恋する金曜日のおつまみごはん~心ときめく三色餃子~

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 その後、私は夏バテからすっかり快復し、再び体調を崩すこともなく八月下旬を迎えた。

「先輩、あのビアガーデン、今週で終わりみたいですよ。最後にふたりで行っておきません? 今年の夏の締めってことで」

 八月最後の水曜日、久保田に飲みに誘われた。ふたつ返事で了承したあと、椅子に座ったままうーんと背伸びしてため息をつく。

「もう夏も終わりかあ。今年も夏っぽいことはビアガーデン行っただけだなあ」
「花火大会とか、海とか、行ってないんですか?」
「女友達を誘う歳じゃないし、恋人がいなかったら行く機会なんてないわよ」

 友達同士で集まっても、冷房の効いたショッピングモールから動きたくないお年頃だ。紫外線の心配もないし、なによりいつでも座って休憩できるのがいい。

 それを言ったら、「先輩それって、アラサーっていうよりおばあちゃんみたいですよ……」と心配された。

「久保田はどうなのよ。夏のイベント、行ったの?」

 社交辞令で尋ねたのに、久保田はふふふ、と含み笑いをしてからキャピッとした声を出した。

「私は、合コンで知り合った男女グループで行ってきましたぁ」

 リア充め、と怨念を送ると、久保田は「こわーい」と大げさに肩を震わせた。
「今日は先輩の快気祝いなので、私がおごります! なんでも好きなもの頼んでください」

 おなじみのビルの屋上。最後の週ということでにぎわっているビアガーデンの席に着くと、久保田がそんなことを言い出した。

「え、快気祝いって?」

 きょとんとして言い返すと、「自分のことなのに忘れちゃったんですか」と呆れた顔をされた。

「先輩、ちょっと前、体調崩してたでしょ。ランチ断って、おかゆ食べたりしてたし」
「えっ、気づいてたの?」

 だれもなにも言ってこないから、うまく隠せていたと思っていた。気を遣われて仕事量を減らされるのが嫌だから、ちょっと体調が悪いくらいだと平気な顔をするクセがついているのだ。

「そりゃ気づきますよ。先輩ってそういうの隠したいタイプだから、黙っていただけです。本当はみんな、心配してたんですよ」
「そうだったの……」

 気を遣われるのは嫌だけど、心配されたくないわけじゃない。いつもひとりで突っ走ってしまう私だけど、まわりはちゃんと見てくれているんだ。
 会社でもちゃんと、優しい目線に守られているんだってこと、久保田のおかげで気づけた。
「心配してくれてありがと。じゃあ、遠慮なく頼んじゃうわね」

 お揃いのTシャツを着ているスタッフを呼んで、メニュー表を指差して読み上げる。

「まずは生ふたつで。おつまみは、ジャーマンポテトのピザと、スパイシーチキンと……」

 ひととおり注文を終え、スタッフが去っていくと、久保田がおしぼりで手を拭きながら尋ねてきた。

「今日は枝豆、頼まないんですか? この前ブームって言ってたじゃないですか」
「ああ、うん。いいの。本当においしい枝豆を食べちゃったから、ほかのところで頼みたくなくなっちゃって」

 塩見くんの焼き枝豆に勝てる枝豆なんて、ここにはないもんね。
 そう答えると、久保田が興奮しながら身を乗り出してきた。

「ええ~、どこの店ですか! 今度連れてってくださいよ」
「ダメ。そこだけは、秘密」
「ひどい、ズルい」

 すねた口調で騒ぐ久保田をあやしながら、私の心は次の季節に飛んでいた。

 もうすぐ、九月。秋にはおいしい食材がたくさんあるし、塩見くんはどんなおつまみを作ってくれるだろう。

 夏も秋も関係なく、私には一年中楽しみなとっておきイベントがあるんだよって思うと、都会の喧騒に包まれたビアガーデンの景色さえ、キレイに見える気がした。
 よく晴れた日曜日。秋晴れの空に映える真っ白なウエディングドレスを着て、結婚式場の大階段を新郎に手を引かれ下りてくる花嫁――はもちろん、私ではなく学生時代の友達・千鶴だ。

