江島葵。
その男の子の名前は懐かしく、毎日のように一緒に遊んでいた、幼き私の大好きな親友の名前。
同時に気分が悪くなるほど、脳裏に刻み込まれた彼の名前。
私は親友だった名前を聞いて、自分の過去を思い出した。
誰も振り向いてくれない、あの地獄のような七年前日々。
真っ黒に染まった過去に、私は再び引きずり込まれようとしていた。
江島葵と言う少年と初めて会ったのは、小学生低学年の頃だった。
どうして彼と仲良くなったかは覚えていないけど、もう一人の親友の男の子と一緒に仲良く過ごしていた。
自分勝手で生意気で人を困らすことしか考えない悪者のような奴らだったけど、私にとって彼らは大切な親友だった。
その中の一人が、実家で花屋を営む母親と暮らす江島葵(エノシマ アオイ)。
身長が高く顔立ちもいい葵は、クラスメイトの女子から人気者。
だけど彼の素顔は、無邪気で世間知らずの子供だ。
子供の中の子供と言うような『ガキ大将』と言うか、とにかく落ち着きのない奴だった。いつも誰かを困らせる事ばかり考えていた問題児だった。
それと葵の他にもう一人。
音楽家の一人息子で幼い頃から『ピアノのエキスパート』として育てられた、柴田愛藍(シバタ アラン)という体の大きな男の子。
日焼けをしたような小麦色の肌に、スポーツをやっていそうな大きな体格。
そして常に怒っているような奴だった。
誰かを困らせている事ばかり考えて、まるで『世の中は自分のために回っている』と思っているような悪ガキだった。
そして昔の私、桑原茜(クワハラ アカネ)は常に無愛想な女の子だった。
今もそうだが、今よりもっと酷かったと言うか・・・・・。
葵や愛藍以外の他人に全く興味がなかった。
人の名前を聞いてもすぐ忘れるし、人の話を聞こうとはしなかった。
常に眠たそうな表情で、二人の親友の活動を影で応援していた。
私達三人の活動は、とても褒められるような行動ではなかった。
よく小学校のルールを破って勝手に学校の裏山に入ったり、火災の非常ベルを押して学校をパニックに貶めたり、上級生に喧嘩を売ったりしていた。
今思うと本当にバカな行動ばかり。
そしてバカな行動をを繰り返す内に、私達の行動はいつもの間にか先生達にマークされていた。
それはまるで小さな指名手配犯のように。
教師たちの中では『悪い意味』で有名な存在だった。
そうやって毎日『人困らせの日々』を送っている私達だったが、私はその彼らといる時間が楽しくて、毎日の学校も楽しかった。
悪いことして怒られても、葵と愛藍が一緒なら気にならなかった。
終わったら怒られた先生の愚痴を言い合って、それが何より楽しかった。
そして彼らと一緒なら、将来どうなってもいいと幼い頃は思っていた。
将来も彼らと一緒に中学や高校へ進むと思っていた。
思っていた、のに・・・・。
・・・・・・・・。
小学五年の夏休みが明けた、九月のある一日。
それはなんの前触れもなく、まるで地割れのように私達の関係は裂けていった。
当時飼育委員だった私と葵。
飼育委員の仕事して私達二人は、裏庭にある動物小屋に向かっていた。
生徒が帰った放課後ということもあり、裏庭に通じる校内の廊下には誰もいなかった。
そんな誰もいない廊下で、私の隣にいる葵は愚痴を一つ溢す。
「マジで黒沼(クロヌマ)の奴腹立つ。茜もそう思うだろ?」
何の事か分からない当時の私は首を傾げた。
「何が?」
「ほら今朝の六年の奴だよ。いじめられている奴がいたから、俺と愛藍でそいつを助けたのに、助けた俺達が先生に怒られた。いじめらていた奴も、『助けてもらった』って一言言えばいいのに。ずっと黙っているから、俺らがそいつをいじめたみたいになったじゃねぇか。二度と助けるもんか。俺達はいじめから救っただけなのに」
「ああ、そんなことあったね」
私は他人のことなんて興味ない。
と言うより、今回はあまり覚えていないと言うのが本音だった。
その日の出来事は登校時に起きたが、朝が苦手な私は眠たくて殆ど記憶がない。
でも一応思い出そうと脳を使ったけど、『そういえば誰か知らない人がいじめられていたね』といい加減に心の中で呟いて、私は考えるのをやめた。
何より目の前でいじめがあったとしても、私は知らない顔しているだろう。
ただ『可哀想』と思うだけというか、『不幸』というか。
でもそれ、私だけではなく殆どの人がそれに当てはまるのじゃないのかな?
