十近く年下の女の子に何を相談してるんだろう、とおかしくなるけど、不思議とリサちゃんには相手を素直にさせる力がある。
「今までほかの人にはガンガン手出してたのに?」
「今回は、今までとは違うから」
 違うから、俺にもどうしたらいいかわからない。
 それきり口を閉ざした俺に、リサちゃんは納得したようなしてないような、曖昧な顔で言った。
「とりあえず、ヒナちゃんは特別なんだってことはわかった。あと、ガクさんが意外と弱ってる、ってことも」
「弱ってる?」
「うん。今話してる時は、辛そうに見えた」
 さっきまでは全然わかんなかったけど、というリサちゃんの言葉に、少し安心した。とりあえず、リサちゃんをごまかせるくらいのポーカーフェイスは作れていたらしい。
「なんか複雑そうだから、もう首突っ込むのやめる」
 そう言うリサちゃんの態度から、さっきまでのトゲトゲしさは抜けていた。納得できないなりに、気持ちを収めることはできたんだろう。
 でも、とリサちゃんが続ける。
「リサ、ガクさんのことも好きだけど、ヒナちゃんのこともっと好きになっちゃったから、ヒナちゃんが幸せそうな方を応援する。……潤平くん、ずっと心配そうにヒナちゃんのこと見てた」
 今、日南子ちゃんのことを一番見ているのは、きっと彼だろう。
「うん。俺も、それでもいいと思ってる」
 そう言う俺を、リサちゃんがなんだか悲しそうな顔で見ていた。
 
 撮影に戻ったリサちゃんはすっかりいつも通りで、クライアントの希望である『心が浮き立つ感じ』をうまく表現していた。モデルとしての最後の仕事、と言っていたけど、満足いくものができたんだろう。撮り終わってモニターでチェックしている顔は、どこか晴れ晴れとしていて、帰る間際に改まって頭を下げてきた。
「今までありがとうございました。ガクさんとお仕事するの、一番楽しかった」
「こちらこそ、楽しかったよ。お疲れさま」
 へへ、と笑うその笑顔を、もう見れないのかと思うとなんだか寂しくなる。妹が家を出ていく気分、ってこんな感じだろうか。
「卒展のショーも、楽しみにしてるから。気合入れて撮るから、頑張って」
「うん! よろしくね!」
 手を振りながら出ていく姿を見送りながら、知らず知らずため息を吐く。それに目ざとく気づいた吉川が、恐る恐る近づいてくる。
「なんか道端さんとワケ有りなんすか?」
 どやされることを承知で聞いてくるんだから、こいつもたいがいミーハーだと思う。
「お前の単純さ、少し分けて欲しいよ」
「オレ、単純ですかね?」
 自覚してないなら重症だ。
「ガクさんが考えすぎなんだと思いますけどねえ」
 わかったようなことを言う吉川に、ご希望通りデコピンをかましてやった。

 結局日南子ちゃんとは一度も顔を合わせないまま、リサちゃんたちの卒業制作展の当日を迎えた。あれから彼女がまた訪ねてきたかどうかはわからなかった。ほとんどの仕事を家に持ち帰り、どうしても事務所でなければできないことは遅い時間や朝早くに行くようにした。
 彼女を避けて、無理やり意識の外に追い出して、そうやって逃げれば逃げるほど、彼女のことばかり考えていた自分が滑稽だった。ちゃんと話がしたいと向き合ってくる彼女の潔さが眩しく見える。
 美術館の一角とホールを貸し切り、土日の二日間に渡って卒業生の制作した作品が展示される。ショーは日曜日の午後から、卒展の最後を飾るメインイベントとして開催される予定だ。
 ショーだけではなく、展示の様子や会場の雰囲気も撮って欲しいということで、日曜日の開場前に現場入りした。早めに着いたのに、すでに学生たちが準備に駆け回っている。例年と会場を変えて規模が大きくなったそうで、学生だけでなく教職員の熱意も凄かった。絶対成功させようという気合と、なにより楽しんでいるのがひしひしと伝わってくる。
 連絡のやり取りをしていた担当職員を呼び出してもらうと、まだ若い学生のような男性がやってきて、スタッフパスを渡された。細々とした後方支援の担当だそうだけど、すでに忙しそうだった。簡単に挨拶を交わすだけで済ませて、仕事を始める。
