朝ご飯を食べて、陽射しの掃き溜めとなっている部屋に入る。
髪を切ったせいなのか、いつもの暑苦しいはずの部屋が若干和らいでいる気がした。
エアコンをつけて、温かなベッドに身体を放り投げた。
涼しい風が顔に当たり、人類の叡智を享受する。
ゆっくりと、タオル地の敷パッドを手でなぞる。
最初はいつもどおりの心地よい感触を楽しんでいたが、途中からアオイがここに寝ている事を思い出して、慌てて体を起こした。
壁に背中を預けて、棚とヒヨコの座布団を視界に入れた。
僕は紛らわすように、散髪の途中から大人しいアオイに声をかけた。
「アオイ。何か、元気ないけど…朝食、口に合わなかったか?」
少し慌てた様子でアオイが反応した。
「んっ⁉︎い、いやぁ…美味しかったよ!塩サバ。ちょっとね、考え事してただけだから、気にしないで!…それよりさ、テツヤのお父さん凄かった!良い意味でだよ、良い意味で!」
いつにもなく早口で喋るその様子が、気にならない方が無理だった。
しかし、そこに突っ込む事は、僕らにはまだ早い気がしていた。
ーアオイのお父さんはどんな人なんだ?
その言葉が喉まで出かけていたが、力強く嚥下する。
サエキアオイとして会えない彼女に、彼女の家族の話題はあまりにも酷な事だと考えていた。
もちろん、死因に関しても…。
「いつもより真面目な事ばっか言ってたから、俺もビックリしたけど…まぁ、体調悪かったら言ってくれよ」
意気消沈しているアオイの肩に、そっと言葉をかけた。
「何なに〜?テツヤ、もしかして…私の事、気にしてくれてんのぉ?」
少し朗らかな声をあげたアオイが、楽しそうに頭の中ではしゃぎ立てる。
「はぁっ⁉︎そりゃ、元気なかったら気にするだろ!普通!」
いつものアオイに戻った事に、胸を撫で下ろしつつ、僕は語尾を強く言い放つ。
しかし、アオイのニヤつく声は収まらなかった。
「へへへぇ、そっか、そっかぁ〜」
少し機嫌が良くなったアオイに、僕は釘を刺した。
「ちゃ、茶化すなよ」
普段どおりの調子に戻ったアオイが、別の話題をふってきた。
「は〜い。それよりさ、お父さんから何貰ったの?」
僕はベッドの上に置いた黒い袋を手に取り、中身を取り出した。
その中身を見たアオイが、すぐさま僕に尋ねた。
「何、これ?」
袋の中から出てきた物は、ピアノスコアとバンドスコアだった。
僕は表紙のアーティスト名を見て、今日一番の声を上げた。
「マジか⁉︎」
「えっ⁉︎ねぇ、何なのこれ!」
答えを聞けないアオイが、頭の中で騒ぐ。
「これ、ピアノスコアとバンドスコアってやつだよ。音楽を演奏するための楽譜って感じ」
なるべく分かりやすいように、噛み砕いてアオイに説明した。
すると、アオイから思いがけない反応が返ってきた。
「へぇ、楽譜ってこんな感じなんだ。ねぇ、これ…表紙に書いてあるライクラって、あのライクラのこと?」
耳を疑うような返しに、僕は思わずベッドから身を乗り出した。
「ま、マジか⁉︎アオイ、ライクラ知ってんの?」
あまりの僕の迫力に、若干引き気味のアオイが口吃る。
「う、うん。と、友達から教えてもらった」
棚の前に立ち上がり、無意識に右手を彩音さんの写真に向けて差し出していた。
「マジか!素晴らしい!!俺、その子と友達になれるわ。しかも、これ…インディーズ時のアルバムのヤツだし!うわぁ、父さんにマジ感謝やわ」
「好きなんだね、ライクラ。あっ、ちなみにちゃんとテツヤの手、握ってるよ」
僕は同志を見つけた喜びを込めて、右手を上下に振った。
「そりゃね、入院中にずっと聞いてたから。ちなみに、アオイはどの曲が好きなんだ?」
「え〜とねぇ、たしか、<夏初月>ってやつ」
先程よりも強い熱気が胸の奥から沸き立って、さらに身を乗り出した。
「マジ??マジで言っとる?うわぁ、めっちゃヤバイ!あれ、俺もライクラの中で一番好きなヤツやから!あの曲は、インディーズの頃のやけ、多分このスコアに載っとるはず…」
興奮が冷め止まずに、左手に持ったピアノスコアのページを捲る。
その様子を見て、アオイがクスクスと笑っている声が聞こえたが、今の僕にはそれに構っている余裕はなかった。
「あっ、あったあった」
目の前に並ぶ譜面に、規則正しく音が並んでいる。
「あっ、ホントだぁ!ねぇねぇ、テツヤ!弾いてみてよ。テツヤのピアノ、聴きたい!」
