかのように、秋の晴天が空いっぱいに広がっている。
胸元に垂れるロケットペンダント。中に収まるのは、大切にしていたはずの写真。そこにはほほ笑む自分と、背後から腕を回して密着する赤い髪の少女。
顔立ちはそっくりなのに、違う。
「ねえ――……、どうしてあなたが選ばれたの?」
天空から視線を戻せば、地平線の彼方には憧れの、宇宙への飛行船。
ふと気づけば、発射まで定刻の一分前。
祈りを捧げるよう胸の前で手を組み、瞳を閉じた――“姉”。
「緋那子、どうか無事に帰ってきてください」
悔恨は不思議と失せていた。
心を埋めたのは妹の無事な姿、たったそれだけ。
3、2、1、0――……。心の中でカウントダウンを唱え、腕時計の秒針がきっかり『12』を指した瞬間に、機体は打ち上げられた。
2020年10月8日午前九時三〇分。
地を離れたそれは、遥か離れたこの場の空気をも震わせてしまう轟音とともに、空高く昇ってゆく。
はずだったのに。
祈る少女の悲鳴がこだましたのは、それからほんの少しの時が経ってからだった。
第一章 拡張世界〈コンプレックスフィールド〉
1
右下の薄青い円形のランチャーに専用のペンを這わせ、人の上半身を模ったアイコンをタッチすれば、半透明な仮想のウィンドウが流れるように中央へ出現し、
「おお!! これがウワサのARか!? なになに……、ほうほう……」
ウィンドウの左側には少女の顔写真が、右側には所属、名前、性別、生年月日、身長・体重が上から順に表示される。
「『桜鈴館高校 研究部』『中原あおい』『女』『2005年2月19日』『159センチ』……っておい、体重はどうした? そこ、空欄のままになってるし」
右上のバツ印をタッチすると、ウィンドウは瞬く間に消え、
「もう、大地くん。女の子にデリケートなことを訊いちゃダメだよ? というか身長と体重いらなくないかな? 仕様ミスだよね、これ?」
目の前に現れたのは顔写真と同じ容姿という〝現実〟。ただし写真でのノーマルな表情とは違い、わずかに憮然としてはいたが。
赤いリボンで結った紺色の細いツインテールを、左右の肩甲骨に垂らした髪型が特徴的な女子高生は、柔らかでパッチリとした瞳を瞬きさせて、
「それでどう、ちゃんと現実に溶け込んでる?」
ややか細いが、おっとりと可愛らしい声で彼女――中原あおいはそう問いかけた。
少年は黒一色のヘアバンドを上にズラし、整髪料で固めたオレンジ色の髪を整えながら、
「心配すんな、違和感ねえよ。それにしてもこのレベルのARをまさか高校生が開発するなんてな。同じ高校生として鼻が高い」
ARを視認するためのメガネ型デバイス、その名も《パラレルレンズ》を掛け、公共の広いスペースを見通すように、――逢坂大地はレンズ越しの世界を興味津々に覗き見る。
顔をほころばせたあおいは大地に右手を差し出して、
「あれ、聞いてなかった? レミちゃんたち高校生が作ったのは事実だけど、おおよそは“未来人の落とし物”に入ってた理論や設計図をヒントに作っただけってこと?」
「そうなんか。オレがこの研究に加わるの、今日からだからまだよく知らないんだ。その落とし物ってヤツ、ぜひお目にかかりてえな。なんか面白そうな匂いがするぜ」
一向に観察をやめない大地にむ~っとむくれ始めたあおいは、伸ばした手をソワソワさせ、
「そろそろ貸して。私だってAR見たいもん」
「へへ、悪い。もう少しだけ待ってくれ」
しきりに顔ごと視線を変える大地。すると通路を歩く小柄な金髪の女子を見つけ、
「お、レミ! おーい、こっちこっち――……」
呼びかけに反応した彼女は切れ長の碧眼で大地を捉えると、悪だくみを覚えた子どものようにほくそ笑む。そして『コ』の字型の太マーカーが印字された折り紙サイズの紙を、大地へピラッと見せたのだ。