 一般客が入る前に、展示されている作品を次々とカメラに収めていった。洋服やアクセサリーが展示されているブース、ヘアメイクを施したウィッグが並ぶブース、ショッププランニングをポスター発表しているブースなど、かなり多岐に渡っている。自分たちの作品を撮影した写真の展示もあって、拙いなりに勢いとセンスのある写真に触発された。展示の仕方にもそれぞれ工夫が凝らしてあって、ショップのようにディスプレイしてあったり、美術品のようにライティングしてあったりと、撮影しながら随分楽しませてもらった。
 リサちゃんの作品はウェディングドレスで、カラードレスが二着と白ドレスが一着、それぞれ小物もコーディネートして、ドレスショップのように展示してあった。どれもリサちゃんらしく、ラインはシンプルだけど細部にこだわって作ってあって、今までドレスはいろいろ見てきたけど、そのまま式場で売り出せるくらいの出来だった。そういえば卒業後はドレス制作の仕事をするって言ってたっけ。
 一通り会場を回って受付に戻ると、ちょうどよく時間になって一般の来場者が入ってくる。前日もなかなかの人の入りだったらしいけど、今日も出だしは順調そうだ。学生の家族だろう、受付の子と親しげ話している人や、散歩の途中で覗いたような老夫婦、来年の新入生らしき高校生の群れなど、いろんな人が入ってきて、興味深そうに作品を眺めていく。
 しばらく会場をうろうろしながらその様子を撮っていると、スタッフの腕章をつけた学生が探しに来た。ショーのリハーサルが始まったらしい。案内されてショーの会場に移動すると、本番さながらに照明を落として、音楽も流してのリハーサルが繰り広げられていた。ステージ上を普段着のモデルが歩き、その下ではスタッフの学生たちが忙しそうに駆け回っている。進行や照明、その他もろもろを全て学生の手で行うと聞いていたけど、想像していたより本格的だ。懸命に走り回る学生たちを、カメラで追う。熱気がファインダー越しに伝わってきて、それを写し取るのに夢中になった。
 ふと背後から、視線を感じた。カメラをおろして振り返ると、こちらを見る日南子ちゃんの姿があった。
 ……本番まで顔を合わせないで済むかと思ったけど、やっぱり無理だったか。
 彼女は一瞬迷うような素振りを見せたけど、すぐにいつもの控えめな笑顔に戻って、こちらに向かって歩いてきた。俺も顔の筋肉を総動員して、なるべくいつも通りを装う。
「お久しぶりです」
「久しぶり。今から出番?」
「はい。私たちの順番、最後から二番目なんですよ」
 彼女の方も、どことなく元気がない気はするけれど、懸念していたよりも落ち込んだり、態度がおかしいことはなかった。もしかしたら、もうそれなりに吹っ切れているのかもしれない。
 その様子が少しだけ残念に思えて、また自分の身勝手さを思い知る。
「緊張してる?」
「それはもちろん。これからここがお客さんで埋まるのかと思うと、ドキドキします」
「客席なんて気にしないで、ただの人形だと思えばいいよ」
「リサさんにも言われましたよ。お客さんなんて、ジャガイモとタマネギとニンジンだよって」
 そう言って笑うその頭に、思わずうっかり手を伸ばして、途中で我に返る。無意味に触れない方がいいんだろうけど、もう伸ばしてしまった手を引っ込めるのも不自然で、結局そのまま頭を撫でた。
「頑張って」
「はい」
 はにかむその顔は、以前と少しも変わらなくて、抱き寄せたくなるのを必死で抑えた。
「じゃあ、行きますね」
「うん」
 気の利いたことも言えず、ただ立ち去る彼女の後ろ姿を見送った。

 ◇

 やってきたショー当日。潤平くんに付き合ってもらってこっそり練習したおかげか、昨日の衣装を着てのリハーサルも、さっきの直前チェックも、なんとか形になったと思う。
 人でごった返す控え室でゼリー飲料を流し込みながら、他の人たちを観察する。みんなどことなく余裕が見えて、緊張より楽しい気持ちの方が強そうだ。衣装も個性的なものから普段使いできそうなものまで様々。中にはがっつり白塗りしている人もいて、メイクだけ終えた時はド派手に見えても、ショーの服を身に纏うと途端に艶やかに見えるから不思議。
