学校に着く頃にはだいぶ空は明るくなっていたが、まだ日の出の時間ではなかった。

 施錠したはずの校門は鍵が外されて開けたままになっており、左下端が焼かれた巨大貼り絵を横目に屋上を目指す。昇降口の扉も開けたままで、僕を手招きしているように思えた。

 この先にキサさんはいる。

 そう考えると心臓が早鐘を打ち呼吸が乱れる。

 屋上の扉を開けると、町の風景を背景にしてキサさんは缶コーヒーを片手にフェンスに寄りかかっていた。いつも着ていたカーキ色のロングコートを纏って立つ姿はモデルのように綺麗で芸術的でもある。

「久しぶりの再会に見とれているのかい?」
「あまりにも綺麗だったので」
「ありがとう」

 こんな話をしに来たわけではない。武骨な起爆スイッチを持っている可能性も考えていたが、手にしているのは缶コーヒーだけ。それも僕が近づくと床に置いてしまう。

「それにしてもたいそうなものになったね。君の絵は」
「納得してないですけどね」
「だろうね。焼かれて少しましになったかな」

 厳しいことをきっぱりと言う。やっぱり玄人からみたらあの作品は駄作なようだ。残念だがこれが現実だ。僕にはやはり才能がない。

「それで、電話の問いに答えてもらえませんか?」

 気を取り直して本題に入る。今は僕の絵の評価を聞いている場合ではない。

「朱鳥ためだよ。なんて言ったら私凄く格好悪いね。これは個人的な復讐であり、芸術だよ」

 キサさんは振り返って町を見下ろす。

「そして壊すのはこの町の凝り固まった概念だ」

 東の山から太陽が顔を出し、暗く沈んだ町を照らしはじめる。上空では白い渡り鳥が結末を見届けようと旋回していた。

「僕たちが仕掛けていたあれって、本当に爆弾ですか?」

 キサさんは何も答えずに僕に視線を戻す。答え合わせはこれからだ。

「こんな町を吹き飛ばしても芸術はできませんよね」

 この町の人間は殻に閉じこもって盲目になり、何も変わろうとしない。それは僕も同じだった。いくら小さな町だといっても町一つを爆破すればテロリズムと化してしまう。それはもはや芸術ではない。そういった過激な思想はないわけではないけれど、キサさんはそうではないと一緒に過ごしてきた時間が証明している。

 だったらどうして、この爆破を芸術と言ったのか。

 それは仕掛けていたのが爆弾ではなかったからに他ならない。

「キサさんの本当の目的は芸術の町を復活させることですね」

 僕の絵を現実にする。それが目的の根幹であることは裕司さんも言っていたので嘘ではない。

 なら問題はどの絵を現実にするかだ。

「こんな絵を本当に現実する気なんですか?」

 僕は持ってきた筒状に丸められた紙をキサさんの足元に投げる。風に弄ばれ広がったそれは拙い線で描かれた一枚の絵。

 ちょうど、上空を旋回している白い渡り鳥から見た風景を小学生の僕が想像して描いたもの。ただ、その絵に塗られている色は多種多様な極彩色で彩られており、およそ自然に存在しているようなものではなかった。

 キサさんは足元の絵を拾うとまじまじと見つめて口角を上げる。

「正解だ。よく辿りついたね」
「こんなの無理ですよ。それにどうやって再現するんですか?」
「私を誰だと思っている?」

 まっすぐに僕を捉える目の色が変わっていた。

 本物だけが持っている目の色に圧倒される。

「私は君が憧れる芸術家だよ」

 その言葉を合図に遠くの方から何かが弾ける音が響く。

 その音は爆発というには軽く、つい先日どこかで聞き覚えのある破裂音だった。


「始まったね」
「何がですか?」
「仕掛けた爆弾が爆発したのさ」

 初めの音を皮切りに次々と破裂音が追随する。その音は山にぶつかり反響し町を包み込んでいく。まるで町全体が大きな生き物となり声を上げて空気を振動させているようであった。産声のような空気の振動が全身に伝わってくる。

