クラスメイトのノイズ。
それは私、美柳空をバカにするだけの言葉。
『自分は立派な人間』だと勘違いしている奴らの言葉。
聞いていて人をバカにすることしか出来ない可愛そうな奴なんだと、少し心の底で思ったりもする。
でもそんな言葉を言う奴らの顔なんて、怖くて見ることが出来ないのが今の私だ。
心の中では言い返したいことは山程あるけど、実際に私の悪口を言う奴等が目の前に現れたら、私は怯えて逃げようとしてしまうだろう。
どこまでも情けない私・・・・・・。
そしてそれは、『いつもの二人』も同じ・・・・・。
私は北條さんと小坂さんにしっかり謝りたいけど、二人に脅えて謝ることすら出来ない。
最近は顔を見る事すら出来ない。
現実からすぐに目を逸らそうとしてしまう。
怖いって本当に怖い・・・・・。
・・・・・・・。
だから最近の私、目の前にどんな小さな恐怖でもを感じると、嫌な記憶が瞬時に脳裏に移される。
目の前の巨大なサメの姿に脅えていたら、学校でいじめられている時の事とが不思議と脳裏に映ってしまう。
今日はその気持ちを忘れるためにお父さんが学校を休ませてくれたのに・・・・。
・・・・。
本当に何やっているんだろう私。
何にしても口だけで、全く行動に移せない馬鹿な私だ。
と言うか本当に人食いサメらしく、そのまま私を食べてほしいよ。
人生、前向いて歩きたくない。
どうせなら早く終わらせたい。
生きてて嫌な思いしかしないなら、早く死にたい。
・・・・・・。
でもそんな私の姿を許さない人もいる。
ダメな私に手を差し出してくれる私もいる。
「はい、しっかり握って」
いつの間にか私の手は勝手に誠也さんに動かされ、そのまま目の前の銃を握らされた。
同時に誠也さんは銃を握る私の手の上から包み込むように私と同じ銃を握ると、目の前の巨大サメに銃口を向けて的確に撃ってくれた。
気がつけば、私の銃で誠也さんは一緒に戦ってくれる・・・・・。
そして笑みを見せて、私を元気にしてくれる誠也さん。
この人はどこまでも、『私の味方』だ。
「嫌なことがあったり、敵が現れたら戦ったらいいのに。相変わらず変な空ちゃん」
誠也さんの言葉に、その通りだと感じた。
『逃げること』しか頭にないから、『すぐに脅えて現実から目を逸らしてしまう』だと私と改めて思った。
誠也さん言う通り、戦えば何とかなるかもしれないのに。
・・・・・。
でも私にはそれすら出来ない。
本当に怖いものには、やっぱり逃げることしか選択肢が残されていない。
戦うなことなんて私には出来ないし。
どうやって戦ったらいいのか分からないし・・・・。
そんな私の心を読んで、誠也さんは私に笑顔を見せてくれる。
「まあでも空ちゃんは優しいからね。かつての信じていた友達に仕返しなんて、空ちゃんには出来ないよね」
誠也さんは続ける。
「それにあの二人、初めての空ちゃんの『友達』だっけ?」
私は小さく頷いた。
その間も、誠也さんは私の銃で一緒に戦ってくれる。
「うん」
「そっか」
目の前の巨大サメを倒したのか、巨大サメは海の中に消えていった。
第一ステージをクリアしたからか、私達を乗せた船はゆっくり進んで次のステージへ向かっていく。
そしてその間も、誠也さんは私を励ましてくる。
ちょっぴり性格の悪い誠也さんらしい言葉を交えながら。
「とりあえず今は目の前の出来事に集中しよ。一人で前向くことが出来ないなら、誰かと一緒なら出来るかもしれないし。俺でよければ、空ちゃんと一緒に戦うよ。何より俺は、空ちゃんのこう言う落ち込んだ顔は見たくないからね。笑顔の空ちゃんか、俺にやりたい放題されて悔し泣きする空ちゃんの顔以外は、あまり見たくない」
性格の悪い誠也さんの言葉の後、すぐに新たな巨大なサメが現れた。
今度は二匹。
今度の的は口の中ではなく巨大な背ヒレの所だ。
「ほら、今度は空ちゃんが撃ってみてよ。大丈夫。空ちゃんはやれば出来る子なんだからさ」
やれば出来る子。
そういえばその言葉昔からお父さんによく言われていたっけ。
小学生の時のテストや、何かの結果が上手くいかなかった時は、お父さんはいつも励ましてくれたっけ。
『大丈夫だ。そんなに落ち込むな。空はやれば出来る子なんだから、また次頑張れば必ずいい結果がやって来る。必ずな』って・・・。
きっと誠也さんも、お父さんに何度もその言葉を受けて、お寿司屋さんの修行をしているのだろう。
今の誠也さん、何だかお父さんに似ている気がするし。
スゴく頼りになるし。
・・・・・・。
確かに私は今まで一人だった。
だから視野や思考が狭くて、ずっと一人で悲しんできた。
といより何も出来なかった。
現状に対してどう行動をしていいのか分からないからこそ、現状に対して『悲しむ事』しか出来なかった。
私には知恵が足りなさ過ぎる・・・・。
でも隣に誰かいたらどうだろう。
苦しいときに、『仲間』がいてくれたら、スゴく心強いのじゃないかな?
