「でも、さっきも言った通り、みんなにお願いして本当に良かったと思ってるの。乗りかかった船だと思って、もうちょっと付き合って。ね?」
 リサさんや西さん、小川さんまで同じように手を合わせて拝んでくるから、私たちは怒るに怒れなかった。もうここまできたんだし、断るつもりなんてないけれど。
「それより、悔しいのは潤平よ。保志さんはともかく、なんであんたそんなに慣れてるわけ?」
 愛香が怒りの矛先を涼しい顔でこちらを見ていた潤平くんにむける。悪戦苦闘する私と愛香を尻目に、潤平くんは初めから様になっていた。
「すげえ小さい頃だけど、モデルやってた時に出たことあるんだよ、ショー。なんとなく雰囲気覚えてるから」
 あとは勘、とさらっと言い放つ潤平くんを、愛香と二人でまじまじと見つめてしまった。
「あー、やっぱり? 初めてじゃないんだろうなとは思ったけど」
 保志さんがのほほん、と言う。
 小さい頃にモデルやってたなんて、そんなの初耳なんですけど。道理で堂々としてるわけだ。
「じゃあ、完全にど素人なの私だけじゃない」
 愛香ががっくり肩を落とした。
「私だってど素人だよ」
「あんた一応モデル経験あるでしょ? この前秋のファッション特集だかなんだかでポーズ取ってたじゃない」
「あんなの経験に入んないよ」
 泣き言を言い合う私たちに、保志さんがまたのんびりと声をかける。
「本番は男女ペアで歩くから大丈夫だよ。愛香ちゃんはもちろん僕がフォローするし、ヒナちゃんだって王子様のエスコートがあれば安心でしょ」
 そう考えると、潤平くんが慣れてる人で良かったかもなあ。
「そうそう、せっかく『STORY』なんだし、ちょっと劇っぽく演出入れてみようか、って話してたんだけど、どお?」
 小川さんが手を上げる。
「演出?」
「そう。ちょこっと演技してもらおうかと」
「「演技!?」」
 私と愛香の声がハモった。
「心配しなくてもそんな難しいことは言わないって。ちょこっとだけ」
「でも、演技って!」
「ランウェイ歩くこと自体、演技みたいなもんだしね。もう、最初っから芝居だって割り切ったほうがやりやすいかもよ」
 保志さんの言葉に、宇野さんや潤平くんもうんうん頷いている。
「変に恥ずかしがれば恥ずかしがるだけ、カッコ悪くなっちゃうしね。で、具体的にはどういうの?」
 宇野さんに促されて、小川さんが意気揚々と語り始める。その内容は、まあ聞いただけならできなくもなさそうだった。
「亮介と愛香ちゃん、それ演技でもなんでもないじゃん」
「ヒナちゃんと潤平くんのも、おもしろいわね。ちょっと解釈変わってて」
 みんながすでに賛成ムードで、私と愛香は反対の声をあげる余地がなかった。
「わかりました。やります」
 愛香が観念したように言った。愛香がそういうのなら私も嫌がるわけにもいかず、無言で頷いてみせると、小川さんがやったあ、と笑って、ごそごそとラジカセを取り出した。
「音に合わせて動いてみてもらおうと思って、編集した曲持ってきたんだよね」
 その準備の良さに、改めてため息が漏れた。私たちがなんと言おうが、やらせるつもりだった、ってことですよね、それ。
 音楽を聴きながら、小川さんの指示通りに動いてみる。ところどころ戸惑ったり、笑いがおきたりしながら、みんなで一通りの流れを決めていった。
 最後に一度通してみて、小川さんが音楽を止める。つ、疲れた……。
「うん、いい感じー。後は照れないように、練習あるのみ、かな」
 恥ずかしさが抜けない私と愛香とは対照的に、潤平くんと保志さんは全く照れずに堂々とこなしていた。場馴れしているのか、もともとの性格なのか。
 最後に小川さんがディスクを二枚渡してくれる。ショーで使う曲が入ったCDと、去年のショーの様子が入ったDVDだそうだ。見てみてイメージ掴んでね、ということらしい。
