強力なモンスターとの戦いで最後の一撃。それは自分の身をも滅ぼしてしまうほどの強力な魔術を使った攻撃だった。僕の意識はそこで途切れてしまった。そして、気がつくと僕はこの世界にいた。家のベッドで、寝ていた。

「マナブ。」
みんなは僕のことをそう呼ぶ。どうやら僕はマナブという名前らしい。とっさに僕が違う存在へと転生したことに勘付いた僕は、周りの反応になんとか合わせることに成功する。

 暖かい家庭、母さんの料理、友達との何気ない会話。その全てが僕にとっては新鮮だった。なんせ、向こうの世界では戦いに明け暮れていたから。目の前の敵を倒す。仲間の命を守る。それ以外のことを考えたことはなかった。だから、こんな生活を送れる世界があるなんて、僕には夢にも思わなかったのだ。
 しかし、頬をつねっても僕はこの世界に存在している。これは間違いなく転生だろう。そう、思っていた。

「レオナルド。レオナルド。」
突然頭の中で声が響いたのは、つい1時間前のことだ。そろそろ寝ようとベッドで横になり目を閉じた時、その声は突然聞こえた。聞き覚えのない声。
「誰だ?」
僕は頭の声に尋ねる。
「この世界と、きみのいた世界を繋ぐ存在だ。君たちのいう、神に限りなく近い存在と言っておこう。」
「神、か。僕はそんなもの信じていない。」
その声を無視して、僕は再び寝ようとした。僕の目の前で、かつてたくさんの命が一瞬で消えて行った。なんの罪もない人たち、この世界のような日常を過ごすことなど決して叶わなかった。毎日怯えながら、多くの人々がいなくなったのだ。神なんて、いるはずがない。僕はずっとそう思って生きていた。
「信じる信じないは自由だ。この世は時に理不尽。他人が犯した罪を、自分がかぶることだってあるのだ。それはそうと、レオナルド。きみに伝えなければならないことがある。」
煩わしいが、目を開けて答える。
「僕は今、マナブだ。レオナルドは前世での名。僕は転生して……。」
「それが、手違いだったのだ。何が起きたのかはわからない。きみが一瞬意識を失ったとき、マナブの意識ときみがなぜかリンクした。何が繋がりを作ったのかはわからないが、マナブときみが入れ替わってしまったのだよ。」
僕は、彼の言ったことが飲み込めずにいた。たしかに、僕は最後の一撃とともに意識を失った。僕は死んだのだとばかり思っていたが、仮に意識を失っただけだったとしよう。それが、こちらの世界とリンクしたなんてことがありえるのか?
「意味がわからない。そんなことありえるのか? 僕は死んでいなかったというのか?」
「こちらにも何が起きたのかは、わからない。調査中だ。だが、君は死んでいない。それはたしかだよ。」
「あ、僕とバディを組んでいたエリンは? 彼女は大丈夫なのか?」
「私の担当は君一人だ。他の状況について共有することは許されていない。」
この堅物が。僕はそう言ってしまいそうなのを必死でこらえた。まあ、術を放った本人が死んでいないのなら彼女もきっと無事だろう。
「とにかく僕は、この世界を満喫しているところだ。元の世界には、戻りたくない。」
僕は、記憶のなかで初めてわがままを言った。もう、自分の好きなように生きる。僕は心に誓っていたのだ。
「そうは言ってもレオナルド、きみたちを元の世界に戻さねば二つの世界の均衡が崩れてしまうのだ。」
「マナブは今、どうしているんだ?」
僕はマナブのことが、少し気になった。神々の事情なら知ったことかと思うけれど、マナブがもしも苦しんでいるのならば、元の世界に戻る必要もあるかもしれないと感じたのだ。
「マナブは、きみと同様で元の世界に戻ることを望んでいなかった。困ったものだ。君たちの意思がないと、戻ってもらうことができないのだよ。」
神は苦しそうだった。僕は少し、申し訳なくなってきた。

「世界の均衡が崩れたら、どうなってしまうんだ?」
「二つの世界が交わってしまうのだ。すなわち、住人が行き来できるようになってしまうのだよ。」
「それなら、良いじゃないか。僕もマナブに会えるわけだし。」
はあ、とため息が聞こえてくる。
「きみが倒したボス。あれが、きみの今いる世界に飛んできたらどうなる? 向こうの世界では、人々がモンスターという存在になれていた。しかし、きみの今いる世界ではパニックが起こるだろう。モンスターを倒すことのできる者も、モンスター用の武器もない。つまり、終わりだ。」
思わず納得しそうになったが、僕はあることに気づく。
「それなら、今の状態だっておかしいじゃないか。均衡が保たれているなんていえるのか? 元いた世界では、モンスターがうようよいて安心した暮らしもできなかった。それに引き換え、こちらの世界ではモンスターなんて存在していない。街中で武器をみかけたことすらない。こんなの不平等じゃないか。」
ふつふつと怒りが湧き上げてきて、僕はどうにかなりそうだった。

「きみには、そうみえていたのか。」
まるで、僕のことをおもしろがっているかのようだった。
「なにが言いたい?」
「マナブも同じことを言っていたよ。」
「え?」
「レオナルドの世界は平和だと。」
信じられない。
「モンスターが暴れまわっていたあの世界がか?」
「ああ。レオナルドのいた世界では、モンスターが人間の敵だった。だが、マナブのいた世界では、人間の敵もまた人間なのだと。」
「マナブの世界では、人間がモンスターみたいな存在だと言いたいのか?」
僕は半信半疑だった。僕は、まだそんな場面に出くわしたことがない。
「レオナルド、きみはまだ1日しか時間を過ごしていない。だからわからないんだよ。その世界の醜さが。」
呆れているような口ぶりだった。僕はまだ信じられなかった。マナブの世界は平和で過ごしやすい素敵なところだと思っていたから。

