「…こんな話、知ってる?」

男の視線を感じるけど、私の視線は床に置くままにした。
実際、目合うと話せなくなるよね。

「人間はね、誰の中にも、もう一人の自分がいる。」

先ほど蒼が教えた事は、頭の中に簡単に浮かんできた。
蒼がいないのに、蒼の声を聞こえた。

「だけど、ほとんどの人は何も気づかず人生を過ごしてる。一部の人は、子供の頃に中の人のことを気づいて色んな世界で遊んでたりする。そんな人たち、二種類に分ける。一つ目は、成長するにつれて中の人の姿も見えなくなって、段々記憶からこんな人がいるのも忘れる。」

あぁ、目元が温かくなってきたそう。

「もう一つは…」
「君みたいに、中の住人を忘れたくないし、別れたくない。たとえ、自分を壊されても、忘れたくない。」
「え、?」
「…あいつ、蒼が言ったことある。」

笑う気がないのに、失笑した。
カウンセラーにここまで言う意味は何なの?

「だから、邪魔しないで。という意味だと思う。」
「邪魔っていうのは?」
「だって、あいつにとって、ぼくは厄介なやつだった。君の無意識に暗示するか、偽の記憶を作ろうか…だから、あれが原因だと思った。君の望みであれば、ほかのことはなんとも良い…たとえ、君の体調が崩れても構わないって。」
「あぁ。でも私、やっぱ蒼はいない世界に行きたくないよ。」
「……だからさー」
「あなたには感謝する。親にちゃんと治療完了ように演じるから、あなたには迷惑かけないと思う。」

蒼がいない世界を考えてみた。
考えるだけで吐きそうになる。

「…君、そのままだといつか限界になるじゃー」
「あぁ、あれなら、もうだいぶん前から限界にたどり着いたよ。」
「……」
「蒼が、あなたに言ったかもしれないけど、私の小さい頃から死にたかった。死んでも別にいいと思った。」
「…な、なんで?」
「蒼がいつか私のそばから消えてしまうなら、彼が側にいた時点で死んで欲しかった。あとは、蒼は、本当に私のこと大切にしてるかどうか確認したかった。」
「…その考え方、おかしいだろう…」
「ええ、でもこれは私にとって普通だった。そもそも、普通かどうか、その定義は人それぞれだと思う。周りの人と違うなら、おかしいと認定される。ただ、なんで皆と同じじゃないとダメでしょうか?」

男は黙った。

「人間は、だいたい八十年生きるとしたら、何年間を使ってだれかと仲良くなり、その翌年はもう挨拶するしない。学校や職場など、それぞれの環境で、どうやってみんなに受けるか考えて、みんなに合わせたりする。そして、段々どれか本当の自分がわからなくなる。」

そういえば、私、なんでこの男にこんな話をしてるの。

「誰にも、いつかどのタイミングが分かれる。凄く簡単だった。なぜなら、人間は、だれでも自分の中に優先順位決まってる。もちろん、その順位の決め手は人それぞれの見解があったのに…」

私、そんな変な事言ってるでしょうか?
誰にも見たことないから、嘘しかないの?

「…私、ただ蒼のことを一番の順位にしたかったのに…」

あぁ、ダメだ。
また涙が落ちそう

「…別に悪いなんて、誰も言ってないよ?」

私は、男の目を真っ直ぐに見る。

「だって、忘れても別に悪いことじゃないよ。」
「だから、それは嫌だって言っただろう。」

久しぶりにこんなモヤモヤになった。
頭が上手く回れない。
自分でもわかる。今喋った事は理論的におかしいかも。
情緒不安定になりたい訳ではないよ。
しかし、今の私の中に溢れてきた感情は、おそらく、昔と同じだった。

なのに、蒼が出てこない。

…あの言葉、最期の言葉なの?

