「……あの時のルートを?」
 
「そう。確率は少ないと思うけど、何か思い出すかも知れない。それと……」
 
 言葉を一旦切った蒼太は、美咲が投げ出したままの赤いノートを手に取った。
 
「僕はこの、洞窟の管理人さんに会ってみたい。この文字を書いた人物にも当時の状況を聞きたい。花木さんは、この人がいる場所を知っているよね?」
 
「うん。知っているけど……。新幹線や飛行機を使えば洞窟まではすぐ行けるよ。でも、皆で寄り道した場所を全部回るとなると、日帰りは難しいの。それに学校さぼったら、また問題になるよ。何より、管理人さんにまた会えるとは限らない。私達が会ったのも偶然だったから」
 
 
 さすがに、もう一度、青春十八切符を使って、二カ月前と同じ自分達の足跡を辿るのは時間がかかり過ぎる。
 
 何よりも、夏休みが終わったあとで学校が始まっている。そんな中、週末に泊まりがけで行くにしても、翠子や慎吾は両親が許可を出さないだろう。
 一度、皆、無断外泊を体験しているのだから。
 
「僕は大丈夫だよ。それに、今回は両親に許可を取るから。お金も借りなきゃならないしね」
 
 蒼太の心は固まっているようだ。
 紺碧の洞窟へ行くことが。
 
「あ、なら私も一緒に行く。私は引きこもりだから問題ないよ。それに、森里と同じく今回は親に許可を取ります。前の時に、兄と弟に迷惑かけたから、今回はさすがに協力してくれないしね」
 
 なぜか美咲までもが行くと言う。
 
「えっ? 待ってよ、二人共。三年のこの時期に問題起こしたら推薦取れないよ!」
 
 行くのを止めようと、必死に説得を試みる碧理は、二人が大学を目指していることを知っていた。しかも、二人共、有名な難関大学だ。
 
「私は問題ないよ。一応、学年トップだから。私の場合は出席日数足りないから最初から推薦ないから。自力で合格する自信がある」
 
 美咲はあっけらかんと答える。しかも、言っていることがかっこいい。
 
「確かに推薦はあると嬉しいけど、無くても問題ないよ。僕もそこまで成績悪くないから」
 
 蒼太までもが笑顔で「いらない」と言う。
 
「俺は最初から評判も良くないし、今回のことで謹慎処分だから気にならない」
 
 すると、なぜかさっきまで全てを否定していた慎吾までもが「行く」と言い出した。
 腕を組んで碧理を真っ直ぐに見つめるその眼差しは、狩りをすると決めた野生のライオンの顔つきだ。
 
「待って、赤谷君。また問題を起したら退学になるかも知れないよ。それに、ご両親が厳しいじゃない! また嘘をつくつもり? こんな超常現象信じていないって言ってたじゃない!」
 
「今も信じていない。でも、確かに蒼太の言うことも一理ある。痕跡を辿れば何か思い出す可能性があるかも知れない。親は説得する」
 
 慎吾もどうやら覚悟を決めたようだ。
 残る翠子だが、神妙な顔つきで何かを考えている。
 
「翠子……さん。ご両親が心配するから止めよう。二カ月前、発見された時、大騒ぎになったんじゃない?」
 
 碧理が声をかけると、翠子が困ったように頷いた。
 
「ええ。私と慎吾君は一緒に発見されました。私の自宅の裏庭で」
 
 そう言えば、慎吾と翠子があの三日間を過ごした後、どこで見つかったか聞いていなかったのを碧理は思い出した。
 
 碧理は十一日の朝、洞窟に近い海にいた所を警察に保護された。どうやら朝早くから一人でいた碧理を不審に思い、誰かが通報したらしい。
 美咲は十一日の朝に元家庭教師のアパートの前で。慎吾と翠子は十一日の朝、翠子の家の庭で発見された。
 
 蒼太は洞窟の近くにある病院の敷地内で意識不明のまま保護された。そこは、蒼太が死んだ病院だ。
 
「それは皆、驚いたでしょ?」
 
 まさかの自宅での発見に、碧理は勿論、美咲も蒼太も興味津々だ。
 
「ええ。私達、どうやら駆け落ちしたと思われていたみたいで」
 
「翠子!」
 
 今の時代には考えられない時代錯誤な言葉に、碧理はどう反応して良いのかわからない。それは蒼太も同じだったようで、曖昧な表情を浮かべている。
 
「駆け落ちとはまた古風ね。二人共、付き合っていたんだ」
 
「はい。でも、記憶喪失になる前に慎吾君から別れを切り出されました。そこまでは覚えているんですけど、その駆け落ち騒ぎがあったので、別れ話はなくなりました」
 
 嬉しそうに翠子が微笑んだ。
 
「いや。まだ別れないと決めた訳じゃない」
 
 憮然とした表情で慎吾が言い返す。
 
「私は別れません。だから、頑張ります!」
 
 美咲や蒼太は翠子が何を頑張るのかわからないだろう。でも、事情を知っている碧理にはわかった。
 二人で周りを説得したのだと。
 
「二人共、留学することにしたんだ? 頑張って」
 
 思わず碧理がそう言うと、慎吾と翠子が目を見開く。
 
「……花木は知っているのか。俺達が何を求めていたのか」
「うん。あの夏に二人が別々に話してくれたから。大変だったんだよ。二人の誤解を解いて繋ぐのは。私に感謝して」
 
 碧理は頬に流れたままの涙を拭いて笑った。
 二人が目指していた道が繋がっていることが嬉しかったから。
 もう翠子は泣かないし、慎吾は逃げないだろう。
 
「私も両親を説得します。そして、皆さんとあの三日間の痕跡を辿ります」
 
 覚悟を決めた翠子は綺麗に頭を下げた。
 
「えっ? 翠子さんも行くの?」 
「勿論です。慎吾君は信じていないようですが、私は碧理さんを信じています。また連絡しますね」
 
 すぐに五人で連絡先を交換する。
 慎吾を連れて翠子が部屋から出て行こうとした時、ふいに足が止まった。
 
 
「持ち帰る所でした……これを。貸して下さってありがとうございます」
 
 そう言って翠子が差し出したのは蒼太のハンカチ。
 記憶がない翠子が持っていたものだ。
 
「……どういたしまして」
 
 蒼太がそう答えると、翠子がお辞儀をして慎吾と部屋を出て行く。
 翠子は、両親を説得するために動き出したらしい。
 しかも納得させる自信があるようだ。
 
「なら、私も親から許可取ってお金貰って来るね。あ、碧理もお父さんから許可貰うんだよ? じゃあね」
 
 そう言うと、美咲も軽やかな足取りで出て行った。
 碧理に重い宿題を残して。
 どうやって拓真から許可を取ろうかと悶々と考え出した碧理は視線を感じた。
 
 残った蒼太も出て行くものだと思っていたら、なぜか碧理の目の前に座り続ける。どうやら話しがあるらしい。