「……ごめんなさい」
私は、あかりを抱く腕の力を強めながら、ゆるゆる首を振って、泣きそうなケライノォにきっぱり言い放った。
「私は、行けない」
拒絶を。
【交錯勇者 - 5.奇襲決意】
光元あかりは、帰り道が同じ友達といっしょに帰っていた────はずだった。
帰り道、友達越しに見た黒い影に驚き、目を瞠ったまま「ごめん、一沙ちゃん……先に帰ってて」と言うのが精一杯だった。
脇目も振らず走り去るあかりに、一沙と呼ばれた友達は「あかりちゃ、」呼び止め掛け。
「────」
大きな黒い影が自身の横を摺り抜け、あかりのあとを追うのを見た。
「あかりはだいたい一人なんだけど、今日“一沙ちゃん”て言う子と帰ってて……」
高校を飛び出し、あかりが消えた通学路に灯子と埜途は急ぐ。
あかりと一沙は幼稚園時代、家が近かったことを切っ掛けに親しくなり、あかりが引っ越してからも仲が良かった。あかりの引っ越し先は学区内で小学校までの道程に一沙の家が在った。自然と帰り道は同じになる。
しかし一沙は生まれ付き体が弱かった。だので、一沙の調子が良く下校まで学校にいられた日は共に帰っていた。
「友達と帰っていたのが、幸いした訳だ」
余りに一沙が騒ぐので、在宅仕事の父親が灯子に一報を入れた。灯子の私用番号を知らなかったので、職場に連絡するしか無かったが。
嫌な予感がした。大事にならないよう、小学校や他の保護者には、未だに連絡はしていないそうだった。
「反対方向、とすると……」
あかりがいなくなった地点であかりの自宅方向と逆の道を見た。小学校から初めて二手に分かれる道だ。
灯子たちが見やった先には例の山が見えた。
「……疑問だったんだ」
埜途が、すっと両目を眇て零した。
「次元が歪んで、あの世界と繋がるとき、いつもあそこの山に雷が落ちてた。この前帰って来れたときもそう。四年前だって、天気が悪くて────」
「そう言えば……さっきも雷が……」
あかりがいなくなったと知らせが入ったのと落雷したのは同時だった。よく出来た演出だな、なんて、呆然とした中思った。山を注視する灯子を見、次いで山へ視線を戻すと「あの山に何か在るのか……?」埜途は呻く。
そして瞼を閉じる。気配を探るためだ。
本当は目を閉じずとも捜せるのだけれど、より正確に捕捉するためには視界を遮断するのが一番だったからだ。
「マジかよ……」
「え、何、」
時間にして数秒。目を開いた埜途の呟きに、灯子は胸騒ぎを覚える。埜途は難しい顔をしながら、灯子に向かい告げた。
「まさに、今あの山の中だ」
あかりは全速力で木々の隙間を逃げ惑っていた。
ガサッガサッと後方頭上から音が追い掛けて来る。────大きな鳥だ、とあかりは思った。人程の大きさの鳥の影が二羽、あかりに迫っている。
草木が繁るここでなら、枝が障害になり隙を見て背の高い草に身を潜めれば、あかりは追跡者たちを撒けるのではないかと考えていた。
が、所詮浅知恵だったらしい。
あかりは、脳裏で父と、二人の母を描いた。あかりを産んでしばらくして亡くなった母と、灯子だ。
灯子はあかりと血の繋がらない母だった。けれど、母がおらず父が亡くなった現在、唯一の家族だった。
あかりは、必死に心中で叫んでいた。
“お母さん、たすけて”、と。
祈りが通じた訳では無い。神なんていない。父が病気で逝去した時分、そう感じた。
だから、コレは、神様なんて曖昧なものでは無かったのだ。
「あかりっ……!」
あかりの腕を、強く横から引く力が在った。とっさのことに、あかりはバランスを崩し前に倒れ込む。あかりが倒れ込んだ先は柔らかく、あたたかった。
「あかり、良かった」
母だった。あかりの母にしては若い灯子。普段灯子に迷惑を掛けたくなくて頼れなかったあかりは、母の灯子に力一杯しがみ付いた。
「……お母さん……」
「怖かったね、もう、大丈夫だから」
常日頃何が在っても大人びて、夫の葬式以来泣いたことの無いあかりが涙ぐんでいる事実に、灯子も泣きそうになる。ガサァッと音が上方でして止まった。
音のしたほうと、灯子たちの間を埜途が遮る形で立つ。
しばらくして、影が一つ、地に降り立った。新しい外套に身を包んでいたが、紛うこと無くケライノォだった。影の片方は降りず「何でこんなところに『ディオス』の『異人』が!」ケライノォに喚いている。ケライノォはそれに反応せず「“勇者様”……」灯子を見詰めていた。
ケライノォが近付くと、灯子たちを庇うみたいに片手を広げる埜途が警戒から後退する。
「近寄らないで!」
灯子が、あかりを覗き込んでいた顔を上げ声を荒げた。
「コレが、あなたたちのやり方なの? 娘まで巻き込んで!」