「……? ……ってうおおおおおおぉぉぉッッッッ!?」
唐突に喚いて椅子ごとひっくり返りかけた大地。ベルトに絡む髑髏柄のアクセサリがジャラジャラ音を立て、シルバーのネックレスが服を飛び出て宙に舞う。
「ど、どうしたの大地くん!?」
床を踏んづけてなんとか留まった大地は、耳の傍で大砲でも撃たれたようなリアクションで、
「デカイ龍がブワッて飛び出したんだよ、あの紙から!? オモチャのびっくり箱か!?」
「ちょっと何を言ってるのか……? あ、レミちゃんっ」
「だいちー、ビビリすぎ。その不良くん見た目から繰り出されるダサイ腰抜け、なっさけな~」
小馬鹿にするように八重歯を覗かせ、いたずらっぽく笑った彼女――、深津檸御はあおいの隣の席に腰掛けた。金髪をラビットスタイルでボリューム多めに結っており、前髪は右サイドだけ赤いピンで留めている。赤と黒から成るチェック柄のリボンが金髪を彩るアクセント。祖父がイギリス人のクォーターだ。
「で、どうよARのお味は? “未来人の落とし物”をヒントに、城ケ丘高校の連中と先行して開発してみたんだけど。あ、言わずもがなだけど、私の担当はソフトの部分ね。たとえばプロフィールARだったら、画面のデザインやコーディングが私の成果よ」
「ARのお味? オレの反応でわかったろ。龍なんて夢の生き物、存在するワケないのにな」
「あ、そっか。龍のARデータがこのマーカーに入ってるんだ。だからあんな反応したんだね」
メガネを受け取ったあおいは、レミがヒラヒラとつまむ紙を恐る恐る視界に収め、わっ! と肩を震わせた。
テーブルに肘を乗せ、得意げに唇を横に引いたレミは、
「ふふん、あの驚き具合を見るにマーカー型のARもロクに知らないみたいね。いいわ、せっかくだしARのことをいろいろ教えてあげる」
先生よろしく、彼女は「拡張現実、略してARと呼ばれている技術はそもそもなんでしょう?」と大地に問う。
「んーと、たしか……、現実世界にコンピュータの情報を付加すること、だよな? たとえばレミの顔にスマホをかざして、バーチャルのメイクでも施したらそれはARだ」
「正解。さらに言えばARは三タイプに分類されるわ。このドラゴンARようにマーカーを認識するマーカー型、顔を認識したプロフィールARのようにマーカーを必要としないマーカーレス型、そしてGPSから算出された位置情報を基に組み立てられる空間認識型ね」
あおいは私物のスマートフォンで起動したとあるアプリを大地とレミに見せて、
「城ケ丘の生徒が試作したこの星座表アプリは、その分類で言えば空間認識型だよね。現在位置をGPSで算出して、空にスマホをかざすとARで星座を示してくれるんだ」
席を立ったあおいが昼空へスマートフォンをかざせば、星同士を結ぶ線と線、加えて星座名のモチーフとなったイラストが、現実に重なる形でディスプレイに映る。
「そして私ですら聞いたことがないマーカーレス型の、ネットワークに潜るARとでも言えばいいのかしら。――《NETdivAR》と呼ばれる未知のARこそが、私たちがこれから調べていく研究の鍵の一つになるわ」
「へえ、《NETdivAR》ねえ。なるほど、これからオレたちはARを研究するってわけか。なかなか面白そうなテーマだぜ」
大地は嬉しそうにうなずいた。が、それに反してレミは訝しげに目を狭めて、
「え、なに言ってんの? あくまでARは重要な脇役にしか過ぎないわよ? 本題は別だけど」
「……、は? ARじゃないんかい! じゃ、じゃあ何を研究するって言うんだ?」
