恋する金曜日のおつまみごはん~心ときめく三色餃子~

 告白の現場を盗み聞きしたり、塩見くんへの気持ちに気づいたり、記憶がなくなるまで酔い潰れたり。いろいろあった社員旅行だったけれど、帰ったらまた仕事をがんばろう。そして次の金曜日には、塩見くんに告白の返事をどうするのか、思い切って聞いてみよう。

 自分の行動を決めるのは、それからでも遅くないはず。こわい決断を先延ばしにしているだけにも、思えなくもないけれど……。

 それでも、そう決めたあとは少し安心して、帰りのバスの中では眠りにつくことができた。

 * * *


 そして、次の金曜日。私は塩見くんの部屋のドアの前で固まっていた。片手にお土産の入ったビニール袋を提げて、空いた手でチャイムを押す格好のまま、指が動かない。

 この五日間、モヤモヤした気持ちを抱えながらも仕事に没頭してきた。何回も、塩見くんへの質問のセリフもシュミレーションしてきた。でも、いざその時が来ると、怯えて身体がすくんでしまう。

 私って、こんなに弱かったっけ。
 塩見くんを好きになってから、知らない自分がどんどん引きずり出されているみたいで、怖くなる。

 ぼうっとしていると、目の前のドアが内側から開き、塩見くんが顔を出した。
「先輩? どうしたんですか? ドアの外で音がしていたのにチャイムが鳴らないから、心配で見に来たんですけど」
「あ、ご、ごめん。メールの返信してた」

 私は喉がからからになりながら、しどろもどろに返事をする。とっさにポケットからスマホを出したところ、見られてないといいけど。

「そうだったんですね。中に入ってからしてくれてよかったのに」

 いつものように、リビングのクッションに座った私を、塩見くんが意外そうな目で見つめる。

「今日、眼鏡じゃないんですね。服もいつもと違うし」

 今日はコンタクトもメイクも落とさないで来た。服もスエットではなく、ゆるめのニットとストレッチパンツという格好で、巻いた髪もハーフアップにアレンジしてある。社員旅行のときとそう変わらない、カジュアルスタイルだ。

「部屋着が洗濯中で……」

 考えてきた言い訳を口にするけど、そんなの嘘に決まってる。
 塩見くんのことが好きだと気づいたら、急に干物女な格好で会うのが恥ずかしくなっちゃった、なんて、言えるわけない。

「ここのところ、天気悪いですもんね。じゃあ、ちゃっちゃとおつまみ作っちゃいますね」
「あ、待って。これ……」

 道の駅のロゴが入ったビニール袋を、塩見くんに渡す。
「これ……。わさび漬けと、しらすと、桜エビ……?」
「塩見くんが好きそうだと思って、買っておいたの。自分用の地酒も買ったけど」

 そう告げると、塩見くんは「まいったな……」と頭をかいた。

「え。苦手なもの入ってた?」

 私があわてると、塩見くんはかぶせるように否定した。

「違うんです。ちょっと待ってくださいね」

 キッチンに向かう塩見くん。冷蔵庫を開ける音がして、戻ってきた彼の手には日本酒が数本、握られていた。

「僕も地酒、先輩が好きだと思って買っておいたんですよ。お土産です、って渡してびっくりさせようと思ったのに、先に同じことされたからまいっちゃいました。しかも地酒、かぶっちゃったし」

 テーブルに置いたそれは、私が自分用のお土産に買ったのとまったく同じラインナップ。こんな偶然にさえ、感激で胸が震えてしまう。

 私が塩見くんのことを考えてお土産を選んでいたあの時、同じ場所で、塩見くんも私のことを考えてくれていたんだってこと。それがなによりも、うれしかった。

「……ううん、うれしい。ありがとう」

 そう告げると、塩見くんはホッとした表情を浮かべた。
「じゃあ今日は、先輩が買ってきてくれたお土産で、おつまみを作りますね」
「は、はーい」

 いつものように待っていても、落ち着かない。キッチンから、料理する音が聞こえてくるけれど、いつものように振り向いて話しかけられない。なんだか首回りだけ鉛になったみたいだ。

