オンラインの交流は予想外に盛り上がり、
「これなら交流しても大丈夫だよね」
手応えもあって、最終的には月イチで交流校を決めて行うことで決まった。
週が明け、教育実習生が来ることになり、
「イケメンかな、女子かな」
「出来ればイケメンよりイケボのほうがいいなぁ」
「それショコタンの好みだから」
だりあがすかさず突っ込んだ。
「だって…イケメンは崩れるけどイケボは崩れへんし」
翔子とだりあが喋り込んでいると、
「入るでー」
清正の声がした。
部室のドアが開いた。
一瞬よく分からなかった。
清正の隣には、ショートカット姿のパンツスーツを着た女性が立っている。
「今日から教育実習でお世話になります、関口澪です」
「…部室、変わってへんやろ」
メンバーは全員、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になったが、
「…ここの初代部長だったんだよ」
部員全員、顔色が変わった。
「伝説の…澪先輩?!」
アイドル部を同好会から築き上げ、基礎を築いたあの関口澪その人である。
「そうそう、この本棚スプレーで先生と塗ったっけ」
現在でも使われている部室のピンクの本棚を見て、澪は懐かしくなったらしい。
「いつか先生になって戻って来ようって、ずっと思ってた」
メンバーは呆気に取られていた。
清正が英美里を手招きして、
「今の部長の今村英美里」
優子は少し、席を外している。
「唯の次の次だから、部長としては四代目?」
「はい」
英美里は緊張で紅潮している。
「でもみんな私のことなんか知らないよね…私が三年生のときに藤子が二年生で、雪穂が一年生だもん」
次第に、とんでもない人が来たという事実が分かってきた。
「ののかに後で教えてあげなきゃ」
英美里は驚きで目が回りそうになった。
そこへ優子が戻ってきた。
「…?」
優子は澪を、澪はレースまみれの優子を見て、それぞれキョトンとした。
「こいつが副部長の郷原優子」
清正が紹介すると澪はピンと来たようで、
「あ、紅白で見た子だ!」
英美里は優子の袖を引くと、
「初代部長の関口澪先輩」
耳元でささやいた。
優子は慌てて「副部長の郷原優子です!」と深々とお辞儀をした。
様子が可笑しかったのか、
「優子ちゃんって、明るくて可愛らしいよね」
澪が微笑んだので場がほぐれた。
そこへひまりやるな、薫などメンバーたちが集まってくると、最後に美波が来た。
「…美波?」
「グッチー久しぶり!!」
互いにハグをして再会を喜んだ。
「ワイは関口が教師になったら、顧問を譲るつもりでおる」
「それは私が免許取得してからですって」
澪はメンバーの方へ向くと、
「…みんな、よろしく!」
「はい!」
全員が揃った返事をした。
教師として戻って来るつもりの澪に対し、
「もう譲らなあかんやろ」
と、澪が教育実習で来ると聞いた最初から清正は、禅譲するつもりでいたようである。
「立場に恋々としとったらあかんねんて…」
時代は変わる。
その変わり目は、いつか誰にも分からない。
ただ分からないのであれば、おのずから動いて分かれ目にしてしまって、変わり目を先に作ってしまえば良いのではないかとすら、清正は見ていたようであった。
「人は立場に就いた瞬間から、引き際を考えておくもの」
出処進退、おのずから決す──およそアイドル部らしからぬ発想ながら、しかしスクールアイドルという世界に、漢学やスポーツの着想を持ち込んで、誰にも思い付かなかったであろう特色を作り出したのは、紛れもない清正のオリジナリティではなかったかとすら思われるのである。
彼女たちメンバーの中にある廉潔さや、真摯に向き合う愚直さを、清正は信じていたのかも知れない。
むしろ信じていたからこそ、隻眼になっても揺らがなかったといえよう。
澪が久々に見るアイドル部は、メンバーが変わっただけで練習風景は変わらない。
「やっぱり懐かしいな」
美波の隣に座ると、澪は何やら思い出したことがあったらしく、
「あのとき、美波がいなかったら、美波がかばってくれなかったら、同好会の段階で存在はなくなってたかも知れないね」
あのときの美波にすれば、それは感情に任せたただの青臭い正義感でしかなかったらしいのだが、