「だけど、僕のいた世界では、皆夜は震えて過ごしていた。いつ、モンスターが現れるかわからないからね。マナブの世界では、そんなことないだろう?」
「それも違う。マナブだってここ最近、ろくに睡眠をとれていなかったらしいよ。まあ良い。あと3日もたてば、きみも帰りたいと思うはずだよ。その間に君たちの心に変化が起こることを楽しみに待っているよ。」
神は、そういうと僕の頭から消え去った。

 さっきまでのことはまるで夢だったのではないか、そんなふうに思えてくる。僕は気がつくと、眠りについていた。
翌朝、目覚めると朝食が用意してあった。
「今日は、お母さん特製のフレンチトーストよ。」
母さんが嬉しそうに朝食を出してくれる。
「今日もマナブは元気そうね。最近元気がなかったから心配していたのだけれど、母さん安心したわ。」
母さんは満足そうに僕の顔をみていた。
「そうなのかな。」
僕は、本物のマナブのことが心配になってきた。もし神の言っていたことが本当だったとして、マナブが一週間後にこちらの世界へ戻ってきたら、彼はうまくやっていけるのだろうか。マナブはなにに悩んでいたのだろうか。
「うん、てっきりコウタくんに嫌がらせでも……。」
お母さん、と妹のカナエに言われて母が口をつぐむ。
「まあ、マナブが元気ならそれで母さんは嬉しいわ。」
「ありがと。」
僕は事情がわからず、そう言うしかなかった。コウタというのは、マナブのクラスメートである。昨日も学校で僕に話しかけてきた。彼がマナブにいやがらせなんて。

「そろそろ、時間じゃない? 準備しないと。」
そう言われて初めて気づいた。もう、学校に行かなくてはならない時間になっていた。僕は急いで自分の部屋に戻り、準備をする。
「あれ、今日はカナエ一緒に行かないの?」
「なんでお兄ちゃんと毎日一緒に登校しないといけないのよ。昨日はお兄ちゃんがどうしてもっていうから行ってあげただけよ。」
カナエは怒っているようだった。
「ごめんよ。それならいいよ。」
まあ道も覚えたし。そう思って家を出ようとすると、カナエも玄関にやってきた。
「私もちょうど行くとこだから。」
なんだかんだ優しい子だな。

「お兄ちゃん、本当に大丈夫なの?」
カナエが心配そうに聞いてきた。
「大丈夫って、コウタのこと?」
「そうよ。最近変なんだって前に言ってたじゃない。お母さんの前でははぐらかしたけどさ。」
「ありがとな。でも大丈夫だ。」
マナブの悩みの種を明かすチャンスだとも思ったが、カナエをこれ以上心配させるわけにはいかない。
「無理はしないでね。」

 学校に着くと、おはようと皆に挨拶をする。コウタも、返してくれる。小さい声でも返してくれるじゃないか。
「あのさ、お前俺のトークブロックした?」
コウタが話しかけてきた。
「トーク? なんのこと?」
「え。既読がついていなかったから。じゃあ違うのか……。まあいい。」
「トークってなんだよ……。」
僕の質問にコウタが答えてくれる気配はなかったので、そのまま席についた。トーク? ブロック? 一体、何のことだろう。家に帰ったらカナエにでも聞いてみるか。僕はマナブの席についた。
「マナブくん、ちょっといい?」
顔をあげると、かわいらしい女の子がこちらを見ていた。たしか野口ミワさんだっけ? 僕はなんて呼んでいたんだろう。向こうがマナブくん、と呼んでくるということは……と頭を回転させていると野口さんがいぶかしげな顔でこっちを見ていた。
「ああ、ごめんごめん。いいよ。どうしたの?」
「今日の放課後、時間あるかな?」
「え、今日の放課後?」
昨日は一人で帰ったし、特に予定があるわけでもない。マナブは部活動をしているわけでもなければ、習い事をしているわけでもなく暇人なのだ。でも、野口さんとふたりでなんてどういう状況だろう。僕のことを疑っているのだろうか。
「嫌なの?」
野口さんは少し悲しそうだった。
「いや、違うんだ。僕でよければ。」
僕の口はとっさにそう動いていた。とんだことになったものだ。なにはともあれ、行ってみないと理由もわからないじゃないか。僕は自分に言い聞かす。
「じゃあ、放課後。」
野口さんはそう言い残すと、すたすたと自分の席へ帰っていった。僕がふと周りを見渡すと、クラスメイトがみなこちらを向いていた。そうか、野口さんは人気があるから注目されているのかもしれない。これはマナブにとって良いことなのか、悪いことなのか……。また、一つ悩みの種が増えてしまった。
放課後、野口さんは言っていた通り僕の席へ来た。
「じゃあ、いこうか。」
彼女はそういうと、僕の前を歩いていく。彼女と歩いていると、あちこちから視線を感じる。
「マナブくん、どうしたの?」
「いや、きみって人気なんだなって思って。」
野口さんは少し顔を赤らめてしまった。
「ごめん、なんか悪いこと言ったかな。」
僕は、申し訳なく思った。
「ううん、あなたにそんな風に見てもらうのが初めてだったから。」
え、どういう意味だろう。僕は、ますます混乱してしまった。

