リラ祭が終わると、毎回生徒会から人気投票の結果が送られてくる。
「今回は集計早かったです」
そう語ったのは、四月に東京へ転校した瀬良翠の後を受けて、生徒会長となっていた小清水綾香である。
「小清水ちゃん、去年は副会長だったよね」
みな穂は一連の件を知っている。
「あのときはこっちも実は大変でした」
綾香も綾香なりに、しんどかったらしい。
話を戻すと、
「今年は競りましたけど、るなちゃんでした」
明るい茶髪に健康的に日焼けした、あのいかにもギャルな感じのるなが一位ということに驚いた。
「もしかして男子って、意外とギャル好き?」
スクールアイドルには珍しいギャル系のるなだが、見た目と違い性格は至って常識的で、むしろ古風な面すらある。
確か去年は、有澤雪穂がブッチギリの一位で、九月の代替わり後に芸能界入りを果たしている。
「みな穂先輩は芸能界行くんですか?」
「私は進学かな」
美波コーチからも「みな穂は学者タイプだから」と、芸能の世界で生きていくのは難しいと言われていた。
そこへ。
「セラミックス、やらかしてくれたね」
スマートフォンを片手にあらわれたのは美波である。
「コーチ、何かあったんですか?」
何も知らないのか、というような半ばあきれ気味の無言で、美波が突きつけたディスプレーにあったのは翠のアイドル部時代の、人気投票のときに撮られたポスターの写真と、
「人気グループ・ライラック女学院アイドル部元メンバーに浮上した疑惑」
とある。
記事には「すでに二年前に女優と結婚しているイケメン俳優と、舞台の共演を通じて知り合い、その後は不倫関係に発展し…」という内容とともに、楽しげに高級ホテルのロビーで談笑するツーショットの写真が載っていた。
「何かしでかすならあの子かなとは思ってたけど、マジにやらかしてくれるとはね…」
美波の言葉に、みな穂は立ち尽くしたまま何も発言することが出来ずにいた。
更に問題は記事について、初見のはずのみな穂がなぜか、これについて「あの子どうしちゃったんだろうって」とコメントしていることになっているのである。
「まぁ今の態度で何となく分かったけど、セラミックスは何かハメられた可能性があるのかなって」
この日のうちに、メンバー全員に部室への召集がかかり、長谷川マネージャーも夕方には駆け付けた。
その段階では部員みなが事態について把握は出来ていたようで、
「そもそも瀬良メンバーは転校してから何をしていたのか、どこでどう不倫相手と知り合ったのか、そこから辿る必要があります」
長谷川マネージャーはすでに調べ上げていたようである。
「彼女は転校後に東京へ行き、原宿でスカウトされてモデル事務所に入ってます」
みな穂は、まだ自身が中学生のときライブのリハーサルで澪の名札を首から下げ、立ち位置の代役をしていたとき、目を釣り上げてやって来た翠を思い出していた。
あのときは顔から血の気が少し引いて、人間的な温みのない感じであったが、ポスターの写真などを見るとなかなかの美貌で、
「もっと穏便に出来ないのかな」
などとあやめと帰路に話していた。
とりあえず推移を見極めるまでは活動は自粛、という結論で、
「それまでは自宅で自主トレってことにしよ」
このときばかり、感情的になりづらいみな穂が部長で良かったことはなかったようである。
しかしすでに、校門前には記者やカメラマンがいて、関係がないはずの一般生徒に、マイクを向ける騒ぎも起きている。
部室からの帰り、みな穂は職員室に寄った。
清正が一人で資料を開いていた。
「…先生」
「瀬良のやつ、えらいことなったな」
清正も今回のスキャンダルに打つ手を模索しているようである。
「あいつの話をするってのは、休部以来やな」
「でもさすがに、不倫はどうしようもないのかなって」
「ワイもかばうつもりはあれへん」
清正には明確な方針があるらしかった。
「この際やから、記者会見したほうがえぇかなと」
言ってもいないことを言ったように流布されるのは道理に合わん、と言ってから、
「長谷川さん、まだおる?」
「さっき部室にいました」
LINEを飛ばしてみると、まだ帰ってはいないらしい。
「よっしゃ、動くかぁ」
清正は首を鳴らしながら席を立った。
長谷川マネージャーに清正が記者会見の題を持ち出すと、
「正直いうと私は反対です」
まずみな穂が未成年であること、アイドル部のマネジメント事務所の許可を得るまで稟議に時間がかかることを挙げた。
「せやが、部活動は学校活動の一部でもあるしやなぁ」
清正の論理は、教育者としての所感でもある。
「長谷川さんの意見も一理あるだけに、悩むわなぁ」
どこか他人事のようでありながら、しかし相手を受け入れつつ主張はする。
みな穂は二人の論議を聴きながら黙っていたが、
「私が、アイドル部のメンバーとして個人で会見を開くのはダメですか?」
覚悟のこもった口調である。
「やるのは構わんが、責任取れるか?」
「取ります」
珍しくみな穂は返答に間を空けなかった。