「本番まで何回か集まって練習しよう。前日と、当日にも実際の舞台でリハーサルできるから。大丈夫大丈夫」
 わくわくした様子の小川さんに少し恨めしげな視線を向けると、宇野さんが宥めるように私の肩を叩いた。残り二週間ちょっと、なんとかなるのか、ならないのか。
「後は楽しむのみ! おもいっきりやるぞー!」
 リサさんの掛け声に、小川さんがおー! と手を上げる。他のみんなも苦笑しながら次々に同調して、小さな教室に掛け声が響き渡った。
 
 ◆

 卒展も間近に迫った頃、雑誌以外の仕事でリサちゃんと一緒になった。駅前のファッションビルの、春のキャンペーンのポスター撮り。宣伝部が俺の写真を気に入ってくれて、いつも依頼してくれる。
 沢木さんのスタジオを借りて、吉川とともに準備をしていると、リサちゃんと担当者が一緒に入ってきた。リサちゃんは雑誌の時とは違って仕事用の顔で、笑みは絶やさないけれど、気安さやはしゃいだ様子は引っ込めていた。形式ばった挨拶を交わして、ヘアメイクの美容師も交えて簡単に打ち合わせをする。
 メイクをされながら、リサちゃんは一度もこちらに話しかけたり、打ち解けた様子を出さなかった。ヘアメイクが初対面の人だ、っていうのはあるかもしれないけど、俺が撮影の時は、いつもはだいたいこのくらいで砕けたムードになるのに、珍しいな、と思う。
 撮影に入っても、その態度は変わらなかった。きちんと笑顔を浮かべて空気も作るんだけど、普段の彼女を知っている俺にとってはなんだかやりにくい。この雰囲気は、あまり好きじゃないモデルの子と一緒の撮影になった時に似ている。完璧なまでの他人行儀。
「リサちゃん、なんか怒ってる?」
 試しに聞いてみると、明らかな作り笑いを返された。
「怒ってはないけど、聞きたいことはあるかな」
 ようやく敬語がとれたけど、まだまだよそよそしさが抜けない。
「聞きたいこと? 俺に?」
「うん」
「なんだろう」
「ガクさん、ヒナちゃんとセックスどころかキスもしてないってホント?」
 がしゃん、と後ろから派手な音が聞こえた。
「スミマセン! やべえ! やっべえ! セーフ?」
 レンズを落とした吉川が慌てて拾い上げている。気持ちはよくわかるし、壊れてはいないようなので許してやろう。
「それってなんで? 欲情しないってこと?」
「リサちゃん、そういう話は後で……」
「後回しにしたらガクさん適当にごまかすじゃん」
 だからといってなんの関係もない人の前で話せる話題ではない。ましてや今は仕事中。
 なんとか表情を崩さずに済んだけど、心の中はめちゃくちゃ動転していた。リサちゃんはさっきまでの作り笑いはどこへやら、完全にへそを曲げて怒った顔をしている。
「リサ、モデルのお仕事今日で最後なんだよね。できればすっきりして撮ってもらいたいんだけど」
 肝心のモデルがふくれっ面で、撮影なんてできるはずがない。少し休憩入れていいですか、と担当に断りを入れると、よくわからないなりに何かを察したのか、どうぞどうぞと勧めてくれた。
 興味津々な吉川を一睨みして黙らせて、リサちゃんを小さな給湯室まで引っ張ってくる。ここなら用がない限り、誰も通りかからない。
 ついでにそこに置いてあったティーバッグに適当にお湯を入れて渡すと、いつの間にか萎れた様子のリサちゃんが、ごめんなさい、と小さく言った。
「本当は、お仕事中はちゃんとしようって思ったんだけど。ガクさんがあんまりいつも通りだから、なんかムカッとしちゃって」
 渡したカップに口を付けることもなく、両手で持って暖を取っている。
「ヒナちゃん、この前会ったけど、無理して明るくしようとしてるのバレバレだった。私が口出すことじゃないかもしれないけど、うまくいってないの?」
「日南子ちゃんは、何か言ってた?」
