そんな状況が一変したのは、その年の七月、もう暑い時期のことだった。
 優衣から真剣な声で、電話があった。話さなければいけないことがあるから、どうしても今日会いたい、と言う。その日の仕事は終わりが見えなくて、下手したら日付が変わるかもしれない、と伝えると、それでもいいから待ってる、という返事が来た。
 すごく珍しい、というか、初めてのことだった。俺の仕事で会う約束がキャンセルになることも度々あったけど、そんな時でも仕方ないね、と我慢してくれていた。こんなに強く、会いたい、と言われたことはない。
 なんだか不安になって、仕事が終わるとすぐにスタジオを飛び出した。
 家にたどり着くと、優衣はお気に入りの窓際で、扇風機も付けずに窓を開け放って、外を見ていた。息せき切って走ってきた俺を見て、いつも通りにおかえり、と笑う。なんだか拍子抜けして、走った疲れがどっと襲ってきた。
 冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、一気に流し込みながら優衣の隣に座る。
「なんだよ、話って」
 少し刺のある言い方になってしまったけど、優衣は全く気にする様子がない。
「沢木さんが飯おごってくれるっていうの、断って帰ってきたんだけど」
 貴重なまともな飯だったのに、とぶつぶつ文句を言うのを、優衣は笑って見ている。
 ふふふ、とえらく嬉しそうに笑うので、なんだか怒るのもバカらしくなった。話すのをやめて、優衣の髪を撫でる。こうやってゆっくり会うのは二週間ぶりだし、たまにはこんな日があっても悪くないか。
 優衣が気持ちよさそうに目を閉じた。そのまま抱き寄せて、俺も一緒に目を閉じる。
 窓から風が入り込む。アスファルトの熱を含んで、生ぬるくてあまり心地よくはなかったけど、ないよりはいくらかマシだ。
「ねえ、ガク」
 腕の中の優衣が、少し体を動かして俺を見上げた。
「なに?」
 優衣の髪は何もしなくてもまっすぐでサラサラだった。俺はその人形みたいな感触が好きだった。
「私、妊娠したの」
 あまりにさりげなく言うので、あやうく聞き流しそうになった。
 手が止まる。優衣を見ると、まるでいたずらを仕掛けた子供みたいにきらきらした目で見上げている。
「……嘘?」
 思わずそう聞いてしまった。
「ほんと」
 ぷうっと頬をふくらませて、優衣が怒った顔をしてみせる。