「じゃあ、ここのカフェに入りましょう。」
野口さんに連れてこられた場所は、少しはずれたところにあるこじんまりとしたカフェだった。静かでお客さんもあまりいない。
「ああ、そうだね。」
僕はなにもかもが初めてで、どぎまぎしていた。これは、まるでデートみたいじゃないか。野口さんは、店員さんに人数を伝えるとこなれたように、奥まった座席に腰かけた。注文は……。メニューがたくさんあってよくわからない。こちらの世界の飲み物はまだ、あまり口にしたことがないものばかりだった。
「どれが、おいしいかな。」
僕は野口さんに頼ることにした。
「じゃあ、カフェラテふたつで。」

「それで、今日マナブくんをここに呼び出した理由なんだけど。」
彼女は、急に真剣なまなざしになった。店員さんが飲み物を持ってきて、慌てたように口を閉じた彼女は、再び話しだす。
「その、私あなたの正体を知っているの。」
僕は、思わずえっと声を漏らしてしまった。まずい、ここはしらばっくれないといけない場面かもしれないのに。
「正体というのはつまり……。」
「そのつまりよ。私もあなたと同じだから。」
彼女は僕の顔をじっと見つめる。お、同じ……。つまり彼女も異世界からきたということになるのだろうか。でも、昨日僕が話をした神とやらはそんなこと一言も言っていなかった。もしも彼女が別の話をしているのだとしたら、こんな話をするわけにはいかない。マナブの頭がおかしくなったと思われる危険があるのだから。
「僕は、少し慎重になる必要があるから許してくれ。確かめさせてほしい。」
彼女は小さくうなずく。
「まず、君はなぜ僕の秘密を知っているの?」
「昨晩、頭のなかで声が響いたの。その声の主に問いただしたら、教えてくれたわ。」
同じだ。僕とまったく同じ状況だ。
「僕のことを問いただしたということは、君は向こうの世界においても僕のことを知っている人間だということだよね?」
「そうよ。私のこと、誰だかわからない?」
彼女は少し暗い顔になった。

 いや、僕と同じように異世界からきたものがいたのだとしたら、僕と同じ状況下にいた人間ということになる。だとしたら、思いつくのはひとりしかいない。
「もしかして、エリンなのか?」
僕は嬉しさに声が上ずった。
「そう、エリンよ。」
彼女も頬をほころばせた。僕は嬉しかった。彼女が本当に生きていたと知ることができて。
「君のところにきたやつは、僕の無事を知らせてくれたんだね。僕の担当のやつは、君のことは教えられないって言ってきたんだよ。」
僕は肩をすくめてみせた。
「堅物なのね、その人。」
彼女が僕の思っていたことを口にしてくれたものだから、僕は思わず笑ってしまった。
「あなたの笑った顔なんて、初めてみたわ。」
彼女は僕以上に笑っていた。そうだな、僕は向こうの世界にいる間、ろくに笑顔をみせたことはなかった気がする。彼女とこんな他愛のない話をしたのも初めてかもしれない。バディ募集で街を歩いているとき声をかけてくれた彼女に対して、僕は戦術の話しかしたことがなかった。バディだって、今回のモンスターを倒すための臨時なものにする予定だった。僕は、本当に人との関わりを避けてきたのだ。


「それはそうと、あなた向こうの世界に帰ることを拒んでいるって聞いたのだけど。」
彼女は腕を組んでみせた。僕は焦って、目の前のカフェラテをぐいっと飲む。……苦い。こんな苦い飲み物は初めて飲んだ。うっ。僕が顔をしかめていると、彼女は笑って近くの小瓶から白い粒を取り出して僕のカップに入れた。
「混ぜて飲んでみて。」
彼女に言われた通り飲んでみる。
「おいしい。なんで君はこんなにこの世界のことを熟知しているの?」
「初日に調べまくったのよ。まあ、その方法はあとで教えるわ。あなたはまだわかっていないみたいだから。」
彼女は再び笑顔をみせた。
「ああ、帰ることを拒んでいるって話か。それも聞いたの?」
「うん、向こうの世界に帰るには問題があると聞いて、問いただしたらあなたの名前が出てきたの。」
僕が帰らないことで、彼女まで巻き込んでしまっているのか。僕は、ことの重大さをようやく理解した。彼女を巻き添えにするわけにはいかない。
「つまり、僕が帰らないときみも帰ることができないんだね。ごめん、僕帰るよ。」
向こうの世界には帰りたくないけれど、彼女まで巻き込むわけにはいかない。
「うーんと、その感じだときっと帰ることはできないわ。」
「え、というと?」
「その様子だと、聞いていないのね。」
彼女はため息をついた。聞いていない……、何の話だろう。
「あなたが帰りたいと本当に思わないと、元の世界には帰れないのよ。」
そんな話は聞いていない。いや、彼も意志がないと帰れないとは言っていたが、そこまでの説明はしていなかった。まったくあいつは……。
「そんなことがあったのか。あいつは、3日も経てば向こうの世界に戻りたくなるだろうって言っていたけど。」
「戻りたくなるだろう、というよりそれがリミットなのよ。」
「リミット?」
「それ以上時間が経過してしまえば、私たちの存在によってふたつの世界の均衡が崩れてしまう。だから、それまでに何とかしないと。」
そんなに期限が迫っていたとは。だが、本音をいえばこのままが良い。どうしたら、元の世界に戻りたいと思えるのだろう。僕は頭を抱えてしまった。
「どうして、そんなに戻りたくないの?」
彼女は不思議そうに聞いてきた。
「僕の方こそとても不思議だ。どうして君はあの世界に戻りたいの? モンスターにおびえて多くの人の命が奪われる世界に。」
「あなたは、他人の命に対して責任を感じすぎているのよ。たしかに私たちは剣をとり、戦っていた。みんなのことを救おうとして、救えないときもあった。自分のことが情けなく思えたこともあった。けれど、下を向いたままでは進んでいけない。私はその人たちの分まで毎日を楽しみたいと思って生きているわ。」
僕はその言葉を飲み込み切れずにいた。救えなかった命があるのに、人生を楽しむことなんて考えられない。彼女はそんな僕の様子をみて、そのまま話を続けた。
「それにね、あの世界にも、日々の幸せは存在していた。小さなことに幸せを感じる気持ちは、向こうの世界の住人のほうが大きかったわ。私は向こうの世界で、毎日幸せだった。」
小さな幸せがあったなんて、僕には信じがたかった。彼女は本当に僕と同じ世界から来た人間なのか、と疑ってしまうほどに。だけど、思い返してみる。記憶のなかの彼女はいつも笑っていた。僕の頭はいつも、モンスター退治で埋め尽くされていて彼女のことなんてみていなかったけれど。