結局は自分が一番かわいい。
表には出さないが、人間なら必ずそんなことを思っているはず。
だからこそ葵や愛藍の行動が理解できなかった。
いじめられている人を助けるなんて、自分には何にもメリットはないし。
それに葵や愛藍も無傷じゃない。
相手は体の大きな六年生が三人。
私は喧嘩に参加せずに眠たそうな表情で黙って見ていたが、二人は『よく闘った』と他人事のように思う。
・・・・・。
・・・・そう、『他人事』のように。
本当に『二人はバカだな』と思いながら・・・・・。
ってか私、何だかんだで朝の出来事覚えているし。
「なんかすっげぇムカつく。茜もそう思うだろ?」
「運が悪かっただけでしょ?たまたま居合わせた先生が黒沼だっただけ。常識ある人間ならわかってるよ」
やる気のない私の言葉を聞いた葵は、少し間を置いてから私に言った。
「お前、子供っぽくないよな」
その言葉、何度周りから言われただろうか。
「私は大人なの。みんなとは考えていることが違うの」
特に深い意味はない。
ただ周りからそう言われているため、私はそう言い返しているだけ。
「チビのくせに大人?」
「アンタがデカイだけ。ってか身長の話しないで。私はまだまだ伸びるから」
「何センチ欲しいんだよ?」
「百八十センチ」
私が真剣な表情でそう答えると、葵は笑い始めた。
「ごめん、やっぱお前は子供だな。あはは」
そのふざけた笑い顔に腹が立って、私は葵に反論する。
「何がおかしいのさ!」
「お前、身長何センチだよ?」
すぐに数ヵ月前に行われた身体測定の記録を思い出すも、出て来た記憶は理想と遥かに程遠い。
「百三十センチ」
「俺より遥かにチビだな」
「うるさい」
悔しいが私は葵と横に並ぶと、その差は一目瞭然だった。
頭一つ分ほどかけ離れ、小学五年生の葵の身長は百六十五センチと言ったところだろうか。
二人で遊んでいる時に、よく言われる言葉は「まるでお兄ちゃんと妹だね」って比喩されたりもする。
全然嬉しくないし、むしろ葵と兄妹なんて言われたら怒りを覚える一方だ。
『頼むから一緒にしないでくれ』って。
そんな中、心底腹が立つ言葉が近くから聞こえてくる。
振り返った先には、同じクラスメイトで親友の柴田愛藍が薄笑いを浮かべている。
「よっ、飼育委員の仲良しカップル」
「誰がカップルだ!ばーか。どっか行け!」
「心配しなくても練習あるか。じゃあな!」
私の苛立ちの声を聞いた愛藍は走って去っていく。
無邪気な笑みを見せると共に、彼は私達に手を振っていた。
愛藍の言う練習とは、ピアノの練習だ。
ピアノには当時の私には興味がなかったから、愛藍のやっていることが理解できなかった。
『ピアノってそんなに楽しいものなのだろうか』といつも思っていたし。
私と葵は喧嘩をしながらも目的地に進む。
同時に校舎を出たら夏場の太陽の光が私たちを襲う。
だから私はこんなことを思った。『いっそ、夏休みも九月まで続いたらいいのに』って。
九月だけど、またまだ猛暑日の暑さが続く季節なのに。
裏庭に繋がる道をしばらく歩いていたら、小さな小屋と古びたベンチしかない殺風景な場所に着いた。
小屋の中にいるのは、一匹の茶色いウサギ。
「茜、鍵」
葵の短い言葉に、私は無言で握り締めていた小屋の鍵を使って小屋の閉める南京錠を開けた。
ちなみにこの鍵は『図工室』という、物置同然の教室から持ち出してきた。
ウサギの餌や、他に飼育している動物の餌も、その図工室に置いてある。
ウサギはじっと動かず、私達の行動を伺うように大人しかった。
このウサギの名前は、特に決まってない。
「最近元気ないよな。ずっと動かないし。変なもの食わした?」
葵の言葉に、私は無言で首を傾げるだけ。
「ってか餌減ってないし、このままでよくない?」
葵の視線の先は、ウサギの餌であるペレッドと呼ばれるウサギ専用の餌。
そこに彼は疑問を感じたのだろう。
私達を飼育委員の仕事は、学校が用意したペレッドを補充するのが仕事だ。
でもペレッドは昨日から減ってないみたいで満タン。
これ以上あげると、容器から溢れ出しそうだ。
だから私は言葉を返す。
「葵がいいって言うならいいかも」
「ホントお前ってテキトーだな」
テキトーというより、ウサギや飼育委員の仕事に興味がないだけだ。
自分以外には興味ない。
当番が私だけならきっと、何も餌を与えすに帰っているだろう。