 塩見くんが買ってきてくれた地酒をコップに注いで飲んでみたけれど、緊張していて味がわからなかった。

「あれっ、もう一本飲んじゃったんですか。けっこう度数、あったはずですけど」

 おつまみを持ってきた塩見くんが、目を丸くして驚いている。

「う、うん。ほら、ミニボトルだったし、思ったほど入ってなかったから」

 アルコールの味がわからないから水みたいにぐびぐび飲んでしまっただけなんだけど、まずかっただろうか。

「悪酔いしないように気をつけてくださいね。これ、お通しです」

 テーブルの上に置かれた一品目は、薄いお好み焼きのようなものの上に、しらすと桜エビ、刻みネギがたっぷり散らしてあった。

「わあ、おいしそう」
「しらすと桜エビのパリパリ焼きです。とろけるチーズをパリパリになるまで焼いたんですよ」
「えっ、これ、チーズなの?」

 どんな味がするんだろう。チーズせんべいみたいなものだろうか。しげしげと眺めていたら、塩見くんがふふっと笑みを漏らした。
「先輩は、思った通りの反応を返してくれるから作りがいがあります」

 メインのおつまみも、すぐ出てきた。
 まぐろのお刺身とわさび漬けが和えてあって、塩見くんのほうはごはんに載せて丼にしてある。

「まぐろとわさび漬け、合いそうね。丼にしたやつもおいしそう」
「そもそも、まぐろ自体をわさび漬けにする料理もありますからね。合わないわけがないと思って」

 塩見くんも、エプロンを脱いで対面に座る。パリパリ焼きも、わさび漬け和えも、おいしいはずなのにやっぱり味がわからない。

 食欲がないと、『おいしくなかったのだろうか』と塩見くんが気にすると思って、日本酒でおつまみを流し込む。

「先輩、今日ペース早くないですか?」
「そ、そう? おつまみも地酒もおいしいから、つい」

 心配そうな塩見くんを無視してどんどん地酒の瓶を開けていくと、いい感じで酔いが回ってきた。

「はあ~」

 グラスを空にしてテーブルに置くと、「先輩、やっぱりおかしいです。なにかあったんですか?」と塩見くんが詰め寄る。少し、怖い顔をしていた。

「……あったのは、私じゃなくて、塩見くんでしょ」

 するっと、そんなセリフが口から出ていた。
「え?」
「告白されてたじゃない、社員旅行のとき」

 なぜ私はこんなにイライラしているのだろう。塩見くんはなにも悪くないのに。自分が勝手にぐるぐる悩んでいるだけで、それを塩見くんが知らないのは当たり前なのに。

 いつも通り、態度の変わらない塩見くんに当たってしまう。

「見られていたんですか」

 塩見くんの目が丸くなる。その表情から、私に話すつもりはなかったんだと気づいて、胸がズキンと痛む。

「そりゃあ、あんな目立つところにいたら……。それで、どうするの? 付き合うの?」

 聞き耳を立てていたことの言い訳をするのが気まずくて、ぶっきらぼうな口調になる。

「先輩、気にしてくれていたんですね」

 からかうような笑みを浮かべられて、ぼっと顔が熱を帯びる。

「そ、そんなことないわよ。ただ、彼女ができたら毎週宅飲みするわけにはいかないと思って……」
「そんなこと考えていたんですか。心配しなくていいのに」

 それは、どっちの意味? 酔っぱらった頭じゃ冷静になれない。

「あの子、女の子らしくてかわいかったじゃない。いいわよね、若い人は。私なんてアラサーだし、そんな浮いた話もないし」

 動揺しているのを悟られたくなくて、ぺらぺらと口が動く。ああ、こんなことが言いたかったんじゃないのに。私のバカ。

 泣きたい気持ちになっていると、塩見くんがふと真顔になってテーブルから身を乗り出した。

「――え」

 驚いて、身動きできずにいる間に、塩見くんの腕が伸びてくる。そして、唇の端に塩見くんの指が触れて、離れた。
「な、なに!?」
「ついてましたよ、わさび漬け」

 指についたわさび漬けを見せつける塩見くんは、にっこりと悪魔のような微笑みを浮かべていた。

「そ、そ、それなら口で言ってよ!」

 思わず大きな声が出てしまう。きっと顏は真っ赤になっているだろうけれど、もう隠せない。
 まったく動じずに微笑んでいる塩見くんは、私が動揺するのがわかっていて、からかっているのでは?

