「白川、お前、料理したことあるのか? 農家の人が……泣いてるぞ」
慎吾の呆れた視線の先には、美咲が皮を剥いたジャガイモ。それは食べる部分がほとんどない無残な物だった。
「失礼ね、あるわよ。ただし、包丁じゃなくてピーラーを使ってだけど!」
負けん気の強い美咲は、文明の力であるピーラーがないのが悪いと騒ぎだす。
宿にチェックインの手続きが済むと、さっそく五人で夕飯のカレーを作り始めた。宿代は安いが、ご飯は各自で作るシステム。
調理場は、廃校の調理室が綺麗にリノベーションされている。
清潔感のある白い壁と天井。幾つもある水場とガスコンロ。皿やコップ類は常備されていて、好きに使っても良いシステム。
碧理達の他にも数組のグループが楽しそうに料理を作っていた。
「……白川、お前は翠子と一緒に食器類を用意してくれ。花木は……上手だな。料理するのか?」
美咲にやらせると野菜が可哀想なことになると、慎吾は追い払った。
それは、お嬢様育ちの翠子も同じようで、二人一緒に食器が置かれている棚へと向かう。
あんなにも翠子を嫌っていたのに、美咲は数時間で慣れたらしい。
残ったのは意外と料理に慣れている手つきの慎吾と、昔から家事をやっていた碧理。それに蒼太だった。
「私は……両親が四歳の時に離婚しているから。小学生の時は祖父母の家で食事していたけど、中学からは自分で作ってた」
中学生に上がると、碧理は祖父母の家に行くのが億劫になった。
それからは、拓真に与えられたお金から自分で買い物をして、慣れない料理に挑戦する日々。
最初は失敗ばかりだった碧理も、数をこなしていく内に上手くなり、今はレシピ本を見なくても簡単な物なら普通に作れる。
「ああ……悪い。余計なこと聞いた」
離婚の言葉に、慎吾は申し訳無さそうに謝った。
いつもは周りを威嚇し続けているのに、根は素直らしい。
「別に良いよ。今時、離婚している家なんていっぱいあるでしょ? そう言う赤谷君は料理するの? 凄く上手だけど」
慎吾は話しながらも、ジャガイモや人参の皮を手際よく剥いていく。
「うちは離婚していないけど、家庭内別居状態だ。お互い大学教授だからか言い争いになるとどっちも引かなくてさ。世間体が悪いからって仮面夫婦やってる。二人共、夜遅く帰って来たり研究で泊まり込んだりして家に寄りつかないけど。そのとばっちりが子供にきて……姉貴と二人で料理してた」
碧理は何と答えたら良いのか困ってしまう。
慎吾の家の事情も、思ったよりも重かった。
「えっと、森里君は? 手際が良いけど?」
この重くなった空気をどうにかしようと、碧理は蒼太に話題を振る。
玉ねぎを弱火で炒め出した蒼太は「同じだよ」と笑った。
「僕の家は両親共働き。弟二人は小さいから必然的に僕が料理担当になった。作るのは嫌いじゃないから問題ないよ。母は仕事人間で出張も多いけど、父とも仲が良いから。特に不満はないかな」
「なるほど……。必然的に作らなきゃいけない状況だったのね、三人共」
碧理は納得した。
自炊しなくても、昨今はコンビニやスーパーの惣菜。それに宅配や外食。食べ物はどこにでも大量にある。
だが、コンビニも朝、昼、晩、三日続ければ飽きてくる。好みも毎回偏り、同じものしか手に取らないし食べない。その内、食べたい物がなくなってしまう。
その点、自炊は時間がかかって面倒だが、身体に優しく節約にもなる。何より、将来一人暮らしをする時は食の心配がない。
「翠子さんは料理をしたことないよね?」
食器棚の前で、美咲と楽しそうに吟味している翠子に目をむけた。
あんなに電車の中で喧嘩していたのが嘘みたいに二人は仲が良い。
「いや、一回だけ俺と一緒に作った。シチューだったけど……茶色くなったんだよ。市販のルーじゃなくて、コンソメや牛乳で作ったせいか焦げて大変だった」
その時のことを思い出したらしく、慎吾が苦笑いを浮かべた。
焦げたシチューは、その後、翠子の家族と一緒に全部完食したと言う。なんだかんだと言いつつ、全て平らげる慎吾は見た目とは違い優しい。
「ところでさ、卵はどうするの? 今、茹で卵にして食べる? それとも明日の朝にする?」
残りの材料を見ていた蒼太が二人に声をかける。
「俺はカレーに入れる」
「私は明日の朝かな。あれ? 果物や缶詰。それに蜂蜜って、これ買っていたの美咲だよね? このまま食べるのかな?」