多分小屋にすら寄ってない。
それが桑原茜という女の子の本音だ。
でも減っていない以上、今は何もすることはない。
「減ってないって、昨日からなにも食べてないってこと?」
私は一応飼育委員として、ウサギを思う嘘の気持ちを見せた。
内心はどうでもいいと思っているけど。
「それ大丈夫なのか?なんか食わせた方がいいのかもしれないし。茜、なんか持ってないの?」
私の嘘を信用しているのか、葵は真面目な表情だった。
何か食べさせる物がないか、葵は真剣に考えるような仕草を見せている。
そう言えば葵、嘘に引っ掛かりやすい奴だっけ。
『どんな嘘でも何でも信じてしまう奴だった』と、私は思い出す。
昔はよく私と愛藍でテキトーな嘘を考えて、葵を困らせるのが好きだった。
無いことを信じさせて、『嘘だよ』とネタばらしをして悔しがる葵の表情が好きだった。
怒っている葵の反応も私は大好きだった。
『どうして葵をからかいたくなるか』って言われたら、葵は悪ガキのくせに優しい心も持っているから。
人を困らすことが趣味のような奴だけど、困っている人を見つけたら放っておけないというか。
今朝の上級生との喧嘩も、優しさの心から生まれた行動だろう。
正義感とは違う、ただの優しさ。
そんな葵は呆れた親友だと、今の私はため息を一つ吐く。
優しい心はいいけど、動物一匹にそこまで労力を使いたくないのが今の私の本音。
何より早く帰って寝たい。
だから私は葵の質問を冷たく返す。
「あるわけない」
「そんなこと言うなよ。でもさ、マジでヤバくない?『何も食ってない』ってなるとさ」
『何を言っても葵は聞いてくれない』と判断した私は考える仕草を見せる。
だけど本当に興味がなかったため、何も案を思い付かずに適当に言葉を投げつけた。
今テキトーに浮かんだ、私の言葉。
「花でもあげてみたら?その辺の」
「わかった!なんか探してくる」
葵は必死だった。
ウサギのために何か出来ることがないか、私の言葉を聞いて、小屋から全力で走って離れていく。
その気持ちが私には理解できなかった。
出来ないから私は呆れた顔を浮かべながら呟く。
「まじかよ」
取り残された私は小さく呟くと、近くにある古いベンチに腰掛けた。
同時に真夏の青い空を眺める。
ここは本当に殺風景な場所だと来る度にいつも思わされる。
基本的に立ち入り区域の裏庭はウサギ小屋と古びたベンチ。
そして手入れのされていない雑草が生い茂る廃墟のような場所だ。
だけど『秘密基地』とか『一息つく場所』と思ったら最適な場所かもしれない。
暫く経っても葵は帰ってこない。
だから『このまま帰ってやろうか』と思ったりもしたが、直後に葵が戻ってくる。
その姿を見た私は舌打ち。
「おかえり」
心にもない言葉を投げると、葵は笑みを浮かべる。
そして早速ウサギの元へ向かった。
彼の手には小さな白い花びらが無数に咲く見たことのある綺麗な花。
「なんの花?」
「よくわからない。綺麗だから持ってきた」
「花屋さんなのに?」
「俺は継がないし、花なんかに興味ないよ!」
そうは言っても、葵が花のことに触れると目の色が変わる。
今だって声が生き生きとしているのは明らかだった。
それに決め付けはこれ。
「でも葵から花のようないい匂いする。なんの匂い?」
「たぶん勿忘草だな。俺あの花めっちゃ好きなんだ!色も綺麗だし」
「へぇ。詳しいんたね」
「まあ一応。花屋だし。これくらい常識だって!常識」
『さっきの言葉はどこに言った』と、私はため息を吐いた。
一方の葵は持ってきた白い花をウサギに差し出す。
『食べないだろう』と思っていた花を見たウサギは、小さな鼻を動かすと食べ始めた。
何の躊躇いもなく、まるでご馳走のように白い花を食べ始める。
「おっ!食べたよ茜」
正直言って驚いた。
まさか食べるなんて思っていなかった。
「そうだね」
私はウサギを見てそう言ったんではなく、葵の表情を見てそう言った。
とても嬉しそうな無邪気なガキの笑顔。
よほど嬉しかったのだろうか。
ゆっくり味わうように花を食べるウサギ。
そんなウサギを見て、『食べるのに時間がかかるだろう』と感じた葵は白い花をウサギの目の前に置いた。
そして『今日はもう帰ろう』と、再び小屋に南京錠をかけてこの場を後にする。
『明日には元気になってるかな?』なんて話ながら、私は葵と一緒に帰った。