「お待たせ、ヒナちゃん。緊張してる?」
 先に愛香のメイクを終えた宇野さんが、ぼうっとしていた私に呼びかける。
「大丈夫です。思ったより平気かも」
 宇野さんの後を追って、愛香と入れ替わりで鏡の前に座る。すれ違った愛香は、珍しくそわそわしている様子だった。
「なんだか意外だわ。愛香ちゃんよりヒナちゃんの方が落ち着いてるみたい」
 手早くベースメイクを施しながら、宇野さんが笑い混じりに行った。
 自分でも意外だった。もっとテンパって、ジタバタするかと思っていたけど、いざこの雰囲気に呑まれてみると驚くほど楽しめている自分がいる。みんなでひとつのものを作りあげる高揚感に包まれて、お祭りの時みたいにワクワクする。
「実は結構図太かったのかもしれません、私」
「本番に強いタイプなのかもね」
 宇野さんの言葉に、首を傾げる。昔はどっちかというと、本番で自滅するタイプだったんだけどなあ。モデルとしてのお仕事の中で、前より度胸がついたのかもしれない。
 それに、桐原さんに会っても、ちゃんといつも通りに振る舞えた。
 本当は、本番前に見かけても話しかけたりしないでおこうと思っていた。だけどカメラを構える姿が目に入った瞬間、目が離せなくなってしまった。
 思い切って近づいた彼の態度は、あっけないくらいに変わらなくて、それがなんだか悲しかった。結局私は、拒絶されようが避けられようが、桐原さんが好きなのだ。ショーが終わったら、またちゃんと話しに行こう。
 宇野さんの手によって、鏡の中の私が変わっていく。前回よりも丁寧に、時間をかけて。そうやって魔法をかけられていくのが、前は少し気恥ずかしかったけど、今は楽しい。
「はい、出来た。……いい顔してるわ」
 宇野さんの言葉に、鏡越しに笑ってみせた。
 待ち構えていたリサさんに手伝ってもらって、白のワンピースを身に纏い、おとぎ話のお姫様に変身していく。メイクや洋服の力って、本当に偉大。
 先に支度を終えた愛香が、私を見て口を尖らせる。
「あんた、ムカつくくらい余裕ね」
「なんか、緊張が突き抜けて逆に落ち着いちゃったみたい。お腹減った時とか、よくそういうことない?」
「都合よく突き抜けてくれるなんて羨ましいわ」
 そう言う愛香も、さっきより肩から力が抜けたみたい。
 衣装を汚したり引っ掛けたりしないよう、リサさんや宇野さんに付き添われて舞台袖に向かうと、先に着替え終わった男性陣と、演出の打ち合わせをしていた小川さんが待っていた。
 潤平くんがすっと近寄ってきて、耳元で小さく囁く。
「あの人、いたけど。大丈夫?」
 桐原さんを見て、私が動揺しないか心配してくれたようだ。
「リハの前にちょっと話したよ」
 普通に答える私の様子に少し驚いたように目を瞬かせる。
「ありがと。大丈夫」
 小さく笑って見せると、潤平くんも少し口の端をあげて返してくれた。
 続々と出演者が集まってくる。私たちは隅っこの方へ移動して、八人で輪を作った。順番に手を重ねると、リサさんが抑えた声で、それでも元気よく言った。
「本番、思いっきり楽しもう!」
 おー、と声を合わせると、ワクワクも一気に高まった気がした。
 会場にアナウンスが流れて、ショーのオープニングが始まる。近くの工業大学の学生とコラボレーションして作ったというアニメーション風の映像が、ステージ背後に設置された大きなスクリーンに映し出された。旅立っていく卒業生たちが、ひとりひとり紡いでいく物語……一瞬真っ暗になった会場に、『STORY』の文字が浮かび上がる。
 音楽が変わって、トップバッターのモデルさんが勢いよく飛び出していく。一番手のチームのテーマは、『進化していく自分の物語』。ステージ上で身につけているものを一つずつ外していくことで、どんどん服が変化していくデザインになっているらしい。変化するたび会場で拍手が起こっている。
