その頃。
部室は無明の闇のような重い気が、澱のようにわだかまっていた。
「るながあんなんじゃ、六本木も紅白もどうなるか分からないよ」
るなは二人いるリードボーカルの一人でもある。
しかもハモれるのが強みで、
「スクールアイドルでもハモれるんだって、そしたら絶対誰もバカになんかしない」
普段はそんな強さがある。
そのるなが、である。
「でも本番まで…何日ってレベルだよね」
ひまりが立ち上がった。
「…私、ソロでボーカルやる。るなには今まで助けてもらってばっかりだったから、今回は私がるなを助ける」
後に引く気はない、と言わんばかりの顔をした。
「るなには私が話すから」
この日、部室にるなは来ていなかった。
帰りにひまりが、学校から歩いてすぐのるなの家に立ち寄ると、
「るな、入るよー」
ひまりはノックしてからドアを開けた。
カーテンを閉め切った部屋の隅で、るなはアコースティックギターを抱えて座っていた。
「るな、大丈夫?」
「…ひまり、ありがとう」
るなはあまり食事もとっていなかったようで、少しやつれていたようにも見えた。
「あのね、今日は先生からの伝言」
清正から言づかっているらしい。
明日、大事な話があるから登校しろ──との由である。
「何の話かは分からないけど、先生が直接話したいってことは、きっと重要なことだと思う」
ひまりは、
「私はボイトレあるから帰るけど、みんな心配してるよ」
と伝え、この日は帰ろうとした。
「待って」
るなが呼び止めた。
「どうしたの?」
「最初、嘘か詐欺かと思ったんだけど」
るなが見せてくれたのは、ボロボロになった鞄の写真で、よく見るとアイドル部のグッズである、るなの缶バッジがついている。
「これさ、駿平が新潟に進学するときにプレゼントした鞄なんだ」
この鞄の状況で、全てを察したらしい。
ひまりは、かける言葉を探しあぐね、途方に暮れたような顔をした。
翌日。
少しふらつき気味のるなが登校してきた。
隣のクラスからひまりが見つけると、
「あんまり無理したらダメだよ」
ひまりは気がかりでならなかったらしい。
昼休みの学食に行くと誰かに会ってしまいそうで、自販機の麦茶だけ買って飲んでいたが、
「花島、ちょっといいか?」
清正に呼び出された。
図書室まで来ると、
「…今度の週末の六本木の生中継、花島は休ませることにした」
「はい…」
るなは大事な話はそれだと思っていたらしい。
「…で、花島の復帰は紅白。それまでコンディション整えとき」
るなは一瞬フリーズした。
「あとな花島」
清正は可愛らしくラッピングされた小さな紙袋を渡した。
「竹実(香織)から預かり物や」
花島に渡してくれということらしかった。
話は、それで終わりである。
金曜日の夜。
るなは自宅でテレビをつけた。
年末の音楽番組を放送していたらしく、るなはボンヤリ眺めるように見ていた。
「さて、札幌から生中継です!」
画面が切り替わると、小雪の舞う大通公園が映った。
「次は、ライラック女学院アイドル部のみなさんです!」
アナウンサーに紹介されてメンバーが映った。
「はーいみなさーん、北海道が生んだスクールアイドル、ライラック女学院アイドル部でーす!」
決め台詞とともに、英美里が笑顔いっぱいに反応する。
「今日はですね、大切な話がありまして…」
英美里はひと呼吸おいてから、
「実はメンバーの花島るなちゃんが体調不良でいないんですけど、今日はるなちゃんに生電話したいと思います!」
るなはキョトンとした。
少し間があって、スマートフォンが鳴ったので出た。
「もしもし、るな?」
まぎれもなく英美里の声である。
「はい…」
テレビからタイムラグがあって自分の声が流れてきた。
「るな、私たちみんな復帰を待ってるからね!」
「みんな、ありがとう…」
二言三言ばかり話して、電話を切った。
放送中は泣かなかったが、テレビから『アイドル部のクリスマスソング』のイントロが流れてくると、こらえきれなかった。
翌日の新聞の芸能欄は、アイドル部のサプライズが大きく採り上げられた。
「体調不良のメンバーとの強い絆」
と見出しがつき、るなや英美里のことが詳しく紹介されてある。
「…なんか恥ずかしいなぁ」
口籠りながらも、内心は嬉しかったらしい。
週末、紅白の生中継に向けての練習にるながやって来た。
「あ、お帰りー」
フォーメーション決まったから確認しよ、と翔子が寄って来た。
「…うん!」
るなの笑顔が戻ると、
「やっぱりアンタは笑顔しか似合わへん」
ほな行こ、と翔子に手を導かれメンバーの待つ部室へと向かった。
フォーメーションの確認が済むと、るなは普段のるなを取り戻し始めた。
「ここのパート、ユニゾンだから並んだほうがいいのかな? だって二番はハモりだから私が後でも大丈夫だけど」
他では気づかない箇所までチェックする。
「あれだけ気配りできるんじゃけ、例の彼さんも惚れたんじゃろね」
優子は言った。
うちにはないなぁ、と優子は感心しきりで、
「うちも映画みたいな恋、できたらえぇんじゃけど」
「優ちゃんは広島弁だから、尾道三部作みたいな感じになりそうよね」
そろそろ行こうか…と香織が促すと、それぞれ練習の持ち場へ戻った。
紅白のリハーサルは繰り返し行われる。
今回は開拓村の旧札幌駅のピンクの駅舎を背景に中継するため、ほぼ駅前広場と同じ広さの敷地を使ってリハーサルをした。
るなはすっかり元気を取り戻し、
「今回はメドレーでフォーメーションの入れ替わりが多いから、手際よく移動しないとなんないよね…」
しかも雪の屋外で生中継するため、ブーツで踊らなければならない。
リードボーカルのるなには動きが求められた。
休憩中、香織はるなに、
「例の紙袋、見た?」
清正から渡された紙袋のことらしい。
「ごめん、紅白の本番終わってから見ようかなって」
「…じゃあ聞かなかったことにする」
再びリハーサルが始まったので、るなはそのままにしていた。
とはいえ、香織にあんな言い方をされたのは気になったらしく、帰宅すると着替えもそこそこに、通学鞄にしまってあった紙袋を取り出して開けてみた。
「…これって」
中には箱におさめられた翡翠のペンダントトップと、きれいな字で書かれた手紙があった。
「るなちゃんへ」
差出人は駿平の母親からである。
「この度はこんなことになって大変驚いていると思います。ショックをお察しいたします」
という書き出しで、
「本来ならお通夜の席で渡したかったのですが、人目もあったので、あなたに渡してもらえるよう香織ちゃんに託します」
確かに通夜の日、るなはずっと泣いていてどうにもならず、香織がそばで世話を焼きながら、記帳から焼香からあれこれ香織に面倒をかけていた。
「このペンダントトップは、駿平が合宿先の糸魚川で、貯めていた小遣いとアルバイト代で、あなたへ渡すために買ったのだそうです。なくさないように寮母さんに預けてあって、その寮母さんから、駿平とあなたのことを聞きました」
るなは泣きながら手紙を読み続けた。
「息子があなたのことをずっと思っていたことを知り、これはあなたへ渡すべきだと思い、形見分けとしてお渡しいたします」
読み終わると、るなは部屋が暗くなるまで泣いていたが、
「…私、国立でライブする」
小さく口に出した。
「駿平、私頑張るから見てて」
るなはペンダントトップをチェーンに通し、つけてみた。
「…うん」
るなは、清々しい眼差しをしていた。