「あ、茜が・・・・。花でも食べさせた方が良いって・・・・・。だから言われた通り、花を拾って、俺はウサギに花を食べさせた・・・・。俺は、茜にやれって言われたからやっただけなんだ!」
それは空耳ではなく、現実の言葉だった。
私はすぐに隣の葵を振り返る。
・・・・・・・。
するとそこには手や唇は震え、まるで『しまった!』言っているような、脅えた表情を浮かべている葵の姿。
そんな彼の表情を見た私は、理解出来ずに真っ青な表情に変わった。
その信じたくない現実は、すぐに理解出来た。
でも葵の言葉は事実だ。
葵は何一つ、間違った事を言っていない。
私はウサギに興味など無かった。
だからこその、投げやりの言葉。
『花でもあげてみたら?その辺の』
その投げやりの私の言葉がこの葵の発言だ。
全て事実だから、私は何も言い返せずうつ向いた。
そして、事実を知った黒沼先生は話を進める。
「江島。先に教室へ戻っていろ」
黒沼の言葉に、葵は逃げるようにこの場を去っていく。
そしてその光景は、高校生になった今でも覚えている。
笑ったような、まるで『ざまあみろ』と言っているような、不気味な葵の笑顔が私の視界に映った。
それが応接室から出ていく葵の顔。
それが葵の出した答えだった。
つい数分前までの親友としての関係を、まるで真っ黒なペンキで滅茶苦茶に落書きをしたように。
そしてそれは私の心も同じだった。
真っ黒に、漆黒に染まりあげていく葵との思い出。
同時に『私たちの関係ってそんなもんなんだ』って思わされた。
頭と思い出を巨大なハンマーでかち割られたような気分だった。
その後も私は黒沼先生に酷く問い詰められたが、結局何も答えなかった。
恐怖と悲しさの嵐に飲み込まれて、答える余裕なんてなかった。
そして何も答えない私を見て、今回の話は終わり。
浮かない表情で教室へ戻る私と黒沼先生。
教室に戻っても一限目は残りわずかな時間しかなかったため、自習となった。
黒沼先生の不気味な存在感に生徒は誰一人と喋ろうとはせず、重い空気が流れ続ける。
だけどその時間は長くは続かなかった。
チャイムと同時にその授業も終わって、十分間の休憩を挟む休憩時間。
生徒達も緊張の糸が解かれたかのように、あちこちからため息や声が聞こえる。
黒沼先生も無言で、教室を離れて職員室へ向かう。
一方の私は、急いで自習のために机の上に出したノートや教科書を片付ていた。
自主するフリに出した教科書やノートを、机の引き出しにしまっていく。
理由としては、いつもすぐに葵と愛藍が私の席に寄ってくるから。
何も書かれていないノートを勝手に見たり、デリカシーのない行動が、いつもの彼らの休み時間の過ごし方。
でも今日は違う。
今は葵や愛藍を受け入れないように、次の授業で使う教科書やノートを出す。
そして机にうずくまるように身を丸めた。
何より目を瞑りたい気分だし、このまま寝ようかと思った。
ちょっと疲れいる。
でもそれを許してくれない人達がいた。
私を許さない二人の友達の存在。
「ウサギ殺しの犯人」
私の心を不快にさせるように、私の頭に何かが当たる。
当たったものを確認するために私は上体を起こして落ちた物を確認すると、消しゴムが落ちていた。
『なんて消ゴム?』と疑問に思いながら、その消しゴムを拾う。
でもまた一つ、何かが頭に当たる。
三角定規だった。
運悪く角が私の頭に当たり、相当痛かったため私は声に出してしまう。
「いたっ!」
そしてその私の声に対して、笑い声が聞こえた。
聞き覚えのある、男の子の声が背後から聞こえて来る。
私は笑い声が聞こえた方を振り返る。
するとそこには私の親友が立っていた。
江島葵と柴田愛藍だ。
愛藍はまた笑いながら、私に問い掛ける。
「お前のせいで葵が疑われたんだけど。どう責任とってくれるの?」
愛藍の言葉は胸に刺さる。
刺さるというより、えぐられた。
「なんとか言えよ。なあ葵?」
その愛藍の声に、私は思わず葵の表情を確認。
でもその顔には何もなかった。