睨み据える灯子に、ケライノォが慌てて否定した。
「ち、違います! “勇者様”、トーコ様! トーコ様を捜していたら、トーコ様のお子様を見掛けたので声を掛けようと……」
以前写真を見たことが在ったのだと、ケライノォは弁明した。ケライノォの世界にも、写真は存在しているらしい。
「……。異形に追い回されれば、ガキじゃなくてもそりゃあ一目散に逃げるだろ」
埜途が嘆息しつつ突っ込むと、ケライノォが「うるさい!」噛み付いた。だけども、灯子も埜途の意見に賛成だ。ケライノォに追い掛けられたあの夜、正直灯子も生きた心地はしなかった。小学生なら如何程か。
一つ息を吐き、気を取り直したケライノォは埜途を無視し一歩、灯子へ距離を詰める。埜途も、合わせて後退る。
「“勇者様”……トーコ様」
あかりを抱え身構える灯子にちょっとだけ悲しそうな顔をしながら、ケライノォは真剣な眼差しを灯子へ向けた。
「お願い致します。私たちと、私たちの国へ来てください」
「……」
「このままでは私たち『ハエレシス』の民は、『ディオス』のヤツらに嬲り者にされてしまいます。女子供老人の区別無く、悪逆非道の限りを尽くし、ヤツらは私たちを蹂躙するでしょう……お願い致します……私たちと戦ってください」
「……」
ケライノォの真摯な願いに、灯子は再び俯いた。埜途から聞いた断片的な情報、当初のケライノォの様子だけでも、埜途がいた国は人非道的なのだと推察出来る。灯子一人で何が出来るとも思えない。象徴がいるだけでも士気の勢いが変わると信じているのだろうか。それだけ、ケライノォたちは追い詰められているのか。
灯子は、困惑していた。訳がわからない状況、自分は関係無いと思う傍らケライノォの年相応でない覚悟を見て。都合が良いとは思う。最初襲って来たくせに、今更手のひらを返し助けを請うなど。だけれど。灯子は埜途へ焦点を合わせる。
向こうの埜途は、どうなるのだろうか。埜途の言う通り時空が歪んでいるのなら、まだ向こうに戦中の埜途がいるはずだ。担がれて苦悩する埜途が。
埜途は灯子を守ると言った。そんな埜途が苦しんでいるのに置いていて良いのだろうか。向こうに行った灯子は助けようとしたのに?
それに灯子が行かなければ、またあかりを巻き込んでしまうのでは無いだろうか。少しだけ揺れる灯子は強い力を感じた。
「お母さん、どこにも行かない……?」
あかりだった。潤んだ瞳で、灯子に問う。あかりを援護するように、埜途も口を開いた。
「余計なことを考えるな。あんたが一等たいせつなものを選べ」
埜途の言葉に、灯子は決める。
「……ごめんなさい」
灯子は、あかりを抱く腕の力を強めながら、ゆるゆる首を振って、泣きそうなケライノォにきっぱり言い放った。
「私は、行けない」
拒絶を。
「……!」
ケライノォは下唇を噛んだ。噛んだ唇が解けケライノォが何某か発する前に、埜途が口を挟む。
「あんたは娘を連れて早く去れ。酷い場面は見せたくないからな」
灯子は「冴紀くん!」埜途を呼ぶが、埜途は振り返らなかった。
「わかっただろ? 生かして置けば、こうやって早々追っ手が掛かるんだ。少なくとも、ここで終わらせて置けば次の追っ手まで時間が出来る。……上手く行けば二度と来ないかもしれない」
生半可な行動は周囲への被害を大きくする。今回あかりを巻き添えにしたみたいに。埜途の言いたいことを察して、灯子は反論しなかった。何も言わず、立ち上がるとあかりの手を引いて、山を降りた。
途中「トーコ様!」ケライノォの悲鳴染みた呼び声が響いたけれども、灯子は一切見返ることもしなかった。
「お前から奪った魔力、返してやるから感謝しろよ」
埜途の宣告が耳を掠めても。
山の麓で、灯子は埜途と合流した。制服は汚れ、一部切れている部分も在った。
「……ありがとう、冴紀くん」
人を殺めて、礼を口にするのは間違っている。だが、埜途こそ人を殺すことに苦悶していた。その埜途は灯子を再度殺したくないと言って、灯子を守るために手を汚している。
矛盾していることを、埜途は灯子以上に理解しているのだ。ゆえに、この礼は灯子とあかりを助けてくれたことへの礼だ。
「……あんたは選んだ。だから俺もすべきことをした。これだけのことだよ」
「……」
灯子は選んだ。
異世界の埜途より、異世界の大勢より、あかりを。
その選択が、誤っているかどうかなど、現状灯子にはわからない。
もしかしたらとんでも無いことに発展するかもしれない。
「お母さん……」
だとしても。灯子は、不安そうなあかりに微笑んだ。繋ぐ手に力を込める。
「大丈夫。お母さん、どこにも行かないよ」
ただ、手を繋ぐあかりのそばを離れないことだけを、灯子は誓っていた。
【 邂逅編・了 】