「――それにしたってお前、センスがあるのかないのかよく分かんねえよなあ」
紫織にプレゼントを渡してから、朋也は笑いを噛み殺しながら続けた。
「まさか、紫織からのプレゼントが、シャーペンとボールペンのセットだとは思いもしなかったよ。まあ、実用性があるから別に構わねえけどさ」
「――別にいいじゃん」
「いや、悪いなんて言ってないし」
朋也と会話を交わしながら、紫織はふと、こうして軽口を叩き合うのはずいぶんと久しぶりだな、と思っていた。
高校生になって初めての冬は、本当に色々なことがあった。
宏樹のために泣き、朋也の想いに苦しみ、涼香の気持ちを知ってからは、さらに胸を痛めた。
(でもまだ、宏樹君には応えてもらえないんだよね……)
帰りの車の中で告げられた、『高校卒業するまで』という一言。
紫織は宏樹にずっと片想いを続けていたから、これからもずっと想い続ける自信はあるが、果たして宏樹はどうだろう。
「――朋也」
紫織に呼ばれた朋也は、「なに?」と顔を向けてきた。
紫織は少し間を置いてから口を開いた。
「朋也は、好きな人が出来たら、ずっと心変わりしないって自信、ある?」
紫織の質問に、朋也はあからさまに表情を曇らせた。
目を忙しなく泳がせ、思考を巡らせている。
だが、やがて、思いきったように口にしてきた。
「――兄貴になんか言われた?」
紫織はビクリとした。
瞠目したまま朋也を見つめていると、朋也は呆れたように溜め息をひとつ吐いた。
「ここんトコずーっと、兄貴の様子がおかしかったからな。それに、あの時の電話、紫織だろ? 兄貴がちょっと焦り気味だったから、俺も何となく勘付いた。――ま、気付かねえふりしてやったんだけど」
「――どうして……?」
「考えるまでもねえだろ」
朋也は口元に小さな笑みを浮かべた。
「俺は、紫織のために知らんふりをしてやっただけだ。兄貴だって結局は、紫織のことはまんざらでもなさそうな雰囲気だったしな。
確かにムカつくけど、かと言って、紫織が不幸になるのも見てらんねえし」
そこまで言うと、朋也は悪戯っ子のように白い歯を見せた。
もしかしたら、相当無理をしているのかもしれない。
しかし、だからと言って、朋也の気持ちに応えることも決して出来ない。
「――ごめん……」
紫織は謝罪を口にした。
それ以上、何も言葉が出てこなかった。
そんな紫織を朋也はどう思ったのだろう。
朋也もまた、よけいなことは何も言わず、ただ、紫織の髪を何度も撫で回していた。
◆◇◆◇
家の前まで来ると、先ほどよりも雪がさらに積もっていた。
「それじゃあ」
朋也が背を向けた瞬間、紫織は「待って!」と引き止めた。
朋也はその声に反応して振り返った。
「これからもずっと、朋也は私の大切な〈家族〉だよ」
気休めにもならないだろう、と紫織は思いつつ、言わずにはいられなかった。
朋也は驚いたように目を見開いている。
「――〈友達〉よりはレベルが上だな」
皮肉とも捉えられる言葉だったが、紫織は嫌な気持ちには全くならなかった。
朋也もきっと、紫織の台詞を喜んでいる。
そう信じているから。
「また明日ね」
「ああ、また」
それを潮に、朋也は今度こそ自分の家へ入って行った。
紫織はそれを見届けてから、未だに降り続く雪を眺めていた。
一粒だけを見れば小さな結晶。
しかし、宏樹が言っていた通り、時間をかけて降り積もれば、全てを銀世界へと変えてゆく。
(宏樹君への想いも、また少しずつ育んでいけばいいよね)
紫織は自分に言い聞かせると、手を翳しながら雪の花を一身に浴び続けた。
[第十話-End]
歳月はゆったりと流れていった。
気が付けば、高校卒業の日となっていた。
しかし、北国の春はまだまだ先なので、校庭の桜の木はまだ固い蕾に覆われている。
「体育館、ちゃんと暖房効いてるんでしょうねえ?」