無表情とはまた別の葵の表情。
心がごっそり落ちてしまったような、見ていて不安になる葵の顔。
そして葵の再び突き飛ばす声が聞こえた。
夢の中でしか聞きたくない言葉・・・・・。
「そうだな、茜のせいでウサギ殺しの犯人にされそうだったぜ」
その葵の言葉、やっぱり冗談だと思った。
嘘だと思った。
私は愛藍と一緒に葵をよくからかっていた。
くだらない嘘で怒る葵が好きだった。
だからその復讐だと私は思った。
遊びでやっていただけだから、その復讐も遊びだと思った。
何かのドッキリだと思った。
でも何かが違う。
まるで、知らない世界に来てしまったような。
例えば無数の恐い目が、私を見ているよう。
・・・・・・・。
いや、実際にクラスメイトに睨まれている。
「葵を貶めるとかサイテー」
「桑原茜って、まじで悪魔みたいなやつだよな。悪魔みたいに不気味だしよ」
「ウサギを殺した凶悪女。なんでアイツが生きているの?」
周囲から聞こえる男女問わない私へのメッセージ。
それを理解するのに私は時間がかかった。
いや、本当は理解したくなかった。
現実を振り返りたくなかった。
それを理解して自分の立場を把握したら、それはもう自分じゃない気がして・・・・・。
だから葵と愛藍だけじゃく、クラスメイトからも敵に思われていると理解した時には目の前が真っ暗になった。
完全に自分を見失っていた。
『ここはどこなんだろう?』って、そんなことを自分の中で呟いていた・・・・・。
ある日の休み時間、トイレに行って帰ってくるまでのたった五分だけの出来事だった。
「おい桑原。お前なんで机を廊下に出してるんだ?」
黒沼先生の言う通り、私の机は廊下に出してあった。
当たり前だけど、本来は自分の所属する教室にあるもの。
もちろん私が廊下に出したのではないし、私はトイレに行っていただけだ。
教室に戻ったらこうなっていた。
だが黒沼先生の怒りは私に降りそぞく。
「授業受ける気ないなら帰れ!」
黒沼先生は怒っているが、私は流して無視していた。
と言うより、相手にしてる余裕がなかった。
親友やクラスメイトにいじめられていると理解して、心が病んでいる。
まともに言葉を返すことすら出来なかった。
だから私は黙って机を教室に戻そうとする。
けど・・・・・。
「桑原、聞いているのか?」
『話を聞け』と、こういうときだけ真剣な表情を浮かべながら、私は黒沼先生に道を塞がれる。
私が辛い時間を過ごしている時は、知らない顔を浮かべているのに。
卑怯な先生だ。
小学生相手に授業で黒板を指す時に使う細い木の棒を使って、私の頭を何度も叩いている。
私が『痛い』と言っても、コイツの心には響かない。
いっそうのこと泣いても良かった。
ただこの男にはそんなことは意味がないだろう。
相手にしない方が一番いいに決まっている。
だから私は流すように小さく呟いた。
「ごめんなさい」
これを喧嘩に例えるなら、負けと認めてもいい。
負けてもいいから、目の前から消えてほしい。
それが私の本音。
私に触れないで欲しい。
無視を続ける私は、もう一つの入口から教室に入り、机を元の場所に戻した。
そしてその時に聞こえた二人の笑い声。
葵と愛藍だ。他人事のように『可哀想だな』って嘲笑っていた。
一方で、どうやら黒沼は本当に私がやったと思っているらしい。
事情を生徒に聞かず、まるで何もなかったかのように授業は行われた。
授業中に攻撃されている私に振り向いてくれない・・・・。
飼育委員の仕事も変わった。
ウサギが死んだため、学校の池で飼っている鯉に餌を与えるという内容に変わった。
現状校内にいる動物はこの鯉くらい。
でも飼育委員のメンバーだけは変わらない。
ある日の放課後、私は校庭の隅にある池で飼っている鯉に餌を与えていた。
同時に池に落ちないように片手で体を支える。
「なあ茜。夏休みのプール楽しかったよな。また泳ぎたくないか?」
そんな中、同じ当番の葵にその言葉と共に背中を押された。
彼の力強い押しに私は勢いよく池に落とされた。