「あー、あおいが伝え忘れてたようね。ったく、ARに夢中になり過ぎじゃない? 大地も大地よ。目的も知らずにノコノコやって来んな」
レミがちらっとあおいを一瞥すると、あおいは申し訳半分にペロッと舌を出して反応した。
「ん、それは……?」
レミがポケットから取り出したのは、なんの変哲もないUSBメモリ。彼女はクリアな都市が一望できるガラス壁の前に立ち、目配せで大地の注目をいっそう引いてから、
「いい? 私たち〝研究部〟がこれから調べていくテーマは、ちょうど一年前にこの未来都市で計画され失敗に終わった――――〝高校生宇宙飛行プロジェクト〟の謎、よ」
USBメモリに反射した日の光が、地上の一角に設置された十字型の慰霊碑へと視線を誘う。
「そういえば……」
フロアの大型ビジョンには各部屋の本日の予定が表示されている中、『会議室032』、午後一時の予定欄には『ミッション「SS-01」未来都市高校生宇宙飛行プロジェクトにおける「アンドロメダ=ペガサス号空中分解事故」の背景と原因の考察』という案内がなされていた。
「高校生、……宇宙飛行プロジェクト? って、一年前にニュースになった、あの? なんでまたそれをテーマに……? 宇宙飛行に……ARは重要な脇役? ん???」
一年前にこの街、未来都市で計画され、ロシアで行われた、高校生を宇宙飛行士に選んだロケット打ち上げプロジェクト。月日も経ち、久しぶりにそのプロジェクトの名を大地は聞いた気がした。計画名だけでインパクトのあるプロジェクトではあるが、思い起こしてみればその全貌は全然と言っていいほどに知らない。昨年はあれだけ騒ぎになったはずなのに、なぜか。
「レミちゃんが持ってるUSBメモリが答えだよ。実はそれ、宇宙飛行プロジェクトに関係ある、ざっと二〇年先を行くような科学技術のデータが詰まってるんだ」
「そうよ。プロジェクトを軸にARやら生命科学やら、まさしく〝未来人の落とし物〟って表現がぴったりなレベルのテクノロジーがね。さっきのARが比べ物にならないほどのよ」
「《NETdivAR》もその一つ。宇宙の中で進路を示したり、星の位置情報を補足したりする形でプロジェクトに使われる予定だったみたいで。今日のシンポジウムの企画者も《NETdivAR》の存在を掴んでて、ARのモデルがこのあと見られるよ」
「飛行士に高校生を選んだこともそうだけど、未知のテクノロジーを使った全貌の明かされてないプロジェクト。どうよ、調べてみる価値はありそうでしょ?」
「そういうことかー、納得。でもなあ、ロケット事故なんてぶっちゃけ興味ねえ。滝上先生も面倒な研究をくださった。どうせオレたちが宇宙に行くわけじゃねーし」
と、不満がる大地に、新たに顔を覗かせた女性がこう言った。
「ARはいつでもどこでも研究できるけど、宇宙飛行プロジェクトはこの未来都市でしかできない研究になるからね。そう考えてみれば研究する価値はあるんじゃないかな」
「お、先生! こんちはっ」
大地の声に、茶髪の成人女性は手を挙げることで応えた。名は滝上梢恵、歳は二〇代後半。大地らの通う桜鈴館《おうりんかん》高校の教員であり、彼ら研究部の顧問でもある。今回、研究テーマを三人に与えた人物だ。
「こんにちは。私がたまたま手に入れたUSBメモリに気になるデータが入っていたから、キミたちの研究材料にと思ってね。レミにはひと月前から、あおいには先週から先行して取り組んでもらっているけど。どう、大地。興味出ない?」
手に収まる世界の中では、今まさに夢を叶えようとする者たちがいる。張りつめたように目顔は硬いものの、それでも胸に抱いているのはきっと、未知なる天空に対する無限の希望。