『また明日も頑張ろう』って思えるんじゃないかな?
嫌な現状に対して、立ち向かおうとする意思が生まれるんじゃないかな?
まるで、昨日武瑠と話して笑顔になった私のように・・・・。
だから誰かが側に居てくれたら、自分自身が変われるんじゃないかな?
もっと自信を持てるんじゃないかな?
だけど正直言って、その仲間を見つけるのは一苦労すると思う。
何より『自分が苦しい』って、周りには言いたくないと思うし。
変な意地張っちゃうし。
だけどほんの少しの勇気を出すだけで、味方になってくれる人がいる。
辛いときに、手を差し出してくれる人がいる。
『助けて』って言ったら、自分の世界は大きく変わる・・・・。
そして今の私には誠也さんと言う『味方』がいるから、『何でも出来そうな気がする』って思う自分もいる。
それに、私にはお父さんも武瑠もおばあちゃんもいるんだ。
『身近に味方になってくれる人が結構いるんだな』って、ようやく私は気が付いた。
『自分は一人じゃなかった』って、やっと気付けた。
・・・・・・。
だったら後で武瑠にもまた相談してみよう。
武瑠がいると元気が出るし。
いっつもダメなお姉ちゃんを励ましてくれるし。
私は、一人じゃないんだし。
「はい!」
いつの間にか元気溢れる声で返事していた私は、自分の手で改めて銃を握る。
そして巨大なサメを目掛けて、私は立ち向かった。
誠也さんと一緒に一つの銃を握って戦う。
勝負と言う言葉をすっかり忘れて、私と誠也さんは一つの銃でサメと戦った。
慣れない操作にも誠也さんがしっかりサポートしてくれるから、スゴく心強い。
同時にずっと手に触れている誠也さんの温もりがあるから、私にも笑顔が戻った。
『怖い』と思った目の前のサメと言う敵も、今は全然怖くない。
むしろ『楽しい』と思うようになり、無我夢中でひたすら銃でサメを撃ち続けていた。
本当に楽しい。
そしていつの間にかアトラクションも終わり。
まだ目の前は黒い雲に覆われているが、これ以上サメは出ることは無さそうだ。
誠也さんも楽しかったのか、再び私をからかい出す・・・・。
「結局勝負なんて言葉、すっかり忘れていたね。だから『空ちゃんの敗け』と言うことで、一緒にジェットコースターに乗ろうか?」
「ちょっと言っている意味がわかりません」
本当に意味の分からない誠也さんだが、今の私なら誠也さんに反撃できる武器がある。
「と言うかスコアなら私の方が上ですから、私の勝ちじゃないですか?誠也さんのスコア、最初から変わってませんよ?ポイントで言うと、私が四百で誠也さんは三十なんですから」
誠也さんは笑う。
「あはは!まあ確かに、勝負で言うなら俺の負けだね。仕方ないジェットコースターは諦めよう」
心から願った誠也さんの言葉に、私は思わず声が漏れる。
本当にそれだけは嬉しい!