アオイのリクエストに応えて、僕はエレクトーンの方へ足を向けた。
「ちょ、ちょっと待って…」
エレクトーンの電源を入れて、椅子に座ってスコアを立てかける。
マスターボリュームを少しあげて、エクスペンションペダルを数回踏む。
ピアノのボタンを点滅させて、鍵盤に手を置いてボリュームを確認する。
ミ、レ、シ、ソ、ソ…♪
「あっ、<猫ふんじゃった>だ!テツヤ、本当に弾けるんだね、ピアノ」
アオイの感嘆の声が、頭の隅で聞こえた気がした。
「いや、飾りじゃないから…もう少し、ボリューム上げた方が良いな」
音の調子を見ながら、<猫ふんじゃった>を弾き終わり、ようやくお気に入りの曲のスコアと向き合った。
「とりあえず、Aメロからサビのトコまで試し弾きな。ふぅ~」
緊張でいつもより指が固い感じがして、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「わぁ〜ワクワクする!」
頭の中では、目を輝かせて期待に満ちた声が響き渡る。
沈む鍵盤に、次々と指を滑らせて音を奏でる。
聴いていた曲が弾ける喜びが、曲とともに身体中を駆け巡る。
さいわい、サビまでは難しい箇所が無かったため、問題なく辿り着くことができた。
サビを弾き終わると、アオイの黄色い声が頭の中を染めていく。
「わぁ〜!スゴイ!スゴイよ!テツヤ、カッコいい!」
言われ慣れない言葉をかけられて、胸の奥がむず痒くなった。
「ま、まぁ…それなりに弾いてるから…」
すると、謙遜する僕を褒め称えるアオイが、予想外の提案をしてきた。
「いや、本当スゴイよ。私、楽器なんて無理だから。カスタネットが限界です!でもさ、せっかく歌詞があるんだから歌おうよ!やっぱ、歌がないと何か寂しいじゃん!」
聞き間違えだと思い込みたい僕は、アオイに確認をとる。
「えっ⁉︎それ、俺に歌えって言ってんの?」
「えっ?駄目なの?」
何が問題なのか分からない様子のアオイに、僕は全力で拒否をする。
「いやいや、人前で歌うなんて…いや、マジで無理…」
「えぇ〜……じゃあ、しょうがないなぁ。テツヤが曲弾いてくれるなら…せっかくだし、私が歌う!」
思いの外、あっさり引いてくれたかと思ったが、アオイ自身が歌うと言うとは思わず目を丸くした。
「えっ⁉︎マジ⁉︎」
僕の反応に対して、アオイは笑いながら答えた。
「マジ、マジ!これでもね、歌うのは好きなんだぁ。友達とも学校帰りによくカラオケ行ってたし…」
声を張るアオイに僕は、期待の声をかける。
「だったら尚更お願いします。アオイの歌、聴くの楽しみだな」
「ふっふ〜ん。聴き惚れて曲、止めないでよね」
アオイが自信ありげに鼻を鳴らして答える。
「それはないから安心しろ」
舞台に上がる前のような、緊張感と高揚が胸の中で混じり始めた。
「フフッ、何か楽しくなってきたぁ!初めての二人の共同作業だね!」
アオイも同じ気持ちなのか、茶々を入れるその声からは若干の緊張が感じられた。
「変な言い方するなよ。じゃあ…準備はいいか?アオイ?」
「おう、いつでも来い!」
観客のセミ達が熱い声援を僕らに送っている。
僕らは舞台に立ち、その声援に包まれながら大きく息を吸った。
朝凪の空の下、初めて僕とアオイの音が重なる。
髪を切ったせいなのか、いつもの暑苦しいはずの部屋が若干和らいでいる気がした。
エアコンをつけて、温かなベッドに身体を放り投げた。
涼しい風が顔に当たり、人類の叡智を享受する。
ゆっくりと、タオル地の敷パッドを手でなぞる。
最初はいつもどおりの心地よい感触を楽しんでいたが、途中からアオイがここに寝ている事を思い出して、慌てて体を起こした。
壁に背中を預けて、棚とヒヨコの座布団を視界に入れた。
僕は紛らわすように、散髪の途中から大人しいアオイに声をかけた。
「アオイ。何か、元気ないけど…朝食、口に合わなかったか?」
少し慌てた様子でアオイが反応した。
「んっ⁉︎い、いやぁ…美味しかったよ!塩サバ。ちょっとね、考え事してただけだから、気にしないで!…それよりさ、テツヤのお父さん凄かった!良い意味でだよ、良い意味で!」
いつにもなく早口で喋るその様子が、気にならない方が無理だった。
しかし、そこに突っ込む事は、僕らにはまだ早い気がしていた。
ーアオイのお父さんはどんな人なんだ?
