あと三十分。
各自それぞれが身体を動かし、自分に出来ることを精一杯頑張る。

『今日は東雲シェフの昼御飯が待っているよ』と、店長である城崎さんの声にみんなのテンションは上がった。
私も楽しみ。

でもその前にお客さんが来たようだ。

「二人ですけど」

お店の入り口から男の子の声がして、『お客さんが来たんだ』と私は厨房から客席を覗いた。

そこには何かのスポーツをやっていそうな大柄の少年と、長い金髪の少し怖い表情の少女。
カップルだろうか。

二人とも大人っぽい雰囲気の持ち主だが、顔や声はまだ幼かった。
まだ中学生くらいだろうか。

「はい、いらっしゃい!空いてる席に座ってね!」

城崎さん笑顔で出迎える。
空いていた窓際の席に座った二人は早速メニューを手に取った。

ホールのメンバーも動く。

けど・・・・・。

「小緑ちゃん、お水を二つお願い。んで、新規のお客さんの所に持って行ってくれる?」

その城崎さんの指示の直後、一瞬空気が凍った気がした。
まるで睨み付けるような小緑の視線の先は、窓際の席に座る二人のお客さんだった。

って小緑、どうしたの?

「樹々さんが変わりに行ってください。僕、嫌です」

小緑は逃げるように厨房に入ってきた。
何をするのかと思ったが、すぐホールに戻る。

何がしたいのだろうか。
不安になるその行動に、私達は言葉を失った。

突然仕事を振られた樹々は、慌ててグラスに水を二つ入れると、注文を聞くために少年達の元へ向かう。

「えっと、ご注文はお決まりですか?」

不安げに、樹々は笑顔を見せた。
あまり関わったことのないタイプだからか、伝票を書く右手は震えているようにも見えた。

「あたし、サンドイッチ。砂田は?」

「んじゃ俺もそれ」

「サンドイッチランチを二つですね。えっと、少しお時間かかるんですけど」

何一つ樹々は間違っていない。

と言うか、初めての接客にしては満点以上だと思う。
落ち着いて、時間のかかるメニューもちゃんとお客さんに伝えている。

「あーうっさいな。早く作ってこいよバーカ」

なのに、どうしてこんなことを言われるのか理解できなかった。
金髪の少女の品のない大声に、周りのお客さんも驚いていた。

樹々は何が何だかわからない表情を浮かべて、小さく謝っていた。
そして急いでオーダーを知らせようと戻ろうとしていた。

でも女の子の声に樹々の足が止まる。

「ってかさ、小緑いるよね?ちょっと呼んでよ。遊びたいから」

その少女の顔は不気味な笑みを浮かべているように見えた。

樹々は少女に確認する。

「えっと、小緑の知り合いですか?」

「うっせぇな。早く連れてこい!」

樹々の声を書き消すような少女の声に一組のお客さんは嫌な予感がしたのか、慌てて会計を済ませた。
少し嫌な顔を浮かべて、お客さんは出て行く。

静まり返る有線放送しか聞こえない店内で、樹々は泣きそうな表情になっていた。
城崎さんも助けに行きたいが、別のお客さんの会計に手を取られている。

でもその時、名前を呼ばれた小緑はお客さんののいるテーブル席に向かった。
そして少女を睨みつける。

「なに?」

一方で樹々は急いで厨房に戻ってきた。
こんな状態でも樹々は悔しさを噛み殺すような強引な笑顔でオーダーを告げた。

って無理しなくていいのに・・・・・・。

客席での二人の会話が始まる・・・・。

「小緑何やってるの、バイト?頭おかしいんじゃないの?『中学生はバイト禁止』って知ってる?」

「だからなに?なんのよう?」

直後、金髪の少女から舌打ちが聞こえた。

「小緑さぁ、嘘つくのやめてくれない?視聴覚室のガラス割れたのあたしのせいになっているんだけど。あんたが先生に言ったんでしょ?それで『弁償しろ』とか『親呼び出す』とか言ってるんだけど。あたし、やってねぇつうの」

「は?なんの話?視聴覚室のガラス割れていたの初めて知ったんだけど。知らないのに言える分けないじゃん」

「お前あたしの隣にいたじゃん。よくそんなバレバレの嘘つけるな」

「はあ?だからなんのこと?」

何の話しているのか、話している二人以外はよく分からない。
でも『まともな会話じゃない』ということはすぐに分かった。

そして昨夜の紗季の言葉を私は思い出した。

『小緑、学校でいじめられているの』
嘘だと、その言葉だけは夢の中の会話だと、今までそんなことを思っていた。

理由は単に信じたくなかったから。
目の前で笑みを見せてくれる女の子が、いじめを受けているなんて考えたくなかったから。

だけど、もしそれが今私が見ている光景がそれだったら?
小緑が目の前の二人に、いじめられているのだとしたら?