また泣きそうになってしまうか、それとも他人のことを拒否してると見えるか、
男は、優しい声でこう言った。

「…人間の脳はさ、小さいよ。ただ1300グラム…いや、女性はもっと軽い気がする…取り敢えず、言いたいのは、人間の脳は、多分世の中に一番速いコンピューターかもしれないが、万能ではない。」

男がいつの間に私の前にしゃがんでる。

「もちろん、容量も無限でもない。」

知ってる。そんなこと、私はわかってるよ。

「だから、忘れるのも大事だよ。全部忘れようなんて言わないから、ただ、一人で全部呑み込まないでほしい。あいつもそう言ったよ。」

ーーお前が十年以上も頑張ってたから、もう俺たちと他の子たちを背負わなくてもいいと思った。全部思い出せなくても、俺たちが死なないよ

なぜか知らないけど、この男と話す度に蒼との会話を浮かんできた。

「…だ…ひと…なしい…」
「うん?」

目の焦点が合わない。
もう、先からボーッとなってる。集中力も判断力も、明らかに鈍っている。

「…だって、彼はずっと闇の中に一人だって、寂しいじゃない?」

多分、私は、思ったより強くない。
全部一人でやっても構わないと思ってるのに、
実際そうでもないかもしれない。

男は心配そうに見える。

「誰にもいないし、なにもないよ…蒼が、自分の人生は私の人生だと言われた。でも、そんなのが悲しいではないの?私たち、子供の頃知り合ってから、十年も一緒にいるからこそ、これは残酷な事だかわかる。一緒にいるのに、私の方だけ時間進めてる…」

蒼にも、【蒼】にも、
大丈夫だよ。って言われた。
だからきっと大丈夫だと信じたかった。

「もうこの歳だからやらないといけない。そろそろあれをやめてください。とか周りの人からよく言われて、この世界で生きるために何度も好きなことを手離した。今まで誰にもバレてないようにやってきたのに、なんで蒼から手を離そうと言われるの…」

しかし、私は誰よりも知ってる。
あれを信じないと壊れるから、信じるしかない。

彼達の【大丈夫だよ】を信じなかったら、あの一瞬で世界が壊れてしまう。
これを避けたいから、信じるしかない。

「記憶は自分で決められないもんだけど、好きなものや好きな人は自分で選んで欲しい。他人と一緒じゃなかったら悪いの?蒼がこっちの世界で実体がないから、存在すら否定される?もし彼の存在を否定されたら、私、今までの人生、記憶、感情は…一体何なの…」

一気に喋りすぎたか、もう喋り気がなくなったように、声が段々小さくなった。

誰にも言ってない話だった。
この不安を抱きながら生きるつもりだった。
誰にも言えなかったら、このまま生きられると思った。
しかし、蒼が出てこない。

あの時点で、どこかで壊れてしまった。

「…きっと、君と同じ気持ちだよ。」
「……」
「まぁ、これからはぼくの感想だけで、それも聞いてみよう。ぼくは蒼と三回しか話してないから、君の気持ちと違うかも。ただ、今までの話まとめたら、蒼が消えないために君はずっと頑張ってた。彼の存在がこの世界に抹殺されないため、君は彼との記憶を忘れていけないよね。」

私は、頷いた。

「ぼくは、正直、君より蒼のことわかってない。たけど、こんなぼくでもそう感じたあの三回の会話の中に、彼はほとんど君の話しか話さなかった。」
「私の話って…」
「君の悩みとか…彼は、このままだと、君がいつか壊れそうじゃないか?と心配してるでしょう?だから、彼は自分が出来る限り、君を守りたい。自己犠牲でも構わないから、君が無事にいてほしい。」

私、もしこの世界で生きると、彼達も生きている。
自分が死んだら、彼達がまたあの闇に落ちてしまうではないか、とずっと思ってた。

いつか間違えたでしょう?
いつから【蒼】に不安を言えなくなり、全部一人でやってしまったか。
いつからどれが本心なのか、わからなくなったでしょう。

一体、本当の自分は、どっちなの?

「ちょ…」

見えなくてわかる。
自分の目から涙ボロボロに出てきた。
泣きたくないのに、涙が止まれなくずっと溢れてきた。

「えっ…もしかして、どこか痛い?体調また悪いの?」

男は焦ってるけど、私の口からある言葉を出た。
「…蒼…」

こんな状態の私を落ち着かせるのは蒼しかいなかった。
だから、たとえ大人になって、魔法が魔法ではなくなっても、

私は蒼の名前を呼び続いてるしかない。

もう何回も呼んでも出ないから、出てないとわかるけど呼んでしまった。
と思いきや…

『…お前、なんでまた泣き出してるの?』

ビクッ。