蒼太の隣で買い物袋の中を確認する碧理は、まるでSNSを意識しているような鮮やかな材料の数々に驚く。
どう見てもキラキラ女子が選びそうな食材だ。
「あ。それ、明日の朝食用よ。ほら、パンケーキ作るの。生クリームも買ったんだから」
皿を調達した美咲と翠子が調理台の上に食器を置いた。そして、生クリームを手に取ると見せびらかすように皆に見せつける。
「あのさ、美咲。その生クリーム……誰が泡立てるの? ハンドミキサーないよ?」
泡立て器で地道にやると時間がかかる。誰もが率先してやりたがらないだろう。
それを碧理が指摘すると、美咲が男子二人を交互に見た。
「お願い!」
可愛く首を傾げる美咲に、慎吾は呆れたようにため息を吐く。
「お前、自分でやれよ」
「無理よ。出来る気がしない」
「……俺はカレーで忙しいんだよ。それに甘い食べ物は嫌いだ。女、三人で泡立てろ」
そう言うと慎吾は、苦笑している蒼太と一緒に、市販のカレー粉を鍋に入れ始めた。
「ええ―。意地悪だ」
「まあまあ。落ちついて。明日の朝、早起きして作ろう」
「そうですね、私も手伝いますわ」
碧理と翠子が気を使って美咲を励ます。項垂れている様子を見るに、美咲はパンケーキが心の底から好きらしい。
「ありがとう。早起き出来るか分からないけど頑張る。あ、翠子、スプーン取ってこなきゃ。忘れてた」
「カトラリーですね。慎吾君。サラダがあるなら、あの棚の上にある大きな器が欲しいので取って下さい。私と美咲さんでは届かなくて」
翠子が指差した先にあるのは、透明な少し大きな皿。
女子二人よりも高い食器棚の上にある器はさすがに取れない。
「しょうがねーな」
面倒臭そうにそう言うと、美咲と翠子に連れられるように慎吾は行ってしまった。
残された碧理と蒼太は調理を再開させる。
「何サラダにするの?」
カレーを混ぜている蒼太が、キャベツを千切りにしている碧理に聞いた。
「コールスローだよ。私、これ好きなんだ」
「良いね。量が多いから手伝うよ。カレーはもう出来たから」
「ありがとう。じゃあ、人参も千切りにお願い。コーンは缶詰買ってきたから」
碧理の隣で人参を切り始めた蒼太は、碧理と会話を続けた。
主に、お互いの友達である瑠衣や刹那の話。蒼太のバスケの話。先生や好きな本。それにアーティストと話題は尽きない。
いつもは図書館で会った時に少し話す程度。そんな関係だった二人の距離が一気に近くなる。
「それでさ……」
「うん。それで、っ、あ……」
蒼太の話も面白く、碧理はふいに手元から目を離した。すると、包丁は無情にも碧理の指をかすめた。
「大丈夫? あ、これで抑えて」
蒼太が急いで取り出したのはネイビーのハンカチ。四つ角の一つに猫が刺繍されている可愛い品物だ。
それを血がうっすらと出ている人差し指へとあてる。
「あ、血がつくから汚れるよ」
「気にしなくても良いから。こういうためのハンカチだろ」
爽やかなクラスの人気者は気が利く。この行動力が友達が多い一因なのだと碧理は感心した。
「森里君はイケメンだね。ハンカチ持っている男子ってあんまりいないよ」
昨今では、男子どころか女子も持っているか微妙な所だろう。
特に深い意味もなく碧理がそう言って蒼太を見ると、なぜか顔が赤い。
「どうしたの?」
「いや。……イケメンってそんなに言われないから照れる」
「えっ……。嘘だ。森里君、背も高いし優しいしモテるでしょ? 彼女いないのが……不思議なくらいで……あ」
そこまで言った碧理は思い出す。
電車の中で美咲に聞かれ、気になる子発言をしていたことを。聞こえていないような態度をとっていた碧理は、その時に気分が落ち込んだ。
自分ではないとわかっていても、気になり出すと目が蒼太を追ってしまう。
「彼女はいないから」
落ち込む碧理を見ながら、蒼太は即答した。
「でも、気になる子はいるんでしょ? さっき電車で……ごめん。変なこと聞いて。もう聞かないから安心して」
そこまで聞いた碧理は咄嗟に聞くのを止めた。
自分もこう言う質問をされたら嫌だからだ。それに、蒼太を意識し始めた碧理は、その答えを聞くのも怖い。
「お前ら、青春してんの? 二人はそう言う関係だったのか。蒼太が彼女作らなかった理由は花木か? ふーん」
皿を手に戻って来た慎吾が、手を繋いでいる二人を見て軽口を叩く。
違うことが気になって忘れていたが、手は蒼太に握られたままだ。碧理は途端に恥ずかしくなった。