 私はこっち、フラワーシャワーを新郎新婦に投げつけているその他大勢のほう。
 瞳をうるませながら、「千鶴、きれいだね」なんて隣にいる女友達と目配せし合っている脇役。

 今さっき、式場備え付けの教会で誓いの儀式をすませたばかりの友人の顔は幸せそうだ。デコルテのあいた、プリンセスラインの華やかなドレスも花嫁の笑顔の前ではかすむ。

 フラワーシャワーが終わったあと、階段下の広場でブーケトスを行うらしいので、参列者はぞろぞろと大階段を下りていく。ヒールが細いパーティー用パンプスを履いてきたけれど、エスコートしてくれる新郎がいないから気をつけて下りるしかない。ここで転んで階段を転げ落ちようものなら、友達の結婚式を台無しにしてしまう。

 しかし、友達の結婚式には何度か出席しているが、毎回感動して泣いてしまうのはなぜだろうか。教会の誓いのシーンで一回、プロフィールDVDで一回、花嫁の手紙で一回。いつものパターンだとすると、今日もあと二回泣かされることになる。学生時代から知っていて、恋愛がうまくいっていないときもうまくいっているときも愚痴やのろけを聞かされてきた仲間なので、『あの子もついに幸せをつかんだのね』という親心もあるのかしらと思う。
「では、独身の女性は前に出てきてください」

 司会の音頭で、もうすでに子持ちの友人以外は前に進み出る。新婦側の友人にはもちろん知らない人もいるわけだが、ほとんどの人が前に出たことにホッとする。これで独身が数人だったら落ち込むところだ。新郎新婦の親族からも、ちらほらと何人か。

 そして、階段中ほどで待機していた花嫁が後ろ向きになり、ブーケをぽーんと空高く放った。しかしそれは、私たちが集まっている場所からずれた方角へ飛んでいく。

 千鶴ったら、暴投! このままでは誰にも受け取られないまま、ブーケがむなしく地面に落ちてしまう。

 隣にいた友人から「充希、行け!」と肘でつつかれると同時に、私はヒールの靴で駆け出していた。上体を低く落として、地面すれすれのところでブーケをキャッチ。

 その瞬間、「おおー」という歓声とともに拍手が湧き上がった。

 なにが起こったのか察した千鶴も、「充希、さすが! ありがとう!」と声をかけてくれる。私はブーケごと手を振ってそれに応えた。
 式の最中にお礼を言ってもらえて、照れくさくもちょっと誇らしい気持ちだ。

 勇者の凱旋のように友人たちのもとに戻ると、

「私がつつくより先に飛び出してたよね」
「こういうときにやってくれるのはやっぱり充希だよね」

 と褒め称えられ、ますます鼻高々になっていた。ここで目立ったことが、のちのち面倒な事態を引き起こすなんて、露ほども思わずに。
 二次会の会場は、式場の隣にあるレストランだった。バーカウンターがあるオシャレな雰囲気のフロアに、立食形式で軽食が並べてある。集まったのは、新郎友人と新婦友人が二グループずつくらい。遠方から出席した子もいたので、グループの中で二次会まで残ったのは私を含め三人だ。私たちは高校の友人なので、もうひとつの女子グループは小中か大学の友人だろうか。

 食事は披露宴でしっかりおいしいものをいただいたからお腹はすいていないけれど、お酒はセーブしていたので飲みたい気分だ。

 バーカウンターでカクテルを作ってもらい、『お腹はすいていないけど、まあいちおう……』と、ワゴンに軽食を取りに行く。サーモンとクリームチーズのサンドイッチやプチスイーツなど、『ちょっとだけ』のつもりがお皿の上は満席になっていた。

