他方で。
「みな穂先輩がデビューしたけぇ、うちら誰も出んかったらホンマ谷間の世代じゃけ」
優子が地元の広島で持っているレギュラーのラジオ番組で語ったのは、まぎれもない重圧であった。
リスナーからは「そんなことないよ」「次は優ちゃんの番だから頑張って」などと励まされたので泣かずに済んだが、
(ほじゃけど、余計それが重たいんよ…)
帰りの飛行機のトイレで、声を殺して泣いたこともあった。
その点で「何でも出来ることをしよう」と決めていたのは、
「今どきボーカルだけじゃ、ねぇ…」
と不安を抱えていた、ボーカルのるなであった。
中学のガールズバンド時代から、明るめの長い茶髪をカールさせた、いわゆるギャル系のファッションに身を包み、正統派のひまりとは対極に位置する。
しかし誤解されがちな見た目に反し、性格は至って普通で、逆に古風な面すらある。
「そんなことないって、るなが頑張ってるのは俺知ってるから」
優子の場合はリスナーであったが、るなの場合励ましてくれたのは、リラ祭のときに話していた花山駿平である。
「ありがと」
一歳違いで、るなのほうが年下にあたる。
「いつも駿平は優しいよね」
保育園の頃から一緒で、るなに何かあるとすぐ駆け付け、ときにはかばって駿平が怪我をする日もあった。
その駿平は、新潟の全寮制の共学の高校にいる。
「俺が必ずるなを、国立競技場に連れてゆく」
普段は互いにLINEでメッセージを交換したりしているが、たまにフェリーで帰ってくると、るなは駿平と会って互いの近況を話し合ったりしていた。
駿平の存在は同じ小学校でもあった香織やさくらも知っていて、
「二人、お似合いだよね」
などと、香織はさくらと語らうことがある。
アイドル部が代替わりしてしばらく過ぎた頃、るなのスマートフォンにひさしぶりに駿平から連絡が来た。
「サッカーの全国が決まった」
るなは「おめでとう。勝てるといいね」と返した。
「決勝まで行って、るなを国立競技場に必ず連れてゆく」
「そのときには、必ず私を国立に連れてってね」
サッカーの全国選手権は成人の日が決勝で、国立競技場が決勝戦の会場である。
「るなもスクールアイドル頑張れよ」
るなの支えになっていたのは、いうを俟たない。
どうやらるなへ、駿平は淡い想いは持っていたらしかったが、
「るなが歌ってる姿をテレビとかで見てると、そんな気持ちはあいつの迷惑になるから、捨てなきゃダメなのかなって」
と、香織にだけは打ち明けていた。
香織は何となくどちらの気持ちも理解できただけに、
「なんかさ、ベタなんだけど切ないよねぇ…」
映画の車寅次郎のような言い回しであったからか、だりあに至っては「それを言っちゃあお閉めぇよ」と切り返したのだが、るなや駿平をからかっているのではなく、
「笑いに昇華してあげないとさ、悲しくなるから」
だりあの言葉を聞いていたひまりは、泣きそうになっていた。
十二月に入ると、アイドル部は音楽番組への出演で忙しくなる。
札幌からの生中継がほとんどなので、移動のリスクは低いが、それでも各局に出るのでてんやわんやとなる。
とりわけ今年は、
「モデルデビューした鮎貝みな穂ちゃんです!」
などと、だいたいがみな穂にクローズアップされるので、
「先輩には悪いけど、うちらは楽できるよね」
翔子が言うと、なぜか笑いが起きる。
ほぼ毎週あちこち出まくって、あとは六本木と紅白を残すだけとなった頃、
「あ、駿平から来た」
るなのスマートフォンに、メッセージがある。
「でも少し文体が違うね」
それもそうで「駿平の姉です」とある。
「あなたにだけ、駿平のLINEを借りてお話しておきます」
読み進んでゆくと、るなの顔が蒼ざめてゆく。
思わずスマートフォンを落としそうになり、隣にいた薫が咄嗟に拾った。
るなは薫から受け取ると、
「…ありがと」
るなは部室を出た。
さっきまで降っていた雪は止んで、薄暮にも関わらず雪で明るい。
るなは部室と校舎をつなぐ渡り廊下を逸れて、手つかずの雪が積もるグランドに出た。
仰向けに倒れ込んだ。