「さすがにあの量だとかなりの音だね」
「いったい何が起こってるんですか?」
「見ればわかるよ。そのためにここに呼んだのだからね」

 キサさんはフェンスから身を乗り出して町を見下ろす。僕もそれにならって町を見下ろすと、そこには想像もしていない光景が広がっていた。

「町が変わっていく」

 先ほどから続いている破裂音の正体はペイント弾であった。一軒一軒に大量に仕掛けられたペイント弾は照射されるたびに弾けて、周囲に極彩色を撒き散らしていく。

 言ったとおり、僕の描いた絵が現実になっていた。

「ちなみに、これ生放送中だから」

 いたずらな笑みを見せたキサさんはスマートフォンで動画配信サイトを見せてくる。映像から推測するにここのさらに上から撮っている。よく見れば給水タンクの上に完全防寒着姿の須藤さんが待機していた。

 なんだかんだあの人も振り回されて大変そうである。

 その後も町の全てを極彩色に染めるまで爆弾は爆発し続けた。廃れた田舎町はあという間に変換を遂げる。それは芸術の町と呼ぶにふさわしい風景だった。

「復讐完了だね。この動画もかなりの人が見ているし、今日にも大勢の人が訪れるだろうね」

 慌てふためく町の人達を想像したのか、キサさんはお腹をかかえて笑いを堪えている。

 僕は茫然と一変してしまった町を眺めていた。

 あれほど破壊したいと思って、頭の中で破壊し続けた町はもうない。

 子供が気のままに色を塗り重ねたような規則性のない色配置は僕の中で眠っていた好奇心を惹き起す。

 僕はあの頃を忘れようとして、忘れ過ぎていた。

「絵画の世界に決まった色は存在しない」

 あの絵画教室で教えてもらった唯一のことを思い出して呟く。林檎は赤、草は緑、そうやって型にはめ込んでしまうと絵は途端に表情を失う。

「やっと思いだしね」
「これを伝えるためにわざわざこんなことしたんですか?」
「どうだかね」

 本当のところはどんなに問い詰めても頑なに語らないだろう。

 撮影を終えた須藤さんが寒さに震えながら給水塔を下りてくる。唇まで真っ青で本当に気の毒になる。

「そろそろ時間です」
「そうか」

 結局、僕はこれからどうするのだろう。今は圧倒的な才能の前に打ちひしがれ、先の事を考えられそうにない。

「えーっと、鳥海朱鳥くん。あなたに伝えなくてはいけない事があります」

 キサさんは咳払いをすると口調を改めて姿勢を正す。

「コンクールの応募ありがとうございます。しかし、未完成の作品を送ってこられても評価に困ります」

 急に何を言い出すのか理解に苦しむ。コンクールに応募? 僕はそんなこと。

「破壊の衝動をそのまま表現することは大変よろしいですが、色が塗られていなければ評価のしようがありません。以上」
「唯織が送ったやつか」
「やっぱり。君が送るわけがないか」

 大げさな態度で肩をすくめる。

「私はあのコンクールの選評の仕事をしているわけでさ、はじめ君の名前を見た時は期待したんだけどね。蓋を開けてみたら未完成なんだもの。頭にきちゃうよ」
「それでいきなり飛び出されても困りますけれど」

 すかさず須藤さんが非難の声を上げる。先ほどの扱いも含めて抗議しているように見えた。

「つまり、キサさんは僕の絵を見てここに来たということですか?」
「そうだよ。君があまりにもふざけた絵を描いているからね。ま、本人は真面目に描いていたようだけれど」

 責めるような視線を僕に向けると一枚の紙を渡す。

「来年はちゃんと完成した作品を頼むよ」

 渡された紙は来年度のコンクールの応募用紙だった。入選者は表彰のためにパーティに招待される趣旨が書かれている。あの夜の返事はその時にしてくれるということだろう。

「じゃあ僕からも」

 ポケットからスマートフォンを取り出してマフラーを外す。

「これ返します」

 キサさんと繋がっていないのであればこれはゴミと同じだ。マフラーは未練を残さない為に返した方がいいだろう。それにこんな物がなくてもまた会うつもりだ。僕はキサさんのことを思い出にする気はない。