 海老沢くんの言っていた『腹黒』『手のひらで転がされる』という言葉が頭をかけめぐる。
 今、まさに転がされている最中だと思うんだけど、これはどう受け止めたらいいのだろう。

「こんなに抜けているのに、自分を年上扱いするんだもんなあ」
「そ、そういう塩見くんだって、さっきから全然、後輩らしくないじゃない!」
「あ、バレてました?」

 ちらちらと見え隠れする『黒塩見』に、心臓が今までとは違う音をたてる。

 結局塩見くんは、告白の返事についてははっきり教えてくれなかった。

 だんだんと塩見くんの素の性格も見えてきたけれど、彼は私のことをどう思っているのだろう。ただの憧れの先輩なのだろうか。素を見せるくらいには、気を許してくれているってことなのだろうか。
 私が年上なことは、どう思っているのだろう――。

 今まで気にならなかったいろんなことが頭の中を飛び交い始める。
 久しぶりの恋はアラサー干物女には難しすぎて、これからの金曜日のことを考えると、日本酒の海に溺れたくなってきた。
 十二月になったとたん、世間の関心がクリスマス一色になるのはいかがなものか。テレビをつけるとイルミネーションの紹介、雑誌でもクリスマスデートコーデやら勝負メイクやらの特集ばかりになる。

 もとは宗教行事なのに、なぜ日本では恋人同士のイベントになったのか理解に苦しむ。毎年『クリスチャンでもないのにここまで騒がなくても……』とげんなりするけれど、それがおひとりさまの妬みだということはわかっている。私だって彼氏がいたら、イベントに全力で乗っかるに決まっている。

 まあ、クリスマスが盛り上がってくれていいこともある。そのひとつが、クリスマスコフレが売れることだ。メイクのコフレセットなんていつ出してもいいはずなのに、どこのブランドもこぞってクリスマスに出すということは、この時期が一番メイクに対する関心が高まるとわかっているからだろう。

 そして今日、十二月一日は、わが社のクリスマスコフレの発売日でもある。もちろん、私の企画したミニリップとグロスのコフレもラインナップに入っている。他は、アイシャドウとマスカラ、アイライナーをセットにしたアイメイクコフレと、ファンデーションと下地、フェイスパウダーがセットになったベースメイクコフレだ。どれもパッケージが限定のキラキラしたデザインになっていて、オリジナルのポーチがつく。

 この、持ち歩くだけで女子力が上がった気持ちになるデザインも、クリスマスコフレが女子に愛されている理由だと思う。
「先輩、今日は一段と仕事に熱が入ってますね」

 パソコンと真剣な顔でにらめっこしていたら、隣の席から久保田の声が飛んできた。

「コフレの発売日だからね。今日の仕事終わらせたら、早めに帰らせてほしいって部長にお願いしてるの。百貨店に市場調査に行きたくて」

 私は、画面から目を逸らさずに答える。
 いくら私たちがコフレを企画して発売させても、実際に売っているのはコスメカウンターだ。会社の箱の中にいては、お客さまの生の反応がわからない。

「発売日当日の現場、チェックしたいですよねー。どこの百貨店ですか?」
「銀座に行く予定。顔なじみの美容部員さんもいるし」
「いいなあ。私も帰りに寄ってみようかな。お店、閉まっちゃうかもしれないけど。そのときは明日、報告してくださいね!」

 自分が企画したコフレがどんなふうに売れているのか知りたい。ちゃんとお客さまに喜んでもらえているのかも。いいものを作れた自信があると言っても、やはり不安なのだ。

「もちろん。しっかりチェックしてくるわ」
「よろしくですー」