社屋5階の廊下の窓から眼下に流れる川を見下ろした。
 今年は雨が多くて、4月1日の入社式まで桜が持たなかった。
僅かに花を残す葉桜の下をリクルートスーツに身を包んだ新入社員たちが歩いている。
 無事入社式と1週間の社外研修を終え、今日から私の元にも新入社員がやってきた。
私の受持ちは2人。関西の私大を出た(きし)くんと地元の国立大を出たという二宮(にのみや)さんだ。
「指導担当の三谷です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「研修期間中はとりあえず外食事業部所属だけど、二週間の研修が終わったら、正式に配属が決まるから」
 岸くんはかなり緊張しているのか、見るからにガチガチだ。それに比べたら、二宮さんは結構余裕があるように見える。見るもの全てが珍しいようで、興味津々といった様子でオフィス中を見回している。
「二人ともデスクはとりあえずここを使って。あ、二宮さんは今から一緒に給湯室に行ってくれる?」
「え? 私だけですか」
 私が二宮さんに声をかけると、彼女は驚いた顔をして立ち止まった。
「もうすぐ朝礼が始まるから、とりあえずついてきて」
 私は眉をひそめて立ち止まったままの彼女を、廊下へと引っ張り出した。
「若手は来客時にお茶を頼まれることが多いの。特に年配の方は、女性社員に頼みがちだから。茶葉や茶器の場所を早めに覚えておいた方がいいわ」
 給湯室に着くと、私はいつもどおり、野々村部長のお茶を入れる用意をした。
急須と湯呑みにお湯を注いで丁寧に温める。外側までしっかり温まったらいったんお湯を捨て、急須に茶葉を入れて、またお湯を注いで茶葉が開くまでゆっくり待つ。
暫くすると、急須の注ぎ口から玉露の芳しい香りが立ち上ってくる。
私は大きく深呼吸をして、入れたてのお茶の爽やかな香気を体内に取り込んだ。
 仕事が忙しくて余裕がない時も、嫌なことがあった時も、私はお茶だけは丁寧に入れるように心がけている。朝にふさわしいその香りは私の心まで満たし、忙しい日々で錆付いた頭をリセットしてくれる。
……私は、この瞬間が好きだった。