ハンカチで抑えられている傷の痛みが、感じなくなるくらいに動揺した。
慎吾の呆れた視線の先には、美咲が皮を剥いたジャガイモ。それは食べる部分がほとんどない無残な物だった。
「失礼ね、あるわよ。ただし、包丁じゃなくてピーラーを使ってだけど!」
負けん気の強い美咲は、文明の力であるピーラーがないのが悪いと騒ぎだす。
宿にチェックインの手続きが済むと、さっそく五人で夕飯のカレーを作り始めた。宿代は安いが、ご飯は各自で作るシステム。
調理場は、廃校の調理室が綺麗にリノベーションされている。
清潔感のある白い壁と天井。幾つもある水場とガスコンロ。皿やコップ類は常備されていて、好きに使っても良いシステム。
碧理達の他にも数組のグループが楽しそうに料理を作っていた。
「……白川、お前は翠子と一緒に食器類を用意してくれ。花木は……上手だな。料理するのか?」
美咲にやらせると野菜が可哀想なことになると、慎吾は追い払った。
それは、お嬢様育ちの翠子も同じようで、二人一緒に食器が置かれている棚へと向かう。
あんなにも翠子を嫌っていたのに、美咲は数時間で慣れたらしい。
残ったのは意外と料理に慣れている手つきの慎吾と、昔から家事をやっていた碧理。それに蒼太だった。
「私は……両親が四歳の時に離婚しているから。小学生の時は祖父母の家で食事していたけど、中学からは自分で作ってた」
中学生に上がると、碧理は祖父母の家に行くのが億劫になった。
それからは、拓真に与えられたお金から自分で買い物をして、慣れない料理に挑戦する日々。
最初は失敗ばかりだった碧理も、数をこなしていく内に上手くなり、今はレシピ本を見なくても簡単な物なら普通に作れる。
「ああ……悪い。余計なこと聞いた」
離婚の言葉に、慎吾は申し訳無さそうに謝った。
いつもは周りを威嚇し続けているのに、根は素直らしい。
「別に良いよ。今時、離婚している家なんていっぱいあるでしょ? そう言う赤谷君は料理するの? 凄く上手だけど」
慎吾は話しながらも、ジャガイモや人参の皮を手際よく剥いていく。
「うちは離婚していないけど、家庭内別居状態だ。お互い大学教授だからか言い争いになるとどっちも引かなくてさ。世間体が悪いからって仮面夫婦やってる。二人共、夜遅く帰って来たり研究で泊まり込んだりして家に寄りつかないけど。そのとばっちりが子供にきて……姉貴と二人で料理してた」
碧理は何と答えたら良いのか困ってしまう。
慎吾の家の事情も、思ったよりも重かった。
「えっと、森里君は? 手際が良いけど?」
この重くなった空気をどうにかしようと、碧理は蒼太に話題を振る。
玉ねぎを弱火で炒め出した蒼太は「同じだよ」と笑った。
「僕の家は両親共働き。弟二人は小さいから必然的に僕が料理担当になった。作るのは嫌いじゃないから問題ないよ。母は仕事人間で出張も多いけど、父とも仲が良いから。特に不満はないかな」
「なるほど……。必然的に作らなきゃいけない状況だったのね、三人共」
碧理は納得した。
自炊しなくても、昨今はコンビニやスーパーの惣菜。それに宅配や外食。食べ物はどこにでも大量にある。
だが、コンビニも朝、昼、晩、三日続ければ飽きてくる。好みも毎回偏り、同じものしか手に取らないし食べない。その内、食べたい物がなくなってしまう。
その点、自炊は時間がかかって面倒だが、身体に優しく節約にもなる。何より、将来一人暮らしをする時は食の心配がない。
「翠子さんは料理をしたことないよね?」
食器棚の前で、美咲と楽しそうに吟味している翠子に目をむけた。
あんなに電車の中で喧嘩していたのが嘘みたいに二人は仲が良い。
「いや、一回だけ俺と一緒に作った。シチューだったけど……茶色くなったんだよ。市販のルーじゃなくて、コンソメや牛乳で作ったせいか焦げて大変だった」
その時のことを思い出したらしく、慎吾が苦笑いを浮かべた。
焦げたシチューは、その後、翠子の家族と一緒に全部完食したと言う。なんだかんだと言いつつ、全て平らげる慎吾は見た目とは違い優しい。
「ところでさ、卵はどうするの? 今、茹で卵にして食べる? それとも明日の朝にする?」
残りの材料を見ていた蒼太が二人に声をかける。
「俺はカレーに入れる」
「私は明日の朝かな。あれ? 果物や缶詰。それに蜂蜜って、これ買っていたの美咲だよね? このまま食べるのかな?」
蒼太の隣で買い物袋の中を確認する碧理は、まるでSNSを意識しているような鮮やかな材料の数々に驚く。