 『STORY』というコンセプトからいろんな発想が生まれていて、みんな工夫を凝らしていた。私たちみたいによく知られた物語をテーマにしているチームもあれば、人生を物語に見立てて、モデルに子供や老夫婦を使っているチームもあった。
 自分の出番が近づいてくるのを感じながら、愛香は保志さんと、私は潤平くんと、いつの間にか自然と寄り添っていた。愛香が保志さんと小声で何か話しているのを横目で見ながら、潤平くんも私の耳元に顔を近づける。
「落ち着いてるじゃん。いつものヒナと大違い」
「みんなに言われたよ、それ。私が落ち着いてるの、そんなに意外?」
 軽く睨むと、潤平くんがくすくす笑う。
「じゃあ、思いっきり嫉妬させてやろうか」
 誰を、とはあえて言わない。
「嫉妬なんかしないよ、きっと」
「それはヒナ次第」
 今だけ俺に本気になって、と耳元で囁かれる。冗談の中に少しだけ本気の色が混じっているのを感じて、すっと離れる潤平くんの余裕の顔を、また軽く睨めつけた。
 少しは嫉妬してくれるのかな。どんな感情でもいい。私を見て、ありのままのむき出しの気持ちをぶつけて欲しい。いつものあの、全部押し隠した穏やかさを、少しでいいから崩したい。
 私たちの前の出番のモデルさん達が、ステージに出て行った。
 間近になるとやはり緊張して、少し表情が固まった私の手を、隣の潤平くんがぎゅっと握ってくれた。見上げると、さっきまでの余裕のまま、私を見て微笑んでいる。私も微笑み返した。うん、大丈夫。楽しむんだ。
 ステージからモデルが戻ってきて、音楽が切り替わる。一瞬後ろを振り返ると、リサさん達が腕を振り回して応援してくれていた。
「行くよ」
 前を向いた潤平くんが、私の手をもう一度強く握り直した。
 一瞬照明が落ちて暗くなったスクリーンに、浮かび上がる『LOVE STORY』、続いて『Cinderella』の文字。音に合わせてステージ上へ歩き出す。中央で正面を向くと、スポットが当たって曲調がポップに変わった。一度顔を見合わせて、確認するように笑い合うと、手を繋いだままランウェイを歩き出す。さあ、短い舞踏会の始まりだ。
 顔を上げて、姿勢を伸ばして、重心は腰に。宇野さんに言われたことを思い出しながら、一歩一歩足を踏み出す。客席を見る余裕はないけれど、ちゃんと前を向いて、笑顔を絶やさず。今の私は、王子様と束の間の逢瀬を楽しむシンデレラ。
 先端にたどり着いたら、手を離してそれぞれポージング。左右入れ替わってまたポーズを決めると、潤平くんが私の手を取る。その手を軸に、私はくるっと一回転。いつもよろめいてしまっていたけど今日は成功して、ちょっとほっとすると、潤平くんも同じように安堵の表情を浮かべていた。顔を見合わせて、どちらともなく笑みを浮かべる。
 そこで曲が一度切れて、鐘の音が鳴った。再び照明が私たちを照らすスポットだけになる。それを合図に、手を離した私は屈み込み、靴を脱ぐ。立ち上がると片方を胸に抱き込んで、片方を潤平くんに差し出す。
 逃げ帰る途中でシンデレラが落としていったガラスの靴。でも本当は、わざと残していったのかもしれない。どうか私を見つけ出して、迎えに来て、という願いを込めて、シンデレラが自分の未来を変えるために残した唯一の希望。
 靴を潤平くんが受け取ると、再び音楽が流れ始める。今度は一人で、裸足のままで、客席に背を向けて歩き出す。最後まで気を抜かないで、ちゃんと胸を張って。
 スクリーンの前にたどり着くと、再び前を向いてポージング。私に続いて戻ってきた潤平くんと目があって、よくできました、と無言で伝えてくれる。そのまま私は下手へ、潤平くんは上手へと下がっていく。
 幕の中に下がった瞬間どどっと緊張が解けて、へなへなと座り込んでしまった。小声で良かったよ、と伝えてくれるリサさんの声に、かろうじて頷く。落ち着いているように見せかけて、やっぱり相当緊張してたんじゃない、私。
 今から出番の愛香と目が合って、へなっと情けない笑顔を向ける。それを見て苦笑する愛香は、いつも通りに見えた。結局最後は愛香の方が落ち着いてるんだよなあ。