「やった!じゃあ誠也さんも私の言うこと聞いてくるんですもんね」
「そういうことになるね。まあ、『俺の計画』は成功したから満足しているけど」
俺の計画。
聞きなれない言葉に私は戸惑う。
「計画、ですか?」
「そう。サメに脅える空ちゃんの姿。ここのアトラクション、結構リアルなんだよね。リアル過ぎて、初見では怖すぎて脅えてしまう人が多いからさ」
『それがこのアトラクションが流行らない理由なのかな?』って思ったりしたが、次の誠也さんの悪意ある言葉にそんな事はどうでもよくなった。
相変わらず私を馬鹿にしかして来ない誠也さん。
いやもうコイツは悪魔。
「思った通り空ちゃんも脅えていたから、俺はそれで満足だよ。可愛らしく涙なんかも見せてさ。これでジェットコースターに乗る理由もなくなった」
その言葉を、時間を掛けて理解する私は答える。
「・・・・つまり誠也さんは、私の脅える顔を見たくて、ここに誘ったのですか?」
「そういうこと。なんか文句ある?」
文句なら山ほどある。
でも口で言っても私の怒りは収まらないから、苛立ちの表情と共に目の前の銃口を誠也さんに向ける。
これに実弾が入っているなら迷いなく目の前の悪魔を乱れ撃ちたいけど、残念ながらアトラクションの銃には実弾は入っていない。
ただのおもちゃの銃。
だから誠也さんも余裕をぶっこいて笑っている。
「あはは!銃で俺を撃っても意味ないよ。でも冗談でも人に銃口を向けたらダメだよ?空ちゃん」
「うるさいです!誠也さんのバカ!」
「あはは!って、笑っている場合じゃなかった」
「えっ?」
突然誠也さんは自分の銃を構える。当時に目の前に向かって何度も撃っている。
一方の私も首を傾げながら、誠也さんの銃口の先を確認。
するとそこには、今までに見たことのない大きさの巨大なサメが目の前にいた。
まるで巨大なクジラのようなあり得ない大きさのサメ。
多分、このアトラクションのラスボスなんだろう。
弱点となる的は強敵らしくあちこちに移動をしている。
口の中や目や背ビレなど、一定時間ごとに動いている。
と言うかいつの間に居たんだろう。
誠也さんも私も全く気が付かなかった。
そういえば『黒い雲』もまだ晴れていなかったし。
でもそんなことを考えている場合じゃない。
また脅えていないで、今度は自分の力で何とかしないと。
誠也さんも応援してくれる。
「一度くらいは自分で戦ってみたら?腕試しってやつ」
「あっ、はい!」
怖くない。
そう自分に言い聞かせて、私は銃口を誠也さんからサメに向ける。
私は誠也さん程、銃を扱う腕前は上手くない。
誠也さんのように連射なんて出来ない。
だからゆっくりだけど、銃を握って目の前の巨大過ぎるサメを撃ってみるが、中々思い通りにはいかない。
全く急所となる的に当たらず、迎撃ポイントも私一人じゃうまく稼げない。
でもそれでも私は諦めなかった。
さっき誠也さんに教わった銃の扱い方を思い出しながら、目の前の怖い敵に立ち向かう。
『一人でも出来るんだ』って証明するように、真剣な眼差しで戦っていく。
『私が私の未来を創るんだ』って、頑張ろうとする自分に言い聞かせる・・・・・。
だけど、その時間はあまり長くなかった。
まだ目の前の巨大過ぎるサメは消えてないのに、突然誠也さん銃口を下げる。
「どうやら時間切れみたいだね」
「えっ?」
誠也さんの言葉通りだった。
目の前の巨大なサメは海の中に消えることなく、私達に近付いてくる。
そして巨大なサメの体は私達の船にぶつかり、船は激しく大きく揺れた。
同時に、大きな水しぶきが私達を襲う。
「きゃっ!」
冷たい水は大きく跳ねて、まるでシャワーのように私達の元に降ってきた。
完全に濡れた訳じゃないけど、私のお気に入りの服のあちこちは水で濡れてしまった。
被っていたニット帽も服もスカートも濡れている。
そしてそんな無様な私を見て、誠也さんは笑い出す。
「あはは!空ちゃんびしょびしょになっちゃったね」
そういえばこのアトラクション、サメを倒せなかったら水しぶきが襲ってきて濡れてしまうんだっけ。
激しく濡れる場合があるって、アトラクションの注意事項にも書いてあるし。
まあでも、それなら濡れるのは仕方ない。
サメを倒せなかったから、濡れるのは当たり前の話。
でも気に入らない所は一つある。
どうしても許せないところがある。
「なんで誠也さんは濡れてないんですか?」
隣に座る誠也さんには水滴は一つも飛んでいなかった。
誠也さんの服や髪は一切濡れていない。
それに『空ちゃんだけ濡れてかわいそうだね』とでも言う誠也さんの笑顔が心底ムカつく。
また私に『挑発』してくるから本当にムカつく。
「それは、何でだろうね?このアトラクションが空ちゃんのことが嫌いだからじゃない?」
「また変なこと言わないでください!」
銃口を向けても意味ないと分かった今、私は誠也さんを狙って拳を降り下ろす。
『このバカを一回本気で分からせないといけない』と思いながら、誠也さんを襲う私。
「ちょ、ごめんごめん!でもこれに関しては俺も分かんないよ。たまたまとしか言いようがないよ」
「納得いきません!」
誠也さんは襲い掛かる凶暴な私の拳をキャッチして、 ずっと私を見て嘲笑っている。
『そんな攻撃、俺には通用しないよ』とでも言うようなふざけた誠也さんの顔面。
本当にムカつく!