「でも、本当は私、あなたが幸せならそれで良いかとも思っているの。こんな気持ち、良くないってわかっているんだけどね。」
彼女はにっこりと微笑んだ。心がじんわり温まる感覚があった。僕が幸せなら、か。
「とりあえず、私はあなたの”今”を支える手伝いをするわ。」
彼女はカバンから、何か薄い板のようなものを取り出した。そういえば、街行く人や家族が使っているのをみた。僕のカバンのなかにも入っているけれど、僕は使い方がわからずに放置していた。僕も同じようにそれをテーブルにおいた。
「それは?」
「やっぱり知らなかったのね。今朝のコウタくんとあなたの会話をきいてそうだと思っていたけど。この世界を生き抜くには必須のアイテムよ。」
今朝のコウタとの会話、そうか。彼のトークとかブロックという言葉は、この板のようなものに関係していたのか。靄が晴れたように、頭がすっきりとした。
「嬉しそうね。これはスマホっていうの、覚えておいて。スマホを使うと、この場にいない人とも会話をしたり、風景が共有できたり、とにかくなんでもできるのよ。」
彼女はそういうと、スマホについている丸いものを僕に向けてカシャッと音を立てた。画面をみせてくる。
「ほら、こうして思い出も残すことができるのよ。」
画面には、驚いた顔をしたマナブの顔がうつっていた。ふふっと彼女が笑う。すごいな、こんなものがあるのか。なにもかも新鮮なことばかりで驚いていたが、このスマホは特段素晴らしいものであると感じた。
「それで、コウタの言っていたことの意味がきみにはわかるの?」
「ええ、貸してみて。」
マナブのスマホを彼女に渡した。彼女は僕に画面をみせながら、説明してくれる。
「まずは、画面をおしたまま指を横にスライドさせるの。こんな風に。」
彼女が指を動かすと、スマホの画面が変わる。
「コウタくんの言っていたトークっていうのは、これのことよ。」
緑のマークを指さして言った。彼女がそのマークを押すと、いろんな人の名前と文章がでてきた。
「この”トーク”を使えば、いろんな人とコミュニケーションがとれるの。それで……。」
画面をみていた彼女は、口を止めてしまった。これって……。彼女の言葉につられて、僕も画面を覗いてみる。これは。コウタのトークに、お前なんて消えちまえ、と書いてあった。
「なにこれ、ひどすぎる……。」
彼女は怒りを抑えきれない様子であった。
「そうだね。マナブは何か最近悩み事を抱えていたらしい。コウタのことだと薄々気づいてはいたけれど、ここまでひどかったとは……。」
コウタのトークを押してみると、暴言の数々が並べられていた。嫌いだ、ばかやろう、存在価値がない、などなど。毎日送られるそのメッセージに、マナブは反応していなかった。彼女はいつの間にか、目に涙をためていた。
「マナブくんもこの世界に戻るのを嫌がっていると聞いたけれど、その理由は明らかよね。」
彼女のいう通り、これが原因であると考えて間違いはないだろう。マナブがこっちの世界に戻りたいなんて思う日は、来るのだろうか。
「学校では仲良くしてくれているのにね。」
「いや、仲良くはないけどあからさまないやがらせはしてこないわね。」
学校での挨拶やちょっとした会話は、仲良くしてくれているに入らないのか。僕は少しショックを受けた。
「マナブはきっと、この問題をひとりで抱えていたんだ。一週間後に彼が戻ってきてくれるとして、この問題を解決しなければ彼はきっと……。」
「そうね。マナブくんのことは、野口ミワさんも心配していたようよ。彼女は、日記をつけていたのだけれど、2カ月前くらいからふたりの仲が急に悪くなってしまったと言っていたわ。」
2カ月前、ということはそれまで二人は仲良くしていたということになるのだろうか。
「私、ひとつ不思議に思っていることがあるの。」
「なんだい。」
「どうして、マナブくんはコウタくんのことをブロックしないんだろうって。」
ブロックか。コウタも言っていたな。俺のことをブロックしたのかって。彼女は、僕がブロックについて理解していないのを悟ると説明を加えた。
「ブロックというのはね、相手のトークを拒否することができる機能のことよ。この機能を使えば、コウタくんは暴言をマナブくんに送ることができなくなるのよ。」
なるほど、ブロックという機能を使えば嫌な暴言をみなくて済むというわけか。それなのに、マナブはその機能を使わずにコウタの言葉をわざわざ確認していたわけか。
「どうしてブロックしないんだろう。」
僕にもその理由はよくわからなかった。
「コウタくんには嫌われたくないと思っているとか。」
「もう嫌われているから、こんなことを言われているんじゃないか?」
「そう思うのが普通だけど、自分の発する言葉がすべて自分の本心からくるものだとは限らないじゃない。」
それはそうだけど……。僕にはマナブのことがわからなかった。自分のことを傷つけてくるやつに、仕返しすることもなければ拒否することもしない。黙って攻撃を受け続けているだけだなんて。
「まあ、少しあなたも探ってみて。」
僕はうなずく。いつの間にか、目の前のカフェラテはすっかりなくなってしまった。
「これ本当においしかったよ。」
彼女はその言葉に照れたように、肩をすくめる。
「そろそろ帰りましょうか。」
店を出ると、夕方になっていた。
「あ、きみに連絡をとるにはどうしたら良いの。きみのトークを教えてよ。」
「もう登録してあるはずよ。あとでみといて。」
前から彼女とトークのやり取りをしていたというのか。僕はうなずいた。彼女とはカフェの前から少し歩いた道で、別れなければならなかった。じゃあ、と言って手を振る。明日も会える、だけど学校ではこんな風には喋らないんだろうと思うとどこかさみしく感じた。
「彼女って、あんな子だったんだな。」
気づくと独り言を言っていた。自分らしくない。