 背の高いテーブルのまわりに集まっている友人たちのもとに戻る。ほかの人たちも、グループごとに固まっていた。こういうとき、誰かが促さないと他のグループに話しに行けないのはよく見る光景だ。新郎新婦はまだ合流していないが、みんなそれぞれ勝手に飲み始めている。
「充希、今日のメイクかわいいね。まつ毛もこれ、よく見ると赤入ってる?」

 グループの中でも特にオシャレな銀行員の祐子が、目ざとくメイクに気づいてくれる。

「ありがと。秋の新色でまとめてみたんだ。マスカラの色も、ドレスにあわせてボルドーにして。一見茶色だけど、光が当たるとボルドーに見えて、さりげなくていいでしょ?」

 ドレスは今日のためにあわてて買いに行った代物だ。二十代前半に買ったドレスが似合わなくなっていたのだから仕方ない。なんとなくショールは羽織りたくなかったので、袖がレースになっているタイプのボルドーのドレスを選んだ。暗めのボルドーだから結婚式でも派手すぎないし、タイトなシルエットで甘すぎず、私好みだ。

 友達のドレスは、サーモンピンクや緑、紺など色とりどり。その子のキャラに合った色を選ぶと誰ともかぶらない、という奇跡が起きている。

「はー、さすが化粧品会社の出世株。私が美容院でやってもらったメイクより、プロっぽい。髪形も自分でやったの?」
「まさか。美容院でやってもらったよ」

 ドレスの雰囲気に合わせて、アップではなく編み下ろしにしてもらった。編み込みが駆使された三つ編みアレンジは、大人かわいくて普段でもマネしたい。
「充希のとこの会社の新色、予約しよっかな。見てたらほしくなっちゃった。よそいきメイクなんてめったにしないけど」

 主婦の京香も会話に入ってくる。お世辞は言わない友人たちに、こんなふうに興味を持ってもらえるのはうれしいことだ。

「えー、うれしい。ほかの色も自信作だからホームページ見てみて!」

 と言いつつ自分のスマホを操作して、新色一覧のページを見せる。このリップ、発色がクリアだから主婦にもオススメだよとセールストークを繰り出していると、祐子がため息をついた。

「充希はほんと、今の仕事が天職だよね。楽しそうでうらやましい」
「祐子のほうは、銀行どうなの? 就職したばかりのころは、けっこう自分に合ってるって言ってたじゃない」
「最近は窓口業務じゃなくて資産運用の営業に回されてさー……。どうも私、営業には向いてなかったみたいで、毎日ストレスがやばい」
「営業かー……。大変って聞くよね」

 塩見くんはソツなくこなしているけれど、化粧品会社の営業と、お金を扱う銀行員ではまた事情も違うのだろう。
「うちも、年子で子ども産んじゃったから、ワンオペ育児で死にそう……。今日はさすがに旦那が面倒みてくれてるけど、ふだんなにもやってくれないから不安だもん」

 私たちの中で一番にゴールインした勝ち組の京香も、いろいろあるようだ。主婦なんてうらやましいと羨望の的だったけれど、「外に出られないとかえってストレス。子どもが保育園に入ったらパートでいいから外に出たい」と言われ、いい面だけじゃないんだなあと暗い気持ちになる。

「ああ~、知りたくないこと聞いちゃった。私、まだ彼氏もいないんだから、結婚生活には夢を持っていたいよ。しかも今日、千鶴の結婚式なのに!」
「充希、ごめんごめん。でも、こういうのは相手によるからさ。充希は大丈夫だよ、結婚しなくても生きていけるくらい、しっかりしてるんだから。それにモテるんだから、選びたい放題でしょ」

 ずきり。褒められているのに、なぜか胸が痛くなる。実はみんなが思っているほどしっかりもしていないし、モテてもいない。恋人なんていらないから、ひとりで生きていく!って割り切れるほど、強くもない。

 思い切って、打ち明けてみようか。実は私が干物女だって知ったとしても、この子たちは付き合い方を変えたりしないだろうし。

「あのさ……」

 小声でそう切り出すが、私の言葉が聞こえなかったらしい祐子が、「まあ」とまとめにかかった。