いつの間にか黒い雲は晴れて青い空か戻っていた。
同時にアトラクションも終わり、私達を乗せた船も止まる。
でも私は船から降りず、苛立ちが収まらないから諦めずに誠也さんに襲い掛かっていた。
係員の人、中々降りない私に呆れていたっけ・・・・。
一応勝負は『私の勝ち』となったから、誠也さんは私をジェットコースターに連れていくことを断念。
そして私の強い希望でパレードを見て楽しんだ。
華麗に舞うように踊る人が何だかカッコいい。
他にも誠也さんと一緒に様々なアトラクションを楽しんだ。
綺麗な光のイルミネーションを見て楽しむアトラクションや、立体映像を楽しむアトラクションにも乗った。
殆ど私が希望するアトラクションばっかだから、『誠也さんは楽しめているのかな? 』って不安になったけど、誠也さんは私を見てずっと優しく微笑んでくれた。
誠也さんいわく、『空ちゃんが笑顔だと俺も嬉しい』とか。
私もそう言ってくれると、不思議と嬉しい・・・・。
気が付けば空は茜色に染まっていていた。
最近日が落ちるのが早いと凄く感じるし、かなり冷えて来たと私は実感。
もう冬だ。
遊園地の閉館時間はまだまだだけど、私は誠也さんと一緒に遊園地を後にした。
そのまま誠也さんの車のある駐車場へ向かう私達。
遊び疲れたのが今の私の本音だ。
お腹も空いたし、早く帰ってお父さんの作る晩ご飯が食べたい。
今日の晩ご飯は何だろう。
でも晩ご飯の前に、弟の武瑠に会いたい。
ここずっと毎日二人で目を見て話すのが、私と武瑠の欠かせない『日課』になっているし、今日も面会時間ギリギリまで沢山話したい。
そして武瑠に今日楽しかったことを共有したい。
武瑠にも笑顔になって欲しいし、今の私の気持ちを聞いて欲しいし。
そんな未来を考えながら、私は誠也さんに笑顔を見せる。
「今日はスッゴく楽しかったです!」
誠也さんも笑ってくれる。
「そう?よかった」
駐車場に停めてある誠也さんの車を見つけると、私達は誠也さんの車に乗る。
誠也さんは運転席に座り、車のエンジンを掛けるとポケットから携帯電話を確認。
一方の私も助手席に座り、シートベルトを装着して車が発信するのを待つ。
誠也さんがアクセルを踏むのを待つ。
でも中々車は発信しない。
誠也さんはずっと難しそうな表情で携帯電話を見つめている。
そういえばサメのアトラクションの前も同じ顔を誠也さんは見せていたっけ。
あの時も誠也さん、携帯電話を眺めていたっけ。
誰かと連絡取っているのだろうか?