「葵、やりすぎだって!」
そして葵の隣には何故だか当番じゃない愛藍の姿もあった。
無様な私の姿を見て、二人の大きな笑い声は周囲によく響いている。
そんな中、彼らの声に反応したのか私の大嫌いな先生が池に向かってくる。
葵と愛藍も先生の姿に気が付いたのか、愛藍は声を上げる。
「って黒沼が来た!葵、逃げるぞ!」
そう言って二人はこの場から逃げ出した。
黒沼と反対方向に逃げて、何度も未だに池の中にいる私を振り返りながら笑っている。
一方の私は池から上がろうとした時、大嫌いな黒沼と目があった。
案の定、黒沼は怒りを爆発させる。
「おいこら桑原!何やってるんだ!コラァ!」
またしても私は黒沼に酷く怒られた。
服は全て濡れたまま、職員室へ連れてかれた。
もちろん着替えなんてさせてもらえない。
冬に近づくこの季節、私は唇の青紫色に染まっているのに、職員室にいる教員達は誰も気づかない。
職員室では黒沼にも怒られたが、更に飼育委員の担当教員にも怒られた。
挙げ句のに飼育委員から外され、『二度と学校で飼っている生き物に触れるな』と、散々な事を言われた。
・・・・・・。
と言うか、真面目に飼育委員の仕事していただけなのに、どうしてこうなってしまうんだろう。
どうしてみんな私の敵なんだろう・・・・。
ここまで来たら、私のメンタルはボロボロだった。
本当のことを言っても、先生達は信じてくれない。
だから残された手段は先生達の怒り受け入れ、謝ることしか出来なかった。
とにかく謝って、怒られる時間をいかに短くして切り抜けられるか。
まだそれだけならいい。
その程度なら耐えれた。
でもそれは毎日エスカレートして、私へのいじめは続く。
更に酷い目に遭わさせれる。
毎朝教室にに入れば黒板に私の悪口。
そして私の机には酷い落書き。
私の教科書やノートは破られ捨てられる。
工作で作った作品は当たり前のように壊される。
女子からの暴力ならまだしも、男子からの暴力も当たり前。
『プロレスごっこ』だと言い、突然背中を蹴られたり、顔を殴るなどの暴力や、首を絞められるのは日常茶飯事。
体調か悪くて休んだ運動会では『お前のせいでクラスが負けた』と、意味の分からないことを言い出してきた。
居てもまともにスポーツなんてまともにやったことのない人間だ。
居たら足を引っ張るだけなのに、本当に何を言っているんだと思った。
そんな苦痛の何もかも全て、耐え続けた私。
涙は絶対に見せなかった。
それを見せたら『本当に終わりなんだ』って思ったから。
だから私は無愛想を貫き、感情をすべて捨てた。
先生に怒られたら謝り倒し、反省文もしっかり書いた。
そんな地獄と言う言葉に相応しい日常。
いつまで続いたか、苦しすぎて覚えていない。
でも確か一月の途中から、私への攻撃はピタッと止まった。
どうして止まったか。
それは私の家族が学校に訴えてくれたことがきっかけだ。
父が直接、『学校で娘がいじめられている』と訴えたらしい。
結果、学校側はようやく私がいじめられている事を理解した。
同時に私はいつもの冷たく凍てつくような視線が待っている教室ではなく、いつも暖かく迎えてくれる優しい先生がいる保健室へ登校した。
私はずっと家族に学校でいじめられていると黙っていた。
言ったところで何もしてくれないだろうという私の勝手な判断だ。
仕事に忙しい家族は私の事なんてどうでもいいのだと思った。
私が家に帰ってもいつも誰もいないし、私が眠りに着いた深夜に仕事終わりの家族は帰ってくるし。
顔を合わせるなんて朝食の時くらいだ。
最近は朝食すら食べなかったから、同じ家でも殆ど顔を合わせる事がなかった。
でもそんなある日、それが家族にバレた。
年の離れた兄のふざけた行動で、私にようやく味方が出来た。
ある日二十歳になりたての兄は、調子に乗って泥酔して帰ってきた。
何を考えているのか知らないが、寝ている私を叩き起こし『勉強を見てあげよう』と意味の分からないことを言い出してきた。
私は寝たかったという理由もあって、もちろん断った。