 家に着くと、すぐにカナエと母が玄関までやってきた。
「今日遅かったわね。」
「ちょっと寄り道してて。」
ふたりは驚いた顔を見合わせた。
「やらないといけないことがあってね。」
僕は慌てて言い訳を考えたが、ちょうど良いのが思いつかず適当にごまかしてしまった。
「ふーん。まあ夕飯を食べるときはちゃんと連絡しなさいね。」
二人は納得したかのようにみえたが、夕飯を食べるときもずっとこちらを物珍しそうにみていた。マナブが寄り道するのはそんなに珍しいことなのだろうか。

 僕は、部屋に戻るとスマホをいじってみることにした。コウタからは相変わらず暴言トークが飛んできている。いくらなんでも、こんなのばかり受けていたら気がめいってしまうじゃないか。
 ピコん、と音がして新しいトークが飛んできた。野口さんからだ。エリン、というべきだろうか。明日も放課後集合ね、と。なんだか嬉しくなってしまう。僕はにやけたまま、そうだね、とだけ返しておいた。これじゃあ素っけなさすぎただろうか。いや、気にしすぎだろう。野口さんとのトークを遡ってみてみる。マナブと野口さんは何を話していたんだろうか、と。少し申し訳のない気もしたが、今の自分はマナブだからと言い訳をする。トーク内容は、宿題の話や学校の実務的な話ばかりだった。それも野口さんがいつも質問をして、マナブが素っけのない返信をするくらいのものだ。なんだ、と僕はため息をつく。マナブは野口さんのことが好きなわけではないのか。
 いや、でも僕だってさっきは素っけのない返事をしたじゃないか。いやいや、そんなことを考えると僕がまるでエリンのことが好きみたいじゃないか。
「なんだか楽しそうだな。」
頭のなかで声がする。
「ちょっとお前、僕の頭のなかで考えていることも全部わかってしまうのか?」
「私が知りたいときにはな。それはそうとレオナルド、君は今日私のことを悪く言っていたじゃないか。あれは傷ついた……。」
カフェでの会話のことか。
「僕は間違ったことは言っていない。彼女の存在くらい教えてくれたって良かったじゃないか。それに、リミットのことも。」
「規則では担当する者のこと以外は話してはならないことになっているんだよ……。」
神は不服そうだった。
「リミットのことはだな、言わない方が良いと判断したんだよ。言わない方が自然と気持ちが向いていくんじゃないかって。」
頭のなかでもごもごと話している。
「もういいよ。僕は考えなくちゃならないことがたくさんある。用事がないなら、どこかへ行っててよ。」
「まあ、一言言いたかったから別にいいんだけどね。でも、リミットのことは頭においておいてね。」
僕はうん、とから返事をした。

 早くスマホが見たかったのだ。コウタとの会話。コウタとの過去に何があったのか。なぜマナブはコウタのことをブロックしないのか。コウタとのトークを遡っていく。遡って遡って、まずは……見つけた。コウタが急に冷たい態度を取り始めた頃の会話。特に前兆はみられない。
「やはり、急だったんだ……。」
僕はそのままトークを遡りマナブとコウタについて考えを巡らせつづけた。気づけば、朝になっていた。
「マナブ、そろそろ起きないと遅刻するわよ。」
その声を合図にベッドから起き上がる。一睡もできなかった。だけど、なんとなくわかった気がする。ふたりの関係性、マナブがどんなやつでなにを考えていたのか。
「まだ起きてないの?」
母さんがまた僕の部屋の扉を叩いた。
「あ、ごめんごめん。今からいくよ。」
僕は階段をおりて朝食を食べる。カナエはもうすでに起きて朝食を食べ終えていた。僕が食べ終わったころには、もうとっくに準備ができていたはずなのに玄関で僕のことを待っている。かわいい妹だ。
「別に、お兄ちゃんのことをまっていたわけじゃないの。私は朝ゆっくりしたいタイプだからね。」
カナエは靴を履きながらそんなことを言ってくる。
「わかったわかった。ありがとうな。」
カナエの頭を叩くと、もうそんな歳じゃないんだからと拗ねた顔をする。

