Epilogue

 風が吹いて、落ちていた花びらがざあっと舞った。
 一緒に舞い上がった砂埃から逃げるように顔を背け、目をすがめる。今日は風が強い。
 ここに眠る人たちを見守るようにそびえ立つ、大きな桜の木を見上げる。墓地全体を抱え込むように枝を広げている様子は、どこかあのマリア像を連想させた。
「なんだか守ってくれてるみたいですね」
 風に遊ばれる髪を押さえながら、隣に立つ日南子ちゃんが同じように桜の木を見上げていた。

 あれから理恵が落ち着くのを待って、おじさんとの約束通り、理恵の家を訪れた。しばらくは実家で過ごすという理恵が、満面の笑みで迎えてくれる。その日はおじさんもおばさんも、揃って俺を待っていてくれた。
 仏壇の横に置かれた優衣の写真は、驚いたことに俺が撮ったものだった。理恵が、これが一番きれいだから、とわがままを通してくれたらしい。まだ東京に行く前、優衣の合格祝いにと二人で出かけた時に撮った写真。まだ、ずっと一緒にいられると疑いもしていなかった頃。
 手を合わせて、記憶の中の優衣を思い浮かべる。笑った顔、拗ねた顔、泣いた顔……もう、愛おしさしか感じなかった。罪悪感などなく、思い出せることに驚く。
 一緒にご飯を、というおばさんの誘いを丁重に断ると、ならせめてお茶だけでも、と少し強引にリビングのソファに座らされた。この家の中に入ったのは初めてで、少し緊張しながら不躾にならない程度に周りを見渡す。優衣と理恵が大事に育てられた場所。
 リビングの隅にベビーベッドが置かれていて、その横で理恵が子供をあやしていた。俺が訪ねてきた時はずっとすやすやと眠っていたのに、リビングに移動してきた途端、むずかりだしてしまったのだ。
 理恵が抱き上げて揺らしていると、機嫌よく声を上げ始める。
「抱いてみる?」
 頓着なく俺に赤ん坊を差し出してくるけど、そんな頼りないものを抱くなんて、壊してしまいそうで怖い。
「いい。遠慮しとく。落としそうで怖い」
「大丈夫よ、あの遼一さんだってやってるんだから」
 そう言って理恵が赤ん坊を抱いたまま俺の隣に座る。ほら、と半ば無理やり押し付けられて、恐る恐る受け取った。理恵に言われるがままに手を添えて、腕の中に抱きかかえる。
 赤ん坊がう~、と声を上げて、腕の中で手足を動かした。そっと指を近づけると、小さな作り物みたいな手が思いのほか強い力で握ってくる。
優也(ゆうや)、って名前にしたの。優衣から一文字もらったわ」
 理恵が優しい目をして赤ん坊の……優也の顔を覗き込む。
「あの子みたいに誰からも愛されるように、って。これからちゃんと、守っていかなくちゃ」
 そう言って俺から優也を抱きとる理恵の顔は、覚悟を決めた、強い母親の顔だった。理恵の中にもきっとあったであろう罪悪感を、この子を産むことによって乗り越えたんだろう。
 それぞれの時間が、動き出す。自ら止めてしまっていた想いを、未来への希望に変えて。
 それからお茶を入れたおばさんとおじさんもソファに移動してきて、しばらく優也を囲んで優衣の思い出話をした。誰もみんな穏やかな顔をしていて、悲しみや後悔といった後ろ向きな感情は、そこには存在しなかった。
 帰り際、またいつでも遊びに来てね、と言ってくれたおばさんの目が死んだ母親の目を思い出させて、思わず涙ぐみそうになったのを、理恵に気づかれないように必死だった。