「ちょっと小緑ちゃん。仕込みについて話があるんだけど。何?あのジャガイモの皮剥き。ちゃんと教えたよね。ごめんね、ゆっくりしていってね」

お客さんの会計を済ませた城崎さんは、慌てて小緑の腕を掴んだ。
引っ張るように小緑を無理矢理厨房に連れて来た。

何が何だか分からない小緑も反論する。

「皮剥きって何?僕そんなこと」

「ああもう。分かってい。嘘に決まってるでしょ」

怒りと不安が入り乱れた小緑の表情を見た城崎さんは、大きなため息を吐いた。

それはまるで学校の先生のように。
目の前の自分の生徒と向き合うような、真剣な眼差し。

「あの子何?小緑ちゃんとどういう関係?」

「関係ないです。知らないです。あんな奴ら、死ねばいいのに」

昨日と同じ暴言を吐いた小緑は、逃げるように更衣室へ向かおうとする。
だがまだ話は終わっていないと、城崎さんは彼女の腕を再び掴んだ。

「ちょっと小緑ちゃん!」

「放して下さい!城崎さんには関係ない!」

「関係ないこと」

「じゃああいつらの名前全員言ってください!あと僕とどういう関係なのか。それが言えないな部外者は放っといて下さい!」

小緑の見たことのない焦りの表情に、私達は息を飲んだ。
城崎さんも電池の切れたかのように、無意識に小緑の腕を放していた。

だけど、私はこのままではいけないと言うことは分かった。

いや、きっとみんな一緒の事を考えているんだろう。
言葉に出来ない彼女の想いに、言葉を失ったのだろう。

「小緑、言い過ぎ」

だから私は無意識にそんなことを呟いていた。

さすがに小緑の今の言葉は間違っていると私は思う。
助けてくれる城崎さんに、喧嘩を売るような言葉は絶対に間違っている。

本音だとしたら、私は絶対に許さない。

「茜さんも首を突っ込まないでください。迷惑なんで。鬱陶しいです」

だけど私もあの頃だったら、今の小緑と同じことを思っているのだろう。
許さないと言いながら、小緑の気持ちも分かる気がする。

同時に『すごい』と思った。
こんなこと、昔の私なら絶対に言えない。

思ったとしても、飲み込んでしまって心の中に溜め込んでいたんだろう。 

まあ私の場合は『助けてくれる人』なんて居なかったから、そこまでは思わなかったけど。

「ねぇ小緑ちゃん。君は何様になったつもり?誰に向かって口聞いてるの?」

でもこんな風に本気で向き合ってくれる人がいたら、私の人生は変われたのだろうか。

「えっと、橙磨さん。その、私は大丈夫ですから・・・・」

目の前の光景を見て、私は吐きそうになった。

橙磨さんは小緑の胸ぐらを付かんで、怖い表情で見下ろしている。
『心の底から許さない』とでも言うような、橙磨さんの怒った顔。

「茜ちゃんごめんね、少し黙っててくれるかな?やんちゃするのは構わないけど、本気でそんなことを言うなら、僕は絶対に許さない」

橙磨さんの言葉に、小緑は一瞬だけ怯んだような表情を見せたがすぐに強気の表情に戻った。

「うるさい!橙磨さんも僕のことなんて何も知らないくせに!」

「だったら話そうよ。そうやって周りを傷つけて、何が生まれるの?それで君が満足するって言うなら納得する。もう何も言わない。『君はその程度のクズなんだ』と、そう僕は理解する」

よく通る、橙磨さんの言葉に再び厨房は静まり返った。
こんな状況でも、東雲さんはオーダーのサンドイッチを表情変えずに作っている。

橙磨さんは続ける。

「涙浮かべながらよくそんな事言えるよね。すごいね。悲しさしか生まれないのに。もう二度と支えてくれる人を馬鹿にするんじゃないよ。小緑ちゃん、紗季お姉ちゃんに同じことを言えるの?小緑ちゃんの事を一番に考えてくれる紗季ちゃんに、迷惑とか鬱陶しいとか言えるの?」