「お兄ちゃん、コウタくんと仲直りでもしたの?」
「え? 特に何にもなかったけど。」
僕は不思議そうにカナエの顔をみた。カナエは残念そうに、下を向いた。
「そうなんだ……。お兄ちゃん昨日帰ってからすっかり元気だから、仲直りでもしたのかと思ったよ……。」
昨日から、ってそんな元気にみえたのか僕。
「いや、でもコウタのことは大丈夫だよ。何とかなる。カナエは心配すんな。」
「お兄ちゃん、そうやっていつも他人のことをかばうんだから。昔からそう。私が悪いのに、お兄ちゃん自分が悪いんだって謝るの。でもね、そんなんじゃお兄ちゃんが傷ついちゃうんだよ。」
カナエがあまりに必死な顔をしているものだから、思わず笑ってしまった。
「お兄ちゃん、おかしくなんかないって。」
カナエは怒ってしまった。ごめんごめん、と謝ったがもういい、と言って学校まですたすたと先に歩いて行ってしまった。
「悪いことしたなあ。帰ったら謝らないと。」
ドン、と後ろからだれかに背中を押された。
「うわ。」
振り向くと、エリン、いや野口さんがそこにいた。
「おはよ、マナブくん。ねえさっきの子って誰なの?」
「さっきの子? ああ、妹のカナエだよ。」
それを聞くと、野口さんは笑顔になった。本当に良く笑う子だ。
「なんだ、よかった。妹ちゃんもいるのね。」
「ああ、そうそう。コウタとのことで話したいことがあったんだよ。」
「話したいこと?」
「うん、マナブがコウタをブロックしない理由がわかったというか。」
「え、そうなの?」
目をパチクリさせながら、聞いてくる。けれど、もう教室の目の前に来ていた。
「まあ、続きは後でいうよ。」
僕はそう言って、野口さんに手を振り自分の席へ向かった。おはよう、とみんなに声をかける。彼女と教室に入ったからだろうか、あちらこちらから食い入るような視線を感じる。それでも、飛び切り視線を感じるのはコウタからだ。僕がコウタの方を見ると、慌てて目をそらした。

 そういえば……。昨日のコウタとのトークを遡っていて、野口さんのことが話題に上がっていた。クラスで一番誰が良いか、という話題でマナブが挙げていたのが野口さんだったのだ。僕がマナブなら、コウタに喜んで野口さんとカフェに言ったことを話したいだろうに。コウタだってきっと……。昨日のトークをみているとそう思わずにはいられないのだ。
「今日も疲れたね。」
野口さんは、授業が終わるとすぐに僕のところへ来た。野口さんが仲良くしている女子たちに少し冷やかされながら。
「今日は行ってみたいとこがあるんだ。」
彼女は、またすたすたと僕の前を引っ張るように歩いていく。時々こっちを振り向いては、笑顔をみせて再び前を向いて歩いていく。彼女の歩調は、モンスターと戦っているときのように早かった。
「きみって、歩くのが早いんだね。」
「え、ごめん。早かった? ついつい楽しくて。」
彼女は、歩調を緩めて僕の隣へ来た。
「全然、嫌とかそんなんじゃなかったんだ。ごめんね。」
彼女の顔色を伺うと、そんなに暗い顔をしていなかったので安心した。
「ここなの。」
彼女の指さした方をみると、広い砂場のようなところにさまざまな器具がおいてある場所があった。
「公園ていってね、子どもたちとかが遊ぶところなんだって。」
彼女はそういうと、いろんな遊具を使って遊び始めた。ほらみて、これも。彼女の無邪気な笑顔なら、いつまでも見ていられると思った。
「きみってこの世界に来てから前よりも楽しそうにしているよね。それは、この世界が気に入っているからなの?」
僕は尋ねる。
「この世界も気に入ってるよ。だけど、もっと嬉しいことがあるから。」
ブランコを漕いでいた足をとめて、僕のことを見上げた。
「嬉しいこと?」
「うん、モンスターのこと以外を考えているレオナルドに出会えたこと。一緒にいられること、かな。それはそうと、なんだったの?」
え? 僕の頭は一瞬、真っ白になってしまった。彼女の質問が何の話か気づくのに時間がかかってしまった。
「ああ、コウタの話か。」
そうそう、と彼女は何事もなかったかのように頷いた。
「コウタはさ、マナブの恩人だったんだ。」
「というと?」
「マナブって本当に人見知りで、入学当初だれに話しかけられても頷くとか挨拶くらいしかできなかったんだって。それで、ずっとひとりでいたんだ。」
「そうだったのね。」
僕は、彼女の横のブランコに腰かけた。体重の重みで、ブランコが静かに揺れた。
「そこに、話しかけてきてくれたのがコウタでさ。コウタは、マナブと仲良くしてくれただけじゃなくて、内気なマナブのことを変えてくれた恩人でもあるらしいよ。」
「野口ミワさんも、日記にマナブくんとコウタくんのことを書いていたの。最近マナブくんが明るいのは、コウタくんのおかげだろうって。二人が一緒にいるのをみるのが本当に楽しいって。そんなコウタくんがどうして……。」
彼女は悲しそうな顔をしていた。自分のことかのように心を痛めていた。
「それは僕にもやっぱりわからない。だけど、コウタが暴言を吐き始める前、なんだかコウタの元気が少しずつなくなっていたんだ。」
最初はわからないくらいの異変だった。だけど、何度も何度もコウタとのトークを見返したからこそ確信した。コウタにきっと何かがあったのだと。
「元気がなくなっていたの?」
「そう、理由まではわからないんだけどね。でもマナブならきっと、その変化にも気づいていたんじゃないかと思うんだ。それで、コウタの気持ちを受け止めるように既読だけし続けているんだと思う。傷つきながら、だけど。」
胸が苦しかった。マナブのことを思うと、マナブがどれだけ苦しい思いをしていたのかを考えると、深い闇のなかに沈みこんでしまったような気分になってしまう。ふと、彼女の手が僕の背中に触れた。優しく背中をさすってくれる。温かい。
「マナブもこの世界で戦っていたのね。」
なるほど、最初に神が言っていた言葉の意味がようやくわかった。僕らの元いた世界と形こそ違えど、マナブもこの世界で必死にもがいて苦しんで戦っていたんだ。
「マナブは強いやつだよ。」
「マナブに戻ってきてほしいと思う?」
彼女は優しく尋ねた。
「いや、まだ戻っても苦しいだけだよ。もっと、状況がよくなれば……。」
そのとき、マナブのスマホが音を立てて震え始めた。うわ、と僕は声をあげておどろいてしまった。
「電話の着信よ。トークの着信よりも長いのよ。」
彼女は笑いながら、僕に電話をとるよう促す。
「そういったって、相手は……。」
僕は画面をみて驚いた。相手は、コウタだった。