どう見てもキラキラ女子が選びそうな食材だ。
「あ。それ、明日の朝食用よ。ほら、パンケーキ作るの。生クリームも買ったんだから」
皿を調達した美咲と翠子が調理台の上に食器を置いた。そして、生クリームを手に取ると見せびらかすように皆に見せつける。
「あのさ、美咲。その生クリーム……誰が泡立てるの? ハンドミキサーないよ?」
泡立て器で地道にやると時間がかかる。誰もが率先してやりたがらないだろう。
それを碧理が指摘すると、美咲が男子二人を交互に見た。
「お願い!」
可愛く首を傾げる美咲に、慎吾は呆れたようにため息を吐く。
「お前、自分でやれよ」
「無理よ。出来る気がしない」
「……俺はカレーで忙しいんだよ。それに甘い食べ物は嫌いだ。女、三人で泡立てろ」
そう言うと慎吾は、苦笑している蒼太と一緒に、市販のカレー粉を鍋に入れ始めた。
「ええ―。意地悪だ」
「まあまあ。落ちついて。明日の朝、早起きして作ろう」
「そうですね、私も手伝いますわ」
碧理と翠子が気を使って美咲を励ます。項垂れている様子を見るに、美咲はパンケーキが心の底から好きらしい。
「ありがとう。早起き出来るか分からないけど頑張る。あ、翠子、スプーン取ってこなきゃ。忘れてた」
「カトラリーですね。慎吾君。サラダがあるなら、あの棚の上にある大きな器が欲しいので取って下さい。私と美咲さんでは届かなくて」
翠子が指差した先にあるのは、透明な少し大きな皿。
女子二人よりも高い食器棚の上にある器はさすがに取れない。
「しょうがねーな」
面倒臭そうにそう言うと、美咲と翠子に連れられるように慎吾は行ってしまった。
残された碧理と蒼太は調理を再開させる。
「何サラダにするの?」
カレーを混ぜている蒼太が、キャベツを千切りにしている碧理に聞いた。
「コールスローだよ。私、これ好きなんだ」
「良いね。量が多いから手伝うよ。カレーはもう出来たから」
「ありがとう。じゃあ、人参も千切りにお願い。コーンは缶詰買ってきたから」
碧理の隣で人参を切り始めた蒼太は、碧理と会話を続けた。
主に、お互いの友達である瑠衣や刹那の話。蒼太のバスケの話。先生や好きな本。それにアーティストと話題は尽きない。
いつもは図書館で会った時に少し話す程度。そんな関係だった二人の距離が一気に近くなる。
「それでさ……」
「うん。それで、っ、あ……」
蒼太の話も面白く、碧理はふいに手元から目を離した。すると、包丁は無情にも碧理の指をかすめた。
「大丈夫? あ、これで抑えて」
蒼太が急いで取り出したのはネイビーのハンカチ。四つ角の一つに猫が刺繍されている可愛い品物だ。
それを血がうっすらと出ている人差し指へとあてる。
「あ、血がつくから汚れるよ」
「気にしなくても良いから。こういうためのハンカチだろ」
爽やかなクラスの人気者は気が利く。この行動力が友達が多い一因なのだと碧理は感心した。
「森里君はイケメンだね。ハンカチ持っている男子ってあんまりいないよ」
昨今では、男子どころか女子も持っているか微妙な所だろう。
特に深い意味もなく碧理がそう言って蒼太を見ると、なぜか顔が赤い。
「どうしたの?」
「いや。……イケメンってそんなに言われないから照れる」
「えっ……。嘘だ。森里君、背も高いし優しいしモテるでしょ? 彼女いないのが……不思議なくらいで……あ」
そこまで言った碧理は思い出す。
電車の中で美咲に聞かれ、気になる子発言をしていたことを。聞こえていないような態度をとっていた碧理は、その時に気分が落ち込んだ。
自分ではないとわかっていても、気になり出すと目が蒼太を追ってしまう。
「彼女はいないから」
落ち込む碧理を見ながら、蒼太は即答した。
「でも、気になる子はいるんでしょ? さっき電車で……ごめん。変なこと聞いて。もう聞かないから安心して」
そこまで聞いた碧理は咄嗟に聞くのを止めた。
自分もこう言う質問をされたら嫌だからだ。それに、蒼太を意識し始めた碧理は、その答えを聞くのも怖い。
「お前ら、青春してんの? 二人はそう言う関係だったのか。蒼太が彼女作らなかった理由は花木か? ふーん」
皿を手に戻って来た慎吾が、手を繋いでいる二人を見て軽口を叩く。
違うことが気になって忘れていたが、手は蒼太に握られたままだ。碧理は途端に恥ずかしくなった。
ハンカチで抑えられている傷の痛みが、感じなくなるくらいに動揺した。