「でも、グッチーの役に立てたのは嬉しかったし、何より私も居場所が出来たから」
澪のおかげだと謝意を述べた。
「今のメンバーたちも、同じようにここが居場所になるのかな」
「それには何としてでもグッチーが先生になって、戻ったり出来るように残さなきゃ」
「うん」
澪はリュックとヘルメットを手に取ると、
「そろそろレポート書かなきゃ」
「澪はバイク通学なんだから、事故らないでよ」
「ありがと」
卒業してすぐ、配達のアルバイトのために二輪の免許を澪は取っている。
毎日、澪は鮮やかな黄色のリトルカブに乗って坂を登る。
生活のために乗り始めたバイクであったが、今では気に入って乗っており、たまに銭函の海岸や石狩、あるいは近場の温泉まで行ったりもする。
そんな澪を見て最初に関心を寄せたのはメカに強いひかるで、
「私も二輪取ろうかな」
ライラック女学院はアルバイト限定であれば二輪は免許取得が許されている。
「免許もバイト代も手に入るから」
というので、日曜日に原付免許を取ってから朝刊配達のアルバイトを始めた。
そうしてある程度貯まったタイミングで小型二輪を取り、親戚の家の倉庫に眠っていたスーパーカブを譲り受け、暇を見て手直ししてから、ひかるは乗るようになった。
そんな平日の放課後、部室の前でアイドル部の看板を眺めている生徒を、ひかると優子は見かけた。
「うちが話しかけてみるけん、待っちょってや」
優子は話しかけてみた。
「…あの、もし?」
彼女は無言で挨拶したあと、優子と少しだけ話をしてみた。
しばらくして彼女は去った。
「…何か、見学してみたいって言うてたんやけど、声が小そうてあんまり聞き取られんかった」
優子は残念そうに言った。
土日の練習で、ひかるはカスタマイズしたスーパーカブで部室まで通うようになり、
「ひかる、ライダー目指してるの?」
さくらや薫には冷やかされたが、ひまりだけは嬉しそうに、
「今度タンデムさせて?」
と言った。
「ひまりちゃんは何ともないの?」
「うん」
ひまりはイタズラっぽく笑顔を返すと、
「彼と乗ったことあるから大丈夫」
と明かした。
ひまりの彼氏は諸岡理一郎と言った。
「年も離れてるし、並んでたらよく親戚のお兄ちゃんと間違われるんだけど」
もともとアイドル部に入る前から知り合いで、
「最初は狸小路で、しつこいナンパに絡まれてたのを助けてくれて、それからは同じアーティストが好きだったから仲良くなって、たまに一緒にご飯食べたりして」
付き合うようになったのは最近らしい。
「だから、私がアイドル部にいるのも知ってるし、邪魔しないように彼も気を遣ってくれてて。大人に気を遣わせるのは心苦しいんだけど」
理一郎は苦痛とも思わず、むしろ目立たないようにひっそりひまりの家へ来て、自宅でデートをして帰ってゆく。
「たまに買い物とかあると、後ろに乗せてくれるんだ」
写真を見ると、優しそうな雰囲気である。
「だからね、私…代替わりしたらアイドル部を辞めて、彼と一緒になろうって思ってて」
だから今は集中して練習してる、とひまりは言った。
しかしアイドル部は恋愛は基本的に厳禁で、発覚したら即日退部で戻ることは許されない。
「もし…バレたら?」
「もちろん知ってる。けど、私は彼を選ぶ」
そこまでいさぎよく言われては、ひかるは何も言い返せない。
「欲張ったら良くないのも分かってるし、いろんな迷惑がかかるのも分かってる。でも本気なんだ」
覚悟の据わった人間ほど、強いものはない。
「だからひかる、言うなら言っていいよ。私はそんなことじゃひかるを恨まないし、最悪バレたら、全て私が辞めれば済む話だし」
ひまりが心底から彼を想っていることだけは、ひかるには痛いほど伝わってきた。
「…分かった。ひまりちゃんに出来る限り協力する」
「それはひかるにまで累が及ぶから」
「ここまで打ち明けられて、ひまりちゃんを裏切るようなことをしたら、それは人間としてどうかと思う」
ひかるはメカが強いぶん、大切なものが何かも分かっているようで、
「だって仲間は信じるもの、だもんね」
アイドル部の基本理念を、ひかるは口に出した。
「ひかる…ありがと」
ひまりは静かに微笑んだ。