 音楽が変わるのを合図に、愛香が一人で歩き出した。情熱的なラテンの音楽に合わせて颯爽と歩いていき、ランウェイの先端まで着くと、今度は保志さんが下手からステージに現れる。こちらも余裕の表情で、保志さんが焦ったり慌てたりする姿って全く想像できない。
 愛香の隣に並ぶと、ふたり揃ってポーズを取る。それから、保志さんが愛香の手をとって跪いた。
 カルメンって簡単にまとめると、自由奔放なカルメンに衛兵のドン・ホセが恋をして、追いかけるんだけど相手にされなくて、結局刺し殺しちゃう話らしい。さすがに刺し殺す場面は入れられないから、保志さんが愛香に言い寄って、それを愛香がすげなく振り払う感じにしよう、ってことになった。今の二人にはピッタリといえばピッタリだ。
 練習では、取られた手を愛香が振りほどいて、ぷいっと顔を背けて去っていく、って感じだったんだけど……。
 いきなり保志さんが愛香の手に口付けた。練習ではなかった動きに、愛香が驚いて目を丸くしている。見ていた私たちも思わずうわ、と呟いてしまった。
 それでも愛香は何とか立ち直って、練習通り手を振り払った。練習よりも力強かったのは気のせいじゃないと思う。本気で顔を背けて、ランウェイを戻ろうとした、その時。
「うわあ、ほっしーやりすぎ」
 立ち上がった保志さんが、愛香の腰に手を回して抱き寄せた。さすがの愛香もうまく対応できずにされるがままになっていると、保志さんの顔がどんどん近づいていって、客席からどよめきがおこる。キスしそうなほど近づいた保志さんの顔は、直前で横に逸れると、愛香の耳元で何かを囁いたようだった。その瞬間、パン、と小気味いい音が響いて、愛香の手が保志さんの頬を打っていた。
 驚く保志さんを睨みつけた愛香が、今度こそ背を向けて、颯爽と歩いていく。保志さんも苦笑いを浮かべて、そのあとに続いた。
「愛香ちゃん、かっこいー」
 西さんが感心したように呟く。スクリーン前で正面を向いて保志さんと目があったらしい愛香が、髪に差していた赤い花を取って投げつけていた。
「まさにカルメンね」
 宇野さんの呟きに、一同揃って頷く。
 舞台袖に戻ってきた愛香は、すごい勢いでそのまま一直線に控え室に向かっていった。一瞬見えた顔は珍しく耳の先まで真っ赤で、追いかけるべきか迷っていると、遅れて保志さんがやってきた。
「愛香ちゃんは?」
「控え室に向かって歩いて行きましたけど」
「そっかー、ありがと」
 なんにもなかったかのようにのほほんとした声音で言って、愛香を追いかけていく。その悪気のなさに、みんな唖然としてしまった。
「考えてることが読めない人だとは思ってたけど、ここまでわかんないのは初めてだわ」
「大暴走してたね、ほっしー」
「愛香、大丈夫かな」
 あの様子じゃものすごく動揺しているはず。多分私が今まで見たことないくらいに。
 ラストのチームのステージが終わって、ショーのフィナーレが始まっていた。このあと、観客による投票が行われて、卒展全体の閉会セレモニーの時に発表される。もし選ばれたらステージ上で表彰されるので、それが終わるまではこの格好のまま待機、の予定なんだけど……。
「後は保志さんに任せるしかないんじゃない?」
 潤平くんの言葉に、他のみんなもうんうん、と頷いた。

 ショーが終了して、少しだけ休憩時間になった。みんなで控え室に戻ったけど、愛香と保志さんの姿は見えず……まあ心配しても仕方ない、ということで、音響室から戻ってきた小川さんを含め、缶ジュースで乾杯する。
「お疲れさま~。ヒナちゃんたち、すごいよかったよ!」
「ウォーキングもちゃんとできてたし。結構練習したんじゃない?」
「周りの評判もよかったよー。マジで一位、狙えるかも!」
 そこかしこで同じように褒め合っている姿が見える。ショーが無事終わって、周りみんなが開放モードだ。
「保志さんに全部持ってかれましたけどね」
 肩を竦める潤平くんにつられて、みんなも苦笑いを浮かべる。
「あれは置いといて。どう、ヒナちゃん、楽しかった?」
 顔を覗き込んでくるリサさんに、満面の笑みで答える。
「はい、とっても。一生の思い出になりました」
