会社で名を呼ばれたときのように、玲央奈の背がピンと張る。
「俺が結婚相手を探しているというのは、ウソでもなんでもなく真実だ。正確には、〝偽装夫婦〟になるためのパートナーを探している」
「形だけの相手ってことですか……?」
「ああ。俺の育ての親に当たる人が、『老い先短い婆に、早く結婚相手を見せなさい』とうるさくてな」
『育ての親』という言い回しは気になったが、玲央奈はそこには触れず「お年を召した方なんですね」とだけ返す。
天野にもいろいろ事情があるのだろう。
「今までは躱してきたが、それこそ無理やりお見合いをさせられそうなんだ。面倒事は嫌いでな。だから偽りの結婚相手を見繕うことにした。だが、同じ半妖の女性を見つけるのも手間だし、かといってまったくあやかしについて無知な女性も困る。そこで君だ」
長い指先を突き付けられ、玲央奈の肩が小さく跳ねる。
そこでタイミングがいいのか悪いのか、障子戸の向こうから声がした。『あとはお若いふたりだけで』とかノリノリで言ったくせに、気になった莉子が早々に様子を見に来たらしい。
「どう? お話は弾んでいる?」
「あー……えっと」
戸の隙間から顔を出し、好奇心丸出しの目を向ける莉子。返答に困る玲央奈に反し、天野はやわらかな笑みを作る。
「はい。潮さんは上司の目から見ても、思慮深く真面目に働いてくれている素晴らしい部下ですが、こうして向かい合って話してみると、女性としてもとても魅力的ですね。それに莉子さんの従姉妹なだけあって、やはりとてもお綺麗だ」
「天野さんたら! お世辞が上手なんだから!」
「本音ですよ」
「やだわ、もう!」
いとも簡単にノックアウトされて、莉子はにこにこと浮かれた状態で再び引っ込んでいった。
玲央奈は天野の外面に「うわあ」と顔を歪める。
「なんだ、美人が台無しだぞ」
「余計なお世話です」
半妖やら天邪鬼の特性やらなど関係なく、やはり本能的に、玲央奈は天野が苦手なことに変わりなかった。話の流れから察するに、天野の偽りの結婚相手を玲央奈が演じろ……と言いたいのだろうが、断固拒否の姿勢である。
しかし、天野が「いいのか?」と先手を打ってきた。
「これは取引だ。君が俺のパートナーになってくれるなら、俺は君をあやかしから必ず守ると約束しよう。……困っているんだろう? その『呪い』のせいで」
バッと、玲央奈は首裏を押さえた。天野はすべてを見透かすように、玲央奈をじっと見つめている。
「その呪いのことは、初めて君と会った瞬間に気付いた。それから少し君のことを調べさせてもらった。随分と苦労しているようだな」
「それは……っ!」
他者からそんなふうに指摘されると、強がりな玲央奈は反射的に「別に平気だ」と返しそうになる。
だが実際問題、なにも平気ではなかった。
お守りの効果は日に日に弱まっている。自衛の術もなく、あやかしにいつ喰われてもおかしくはないのだ。
強がっている場合ではないことくらい、玲央奈だって理解している。
「……本当に、私を守ってくれるんですか?」
「ああ、必ず」
即座に答えた天野の目は、存外真剣だった。奥底に眠る確固たる意思のようなものを玲央奈は感じる。
これはきっと、ウソじゃない。
「それに俺なら、君に呪いをかけたあやかしだって、片手間に見つけられるかもしれない。呪い自体を解ける可能性もあるぞ」
「呪いを……」
その提示された可能性は、玲央奈を動かす決定打だった。
呪いのない普通の生活は、彼女がずっと望んでいて、それでも諦め続けてここまで生きてきたのだ。
天野の瞳の中に映る玲央奈の表情には、すでに迷いはなかった。
「……わかりました。その申し出、お受けします」
「っ! そうか!」
立ち上がらんばかりの勢いで、パッと顔を輝かせた天野に、玲央奈は意表を突かれる。素でめちゃくちゃ嬉しそうだったからだ。
(こんな子供みたいな顔をするなんて……よほど、相手探しに難航していたのかしら?)