 そして今日、日南子ちゃんを連れて、優衣が眠る墓にやってきた。
 場所自体は、ずっと前に理恵から聞いて知っていた。それでも俺は一度も訪れていなかった。行こうと思ったことは何回もあったけど、その度に行けない理由を探して、ずっと先延ばしにしていた。今考えれば、優衣の死をきちんと納得していないのにここに近づくのが嫌だったんだと思う。
 ようやくここに、花を手向ける決心が着いた。十年経って、やっと。
 優衣の墓参りに行ってくる、と日南子ちゃんに話したとき、一緒に行きたい、と言いだしたのは彼女の方だった。私も優衣さんに挨拶がしたいです、と笑って言った。
 初めて訪れたそこは、少し高台にあって、駐車場に車を止めるとすぐに長い階段があった。両脇に木々が生い茂って、濃い影を落としている。上に近づくたびに、だんだん空気が変わっていくような気がした。少し後ろからついてくる彼女が、木々の間から目を細めて眼下に広がる景色を見ている。車を降りてから、彼女はずっと口を開かなかった。俺を気遣ってあえて話さないでいてくれるのがわかる。
 管理事務所に寄って、手桶と柄杓を借りる。水を汲んで理恵に教えられた通りに墓地を進んだ。墓地の周りには桜の木が植えられていて、中でも一際大きな木のすぐ下に、中屋家之墓、という文字が見えてきた。
 一ヶ月前の命日におじさんたちが訪れたのだろう、墓はきれいに掃除されていた。水をかけて、ろうそくと線香に火を付ける。隣で日南子ちゃんが持っていた花を花立てに飾っていた。
 二人で並んで、目を閉じて手を合わせる。そこに眠っているであろう優衣に、心のなかで話しかけた。
 今まで会いに来れなくてごめん。ずっと心配かけてただろうけど、でももう、大丈夫だから。
 ……なあ、お前、俺といてちゃんと幸せだったか?
 その問いに答えるかのように、またざあっと風が吹いた。俺たちを包み込むようにして、駆け抜けていく。
 当たり前じゃない、と、優衣が笑う声が聞こえたような気がした。
 目を開けて隣を見ると、先に参り終わった日南子ちゃんがこちらを見上げて、躊躇いがちに聞いてくる。
「なに、話したんですか?」
「心配かけてごめんな、って。日南子ちゃんは?」
 聞き返すと、彼女は少し俯いて答えた。
「私も、ごめんなさい、って。前に、優衣さんに対してひどいこと考えちゃったから。あと」
 一度言葉を切って、彼女がまた顔を上げた。
「私に任せてください、って。そしたら風が吹いて。よろしくね、って言ってくれてるみたいでした」
 彼女は微笑むと、くるりと体の向きを変えて桜の木に近づく。
 木の下に立って、そっと幹に手を触れる。見上げる彼女に答えるように、風に吹かれて枝が揺れた。その様子に、優衣の姿が重なって……。
 ああ、お前、そこにいたのか。
 また風が吹いて、花びらが舞う。今度は日南子ちゃんを包み込むように、花びらごと風が通り抜けた。驚いて少し口を開いた彼女が、手を伸ばして花びらを受け止めた。
 彼女が振り向いて、俺に向かって笑った。
 どんどんと周りの景色がぼやけていく。柔らかな色彩を残したまま、ピントがずれるように彼女の周囲が遠ざかって、彼女一人が鮮やかに、浮かび上がった。
 その光景を目に焼き付ける。
 ーーもう彼女しか、見えない。
 微笑む彼女に手を伸ばす。
「行こうか」
 はい、と俺の手を取った、そのぬくもりに指を絡めて、力を込めて握り締めた。


fin.












ノベマ!の読者さまは、初めまして。ベリカからの読者さまは、お久しぶりです。綾瀬です。
「アウトフォーカス」、いかがでしたでしょうか?20万文字越えと長い物語になってしまいましたが、最後までお付き合いいただいてありがとうございました。
ベリカで配信したファンメールにも書かせていただきましたが、このお話が生まれたのはかれこれ六年前。私が初めて最後まで書き上げることのできた、記念すべき作品です。あの時は完成できたことに高揚して、無謀にもある文学賞に応募し、当然の如く一次選考落選でした。懐かしいなぁ。
今読んだら文章が荒すぎですね。一文が短いのにナゼこんな回りくどく感じるんでしょう。(え?今でも変わんないじゃんって?)大好きな設定をこれでもかと盛り込んであって、私の作る物語のまさしく原点になっている気がします。私はワケあり男子がまっすぐ女子に絆されていく話が好きなんですな。
新型コロナの流行で家で過ごすことを余儀なくされている今、私にもみなさまに何か提供できないかと思いまして、眠らせていたこの作品を引っ張りだしてきた次第です。本当は大幅に改稿して発表しようと思っていたものなので、いずれ余裕ができたら、一度下げて書き直しするかもしれません。
実は桐原さんには、モデル、とまでは言いませんが、参考にさせてもらった方がいます。その方自身とても愉快な方なんですが、特にその方の撮る写真が大好きで、ヒナちゃんが桐原さんの写真に抱いた印象は、そのまま私がその方の写真に対して抱いた印象だったりします。キャラ自体は創作したのでわからないとは思いますが、もしも万が一、「あれ? この人知ってる?」と勘づいた方がいましたら、心の中にひっそり留めておいていただけると助かります。
稚拙な部分の多い作品ですが、読んだ方に一時でも楽しんでいただけたら幸いです。また違う物語でお目にかかれますよう。

綾瀬真雪

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