その日の出来事は、それで終わり・・・・・。
翌日。
土日という休みには遠いため、当たり前のように学校に行く私達。
いつものようにクラスメイトは集まり、朝のホームルームのチャイムが鳴る。
そしていつもと変わらない日々が続くハズだったのに・・・・。
ホームルーム開始と共に、担任の黒沼先生が入ってくる。
いつもぶっきらぼうな表情で点呼を取る、非常にやる気のない先生だ。
点呼を取った黒沼先生は、今日の連絡事項を伝えるとホームルームが終わる。
そしていつも通りくだらなくて、楽しい毎日が始まると思っていた・・・・。
だけど黒沼先生の一言で、教室の雰囲気は凍り付く。
「飼育委員、江島と桑原。ちょっと来い」
怒っているのか、やる気の無いのか分からない。
投げ捨てるのような黒沼先生の冷たい言葉は、私と葵を不安にさせる。
そしてそれはクラスメイトも同じみたいだ。
いつも以上に感情のない冷酷な黒沼先生の一声に、クラスメイトは脅えてしまったのだろう。
何が何だか分からないまま、私と葵は教室を後にして黒沼先生の後を追う。
お互い何だろうと、首を傾げながら廊下を歩く。
間もなくついた場所は、職員室隣の応接室。殆ど使われないた場所だ。
多分校長とか偉い校内の人間が外部の人間と話しをする場所。
その応接室に入った私達は最初に驚く。
そこには見覚えのある人が居た。
立派なスーツを着た初老の男性が一人。
「桑原葵さんと、江島葵くんですね。少しだけお時間宜しいでしょうか?」
その初老の男性とは、我が校の校長先生だった。
優しい声とは裏腹に、苦笑いと申し訳ない気持ちをごちゃ混ぜにしたような、不安な表情を浮かべている。
それが何を意味していたのか、その時の私にはわからなかった。
「どうぞ、お掛けになってください」
言われた通り、私と葵は部屋の真ん中にあるソファーに腰掛ける。
それを確認した校長先生と黒沼先生は、私達と対になるように同じ形をしたソファーに座った。
そして校長先生は一つ間を置くと、私達の人生が大きく変わる話が始まる・・・・。
「二人には大変悲しいお話なんですが、我が校で飼育しているウサギが亡くなっているのを確認しました。朝方、我が校の教員が見つけました」
私と葵はいつの間にか唖然としていた。ただその現実が信じられずに言葉を失っていた。
校長先生は続ける・・・・・。
「どうして亡くなったのか、正直分かりません。ですので、昨日当番だった二人にお伺いしたいのです。昨日ウサギに何か変わった様子はありましたでしょうか?」
私と葵はお互い顔を合わせる。
自分の顔までは分からないが、私も恐らく同じ表情をしていたのだろう。
葵と同じ、焦ったような表情を・・・・・。
私は昨日の出来事を思い出す。
でも真実を伝えても良いのだろうか。
確かに昨日、私達は変わった餌を与えた、
今までウサギの餌のペレットを補充していただけだが昨日は違う。
ペレットは全く減っていなかったため、葵が拾ってきた白い花を食べさせた。
その事を正直に言えば問題はない。
しかし飼育委員の決まりでは、『学校が用意した餌以外は食べさせてはならない』というルールがある。
『ウサギが人参が好きだ』と言って、勝手に自分の家から持ってきた人参を食べさせても駄目だ。
そのルール違反をした先の事は私と葵は知らない。
怒られるだけだと思うけど、ウサギが死んで私達が一つの命を奪ったと思ってしまったら、素直に言えるわけがない。
だけど相手は大人だ。
小学生の考えている事なんて、表情を見れば分かるだろう。
強張った私や葵の表情を見れば一目瞭然。
「何かあったんだろ?正直に言え。みんな授業を待ってるんだ。あいつらの時間をお前らが潰しているってことになっているんだぞ」
まるで、何かもお見通しと言っていそうな黒沼先生。
だが隣で校長先生は私達を庇ってくれる。
「黒沼先生、言葉を考えなさい」
校長先生に注意された黒沼先生は舌打ちと共に腕を組んだ。
なんだか子供みたいな先生。
「何でもいいです。心当たりあることは教えてくれませんか?」
校長先生がそう言っても、過去も現実も変えられない。
現にウサギが死んだ以上、その責は私と葵にあるのかもしれないし。
殺意のない犯行だとしても、自分が犯人だと分かっていれば自首なんて真似はしない。
だから私と葵は黙秘を続ける。
何秒も、何分も・・・・・。