そうぼやいているのは、紫織の無二の親友である涼香。
涼香とは不思議な縁で繋がっていたらしく、クラス替えがあってからも、三年間ずっと同じクラスメイトとして過ごすことが出来た。
ただ、涼香が人目も憚らずにベッタリしてくるので、一時期は変な噂が流れていた、と別のクラスメイトから耳打ちされたこともあった。
(でも、どんなに言ってもやめないからなあ……)
紫織は今までのことを想い出しながら、深い溜め息を漏らす。
それを見た涼香は、「どうした?」と紫織の顔を覗き込んできた。
「――別に何でもないよ」
紫織がそっぽを向くと、涼香はすかさずその方向に回り込んで来る。
「なに? 心配ごと? だったら話を聴いてあげるから!」
そう言うや否や、涼香が例の如く抱き付いてくる。
「やっ、やめてってば! こんなことされたら、また変な誤解されるでしょっ!」
「大丈夫だって! どうせ今日で卒業なんだから! せいぜい同窓会で蒸し返される程度だってば!」
「だからそれがよけいにヤなのっ! 離せーっ!」
ジタバタして抵抗を試みるも、涼香の腕力は紫織よりもあるので全く歯が立たない。
ふたりがそうしてじゃれ合っている間、案の定、クラスメイトは好奇の視線をこちらに注いでくる。
(この抱き付き癖、ほんとにどうにかしてよお……)
そう思った時だった。
「じゃれ合うのは勝手だけど、もうちょっと人目を気にしたらどうだ?」
冷静に突っ込みを入れてきたのは、幼なじみの朋也だった。
「――はいはい、分かりましたよー」
涼香は不満げにしつつも、素直に朋也の言葉に従って紫織を解放してくれた。
助かった、と紫織は心底ホッとした。
「しっかしお前ら、最初から最後まで見せ付けてくれるよなあ……」
「私はそんなつもりないもん。涼香が勝手にくっ付いてくるから……」
「だってさ、紫織ってすぐにムキになるから面白くって! それに、これからは頻繁にスキンシップが取れないと思うと淋しくって」
涼香の言葉に、紫織はガックリと項垂れた。
やはり、涼香にとって紫織は、格好のからかい相手だったということか。
(同じ進路を選んでいたら、絶対また同じことを繰り返されてたよね……)
そう思わずにはいられなかった。
◆◇◆◇
卒業式はつつがなく進んだ。
そのあとは教室でひとりひとりに卒業証書が手渡され、担任と副担任からの挨拶を聴き、それで全て終了した。
解放されてからは、それぞれが仲の良い同士で固まり、写真を撮り合ったり、サイン帳にメッセージを書き合ったりしている。
紫織と涼香もまた、他のクラスメイトに交ざって写真を撮った。
長いようであっという間だった三年間。
こうして笑って過ごせる時間もないのだと思うと、やはり淋しいような気持ちになる。
「紫織!」
クラスメイト達と別れの挨拶を終えたあと、朋也に呼ばれた。
「なに?」
「あのさ、よけいなお節介かもしれないけど……。兄貴、今日は休みで家にいるから」
それだけ告げると、朋也は踵を返して紫織の前から去って行った。
(宏樹君が……)
紫織はその時、宏樹の言葉を想い出した。
『とりあえず、紫織が高校卒業するまで待とう』
あの日の台詞を、宏樹が憶えているかどうかは分からない。
しかしそれよりも、紫織自身が改めて宏樹に気持ちを伝えたいと思った。
(言わなきゃ……!)
紫織はその場から駆け出した。
「紫織、どうしたの?」
途中で涼香に呼び止められた。
「ちょっと急いでるから! またね!」
最後の挨拶にしてはずいぶんとおざなりなものになったが、今の紫織はそんなことにも気付いていない。
それだけ、紫織の頭の中は宏樹でいっぱいだった。
◆◇◆◇
電車に乗り、最寄りの駅から家まで全速力で走った。
紫織は宏樹と朋也の家の前に着くなり、肩で何度も息をする。
(宏樹君、ほんとにいるの……?)