その言葉が喉まで出かけていたが、力強く嚥下する。
サエキアオイとして会えない彼女に、彼女の家族の話題はあまりにも酷な事だと考えていた。
もちろん、死因に関しても…。
「いつもより真面目な事ばっか言ってたから、俺もビックリしたけど…まぁ、体調悪かったら言ってくれよ」
意気消沈しているアオイの肩に、そっと言葉をかけた。
「何なに〜?テツヤ、もしかして…私の事、気にしてくれてんのぉ?」
少し朗らかな声をあげたアオイが、楽しそうに頭の中ではしゃぎ立てる。
「はぁっ⁉︎そりゃ、元気なかったら気にするだろ!普通!」
いつものアオイに戻った事に、胸を撫で下ろしつつ、僕は語尾を強く言い放つ。
しかし、アオイのニヤつく声は収まらなかった。
「へへへぇ、そっか、そっかぁ〜」
少し機嫌が良くなったアオイに、僕は釘を刺した。
「ちゃ、茶化すなよ」
普段どおりの調子に戻ったアオイが、別の話題をふってきた。
「は〜い。それよりさ、お父さんから何貰ったの?」
僕はベッドの上に置いた黒い袋を手に取り、中身を取り出した。
その中身を見たアオイが、すぐさま僕に尋ねた。
「何、これ?」
袋の中から出てきた物は、ピアノスコアとバンドスコアだった。
僕は表紙のアーティスト名を見て、今日一番の声を上げた。
「マジか⁉︎」
「えっ⁉︎ねぇ、何なのこれ!」
答えを聞けないアオイが、頭の中で騒ぐ。
「これ、ピアノスコアとバンドスコアってやつだよ。音楽を演奏するための楽譜って感じ」
なるべく分かりやすいように、噛み砕いてアオイに説明した。
すると、アオイから思いがけない反応が返ってきた。
「へぇ、楽譜ってこんな感じなんだ。ねぇ、これ…表紙に書いてあるライクラって、あのライクラのこと?」
耳を疑うような返しに、僕は思わずベッドから身を乗り出した。
「ま、マジか⁉︎アオイ、ライクラ知ってんの?」
あまりの僕の迫力に、若干引き気味のアオイが口吃る。
「う、うん。と、友達から教えてもらった」
棚の前に立ち上がり、無意識に右手を彩音さんの写真に向けて差し出していた。
「マジか!素晴らしい!!俺、その子と友達になれるわ。しかも、これ…インディーズ時のアルバムのヤツだし!うわぁ、父さんにマジ感謝やわ」
「好きなんだね、ライクラ。あっ、ちなみにちゃんとテツヤの手、握ってるよ」
僕は同志を見つけた喜びを込めて、右手を上下に振った。
「そりゃね、入院中にずっと聞いてたから。ちなみに、アオイはどの曲が好きなんだ?」
「え〜とねぇ、たしか、<夏初月>ってやつ」
先程よりも強い熱気が胸の奥から沸き立って、さらに身を乗り出した。
「マジ??マジで言っとる?うわぁ、めっちゃヤバイ!あれ、俺もライクラの中で一番好きなヤツやから!あの曲は、インディーズの頃のやけ、多分このスコアに載っとるはず…」
興奮が冷め止まずに、左手に持ったピアノスコアのページを捲る。
その様子を見て、アオイがクスクスと笑っている声が聞こえたが、今の僕にはそれに構っている余裕はなかった。
「あっ、あったあった」
目の前に並ぶ譜面に、規則正しく音が並んでいる。
「あっ、ホントだぁ!ねぇねぇ、テツヤ!弾いてみてよ。テツヤのピアノ、聴きたい!」