「なんにも。愛香ちゃんも、何も言ってくれないって心配してた。去年の年末に、ガクさんが手を出してこないって悩んでたから、それが原因かなって勝手に思ったんだけど」
 そんな話、してたのか。あまりその手の話を好みそうなタイプじゃなかったので、ちょっと意外に思うと、リサちゃんが慌てて否定する。
「別にヒナちゃんから言い出したわけじゃないよ? 酔っ払ってリサが無理やり聞き出したんだけど」
 何かの打ち上げで一緒に飲んだことがあるけど、リサちゃんは酔うとやたらめったらハイテンションになる。あのテンションで絡まれたら、日南子ちゃんには太刀打ちできなかっただろう。
「ヒナちゃんのこと、大事なのはよくわかるけど。好きな人に欲情されない、っていうのは、女として傷つく」
「欲情しない、ってわけじゃないんだけど」
「じゃあなんでエッチしないの?」
 リサちゃんの質問は直球だ。回りくどくなくていいけど、女の子なんだからもうちょっとぼかしてもいいと思う。
 ……なんで、か。
「俺もよくわかんない」
 どこか投げやりな響きが含まれて、リサちゃんに軽く睨まれた。
「多分、昔のことを引きずってるんだと思う」
「昔のこと?」
「そう。自分じゃちゃんと吹っ切ったつもりでいたんだけど。いざそういう雰囲気になると、途端に思い出して、先に進めなくなる」
「昔の彼女のことを、ってこと?」
「うん」
 十近く年下の女の子に何を相談してるんだろう、とおかしくなるけど、不思議とリサちゃんには相手を素直にさせる力がある。
「今までほかの人にはガンガン手出してたのに?」
「今回は、今までとは違うから」
 違うから、俺にもどうしたらいいかわからない。
 それきり口を閉ざした俺に、リサちゃんは納得したようなしてないような、曖昧な顔で言った。
「とりあえず、ヒナちゃんは特別なんだってことはわかった。あと、ガクさんが意外と弱ってる、ってことも」
「弱ってる?」
「うん。今話してる時は、辛そうに見えた」
 さっきまでは全然わかんなかったけど、というリサちゃんの言葉に、少し安心した。とりあえず、リサちゃんをごまかせるくらいのポーカーフェイスは作れていたらしい。
「なんか複雑そうだから、もう首突っ込むのやめる」
 そう言うリサちゃんの態度から、さっきまでのトゲトゲしさは抜けていた。納得できないなりに、気持ちを収めることはできたんだろう。
 でも、とリサちゃんが続ける。
「リサ、ガクさんのことも好きだけど、ヒナちゃんのこともっと好きになっちゃったから、ヒナちゃんが幸せそうな方を応援する。……潤平くん、ずっと心配そうにヒナちゃんのこと見てた」
 今、日南子ちゃんのことを一番見ているのは、きっと彼だろう。
「うん。俺も、それでもいいと思ってる」
 そう言う俺を、リサちゃんがなんだか悲しそうな顔で見ていた。
 
 撮影に戻ったリサちゃんはすっかりいつも通りで、クライアントの希望である『心が浮き立つ感じ』をうまく表現していた。モデルとしての最後の仕事、と言っていたけど、満足いくものができたんだろう。撮り終わってモニターでチェックしている顔は、どこか晴れ晴れとしていて、帰る間際に改まって頭を下げてきた。
「今までありがとうございました。ガクさんとお仕事するの、一番楽しかった」
「こちらこそ、楽しかったよ。お疲れさま」
 へへ、と笑うその笑顔を、もう見れないのかと思うとなんだか寂しくなる。妹が家を出ていく気分、ってこんな感じだろうか。
「卒展のショーも、楽しみにしてるから。気合入れて撮るから、頑張って」
「うん! よろしくね!」
 手を振りながら出ていく姿を見送りながら、知らず知らずため息を吐く。それに目ざとく気づいた吉川が、恐る恐る近づいてくる。
「なんか道端さんとワケ有りなんすか?」
 どやされることを承知で聞いてくるんだから、こいつもたいがいミーハーだと思う。