いじめられて勉強に全く集中出来なかったが、やっぱり眠たい。
当時の私は教科書やノートを破られ、勉強なんてどうでもいいと思っていたし。
しかし相手は酔っ払い。
『大人を舐めるなよ』と、兄は再び訳の分からないこといいながら、私のランドセルからボロボロの教科書を取り出す。
・・・・・。
そして兄の酔いは一瞬で覚めた。
あの時のお兄ちゃんの顔、今でも鮮明に覚えている。
妹の現実に、ただただ絶望するお兄ちゃんの表情・・・・。
兄のふざけた行動で、まず私は父から怒られた。
『どうして相談してくれなかったのか』って。
悔しそうに、まるで自分が会社でいじめられているように、父は苦しそうな表情を見せていた。
そんな『どうでもいい』と思っていたはずの父や兄の意外な一面に、私は父と兄に謝り倒した。
『黙っていてごめんなさい』って何度も何度も・・・・・。
そうしたら、『ふざけたこといってんじゃねえよ!お前が謝る必要なんてねえよ!』って、兄は怒って私を抱き締めてくれた記憶がある。
でも当時はその言葉がどうしても理解できなくて、私は何度も兄にから目を逸らしていた。
正直言って、今になってもその理由は分からない。
今さら聞く気にもならない。
だからその言葉は保留というメモを張り付けて、今も私の心のポケットに閉まっている。
いずれその言葉を理解できる日は来るのだろうか?
こうして、翌日から私の保健室登校が始まった。
学校に行かなくても良いと父に言われたが、私はそれを拒んだ。
理由はわからない。
今になってもわからないまま。
でも強いて言うなら、変な私のプライドがそれを拒んだのだろう。
学校は絶対に行かなきゃいけないのもだと思っていたし。
そして通うようになった保健室では、優しそうな若い女性の先生と、同じ学年の女の子に囲まれて過ごした。
いつも暖かい言葉をかけてくれる二人は、当時の冷めきった私の心を溶かしてくれた。
私も教室と違う空気に、少しずつ自分を取り戻していくことができたっけ。
同じ学年の女の子は隣のクラスの生徒だった。
名前は山村紗季(ヤマムラ サキ)。
紗季は彼女は生まれ付き心臓が弱く、入退院を繰り返す病弱な女の子だった。
背は高く、目を疑うような細すぎる腕や脚。
いつもポニーテールの髪型に、大人っぽい雰囲気。
とても笑顔が可愛らしい女の子。
そんな彼女は隣のクラスの嫌われ者を、嫌な顔を一つ浮かべずに受けていれてくれた。
それが少しだけホッとして安心して。
でも『その女の子も本当は私の事が嫌いじゃないのかな?』って思ったりもして、逆に不安になった。
優しく声を掛けてくれる彼女の笑みはどこか胸に突き刺さり、『友人や親友という言葉は、結局最後は鋭利な刃物のような凶器に変わるのではないか』と考えていた。
だから私は紗季の事が好きでも、距離を置いた。
休日に遊んだ日もあったけど、基本的に自分から紗季に声を掛けることはなかった。
毎日の記憶がリセットされるように、昨日あんなに楽しく話せたというのに。
私は紗季の事を『ただの保健室に通う知人』という事にしていた。
『友達には絶対になりたくない』と思った。
『信じて裏切られるのだけは、絶対に嫌』だったから。
こんな苦しい想い、二度としたくないから。
『今の葵と愛藍みたいな関係には絶対になりたくない』と思ったから。
そして紗季には悪いけど、嬉しいことに『楽しい』は長続きしなかった。
紗季は病状が悪化したのか、彼女は入退院を繰り返す日々。
六年生になった頃には、紗季は殆ど学校には来なかった。
結局保健室には私一人で、勉強を学んでいた。
でもこれでいい。
紗季と仲良くなったら、また誰かが嫌な思いをする。
決して『紗季が嫌い』とか、『嫌な奴』とかそういうのじゃない。
心の底から紗季の事が大好きだった。
大好きだったから、やっぱり恐かった。
友達になるのが怖かったのが当時の本音・・・・・・。
そして当時の私の考えは間違ってないと、私はその道を貫いた。
当時は本当に、誰とも関わりたくなかった。