小緑は目に涙を浮かべながらまた口を開く。
が、橙磨さんの言葉に書き消された。

「もういいから、仕事中だよ。落ちいて元気出そ。ね?僕と一緒に頑張ろ」

橙磨さんは小緑に笑顔を見せると、小緑の頭を撫でた。

小緑も涙を堪えようと頑張ったけど、目の前の橙磨さんに慰めてもらって泣き出した。
橙磨さんに抱きつくように、厨房に小緑の泣き声が響いた・・・・・。

その後から私と小緑のポジションが入れ替わった。

私は樹々と一緒に、帰るお客さんを笑顔で見送った。
店内のお客さんはさっきの二人だけだし、接客することもないだろう。

テーブルに残されたお皿を片付ける。
洗い物を厨房に運ぶと、橙磨さんと小緑は話ながら仕込みを行っていた。

その様子をオーダーを作り終えた東雲さんは、隣で仕込みをしながら聞いていた。
『僕の息子も小緑ちゃんと同じクラスなんです』と聞こえたような気がするが、それ以外はあまり聞き取れなかった。

城崎さんも気になる様子を見せているが、初めてのホール仕事の私に付きっきりで仕事を教えてくれた。
さっきの小緑の言葉で少し傷を負ったのか、少しだけ城崎さんの表情から何が欠けたような気がした。