「お前の単純さ、少し分けて欲しいよ」
「オレ、単純ですかね?」
 自覚してないなら重症だ。
「ガクさんが考えすぎなんだと思いますけどねえ」
 わかったようなことを言う吉川に、ご希望通りデコピンをかましてやった。

 結局日南子ちゃんとは一度も顔を合わせないまま、リサちゃんたちの卒業制作展の当日を迎えた。あれから彼女がまた訪ねてきたかどうかはわからなかった。ほとんどの仕事を家に持ち帰り、どうしても事務所でなければできないことは遅い時間や朝早くに行くようにした。
 彼女を避けて、無理やり意識の外に追い出して、そうやって逃げれば逃げるほど、彼女のことばかり考えていた自分が滑稽だった。ちゃんと話がしたいと向き合ってくる彼女の潔さが眩しく見える。
 美術館の一角とホールを貸し切り、土日の二日間に渡って卒業生の制作した作品が展示される。ショーは日曜日の午後から、卒展の最後を飾るメインイベントとして開催される予定だ。
 ショーだけではなく、展示の様子や会場の雰囲気も撮って欲しいということで、日曜日の開場前に現場入りした。早めに着いたのに、すでに学生たちが準備に駆け回っている。例年と会場を変えて規模が大きくなったそうで、学生だけでなく教職員の熱意も凄かった。絶対成功させようという気合と、なにより楽しんでいるのがひしひしと伝わってくる。
 連絡のやり取りをしていた担当職員を呼び出してもらうと、まだ若い学生のような男性がやってきて、スタッフパスを渡された。細々とした後方支援の担当だそうだけど、すでに忙しそうだった。簡単に挨拶を交わすだけで済ませて、仕事を始める。
 一般客が入る前に、展示されている作品を次々とカメラに収めていった。洋服やアクセサリーが展示されているブース、ヘアメイクを施したウィッグが並ぶブース、ショッププランニングをポスター発表しているブースなど、かなり多岐に渡っている。自分たちの作品を撮影した写真の展示もあって、拙いなりに勢いとセンスのある写真に触発された。展示の仕方にもそれぞれ工夫が凝らしてあって、ショップのようにディスプレイしてあったり、美術品のようにライティングしてあったりと、撮影しながら随分楽しませてもらった。
 リサちゃんの作品はウェディングドレスで、カラードレスが二着と白ドレスが一着、それぞれ小物もコーディネートして、ドレスショップのように展示してあった。どれもリサちゃんらしく、ラインはシンプルだけど細部にこだわって作ってあって、今までドレスはいろいろ見てきたけど、そのまま式場で売り出せるくらいの出来だった。そういえば卒業後はドレス制作の仕事をするって言ってたっけ。
 一通り会場を回って受付に戻ると、ちょうどよく時間になって一般の来場者が入ってくる。前日もなかなかの人の入りだったらしいけど、今日も出だしは順調そうだ。学生の家族だろう、受付の子と親しげ話している人や、散歩の途中で覗いたような老夫婦、来年の新入生らしき高校生の群れなど、いろんな人が入ってきて、興味深そうに作品を眺めていく。
 しばらく会場をうろうろしながらその様子を撮っていると、スタッフの腕章をつけた学生が探しに来た。ショーのリハーサルが始まったらしい。案内されてショーの会場に移動すると、本番さながらに照明を落として、音楽も流してのリハーサルが繰り広げられていた。ステージ上を普段着のモデルが歩き、その下ではスタッフの学生たちが忙しそうに駆け回っている。進行や照明、その他もろもろを全て学生の手で行うと聞いていたけど、想像していたより本格的だ。懸命に走り回る学生たちを、カメラで追う。熱気がファインダー越しに伝わってきて、それを写し取るのに夢中になった。
 ふと背後から、視線を感じた。カメラをおろして振り返ると、こちらを見る日南子ちゃんの姿があった。