その者たちと自らを遮る隔たりに親指を滑らせ――、少女はそっと奥歯を噛み締めた。ディスプレイが淡く照り返すのは、どこか心残りを滲ませた表情。
この瞬間は、生涯迎えないでほしいとさえ望んでいたのに。
風がひとたび吹く。巻き上がるように靡いた、蒼く長い髪。つられて天を見上げれば、曇る心を嘲笑うかのように、秋の晴天が空いっぱいに広がっている。
胸元に垂れるロケットペンダント。中に収まるのは、大切にしていたはずの写真。そこにはほほ笑む自分と、背後から腕を回して密着する赤い髪の少女。
顔立ちはそっくりなのに、違う。
「ねえ――……、どうしてあなたが選ばれたの?」
天空から視線を戻せば、地平線の彼方には憧れの、宇宙への飛行船。
ふと気づけば、発射まで定刻の一分前。
祈りを捧げるよう胸の前で手を組み、瞳を閉じた――“姉”。
「緋那子、どうか無事に帰ってきてください」
悔恨は不思議と失せていた。
心を埋めたのは妹の無事な姿、たったそれだけ。
3、2、1、0――……。心の中でカウントダウンを唱え、腕時計の秒針がきっかり『12』を指した瞬間に、機体は打ち上げられた。
2020年10月8日午前九時三〇分。
地を離れたそれは、遥か離れたこの場の空気をも震わせてしまう轟音とともに、空高く昇ってゆく。
はずだったのに。
祈る少女の悲鳴がこだましたのは、それからほんの少しの時が経ってからだった。
第一章 拡張世界〈コンプレックスフィールド〉
1
右下の薄青い円形のランチャーに専用のペンを這わせ、人の上半身を模ったアイコンをタッチすれば、半透明な仮想のウィンドウが流れるように中央へ出現し、
「おお!! これがウワサのARか!? なになに……、ほうほう……」
ウィンドウの左側には少女の顔写真が、右側には所属、名前、性別、生年月日、身長・体重が上から順に表示される。
「『桜鈴館高校 研究部』『中原あおい』『女』『2005年2月19日』『159センチ』……っておい、体重はどうした? そこ、空欄のままになってるし」
右上のバツ印をタッチすると、ウィンドウは瞬く間に消え、
「もう、大地くん。女の子にデリケートなことを訊いちゃダメだよ? というか身長と体重いらなくないかな? 仕様ミスだよね、これ?」
目の前に現れたのは顔写真と同じ容姿という〝現実〟。ただし写真でのノーマルな表情とは違い、わずかに憮然としてはいたが。
赤いリボンで結った紺色の細いツインテールを、左右の肩甲骨に垂らした髪型が特徴的な女子高生は、柔らかでパッチリとした瞳を瞬きさせて、
「それでどう、ちゃんと現実に溶け込んでる?」
ややか細いが、おっとりと可愛らしい声で彼女――中原あおいはそう問いかけた。
少年は黒一色のヘアバンドを上にズラし、整髪料で固めたオレンジ色の髪を整えながら、
「心配すんな、違和感ねえよ。それにしてもこのレベルのARをまさか高校生が開発するなんてな。同じ高校生として鼻が高い」
ARを視認するためのメガネ型デバイス、その名も《パラレルレンズ》を掛け、公共の広いスペースを見通すように、――逢坂大地はレンズ越しの世界を興味津々に覗き見る。
顔をほころばせたあおいは大地に右手を差し出して、
「あれ、聞いてなかった? レミちゃんたち高校生が作ったのは事実だけど、おおよそは“未来人の落とし物”に入ってた理論や設計図をヒントに作っただけってこと?」
「そうなんか。オレがこの研究に加わるの、今日からだからまだよく知らないんだ。その落とし物ってヤツ、ぜひお目にかかりてえな。なんか面白そうな匂いがするぜ」
一向に観察をやめない大地にむ~っとむくれ始めたあおいは、伸ばした手をソワソワさせ、
「そろそろ貸して。私だってAR見たいもん」
「へへ、悪い。もう少しだけ待ってくれ」