そんなことを考えていたら、誠也さんに名前を呼ばれた。
ちょっと暗い誠也さんの声。
「ねぇ、空ちゃん」
「なんですか?」
誠也さんはどこか悲しげな表情を私に見せていた。
まるで私にとんでもない辛い隠し事をしているかのような、誠也さんの見たことない辛そうな表情。
でもそれは私の思い違い。
誠也さんはすぐに私に笑顔を見せてくれる。
「いや。なんでもないよ」
「そうですか?」
誠也さんがそう言うなら仕方ない。
私が考えても何も分からないし。
何事もなかったかのように、シートベルトを装着した誠也さんはアクセルを踏むと車は動き出した。
こうして私達は遊園地を後にする。
思い出をいっぱい抱えながら、私達は笑顔でこの場を後にする。
次に向かうのは武瑠の病院だ。
気が付いた頃には時刻は午後七時を回っていた。
誠也さんの好きなバントの曲を聴きながら、夜の道を走って行く。
茜色の空も、いつの間にか真っ黒な夜空に変わっていた。
金色に輝くような綺麗な月や幾千の星達も顔を出している。
何だか今日はとっても輝いて見えるのは気のせいかな?
そんな綺麗な暗闇の空を車の助手席から眺めていたら、間もなく目的地である病院に着いた。
面会時間は午後の八時までだから、ちょっと急がないと武瑠と話す時間が無くなる。
今日はいっぱい話したい事があるのに。
だから私達はすぐに車を駐車場に止めると、すぐに降りる。
遊園地で買った武瑠へのお土産を両手に抱えて、武瑠の元へ急ぐ。
お土産とは、遊園地のマスコットキャラクターのぬいぐるみ。
少し武瑠に似た、カエルをモチーフにしたキャラクターだ。
これにした理由は、ただただ可愛かったから。
武瑠の気持ちを考えずに、私の『可愛い』という一言で買ってしまった。
でも武瑠に少し似ているし、まあいっか。
可愛かったなんでもいいと思っているし。
ちなみに近くにお父さんの車が止まっているけど、武瑠の笑顔が脳裏にいっぱい広がっているから、今の私は全然気にしない。
その時はどうでもいいと思っていた私・・・・。
あまり人のいない病院のロビーや少し不気味な暗い廊下を小走りで駆け抜け、私は武瑠の病室のある三階へ私は急ぐ。
誠也さんは何故だか不安な表情を見せているけど、今の私は大好きな弟と会える喜びかでいっぱいだから、あまり気にならない。
そして武瑠の病室に辿り着くと、昨日同様にノックをせずに病室の扉を開ける。
同時に大好きな弟の名前を呼ぶ。
「たける!」
そう私が言えばいつも武瑠が『ノックして!』とか言って怒ってきたり、驚いた表情を私に見せてくれる。
私も少し申し訳ない気持ちになるんだけど・・・・。
今日はいつも違う。
何故だかお父さんの声。
「おう、空。今日は楽しかったか?」
武瑠の病室の中には、何故だか仕事着の白衣を来たお父さんとおばあちゃんの姿。
二人とも武瑠のベットの近くで、誠也さんと同じ暗い表情を見せている。
武瑠の姿は二人が邪魔をして見えない。
ベッドにいるのかすら今の私にはわからない。
ってか、なんでお父さんとおばあちゃんがここにいるの?
え、なんで?
どうしてここに?
・・・・・。
正直言って、私は今の現状を全く理解出来なかった。
だって夜の時間といえば、お父さんはお寿司屋さんの営業の時間。
もちろんお父さんはお客さんのために、お寿司を握るために、いつもの『板場』と言うポジションに立っているはずだ。
なのに、この時間にここにいるって、少し変な話。
それにおばあちゃんもそうだ。
お父さん同様に、お寿司やさんの白衣を着るおばあちゃんもここにいる。
昨日は『私のために誠也さんの代わりにお店で働く』って言っていたおばあちゃんなのに。
・・・・・。
・・・・どうして?
なんでみんなここにいるの?
ってか、武瑠は?
武瑠はどこに行ったの?
ねえどこにいるの?
武瑠。
そんなことを思っていたら、誠也さんの申し訳なさそうな謝る声が聞こえた。
後から病室に入ってきた誠也さんは、何故だかお父さんに頭を下げている。
「すいません、将大さん・・・・。俺、空ちゃんに本当のこと言えませんでした」
本当のこと。
その言葉の意味が気になったが、お父さんはようやく笑う。
まるで緊張の糸がほどけたかのように、私を見て優しく微笑む。