 ……本番まで顔を合わせないで済むかと思ったけど、やっぱり無理だったか。
 彼女は一瞬迷うような素振りを見せたけど、すぐにいつもの控えめな笑顔に戻って、こちらに向かって歩いてきた。俺も顔の筋肉を総動員して、なるべくいつも通りを装う。
「お久しぶりです」
「久しぶり。今から出番?」
「はい。私たちの順番、最後から二番目なんですよ」
 彼女の方も、どことなく元気がない気はするけれど、懸念していたよりも落ち込んだり、態度がおかしいことはなかった。もしかしたら、もうそれなりに吹っ切れているのかもしれない。
 その様子が少しだけ残念に思えて、また自分の身勝手さを思い知る。
「緊張してる?」
「それはもちろん。これからここがお客さんで埋まるのかと思うと、ドキドキします」
「客席なんて気にしないで、ただの人形だと思えばいいよ」
「リサさんにも言われましたよ。お客さんなんて、ジャガイモとタマネギとニンジンだよって」
 そう言って笑うその頭に、思わずうっかり手を伸ばして、途中で我に返る。無意味に触れない方がいいんだろうけど、もう伸ばしてしまった手を引っ込めるのも不自然で、結局そのまま頭を撫でた。
「頑張って」
「はい」
 はにかむその顔は、以前と少しも変わらなくて、抱き寄せたくなるのを必死で抑えた。
「じゃあ、行きますね」
「うん」
 気の利いたことも言えず、ただ立ち去る彼女の後ろ姿を見送った。

 ◇

 やってきたショー当日。潤平くんに付き合ってもらってこっそり練習したおかげか、昨日の衣装を着てのリハーサルも、さっきの直前チェックも、なんとか形になったと思う。
 人でごった返す控え室でゼリー飲料を流し込みながら、他の人たちを観察する。みんなどことなく余裕が見えて、緊張より楽しい気持ちの方が強そうだ。衣装も個性的なものから普段使いできそうなものまで様々。中にはがっつり白塗りしている人もいて、メイクだけ終えた時はド派手に見えても、ショーの服を身に纏うと途端に艶やかに見えるから不思議。
「お待たせ、ヒナちゃん。緊張してる?」
 先に愛香のメイクを終えた宇野さんが、ぼうっとしていた私に呼びかける。
「大丈夫です。思ったより平気かも」
 宇野さんの後を追って、愛香と入れ替わりで鏡の前に座る。すれ違った愛香は、珍しくそわそわしている様子だった。
「なんだか意外だわ。愛香ちゃんよりヒナちゃんの方が落ち着いてるみたい」
 手早くベースメイクを施しながら、宇野さんが笑い混じりに行った。
 自分でも意外だった。もっとテンパって、ジタバタするかと思っていたけど、いざこの雰囲気に呑まれてみると驚くほど楽しめている自分がいる。みんなでひとつのものを作りあげる高揚感に包まれて、お祭りの時みたいにワクワクする。
「実は結構図太かったのかもしれません、私」
「本番に強いタイプなのかもね」
 宇野さんの言葉に、首を傾げる。昔はどっちかというと、本番で自滅するタイプだったんだけどなあ。モデルとしてのお仕事の中で、前より度胸がついたのかもしれない。
 それに、桐原さんに会っても、ちゃんといつも通りに振る舞えた。
 本当は、本番前に見かけても話しかけたりしないでおこうと思っていた。だけどカメラを構える姿が目に入った瞬間、目が離せなくなってしまった。
 思い切って近づいた彼の態度は、あっけないくらいに変わらなくて、それがなんだか悲しかった。結局私は、拒絶されようが避けられようが、桐原さんが好きなのだ。ショーが終わったら、またちゃんと話しに行こう。
 宇野さんの手によって、鏡の中の私が変わっていく。前回よりも丁寧に、時間をかけて。そうやって魔法をかけられていくのが、前は少し気恥ずかしかったけど、今は楽しい。
「はい、出来た。……いい顔してるわ」
 宇野さんの言葉に、鏡越しに笑ってみせた。