しきりに顔ごと視線を変える大地。すると通路を歩く小柄な金髪の女子を見つけ、
「お、レミ! おーい、こっちこっち――……」
呼びかけに反応した彼女は切れ長の碧眼で大地を捉えると、悪だくみを覚えた子どものようにほくそ笑む。そして『コ』の字型の太マーカーが印字された折り紙サイズの紙を、大地へピラッと見せたのだ。
「……? ……ってうおおおおおおぉぉぉッッッッ!?」
唐突に喚いて椅子ごとひっくり返りかけた大地。ベルトに絡む髑髏柄のアクセサリがジャラジャラ音を立て、シルバーのネックレスが服を飛び出て宙に舞う。
「ど、どうしたの大地くん!?」
床を踏んづけてなんとか留まった大地は、耳の傍で大砲でも撃たれたようなリアクションで、
「デカイ龍がブワッて飛び出したんだよ、あの紙から!? オモチャのびっくり箱か!?」
「ちょっと何を言ってるのか……? あ、レミちゃんっ」
「だいちー、ビビリすぎ。その不良くん見た目から繰り出されるダサイ腰抜け、なっさけな~」
小馬鹿にするように八重歯を覗かせ、いたずらっぽく笑った彼女――、深津檸御はあおいの隣の席に腰掛けた。金髪をラビットスタイルでボリューム多めに結っており、前髪は右サイドだけ赤いピンで留めている。赤と黒から成るチェック柄のリボンが金髪を彩るアクセント。祖父がイギリス人のクォーターだ。
「で、どうよARのお味は? “未来人の落とし物”をヒントに、城ケ丘高校の連中と先行して開発してみたんだけど。あ、言わずもがなだけど、私の担当はソフトの部分ね。たとえばプロフィールARだったら、画面のデザインやコーディングが私の成果よ」
「ARのお味? オレの反応でわかったろ。龍なんて夢の生き物、存在するワケないのにな」
「あ、そっか。龍のARデータがこのマーカーに入ってるんだ。だからあんな反応したんだね」
メガネを受け取ったあおいは、レミがヒラヒラとつまむ紙を恐る恐る視界に収め、わっ! と肩を震わせた。
テーブルに肘を乗せ、得意げに唇を横に引いたレミは、
「ふふん、あの驚き具合を見るにマーカー型のARもロクに知らないみたいね。いいわ、せっかくだしARのことをいろいろ教えてあげる」
先生よろしく、彼女は「拡張現実、略してARと呼ばれている技術はそもそもなんでしょう?」と大地に問う。
「んーと、たしか……、現実世界にコンピュータの情報を付加すること、だよな? たとえばレミの顔にスマホをかざして、バーチャルのメイクでも施したらそれはARだ」
「正解。さらに言えばARは三タイプに分類されるわ。このドラゴンARようにマーカーを認識するマーカー型、顔を認識したプロフィールARのようにマーカーを必要としないマーカーレス型、そしてGPSから算出された位置情報を基に組み立てられる空間認識型ね」
あおいは私物のスマートフォンで起動したとあるアプリを大地とレミに見せて、
「城ケ丘の生徒が試作したこの星座表アプリは、その分類で言えば空間認識型だよね。現在位置をGPSで算出して、空にスマホをかざすとARで星座を示してくれるんだ」
席を立ったあおいが昼空へスマートフォンをかざせば、星同士を結ぶ線と線、加えて星座名のモチーフとなったイラストが、現実に重なる形でディスプレイに映る。
「そして私ですら聞いたことがないマーカーレス型の、ネットワークに潜るARとでも言えばいいのかしら。――《NETdivAR》と呼ばれる未知のARこそが、私たちがこれから調べていく研究の鍵の一つになるわ」
「へえ、《NETdivAR》ねえ。なるほど、これからオレたちはARを研究するってわけか。なかなか面白そうなテーマだぜ」
大地は嬉しそうにうなずいた。が、それに反してレミは訝しげに目を狭めて、