「もしもし。」
僕の声は緊張で少し震えていた。
「あの、コウタです。」
いや、コウタの声の方がもっと震えていた。
「ごめん急に。その、謝りたくて……。」
あまりに急な出来事に、僕は戸惑ってしまった。なぜ、急に。スマホを持つ手まで震えてきた。僕が無言でいるので、コウタはそのまま続けた。
「わかってる。俺には謝る資格すらもないって。それに、つい昨日まで俺はお前を傷つけ続けていたんだから驚くよな。ごめんな。」
コウタの声は、優しかった。こういう時、マナブならなんていうんだろう。僕は必死で言葉をひねり出す。
「いや、驚いただけだよ。」
「君らしいな。ははっ……。」
コウタは笑いながら、鼻をすすりはじめた。泣いているのだろうか。
「コウタ?」
「いや、ごめん。俺がこんなこと言える立場じゃないんだけど、まさかマナブとこうしてまた喋れる日が来るなんて思わなかったんだ。」
「僕もだよ。嬉しい。」
「ありがとう、マナブ。やっぱりお前は良いやつすぎるよ。妹のカナエちゃんもだけどな。」
突然コウタの口からカナエ、という言葉が飛び出したものだから僕は驚いて固まってしまった。
「あ、いや。そのカナエちゃんのことは怒らないでやってほしいんだ。まあお前が怒るようにも思えないけど。今朝、カナエちゃんが俺のところへきて、マナブのことで話があるから放課後時間をあけてほしいって言ってきてさ。あの子も肝座ってるよなほんと。」
コウタは少し笑った。僕と登校している途中に、さっさと行ってしまったと思っていたけれどコウタのところへ行っていたのか。
「それで、ついさっき話してきたんだ。単刀直入に言うと、怒られた。いや、年下の子に怒られるなんて滅多にないからメンタルやられちゃったな。でも、それ以上に俺はお前を傷つけたってわかってる。」
コウタはそれから、これまでの行いの理由を話し始めた。自分の両親が4カ月ほど前から仲が悪くなってしまったこと、暴言を吐き始めた2カ月前には急遽別居を始めてしまったこと。そのことが誰にも言えずに落ち込んでいたとき、マナブから両親と旅行へ行った話を聞かされて、逆ギレしてしまったこと。
「マナブに両親のことを言っていなかったからマナブが無神経だなんていうつもりは、これっぽっちもない。単なる俺の逆ギレで、ストレスのはけ口にしていただけなんだ。どこかで思っていたのかもしれない、こいつなら受け止めてくれるかもって。本当にサイテーだよな。」
コウタは、それからしばらく鼻をすすり続けた。
「コウタ、気を悪くしてしまってごめん。異変に気づいていたのに、かける言葉もみつからずにお前を苦しめ続けてごめん。それから、コウタは僕の恩人だ。僕のことを救ってくれてありがとう。ずっと、ちゃんと言いたかったのに言えていなかったんだ。ありがとう。」
僕は、マナブの心を拾うように努力した。マナブ、きみにこの瞬間を味わわせてあげたかった。僕が今ここにいてごめん。
「マナブ……。本当にすまなかった。本当にすまなかった。」
コウタはしばらくマナブに謝り続けた。
「もしも、マナブが許してくれるのなら。もう一度だけ俺にチャンスをくれないか。友達に、戻ってくれないか。お前を失いたくない。」
「コウタ、もちろんだよ。コウタを失いたくないのは僕も同じだ。」
コウタは嬉しそうに何度も何度もありがとうを繰り返した。コウタは電話を切る前に思い出したように一言付け加えた。
「お前、よかったな。野口さんのこと。」
いや、違うんだよ。僕がそう否定した言葉はすでに、コウタの耳には届いていなかった。電話を切ったころにはすっかり日が落ち始めていた。