アオイのリクエストに応えて、僕はエレクトーンの方へ足を向けた。
「ちょ、ちょっと待って…」
エレクトーンの電源を入れて、椅子に座ってスコアを立てかける。
マスターボリュームを少しあげて、エクスペンションペダルを数回踏む。
ピアノのボタンを点滅させて、鍵盤に手を置いてボリュームを確認する。
ミ、レ、シ、ソ、ソ…♪
「あっ、<猫ふんじゃった>だ!テツヤ、本当に弾けるんだね、ピアノ」
アオイの感嘆の声が、頭の隅で聞こえた気がした。
「いや、飾りじゃないから…もう少し、ボリューム上げた方が良いな」
音の調子を見ながら、<猫ふんじゃった>を弾き終わり、ようやくお気に入りの曲のスコアと向き合った。
「とりあえず、Aメロからサビのトコまで試し弾きな。ふぅ~」
緊張でいつもより指が固い感じがして、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「わぁ〜ワクワクする!」
頭の中では、目を輝かせて期待に満ちた声が響き渡る。
沈む鍵盤に、次々と指を滑らせて音を奏でる。
聴いていた曲が弾ける喜びが、曲とともに身体中を駆け巡る。
さいわい、サビまでは難しい箇所が無かったため、問題なく辿り着くことができた。
サビを弾き終わると、アオイの黄色い声が頭の中を染めていく。
「わぁ〜!スゴイ!スゴイよ!テツヤ、カッコいい!」
言われ慣れない言葉をかけられて、胸の奥がむず痒くなった。
「ま、まぁ…それなりに弾いてるから…」
すると、謙遜する僕を褒め称えるアオイが、予想外の提案をしてきた。
「いや、本当スゴイよ。私、楽器なんて無理だから。カスタネットが限界です!でもさ、せっかく歌詞があるんだから歌おうよ!やっぱ、歌がないと何か寂しいじゃん!」
聞き間違えだと思い込みたい僕は、アオイに確認をとる。
「えっ⁉︎それ、俺に歌えって言ってんの?」
「えっ?駄目なの?」
何が問題なのか分からない様子のアオイに、僕は全力で拒否をする。
「いやいや、人前で歌うなんて…いや、マジで無理…」
「えぇ〜……じゃあ、しょうがないなぁ。テツヤが曲弾いてくれるなら…せっかくだし、私が歌う!」
思いの外、あっさり引いてくれたかと思ったが、アオイ自身が歌うと言うとは思わず目を丸くした。
「えっ⁉︎マジ⁉︎」
僕の反応に対して、アオイは笑いながら答えた。
「マジ、マジ!これでもね、歌うのは好きなんだぁ。友達とも学校帰りによくカラオケ行ってたし…」
声を張るアオイに僕は、期待の声をかける。
「だったら尚更お願いします。アオイの歌、聴くの楽しみだな」
「ふっふ〜ん。聴き惚れて曲、止めないでよね」
アオイが自信ありげに鼻を鳴らして答える。
「それはないから安心しろ」
舞台に上がる前のような、緊張感と高揚が胸の中で混じり始めた。
「フフッ、何か楽しくなってきたぁ!初めての二人の共同作業だね!」
アオイも同じ気持ちなのか、茶々を入れるその声からは若干の緊張が感じられた。
「変な言い方するなよ。じゃあ…準備はいいか?アオイ?」
「おう、いつでも来い!」
観客のセミ達が熱い声援を僕らに送っている。
僕らは舞台に立ち、その声援に包まれながら大きく息を吸った。
朝凪の空の下、初めて僕とアオイの音が重なる。