 待ち構えていたリサさんに手伝ってもらって、白のワンピースを身に纏い、おとぎ話のお姫様に変身していく。メイクや洋服の力って、本当に偉大。
 先に支度を終えた愛香が、私を見て口を尖らせる。
「あんた、ムカつくくらい余裕ね」
「なんか、緊張が突き抜けて逆に落ち着いちゃったみたい。お腹減った時とか、よくそういうことない?」
「都合よく突き抜けてくれるなんて羨ましいわ」
 そう言う愛香も、さっきより肩から力が抜けたみたい。
 衣装を汚したり引っ掛けたりしないよう、リサさんや宇野さんに付き添われて舞台袖に向かうと、先に着替え終わった男性陣と、演出の打ち合わせをしていた小川さんが待っていた。
 潤平くんがすっと近寄ってきて、耳元で小さく囁く。
「あの人、いたけど。大丈夫?」
 桐原さんを見て、私が動揺しないか心配してくれたようだ。
「リハの前にちょっと話したよ」
 普通に答える私の様子に少し驚いたように目を瞬かせる。
「ありがと。大丈夫」
 小さく笑って見せると、潤平くんも少し口の端をあげて返してくれた。
 続々と出演者が集まってくる。私たちは隅っこの方へ移動して、八人で輪を作った。順番に手を重ねると、リサさんが抑えた声で、それでも元気よく言った。
「本番、思いっきり楽しもう!」
 おー、と声を合わせると、ワクワクも一気に高まった気がした。
 会場にアナウンスが流れて、ショーのオープニングが始まる。近くの工業大学の学生とコラボレーションして作ったというアニメーション風の映像が、ステージ背後に設置された大きなスクリーンに映し出された。旅立っていく卒業生たちが、ひとりひとり紡いでいく物語……一瞬真っ暗になった会場に、『STORY』の文字が浮かび上がる。
 音楽が変わって、トップバッターのモデルさんが勢いよく飛び出していく。一番手のチームのテーマは、『進化していく自分の物語』。ステージ上で身につけているものを一つずつ外していくことで、どんどん服が変化していくデザインになっているらしい。変化するたび会場で拍手が起こっている。
 『STORY』というコンセプトからいろんな発想が生まれていて、みんな工夫を凝らしていた。私たちみたいによく知られた物語をテーマにしているチームもあれば、人生を物語に見立てて、モデルに子供や老夫婦を使っているチームもあった。
 自分の出番が近づいてくるのを感じながら、愛香は保志さんと、私は潤平くんと、いつの間にか自然と寄り添っていた。愛香が保志さんと小声で何か話しているのを横目で見ながら、潤平くんも私の耳元に顔を近づける。
「落ち着いてるじゃん。いつものヒナと大違い」
「みんなに言われたよ、それ。私が落ち着いてるの、そんなに意外?」
 軽く睨むと、潤平くんがくすくす笑う。
「じゃあ、思いっきり嫉妬させてやろうか」
 誰を、とはあえて言わない。
「嫉妬なんかしないよ、きっと」
「それはヒナ次第」
 今だけ俺に本気になって、と耳元で囁かれる。冗談の中に少しだけ本気の色が混じっているのを感じて、すっと離れる潤平くんの余裕の顔を、また軽く睨めつけた。
 少しは嫉妬してくれるのかな。どんな感情でもいい。私を見て、ありのままのむき出しの気持ちをぶつけて欲しい。いつものあの、全部押し隠した穏やかさを、少しでいいから崩したい。
 私たちの前の出番のモデルさん達が、ステージに出て行った。
 間近になるとやはり緊張して、少し表情が固まった私の手を、隣の潤平くんがぎゅっと握ってくれた。見上げると、さっきまでの余裕のまま、私を見て微笑んでいる。私も微笑み返した。うん、大丈夫。楽しむんだ。
 ステージからモデルが戻ってきて、音楽が切り替わる。一瞬後ろを振り返ると、リサさん達が腕を振り回して応援してくれていた。
「行くよ」
 前を向いた潤平くんが、私の手をもう一度強く握り直した。