「仲直りしたんだね。」
彼女はずっと隣で耳を傾け続けてくれていた。
「ごめんね長い間。」
「いいのよ。これで、マナブくんも戻ってきてくれるのかな。」
「うん、僕は彼にこの世界へ戻ってきてほしいよ。」
僕がそういった瞬間、頭のなかで声が響いた。
「戻りたくなったようだな。」
あたりが霧のようなものに包まれていく。横にいた彼女の姿もみえなくなっていく。
「エレン、エレン。」
「大丈夫だ。彼女とはまた会える。」
「それなら良かったけど。リミットはまだあるんじゃないの?」
「リミットというのは、本当に最低ラインをさしている。きみもマナブも帰りたいと思うようになった今、きみたちをとどめておくわけにはいかないんだ。」
神の予想外の発言に僕は驚いた。
「マナブも帰りたいと言っているの?」
「ああ、きみにこの世界へ帰ってきてほしいと言っていたよ。」
僕と同じことを言っている。なんだか少し、嬉しくなってしまった。
「マナブと話すことってできる?」
それは僕が一番願っていることだった。
「本来ならこのような時間をとることは許されていない。時間にもなんとか余裕を持つことができたからご褒美だ。二人で話す時間を設けよう。特別な計らいだからね。」
「君が規則を破るなんて珍しいね。ありがとう。」
「今回だけだけどね。」
神の声はそこで途切れた。僕の周りを包む霧の奥に、人影がみえた。……マナブだ。シルエットですぐにわかった。彼を見た途端、僕の胸はなぜだか熱くなった。
「マナブ、マナブ。」
僕は思わずマナブに駆け寄り、抱きしめた。
「マナブ、お前よく頑張ったな。お前の頑張りは、ちゃんと実っているから。こっちの世界にきたらわかる。だから、安心して帰っておいで。」
マナブは、微笑んで僕の肩をぽんとたたく。
「ありがとう。君こそよく頑張ったよ。僕にはきみの代わりなんて見つからない。あっちの世界には、きみを必要としている人がいくらでもいるんだよ。」
今までだれに言われてきたよりもその言葉が、一番心にしみた。僕の代わりがいない。僕が戻ってあの世界を救わないと。
「それと、ひとつ謝りたいことがあるんだ……。」
少し気まずそうに僕は謝る。
「野口さんもリンクしてたことは知ってるよね?」
マナブは驚いた顔で、うなずく。
「その相手が、向こうの世界で僕とバディを組んでた子だっていうのもあって、しばらく僕ら一緒にいたんだ。放課後、カフェに行ったりなんかしてね。そしたら……その、みんなに疑われているかもしれない、その付き合っているのかって。」
マナブはその言葉を聞くと、一度離れた僕にもう一度抱きついてきた。
「ありがとう、レオナルド。よくやってくれたよ君は。」
「え?」
まさかの反応に僕は固まってしまった。
「その、野口さんのことが好きだったんだけど元の世界に戻ったら、喋れなくなっちゃうんじゃないかなって心配してたんだよ。その流れがあるなら、僕も勇気を出して誘ってみるよ。思いも、ちゃんと伝える。」
マナブは、僕の目をしっかりと見据えてそう言った。マナブがここまで肝の据わったやつだったとは。放課後デートはともかく、さすがにそんな噂を立てられたら気まずいとでも言うのかと思った。
「僕も、頑張るよ。エリンに、思いを伝える。」
マナブのおかげで僕も勇気が出せた。
「あ、それからカナエちゃんにお礼を言っといてよ。コウタとの仲直りを手伝ってくれてありがとうって。」
え? とコウタが嬉しそうに顔をほころばせたそのとき、神が話しかけてきた。
「そろそろ時間なんだけど。」
仕方ない。特例のことだから、時間を伸ばせさせるわけにもいかない。
「きみと会えなくなるのはさみしいけど、ずっと応援しているよ。」
僕はマナブに握手を求めた。マナブはその手をぎゅっと握り返した。
「ありがとう。僕も。元気でいてね。エリンとうまくいくことを願っているよ。」
マナブはふっと笑った。それと同時に霧が濃くなり、いつのまにかマナブの手がマナブが消えていた。気が付くと、僕は元の世界に戻っていた。

 ここは、どこかの宿だろうか。あ、エリン。エリンは?
「エリンならいるよ。」
頭のなかで声がした。
「まだいたんだね。よかった。君にもお礼が言いたかったんだ。その、いろいろとサポートしてくれてありがとうね。」
「そんなことを言うなよ。まあこれからも君のことは見守っているよ。元気でな。」
神の声は、それを最後に聞こえなくなった。なんだかんだ良いやつだったな。ありがとう。

 僕は部屋を飛び出す。
「エリン、エリン。」
周りを見渡すと、隣の部屋から同じようにきょろきょろと周りを見渡すエリンの姿がみえた。
「エリン、なんだよね?」
僕は恐る恐る尋ねた。
「そうよ。あなたはレオナルドよね?」
エリンは笑って尋ねる。
「そうだよ。レオナルドだよ。」
「エリン、きみに言いたかったことがあるんだ。」
僕は意を決してエリンの目を見つめる。ドクドク、と心臓の脈うつ音が聞こえてくるようだった。
「奇遇ね、私もよ。」
エリンはその愛らしい顔を、くしゃっとしてみせた。何の話か尋ねる余裕なんて僕にはなかった。なんせ、生まれて初めてのことだから。
「僕、その……。君のことが好きなんだ。」
「私は、ずっと前から好きだった。」
エリンははにかんだ表情で僕のことを見上げた。
「ちょっとおふたりさん。助けてほしいんだ。西の街にモンスターが出てきて……。」
50半ばくらいのおじさんが、僕らを呼んでいる。行くしかない。
「わかりました。すぐ行きます。」
駆け出した僕の手をエリンがそっと握った。今までは、いつ消えてしまってもいいと思っていた。でも、これからはそんなわけにはいかない。守るべき人、守りたい幸せができた。

 マナブもきっと向こうの世界で同じようなことを思っているのだろう。僕は空に向かって手を伸ばした。

 

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