 ならよかったあ、とリサさんも満足げに笑ってくれた。
「私さっそく二人のこと聞かれたよ。あの二人って付き合ってるのか、って」
 手を上げた小川さんの報告に驚く。
「そんなこと聞かれたんですか?」
「うん。だってすごくお似合いだったもん。特に潤平くんの目がねー、ヒナちゃんのこと大事でたまんないって感じだったし。ちゃんと否定しといたけどね」
 思わず潤平くんのほうを見ると、目が合ってしまってすぐに逸らした。ほかの人からは、そんな風に見えたんだ。
 桐原さんは、どう思ったかな。
 ふと、そういえばどこにいたんだろう、と思う。探す余裕はなかったし、下は見ないようにしてたから、どこから撮影してるのかわからなかった。
「桐原さんって、どこにいた?」
 潤平くんに尋ねると、驚いたように返された。
「どこ、って、目の前にいたじゃん。ランウェイの先端のところ」
 絶対目に入ってるよ、と言われるけど、その辺の記憶がないから、視線が向いてたとしても認識できないまま通り過ぎてしまっていたのかもしれない。
 そんな私に潤平くんが何か言いかけたところで、リサさんが声をあげた。
「あ、二人戻ってきた!」
 控え室の人混みの向こうに、保志さんの頭が一つ飛び出ているのが見える。その後ろには愛香がいて……二人は手を繋いでいた。
 どうなってるんだ一体、という空気がみんなの中に漂う。
 でも近づいて来るのをよくよく見ると、保志さんが嫌そうな愛香の手を無理やり引っ張ってるようにも見えて。
「ちょっと、どうなってんの、ソレ?」
 二人の繋いだ手を指差して、容赦なく小川さんが問いただす。
「愛香ちゃん、嫌がってるんじゃ」
「ほっしー、無理矢理はよくない」
 宇野さんやリサさんにも責めるような口調で言われるけど、保志さんは一向に気にしない。それどころか、いつもの爽やかな笑顔で言い放った。
「付き合うことになったから、僕たち」
 ………えええええ?
「本気で言ってる? ほっしーの妄想じゃなくて?」
「愛香ちゃん、無理しなくていいのよ?」
「失礼だよね、僕に対して」
 みんな保志さんのボヤキなど完全ムシだ。
「愛香、付き合うことにしたの?」
 改めて私が問いかけると、愛香はこれ以上ないくらい渋い顔で、頷いた。
「そう、みたい」
 嬉しくもなんともなさそうな声で肯定する。……今、付き合うんだ、って言ったんだよね?
「ほっしーになんか弱みでも握られたんじゃ」
 真剣に心配するリサさんたちをよそに、保志さんが愛香の顔を覗き込むと、愛香がふいっと顔を横に向けた。その様子がなんだか、嫌がっている感じとは微妙に違って見えて。
「愛香、もしかして照れてる?」
 恐る恐る聞いてみると、愛香が勢いよく私を見た。
「ばっ、何言って……」
「あ、そっか、照れてたんだ。可愛い」
 保志さんが臆面もなく言うのに、愛香が必死で抵抗した。
「だからそういうこと平気で言わないで!」
「だってほんとに可愛いし。さっきまで笑ってたのに、こっち戻ってきた途端に黙り込むからなんでかなと思ったけど、照れてただけか」
「照れてなんかいません!」
「いいじゃん、照れてても。可愛いんだし」
「っっ……!」
 可愛い可愛いを連発する保志さんに、愛香が顔を赤くして黙り込む。その様子がいつもの大人っぽい愛香と全然違って、思わず声に出してしまった。
「愛香、可愛い」
「あんたまで変なこと言わないで!」
 赤い顔で叫ぶ愛香に、他のみんなの顔もほころぶ。
「なんだ、お似合いじゃん」
「心配して損した」
「ほっしー、おめでとー」
 口々におめでとう、と言われて、愛香は嬉しいような困ったような複雑な顔をしている。その表情が可愛くて、私はたまらず抱きついた。
「愛香、おめでとう!」
 ぎゅうぎゅう力を込めると、愛香の中でも複雑ながら嬉しさが上回ったようだった。
「ありがと」
 顔を見合わせて笑うと、保志さんが横から愛香の腕を引っ張る。
「仲いいのはいいけど、愛香ちゃん僕のだから、取らないでね?」
「だからそういう小っ恥ずかしいこと言わないで!」
 言い合う保志さんと愛香を見て、またみんなが笑っていた。