「よっしゃ、ほんならやったれ。打たれっ放しでは女の子も意地が立たんやろからな」
責めはワイが負う、というと長谷川マネージャーは渋面をつくりながらも、
「では事務所にはそう伝えておきます」
と承諾はしたようであった。
金曜日の夕方、空いている講堂での記者会見がセッティングされた。
進行は長谷川マネージャーだが、みな穂は清正に向き直ると、
「私が一人で行きます」
どこか覚悟を決めた様子である。
「鮎貝、自分なりの言葉で話せ。それだけや」
直前に言ったのはそれだけである。
「これより、ライラック女学院アイドル部に関する一部報道に付きましての記者会見を始めさせていただきます」
長谷川マネージャーからは、
「まず、部長の鮎貝みな穂から説明があります」
長谷川マネージャーは続けた。
「鮎貝部長は未成年で時間的な制約があります。したがって同じ質問が重なりました時点で質問は終了となります」
まずは説明を、と促されるままみな穂は一連の報道について、
「あくまで私はニュースでしか知らないのですが」
と言いつつ、簡潔に応えてゆく。
メモを取りながらみな穂は記者の話を聞いていたが、
「私は彼女とは深い付き合いがある訳ではないのですが」
みな穂は前置きをした上で、
「でも彼女が小さなトラブルを起こしたとき、彼女は髪をバッサリ切って、泣きながら謝って反省していた姿も見ています。なので、私は報道しか知らないのですが、何か事情があるのかなとは思います」
少し潤んだ、黒目がちの眼差しで真っ直ぐ応えてゆく。
ネット中継では「みな穂部長カワイイ」「みな穂は俺の嫁」「あんな部長なら給料みんな注ぎ込んじゃいます」などというコメントで埋まった。
ネット中継は、部室でもメンバーが集まって見ている。
「意外に大人から人気あるんだ、うちの部長」
ふと薫がもらした。
ついでながらみな穂は年上のファンや外国人のファンが多く、
「ミドルキラー」
というあだ名まであった。
ストレートの長い髪、少し切れ長気味の眼、濡れたように見える瞳に筋の隆い鼻、気持ちぽってりとしたセクシャルな唇は、よく女子大学生と間違われるほどの大人びた印象すら受ける。
この日も記者の中には、
「ぜひ鮎貝みな穂の取材に行かせて下さい」
と、わざわざ志願して東京から朝イチの飛行機で来た者まであった。
それでいて少しのんびり屋で天然な気があり、スリッパを左右逆に履いてしまったり、マイクを忘れてステージに上がってしまったり…と少しだけドジな面もある。
「そんな部長だから、私たちが守ってあげなきゃって」
メンバーだけでなく、ファンや記者にまで思わせてしまう、魔性のような一面すらあった。
「私そんな魔性の女なんかじゃないし」
みな穂はまるで気が付かず、まるっきりあざとさがないところも、世の中高年に人気のある一因であったともいえる。
話を記者会見に戻す。
結果としてみな穂の会見は、九分九厘ほど成功したといっていい。
「未成年者に記者会見をさせるとは」
という意見もあったが「私が会見したいって言ったから…」とレギュラー番組のラジオで発言したことでそれは消えた。
それ以外は概ね「勇気ある行動」として取り上げられた。
あれだけ校舎前にいたメディアも、部室から見える限りいなくなった。
「勇敢な女子高校生」
ととらえる向きもあれば、
「大人に振り回される可哀相な子」
という見方もある。
「…みんな、あれで良かったのかな?」
みな穂は胸がつぶれそうな思いを抱え込んでいたらしいが、
「うちは、あれでえぇ思う」
真っ先に言ったのは優子である。
「部長が選んだ道じゃけ、うちらは付いてく」
のどかな、それでいて無駄の削ぎ落とされた口調に、
「…ありがとね」
ようやくみな穂は笑顔になった。
会見の喧騒がまだ残る中、深夜になって琴似の清正と茉莉江の新居を訪ねてきた者があった。
茉莉江が誰何すると、
「茉莉江先輩、おひさしぶりです」
驚くべきことに翠であった。
「顔を出せるような立場じゃないのは分かってるんだけど…」
どうやらあちこち訊き回って探し当てたようである。
茉莉江は招じ入れた。
ちょうど清正がトイレから出てきたタイミングで、
「…瀬良も難儀やったな」
清正は怒らない。
しかしそれが翠の涙腺を崩壊させた。
しばらく泣きじゃくっていたが、茉莉江が促してリビングに上げ、コーヒーが苦手な翠のために清正は手ずから点前を立て、抹茶を出した。
「みな穂ちゃんの会見はテレビで見た」
訥々と語り始めた翠は、あの写真の真相を話し始めた。
「あの俳優さん、実は一緒に舞台で仕事をするスケジュールだったのね。それで最初は端役だったんだけど」
キーパーソンとなる役の女優が交通事故で怪我をしてしまい、代役に翠の名が上がったのだという。
「でも、それには条件があるって」
それで枕営業のために密会した、と言うのである。
茉莉江も清正も言葉を失った。
「私…雪穂やすみれみたいに売れなきゃって焦ってたのかも」
翠の家は母子家庭で、家計が厳しい。
話を聞いていた茉莉江は、沈痛な面持ちをした。