胸を押さえ、呼吸を整えてから、紫織は玄関の前まで歩いて行ってインターホンを押そうとした。
ところが、緊張と疲れが一気に押し寄せてきたせいか指先が震えている。
一瞬、無理に今日じゃなくてもいいじゃない、と考えた。
しかし、ここで背を向けてしまっては、苦しい思いをしてまで走って来た意味がない。
紫織は気合を入れ直し、今度こそ押した。
ピンポーン、と外にまで響く。
少し待つと、玄関のドアがゆっくりと開かれた。
「――紫織?」
姿を見せたのは、宏樹だった。
「もしかして、卒業式終わった?」
宏樹に問われ、紫織は大きく頷く。
そして、一度息を大きく吸い込んでから、意を決して口にした。
「――宏樹君、約束、憶えてる?」
宏樹はわずかに目を見開いてから、「ああ」と答えた。
「ちゃんと憶えてるよ。――紫織が高校を卒業してから、だっけ?」
まるで他人事のように言っているが、確かにちゃんと記憶していたらしい。
紫織は宏樹の口から改めて訊くことが出来て、喜びを隠しきれなかった。
「私、ちゃんと無事に高校卒業したよ。それに、あの時と気持ちも変わってない。――ずっと、宏樹君だけが好きでした」
簡単に言いきってしまったようにも思えたが、これが紫織の精いっぱいの告白だった。
紫織からの告白を受けた宏樹は、しばらく考え込んでいた。
自らの顎に手を添え、あらぬ方向に視線を向けている。
(やっぱり、ダメなのかな……?)
絶望しかけたまさにその時だった。
「……ぷっ……!」
突然、宏樹が吹き出した。
紫織は何が起こったのか分からず、ただ、宏樹を傍観する。
「――参った」
宏樹は笑いを噛み殺しながら言うと、紫織の頭を乱暴に掻き撫でた。
「俺は絶対飽きられると思ってたんだけどな。――前のもそうだったから。
でも、紫織は根性があるというか、頑固というか……」
「どうせ私はしつこいですから」
紫織は、プウと口を尖らせる。
それがさらに宏樹のツボを刺激したようで、今度は声を上げて笑い出した。
「あっははは……! けど、そこが紫織のいいトコだよ。〈しつこい〉はさすがに言葉が悪いから……。そうだな、紫織は〈一途〉ってことか」
宏樹はひとりで言いながらひとりで納得している。
「――それで、宏樹君はどうなの?」
紫織は痺れを切らし、返事を催促した。
宏樹は「そうだなあ」とわざとらしく焦らしたあと、ニヤリと口の端を上げた。
「ま、今まで頑張ってきたんだろうし、そろそろいいか」
ずいぶんと上から目線な言い方、と紫織は眉をひそめた。
だが、これが宏樹なりの答え方なのかもしれない。
「――宏樹君って性格悪いね」
紫織がポツリと呟くと、宏樹は「今さら気付いたのか」と踏ん反り返った。
「この見た目で、何故か〈いい人〉だと勘違いされるんだけどな。けど実態は、弟をいたぶることを楽しんでいるどエス兄貴」
「――『どエス兄貴』って……。普通、自分で言う?」
「人に言われるのは癪だから」
しれっとして答える宏樹を目の前にして、紫織はほんの少し、やはり人選を誤ったか、と後悔の念に囚われた。
「やっぱイヤになったんじゃないか?」
紫織の思いを読み取ったかのように宏樹が言う。
紫織は慌てて「ちっ、違う!」と何度も首を振った。
「どエスだろうが何だろうが、宏樹君が一番だから! ――てゆうか、分かってて言ったでしょ?」
「おっ! 少しは賢くなったみたいだな」
「――やっぱ最低……」
紫織が恨めしげに宏樹を睨むと、宏樹は、降参だ、とばかりに両手を小さく上げた。
「ま、ふざけるのはここまでにして……。紫織、ちょっと外見てみろ」
宏樹に言われ、紫織は後ろを振り返る。
同時に、そのまま目が釘付けとなった。
雪が、ちらつき始めていた。
それを眺めながら、紫織は、今日の天気予報で雪マークが出ていたことを改めて想い出した。
「あの日と同じだね」
紫織が呟くと、宏樹も「そうだな」と頷く。
「どうやら、俺と紫織は雪に縁があるみたいだしな。もちろん、ここに住んでいれば、冬は必ず雪とご対面なわけだけど」
宏樹と紫織は、それからしばらくの間、音もなく降り続く雪を黙って見つめていた。