 言葉の意味が伝わったようでキサさんは不敵に笑う。

「それじゃ」
「はい」

 特に別れの言葉も交えずキサさんは去っていく。

 いまここで想いを伝えなかったことを後悔する日が来るかもしれない。けれど伝えたところであの人は、僕のことをまだちゃんと見てくれていない。

 追いかけるべき背中を忘れないように、強烈に脳裏に焼き込んでいく。迷った時にはこれが標となって僕を導いてくれる。

 今やあの人は憧れだけの存在ではないのだから。





「あいつ大丈夫かな」

「その台詞もう何回目よ。だったらついていけばよかったじゃない」

「そんなこと出来るかよ。バカか?」

「あんたには一番言われたくないんだけど。今まで散々やんちゃしてたくせに」

「はいはい、二人とも喧嘩はやめて。それより西川のじいさん英語習い始めたらしいよ」

「あれから観光客凄いからね」

「親父も施設の建設で大忙しだよ」

「活気が戻ったってことで良いことだよね」

「そうだな。それよりあいつそろそろ着いたころだよな」

「またその話すんの。朱鳥ラブにも程があるわ!」

「ラブじゃねえよ。リスペクトだよ」

「どっちにしても大声で言うことじゃないと思うけど……」





 僕たちが仕掛けた爆弾が爆発して以降、世界がひっくり返ったようになった。

 町はミグラトーレの新作を一目見ようと押し寄せてくるし、誰も住んでいない空家は引っ越しの希望が大量に来て町の行政は一週間でパンクした。

 それでも人間は生きていかなくてはならず、次第に住人は適応していった。今ではミグラトーレに負けまいと、暇な老人たちが自宅庭に変なオブジェを立てたり、米農家は田んぼアートでSNSを騒がせている。

 一方の僕と言えば、

「疲れた」

 初めての人ごみに酸欠気味だった。

 ようやく表彰式の会場になっているホテルに着いた僕はラウンジで項垂れている。

 唯織がかつて言っていた鉄道が何本も重なっているという表現がようやくわかった。地下鉄の路線にどれを乗れば良いのかわからず、何回も間違えてしまう。スマートフォンがあれば迷うことはなかったのだろうな。と一年前のことを違う意味で後悔していた。

「お隣いいですか?」
「はい。どうぞ」

 人混みに酔ってしまったのであまり近くに人を寄せたくなかったけれど、駄目と言って余計なトラブルになっては敵わない。唯織曰く、都会人は短気らしい。ここに来る途中にもぶつかりそうになって、かなり舌打ちをされた。もう帰りたい。

「お疲れですね」
「はい。慣れていないので」
「そうですよね。あんなド田舎じゃ、観光客増えてもここまでは」

 よくやくここで隣に誰が座っているのか気がつく。

「久しぶりだね」
「お久しぶりです」
「まさか本当に来るとはね。たった一年であそこまで腕を磨くのはお見事だよ。無理したんじゃない?」
「追いかけてる背中が遠いですからこれくらい早く走らないと」

 当然、ここにいるということは僕の描いた絵画が受賞したということである。金賞でないのだが、そこは許してほしい。

「ところで日本一高い電波塔には行った?」
「いいえ。もうホテルから出るのは止そうかと」

 表彰式の後は帰る電車はないので、ここで一泊することになっている。正直一歩も出たくない。周囲からの舌打ちがトラウマになりそう。

「もったいないね。見聞を広めることは財産になるよ」
「だったらキサさんが案内してくださいよ」
「それってデートのお誘い?」

 ミグラトーレとしての活動も順調で今や破壊の対象は概念にまで達したと世間は大騒ぎであるが、当の本人はあの日とあまり変わらず僕の事をからかってくる。

「そうですね。デートですね」

 だけど、僕はあの頃のままではない。少しは成長したところを見せつけてやる。

「キサさん」
「なに?」

 耳元であの日に言わなかった言葉をささやく。

 僕が恥ずかしがって顔を赤く染めることを期待している表情は、驚きの色に変わり次第に赤く染まっていった。

「ああ、そう。そうなんだ」

 いい年の大人が高校生に対して顔を真っ赤に染める光景は周りから見たら滑稽に映るのだろう。

「それで返事の方は」
「もう、いいから観光に行くよ」
「その前に表彰式ですけどね」

 耳まで赤くしたキサさんの背中はあの日と全く変わらない。

 芯が強くて魅力的で追いかけずにはいられない。

 その背中に追いつきたくて僕は絵を描いている。

 少しは近づけただろうか。それは僕が判断すべきことではない。

 追いかけ続けているあの背中はまごうことなく憧れで、揺らぐことない恋である。



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