深い山。見渡す限りに木々が乱立しており、足元の道も雑草が生い茂っている。あまり人が立ち入らないことが(うかが)える獣道は、自分以外に歩く者はいなかった。
 耳をすますと川のせせらぎが聞こえるため遭難しても生き延びる術はありそうだが、ふもとの人里は高齢化と過疎化が進んだ農村集落なので、助けを呼んでも気付いてくれる可能性は低いだろう。
 こんなところに、よく宿を建てたもんだ。
 観光地も名産もない関東の外れ。鞄一つでこの地にやってきた俺は、鬱蒼(うっそう)とした山を眺めながら眉を寄せた。

 《狐魄荘(こはくそう)

 やがて、中腹まで来ると一軒の古い宿が視界に入った。古民家のような外観は木造の壁が目立ち、看板にも年季が入っている。
 玄関は引き戸であり、のれんを潜るとなんとも言えない懐かしい匂いが鼻をかすめた。
 うーん、これは田舎のおばあちゃんの家の匂いだな。
 線香のような古着のような…とにかく言い表しづらいが、ついに辿り着いたという感覚に包まれた。