「え、なに言ってんの? あくまでARは重要な脇役にしか過ぎないわよ? 本題は別だけど」
「……、は? ARじゃないんかい! じゃ、じゃあ何を研究するって言うんだ?」
「あー、あおいが伝え忘れてたようね。ったく、ARに夢中になり過ぎじゃない? 大地も大地よ。目的も知らずにノコノコやって来んな」
レミがちらっとあおいを一瞥すると、あおいは申し訳半分にペロッと舌を出して反応した。
「ん、それは……?」
レミがポケットから取り出したのは、なんの変哲もないUSBメモリ。彼女はクリアな都市が一望できるガラス壁の前に立ち、目配せで大地の注目をいっそう引いてから、
「いい? 私たち〝研究部〟がこれから調べていくテーマは、ちょうど一年前にこの未来都市で計画され失敗に終わった――――〝高校生宇宙飛行プロジェクト〟の謎、よ」
USBメモリに反射した日の光が、地上の一角に設置された十字型の慰霊碑へと視線を誘う。
「そういえば……」
フロアの大型ビジョンには各部屋の本日の予定が表示されている中、『会議室032』、午後一時の予定欄には『ミッション「SS-01」未来都市高校生宇宙飛行プロジェクトにおける「アンドロメダ=ペガサス号空中分解事故」の背景と原因の考察』という案内がなされていた。
「高校生、……宇宙飛行プロジェクト? って、一年前にニュースになった、あの? なんでまたそれをテーマに……? 宇宙飛行に……ARは重要な脇役? ん???」
一年前にこの街、未来都市で計画され、ロシアで行われた、高校生を宇宙飛行士に選んだロケット打ち上げプロジェクト。月日も経ち、久しぶりにそのプロジェクトの名を大地は聞いた気がした。計画名だけでインパクトのあるプロジェクトではあるが、思い起こしてみればその全貌は全然と言っていいほどに知らない。昨年はあれだけ騒ぎになったはずなのに、なぜか。
「レミちゃんが持ってるUSBメモリが答えだよ。実はそれ、宇宙飛行プロジェクトに関係ある、ざっと二〇年先を行くような科学技術のデータが詰まってるんだ」
「そうよ。プロジェクトを軸にARやら生命科学やら、まさしく〝未来人の落とし物〟って表現がぴったりなレベルのテクノロジーがね。さっきのARが比べ物にならないほどのよ」
「《NETdivAR》もその一つ。宇宙の中で進路を示したり、星の位置情報を補足したりする形でプロジェクトに使われる予定だったみたいで。今日のシンポジウムの企画者も《NETdivAR》の存在を掴んでて、ARのモデルがこのあと見られるよ」
「飛行士に高校生を選んだこともそうだけど、未知のテクノロジーを使った全貌の明かされてないプロジェクト。どうよ、調べてみる価値はありそうでしょ?」
「そういうことかー、納得。でもなあ、ロケット事故なんてぶっちゃけ興味ねえ。滝上先生も面倒な研究をくださった。どうせオレたちが宇宙に行くわけじゃねーし」
と、不満がる大地に、新たに顔を覗かせた女性がこう言った。
「ARはいつでもどこでも研究できるけど、宇宙飛行プロジェクトはこの未来都市でしかできない研究になるからね。そう考えてみれば研究する価値はあるんじゃないかな」
「お、先生! こんちはっ」
大地の声に、茶髪の成人女性は手を挙げることで応えた。名は滝上梢恵、歳は二〇代後半。大地らの通う桜鈴館《おうりんかん》高校の教員であり、彼ら研究部の顧問でもある。今回、研究テーマを三人に与えた人物だ。
「こんにちは。私がたまたま手に入れたUSBメモリに気になるデータが入っていたから、キミたちの研究材料にと思ってね。レミにはひと月前から、あおいには先週から先行して取り組んでもらっているけど。どう、大地。興味出ない?」