やや間があって部室にいたメンバーが、るなであろう慟哭を聞いた。
「…絶対何か遭った!」
香織がたまらず駆け出した。
途中、るなのスマートフォンが落ちていたので、拾い上げた香織がディスプレーを見ると、
「…いくらベタでも、そんなことってあるの…?」
香織は涙が止まらない。
追いかけてきたさくらが追いつくと、泣き崩れている香織がいる。
「かおちゃん…」
さくらは勘がいいだけに、薄々何か気付いていたらしいが、
「…そんなことは、嘘であって欲しい」
みずからの予感を否定しながら香織に近づいた。
「…飛び出した子供を助けるためにって、あんまりにもベタな展開すぎるんですけど」
無感情な香織の言葉に、さくらは固まった。
天を仰いだ。
校舎の奥の黝い稜線の先、流れ星が一閃した。
「こんなときに勘なんか当たるなよ…」
さくらは絶対に自分だけは泣くまいと、歯を食いしばった。
あとからだりあやひまり、薫、ひかるなどメンバーが出てきた。
「…ごめん、何も言われへんわ」
翔子はそっぽを向いた。
優子が気づいたときには、翔子の肩はワナワナ震えていた。
るなの件は、翌日には英美里どころか清正の耳にも入った。
「茉莉江先輩、どうしたらいいですか?」
薫からのLINEを示しながら、
「心のケアが要るような気がするんだけど…」
「…せやな」
清正は手元のメモ用紙に、さらさらと漢字を書いた。
明月かえらず、碧海に沈み
白雲の色は愁い、蒼悟に満つ
「…これは?」
「大切な人を亡くしたときに詠まれた漢詩なんやけどな」
清正はポツポツと語り始めた。
「ワイにも似たような体験があるから分かるんやけど」
まだ高校生であった頃らしいが、
「そいつ、ミュージカルの役者になる言うてアメリカ行きよってんけど」
そのときは、あの九・一一事件であった。
「それでずっと引きずってたんやけど、それを何とかしてくれたんが前の嫁やってん」
「…うん」
何かの集まりで清正の親戚から、茉莉江は何となくは聞いてはいたらしい。
「人間、引きずるときは引きずるもんやで」
清正の淡々とした物言いが、はからずも本音をにじみ出させていた。
その頃。
部室は無明の闇のような重い気が、澱のようにわだかまっていた。
「るながあんなんじゃ、六本木も紅白もどうなるか分からないよ」
るなは二人いるリードボーカルの一人でもある。
しかもハモれるのが強みで、
「スクールアイドルでもハモれるんだって、そしたら絶対誰もバカになんかしない」
普段はそんな強さがある。
そのるなが、である。
「でも本番まで…何日ってレベルだよね」
ひまりが立ち上がった。
「…私、ソロでボーカルやる。るなには今まで助けてもらってばっかりだったから、今回は私がるなを助ける」
後に引く気はない、と言わんばかりの顔をした。
「るなには私が話すから」
この日、部室にるなは来ていなかった。
帰りにひまりが、学校から歩いてすぐのるなの家に立ち寄ると、
「るな、入るよー」
ひまりはノックしてからドアを開けた。
カーテンを閉め切った部屋の隅で、るなはアコースティックギターを抱えて座っていた。
「るな、大丈夫?」
「…ひまり、ありがとう」
るなはあまり食事もとっていなかったようで、少しやつれていたようにも見えた。
「あのね、今日は先生からの伝言」
清正から言づかっているらしい。
明日、大事な話があるから登校しろ──との由である。
「何の話かは分からないけど、先生が直接話したいってことは、きっと重要なことだと思う」
ひまりは、
「私はボイトレあるから帰るけど、みんな心配してるよ」
と伝え、この日は帰ろうとした。
「待って」
るなが呼び止めた。
「どうしたの?」
「最初、嘘か詐欺かと思ったんだけど」
るなが見せてくれたのは、ボロボロになった鞄の写真で、よく見るとアイドル部のグッズである、るなの缶バッジがついている。
「これさ、駿平が新潟に進学するときにプレゼントした鞄なんだ」
この鞄の状況で、全てを察したらしい。
ひまりは、かける言葉を探しあぐね、途方に暮れたような顔をした。