まあ、莉子に接触して外堀まで埋めて、お見合いの場をわざわざ設けさせるくらいだ。体のいい相手をようやくゲットできて一安心、といったところだろう。
ふと、庭の方に玲央奈が視線を遣れば、ちょうど吹いたそよ風に、花びらが数枚さらわれていた。
空を舞う桜たちは、まるでふたりのこれからを祝っているようだ。
祝うようなことなどなにひとつ、玲央奈からすれば皆無だが。
「それじゃあ、建前は婚約関係ということで。契約成立だな。これからよろしく。愛しているよ、俺のお嫁さん」
「……ウソですね、旦那さま」
軽口には軽口で返す。
これからこの人に付き合うにはそのくらいのふてぶてしさが必要だと、玲央奈は覚悟を決めた。
この婚約に愛なんてない。
だってこれは、お互いの利益のためのウソの関係だもの。
「俺が結婚相手を探しているというのは、ウソでもなんでもなく真実だ。正確には、〝偽装夫婦〟になるためのパートナーを探している」
「形だけの相手ってことですか……?」
「ああ。俺の育ての親に当たる人が、『老い先短い婆に、早く結婚相手を見せなさい』とうるさくてな」
『育ての親』という言い回しは気になったが、玲央奈はそこには触れず「お年を召した方なんですね」とだけ返す。
天野にもいろいろ事情があるのだろう。
「今までは躱してきたが、それこそ無理やりお見合いをさせられそうなんだ。面倒事は嫌いでな。だから偽りの結婚相手を見繕うことにした。だが、同じ半妖の女性を見つけるのも手間だし、かといってまったくあやかしについて無知な女性も困る。そこで君だ」
長い指先を突き付けられ、玲央奈の肩が小さく跳ねる。
そこでタイミングがいいのか悪いのか、障子戸の向こうから声がした。『あとはお若いふたりだけで』とかノリノリで言ったくせに、気になった莉子が早々に様子を見に来たらしい。
「どう? お話は弾んでいる?」
「あー……えっと」
戸の隙間から顔を出し、好奇心丸出しの目を向ける莉子。返答に困る玲央奈に反し、天野はやわらかな笑みを作る。
「はい。潮さんは上司の目から見ても、思慮深く真面目に働いてくれている素晴らしい部下ですが、こうして向かい合って話してみると、女性としてもとても魅力的ですね。それに莉子さんの従姉妹なだけあって、やはりとてもお綺麗だ」
「天野さんたら! お世辞が上手なんだから!」
「本音ですよ」
「やだわ、もう!」
いとも簡単にノックアウトされて、莉子はにこにこと浮かれた状態で再び引っ込んでいった。
玲央奈は天野の外面に「うわあ」と顔を歪める。
「なんだ、美人が台無しだぞ」
「余計なお世話です」
半妖やら天邪鬼の特性やらなど関係なく、やはり本能的に、玲央奈は天野が苦手なことに変わりなかった。話の流れから察するに、天野の偽りの結婚相手を玲央奈が演じろ……と言いたいのだろうが、断固拒否の姿勢である。
しかし、天野が「いいのか?」と先手を打ってきた。
「これは取引だ。君が俺のパートナーになってくれるなら、俺は君をあやかしから必ず守ると約束しよう。……困っているんだろう? その『呪い』のせいで」
バッと、玲央奈は首裏を押さえた。天野はすべてを見透かすように、玲央奈をじっと見つめている。
「その呪いのことは、初めて君と会った瞬間に気付いた。それから少し君のことを調べさせてもらった。随分と苦労しているようだな」
「それは……っ!」
他者からそんなふうに指摘されると、強がりな玲央奈は反射的に「別に平気だ」と返しそうになる。
だが実際問題、なにも平気ではなかった。
お守りの効果は日に日に弱まっている。自衛の術もなく、あやかしにいつ喰われてもおかしくはないのだ。
強がっている場合ではないことくらい、玲央奈だって理解している。
「……本当に、私を守ってくれるんですか?」
「ああ、必ず」
即座に答えた天野の目は、存外真剣だった。奥底に眠る確固たる意思のようなものを玲央奈は感じる。
これはきっと、ウソじゃない。
「それに俺なら、君に呪いをかけたあやかしだって、片手間に見つけられるかもしれない。呪い自体を解ける可能性もあるぞ」
「呪いを……」
その提示された可能性は、玲央奈を動かす決定打だった。
呪いのない普通の生活は、彼女がずっと望んでいて、それでも諦め続けてここまで生きてきたのだ。
天野の瞳の中に映る玲央奈の表情には、すでに迷いはなかった。
「……わかりました。その申し出、お受けします」
「っ! そうか!」
立ち上がらんばかりの勢いで、パッと顔を輝かせた天野に、玲央奈は意表を突かれる。素でめちゃくちゃ嬉しそうだったからだ。
(こんな子供みたいな顔をするなんて……よほど、相手探しに難航していたのかしら?)
まあ、莉子に接触して外堀まで埋めて、お見合いの場をわざわざ設けさせるくらいだ。体のいい相手をようやくゲットできて一安心、といったところだろう。
ふと、庭の方に玲央奈が視線を遣れば、ちょうど吹いたそよ風に、花びらが数枚さらわれていた。
空を舞う桜たちは、まるでふたりのこれからを祝っているようだ。
祝うようなことなどなにひとつ、玲央奈からすれば皆無だが。
「それじゃあ、建前は婚約関係ということで。契約成立だな。これからよろしく。愛しているよ、俺のお嫁さん」
「……ウソですね、旦那さま」
軽口には軽口で返す。
これからこの人に付き合うにはそのくらいのふてぶてしさが必要だと、玲央奈は覚悟を決めた。
この婚約に愛なんてない。
だってこれは、お互いの利益のためのウソの関係だもの。