「塩見くん、これはどうして分けてあるの?」
「実は肉の種類が違うんですよ。あとで答え合わせしますから、どっちも食べてみてください」
二種類のタンドリーチキンとは、面白い趣向だ。
「うーん、じゃあ、こっちのほうから」
タンドリーチキンは、スパイシーな中にもまろやかさがあって、本格的な味だった。インドカレー屋さんのものよりマイルドで、私はこっちのほうが好みかも。
「おいしい! こうやって骨付き肉にかぶりつくと、肉を食べてる特別感があっていいわね」
肉の種類については詳しくないけれど、ふだん食べている鶏の手羽元に近い。ただ、より歯ごたえがあってぷりぷりしている気がする。
「じゃあ次はこっちね」
二種類目のタンドリーチキンは、味付けこそ同じだけど、風味と食感が違った。歯ごたえはないけれど、しっとり柔らかい肉で、味に深みがある。
「先輩は、どっちの肉が好きでした?」
味自体は二番目のほうが濃かったけれど、ぷりっとジューシーな一番目も捨てがたい。どちらを選ぶかと言っても、そのときの気分や料理に合うほうで決まりそう。
「うーん、どっちもおいしくて甲乙つけがたいわ。これはなんの種類のお肉だったの?」
「片方が若鶏で、片方が熟成肉なんです」
「もしかして、歯ごたえのあったほうが若鶏で、柔らかいほうが熟成肉?」
熟成肉はうまみが強くなると聞いたことがある。
「正解です。そもそも、スーパーに並んでいる鶏肉はほとんど若鶏なんですけど。それだと勝負にならないので、同じ地鶏で揃えてみました」
同じ地鶏だけど、食べられる時間までが違うお肉。
「どっちにもよさがあって、どっちもおいしかったわ」
「そうですよね。僕も両方おいしいと思います。生きてきた年月なんて、それだけのことですよね」
「……え?」
塩見くんのセリフが、鶏肉のことだけを指しているのではないように聞こえて、ドキッとする。
「歳を重ねたら、そのぶん別のうまみが出るってことです」
「ああうん、そうよね」
気のせい、だったのかな。やっぱり、鶏肉の話だったのかも。
そのあとは、私はカクテルにチェンジして、残りの料理を味わった。
「おいしかった……。今まで食べたクリスマスディナーの中でいちばんおいしかったかも」
レストランのクリスマスディナーに行ったこともあるけれど、そのときよりもおいしく感じる。ビルから見る夜景も、黒服のボーイもいないけれど、手作り感のあるほっこりしたクリスマスのごはんが落ち着く。
気取ったディナーより、いつもの私たちらしい感じが、今の私には最高のごちそうなのかも。
「そこまで褒めてもらえるなんて、うれしいです。じゃあ最後に、ケーキを食べましょうか」
塩見くんの淹れてくれた紅茶と一緒に、お手製のブッシュ・ド・ノエルを味わう。甘さ控えめに作ってくれていて、風味のいいチョコレートクリームがすうっと舌の上で溶けていく。スポンジもふわふわで、このクオリティのものを一回練習しただけで作れるなんて驚きだ。もちろん、塩見くんの料理技術があるからこそだろうけど。
ケーキが減っていくのと同時に、キャンドルの灯も消えかかっている。
この灯が消えたら、塩見くんに後輩の女の子との関係を尋ねよう。
そう決めてじっとキャンドルを見つめていると、塩見くんが怪訝な顔で尋ねた。
「先輩、どうかしたんですか? 顔がこわばってますけど……」
「あ、ううん。なんでもない。なんか、クリスマスだけどいつも通りだなーって思ってたの。ロマンチックっていうより、落ち着く感じっていうか。あ、ええと、私が相手じゃ、そもそもロマンチックな雰囲気にはならないと思うけど……」
なにを言っているんだ、私は。これだと、塩見くんとロマンチックな雰囲気になりたかったみたいじゃないか。
わたわたと言葉を探しながら言い訳をしていると、
「先輩は、ロマンチックなほうがよかったですか?」
と訊かれた。ふだんの塩見くんとは違う、真剣な顔で。
「う、ううん。いつも通りじゃないと緊張しちゃって、おつまみがおいしく食べられないかもしれないもの。塩見くんが演出してくれたスノードームとキャンドルのほっこりさが、ちょうどいい感じ」
まさに今、いつも通りじゃないあなたに緊張しているのですが。
私には、どうして塩見くんの顔から笑顔が消えたのかわからなかった。
「……そうですか」
じっと、塩見くんが私を見つめる。いつの間にかふたりのお皿からケーキはなくなっていて、キャンドルの灯も消えていた。
「……僕、今日、先輩に伝えたかったことがあるんです」
塩見くんが改まって、姿勢を正す。一段暗くなった照明のせいで、塩見くんの顔の陰影が濃く見える。
「えっ。わ、私もあるの。訊きたいことと、伝えたいこと……」
「そうなんですか? どっちから先に言います?」
「う、うーん。塩見くん、お先にどうぞ……」
もしこれが、『彼女ができたから金曜日の宅飲みはこれが最後で』だったら、私の訊きたいことはなくなるわけで。
「僕、好きなんです」