閉店時間の二時になっても彼女達は帰らなかった。
樹々が何度も閉店時間と知らせるも、まるで言葉の知らない違う星の生き物のように聞き入れようとしなかった。

彼女は大声で笑い続けた。
それから三十分後、二人はようやく席を立つと小銭を投げ捨てるように彼女達は会計を済ませた。

そして最後にメッセージを残した。

「小緑に言っておいて。『明日の昼休みに屋上で待っている』って」

不気味な笑みと共に、彼女達は店の外でも笑い続けた。
人を馬鹿にするような、嘲笑うような、悪魔のような表情で。

彼女は笑い続けた。

その彼女達の様子を、遠目で睨み付けるように小緑は見ていた。
同時に震えるような彼女の手は、まるで季節外れの台風がやって来たような不安な気持ちにさせた。

それから私達は急いで客席を片付けた。そして昼御飯の準備をした。

「早くしないと、ご飯が冷めてしまうよ!急いで!」

言葉通り急かすように、笑顔でそう言う城崎さん。

私達は再びピークタイムのように振り回された。
きっとお腹を空かした私達に、早くご飯を食べてほしかったのだろう。

慌てて私達が席に座った頃には、宴会のような東雲シェフが作る豪華な昼御飯が目に映った。

この店の名物料理のサンドイッチやパスタにサラダ。
それと私が焦がしたと言っても過言ではないドリア。

黒く焦げた所を削り取り、もう一度暖めたら食べれるという事だったので昼御飯のテーブルに並んだ。

疲れて空腹だった私達は料理の奪い合いだった。
どれを食べても美味しい料理に、私は樹々が羨ましいとそんなことを思ってしまった。

それと食事中の樹々の表情が以前と違うことに気が付いた。
別人のような、食べることを楽しみにする、どこにでも居そうな一人の女の子ような表情。

そういえば樹々が学校で食べる昼御飯は自分で作った具のないオニギリを食べていたっけ。
最近はお父さんの作る弁当を持って来て、いつも美味しそうに食べていた。

樹々も変わったよね・・・・。

少し遅れてから城崎さんに呼ばれた紗季がやって来た。
よく寝ていたのか、寝ぼけたような彼女の表情が面白くてみんなは笑った。

紗季は真っ赤なリンゴのように恥ずかしそうな表情を浮かべていた。
そして『迷惑をかけてごめんなさい』と、最後はみんなに頭を下げていた。

一方で小緑はいつものおっとりした彼女に戻っていた。
マイペースでよく食べて、橙磨さんとよく喋っていた。

あの時厨房で二人で何を話したのかは分からない。
だけど、ひとまず収まったことは理解できた。

食べ終えた頃にはみんな眠気に襲われた。
きっとみんな慣れない動きに疲れたのだろう。

『夜の営業まで時間あるから、寝てて良いわよ』と城崎さんに言われたので、私達は試しに客席の椅子の上で横になった。

そうしたら疲れていた私達はいつの間にか寝ていた。
ぐっすり、吸い込まれるようによく寝た・・・・・。

本当に、疲れた・・・・。

・・・・・・・・・。
ふとトイレに行きたくなって私は目を覚ました。
時間を確認してみたら四時を回った頃だった。

周囲を振り返ると、寝息を立てる樹々に橙磨さん。
そして小緑の姿があった。

同時に『今日は遊ぶために集まったのだ』と私は思い出す。

寝ぼけた目を擦りながら私はトイレに向かう。

そして帰ってきた頃に気が付いた。
真剣な表情で話す東雲さんと城崎さん。

そして浮かない表情の紗季の姿に。

何を話したのか、寝ぼけていたがすぐに分かった。

小緑のことだろう。
小緑の闇、学校でいじめられている小緑の過去を、紗季は力を振り絞るように話していた。

私は避けようかと思ったが、紗季と目があってしまった。
まるで『茜ちゃんも一緒に聞いてほしい』というような訴えるその目に、私は眠たい気持ちを噛み殺し、覚悟を決めた。

小緑の闇を受け入れた・・・・。

・・・・・・。
事始まりは今から二年前の出来事。
当時小学五年生だった小緑には友達がいた。

その友達とは正義感に溢れた金子麦(カネコ ムギ)という男の子と、さっきまで来店していた品のない言葉を使う大村瑠璃(オオムラ ルリ)という金髪の女の子のことだ。
そこに小緑も加えて三人で毎日楽しい日々を過ごしていた。

でも小学校の運動会の日に事件は起きた。

それは運動会最後の種目であるクラス代表リレー。
各クラスから四人、男女二人づつメンバーを選抜して足の速さを競争する。

同時五年二組だった小緑は、四人の中のメンバーに選ばれた。
スポーツが得意な小緑は、最後の区間であるアンカーを任された。

絶対に負けないと結成されたクラスの最強メンバー。
高学年を対象としたリレーで、小緑のクラスは五年生ながら、六年生にも大差を付けるほど大きく大差を付けてトップを走っていた。

二位との差もかなり開いていた。

このまま順調に走れば、一位は間違いなかった。
アンカーの小緑は前の走者からタスキを難なく受けとり、同じ区間の誰よりも早くスタートを切った。

でも、そのリレーの結果は最悪の結果だった。
小緑のクラスは最下位となってしまった。

理由としては一つ。
アンカーの小緑がスタートしたと同時に、激しく転倒してしまったから。

まるで誰かに足を掛けられてしまったかのように、コースから飛び出し小緑は頭から突っ込んでしまった。

小緑の肘や膝は擦り剥き、酷く出血していた。
それでも走ろうと、小緑は泣きそうな表情で立ち上がろうとするも、慌てて駆けつけた先生達によって棄権となった。

代表リレーは最後の種目だったため、小緑のクラスの雰囲気は最悪で、まるでお通夜のような不気味な雰囲気に包まれた。

クラスの順位も、代表リレーの成績が響き優勝を逃した。

保健室で手当が終わり、教室に戻った小緑。
だが待っていたのは冷ややかなクラスの視線と、黒板に書かれた残酷なメッセージ。

『おめでとう!代表リレーで小緑がぶざまに転けたから優勝逃したよ!』

『みんなの頑張り返して』

『代表リレーなんだから責任とれ』

小さく嘲笑うクラスメイトの声の中、痛む肘を押さえながら絶望に飲み込まれたような表情を小緑は浮かべていた。
どうしてこんなことになっているんだろうと思いながら、小緑は声が出なかった。

直後、小緑の友達である麦がトイレから教室に戻ってきた。
彼も事情を知らないのか、小緑と同じ表情を浮かべた。

そしてその後、怒り狂ったように麦は黒板の落書きを消した。
その様子を、小緑は我を忘れたように絶望した表情で眺めていた。

そして、全ての落書きを消した麦はこう叫んだらしい。

「誰がこんなふざけたことしやがったのは!」

その怒り狂った麦の表情を見て犯人は恐れたのか、手を上げなかった。
みんなは沈黙。

クラスメイトは知らない顔をする中、瑠璃が帰ってきた。
瑠璃も何が何だか分からない顔をしていた。

友達が攻撃されている現実に、瑠璃も心を痛めていた。

結局、誰がやったのかわからないまま若い女の担任の先生がやって来た。
『今日は残念だったわね』と言って、落書きが書かれていたとも知らないその黒板に、明日の予定を書き込んだ。

本当に、何もなかったかのように・・・・・・。