静かな口調で話し始める塩見くん。私は緊張のせいで、言葉の意味がすぐには入ってこない。
「え……っ?」
好きって、なにが? も、もしかして……。
「先輩がおいしそうに食べる顔が」
「あ、そ、そうなの」
一瞬でも違う可能性を期待した自分が、恥ずかしくなった。
「ほかにも、好きなところはたくさんありますよ。たとえば、そうですね……」
塩見くんはわざとらしく考えるそぶりを見せたあと、途中でつっかえそうなセリフを滔々と語り始める。
「先輩は酔っ払いを背負い投げしちゃうし、男の部屋に部屋着で来ちゃうくらい警戒心がないし、仕事をがんばりすぎて体調を崩すくらい不器用なところもあって放っておけないし、男の影はないと思っていたのにやきもちを焼かせるようなこともさらっと言うし、仕事では自信満々なのに自分のことに関しては自信がないし」
「ちょ、ちょっと待って。私、今、好きなところを挙げられているんだよね? ダメなところじゃなくて」
「そうですよ? 全部、好きなところです」
カアッと顔が熱くなって、やっとわかった。私はずっと、塩見くんに手のひらで転がされていたことに。今日だけじゃなくて、おそらく、最初に出会ったときから。
でもどうして突然、塩見くんはこんなことを言い出したんだろう。
疑問を感じ始めたときには、塩見くんは真剣だった表情をゆるめて私を見ていた。
「もう金曜日だけじゃ我慢できないんです」
「え……。な、なにが?」
塩見くんの瞳に映った間接照明の光が、かすかに揺れた。どうしてそんなに愛しそうな目で私を見つめるのかわからず、困惑したとき……。
「僕と付き合ってくれませんか? 食べもので苦労はさせませんよ」
一語一語言い聞かせるように、丁寧な口調で塩見くんが告げた。
「え……っ?」
私はぽかんとしたまま、塩見くんの言葉の意味を考えていた。
付き合ってほしい? 塩見くんと? それはつまり、塩見くんが私のことを好きってこと?
そんな、まさか。
振られない可能性も、一割くらいはあるかもしれないと望みを持っていたけれど、まさか塩見くんのほうから告白されるなんて思ってもみなかった。
「きっかけはいちごミルクだったけれど、そういう一面を知っていくたびに、好きになっていったんです」
「いちごミルク……?」
社員旅行のときにいちごミルクを買ってもらって、なにか大事なことを忘れているような気がした。
そして夏バテをしたとき、どうしてここまでしてくれるのかと尋ねた私に、塩見くんはこう答えた。『会社の先輩に飲み物をおごってもらったことがきっかけ』だと。
「わ、私、思い出したかも。大事なこと……」
そのふたつが今の今になってやっと、頭の中でつながる。
「私、餃子の日よりも前に、塩見くんに出会ってる……」
震える声でそう伝えると、塩見くんはさびしそうな、でもどこか安心したような微笑みを見せた。
「やっと思い出してくれたんですね」
あれは、一年以上前のこと。
私は新作コスメの企画で初めてリーダーを任されることになって、今までにない仕事量に忙殺されていた。
身体はふらふらだけど頭だけは冴えていて眠れない。熟睡できないから、身体の疲れもなかなか取れない。
そんなときは、自販機コーナーでパックのいちごミルクを買って、併設されているソファで五分だけ仮眠を取るようにしていた。
普通だったら、コーヒーとか栄養ドリンクを飲むところなんだろうけれど、いちごミルクの、子どものころを思い出すような駄菓子っぽい甘さが好きで、飲むと元気になれるからだった。
いつも人のいない時間帯を狙って休んでいたのだけど、その日は違った。
パンプスを脱いで、ソファで丸まるように寝ていた私は目を覚ましたあと、『よしっ』と顔をパンパン叩きながら気合いを入れる。そして残りのいちごミルクを一気に飲み干すのだけれど……。
いちごミルクを勢いよくストローですすりながら何気なく自販機の方向を見ると、驚きながら私を見つめ、立ち尽くしている男性社員の姿があったのだ。
「あのときの男の子が、塩見くんだったのね……」
「はい。先輩はすごく焦っていて、いちごミルクを落としていましたね」
「し、仕方ないじゃない。まさか一部始終を見られているなんて思ってなかったんだから」
確かに、あのときの私は焦っていた。いちごミルクを買っていることも、人知れず気合いを入れていることも、秘密にしておきたかったのだ。
でも、そんなことよりも、その男の子――つまり塩見くんの顔が疲れ切っていることが気になった。以前塩見くんが語ってくれた、仕事で悩んでいた時期がこのときだったんだ。
『疲れた顔してるわね。新入社員の子?』
と尋ねた私に塩見くんはうなずいた。まだスーツを着慣れていない感じがして、なんとなく当たりをつけたのだ。
『いちごミルクなんて柄じゃないんだけど、疲れたときに飲むと不思議と元気が出るの。君も飲んでみる?』
そう言って、私はもうひとつ買ったいちごミルクを塩見くんに手渡した。
『新人くん、もっと力を抜いてがんばれ』と言って。